複雑・ファジー小説
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- たおやかな毒、あるいは【完結】
- 日時: 2017/10/26 21:09
- 名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2 (ID: aruie.9C)
親愛なるジェンキンス氏
拝啓
すっかりご無沙汰いたしまして、申し訳ありません。私は今、母の生家があるロイストンに滞在しております。朴訥とした片田舎ですが、中々趣があるでしょう?
この度こうして筆を執ることになったのは、貴方が民族伝承の類を収集していると聞き及んだからです。ロイストンの滞在中、興趣ひかれる手記を書見する機会を得まして、その写しを同封致しました。僅かばかりでも、貴方の創作の糧になることを願っております。
***
【1話】>>1-2
【2話】>>3
【3話】>>4
【4話】>>5
【5話】>>6-8
【6話】>>9-10
【7話】>>11-12
【最終話】>>13
完結しました、ありがとうございました。
- Re: たおやかな毒、あるいは ( No.5 )
- 日時: 2017/10/16 10:39
- 名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2 (ID: aruie.9C)
私とキングストンの姉弟の転機となる日を語る前に、ロナルドや彼の妻のことについて触れた方が良いでしょうか。私自身はロナルドと話したことは、手で数えられるくらいのことでした。両親やレイチェル、ニコラスの話を通してしか、彼の為人を窺い知ることができません。
レイチェルが女子寄宿学校へ入ったことは既に書きました。彼女は夏と冬の長期休暇になると、決まってロイストンへ帰ってきたものです。そして冬になると、キングストン一家は、ロイストンの権力者や友人を募って、舞踏会を開くのでした。あの出来事から1年前、14歳の時も同じようにして、舞踏会に招かれました。祖母から譲り受けた、淡い水色のドレスに袖を通せば、気持ちも浮き立つものです。私は期待に胸躍らせ、お屋敷の戸を潜ったのです。
「イヴ、そのドレス素敵ね!」
「レイチェルこそ、とても似合っているわ」
久方ぶりに会ったレイチェルは、洗練された女性へと開花していました。真紅のドレスを凛と着こなしており、誰よりも自信に満ち溢れていました。挨拶もそこそこに済ませ、私達は思う存分に舞踏会を楽しみました。招かれた中には、私達と同じ年頃の男の子も居ましたから、その夜は始終胸を高鳴らせていたように思います。
「やあ、可愛らしいお嬢さん。ご機嫌いかがかな」
少しの眩暈を感じ、ダンスホールの壁に背を預けていた時でした。ワイングラスを片手に、ロナルドがやってきたのです。
「お招き頂きありがとうございます」
「こちらこそ、子供達と仲良くしてくれてありがとう」
ロナルドは感じの良い笑みを浮かべました。私もつられて笑みを返します。彼は人に嫌悪感を抱かせない人でした。気品があり、礼儀を尽くし、教養がある、完璧な紳士。全てに恵まれている彼にも、悩ましいことがあるのでしょうか。
「レイチェルは見ての通りお転婆だし、疲れるだろう」
「そんなことありません、一緒に居てとっても楽しいわ」
「ならば、ニコラスはどうかな」
ロナルドは依然として、小皺をよせて笑っています。けれども、姉弟と同じグレーの双眸は、私を真っ直ぐに貫いていました。たじろぎそうになるのを堪えて、私は慎重に言葉を選びました。
「良い子です、まるで弟みたいに」
「何か変わったことはあったかな」
「それって、どういうことでしょう」
すう、とロナルドの瞳が細まります。ああ、この人は探っているのだと直感しました。私は、何も言うまいと決めていました。きっとたわいも無いものなのです。ニコラスは私達を揶揄っているだけ。あれくらいの年頃なら、周囲の大人に構って欲しくて仕方ないのです。
「ニコラスは中々友達を作ることができない子だから、心配でね」
「ああ、こんな所にいた! 父様、私のイヴを独り占めになんてひどいわ」
助かった、と思いました。レイチェルが私たちの元へ駆け寄ります。その様は可愛らしい子犬を連想させました。そうして頬を膨らませ、怒りを伝えるのです。
「すまない、レイチェル。ほら、もうすぐで別の曲が始まる。2人で踊ってきなさい」
「私もう疲れちゃった。イヴ、葡萄ジュースなんていかが? 父様、取ってきてくださいな」
「仕方ないな、取ってこよう」
ロナルドは大袈裟に肩を竦め、背を向けて去って行きます。それを見つめ、レイチェルはころころと可憐に笑いました。そして唐突に真顔になったかと思うと、私の顔を覗き込みました。彼女の唇や頬は薔薇色に染めあげられ、甘く綻ぶ花のようだわ、と感じたのです。急にレイチェルに見つめられていることが気恥ずかしくなり、私は顔を逸らしました。
「なんだか怖い顔して父様と話していたから、心配で来てしまったけれど、大丈夫?」
「何でもないわ、挨拶を交わしていただけ。それより、貴女の首かざり、とても高価そうね」
レイチェルはほほを緩ませ、首飾りをちょいと摘み上げました。華奢の金の鎖に、瞳ほどの大きさのダイヤがあしらわれ、それは見事な首飾りでした。
「母様の形見なの。私とニコラスの顔の作りは母様に似たのね、でも髪や瞳の色は父様」
「性格は?」
「私は父様かしら、ニコラスは絶対母様よ。母様は控えめな人だったから」
レイチェルは昔に想いを馳せるふうに、溜息をつきました。この姉弟の母なのですから、きっと素晴らしい方だったに違いない、と私は夢想しました。当時の私は、レイチェルやニコラスに、必要以上に魅せられていたのでしょうね。私はとても盲目的だったのですから。
「母様がこの場にいたら、どんなに楽しかったかしら。ニコラスだって、普通に育ったはずなのに」
レイチェルの言葉に、悲哀の念を感じたことを、よく覚えています。けれども、それは一瞬のことでした。再びレイチェルを見やれば、いつもの快活な表情に戻っています。この時、私にしては珍しく、レイチェルの意見に手放しで賛同することはありませんでした。本当に、そうでしょうか。今思い返しても、ニコラスの魔性は、生来のものではないかと、考えるのです。運命という言葉を信じる年ではもうありません。ですがニコラスは、必ずやロイストンに招かれ、悲劇に身を投じる定めではなかったのでしょうか。
- Re: たおやかな毒、あるいは ( No.6 )
- 日時: 2017/10/17 08:36
- 名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2 (ID: aruie.9C)
私が陰鬱な事件と称する出来事が起こったのは、15歳の時でした。あの日の雲の動き、雨の匂い、血の気の失せたロナルドの顔。鮮明に覚えています。あれは、夏の日です。レイチェルが夏期休暇でお屋敷に戻り、私は朝から遊びに出かけました。鉛色の雲が辺りを覆い、荒涼とした風がロイストンに運ばれ、私は嫌な予感に囚われていました。気分が仄暗くなりましたが、お屋敷に来ればそれも忘れるというもの。午前中の間は、談話室でお茶会の真似事をしていました。レースで飾られた純白のテーブルクロスはシミひとつなく、持ち込まれた菓子も上等のものでした。けれどもレイチェルはどこか憂いを帯びた様子で、私は首を傾げました。
「レイチェル、今日は何だかぼうっとしてるわ」
「そうかしら。きっと天気のせいよ、雨の日って退屈だから」
レイチェルは小皿に盛られたスコーンを手に取り、口に入れました。美味しいお菓子、最上の友人、これらに囲まれて、私は何を恐れているというのでしょう。胸に漠然とした黒い塊を抱え、私は額を手で押さえました。
その時、騒がしい足音が響き、扉が勢いよく開け放たれました。ニコラスが顔を出します。
「わあ、やっぱりここにいた! ぼくも仲間に入れてよ」
うっとりとする微笑みを浮かべ、ニコラスは私達の元へ近づきました。レイチェルはニコラスをじっと見つめ、澄まし顔で言いました。
「いいわ。でも、ひとつ条件があるの」
「条件って?」
「銀の小枝、持って来てちょうだいな。貴方、いつも言ってるでしょう。妖精の通り道に、銀の小枝があるんだって」
ニコラスは、じっと辛抱強く、レイチェルの言葉を聞いていました。彼女が妖精のことを口にすることは、本当に稀でした。そういった話をするのを厭うのです。ですから、私にはいつもの悪戯なのだと気がつきました。彼女は本気ではないのです。
「それさえあれば、仲間に入れてくれるんだよね」
「そうよ。それどころか、貴方の言ってることが嘘ではないって、信じてあげれるもの」
ニコラスの顔が明るくなりました。その顔を見て、すっかり私は彼を憐れみました。そうしてどうにかして助け舟を出さなければならぬ、と決心しました。勝算のない賭けなんて、乗る必要など全くないのです。
「さすがにかわいそうよ」
「いいよ、イヴリン。僕、やるよ」
威勢良く言うと、ニコラスは談話室から飛び出しました。後ろ姿の、なんと頼りないこと。12歳の少年とは思えない、小さな背中でした。あの細腕で、どのようにして姉の難題を解決できるのでしょうか。私は非難がましい視線をレイチェルに送りました。密やかな抵抗は、レイチェルの笑い声で一蹴されたのです。
「大丈夫よ、そのうち飽きてしまうわ。それにこうすることで、あの子に分からせてやるの。現実を見なさい、って」
「確かにそうかも知れないけれども」
「あの子も夢から覚める時よ。そうすれば、私と同じように学校へ通うことを許してもらえるかもしれない。あの子は頭は悪くないんだから、学びの場と健全な友達が必要よ」
それ以上、私は抗議の声を上げることはできませんでした。満足したのか、レイチェルは再び、このしめやかなお茶会を続けようとしたのです。私は、ニコラスが学校に通えない理由を考えました。彼の空想癖は、そんなにいけないものなのかしら。少しばかり度を越してしまう時もあるかもしれません。けれど、大人になれば失われゆくものでしょう。少しロナルドやレイチェルには、神経質なところがあるのかもしれない。そう、結論付けたのです。
- Re: たおやかな毒、あるいは ( No.7 )
- 日時: 2017/10/18 10:38
- 名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2 (ID: aruie.9C)
午後になれば雨が降り、それは勢いを増していくばかりでした。風はお屋敷の窓を叩き、雷は地を轟かせ、暗然たる気配がそこら中に沈殿していました。もう夜の帳が下りたのではないか、そう錯覚してしまうくらいには、中は暗いものでした。夕方を過ぎても、雨の勢いは衰えを知りません。私とレイチェル、そして年老いた家政婦は鬱々たる夕べを乗り切るべく、灯りをつけて居室に集まっていました。
「いつになったら止むのかしら。帰れそうにないわ」
「そしたら泊まっていきなさいよ」
「そうね、お言葉に甘えようかしら」
長いソファに腰掛け、私達はただ談笑を交わしていました。することがないのです。暇を持て余していると、青い顔をしたロナルドが駆け込んできました。息を切らし、唇は戦慄いています。常ならば丁寧に撫でつけられた髪も、すっかり乱されていました。鬼のような形相で、レイチェルの肩を掴み、揺さぶります。
「ニコラスを見なかったかい?」
「痛いわ、父様! ニコラスがどうしたの」
「いないんだ、どこにも!」
私とレイチェルは目配せをしました。銀の小枝を探しに出かけて、戻ってこないのだと気がついたのです。
「庭師の者が、雨が降る前に外へ出ていくニコラスを見たと言っていた。声をかけると、すぐに戻ると……。それなのに、ニコラスは!」
「旦那様、落ち着いてください。他の使用人に声をかけ、周囲を探させましょう。お嬢様方はこの部屋で待っていらして!」
家政婦は言うやいなや、機敏な動作で手配を始めます。ロナルドは力なく、ソファに倒れこみました。頬を汗が伝い、顔には生気が宿っていません。私が呆然としていると、レイチェルが耳打ちしました。
「さっきのこと、内緒にしましょう。ニコラスは銀の小枝を探しに行ったわけではない、いいわね?」
私は、恐怖で返事すらできないでいました。私達のせいなのです。ニコラスがこの豪雨の中、一人で彷徨っているのかと思うと、胸が締め付けられました。もしかしたら、お屋敷の中に隠れているのかもしれない、そう思い込むことが唯一の希望だったのです。
「しっかりして、父様。外に出ていたとしても、ニコラスの足では遠くに行けないわ」
彼女自身、言い聞かせるような意味合いも含まれていたのでしょう。レイチェルは父の手を取り、必死に励ましていました。窓に視線を移せば、外套を着込んだ使用人達が陶器のランプを携え、闇の中を歩いている姿が見えます。この時ばかりは、私は妖精に祈りを捧げました。どうか、居るのならばニコラスを助けてください、と。
ニコラスが見つかったのは、夜更けが過ぎてのことでした。ロイストンの西にある、林の中で倒れていたそうです。一命は取り留めたものの、ひどく衰弱しており、いつ命の灯火が潰えてもおかしくはありませんでした。夜中のうちに、ニコラスは私の家に運ばれ、翌朝私とロナルドも後を追いました。
この時のことを告白しましょう。私は、恐れていました。ニコラスが命を吹き返したら、私達の悪行もばれてしまうのではないかということを。些細な揶揄いのつもりでした。けれど、ニコラスにとっては真剣なものだったのです。
「まだ意識が戻らない、今夜が峠かもしれないな」
「そんな、メイブリック先生、助けてください!」
ニコラスは、寝台の上に伏せられていました。瞼は固く閉ざされ、その顔は静穏そのものでした。けれども脆弱なほどの白い肌は、命の煌めきを根こそぎ奪ってしまったかのようでした。ロナルドは寝台に顔を埋め、唸り声とも何ともつかぬ声で喚きました。私の父が彼の背に手を置き、必死に慰めます。一歩離れたところで立っていた私は、身が竦む思いでした。
本当に恐ろしいことが起こったのは、その日の夜です。半ば気が狂ったロナルドをお屋敷へ帰した後、私はぼうっとニコラスの側で座っていました。父は私の姿に心を打たれた様子で、病める哀れな少年と共に居ることを、許可してくれました。父の瞳には、さぞかし献身的な娘に映ったことでしょう。昨日と打って変わり、しじまに包まれた夜でした。私は時を忘れ、ニコラスを見つめていました。いつまでそうしていたかわかりません、ですが私の意識を現に戻したのは、時計の鐘の音でした。ふと窓枠に視線を移すと、そこにあったのは、紛れもなく銀に鈍く輝く、小枝だったのです。私の自制心が僅かでも足りていなければ、悲鳴をあげるところでした。よく、覚えています。神々しいまでに光を帯びた、あの小枝のことを。私は咄嗟に手に取って確かめよう、そう思いました。そうして腰を僅かに浮かせ、窓枠に手を伸ばした時のことです。彼の人の目が開いたのです。
「ニコラス!」
ニコラスは緩やかに身を起こすと、私をじっと見つめました。灰色の双眸は、月の光によって、艶かしく煌めいていました。宝石のごとく、美しくも無機質な顔に、私は唾を飲みました。
「イヴリン、見て、銀の小枝」
ニコラスは銀の小枝をそっと手に取ると、恭しく口づけをしました。そして、時間をかけて、淡く笑むのです。
「約束、守ってくれるよね」
私は言葉を返すことが出来ませんでした。何故なら、ニコラスは事切れたように、寝台に倒れこんだのです。私は恐る恐る、ニコラスの鼓動を確かめました。胸に耳を近づけ、神経を研ぎ澄ませました。ニコラスの心臓の音は、止まっていたのです。
- Re: たおやかな毒、あるいは ( No.8 )
- 日時: 2017/10/19 16:58
- 名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2 (ID: xV3zxjLd)
この先のことを綴るのは、少々躊躇われます。気が触れたと思われても、おかしくないでしょう。ですが、私の思う真実を、書き留めておきたいのです。とにかく、先へ進めましょう。
ニコラスが亡くなったことを悟った私は、一目散に自分の部屋に逃げました。そうして、眠れぬ夜を過ごしたのです。弁明しておくと、父に知らせるなんて賢明なこと、私の精神状態では及びもつきませんでした。翌朝、私は凍える気持ちで、ニコラスの部屋を覗きました。恐らくは、父が悲しみを持って彼の亡骸を見つけているのだろうと。しかし、現実は異なるものだったのです。
ニコラスは、生きていました。
「おはよう、イヴ。見てごらん、ニコラス君が意識を取り戻したんだ」
父は私を手招きしました。ニコラスは寝台から起き上がり、黙したまま微笑んでいます。それに、あの血色の良さ。本当に、病人のものとは思えませんでした。
「どうしたんだ、おかしな子だね」
呆然と立ち尽くす私に痺れを切らしたのか、父は手を掴み、中へと引っ張ります。ニコラスと、目が合いました。背筋に冷たいものが這い、目眩がしました。そして、私はある考えに取り憑かれたのです。あれは、ニコラスではない別の何かであると、昨夜、私の知るニコラスは確かに死んだのだと。私は窓枠に視線を滑らせました。銀の小枝を見つけようとしたのです。けれど、そこには何も、なかったのです。
「奇跡的な回復だ、ひょっとすると前よりも顔色が良い。しかし油断はできない、当分は大事をとって安静にしていなさい」
「ありがとう、メイブリック先生」
「それにしても、どうしてあんな森にいたんだ」
ああ、聞いてはだめよ、やめて。身勝手にも、私はそう叫び出しそうになりました。
「僕もよく、覚えてないんだ。たぶん、森で遊びたかったのかも」
それは嘘でした。父は疑ってはいません。しかし、私ははっきりと確信したのです。細められた双眸の奥底に、怪しい光があることを。ニコラスは、私の知ってるニコラスは、こんなにうまく人を出し抜くことができたでしょうか。
そうして、ニコラスは私に向けて、感謝の言葉を告げたのです。
「そうだ、イヴ。昨夜、ずっと側にいてくれたことを聞いたよ、ありがとう」
私の知ってるニコラスは、私のことを、愛称で呼んでいたでしょうか?
その日の午前のうちには、ロナルドやレイチェルがやって来て、感動の一幕を果たしました。けれども、レイチェルには罪悪感が残っているようで、ニコラスと共にいることに躊躇いを覚えたようでした。ですから、私はロイストンの街を散歩しないかと誘ったのです。
ロイストンの街は長閑ですが、少なからず人の往来はあります。私たちは並んで、街の目抜き通りを歩きました。
「ニコラスのこと、良かったわね」
未だに、私の声は強張っていました。レイチェルは俯いて、悩ましげに首を振ります。
「そうなのかしら。ねえ、イヴ。銀の小枝のことは、ずっと秘密にしましょう。せっかく、ニコラスだって忘れてる。私たちが掘り返す必要なんてないわ」
「確かにそうかもしれない、けどね、あの子は忘れたふりをしてる!」
私はもう限界でした。散歩に出たのも、レイチェルの為だけではありません。私の神経はすり減り、疲れ果て、怯えていました。
「どういうこと?」
レイチェルは立ち止まり、怪訝な表情をしました。昨夜のことを言ってしまいたい衝動に駆られたのです。1人では抱えきれない、きっと、レイチェルなら理解してくれる、何故なら腹心の友なのですから。
「私、見たのよ。昨晩、私ずっとニコラスを見てた。そしたら、いきなり起き上がって、銀の小枝を持って言うの。約束を守れ、って。その後急に倒れたから、見てみたら、死んでたわ。ニコラスは死んだのよ!」
堰を切ったように、言葉が溢れました。感情的な私に対して、レイチェルは大袈裟なくらい冷静でした。
「それで、言いたいことは終わり?」
レイチェルは、軽蔑の眼差しで私を見ていました。ここに来て、とめどない後悔が押し寄せました。もし昨晩のことが私の夢だったとしたら。いいや、けれど、確かにあれは現実のことだったに違いない、もし、けれど。そう逡巡している内に、レイチェルは踵を返していました。
「待って、レイチェル」
「こんな時にふざけたこと言うなんて、信じられないわ!」
激しい怒りを浴びせ、レイチェルは私を置いて去って行きました。私とレイチェルの友情は、これで欠けてしまったのです。私の大切な片割れ。もう消して手に入らぬ幸福を回顧し、涙が溢れるばかりでした。
私は、おかしくなってしまったのでしょうか。
- Re: たおやかな毒、あるいは ( No.9 )
- 日時: 2017/10/21 19:56
- 名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2 (ID: aruie.9C)
そこから先のことは、実に淡々としたものでした。夏が終わる頃には、レイチェルは女子寄宿学校へ帰り、ニコラスもまた、次の年には寄宿学校へ入ることになりました。ロナルドは仕事で都会へ渡ることが多くなり、私とキングストン一家を繋ぎ止めるものは無くなったのです。あれだけ頻繁に交わしていた文通も、長期休暇の度に帰郷したレイチェルの姿も、遠い幻となりました。
喪失感と恐怖に苛まれながらも、その頃は平穏な生活を送っていたように思います。ロイストンの社交界で別の人間関係を築き、時には同年代の少女と戯れ、時には年上の殿方に思いを巡らせることもありました。けして華々しくはありませんが、慎ましく、穏やかな日々だったのです。時折、あの嵐の夜を思い返しては、あれは夢だったのだと自分に言い聞かせていました。
漠然と、そのような毎日が続くのだろうと思い込んでいたのです。変わり目というものは、前触れなしに訪れます。私がちょうど20になる頃、ある冬の日、お屋敷にあの姉弟が戻ってきたと噂になりました。無味乾燥とした装飾の封筒が届いたのも、同じ時でした。差出人がレイチェルだということを知り、私は驚きと喜びと、少量の嘆きを持って、手紙を読むことになったのです。婚約し来年の春にはロイストンを去ることになったこと、そして是非舞踏会を開催するので来て欲しい、といった旨が記されていました。悩んだ挙句、私は招待を受けることに決めました。純粋に、レイチェルと会って、昔のように語らいたかったのです。
久方ぶりに見るお屋敷は、懐かしくもありましたが、どこか寒々しい雰囲気を醸し出していました。かつては冬になる度に集った、大きなダンスホール。華美な服を纏った、多くの人々が笑い、酒を交わし、踊っています。ただ、それだけなのです。幼い頃はもっと胸を踊らせ、瞳に映るもの全てが魔法にかかっていました。無垢な魔法は、大人になれば失われゆくものなのでしょう。そのような景色を、私は漫然と眺めていました。
だからでしょうか、レイチェルの姿に気づくのが遅れたのは。彼女は華奢な夜色のドレスを纏い、男性の注目を一身に受けていました。顔立ちは少しの色香を加えただけで、あの頃と同じままでした。しかし、何かが違うのです。お屋敷で共に遊んだ時のような、蠱惑的な魔性は損なわれていました。彼女は確かに美しい、けれどそこに留まるのです。
彼女が私に気づき、颯爽と近づいた時、私は当惑しました。
「久しぶりね、イヴ」
儀礼的なまでに手を取り合い、私達は互いを値踏みするようにして見つめ合いました。
「ええ、レイチェル。その、婚約おめでとう」
「ありがとう、イヴ」
レイチェルは早口にそう言いました。そうして仕切りに視線を彼方此方に送り、何かを気にしているようでもありました。彼女の顔には、焦りがありありと浮かんでいました。
「ねえ、貴女に言いたいことがあるの」
「それはこちらの台詞だわ。レイチェル、あの時は本当にごめんなさい」
「違うの、それはもういいの」
彼女は悩ましげに首を横に振りました。煮え切らない彼女の態度は、私にはとても奇異なものに映りました。
「もしかしたら、私が間違っていたかもしれないわ」
レイチェルがそう呟いた瞬間のことでした。彼女は瞳を溢れそうなほど大きく開けて、私を見据えるのです。いえ、正確には私の背後でした。
振り返れば、彼の人が、飄々と立っていました。