複雑・ファジー小説

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小さな本棚
日時: 2016/08/24 13:42
名前: 狒本大牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 6mW1p4Tl)

 本棚がある、とっても不思議な。
 目を離すと、知らない間に新しい本が立っている、魔法の本棚。
 今日も待っている、しかし現れない。
 明日も待ってみる、やっぱり現れない。
 仕方がないかと目を逸らす、何日経ったかは覚えてない。
 思い出した頃に本棚を見る。
 ほうら、やっぱり新しい本があったよ。






初めまして、あるいはお久しぶりでして、受験が終わりました
という訳できっちり戴冠式とこの短編集の更新をしていきたいと思います。
ちなみにこの間までは狒牙という名を使っておりました。なんというマイナーチェンジ。
不定期に更新されていく様子を記したのが上記の文章、あちきの描写力はあの程度でしかありません、悪しからず。
月に一度覗いてみると、きっと知らない本が増えていると思います。

>>1
>>2
>>5
>>6

Re: 小さな本棚 ( No.7 )
日時: 2017/09/08 02:35
名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: IgsYLD4q)

 今日、すべてのテレビ番組がある話題について報道していた。

「本日未明、山形県太平洋沖でオーロラが観測されました」

 棚引く光のカーテンが、唐突に日本の朝焼け前の空を彩った。黄色い太陽が姿を見せるよりも前に、その姿を隠す幕のように、オーロラは現れた。
 それはほんの、五分程度の出来事のことで、すぐに姿を消してしまい、代わりに朝日が訪れた。突拍子もない出来事があったというのに、太陽だけは、いつもと変わらない顔でやってきた。

「ねぇミカ、ニュース見た?」
「おい、オーロラ出たらしいぜ」
「日本でまさか見れるだなんてな」
「何かいいことある前触れとかなんじゃねーの?」

 ハハハハハ。そんな笑い声が町の中にひしめいていた。地学を専攻する研究者はこぞって頭を抱えていたが、人々は奇跡的な出来事に遭遇できたことを祝い、まるで狂信者のように友と、恋人と、親兄弟とその幸福を分けあった。

「逆に怖いってあたしは思うけどな」
「日本で見れるってほんとに良いのか?」
「異常気象の前兆とか?」
「凶事の前触れかもしれないだろ?」

 悲愴的な声も同様に上がっていた。しかし、世論は圧倒的に明るい未来の前兆と捉えるものが多いようで、そういった声はかき消されていた。

 そんな一日の夕暮れの中、ある校舎の屋上でのワンシーン。

「で、お前はどう思う?」
「あなたの方こそ、どう思ってるのさ」

 グラウンドの方からは日常と全く変わらない。部活に勤しむ学生たちの掛け声が聞こえてくる。もうすぐ完全下校時刻となるような時間、多くの学生がクールダウンのためにトラックをゆったり走っていた。
 それと同刻、対照的に部活に勤しまない彼らは、屋上を溜まり場に時折会っていた。どちらが言い出している訳でもないのに、片側が屋上に現れる時は、決まってもう一人も屋上に現れた。

「質問を質問で返さないでくれよ」
「私の意見は少し恥ずかしいの。先、話してくれる?」

 二人以外に誰もいない屋上に小さな溜め息がもれる。仕方無さそうに少年は頭を掻いて柵に背中からもたれかかる少女の方を見る。体を反らせて天を見上げていた少女は、少年の方を見て、姿勢をただした。

「俺が見たのはテレビ越しのオーロラだけだから、実際見たら感想は違うかもしれないけど……怖いな、って思った」

 その言葉に、少女は驚いたように目を見開いて彼の方に駆け寄った。興味津々な様子で、下から彼の顔を見上げるように覗きこむ。普段の済ました様子からは想像できないような、言うなれば奔放な小動物のようであった。

「どうした、珍しいな」
「いいから、続けて」

 夕焼けに染められた彼女の顔はなぜか今までのどの瞬間よりもずっと、綺麗だった。思うと彼は息を呑んでいた。それを振り払うように、おずおずと彼は語りだした。

「光の……カーテンだって皆言ってたけど、俺には何だか手招きしてるみたいに見えた。得体の知れない何かが……こっちに来いよって手招きしてるみたいで凄く恐くて」
「何だか、冷たい触手に首根っこを捕まれたような気分で」
「……! うん、脊髄に冷たい鉛を注がれたみたいに、どろどろとした寒気が」
「脳裏から爪先まで流れていった」

 自分がこれから言おうとしていたことをずばりそのまま的中されて、彼は少したじろいだ。まさか、そう思って言葉を紡ぐと、少女は自分の想像するそれと、全く同じ言葉を紡いで見せた。

「私も、同じ風に思ってた」
「綺麗だとは、俺だって思ったさ」

 でも、だからこそ怖かった。
 二人の声はぴたりと重なった。鏡にぴたりと添えた掌のように。

「何でだろうね、綺麗なものほど怖いって思っちゃうの」
「まるでこの世のものとは思えなくなるからじゃないかな。度を越して素晴らしいものはなぜだかおぞましく見えるっていう」

 他人の才能を信じたくないから、美しい景色に自らの無力さを思い知るから、なぜだか人は優れたものを遠ざける。これは自分の好きなものじゃない、自分を否定して欲しくない。
 ちっぽけな自尊心のために、人は認めるべきものから目を背ける……そんなことに、全く意味など無いというのに。

「あら、それは逆かもしれないわ」
「どういう意味?」
「おぞましいものほど、何よりも綺麗に見えるの」

 死の淵の絶望に、一縷の光を見つけようとするように。またあるいは、首に突きつけられた刀の鋭さに目を奪われるように。おぞましくて、直視するのも嫌になるものほど、綺麗だと思うのかもしれない。
 ぽつりぽつりと、即興で自分の心からこぼれ落ちる言葉の滴を集めて一つの川の流れを作って、その言葉を彼へと流し込む。そんな風に生まれた清流は、不思議と彼の心の中にするりと交わった。

「私も、オーロラはとても綺麗だってきっと……あなたよりも強く、強くそう思ったと思う。確かに怖かった、けれどね、アレはきっと私にとって救いなんだって、そう強く確信できたから」

 救い、その言葉を彼女は何よりも強く強調した。恍惚とした表情で、まるで愛した者を求めるように、請い、願う瞳をしていた。
 まただ。彼は強く自覚した。また、見とれていた。西日を受ける、彼女の横顔に。どうしてだろうか、彼は自身に問うがまだ答えは出ない。

「これから、何が起こるのかしらね」

 その声はとても、希望に満ちた明るいものであった。グラウンドを整備し始めた野球少年と同じ目。
 悲劇を確信しているというのに、彼女の全身からは、喜びが迸っていた。この違和感は何なのだろうか、彼は考える。この答えは出た。この違和感は、オーロラを好意的に受け止めていた、彼らに向けた想いとまるきり同じであった。

「私ね、あなたのことが好きよ」

 俺もだよ。そう返すことが彼にはできなかった。“彼女の言葉”が、彼に呼び掛けていたからだ。
 ようやく彼は、彼女がとても美しい理由に気がついた。

「返事は明日聞かせて」

 楽しそうに彼女はそう言った。その背中を見送った彼にとって気がかりだったのは、果たして彼女の目に、自分自身が本当に写っているのだろうか、その一点ばかりだ。

 結論から言うと、明日が来ることは無かった。何が起きたのかは誰にも分からない。次の日に、目を覚ます者はいなかった、それだけは確かだ。
 枯れた草木だけがわびしく風に揺られ、誰も見ることのない夜明けに抱かれて、ぐたりと倒れた。
 彼が彼女に、好きだと伝えられる機会はもう来ない。誰よりも、何よりも美しかったと伝えられる日も、もう来ない。
 それが悲しいことだとは、断定できない。もしかしたらむしろ、その方がよかったのかもしれないのだ。
 それは、彼が彼女に想いを告げられなかったことに限らない。誰にだって分からないのだ、それが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。

 明日が来ない、ことさえも。

Re: 小さな本棚 ( No.8 )
日時: 2017/09/10 02:05
名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「ねえ、お姉ちゃん! 大発見だよ!」
「どうしたの?」

 そういって私は振り返り、エリの顔を見た。その表情はいつものようにらんらんと輝いており、その両手には今日は某磁石がそれぞれ握られていた。ただの磁石をとても楽しいおもちゃのように振りかざして、今日もエリは大発見を私に教えてくれた。

「磁石のね、赤い方と青い方を近づけたらビタッ! ってくっつくんだよ!」
「そっかー! すごいね!」

 小柄な体というのに、えっへんと彼女は胸を張ってその様子を私に見せてくれる。磁石のS極とN極を近づけて、磁力で互いに引き合う様を見せてくれた。そーっと、そーっとエリが磁石を近づけると、あるところで急にグンッと勢いを増してビタリとくっついた。
 だが、今日の襟の発見はそこで終わらなかった。目を少しだけ細めて得意そうな顔を作り直す。ふっふっふ、と大げさな前置きをしてからさらなる発見へと足を踏み入れる。

「何と、同じ色を近づけると押されるんだよ!」

 今度はN極同士をエリは近づけようとした。しかし、どれだけ勢いよく近づけようとしても、ゆっくりじりじりと近づけようとしても、目に見えない斥力に押し返されて、、どれだけ頑張ってもついぞ引っ付くことは無かった。

「ほらね、反対側もこんな感じなんだ」
「そっかー、難しいね。絶対引っ付かないのかな?」
「うーん……多分」

 下唇を突き出して、不貞腐れた様子でエリは諦める。ぽいっと放り投げた磁石がカーペットの上をはねた。硬いものを投げ捨てちゃダメでしょと、私はエリを窘めた。するとエリはすっかり肩を落としてしまう。沈んだ顔つきの彼女に、今日はこの日の方かと私は身構える。

「お姉ちゃんさ……ほんとに、引っ付けないのって引っ付けないのかな」
「……何かあった?」

 大体彼女は、私に相談したいことがある時、大発見の報告からそのままの流れで尋ねてくることが多い。いつもだったら、日常にありふれた小さな発見を武勇伝のように知らせてくれるだけなのだが、今日の彼女はちょっと悲しい出来事があったようだ。だからこそ私は、できるだけ優しい声と、顔を作って彼女をぎゅっと抱きしめた。ふわりと、私と同じシャンプーの香りが鼻をくすぐる。

「どうかした?」
「んーとね、カナちゃんが今日、私のこと嫌いだって言ったんだよね」

 それはさぞ辛かったろうに。ちょっと黙ってしまった彼女に続きを促すようによしよしと頭を撫でてあげた。ぽつり、ぽつり。彼女は続きを語りだす。

「頑張って仲よくしたいって思ったんだけど、ずっと無視されて……」

 エリくらいの年でも人間関係は難しいんだなあ。そんなことを思いながら、エリを包み込んで、ただただ彼女が胸の奥をさらけ出してくれるのを待った。無理に引き出そうとしても、エリは強い子だから、黙っちゃうかもしれない。
 だからじっと待ってあげる。それだけが私にできることだからだ。

「どんだけ話しかけても、ずっと、ずっと……」

 この辺りからエリの声は嗚咽交じりになった。えづいて、時折言葉にならなくなって詰まりながらも、必死に彼女はどろどろとした胸の内を吐き出していく。一緒に給食を食べようとしたら、もういらないと席を立たれてしまっただとか、そういう話で、正直そこまで嫌われているなら距離を置いたほうがお互いに幸せだと私は思うくらいだった。だとしても、そんなことは伝えない。仲良くなりたいと思っているのはほかならぬエリ自身なのだから。

「どうしてそんなに仲良くなりたいの?」
「カナちゃん、絵が上手だから……」

 以前授業参観の時にカナちゃんとやらが書いていたお父さんの似顔絵がとても上手だったらしく、尊敬という言葉を知らぬエリは尊敬と口にしなかったが、要約するならエリはカナちゃんのことを尊敬しているらしい。
 要するに、惚れこんでしまったということなのだろう。こればかりは仕方ない。ちょっとずつでも、打ち解けてもらえるように頑張るしかない。エリがそこまで嫌われている理由は分からないが、きっとそれは私にもあずかり知らぬ人間関係が幼稚園児の幼い世界の中にもきっと存在しているのだ。
 どろどろとコールタールのようにへばりついたエリの感情が全て言葉になって吐き出された後、私は抱きしめるのを一旦止めて、エリと目を合わせた。そして力強く、

「大丈夫」

 ってそう言った。

「エリもカナちゃんも磁石じゃないんだから、いつかきっと仲良くなれるよ」

 エリは姉の贔屓目を抜きにしてもいい子だから、きっといつか仲良くなれると私は信じている。

「私、めんどくさく、ない?」
「それはカナちゃん次第かな。だから気長に待ちながら、ちょっとずつ仲良くなっていこう」

 エリならそれができるから。力強く宣言してあげるとさっきまでしょぼくれていたのはどこへやら、大きく首を縦に振ってベッドの方に走っていった。

「こーら、ちゃんと磁石片づけなさいよ」
「はーい!」

 元気な声を聴いて確信する。あの子なら、きっと大丈夫だ。
 そして、中学に入るころには二人が大親友になっているというのも、また別のお話。




_____


あとがたり

この更新で心がけたのは擬音語、擬態語をある程度使うこと、そしてハッピーエンドだったのですが
何か勢いで書き始めたため何となく微妙な感じに
ちょっとエリが可哀想なのでカナちゃんとやらと仲良くなった頃の短編でもうちょい幸せそうな様子を書いてあげようと思いますが遠い未来になりそうです。
できれば近いうちにしようとは思ってるんですけどね。それではこのあたりで。

Re: 小さな本棚 ( No.9 )
日時: 2017/09/11 02:37
名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


title:あるイエスマンのお話



「おい、ちょっとこれやっておいてくれ」
「分かりました」

 分厚い資料を一人の部下に手渡して、課長はそう言った。勤務態度が悪いことで有名な広報課の課長で、仕事を持ってきては他人に面倒なところを押し付け、最後にはさも自分が全て作業したかのように報告する性格のため、部下はほとんど皆敬遠している男だ。瘦せこけた長身の男で、頭には白髪が混じり、眼鏡の奥のカマキリのような眼はギラリと光っている。
 そんな悪評ばかりの上司を、いや、正確には悪評に塗れた上司の頼みでさえも受け入れる男がたった一人だけいた。人柄のよさそうな男で、いつも笑顔を振りまいている。特別仕事ができる、というほどではないが、それでも他人からの頼まれごとと自らの仕事を両立するくらいには優秀な社員であった。
 人は、彼のことをイエスマンと裏で読んでいた。今日もまた、課長の頼みを嫌な顔一つせずに即答で受け入れる。周りの皆は「よくやるよ」とは思っても、それを諫めたりやめておけと助言したりすることはない。なぜならイエスマンの恩恵に預かっているのは課長だけではないからだ。それはもちろん、課長からのお願いを一人で片づけてくれるからだけではなく、自分の面倒ごとをイエスマンに押し付けることも少なくないからである。

「資料のコピー、お願いしていいかな」
「分かりました」
「ちょっとトイレ行ってくるからさ、急ぎのメールの返信、代わりに頼んでいい? お前もあの会社のこと、ちょっとは知ってるっしょ?」
「いいよ、任せて」
「先輩、お相手さんが言ってることがよく分からなくて……。ちょっとだけ変わってもらっても……」
「いいよー」

 今日も、出社一時間で彼のタスクはぱんぱんに膨れ上がる。デスクに積まれた資料は、なだれを起こさないように丁寧に積み上げられているが、高くそびえるその壁はそのまま周囲の彼への依存を表していた。
 そして今日も自分の仕事の合間に、彼らの仕事をせっせと世話してやる。課長の雑用を、先輩の資料のコピーを、同僚へのメールへの返信を、後輩の尻拭いを、今日もまた、彼が全ての作業を終わらせる頃には、定時である五時を過ぎており、同じフロアに残っているのは彼一人だけであった。
 皆が皆、自分の仕事を自分でしても、定時には帰れる。それどころか、イエスマンも一緒に帰れるのに、なぜ毎日このようなことになるのか。理由はとても、単純明快。皆が、イエスマンの自由よりも自分の楽をとっているからだ。
 会社の最寄りのコンビニにより、エナジードリンクを購入する。家までは徒歩で十分程度だが、大体その道中で飲み干す。帰ったら帰ったで同棲中の彼女と分担した家事もやらねばならない。分担とは口ばかりで、実際のところ炊事以外全てがイエスマンの持ち回りとなっている。
 コンビニを出たところで、同じく会社から出てきた人間と遭遇する。同期で入社した女性で、違う部署に所属している。確か、営業だったであろうか。イエスマンとは異なり、自分の意見をズバズバと言うタイプで、先輩からもその態度が評価されているはずだ。

「あら、久しぶりね」
「ああ、そっちの仕事は順調か?」
「ええ。もうすぐ大きなクライアントと契約できそうなの。おかげで毎日くたくた」

 特別親しいわけでもないが、女のほうはこのイエスマンのことは信頼していたため、比較的同期の中でも打ち解けていた。イエスマンは入社当時、今とは違った彼女がいたのだが、それもあってかイエスマンは彼女に色目を使わなかった。特別美人だったりする訳ではないのだが、二人の会社は女性の比率が少なく、女性だというだけで彼女もいろんな男に声をかけられたものだったし、三年経った今でも変わらないようである。普通に他所の会社の女と仲良くなってくれとは、この女の愚痴の常套句である。

「そっちも仕事が忙しいの? ほかの広報の皆は定時みたいだけど」
「そんな大変じゃないはずだけどな、俺も」

 事実その言葉は正しかった。彼自身の業務は他人の業務代行を含めても五時半ごろには終わっていた。その後も押し付けられた諸々の作業を片付けていただけで、彼が本当にしなくてはならなかったかと尋ねられると、そうではない。

「はあ……噂は聞いてるよ、何で断らないの?」
「断るって?」

 その言葉は、意図しないうちに彼の口を突いて出てきた。初めから断るだなんていう発想など無かったようにするりと零れ落ちた言葉、その様子に、流石の彼女も戸惑う。

「いや、雑用おしつけられてるのを、断ればいいじゃないっていう話よ」
「えーと……ああ!」
「本当に今まで気づかなかったの……」

 呆れた。そう言って女は頭を抱えた。果てには、私があんただったら一日十回は怒鳴ってるわと口にする始末だ。流石にそれは怒りすぎじゃないかとイエスマンは首をかしげる。

「あんた、彼女とはどんなものなの?」
「今から家帰ったらごはんは置いていてくれるかな。その後洗い物と洗濯と掃除したら寝るって感じで、明日の朝は風呂掃除して、って感じかな」
「ものすごい損な性格してるわね、相変わらず」

 一回周りとちゃんと話し合ってみなよと、女は提案した。確かに、現状だといつか自分が疲れ切って倒れてしまう。それはよくないなとイエスマンも思い直し、そろそろ変わっていこうかと思いはじめる。

「けれど、突然俺がノーと答えたら皆困惑しないか?」
「知らないわよ、そんな人たち。だったら自分から切り捨てちゃいなさい。彼女の方もよ」
「そんなものか」

 確かに寄生虫みたいなものだしな。何気なくそう呟いたはずのイエスマンであったが、その言葉でなんだか吹っ切れるような気がした。



 半年後、広報課からは一人、退職者が現れることとなった。自分の仕事をしながら転職活動をし、ついにはこれまでいた企業よりもずっと大きなグループに勤めることとなった。彼が最後に元の会社に出勤し、帰る道すがら、あの時の女性とまたコンビニの正面で遭遇した。

「あら、聞いたわよ。今日で辞めるんですってね、おめでとう」
「ありがとう。いや、皆の態度には困ったもんだよ」

 目の前の女に、半年前に言われた通りに周囲との交渉を始めてみたところ、彼らはまるで彼が冗談を言っているかのように笑って彼のことを窘めた。その様子を見てようやく彼は、自分がただ利用されているだけだと気づいたのだ。何も自分は、彼らが気楽に仕事をするための踏み台ではないのだと、密かに反逆を始めた。
 実際、その頃から彼の持っていた仕事は傍目にも忙しくなっていくのは本当のことだったので、それを理由に中々手伝えないふりをした。手伝えないふりをしている間は、自分の仕事をする合間に転職活動をすることで、忙しさをアピールした。他人のサポートをしながらいつも仕事をしてきた彼にとって、忙しくなりつつある自身の業務と転職活動の両立はそれほど困難ではなかった。

「今まであなたに頼りきりだった広報はこれからガタガタでしょうね。私もこの会社辞めようかしら」
「それがいいと思うよ。僕と君以外ろくに優秀な社員もいなかったし」
「いつの間にかあなたも言うようになったじゃない。そう言えば、彼女さんはどうなったの?」
「まだ付き合ってるよ」

 そちらに関しては、「動機とこんな話をしたんだ」と切り出したらすぐに解決した。確かに少し分担に偏りがあったかもしれないということで、週によって持ち回りで家事を交代することに決めたのだった。今までより家事が増えるよと一応彼も伝えたが、彼女曰く「好きな人と別れるよりずっといい」とのことだった。
 恋人には恵まれたものだと感謝したところに、同僚の腐りきった態度を見たため、彼の退社の決心はより一層硬くなったというわけである。

「あら残念、密かに狙っていたんだけど」
「冗談言うこともあるんだね、君も」
「ばれたか。でも、ほかの男どもよりかはずっと望ましいわよ」

 それは違いないと、楽したがりの同僚を思い出して彼も笑った。

「じゃあね、もう行くよ。縁があったらまた会おう」
「そうね、さようなら」
「そうだ、最後に……」

 ありがとう。そう言って彼はちょっと微笑んだ。どういたしましてと、その顔もろくに見ずに彼女はくるりと踵を返す。変わらないその様子に彼も一安心し、家へと自分も足を向けた。
 その足取りはとても軽やかだったが、それは当然のことだった。もう彼はイエスマンではなく、彼の自由な人生はこれから始まるのだから。

Re: 小さな本棚 ( No.10 )
日時: 2017/09/11 15:50
名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


title:シナリオライターシンドローム



 美味しそうな湯気を立てた晩御飯をお盆にのせて、私は自室に閉じこもっている妹のために運んでいた。私の晩御飯も今、お母さんが盛り付けてくれている。今日の献立は味噌汁とぶりの照り焼きで、味噌の素朴な香りと、照り焼きの香ばしい匂いとが一度に私の鼻孔をくすぐっていた。たった今お母さんが焼き上げたばかりの照り焼きは魚の美味しさを身の中に閉じ込めており、口に入れて噛み締めれば美味しい魚の油が口いっぱいに広がることだろう。
 そんなことを思い浮かべながら私は口の中にたまった唾を飲み込んだ。部活から帰ってきたばかりでへとへとの私は、お母さんの美味しい晩御飯を早く食べたいという欲求が隠し切れない。こぼさないように、階段はゆっくりと昇る必要があるのだがそれすらじれったい。ぎしぎしと階段が音を立てているのが応援のようにも煽ってくるようにも聞こえる。
 皆の寝室がある二階の廊下は電気がつけられておらず、薄暗い。辛うじて足元が見えるからいいが、一階から漏れてくる明かりだけを頼りに、慎重に歩を進めるほかない。夕食時にこちらのフロアにこもっているのなど、我が家では妹くらいのものだ。だんだんと部屋に近づいていくと、一番奥にある妹の部屋から小さく電子音が聞こえてきた。今日は何かのシューティングゲームをしているようで、不規則なタイミングで撃墜音が響く。
 ドアの脇にご飯を置いて、妹の部屋の扉をノックする。いつもはヘッドフォンをしているので、返事もしてくれず、彼女は冷めきってからようやく夕食に気づいて食べることになるのだが、今日はめずらいくヘッドフォンをしていなかったようで、ありがとうと声が返ってきた。

「どう? 今日くらい一緒に食べる?」
「……ううん、やめとく」

 ちょっと黙り込んでしまったけれど、妹ははっきりと答えてくれた。拒否されてしまったとはいえ、いつものことだと諦める。あんなことがあったのだ、外に出るのを怖がってしまっても仕方ない。

「今日は、何のゲームしてるの?」
「フリーゲームの、シューティング。……これから、ホラーゲームするけど」
「そっか、今度感想教えてね」
「うん……」

 最後に、小さな声でありがとうと聞こえてきた。妹は、この家の中でも私だけには心を開いてくれている。だから毎日、私だけに許された仕事として、妹にご飯を持っていく役割を果たしている。
 私だけ、と言ってももうこの家には私と母と妹の三人しかいないのだが。悲観的なことを考えて、少し落ち込んでしまったが、途端に自分自身の空腹がよみがえってくる。疲れているのは私も同じかと自覚し、昇ってきた時とは違って、駆け足で階段を駆け下りた。

「お帰り、ありがとね」
「いいよ、気にしないで。あー、お腹すいた」

 四人掛けのテーブルについた私は、本日の晩御飯と対面する。といっても、先ほど妹に届けたものと全く同じ献立なのだが。部活動でカロリーを使っている私の方が少しばかりご飯の量が多いというのが違いらしい違いだろうか。お米をしっかり食べないと、日々学校に行くパワーが出ない。昔ダイエットしようと米の量を減らしたら空腹に耐えきれなかったので、それ以降体重は気にせず食べたいだけ食べるようにした。まあ、部活のおかげで今は太らずに済んでいるのが幸いだ。
 向かいの席に、炊事を済ませたお母さんが座る。その顔には、いつものように疲労が浮かんでいる。いつものように、それは本当だろうか。実際のところ、日に日にその疲労の度合いが増えているように見えてならない。
 誰も座ってない、残る二人分のスペースが私には寂しい。

「お母さん、最近調子どう?」
「元気よ。……今日ね、病院に話を聞きに行ったの」

 お父さんのことで。その言葉を口にするとき、少しお母さんは意を決していたようであった。それも仕方ない。あんなことがあったせいで私の家は滅茶苦茶になったのだから。私は、それまで全く耳にしたことも無かった病状の名前を思い出す。何だっただろうか。長ったらしい横文字の名前。
 確か、そう。シナリオライターシンドロームだ。小説家や漫画家が例として挙げられる、創作を生業とする者に発症する例が多い病気。自分の妄想の世界に閉じこもってしまう『現象』らしい。
 そう、あくまでも病気として医者の手に投げられるケースばかりなのだが、シナリオライターシンドロームは精神病の類ではない。あくまでもこれは、超常的な現象といったほうが正しいのだ。その症状の一つに、自分の描いた物語の登場人物になりきってしまう精神病様症状があるからという理由で、学者たちは匙を投げて医者にすべてを押し付けた。
 時折、このシナリオライターシンドロームには怪奇的な現象が現れる。本当に超能力に目覚める者や、唐突にループもののように世界を何周もしてようやく現実に帰ってきたという例もあるらしい。
 何が起こるか分からない、謎に包まれた奇妙な現象。それに捕らわれたのは、ドラマの脚本を書いていた父親だった。お父さんが書いていたシナリオというのは、確か高校生の女の子と三十代のサラリーマンの恋愛ものだったはずだ。女子高生側のキャラクターは妹を参考にしてしまったらしいが、サラリーマンの方は全くお父さんと似ていない性格だった。
 だが、この症状は“性格や記憶が作中の登場人物と全く同じになってしまう”こともある。そう、言ってしまうとお父さんの頭は、これまでのお父さんから、今作の主人公、有能な、有名企業のサラリーマンへと書き換えられてしまったのだ。そして彼の思考回路的には、妹のような女性を好きになってしまうようにできていたらしく、お父さんが妹に求愛を行うようになり始めた。
 それはもう大変だった。初めは何が起きたのか、私たち家族は誰も、何もわからなかった。唐突に、家に帰ってきたかと思うと、お父さんは自分の書くシナリオのヒロインの名前を呼び、妹の唇を唐突に奪った。一番困惑したのは妹だろうが、一番ショックを受けたのはお母さんだっただろう。愛する夫とかわいい娘が男女の仲になろうと……少なくとも夫の側がそうしようとしたのだがら。
 結果としてそのようなことになることは無かった。妹が突然のお父さんの変貌に衝撃を受けて、自室に引きこもってしまったからだ。当時、シナリオライターシンドロームなど知っているものはほとんどいなかったので、すぐにお父さんは入院できなかった。妹と会いたがるお父さん、お父さんから逃げて部屋から出てこなくなった妹、妹に嫉妬する母親、この家は私だけを蚊帳の外にして、混沌としたものだった。
 そんな状況が三か月ほど続き、お手洗いに向かった妹をお父さんが襲おうとした時、ようやく警察に通報することとなり、そのまま病院で私たち家族はシナリオライターシンドロームの存在を知った。


続き>>

Re: 小さな本棚 ( No.11 )
日時: 2017/09/20 12:15
名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「お父さん、薬のおかげで段々、家族のこと思い出してるみたいなんだって」

 かつてと比べると皺の増えた顔を少しほころばせて、お母さんはそう言った。突然の吉報に私は少しぽかんとして、頭が真っ白になった。けれど、ずいぶん長いこと見ていなかったお母さんの安堵するような表情を見たせいか、その言葉は突然にするりと私の中に入ってきた。
 お父さんがもとの通りになる。精神病に近いシナリオライターシンドロームは、薬による治療が可能であると、医者も言っていた。ということは、もしかしたら以前のように家族で暮らせるのかもしれない。
 しかしお母さんは、二階の妹の部屋の方を見上げて、辛そうに目を落とした。あの子は許してくれるかしら。お母さんの口から漏れでたその言葉は、独り言のようでいて、それでいてどこか、私に尋ねているようでもあった。
 私の口からは軽々しく大丈夫だよだなんて言えなかった。妹が受けた傷のことも、私はよく見てきている。今、彼女にとってはお父さんもお母さんも、怖いに決まっている。

「大丈夫だよ」

 それでも私は、お母さんにそう言った。無理だって決めつけちゃ駄目だと。それは、とても難しいに決まってるって、私もお母さんもよく分かっている。けれど、妹のためにもがんばって、ちょっとずつでも元の家族に戻らなきゃ駄目なんだ。
 私は強く、そうとても強く、宣言するようにお母さんに伝えた。私は、元の家族の姿に戻りたい。

「なら、私が伝えてくる。お父さんが、元のお父さんに戻ってくれるって」

 私の言葉なら届くはずだ。そう信じて私は、妹のところにもう一度行くことにした。どのみち、食器を下げる必要もある。お母さんと話している間に冷めてしまった味噌汁と白米を胃袋に流し込んで、階段の方を駆け上がる。
 きっと、何とかしてみせる、って。

「ねぇ、まだ起きてる?」

 妹の部屋の扉をノックして、大きめの声で中に呼び掛けた。だが、返事はない。どうしたのだろうか。
 彼女が部屋から出ることはありえない。とすると、いつものようにゲームに熱中していて聞こえていないのだろう。音がまったく漏れてこないということは、いつものようにヘッドフォンなんかを使ってプレイしているのだ。
 それにしても、いつもとも何かが違うような感じがして、私は小首を傾げた。何がいつもと違うのだろうか。ゲームのBGMが聞こえてくるのも、一切聞こえないのもよくあることなのに。
 一際強く、私はドアを叩いてみた。何となく、嫌な胸騒ぎがしたからだ。虫の知らせというのだろうか。唐突にじんわりと、冷や汗が背中を濡らす。

「ねぇ、開けてってば!」

 返事はない。何でだろう。私は扉に耳を押し当てた。何か中の音が聞こえないだろうか。普段ならばコントローラーのスティックを動かしたり、ボタンをカチカチ押す音が少しはするはずなのに。
 そこまで頭の中で考えてから、ようやく合点がいった。その音が聞こえてこないのだ。手元でガチャガチャとコントローラーを動かす音。いや、それでもこれから始めるのはホラーゲームと言っていた。ならば確かにそこまでコントローラー捌きが五月蝿くなる訳でもない。
 しかし、ドアの向こうに聞き耳を立てた私はただただ青ざめた。むぐぅ、とか、ふぐぅ、とか口元を押さえつけられているような呻き声がする。
 ばさばさっと、積み上げた漫画が倒壊するような音までした。誰かが暴れているようだ。
 こんなの、もう外でじっと待っている訳にはいかない。妹はきっと、後で怒るだろうけれど、私は開けるなと言われている扉を開けることにした。
 そこで目にしたのは、私にとって身も凍るような光景だった。こんなこと、あり得るはずがない。真っ青を通り越して、白くおびえた私の様子を見て、妹は助けを求めた。
 こんなこと、こんなこと現実に起こる訳がない。

「なんなのこれ……」
「んっ……、むぅふっ、……はぁ、はぁ……おね、ちゃんっ……たすけっ、て……」

 妹の身体は、下半身がパソコンの中にとりこまれていた。パソコンの画面を入り口にして、上半身だけこちらの世界に出てきているような格好で暴れている。真っ暗な画面からは無数の黒い手が飛び出ていて、妹の腕を、肩を、身体を、口を、全身を掴んで押さえつけて、引きずり込んでいる。

「お姉ちゃん、助けてっ……! もう、こんなに引きずり込まれちゃった」

 その言葉に、ハッと我に帰った私は妹をおさえつける黒い腕に飛びかかった。返せと叫んで、妹を抱き締めて引きずりだそうとする。自分も一緒に引きずり込まれるかもだなんて、考えてなかった。
 けれど、その黒い腕は私など要らないと言わんがばかりに、想像より遥かに強い力で私を突き飛ばした。あまりの衝撃に私は床の上を転がる。床に身体を打ち付けた衝撃で、私は息がつまる。カハッと声を出して息を吐き出して気道を整えるも、もうほとんど身体は動かせない。まるで金縛りにあったみたいだ。
 ばさり。不意に、机の上から紙の束が落ちてきた。プリンターで妹が印刷したらしく、そこには沢山の文字が並んでいた。そこには、妹の名前がまず記載されていて、そして……タイトルから察するに、ホラー小説の世界が描かれていた。

「まさか!」

 察した時には、とっくに手遅れだった。どうして……。私は、動かせない身体に苛立ち、肩を震わせる。どうして家族のピンチに自分はこうも無力なのかと悔しくなる。奥歯を血が出るほどに噛み締めて、ただただ泣きながら目の前の光景を受け入れざるを得なかった。

「何で何でいつも、私の家族をぐちゃぐちゃにするんだよ……」

 シナリオライターシンドロームとは、作者が自身の描く物語の中に閉じ込められる『現象』なのだ。私は、医者の先生が告げたその言葉を痛く、苦しいほどに今、実感していた。


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