複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 灰被れのペナルティ 【完結】
- 日時: 2019/01/27 18:56
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: DceO7Q3b)
あなたへ
あなたは、どんな罪をもっていますか?
*完結しました。読んでいただき、本当にありがとうございました。
■挨拶
初めまして。またはこんにちは。瑚雲と申します。
前作『スペサンを殺せ』よりすこし長めのお話をまたこちらで書こうと思い至りました。
最後までお付き合いいただければ、幸いです。
■目次
一気読み >>01-10
1 >>01
2 >>02
3 >>03
4 >>04
5 >>05
6 >>06
7 >>07
8 >>08
9 >>09
10 >>10 (最終話)
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.3 )
- 日時: 2018/04/27 22:41
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
—3—
「あの、ちょっと、ちょっと待ってください」
ずいぶんと震えた声が出た。けれど、どうしても聞きたいことがあったので自分なりに声を張ったつもりだった。
大きな背中がくるりと振り返る。首の上にあるはずの頭部が、銀色の大きな十字架となっている奇妙な男性はどこからともなく声を出す。
「なにか?」
「ここ、処刑場だって言ってましたよね……その、処刑、されるんですか」
「ええ」
「どうして」
「おかしな方ですね。1たす1は2ですか、と問われているみたいです」
「あの、答えになってないです」
「罪ある人間が、処罰を受けにくる場所……そう申し上げれば、おわかりですか?」
「……」
そういうことを聞きたいんじゃなくて——そうとは言えずに、ただ口を結んだ。
「安心してついてきてください」
十字架の男性はそう言った。
『あなたは処刑されます』と言われ、安心してその背中についていける人間がどこにいるというのか。
けれど正直な話、私には行く宛がない。
夢だ。ここは夢だ。夢の中なんだ。
思いこみに焦りが混じる——と、私はあの広い背中を追っていた。
私と十字架さん(勝手に命名した)は、しばらくの間なんの変化もない景色の中を歩いていた。
天上からはまばらに光が射し、ガラスのない水の壁の中で魚が泳いでいて、純白の柱や床に蔓が這う。そんな夢のような光景が、夢であってほしいと願いながら。
またしても途中でタイルを見かけた。上の階へ行くための、宙に浮いている純白のタイルだ。
「さあ、お手をどうぞ」
足をすべらせた記憶が駆け抜けたので、しぶしぶ十字架さんの白い手袋に自分を手を重ねた。
十字架さんに支えられながら、私は手をついたり膝をついたりして、タイルの階段を上っていた。
そのときだった。
私の視界の先で、なにか黒い影が、真っ逆さまに落ちていった気がした。
「……え」
危うく指をすべらせそうになった私の腕を、十字架さんは強くつかむ。
「おっと。大丈夫ですか?」
「……い、いま、向こうで、なにか落ちて……」
「ああ、罪人でしょう」
心臓の鼓動が速くなる。罪人、と口にした十字架さんには表情がなく、あきらかに私だけが動揺していた。
そうこうしている間に、私は上の階に足を踏み入れていた。
顔を上げると、
「……」
いままでとはちがう景色が広がっていた。
最上階——に、近いと思われる。床の面積があまりにも広い。純白の床は一切の穢れを許さないように、美しい太陽の光にさらされて反射している。海に揺らめく白波のようだとふと思った。
そして。
穢れのない純白の世界に、数えきれないほどの十字架が突き刺さっていた。
墓場のように思えた。
「ここが処刑場です」
「……」
「では参りましょうか」
差し出された白い手を、今度は力強くひっぱたいた。
「いや!」
「……」
「なんで……なにもしてないよ! 罪なんか犯してない! 罪が犯せるほど度胸もないのに!」
「……? ——ああ、なるほど! ははは!」
「な、なんで笑うの……?」
「これは失敬。あなたの発言がおかしくて笑ったのではありません。あなた、かんちがいをされていますね?」
「かん……ちがい?」
「あなたは処刑されませんよ」
十字架さんは続けた。
「あなたは処刑をする側です」
思考が、停止した。
「処刑を……する?」
「ええ」
「……なんで?」
「あとでご説明します。すこし歩きましょう」
なにも言えなくなり、私は十字架さんに促されるまま、——数多もの墓標に向けて歩きだした。
一歩、近づくたびに吐き気がした。
うつむいていたのだと思う。しばらくして、私は、十字架さんのかけ声で我に返った。
「顔を上げて、振り返ってください」
言われた通りに振り返った私は、驚愕した。
一本の巨大な柱が、視界に入る。
おそらく私たちが上ってきた、いままで柱だと思いこんでいたもの。
その柱から、横におなじ太さと思われる柱が伸びて、——それはまさしく十字架を模していた。
「見えますでしょう? あれが断罪の場です。さきほどあなたが目にした罪人は、あそこから落とされたのです」
「……」
「さて。罪人があなたをお待ちです。戻りましょう」
今度は墓標を背に、視界に入りきらないほど巨大な十字架を目指して、歩いてきた道をたどった。
眩暈がした。
巨大な十字架の近くまでくると、十字架の横に伸びた部分がもうすっかり遥か高いところに位置していた。
巨大な十字架の側面に向けて、まっすぐタイルが配置されている。
まさしく階段みたいに。
この先へ行けと、言わんばかりの光景だ。
「階段を上がりましょう」
有無を言わさない声色に、私の片足がひとりでにタイルに乗った。
ローファーの底が独特の音を鳴らして、ひとつずつ階段を上がっていく。
ふと顔を上げたとき、小さな影が見えた。
小さな影はだんだん大きくなっていく。やがて、それが人の形だとわかると、さらに心音が跳ねた。
身体は小さい。髪は短く切り揃えられていて、なんでもないようなプリントのTシャツに短パンという、実に少年らしい格好をしていた。
少年は、私に気づいた。
「……」
「……」
十字架に背を向けて立っている少年は、私が最後の一段を上りきる様子を目で追っていた。
お腹も、口も、足首も、全身を縄で縛られた少年が、ごく至近距離で立っている。
ついてきていた十字架さんが、少年の身体をむりやり動かして、階段の端に立たせる。
私と少年は向き合った。
私が手を伸ばせば、ひっくり返って、そのまま落ちていくだろうということは、最速で理解した。
「さあ、断罪の時間です!」
「……」
「どうぞ突き落としてください。桐谷朱留様」
もはや、自分の名前が呼ばれたことなど、気にならなかった。
幼い顔で震えている。目の前でいままさに、迫りくる死の恐怖に怯えている。
きっと私も。
「さあッ!」
私も震えていた。
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.4 )
- 日時: 2018/04/29 10:53
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
—4—
混乱のあまり、用意もしていなかった言葉が、口から出た。
「あの、なんで、この子……突き落とさなきゃ、いけないんですか」
十字架さんのほうを向いてみたけれど、彼は変わらない表情で、間の抜けた返事をした。
「……はい……?」
「これは、そういう、夢、ですか?」
「夢? なんのことだかわかりませんが、彼は罪人なので、処刑するのです。あなたが」
「こんな小さな子が、罪を?」
「はい」
「どんな?」
「……。なるほど、あなたはそういう方なのですね。他人に言われたから『はい、やります』というわけではなく、つまりは納得のいく説明が必要だと?」
「え? ああ、まあ……」
ただこの場をなんとかしなきゃという一心で、そう適当に返した。
「では特別にお教えしましょう。その少年の罪状は、窃盗罪です。鉛筆を盗みました」
「……え?」
「ですから、クラスメイトの鉛筆を盗んだのです」
十字架さんは続けた。
「彼はひどく罪の意識に苛まれ、こうしてここに立っているのです」
「鉛筆……」
「さあ、罪状もおわかりいただけたかと思うので、どうぞこの少年に処罰を」
鉛筆を盗んだから、目の前の少年は死ななければいけない?
——いや、もちろん罪の大小に関わらず、罪を犯した人間はそれ相応の罰を受けなきゃいけないとは思う。それは理解してる。けれど。
クラスメイトの鉛筆を盗んだくらいで、この子は死ななければいけない?
私よりもずっと、未来ある幼い子どもが。
「あの……」
「まだ質問がおありですか。あまり長引かせると、この少年がかわいそうですよ」
「……」
「桐谷朱留様?」
心音がさわがしいまま、私はもうひとつ問いかけた。
「どうして……私、なんですか? 処刑するのはなにも、なんの関係もない私じゃなくても……」
「知らなくてよいことです」
「……」
「それになんの関係もないからこそ、殺したっていいでしょうべつに。処刑する人間はたしかにこちらで選ばせていただいていますが、この場が終わりさえすれば、もといたところに帰します」
「え?」
「もちろん、ここでの記憶は失われますよ。人を殺したという罪の意識を持たれてしまってはこちらが困ります」
「……」
「帰りたいでしょう?」
少年を見た。
まだ怯えている。当然か。十字架さんの話によれば、この子は鉛筆を盗んだだけで処刑されてしまうのだから。
きっといまごろ、鉛筆なんか盗まきゃよかったって思っているにちがいない。
その証拠に、大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれていた。
縄でふさがれた口から私にしか聞こえないくらい、小さな嗚咽をもらしながら。
「どうぞ」
涙でぐしゃぐしゃになったひどい顔で、私を見上げている。
声にならない「助けて」が、聞こえてくる。
瞼に熱が奔った。
『この場が終わりさえすれば、もといたところに帰します』
進路を決めるよりずっと、単純だ。
私は足を引いた。
「え?」
最後に見えたのは、少年の驚いたような顔だった。
世界が巡る。
気持ちの悪い感覚がした。
さっきまでいた場所と、意識とが、遠くへいった。
目を覚ますと、そこからは、体育館の天井が見えた。
よく知っている体育館だ。天井はうんと高くて、鉄の管が張ってるみたいな造りをしている。体育の授業中によく見上げて、電灯の数とか何の気なしに数えてたりしたけどいつも諦めてた。
「……え」
私は起き上がった。
「……ここ……学校……」
まちがいなく私は、自分が二年間通ってきた高校の体育館のフロアに座りこんでいた。
いったいどういうことだろうと思った。
すこし前の記憶を思い返す。
純白の柱、
純白の床、
新緑の蔓、
水の壁の中で泳ぐ魚たち、
それら景色のすべてに降り注ぐ光。
墓。
十字架。
少年の泣き顔。
——飛び降りた私。
正確には、とてつもなく高い柱から私は落ちた。背中で風を受けるあの感覚もまだ新しい。
ああ死ぬんだな、と漠然と意識して、その意識ごと気を失ったのだと思う。
そうするとここは、死後の世界だろうか?
(もしかして……走馬灯?)
そうか。いま私は生前の記憶の中にいて、思い出の渦に巻きこまれているんだ。
それにしても、まさか高校の景色が思い浮かぶだなんて。部活も委員会も、ましてや恋愛もまともにしてこなかった味気のない二年間に、なんの思いを馳せているというのか。
それに走馬灯は脳裏に思い出が浮かんでくるというイメージが強いのだけれど、思い出の中に実際に飛びこんでしまうとは予想外だった。大した思い出があるわけでもないのに。
もしも、いま見ているこの景色がまさしく走馬灯の中なのだとしたら、私はきっと本当に死んでしまったんだ。
「あっけないんだな」
意外にも淡泊な声が出た。
とくにやることもない私は、校内探検をすべく体育館をあとにした。
校内探検、というには新入生らしくないくたびれたローファーで廊下を歩く。
体育館を出たところの長い廊下をぼんやりと歩いていた、そのとき。
前方に、人影が揺らめいた。
とっさに廊下のはじっこに身を寄せた。壁にぴったりくっついている柱の陰に隠れて、そこからちらりと前方を覗く。
私はギョッとした。
「え」
どう見ても、成人してから十数年は経っていそうな地味な顔つきの男性が、わが校の制服をぴっちりと着こんでいる。
校庭に白い粉を引くときのあの道具をガラガラと引きながら。
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.5 )
- 日時: 2018/04/30 18:33
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
十字架が、罪人のいない柱の側面に向いている。
「……なぜ、罪ある人間が未来を手にし、罪のない人間が罰せられるのだ」
十字架は、断罪者がいたはずの柱の側面から振り返った。
「断罪者が、一名! 『中』に入った! 前例のないことだ、決して入ってはならない! ……娘だ! あの娘を探すのだ!」
—5—
あれの名前は、なんだっただろう。石灰? 石灰を引く道具、名称がいまいち思い出せなかった。
突然の石灰引き(勝手に命名した)に動揺していると、男性の声が聞こえてきた。何度見ても、男性は制服を着ている。
がっしりした大人の体格にまるでサイズが合っていない。いまにもはち切れそうだ。
それに、いくら考えても、見覚えのない顔だった。
「それにしても、こんなところで気の合う方に会えるなんて」
「はは。まったくですよ」
どうやら、一人ではなかったらしい。女性の凛とした声が聞こえてきた。スカートがふわりと靡いたので、女子用の制服を着ているとわかった。
「死んでからでも出会いがあるとは思いませんでした」
意識が、向いた。
男性たちはどちらからともなく足を止めて会話をし始める。
「そうですよ。死んだら意識もなにもなくなって、ただなにかに転生するのかと」
「転生するまでの期間があるんでしょうか」
「どうでしょう……でもいままさにこうしてあなたと話ができているんですから、その説を信じるしかないですよね。場所が場所ですが」
手前にいる男性は、石灰引きに体重をかけながらそう言った。
「たしかにそうですよね」
女性が苦笑いをこぼす。いままで気がつかなかったけれど、女性は額の上にメガネを乗せていた。
肩に引っかけているタオルで頬をなぜる仕草。校内はわりと涼しいほうだと思うのに彼女にとっては暑いのだろうか。
そして、女性のほうにも見覚えはなかった。
男性が話題を切り替える。
「ちなみに、あなたはどこへ向かうところだったのですか? まあ、死んだいまとなっては不毛な会話かとは思いますが」
「どこへ……ですか。そうですね。どこでもないところへ行きたかったというか」
「へえ。それはまた、どうして?」
「プレッシャーに弱くて。思わず出てきちゃったんですよ」
「ああ、なるほど……。僕も似たようなものです。おそらく、死因は心痛だったのかななんて。僕の場合は向かってる途中でしたけどね」
「向かうだけ素晴らしいじゃないですか。私は逃げてきました」
「そうですか? でもずっと億劫な気持ちでいたんですよ。逃げてはだめだと思いつつ、心の奥底では正直怯えてました。本当は全部投げ出したかったです」
——なんでだろう。すこし違和感のある会話だ。
「まさか人生まで投げ出すことになるなんてね」
私の予想が正しければ、向こうにいる男性も女性も、あの少年と同じ『罪人』だ。
死んでからもとか、死因とか、人生まで投げ出すとか、そういう言葉が口から出るということでまずまちがいないと思う。
でも、なんで私の走馬灯に出てくるのかがわからない。
それに服装のことも、発言もすこし気になるところがある。
見覚えがないのに走馬灯に出てくるだろうか? それにどうして制服を着ているのだろう。学校だから? ここが本当に私の通ってた学校だとするなら、見ず知らずの人物が出てくるのはやっぱりおかしいと思う。女性のほうはまだしも、あの男性は廊下でガラガラと石灰引きを転がしてきたわけだし。
——石灰引きを、転がしてきた?
そもそも石灰引きは廊下で使うものじゃない。校庭の倉庫に置いてあるもので、わざわざ校内に持ちこんでなにができるというわけでもない。
ラインの引き方は人それぞれだとしても、男性はさっき石灰引きを自分の後ろにやって片手で取っ手を引いていた。いまは石灰引きをまっすぐ立たせ、長い取っ手の部分に腕を乗せている。
『ちなみに、あなたはどこへ向かうところだったのですか?』
さっきの言葉。
そしてあの立ち方、石灰引きの転がし方、どこからどう見ても——、
「どうかしたのかい、君?」
耳元で声がした。
「この子、顔が青ざめてるわ。気分が悪いのかもしれません」
「そうですね。どこか休むところがあるはずです。君、つらいかもしれないけど、いっしょに行こう」
「……」
腕をつかまれた。突然のことに混乱したのだと思う。呼吸が浅かった。声が出ない代わりに、つかまれた腕を振りほどいて、その場から力いっぱい走り出した。
「ちょ、ちょっと! 君!」
不審な人物だと思ったわけじゃない。はからずも立ち聞きをしてしまったからわかる。あの男性も女性も悪い人間には思えなかった。
私だけがいるはずだった世界を破られたのが、なんとなく怖かった。
校舎の構造は理解してる。体育館のすぐ近くには階段があって、上の階へ行ける。私は駆け足で階段を上がった。
けれど、階段のひとつの段に、私は思いっきり足をぶつけた。
「いっ!」
声が出てすぐに態勢が崩れた。冷たい階段に手のひらをついて、重たい上体を支える。じぃん、と手のひらが痛みだす。私は、呼吸を整える間もなく階段の途中で座りこんだ。
「……え……」
心臓がうるさい。
ドクン、ドクンと息衝いているのを、いやでも実感した。
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.6 )
- 日時: 2018/04/30 19:02
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
—6—
顔が火を噴いているみたいに熱い。息も浅い。荒い。心臓が痛い。
心臓が、たしかに動いている。
「死んで……ない?」
自分の手を握ってみる。汗ばんでいた。
首にも、脚にも、腕にも触れてみる。どこも熱を持っていた。
——私はまだ、生きている?
「だめだ。見失ってしまったようです」
「あの子、大丈夫でしょうか? 医務室の場所なら知っていたのに……」
追ってきていたのか、さっきの男性と女性の声がする。
また心音が騒ぎだした。
「ああでも、杞憂でしたね」
「どうしてです?」
「僕たちはもう死んでますから」
「ああ……そうでしたね」
「身体が冷たいだけで、ほかに怪我も病気もないことでしょう」
足音が遠ざかっていく。話し声も聞こえなくなると、私は改めて長い息をついた。
よろよろと立ち上がって残りわずかだった階段をのぼりきる。
二階にもまた、人影がうろついていた。
「……」
話し合っている人もいる。笑っている人も、黙々と歩いている人も、座りこんでいる人もいる。
思った以上の数だった。見知らぬ人間がうじゃうじゃと視界の中に入ってくる。
もうまちがいはないと思う。ここは私の走馬灯の中じゃない。
断罪された人間たちの、死後の世界だ。
だけど。
私はその場から走り出した。足音に気づいた人が何人か振り返った気がした。
自分がどこを走っているのかも、なにから逃げているのかもよくわからなかった。
また階段をのぼりきったとき、すぐ目の前に、また人物がいた。
「!」
たしかに目が合う。
とたんに怖くなって、一歩後ろに下がりそうになったときだった。
「こっち!」
かけ声。ぐんと腕を引かれる。なにが起こったのかわからなかった。
気がつけば私は、水道の近くにまで来ていた。ここは水を飲んだり掃除のときに使ったりする、生徒の教室がある階にかならず設置されているスペースだ。
薄暗いこともあって、周りにはだれもいなかった。
「はあ……。ここだと安心できるんじゃないかな?」
「え?」
女の子の声だった。
同い年くらいの女の子だ。いままで見た中でいちばん制服が似合っている。どうやらこの子にここまで連れてこられたらしい。
目の前にいる彼女は顔を上げた。
「ね、あんただれから逃げてたの?」
長いまつ毛だ。目元とかはっきりしてて、切れ長で強気な顔をしている。でも化粧をしている感じではなかった。きっと素材がいいんだろう。
明るい茶色のポニーテールを揺らして、女の子は小首をかしげた。
「? どしたの?」
「あ、ううん。なんでも」
「ふーん。そんでさ、だれから逃げてたのよあんた」
「え? いや、だれからっていうのはないけど……」
また、ふーんと女の子は適当な返事をした。
私の友だちにはいないタイプだ。
クラスの中心にいそうで、人気者そうな、陽性の生徒。しゃべり方もハキハキしている。目を合わせるのもおこがましい気がして、やや視線をそらした。
「ねえね、あんたはなんで死んじゃったの?」
「え?」
「ここに来たってことはさ、落とされたんでしょ? あの柱から」
「……」
「死んじゃった者同士さ、仲良くしよーよ。タメくらいでしょ?」
「まあ」
「はは。返事短っ」
屈託のない笑みでへらっと笑った。
そのとき。
なぜだか私は、——この子は、どこかで見覚えがあると思った。
「あたし、間宮若菜ってんだけどさー」
「……え。え、いま、なんて」
「なにもしかして、知ってる?」
「間宮……」
『次のニュースです。昨夜、また新たに被害者が出ました。昨夜18時頃、東京都にお住まいの——間宮若菜さんが……』
ぼんやりと眺めてたテレビ画面に映っていた顔。そして、今朝回ってきたメールに記載されていた名前とが、いま一致した。
「こんなところでおなじ学校の人に会うなんて……」
「へ? なに? おなじ学校なの?」
「あ、えと……今朝、連絡網回ってきて……そこに間宮さんの名前が」
「まじか! うわー! え、何組?」
「3組」
「あたし7組! こりゃ会わないわけだわ〜。……そっかー。なに、捜索とかされてんの?」
「……うん。テレビで、また被害者が出ましたとかって」
「うわ、はっず。どうせあれでしょ、塾へ行く途中で、とかそういう感じで」
「うん」
「あ、いまあんた、あたしの顔見て『塾とかマジメに行ってなさそう〜』って思ったでしょ」
「えっ思ってないよ」
「まじ? ならいーけど」
無邪気に笑いながら、間宮さんは水道のふちに腰をかけた。
彼女は、室内用の上履きを履いていた。短いスカートから細くて長い脚を伸ばして、つま先をゆらゆら揺らしている。
「あたしさ……ほんとはアナウンサーになりたかったんだよね」
間宮さんは下を向いたままそう言った。
「自分の声に自信があるとかじゃないんだけどさ、でも実は本読むのとかも好きなんだよね、こー見えて」
「……そ、そうなんだ」
「あと、うちのお母さん元々アナウンサーなんだ。結婚してやめちゃったけど。テレビに映ってたときとかめっちゃかっこよくてさ、そんで憧れてて、あたしにもなれるかなーって思ってたんだけど……」
「……」
「アナウンサーって、頭よくなきゃなれないんだって。ちょっと前までギャルとかいるグループにいたあたしが、思い切って遊びとか断ってさ、バカみたいに必死こいて塾とか行ってたんだけど……いい成績、ぜんぜん取れなくてさ。あたりまえだよね。いままでやってこなかったんだもん。そんで、お母さんの期待とか、アナウンサー目指すって決めた自分に対してとか、罪悪感、感じちゃってさ……。……なんかごめんって気持ちで、いっぱいになった」
——罪悪感。
心臓に、なにかが刺さるような痛みが奔った。
「やっぱ、ぜんぜん向いてなかったんだよ。勉強すんのも夢見んのも」
もう表情が見えなくなっていた。茶色の前髪が、じっと下を向いている。
「あんたも思うっしょ? こんなハンパな気持ちじゃムリだろーって」
「……思わないよ」
つい、口からこぼれ出た。
「すごいと思う。だって私には、きっと口にもできない。そんな大きな夢。うらやましいくらい、すごいなって……」
初めてだった。
心の奥底にしまいこんでいて、口に出したら負けを認めそうで嫌だったからいままで言わなかった。
ぱっちり開いた両目で、間宮さんは私を見ていた。
「いいなって、思うよ」
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.7 )
- 日時: 2018/05/02 13:45
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
—7—
急に、さっきまでとはちがう熱が戻ってくる。恥ずかしさからか、私もうつむいた。
「あんた変わってんね」
くすっと、間宮さんは笑った。
笑顔のよく似合う人だ。わずかに苦しそうで、でも笑おうとして返してくれたのだろうかと思う。
また心臓が痛みだした。
苦しい。
つらい。
いやな痛みだ。
「あの……間宮さんは、」
「んー?」
「さっきのその……罪悪感、とか考えながら歩いてたんですか? ここに来る前。帰り道で」
「え、あー……そうだったかな。たぶん」
「……」
「? なんで?」
気づいてしまったことがある。
ここまで出会った人、みんなに共通していること。
それは、罪悪感だ。
鉛筆を盗んだあの男の子も、
おそらく、キャリーケースを引いていたのであろうさっきの男性も、
頭にメガネを乗せたスポーティな女性も、
間宮さんも。
みんな、おなじ顔をしてた。
「なに、どしたのいきなり座りこんで? ……気分悪い?」
みんななにかしらの罪悪感を抱いてた。
「ちょっと、だいじょぶ?」
罪を犯したのではなくて、罪に苛まれていた人たちだったんだ。
「……は」
罪を犯したのではなくて、罪の意識と向き合おうと、苦しんでいた人たちだったんだ。
「ちょ、なに、あんた泣いてんの……っ!?」
なのに私は。
私とは……——正反対だ。
「……やっとわかった……」
「はぁ? なにが?」
「なんで、間宮さんたちがここへきて……私みたいなのが生きてるのか……」
「……。ちょっと、あんま泣かないでよ。困るじゃん」
「なんで、ちゃんと向き合おうとする人が殺されて、そうじゃない人が、生きられるのか」
鉛筆を盗んだことを、あの男の子は後悔しただろう。
きっと鉛筆の持ち主に謝ろうと思っていただろう。
悪いことをしてしまったんだと、自覚があっただろうに。
「いままで気づかなかった。進路も先生に決めてもらえばいいやと思ってた。きっとお母さんが大学の本とか買ってくれて、自分のいまの成績で入れるくらいのところならどこでもいいって。将来の夢だって、大学に入れば勝手に決められるって、そう思ってた」
「……」
買う予定だったマンガが、おもしろくなかったらどうしようだなんて。
「そんなもの、買う私の責任なのに」
——でももしおもしろくなかったら。
——きっと買ったとき払う金額よりもすくない金額で売ることになるだろう。
——おもしろい内容でありますように。
「押しつけようとしてたんだ、ぜんぶ」
だから選ばれたんだ。断罪者に。
罪の意識ある者に、罪の意識を押しつける者として最適で、最低な人間だから。
「……よく、わかんないけど」
「……」
ふわりと、あたたかいものに包まれた。
「ごめん、ハンカチとか持ってなくてさ」
耳元で声がする。キツそうなしゃべり方だったのに、ささやいた言葉が思ったよりやわらかかった。
腕を回されて、その制服の布から爽やかな香りがした。洗剤の匂いだろうか、ひだまりみたいだ。ぽたぽた落ちる涙を吸いこんでいく。
そのとき。
「……」
驚いて、目を見開いた。
「もうおさまった?」
「……。あ、う、うん」
「にしても、死んだ身体で抱きしめても、あいかわらず冷たいだけだね」
「……」
心臓が、鼓動を呼び戻す。
間宮さんは私から身体を離して、よいしょと立ち上がる。座りこんだままの私に手を差し伸べてきた。
「立てる?」
「あの」
せわしない胸元を、ぎゅっとつかんだ。
「もしかして、あなたはまだ」
ピーンポーンパーンポーン——。
よく聞きなれたチャイムが鳴り響いた。
『全罪人へ告ぎます』
低い声色が、広い廊下に反響する。
『桐谷朱留という娘を探してください』
自分の名前らしきものが呼ばれた気がした。
『その者は、あなたがた死者を愚弄する、生者です。あなたがたを嘲笑うためにそこへ訪れたのです』
「……はぁ? え、なに? セイジャ? どゆこと?」
『半端者に居場所はありません』
背筋に悪寒が走った。
また、逃げなきゃという気持ちに支配されていく。
『桐谷朱留を探してください』
私はその場からすぐに立ち上がった。
そして駆けだした。
「えっちょっとあんた! どうしたの! ねえ!」
間宮さんの声が聞こえる。
「待ってってば! ねえ!」
私は、足を止めた。
さっきの場所からすこし離れたところまで、声が飛ばされてくる。
「あんたまさか……さっきの、放送で言ってた……」
「……」
「セイジャって、あんたは、生きてるってこと?」
死後の世界に、生きている人間がいるわけないのだと動揺しているのだと思う。
さっきまでは私もそう思ってた。
ここは死後の世界だと思いこんでいた。
「私だけじゃないよ」
振り返った。
「間宮さんも生きてるよ!」
驚いたように、大きく目を見開いていた。
「みんなみんな……死んでなんかいない! ここにいるみんな、まだ生きてる!」
両足が交互に動きだして、走れ、と脳がそう言った。
どうすればいいのかはまだわからない。
けれど、動くのはいまだと思った。