複雑・ファジー小説
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- 汚れた青春
- 日時: 2016/09/02 22:33
- 名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)
短編で、また、再び、ここに。
溶けるような若い快楽と、ひび割れた時間と、最愛の誰か。
- Re: 汚れた青春 ( No.1 )
- 日時: 2016/09/02 23:31
- 名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)
第1話 「私の弟」
<15歳 6月>
愛子ちゃんが自殺したと電話があった日は、すごく雨が降っていた最悪の天気だった。
暗い表情で喪服に身を包んだ両親と、次の日の晩のお通夜に参列した。祖父母のときとは違って、参列者は少なく、涙を流しているのも、愛子ちゃんと親しかった私の両親だけだった。
お花を添えるとき、愛子ちゃんの顔を見るのが怖くて、組まれた白い手ばかりを見ていた。死んでいる人間が、手を伸ばせばすぐ届く距離にいるなんて。
すぐそこに死があるということが恐ろしくて、愛子ちゃんには悪いけど、あまりこの場所にいたくなかった。テレビでも毎日、人が殺されたり事故などで亡くなったりするニュースが報道されている。私の世界に干渉してこなかった見ず知らずの人たちの死は、なんの躊躇いもなく日常に蔓延っている。それらに心を痛めることはあっても、私自身の生活になんの支障もないので、どこか他人事だった。
愛子ちゃんの死は、改めて私に、人間って死ぬんだなぁと感じさせてくれた。
お線香の匂いと、独特の雰囲気に気分が悪くなって、少し休憩してきますと声をかけた。お手洗いに行って大量に吐いたあと、ロビーの白いソファにどっかりと腰掛ける。ふぅっと大きく息を吸うと、少し気分が楽になった。頭が冴えてくると、生前の愛子ちゃんとの思い出が浮かんでくる。
思い出といっても、愛子ちゃんとの何気ない会話とか、きれいな後ろ姿とか、笑ったときにできるえくぼとかだけど。
母子家庭で育った愛子ちゃんは、私の両親と中学時代からの親友だったという。高校生のころからつき合っていたうちの両親と、いつも三人でつるんでいて、青春時代を共にした。良いところに就職して、お金を貯めて、結婚をして、家庭を築く──という絵に描いたような人生設計を送っている両親と比べて、愛子ちゃんの人生は波乱万丈だったらしい。
詳しくは聞いていないけど、若くして妊娠して、それを機に籍を入れたけど、けっきょく破談になり、心を病んでしまって中絶した……とか。そのころからリストカットやオーバードーズをするようになって、多数の男の人との関係もあったのだという。
でも、とても優しい人でもあった。
私の幼いころのアルバムには、きまって愛子ちゃんも一緒に映っている。
海水浴に出かけたり、水族館に行ったり、うちでバーベーキューをしたり。私たち家族三人と、愛子ちゃんがカメラに笑顔を向けている。ときどきその腕に真新しい包帯が巻かれているときがあるけど、愛子ちゃんは眩しいほどの笑顔だった。
弱い人でもあり、空気のような人だった。
私が8歳のときから、愛子ちゃんはうちに来る回数が減った。
うちの両親は愛子ちゃんがどうしているか知っているようだったけど、私は何も聞かされておらず、いつしか愛子ちゃんは遠い存在になってしまった。
そのまま会わなくなって七年。
こんな形で再会するとは思わなかった。
「なんでも息子がいたそうよ。父親がだれだかわからないなんて……愛子さんらしいけど」
「愛子のお母さんも亡くなっているし……それに聞いた?首を吊っていた部屋で、ずっと一緒にいたらしいわよ、その子」
「なにそれ。愛子さんの死体と一緒にいたってこと?……ありえない」
会場から出てきた愛子ちゃんの親戚が話しているのを聞いて、眉間に皺が寄る。息子……?愛子ちゃんの七年間を私は何も知らないから、その話が本当かどうかもわからない。うちに帰ったら両親に問い詰めなきゃ……。
会場に戻ると、お母さんがだれかと話をしていた。
その後ろ姿から小さい女の子かなと思ったけど、近づいて見ると、髪の長い男の子だということがわかった。黒い服ではなく、薄汚れたキャラクターものの服を着ている。大人に対して警戒している目つきをしていたけど、表情はとても幼かった。
「夏鈴、どこに行っていたの」
「トイレに行くって言ったじゃん」
「それにしては戻ってこないから……お通夜はもう終わったのよ。今から家に帰ろうと思って」
「わかったけど……その子、だれ」
だれ、と聞かなくてもわかっていた。
なんとなく顔立ちが似ている。
愛子ちゃんと目がそっくりだ。
「愛子の子で、汐音くんっていうの。今晩はうちで泊まってもらおうと思って」
その言い方から、やっぱりお母さんたちは愛子ちゃんに子どもがいたということを知っていたみたいだ。
「ちょっとお父さんを呼んでくるから、汐音くんといてくれる?」
「わかった」
子どもは嫌いではないけど、母親の首つり死体と一緒にいたというこの子に、どう声をかけようか迷う。無言のままでいるのも空気が重い。
せめて、わやくちゃに泣いてくれよと思う。
自分の母親のお通夜だというのに、眼球は乾いていて、涙の一粒もない。見たところ小学1年生ぐらいの年齢だから、死を実感できていないのだろうか。
とりあえず隣に座ってみる。
泣いてはいないけど、やっぱり雰囲気に色濃く闇がまとわりついていた。
「お母さん、もういないんだよね」
意外なことにも、むこうから声をかけてきた。
声は小さいけど落ち着いている。
オブラートに包もうかと思ったけど、この年齢の子に母親の死を遠回しな表現で伝えるということは、なんだか失礼な気もした。
「そうだね」
「人はいつか死ぬものだってわかっているから、ぼく……お母さんが死んだこと、悲しいとか思わないんだ」
「そうなの?」
現実を受けとめきれていないのだろうか。無理もない。こんなに小さいのに。
強がっているふうには見えなかった。
でも、汐音くんの眼尻がぴくぴくと震えているのが見えた。泣き出す前の顔だとわかる。
「ぼくが怖いのは、ひとりぼっちになることなんだ」
幼い子どもが恐れていたのは母親の死ではなく、これからの自分の行先だった。
この世界に自分の居場所がないということは、存在の意味がないということに等しい。この子はそれを敏感に感じ取っていた。
「ぼくはお母さんとずっとふたりだったから……だから、ひとりになるのが怖い。ひとりぼっちはいやだ、もう、あの部屋でお母さんの帰りを待つのはいやなんだ」
だから死体と一緒にいたのか。
ひとりが寂しいから、魂のない身体でも母親を傍に感じておきたかったのか。
汐音くんの頭をそっと撫でる。
すると溜まっていた涙が一気にあふれてくる。
私も、汐音くんも、泣いていた。
「私が居場所を作ってあげる」
15歳の子どもが、何を言っているんだろう。
頭のどこかで無責任だなと声が聞こえた。うるさい、と思う。
この小さな男の子を、不安の沼から少しでも引き上げたかった。
「私が、きみの居場所になってあげる」
戻ってきた両親は、互いに抱き合って泣きじゃくる私たちを見て、同じように涙を流した。タクシーでうちに戻ると、疲れていたのか汐音くんはお母さんのベッドですぐ眠りについた。
これからどうするのと、お母さんがお父さんと話している声を聞きながら、ぼんやりと汐音くんの寝顔を眺める。
愛子ちゃんに似ている、きれいな寝顔だった。
- Re: 汚れた青春 ( No.2 )
- 日時: 2016/09/09 17:49
- 名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)
<24歳 7月>
年をとるのは早いものだ。
はたちを超えてからそう思う。
おばさんになったみたいねと、椿に言われるけど、本当にそのとおりだと思う。二十代なんてあっという間なのだろう。誕生日を迎えるたびに、自分がいまいくつなのか、わからなくなってしまう。普段、自分が何歳なのかなんて、あまり意識していない。
それに、私は新しいものや流行よりも、古いものに惹かれるタイプなので、性格もやや年寄りの傾向がある。ミルクティーやコーヒーなんかよりも緑茶やほうじ茶のほうが好きだし、遅く寝ても早朝には目が覚めて、家の周りを散歩するのが日課になっている。
夏の朝の涼しさがとても好きだ。
バケツとお椀を使って、水をまきながら、雨に似た匂いを吸い込む。いい気持ちだった。
お母さんが趣味で育てている夏野菜も、小さな実をつけ始めている。まるで子どもみたい、とお母さんは言っているけど、愛着が湧くのもわかる。
水を多めにあげたあと、家のなかに戻る。
時刻は6時前。出勤時刻には充分間に合う。
冷たい麦茶を淹れたあと、ソファに座ってゆっくり飲む。ほっと息をついて、朝ごはんをなににしようか考えてみる。
うちの家では、その日に一番早く起きた人がご飯を作り、一番遅く起きた人がお皿洗いを担当する約束になっている。
ここ数か月は私が朝ごはんを作って、お皿洗いはほとんど汐音の役割になっている。
冷蔵庫に眠る食材を思い出して、簡単に野菜炒めはどうかなと、自分自身に提案してみる。脳内会議で「賛成」の声が多くあったので、早々と決まった。
ピーマンとキャベツ、ニンジン、ウインナーを炒めていると、だれかが階段を下りてくる音がした。足音的に……汐音かなと思っていると、扉が開いた。
「ああ〜いい匂いだ」
予想通り、汐音だった。
ティーシャツの下から手を入れて、お腹を掻いている。大きな欠伸をしたあと、コップに牛乳に注いで一気飲みする。そしてテレビをつけて、少し音を大きくし、ソファに座る。
「おはよう。今日は野菜炒めにしてみた」
「おはよ。納豆ある?」
「さあ……。冷蔵庫見てよ」
確か無かった気がする。
冷蔵庫の前まで行くのが面倒くさいのか、汐音はソファに座ったままだ。
野菜炒めをお皿に盛りつけて、ご飯をよそい、テーブルに並べる。ついでに冷蔵庫を見たけど、やっぱり納豆はなかった。
「今日、すごく早起きじゃない?いつも遅いのに」
「昨日めちゃくちゃ早く寝てさ。バイトでの疲れかな」
「今日も学校のあとバイト?」
「そうそう。あと少しで夏休みだから、俺も頑張れる」
「夏休みか……羨ましい」
言いながら、姉弟そろって手を合わせる。
いただきます。
そのあと無言で食べ始めた。お互い食事中はあまり会話をしない。食べることに集中するのだ。それにしても、育ち盛りの高校生に対して、ご飯と野菜炒めだけというのは、いかがなものだろうか。せめてあと一品、おかずを増やしてもよさそう。それか、納豆を買っておくか。
ふいに気づいた。
こうして二人きりでご飯を食べるのは何年振りだろう。私が出勤してから起きることが多い汐音と、朝ご飯を一緒に摂ることはほぼなかった。晩も、汐音のバイトが忙しいとき、なかなか会わないし。
こうしてじっと汐音の顔を眺めるのも久々だ。
……大きくなったなぁ。
しみじみ思ってしまうのも、私が年寄りっぽい考えをしているからかもしれない。
「なに?」
私の視線に気づいた汐音が、怪訝そうにこちらを見てくる。
「うーん……なかなか顔面偏差値の高い弟だな、と」
「そりゃどーも」
「カノジョとかいないの?」
「いまはいないよ」
前はいたのか。
私も汐音も、そういう話をしないので、恋愛沙汰に関しては何もわからない。相手がいたとしても実家なので、連れてこないし。
汐音を見て思うのは、モテそうだなということ。
まず顔が良い。性格も悪くない。身長も高い(180近くはある)。ハイスペックな弟だ。弟にしておくのがもったいない。……そういう発言は、私たちの場合はシャレにならない場合があるので、謹んでおくけど。
本当に、似ている。
彼女が亡くなってから10年経つけど、汐音を見るたび思い出してしまう。
静かな海のようなあの人のことを。内側に何もかもを飲み込んでしまうような渦を抱えていた人を。
「夏鈴、米粒ついてるぞ」
考え込むのは私の悪い癖だ。
汐音に言われて、慌てて指先で乾いた米粒をとった。
汐音が私の弟になって10年が経つ。
最初はとても違和感があった。ひとりっこの私に、いきなり弟ができるのだ。しかも愛子ちゃんの子ども。両親は意外とあっさり汐音を受け入れていたけど、私は複雑だった。でも愛子ちゃんの息子だということを考えると、それは当然のような気もした。
うちの両親が、放っておかなかっただろう。
当時7歳だった汐音は、驚くほどうちの家族に馴染んだ。
もしかしたら、汐音なりに気をつかって馴染もうとしてくれたのかもしれない。人の顔色をうかがって、空気を読んで、子どもなりに言葉や態度を選びながら接していたのなら、かわいそうなことをした。でも、ぴったりと隙間が埋まるように、私たちは家族になった。
突然できた弟に最初は戸惑ったけど、それも1週間ほど経てば、なんのこともなかった。
過度に干渉せず、けど仲が悪くもない。対等で距離感も保てる、弟というよりは年の離れた友達のような……そんな奇妙な気持ちを、7歳の汐音に抱いていた。この子はひとりぼっちなのだから、私が傍にいなければという使命感もあった。
汐音は私の両親のことは「お父さん」「お母さん」と呼ぶけど、私のことはぜったいに「お姉ちゃん」と呼ばなかった。
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