複雑・ファジー小説
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- Re:Logos
- 日時: 2018/01/30 21:18
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode=view&no=199&p=6
Subterranean Logos改め「Re:Logos」と銘を打ち、再開させていただきます。
現在、以前のプロットなどを消失した状態からの再始動という形となりますが、以前の通り「グランドホテル形式」を採用し、またSubterranean Logosの頃に頂いたオリキャラも再利用という形で使わせて頂きます。
設定などはURLをご確認下さい。結構ミリタリーな内容も含めていますが、そこに関しては注釈などは設けません、解説もです。
相変わらずの「暗がりの救世主」となりますが、以後も何卒宜しくお願いします。
取り合えず、前置きは此処で締めさせてもらいます。
- Re: Re:Logos ( No.6 )
- 日時: 2018/04/20 15:01
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
バンデージに覆われたミイラのような女が頬から大量の血液を垂れ流す。その女は自動小銃を掲げ、静かに歩んでいた。。白いワイシャツは所々が焼け焦げ、その下から薄っすらと血が滲んでいる。その後ろを同様の足取りで歩む、フルートは複雑な表情を浮かべていた。その理由は辺りに斃れる同胞達の屍、そして生き残った彼女の怪我の具合を案じてだった。
「何をしている。フルート、さっさと戻るぞ」
「……あ、あぁ」
研ぎ澄まされた鉈の刃先のような鋭く、どこか据わった瞳を向け、彼女はフルートを睨み付けた。斃れた死体に対し、動じる事もなくそれを然も当然のように跨ぎ、目もくれようとしない。死を悼む事すらなく、表情は一つも変わらないのだ。彼女が興味を持つのは死体となったかつての仲間が遺した、まだ使える小銃と銃弾だけだった。時折、しゃがみ込みそれらを拝借する彼女に対し、一抹の不快感を抱く。まるで死肉を啄ばむ鴉のようで、死を軽視しているように思えて仕方ないのだ。
「何を突っ立ってるんだ。お前も持て」
押し付けるようにフルートに小銃と散弾銃を投げ付ける。それを受け取るなり、肩に掛け、背後を見据えた。視界には化物の姿など無く、燃えたLAVと死体の山だけが目に飛び込んでくる。
「化物共は追って来てない。追って来たとしても、我々は襲われない。案ずるな」
「何故……そう思うんだ?」
「足元に餌が落ちてるだろう」
死体をぐるっと見回しながら、女は仰々しく言い放った。なるほど、この女は嘗ての味方すら捨て駒にし、彼等の死を踏み躙る形で、自らの生を選ぶような女なのだろう。そうフルートは思いながら、小さく鼻で笑った。今この状況で死を悼めという訳ではない、もう少し立ち振る舞いという物があるのではないのか、と思うのだ。
「人間ってのは冷たいものだ。……仲間の死を悼む気すらないのか」
「残念ながらそんな気はない。死んだらただの肉の塊だ」
彼女の言う事は尤もなのだろう。人間は生きているからこそ人間であり、死せば物言わぬ肉の塊になってしまう。そうやって形質が変わっただけの事を悲しむのはお門違いなのだろうか。フルートは顔を伏せながら、彼女の後ろをただただ付いて行く。時折、痛む頬を抑え付けては呻きを上げる彼女の声だけが地底に響く。
「……サックウェル。大丈夫か」
「大丈夫に見えるかね? このザマだ、彼方此方痛むさ。ただ死ねばこの感覚は分からなくなる。これは生きている証だ。一等上等な生の証だ」
痛みを生きている証、そう彼女は称した。ならば、痛みという感覚を持たないオートマタというのは生きていないのだろうか。彼女からすれば既に死んだ、何かの塊が自分の背後を着いて来ているだけにしか過ぎないのだろうか。と、なれば彼女は意図も容易く自分を見捨てるのではないのだろうか。そんな思考が過ぎっていた。
「サックウェル。……少しいいか? 」
「あぁ、手短にな」
彼女は振り向く事もなく、ただただ歩みを進める。やはり彼女は血塗れの頬を抑え付けているが、止血になるはずもなく、手は更に赤く汚れ、ワイシャツと小銃までも汚している。血に濡れれば手が滑り、いざという時の対処が上手く行かないだろう。それでも抑え付けてしまうのは、本能的なものなのだろうか。
「生きるためなら、味方を見捨てる事が出来るか」
「その答えはノーだ。生きてる限りは見捨てる訳がない。一人でも多ければ生存出来る確立は高くなる。死神も嫌がって近寄ってこないさ」
「なるほどそうか。……どうした? 」
ふとクレメンタインは歩みを止め、首だけ振り向き、フルートに対し張り付いたような笑みを見せた。どうにも得体が知れず、恐ろしげに感じる。まるでノスフェラトゥが目の前に佇んでいるかのような威圧感にオートマタが本来持ち得ないはずの恐怖という感情に苛まれ、思わず足が竦んでしまう。
「……だがな。お前等オートマタは別だ。お前等は私達人間の為に生まれた、私達に作られたのだ。お前は人間に身体を与えられ、仮初の命を授けられた作り物だという事を良く覚えておけ」
まるで味方ではない。仲間ではない。というような意思表示に、一種の怒りのような物を抱き、怒気を孕んだ視線をクレメンタインへと向けた。その視線に小さく笑い声を漏らしながら、レンズの欠けた眼鏡を少しだけ上げると口を開いた。
「オートマタ。図に乗るなよ、お前等は簡単に壊せるという事をよーく覚えておけ」
胸のポケットから取り出された小さなリモコンを見せつけ、小さく笑い声を上げた。各オートマタには自壊回路と呼ばれる、強制的な機能停止機構が設けられている。人間に危害を加えたり、命令を違反するようであれば、頭部の記憶媒体へと高圧電流を流し、破壊する。強制的に活動を止めるそれを見せ付けられ、フルートは思わず舌打ちの後、大きな溜息を吐いた。
「……なぁに、冗談だ。確かにお前等オートマタを酷には扱うが、人間よりも頑丈だからだ。それにコイツはLAVのエンジンスターターだ。お前をどうこうしようって気はない。馬鹿者め」
「……はぁっ!?」
声を荒げるフルートに背を向け、クレメンタインは悪魔のような高笑いを地底に響かせた。何が愉快なのか、それが解せずやり場のない怒りに苛まれながら、彼女の背を黙って追い掛けた。
「サックウェルはそういう人間だ。死んだらそこまで、悼む気すらない。私達を脅すのも好きなんだ」
一頻り語り終えるなり、フルートはまた俯いて膝に置かれた自動小銃を傍らに置きなおした。思い出すなり、行き場の無い怒りが彼女の脳裏を過ぎるのだろう、右足を小刻みに動かし、左手が微かに震えていた。短気は損気とよく言うが、怒りによって本質が見えなくなってしまっているのだろう。アサシグレはそんなフルートを青い、青いと笑いながら、アクセルを踏み込んで軽快に加速していく。
「五科長は確かに変り者だが、それ程悪い人間ではないだろ?」
「ブッチャケ言葉が悪いだけじゃん」
「冷血だからあの立場に居られるのさ。別にMIA認定されてても困る事ないし、死人が生きて帰ってきた程度だよ」
周囲からの声にフルートは再び苛立ちを孕んだ視線を向けている。それを見てヴァルトルートは満面の笑みでリモコンを見せ付けた。それを見るなり、フルートは一瞬怯んだが、ふと思い当たる節があったのか、静かに立ち上がり、ヴァルトルートの手元に握られたリモコンを奪い取り、瞳を大きく見開いていた。
「……おい、お前」
「バレた?」
台風娘は怒り狂い、日本かぶれはバツの悪そうな笑みを浮かべながら、襟首を掴まれて揺さぶられていた。その光景を見て、アサシグレは小さく笑い、陸は困ったような表情を浮かべ、すっかり解れた緊張に一抹の居心地の良さを感じていた。
薄ら痛む頬の傷跡を擦りながら、クレメンタインは台帳に二本線を引いていく。一人、二人、三人、四人。その数は次々と増えて行った。そして彼女が東城陸の名に二本の線を引き終えると同時に、彼女は天を仰ぎ溜息を吐いた。
天井でシーリングファンがゆっくりとした速度で、静かに回っている。その様子がまるで、彼等が居なくなってからも何も変わらず、平然と回り続ける社会の縮図のように見えた。しかし、それが普通なのだ。何処かの誰かが死んだ所で、世の中は気にする事もない、著名な為政者が死んだのならば社会は多少、悼む事だろう。しかし、今回死んだのは命を擲った名も無き兵士達なのだ、誰も悼む気はない。使い捨ての英雄達なのだ。
「まただ。また、減ったよ。サリタ」
やや憂いを帯びた表情を浮かべ、小さく呟き、机の上に置かれた写真を見つめる。そこにはまだ二十代半ばの自分と肩を組み、満面の笑みを浮かべた女の姿があった。名はサリタといい、肌はやや浅黒く、整った目鼻立ちからしてラテン圏の生まれだと分かる。相反し、写真の中のクレメンタインは今のような凄味こそない物の、不機嫌そうな顔をしてカメラマンを睨み付けている。肩から吊り下がるカービンライフルで今にも、撃ちそうな様相だ。そんな片方の被写体のせいで、決して良いとはいえない写真を手に取り、クレメンタインは小さく鼻で笑った。彼女にまた戦友が減ったと愚痴を吐いた所で現状は一つも変わらない。何故ならば死んだ者は二度と戻って来ないからだ。何時までも足を止めては居られない。新たな者を迎え入れる準備も必要である。本当に此処で立ち止まっている暇はない。そう頭の中で分かってはいる物の、心が歩みだそうとせず、中々付いて来ない。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、写真をゆっくりと置き、代わりに電話機を手に取り、ダイヤルを回した。こういう時はお喋りな部下と時間を潰すのが正解なのだろう。
案の定だった。守衛業務を終えたばかりのミッターナハツゾンネはベラベラと喋り続けている。肩から吊り下げられたPDWを見て、一瞬引き攣った表情を浮かべる者達も居たが、セーフティーが掛けられているのを確認すると安堵した表情を浮かべ、そそくさとその場を後にしていった。
ミッターナハツゾンネに絡まれると面倒なのだ。ただでさえお喋りで、他愛もない話をベラベラとして、二時間、三時間を掻っ攫う性質の悪さを持ち、極めつけに同じ話を繰り返すのだ。
「ターナ。もう二度目だ、その話は」
「えっ、そうだっけ? まぁ、いいや——」
彼女は意味のない話をベラベラと紡ぐ。まるで象のお喋りのように、意味を成さない戯言。静かにクレメンタインは相槌を打ち、さも心地よさそうに目を閉じている。この光景は時折見られる物であり、目撃した者も別段、何か言葉を掛ける訳でもない。中にはそれを見て、クレメンタインを気の毒に思う者もいた。仲の良い同期が死んでから一歩も歩みだせずに居る、親友を忘れる事が出来ない、他者の死に縛られた哀れな女だと影で嘲り笑う者も居る。それはクレメンタイン自身もひしひしと感じているが、吹っ切りの付かず、ミッターナハツゾンネに死した親友を重ねているのだ。
「科長、聞いてる?」
「あぁ、聞いてる。……あぁ、聞いてるともさ」
「何かあったの?」
「いや。別にな。部下と親交を結ぶのも勤めだろ」
「ふーん、まぁいいや。でさ——」
もう感付かれている事だろう。冷徹に振舞った自分が、他者の死に悼んでいるという事を。それでもミッターハツゾンネはとやかく言う事なく、ベラベラと言葉を紡ぎ、その自分の話に突っ込みどころを見出してはヘラヘラと笑っている。それが彼女の良い所なのだろう。他者を気遣う訳でもなく、遠慮をする訳でもない。自然に、自分のしたい事をし、成すがまま、在るがままに生きている。
「なぁ、ターナ」
「はぁい? 」
「お前が人間だとして……、死ぬっていうのはどういう事だと思う」
「……そうだねー。よく分からないってのが本音かなぁ。余り難しい事を考えても仕方ないんじゃない? 」
「お前の回答はそうか……。お前らしいな。私はこう思うんだ。残った者に治らない傷を与え、自分は勝手に逝く所に逝って、一人で眠ってしまう。はた迷惑な物だと」
そうクレメンタインは呟くように言う。無意識の内に頬の傷跡に指を這わせ、顔を伏せていた。それを見て、ミッターナハツゾンネは僅かに瞳を見開き、すぐに人懐こい笑みを浮かべて、然も自然なようにクレメンタインの肩を抱き寄せ、彼女の頬の傷跡をまじまじと見つめながら、囁き問うのだ。
「まだ忘れられない?」
「……あぁ。そうだな。アイツもそうだし、今回死んだ奴等もそうだ。恐らく忘れないだろうな。私が死ぬまで」
「そっか。それは良かった」
「どういう事だ……?」
「死んでも誰かに覚えていてもらえるって幸せな事だよ。肉体が死んでも、誰かの中で生きている。残っている。彼等は幸せ者だ」
「——死んで未来が潰えたとしてもか」
「そこは分からない。その人の価値観次第かな」
のらりくらりと答弁するミッタナーハツゾンネに、やや辟易しはじめたクレメンタインだったが、眼鏡を外し瞳を閉じ、自制する。此処で声を荒げれば、自分の立場というものが無くなってしまう。人の上に立つ者として、相応しくない。
「科長。多分ね、ずっーと答えは出ないよ。百人居れば百人死生観が違うんだもの。でさ——」
尤もらしい事を言って、ミッターナハツゾンネはまた他愛もない話を語り始めた。余りもの切り替えの早さに、呆気に取られクレメンタインの溜飲は少しずつ下がっていった。それと同時に、自分という存在がえらく浅ましく、小さい女に思えて来るのだ。。些事に何時まで悩んでいるのか、と。もっともっと強い内面を持ち、人の上に立つ者らしく在らねばならないと。溜息を吐きながら、眼鏡を掛けなおし、ミッターナハヅンネのお喋りに小さく相槌を打った。
「ターナ、お前は相変わらず声がでかい。離してくれ、近い」
「たまには良いじゃん、こういう時こそね」
冷たい人工皮膚を指先でなぞりながら、クレメンタインは溜息を吐く。これは暫く離してもらえそうにない、と諦めたのだ。少しの間、瞳を閉じ、眼鏡を掛けなおす。お喋りな部下に幾度となく、小さく相槌を打ちながら彼女は笑っていた。
- Re: Re:Logos ( No.7 )
- 日時: 2018/02/07 00:39
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
暗闇に包まれ、厭に冴える触覚。指を一本、二本と動かし、腕を振るう。すると、何か生暖かい物が手に触れた。掛けられたままの暗視ゴーグルを下ろし、それが何なのかを視認すると同時にクレメンタインは言い得がたい動揺を覚え、すぐに視線の先の人物を抱き寄せた。自分が赤黒く染まっていくのを気にする様子もない。抱き寄せた人物は何処かに強打したのだろうか、瞳は潰れ、貫かれたような大きな傷を腹部に曝していた。出血は夥しいが幸いにも微かにだがまだ息はある。これほどの大出血だというのに、血の臭いが微塵も感じられないのは車内に充満する軽油の臭いに掻き消されているからだろう。
「……サリタ、目を閉じるなよ。まだ助かる、まだ大丈夫だ」
平静を装い、掛けた声にサリタと呼ばれた女は反応を示していた。クレメンタインの右腕をぐっと掴んで離そうとしないのだ。彼女の手に込められた力は強く、それは彼女の生きようという意志の強さを表しているように感じられ、クレメンタインは大きく息を呑んだ。自分は第三科に所属する者、第三科は負傷者の救護を目的としているのだ、死んでいないのならば、生きようとしているならば、是が非でも救わなければならないのだ。それが親友であるなら尚更だ。
車内で充満している軽油の臭いは気分を少しずつ害し、また同時に車内に散る火花がクレメンタインに危機感を覚えさせた。何処かで電路が切れているのか、それとも何かの計器が故障しているのか、火花の原因は分からず、何時引火するか分からない不安は彼女を動揺させるに充分だった。
「……シンディー」
「黙ってろ、すぐに出す」
自動小銃のストックで窓ガラスを執拗に叩くも、それは防弾仕様であるため、蜘蛛の巣のように皹が入るだけで割れる気配は全くない。本来ならば散弾銃でも使って、蝶番を破壊し無理矢理ドアを打ち破るのだが、軽油の臭いが充満している以上、銃を使ってのは破壊という行為は出来なかった。もし事を起こそうものなら、散弾銃から発せられる燃焼ガスに引火し、車内で焼かれてしまい、死ぬ前より煉獄にて身を焼かれるという結末が待っている可能性が払拭出来なかった。
「……ねぇ」
「黙れッ! 痛み止め位は自分で打て!」
語気を荒げるクレメンタインであったが、それは血を、命を流す友に対する怒りではなく、車内で焼かれるとも分からない不安、焦りによるものだ。沸々と自身に対する不甲斐なさが沸き立ち、思わず泣きたくなってくる。叫び、取り乱せば誰かが助けてくれるだろうか、ぐるぐると回っては乱れていく思考に吐き気すら覚えてしまう。それでも尚、彼女の腕は止まらず防弾ガラスを執拗に叩いていた。
「ねえ」
耳に届いたサリタの声がとても冷たく、そしてはっきりとしていた。今にも消え入り、死んでしまいそうだった彼女から発せられたとは信じがたい、その声。悪寒を覚えながらも、小銃の安全装置を解除しつつ、クレメンタインはゆっくりと振り向いた。彼女の厳かで据わった青い瞳が大きく見開かれた。
視線の先の友は——サリタは人成らざる化物の姿をしていた。肌は死人のように白く、瞳は大凡人間に有るまじき漆黒。瞼には赤黒い血がこびり付き、腹の風穴はすっかり塞がっていて、穴の空いたフラックジャケットから覗く肌もまた白い。その姿は変異生物、人間の敵、ノスフェラトゥという仮称を与えられた化物、その物だった。
「ねぇ、シンディー。撃って」
介錯を求めているのか、はたまた此処で共に死ねと言うのか。彼女の意図を押し計らう程、思考出来ず、また彼女が求めるように引き金を引けなかった。
「やっぱり……、そうね。貴女は私を救えないのね」
その言葉がクレメンタインの心を突き刺し、抉り取るよりも早くサリタだった化物は彼女へと飛び掛っていく。最早、人間の物ではない爪がクレメンタインの左の頬を掠め、頬の肉と数本の歯、歯茎とその骨を削り、抉り、奪い取っていく。痛切な悲鳴の一つ、上げる事もなく、瞳を見開きながら自動小銃の引き金を引いた。銃弾はサリタの胸と額を穿ち、人間の物よりも黒く、粘性の強い血液を辺りに撒き散らした。見開かれた青い瞳と黒い瞳は閉じられる事なく、激痛に歪む事もない。目の前で静かに死んでゆく嘗ての友をぼんやりと見下ろしながら、クレメンタインは抉り取られた頬に手を添え、慟哭するのだった。
飛び上がるようにして、起き上がると枕が宙を舞っていた。荒く呼吸を二度ばかし繰り返し、辺りを見回す。見知った天井と壁紙が視線の先にあった。眼鏡はベッドサイドのテーブルに置かれていて、その脇にはミッターナハツゾンネが書いたのだろうか、お世辞にも上手いとは言えない文字で書かれた置手紙があった。飲み過ぎたのだろうか、それとも悪い夢のせいだろうか。僅かに痛む頭を擦りながら、ゆっくりと起き上がった。眼鏡を掛け、鏡も水に手櫛で髪を整えて、手紙を取る。案の定、酔っ払って潰れた、部屋まで連れて来た。という旨の内容であった。
「後で詫びるか……」
自嘲を浮かべ、再びベッドに腰掛ける。まだ電源の入っていないタブレットに写る自分の顔、その左に走る大きな傷跡を指先でなぞれば、あの悪夢の光景が蘇っていく。そうやって指先が傷から離れると同時にクレメンタインは大きく溜息を吐いた。死んだはずの彼等は全員がNファクターを投与していた。死んだなら皆が皆、人間の敵である化物と成り果てた可能性がある。生前の姿をある程度保ったままで、異形と化し、嘗ての同胞は何れ敵として舞い戻ってくるのだろうか。その時、自分は無遠慮、無感情に引き金を引けるのだろうか。サリタを手に掛けた時のように、引き金を引けるのだろうか。頬の傷とサリタの死はクレメンタインの精神を朝から蝕んでいた。気に病むな、気にするな、そう自分に言い聞かせながら身支度を始める彼女の足取りは重く、動作は緩慢とし、何故か痛む頬の傷跡に表情は冴えなかった。
- Re: Re:Logos ( No.8 )
- 日時: 2018/02/26 21:42
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
暗闇の中、地底に聳え立つアガルタ。あの場所は自分達が生きて帰らなければならない場所なのだ。後部のハッチを開き、背後に広がる暗闇を睨み付けた。死した戦友を置いてきてしまった。骸も骨も拾えなかった。だが、自分達は生き残ってしまった。どんな顔をして帰って良いのかが分からず、陸は散弾銃の折り畳まれたストックを開いた。素直には喜べない、喜んで良いとも思えない。頭を抱えながら後部ハッチから上半身を出し、散弾銃を暗闇へと向けた。無線機が故障している以上、どうにかして気付いて貰わなければならない。格納庫にLAVをぶつける訳にも行かず、仕方なしに照明弾を撃たなければならない。
8ゲージの大型照明弾、夜空に撃ち上げたならば煌々と煌き、中空を揺らめきながら落ちていく。それを放てば気付いてもらえるだろう。上を睨みながら、一発撃ち上げると鮮烈な閃光が辺りを明るく照らし、眩しさに目を細めた。照らされたアガルタを見据えながら、ハッチを閉じる。
「気付いて貰えるかなぁ……」
「これで気付かなかったはアガルタの警備部、全員目玉がないよ。マジで」
ヴァルトルートの軽口に小さく相槌を打って、陸は散弾銃に次弾を込めた。前時代的なポンプアクションであるが、防衛部のような荒事専門の輩は信頼性、実績を重視する傾向がある。壊れにくく、整備も容易く。何より安い。そんな物を選択するのは仕方ない話である。何より陸もこの銃を気に入っていた。ノスフェラトゥへも一撃で致命的な"損傷"を与える事ができ、軽くて取り回しも良い。警備部五科の需品センスには感心せざる得なかった。
「戦いの匂いでもしたかね」
「いや、そうじゃないんだ。照明弾で別の物を呼び寄せてしまったらって考えてね。銃座の残弾も少ないし、すぐ反撃出来るようにしておこうかな……って」
「備えあれば憂いなし。若いのに感心、感心」
大仰に語るアサシグレだったが、彼も陸と同じ考えを持っていたようで、窓という窓を鎧戸で閉じ、座席の位置を下げて、PDWを膝の上に置いていた。四人のうち二人が何時でも戦えるようにと銃を拵えたためか、車内は再び緊張に包まれ、フルートの表情がやや険しい物へと変わっていった。
「緊張してるのかね、台風娘」
そうアサシグレに煽られてもフルートは憤慨する事もなく、自動小銃の下部へとアタッチメントとして使える散弾銃を取り付け、大きく溜息を吐く。彼女の視線は後部ハッチに向けられ、安全装置を外したそれの銃口を向けていた。
「……マジで?」
何故こんなに緊張しているか分からないヴァルトルート。そんな彼女の口から出た疑問に誰も答える事もない。代わりにアサシグレがセーフティを外した乾いた金属音だけが、車内に響く。腹を括ったように溜息を吐いて、短機関銃を手に取り、ハッチを見つめた。
その時だった、車体側面を何かが擦るような、ザリザリとした音が聞こえ、全員が息を呑む。ヴァルトルートは青褪め、まるでこの世の終わりとでも言いかねない表情を浮かべながら、その音を目で追った。音は少しずつ車体後部へと向かい、遂にハッチの前で音が止んだ。
「お迎えかね」
軽口を叩くアサシグレだったが、語気は静かで重苦しい。覚悟を決めているようで、ヴァルトルートは緊張した面持ちで銃を構えた。都度都度、聞こえるハッチを叩く音、叩かれるたびに鼓動が早まっていく。手が震え、まともに照準を定める事が難しい。
「……どちら様かなぁ」
苦し紛れに吐いた陸の軽口に応答はない。代わりにハッチが叩かれ、歪んでいく。微かに外の風景が見え始め、陸やアサシグレは銃口をハッチへと向け、フルートやヴァルトルートは引き金に指を掛ける。彼女達の表情には緊張の色が見え、微かに恐怖に歪んでいるようにも見えた。射線から離れるように陸もハッチから離れ、ヴァルトルートの隣に腰を下ろした。微かにヴァルトルートが震えているのが見て取れた、その瞬間。歪んだハッチの隙間に手が突っ込まれ、引き剥がすようにしてハッチが開かれたのだ。片方でも成人男性一人分の重さは確実にあるだろう、そんなハッチが後方へと投げ捨てられ、人間の背丈ほどの何かがLAVの中へと飛び込んでくる。叫びながら、その何かに発砲するヴァルトルートとフルートだったが、銃弾に怯む訳でもなく、一切止まる気配を見せずにフルートを押し倒し、馬乗りになると聞き覚えのある笑い声を上げていた。
「いやぁ……生還おめでとう。ビックリした?」
柔和で聞き覚えのある声に呆気に取られるヴァルトルートとフルートだったが、同時にアサシグレと陸は笑い声を上げていた。LAVの中に飛び込んできたのはハルカリだったのだ。服は銃弾によって穿たれ、彼方此方穴が空いていたが本体には一切傷がない。ボディーの剛性が他のオートマタとは段違いなのだ。
「……グル?」
「そだね。照明弾撃った時から外に居たしね」
「鎧戸を下げた時、ちょっとな」
じとついた視線を往なしながら、ネタ明かしをする二人を見ながらハルカリは笑っている。彼女の下敷きになっているフルートはどうにかしてハルカリを退かそうとしているのだが、力負けしているのか手足をばたつかせるばかりで身動きが取れずに居る。
「君達だけでも生きていて良かった。帰ろっか、アガルタに。五科長が喜ぶよ」
口がなく、人間らしい表情のないオートマタは出来る限りの満面の笑みを浮かべながら、四人に語り掛け嬉しげにフルートの頭を撫で付けていた。
- Re: Re:Logos ( No.9 )
- 日時: 2018/04/19 20:40
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
生還者の存在に、クレメンタインは喜び、不器用な薄っすらとした笑みを湛えながら彼等を出迎えた。左頬の傷跡のせいか、やや引き攣ったように見えていたが、それでも彼女なりの精一杯の笑顔なのだろう、と陸は思ったのだが、彼女は陸にとって、不快感を抱かせるような言葉を述べていた。
「君達は使い捨ての英雄にならずに済んだようだ」
この言葉が陸の頭の中を反復する。自分達は使い捨ての存在なのだろうか。それとも、人から待ち焦がれられる英雄なのだろうか。はたまた、言葉の綾なのか。普段から尊大な言い回しをするクレメンタインだったが、この言葉はやや無神経に思える。死んでしまった人たちは使い捨てで、自分達は英雄なのだろうかと頭を悩ませる。
ふと、自分の腕に繋がれた点滴のパックを見遣る。まだ七割以上残っており、全てを投与し終えるまで、暫く時間が掛かるというのが見て取れる。一端、Nファクターを使用した者達はこの液体を定期的に投与しなければ、化物へと変質してしまう。本でも持ち込めば良かった、と少し反省しながら隣のベッドを見ると、自身と同じようにNファクターの再投与を受けているヴァルトルートが眠っていた、彼女は普段の様子からは信じられない程に静かな寝息を立てている。
「ネーベル? これ終わるまでどのくらい掛かりそう?」
点滴を繋がれた腕とは逆の腕を上げ、点滴パックを指差しながら陸は問う。ネーベルと呼ばれたオートマタは、モスグリーンの瞳を彼へと向けて、くすりと小さく鼻で笑いながら近寄ってくる。
「五時間は見た方が良いわね」
「……随分掛かりますね」
「えぇ、急に入れたら副作用があるから」
さも当然のように語るネーベルは椅子へと腰掛け、医療品のカタログを見つめていた。安そうな物を探しては、五科へと購入請求を掛けるのだろう。それもしつこく、何度も。
「副作用、ですか」
「体質次第だけどね」
「いまいちそういう知識がないんですよ、どんなもんなんですか? 副作用って」
「そうねぇ……。五科長が詳しいわよ」
「元三科でしたっけ」
「それもあるけど、彼女にはそれ以外もあるのよ。取り合えず私は忙しいから、点滴終わるまで寝てなさい。"英雄"ちゃん」
どこかネーベルの毒を孕んだ言い回しに、陸はややムッとした表情を浮かべるも、抗議の声を発する訳でもなく、ぼんやりと天井を見据えた。ネーベルが整理している書類同士が擦り合わされて発せられる音が、何処か心地よく、瞳を閉じれば襲い来る獰猛な睡魔に抗う術はなく、いつの間にか微睡に堕ちていた。
はっと目が覚めた時、医務室には誰も居なかった。厭に静まり返り、橙色の薄明かりだけが天井から降りてくる。その明かりを頼りに腕を見ると、点滴は外されていた。Nファクターを投与し終えた時、特有の酩酊感を感じながら陸はベッドから身を下ろした。隣のベッドにヴァルトルートの姿はない。ベッドサイドの鏡の中の自分は、酷く呆けたような表情をしていて、これではいけない、と頭を左右に振るい、頬を軽く叩く。そうして再び鏡を見ると、いつもの自分が戻ってきていた。ホテルカリフォルニアから、漸くチェックアウト出来たらしい。涼しい風が髪を靡かせる訳でもなく、コリタスの匂いが漂っている訳でもない。
自分の部屋に戻り、寝直そうと思い、陸は医務室から出て行く。食堂とラウンジを併設したスペースは深夜だというのに、明るく白けている。ラウンジではオートマタ達が百年も前の映画を見ながら、興奮気味に雑談をしていた。食堂の明かりはラウンジと比べると少しだけ暗くなっていたが、微かに水の音が聞こえていた。五科のコック達が蛇口でも締め損ねたのだろうかと、首を傾げながらゆっくりとした足取りで厨房へと向かっていく。一歩ずつ進む毎に水の流れる音は大きくなり、同時に人の気配らしきものをしてきていた。
「気配も足音も消して何をしにきたのだね」
不意に背後からする聞き覚えのある声に、陸は驚いた様子で一瞬だけ硬直し、すぐさま振り向いた。声の主はクレメンタインだった。彼女は相変わらず、愛想も愛嬌も微塵も見られないような仏頂面で陸を見つめていた。心なしか、彼女の顔はやや紅潮して見えたが、手に持たれたジョッキとショットグラスから酒でも呷ったのだろうと容易に憶測がついた。
「いえ、蛇口が開いてたみたいなんで」
「洗い物の最中に何かが近寄ってくるもんだからな。思わず後に回っただけだよ。持ちたまえ」
「え、あ、はい」
押し付けられるような形でジョッキとショットグラスを持たされた陸だったが、特に不快に思う事はなかった。彼女をじいっと見つめていると、ネーベルの言葉が脳裏を過ぎるも、いきなり問うのは得策ではないだろうと、少しだけ雑談を挟もうとしていた。
「だいぶ飲んだみたいですね」
「あぁ、スタウトを沢山、テキーラを少々。ボイラー・メーカーを沢山だ」
口調はしっかりとしているが、何杯といわないあたり酔いが回っているのだろう。クレメンタインを現場主義で、事務方では昼行灯だと揶揄するお偉方も多いが、彼女は決してそういう訳ではない。仕事は完璧にこなす、云わば現場の神様である。記憶力とて普通の人間より優れている。でなければ、二十代半ばで王立陸軍医療軍団第254医療連隊の大尉にまで上り詰めていないだろう。
「あんまり飲むと残りますよ?」
「だろうな、寄越せ」
「あ、はい。──ああっ!」
ジョッキを手渡したつもりなのだが、クレメンタインが取っ手を掴み損ね、シンクに叩き付けられるように割れてしまった。すると、クレメンタインは自分の手を見据えたまま、固まってしまい何の反応も取らず、陸は不安気に彼女の顔を覗きこんだ。
「五科長……?」
「切れた」
陸の目の前で開かれた手は、確かに掌にガラスの破片が刺さっていて、血が滲んでいた。
「今救急箱持ってきます」
「問題ない」
右掌の傷に舌を這わせ、血を舐め取りながらクレメンタインは言う。何処か背徳的に見えるその光景に目を奪われていた陸だったが、彼女は横目で彼を見るなり、小さく鼻で笑っていた。
「この程度で貴重な医療品が使えるか、唾でも付けておけば治る」
「……良いんですか、傷の処置は大事だって三科の人たちは口酸っぱくして俺に言って来ますよ」
「三科は自分の怪我は後回しだ、他の負傷者救護が先だと叩き込まれてきたからな。それに私は非戦闘員だ、多少傷があったとしても差し支えはないよ。寧ろ箔が付く」
やや上機嫌に見えるのは気のせいだろうか、クレメンタインの言葉が妙に軽く、少しばかりの違和感を陸は感じていた。
「そういえばネーベルから、五科長がNファクターの副作用に詳しいって聞いたんですが、本当ですか?」
「詳しいというより覚えざるを得なかった、実例も見たしな」
「実例ですか」
「あぁ、実例だ」
それ以上はクレメンタインも語ろうとせず、どうにも陸の性格上聞き入ってはならない領分の様に感じてしまい、適当な相槌を打つ事しか出来なかった。というよりもクレメンタインの様子はNファクターの副作用について、教えたくないというように見えた。「実例」という言葉を吐いた時の彼女の表情は、まるで苦虫を噛み潰したかのような表情で、思い出したくもない物を思い出したかのように見えたのだ。
「そうですか……」
「あぁ、そうだ。陸も此処に居る内に何時か実例を見る事になるだろうさ。辛いが……仕方ない事なんだ」
それだけ呟くように語ったクレメンタインの眼差しは、どこか憂いを帯びているように感じられ、らしくないと陸は見入っていた。そのせいか、陸の頭に伸ばされたクレメンタインの右手を避ける事もなく、黙ったまま撫で付けられていた。まるで案ずるなとでも言わんばかりに、宥めるように優しげだった。しかし、それは陸に向けられた物ではなく、まるでクレメンタイン自身が自分を落ち着かせるためにやったかのように、陸には思えて仕方がなかった。その理由は何故か分からない。だが、そこに口に出せない、出したくない何かが確かに存在しているような気がしていた。
- Re: Re:Logos ( No.10 )
- 日時: 2018/04/21 22:42
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
- 参照: https://twitter.com/Noisy4rchitect
生還者の事など露知らずといった様子で、二科長こと「グラナーテ・ヘンツェ」は乱れに、乱れぼさぼさの髪を手櫛で軽く整えた。幾度となく脱色、染色を繰り返したためか、髪は痛んでいる。最近は髪を染めたりしていないのだろうか、根本には黒い髪がやや見えつつある。そんな彼女が煙草を咥えながら、食い入るように見入るその映像には、妙な物が写っていた。暗闇の中から突然、姿を現しては消えを繰り返し、自分以外の全てに危害を加える新手と思しきノスフェラトゥだ。人間のみならず、同胞まで手に掛け、青と赤で汚れているその化物は異質であった。
「ヴァルトルート君。こいつはとんでもない奴が出てきたねぇ」
「こいつが居なかったら、誰一人死んでないっすよ、マジで」
この映像はヴァルトルートがLAVの中から撮影し、持ち帰った物らしい。カメラに向け接近してきたであろう、化物の赤い瞳がカメラを覗き込んだ瞬間映像は途切れているのだが、音声だけは拾っているようでアロイスが慌てふためき、声を上げている。エンジンが唸り、ものの三十秒もしないうちに大きな衝撃がカメラに掛かったらしく、彼の呻き声とアサシグレの怒号が拾われていた。
「まゆ……黛君、コーヒー貰ってきて。人数分」
「科長、ふざけた呼び方しますと色の付いた泥水みたいなコーヒー持ってきますからね」
「そしたら君をふざけた呼び方で呼び倒してあげるよ、ほら、早く」
「はいはい」
黛と呼ばれた日本人の青年は、渋々格納庫を後にする。ふざけた呼び方というのも「まゆしー」などと彼の姓を揶揄しての事。その呼び方をすると彼はいつも呆れた様子でグラナーテを見つめている。格納庫に残っているのはグラナーテ、ヴァルトルート、そして少しだけ離れた所でヘッドマウントディスプレイを使いながら、映像を共有しているカケハシだった。
「この化物に襲われて……よく帰ってこられましたね」
「アロイスが運転トチって死んだ時は終わったと思ったけど」
「……アサシグレが居なかったら、真面目に死んでいるでしょうね」
ディスプレイを外し、カケハシはヴァルトルートへとやや呆れたような視線を向けている。彼女は戦闘要員ではないのは勿論の事、車両の操縦手でもない。整備、通信のみを担当しているのだ。
「マジでそうだねー」
軽口を叩くが、グラナーテとカケハシからの生暖かい視線に気付いたのか、ヴァルトルートはばつの悪そうな笑みを浮かべていた。
「ところで科長。これ他の連中には見せました?」
「四科には見せたよ、ハルカリ君が対策練るってさ」
「ハルカリなら問題なさそうですね」
「ハルカリ君だけが出来ても仕方ないね。彼女は戦闘のプロ中のプロだ。他の人間は勿論、オートマタが付いてこれるか分からない」
「第五世代はやっぱ違いますもんねぇ……」
二科の中ではハルカリの様なハイエンドタイプの第四世代オートマタを第五世代と呼んでいる。完全に戦闘の為に作られた、軽量なボディと堅牢なフレーム。整備、修繕を考慮し、各部位はアッセンブリでの交換が容易いように作りこまれている。そして何より各種のセンサー類だろう。サーモグラフィー、ナイトヴィジョン、生体センサーを搭載している。また、それらで得た情報を周囲のオートマタへ同期するリンク機能も持ち合わせていた。
「カケハシ君を改修するったって、第二世代をそんなもの積んだ所でねぇ、先がないし」
グラナーテはまるで舐め回すような視線で、カケハシの爪先から頭の天辺まで見遣る。特に反応もなく、冷め切った視線を返すカケハシに「面白くない」とグラナーテは呟き、煙草を灰皿に押し付けた。
「科長、コーヒー淹れて来ましたよ」
「おー、ご苦労」
コーヒーを受け取り、グラナーテはディスプレイの電源を落とす。傍らではヴァルトルートが煙草を吸おうと火を点けながら、大きく欠伸をしていた。隠す様子もないそれをだらしないと言いたげにカケハシは見据えている。
「いつもより濃いね」
「五科の財布の紐が緩んでいるみたいです」
「へぇ、クレミーに集るなら今だね」
「俺にはおっかなくて出来ませんよ、そんな事」
「慎治は腰抜けだから、ぶっちゃけね」
うるさいとヴァルトルートを見るも彼女はにやにやと笑うばかりで、特に何も言い返す様子はなく、溜息を吐き、慎治はコーヒーに口を付けた。確かに何時もより濃い。何時の間にかコーヒーを奪い取っていたヴァルトルートは大量の砂糖にミルクを突っ込んでいる、甘ったるくて飲めそうにはないと思いながら、苦笑いを浮かべるのだった。
消えるノスフェラトゥ。その映像を見ながらハルカリは首を傾げた。一瞬だけ現れるその姿は既知のノスフェラトゥとは大きく異なる。その姿は限りなく人間に近いのだ。これは本当にノスフェラトゥなのだろうか、と妙な考えが頭の中を過ぎる。これは二科と四科だけで抱えていて良い物なのだろうか、各科、各アガルタに広め、知識と経験を募るべきではないのだろうかと思えてくる。
「どう見ても完全に人ですね、こいつ」
「やっぱそうだよねぇ」
机の向かい側に腰を下ろす大柄なオートマタも、ハルカリと同じような思いなのだろう。シルエットは人間やオートマタによく似ている。しかし、一瞬で姿を消し、再び姿を粟原してはまた誰かに危害を加え、消えてしまう。狙う箇所は人間の急所のみである。ノスフェラトゥは捕食のため、危害を加える事はない。他の生物を捕食する場合、生きたまま喰らいついてくる。しかし、このノスフェラトゥは明らかに急所を狙い、殺しに来ている様に見えた。明らかな殺意が感じられるのだ。
「科長、対策は練られますかね」
「いやー、正直、ぶっちゃけ無理。マジで」
何だかヴァルトルートのような口調になっているハルカリだったが、大柄なオートマタもハルカリのそういった回答が予想できていたようで、静かに相槌を打った。
「シュトゥルム。亀の甲より年の功って言うんだよ、何かないの?」
シュトゥルム、そう呼ばれた大柄なオートマタは首を竦め、小さく笑っていた。正直、どう対応しようか判断が付かない。見えないものをどう探せというのだろうか。車載のサーモにも写らず、姿を現すのは攻撃の瞬間のみ。二体のオートマタは首を傾げながら、映像を繰り返し見ていた。
四科以外の各科長達は神妙な面持ちで、一点にハルカリを見据えていた。彼女はやや気恥ずかしげに顔を俯けながら、リモコンのボタンを押した。スクリーンにはノスフェラトゥとの戦いの中で、無残にも殺されてゆくアガルタ構成員達の姿があった。例によりノスフェラトゥは攻撃のとき、一瞬だけ姿を現す。その瞬間でハルカリは停止ボタンを押し、その醜悪な姿を全員に見せつけた。
「恐らく、人間からの変異生物と判断するのが妥当かと思います。二本の足、二本の腕、一つの首。二つの目。異なるのは全身の彼方此方から伸びてる触手だけ。これで科員の身体を貫いてます」
「御託は良い。対策は用意したのか」
ギルバートは低く唸るようにして、ハルカリに問う。向けられた視線はハルカリの瞳に吸い込まれていた。常人ならば口を紡ぐのだろうが、ハルカリはそもそも機械だ。人の圧という物がいまいち分かっていない。
「正直、姿だけですと対策の練りようがありません。暫くは人間の方は哨戒に出ず、オートマタだけに任せて貰えれば」
「……お前達の部品代も馬鹿にならんのだが」
「命より金は軽いものですよ。五科長」
「……言うようになったじゃないか」
「いえいえ」
クレメンタインの発言を一蹴し、ハルカリは席へと腰を下ろした。五科であり、需品を担当する以上、その費用を気にするのは仕方ない事だ。彼女は彼女なりに職務を全うしようという姿勢を見せただけに過ぎない。
「ねぇ、ちょっと」
「はい」
「ソイツさ、どうにか姿見えないの? 」
「映像で見ても分かりません。実物を見てみない限りはなんともです。私は見えるかも知れませんけどね」
「それじゃサーモ、ナイトヴィジョンとか目に突っ込めば見えるかも知れないって事? 」
「可能性としてはなきしにも非ずです。もしかしたらそれで見えるかも知れません」
「やる価値はありそうだね。どう……? クレミー」
「どうって、オーダルトの予算請求してすぐ予算を貰えるとでも? 」
「それをどうにかするのが、五科でしょ? お偉方に銃突きつけても予算貰ってきてよ」
クレメンタインとグラナーテの間に見えない火花が散りつつあるが、男衆達は大して気にする様子もない。二人してスクリーンに映ったノスフェラトゥの静止画を黙って見つめていた。それぞれに思いがある事だろう。
「ハルカリ。うちの秘蔵っ子を貸すから十分に使ってやってくれ。この"星の精"をぶっ殺すのに役立つ筈だ」
スクリーンから目を離す事はないのだが、レスターは呟くように言う。スクリーンに写るノスフェラトゥを「星の精」と称したが、言い得て妙だった。クトゥルフ神話の一つ、ロバート・ブロック著「星から訪れたもの」に登場する化物にそっくりなのだ。普段は透明で不可視、犠牲者に危害を加える時のみ姿を現し、触手を身体から垂れ下げている。レスターの発言のせいで、そのノスフェラトゥがまるでその物のように思えてしまう。
「……三科からは貸せんよ。ネーベルは戦闘用じゃあない。本当なら貸すべきなのだろうがね」
「分かってます。そう言ってもらえるだけ嬉しいです」
スクリーンを見据えたまま、ハルカリはそう言い放つ。オートマタにも向き、不向きがあるのだから仕方が無い話だ。その分、自分達が必死に戦えば良いだけの話なのだから。
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