複雑・ファジー小説
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- 切り裂けど飛べず
- 日時: 2018/04/17 14:30
- 名前: うに (ID: xZ7jEDGP)
人は皆、生まれた時には翼を持っているのよ。そう、名画にある天使のように美しい翼がね。
今はないわね。そうね。
あなたの翼はママが切り取ってしまったの。ああ、怒らないで。そうしたのはあなたが大切だからなの。
翼が残っている子はね、みんな神さまに連れていかれてしまうのよ。
だから私はあなたの翼を奪ったの。
- Re: 切り裂けど飛べず ( No.6 )
- 日時: 2018/06/08 00:06
- 名前: うに (ID: pH/JvMbe)
人だ。人が立っている。喜ぶべき光景であるはずなのに、どこかおそろしいものを感じる。顔もはっきりとは見えないこの距離でありながらまっすぐと届いた声は、穏やかであるが心臓を素手で撫でられたような気持ちにさせた。赤ん坊の声がずっと響いているのにやけに静かだ。
メディイカと僕はその空き地——墓場の入り口で立ち止まり、目を凝らす。ゆがんだ十字架の間に佇んだ人影は夜闇に浮いているのに闇より深い黒で、それが握るシャベルがギラギラと月光を跳ね返して輝いている。
「……ッ!!」
メディイカと僕が息をのんだのはほとんど同じタイミングだったように思う。
佇む影の足元。無造作に投げ出された無数の四肢。月光をうつして輝きながらも濁りを見せる瞳の群れ。そして汚れた翼たち。それは屍の山だった。
「漏らしはないと思ってたんだけどな」
どこにいたの、君たち? 人影はこちらを見て笑った。黒の長髪が揺れる。白い貌は闇の中では目立って、きれいで嫌な笑顔を貼り付けているのがよくわかった。
メディイカと僕は、シャベルをさくさく地面に突き刺しながらこちらへ歩み寄ってくる人影を見つめたまま動けなくなっていた。赤ん坊の声も近くなる。漏らしはないと言った。それはつまり、あそこに転がる屍たちを作り上げたのは彼だということだ。
「こうやってさ、まとまって居てくれるとありがたいよ。一網打尽にできる」
足音が止まる。目の前に立ったのは黒のロングコートを纏った男だ。頭と右肩がじくじく痛む。そうだ。そうだ、こいつは——。
「お前は……」
「ん? ……ああ、君は」
男は目を丸くする。
「生きてたんだ、君。どっかで野垂れ死んでるだろうと思ってたんだけど」
へぇへぇすごいすごいと薄笑いをしてシャベルをさくさくさくさくと突き刺す。そしてロングコートの内側で腰に下げていたものを僕に差し出す。鉈だ。あのとき、放置して逃げてきた鉈。僕はおそるおそるそれを手に取った。
「これ、君の。・・・・・・んで、逃げ出しちゃって死に損なったから殺してくださいって? 熱烈ねぇ、こんなとこまで追いかけてきたの?」
「……ゼラは死に損ないなんかじゃないわ!」
「いやそれ、ふふふ。君も死に損なってるからそう見ていたいだけだろ?」
メディイカは激しく頭を横に振る。そんな彼女の頭を男がシャベルのグリップで軽く小突く。僕はメディイカを引き寄せた。
「触るなよ」
「はいはいそういうやつね。あーはいはい」
男はいかにも面倒くさそうにため息をつく。そしていまだに響き渡る赤ん坊の泣き声に舌打ちした。彼が赤ん坊を背負っていたらしく、おんぶ紐を引っ張って赤ん坊を抱え込む。慣れない手つきであやされてさらに鳴き声を強めた赤ん坊の背中には小さく翼が生えていた。
「せっかく生まれてきたのにこんなのがついてるんじゃあな。泣きたくもなるわ」
男は薄汚れた手で赤ん坊の頬をむにむにと押して嬉しそうに笑ったあと、その小さな翼に手をかけた。
「……ッ!?」
「だめ! やめて!!」
「うーんそれは無理かな」
男は瓶の栓を引き抜くような力加減で一対をまとめて引きちぎった。メディイカが声にならない悲鳴をあげた。僕の心臓も長い距離を走り終えたときのようにひどく暴れていた。
しかし赤ん坊の悲鳴はきこえない。見開いた目に、あの時のような赤い血は飛び込んでこない。
男がその手に持った一対の翼をメディイカの顔に投げつけた。今度はメディイカは悲鳴をあげた。小さな翼たちは白いまま地面に落ちて汚れる。
「よかったねぇ、いやなの取れたねぇ」
男は赤ん坊の脇に手を差し入れてあやしながらそう語りかける。赤ん坊は泣き止んでいて、むしろきゃあきゃあと笑っていた。
「馬鹿な母親だよ。自分は翼を落としてなくて苦しんだってのに、子供にもその苦しみを与えようとする」
そしてその母親よりもその子を愛しているのだと言わんばかりに赤ん坊を抱きしめる。
「こんな風にね、子供のうちに翼を落とせば死ぬことはないし痛みもないし傷も残らないんだ。さて、君たちは・・・・・・まぁそっちの君はもう大人だとわかってるんだけど、そっちの君はどうだろう」
メディイカが体を強ばらせる。彼はあの死体の山の人々と同じように、僕たちの翼を奪おうとしているのだ。彼は赤ん坊をそばの切り株に寝かせた。ふたりで逃げる隙はいくらでもあったのに動けなかった。
「安心しろよ。前回の君の時は遊んじゃったけど、今回はちゃんと一気に2枚落としてあげるから。痛くないさ。もしかしたら天上の心地かもしれない」
こんな風に恐怖さえしていなければ無条件にうなずいてしまいたくなるくらいの明るい声で語りかける男の手には、いつの間にか彼の身の丈と同じくらいに大きな黒鉄の剣が握られていた。
「そして伝えてほしい。ホンモノの天国で、ア二アという名を。神さまの怒りに触れるまで」
《 作者から 》
こんにちは、うにです。
自己紹介もなしに書き始めた小説で、とっつきにくい印象があったかもしれないと思って、いまここで自己紹介します。うにです。字書きをやっています。それくらいしか言うことないんですけど......。
ハマって読んでくださっている方がもしいらっしゃったら、本当にありがとうございます。嬉しいです。感想とかございましたら遠慮なくリプ大丈夫なので、お願いします。狂喜乱舞しますので......。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
- Re: 切り裂けど飛べず ( No.7 )
- 日時: 2018/06/05 22:19
- 名前: うに (ID: pH/JvMbe)
メディイカを逃がさなきゃいけない。数日前のデジャブだった。翼が生えている彼女なら高く飛んで逃げられるはずだ。
「メディイカ、飛んで逃げて」
思った以上に平坦な声が出た。メディイカははっと息をのんでこちらを見つめ、しかしあのときとは違って唇を噛みしめて翼を数回はためかせて飛び立つ。僕はそれまでの間、男——ア二アに鉈を向けて形ばかりの威嚇をしていた。
「あらあら、逃げちゃった」
「彼女は殺させない」
「死ぬと決まったわけじゃないだろ? あ、それとも『僕が彼女をオトナにしました』って? 自己申告とかお願いしてないんだけど」
「お前・・・・・・!」
メディイカを笑いながら侮辱する彼に喉の奥が熱くなる。鉈を握る手に力が入り、鉈の先ががくがくと揺れた。それをみてア二アが肩をすくめる。
「怒るなよ、冗談さ。どちらにせよ、翼は落とさせてもらう」
「なんでそんなに翼にこだわるんだ」
時間を稼いでも意味はないとわかっていたが、どうしてか僕はこの張り詰めた時間を長く長く引き延ばそうとしていた。僕が死ぬことは決まっている。怖いことに違いはない。ただ、メディイカを逃がすことができたという事実が僕のこころをいっぱいに満たしていた。
「神さまに連れ去られたものの行き先は知ってるか?」
「・・・・・・いや」
「テンゴクだよてんごくぅ。死ぬほどつまらない。永遠の命。飢えもなけりゃ苦痛もない。最高で最悪の新世界。そこに渡ったものは地上からは忘れ去られる」
吐き気がする、とア二アはここにきて初めてその白い貌を歪めた。
「せっかく生まれてきたんだ。余計なオマケに煩わせられることなく、ちゃんと死ななきゃもったいないだろ?」
「だからってこんな・・・・・・望んでない人を殺していいわけないだろ!」
「は? うるさ」
ア二アは堪忍袋の緒が切れたのか、短く声を荒げて吐き捨てる。
その瞬間、僕の視界は真っ白に染まる。それを疑問に思うまもなく頭にひどい衝撃が走り、僕の視界は白から黒へと切り替わった。
気を失っていたのはそう長い時間ではなかった。気づけば僕は地面に転がっていた。体中がひりひりしていて、体を起こすと先ほど立っていた場所からは数十メートルほど離れていて、まだ血のにおいが鮮やかな翼がそこらじゅうに散らばっていた。
そして心臓がどくりと跳ねる。あいつは。メディイカは。これはメディイカの翼ではないか。いや違う。彼女は。彼女は無事なのか。空を見上げる。そしてまた心臓が跳ねた。
メディイカが真っ逆さまに落ちていく。翼は残っていた。しかしそれは羽ばたきを忘れ、彼女の体を上に持ち上げる働きをしていない。
「メディイカ!!」
僕は叫んで立ち上がるが先か駆け出すが先かといったふうに彼女が落ちていく先へ足を動かしていた。なにが起きたのかわからなかった。しかし、メディイカをもう一度見上げたとき、僕はすべてを悟った。
落ちていくメディイカへ上空から急速に接近する白い影。あの日の白い手かと思ってしまうほどのそれは、メディイカのよりもさらに大きな翼だった。そしてその中心にあるのは黒い人影——ア二アだ。
きっと僕は、彼が爆発させるように展開した翼によって吹き飛ばされ、彼はその大きな翼でもってメディイカに追いついたのだ。そして彼女を突き飛ばした。
「くそっ・・・・・・!」
間に合わない。満たされていた心はいまは砕け散りそうなくらいに痛んでいる。メディイカが地面に落ちてしまうのが先か、それともア二アがメディイカを捕まえるのが先か。どちらにせよ最悪であるが、しかしどう考えてもそれらの選択肢のうちに僕がメディイカを受け止めるというものは含まれないのだった。それでも走った。もうなにがしたいのかわからなかった。
「メディイカ・・・・・・!」
軋んだ喉から絞り出した絶叫すら届かない距離だ。ア二アの手が彼女の綺麗な翼を鷲づかみにした。もう一度叫んだ声もまだ掠れている。間に合わなかった。間に合わなかった! これで全部おしまいなのか。本当にこれで。
それでいいのか、僕は。
駄目に決まっている。メディイカは希望を捨てないと言った。僕を捨てないといってくれた。価値のない僕を、汚い僕を救ってくれた。なのにどうして彼女をあきらめることができようか。もう一度どころじゃない。ずっと彼女の笑顔をそばで見ていたい。
血を吐くように叫んだ。それに共鳴するように傷口がうずき始める。
血は通わない、しかし感覚が鋭敏な金属の右翼はその羽根を逆立たせている。それの数本が抜け落ち、糸に操られているかのように不自然に浮いて、鋭い金属片に形を変えていく。
きっとそれは、奴を撃ち抜く弾丸となる。
僕はもう、自分の翼をすべて理解していた。
殺せ、殺せと。生かせ、生かせと。僕が、そして僕ではない僕が頭の中で繰り返しつぶやいている。
黄金色の雨が、夜闇の白い鳥を穿った。
- Re: 切り裂けど飛べず ( No.8 )
- 日時: 2018/06/11 16:51
- 名前: うに (ID: SGjK60el)
鋼鉄の雨は、しかし雨とは逆の動きをして空を駆けのぼる。白い鳥が動くのを止めたかのようにすら見えるその速度では、きっと彼は避けることができない。僕はその瞬間を逃すまいと見つめていた。
「——あ」
馬鹿みたいに大きな白い翼がもぞりと動いた。点のように見えるそれは小さく小さく縮こまる。なにかを抱え込むようにその翼の主はその背中をこちらに向けて背中を丸めたのだった。
「メディイカ……」
僕は本当に馬鹿だ。僕の目的はあいつを殺すことだったか? いいや、違う。僕の目的はメディイカを助けることだったはずなのだ。けれど今は? どうした? 僕はいったい何をしたんだ?
彼に、いや、彼と、そのそばにいるメディイカに弾丸を向けてしまったではないか。
いつだって、気づいた時にはもう遅いのだ。
「メディイカ!!」
間に合わない。今度もまた間に合わないのだ。僕はもう立っていられなかった。弾丸が風を切る音は、僕の脳に突き刺さる。そこから悪い菌が入ってしまったように、メディイカがみせてきたたくさんの表情がよぎっていく。
最後の表情はきっと見えない。見えなくていい。見たくない。僕は地面に突っ伏した。
軽いような、鈍いような音がする。届かなかった金属片がそのまま地面に落ちる音がする。ひどい風切り音がする。聞きたくない音がする。
そして、どさりと、ひときわ目立つ音がして、静寂が戻る。終わった。おわった。終わってしまった。おわってしまった。終わってしまったんだ。
このまま土になってしまいたかった。僕はあの死体と同じだ。既に無価値で、ひどいやり方で打ち捨てられて。
震えが止まらない。すべて、すべて止まってほしかった。時は僕を置いて行ってはくれない。あまりに長い静寂は僕に無理やりにでも呼吸させたいのか、頭をゆっくりと上げざるを得なくさせた。
「…………ッ!」
「……か、……か、はぅ、えぇ……」
僕を見下ろしていたのは、血まみれのあいつだった。真っ暗な洞穴のような瞳が冷たく僕を見つめている。血でしとどに濡れた薄い唇はふと動いたり、ゆがめられたりしてのたうつ瀕死の生き物のようだった。
いや、彼こそが瀕死なのかもしれない。
金属片の雨を全身で受け止めたような様態で、体にはまだ幾本もの金属片が残っている。筋が切れでもしたのか、やけに億劫そうに彼はそれを抜いたり払い落としたりしている。
そして、魚のえらを思い切りこじ開けたときのような不快な音を立てて、アニアは喉をまっすぐに貫通していたまるでそれこそが刃であるかのような金属片を抜き取った。血が噴き出し、アニアの口からあふれるものもまた鮮やかな赤色になる。
顔をしかめて血を吐き捨てたあと、改めて口を開いた。
「ばっかじゃねぇの・・・・・・」
掠れ切ったか細い声だったが、僕にはそう聞こえた。彼はそれだけを口にするとくるりと踵を返してしまう。そのそう広いわけではない背中と、もはや白さなど残されていない巨大な翼に残る僕の殺意が、今度は僕を苦しめているのだった。
涙も出ない。乾いた目で、ひとつ瞬きをすると、あのモノクロームの男は消えていた。
土になりたい。死んでしまいたいんだ。死んでしまって、消えてしまいたい。その先はなにも望むまい。僕は僕を許すことができない。それならば、きっと世界も彼女も僕を許さないのだ。
僕は鉄臭地面に再び突っ伏す。赤ん坊が泣いている。知らない。泣きたいのは僕の方だ。僕はすべてを受け入れたつもりで、その実すべてを投げ出しているのだった。最悪の男だ。僕はどうしようもないやつだ。
生まれてこなきゃよかった。
せっかく生まれてきたのだからなんて、そんなことが言えるような僕じゃない。
生まれてこなきゃよかった。
そしたらきっと、こんな不幸もなかったんだ。
震えが止まらない。怖いのか。これ以上怖いことなんてないだろう。メディイカを失うこと以上に恐ろしいことなんて。いや、僕はきっと怖いのだ。僕の目の前からいなくなったあの子に嫌われてしまうことが。
「ゼラ」
声が聞こえる。きっと彼女は僕をののしるのだ。
「ねぇ、ゼラ」
僕がそれを拒むことはあってはならない。
「ゼラ!」
ゆるりと顔を上げる。
「泣かないで頂戴よ、ゼラ」
「メディイカ……」
彼女はあまりに白い。
白くて、祈りたくなる。
神さま。この世にはいらっしゃらない、いつかの神さま。
「生きてるのよ。ちゃんと、わたし」
「…………ッ!」
じわりと滲み出すのは血なんかではない。
白い翼と、柔らかなほほえみがまぶしくて、きっと僕は泣いたのだ。
- Re: 切り裂けど飛べず ( No.9 )
- 日時: 2018/06/12 12:15
- 名前: うに (ID: y98v9vkI)
後頭部にやわらかな感触がして目が覚める。細くてきれいな手指がちらちらと視界に入ったり消えたりしているのが鬱陶しくて、重くて怠い己の手でそれを捕まえた。
「ソフィー……また膝枕してんの」
「ええ、そうよ。あなた、魘されて苦しそうだったんですもの」
「俺、子供じゃないけど? おじさんに膝枕なんてとんだ変態じゃないか。間違えるなよ、俺じゃなくて君がだぞ」
「あらあら、おじさんどころではないでしょう? 何百年生きれば満足なさるのかしら」
ブラウンの髪の女性——ソフィーがくすくすと笑う。アニアはひとつ舌打ちをして彼女の太ももに思いきり頭を埋めた。彼女はただただ嬉しそうに笑うばかりであった。
アニアは寝起き特有のぼんやりと霧のかかったような脳で、眠りに落ちる前のことを思い出そうとしていた。
死にぞこないの彼に攻撃されてうっかりやられてしまって、自力で天上まで還ってきて、治療を受けて、それから——。
「あれっ? これってもしかしてもしかしなくても2回目だったりする?」
「あら残念、4回目よ。ノーリャンが止められなかったの。彼はもう落ち着いたけれど、あなた、脚の左右を入れ替えられたり生首を持ち逃げされて首なしのまま走り回らせられたりして大変だったみたいだけれど」
「ああー、思い出したよ。そりゃ魘されるさね……」
ノーリャンの名を聞いてアニアはげぇと舌を出した。ノーリャンは天上一の医者ではあるが性格に難がある。天上にいれば翼以外であればすぐに再生するということに目をつけて、患者の体を好き勝手に弄り回すのだ。アニアは頻繁に彼の世話になるため、よく被害者になるのだった。
アニアは自身の体の様子を確かめる。怠さは残るものの、体自体の傷はすっかりと癒えてしまっている。しかし翼はまだあの金属片が残っているようだし、穴もかなり空いている。血も少しではあるがまだ流れているようだ。ノーリャンの手下の純粋そうな少女たちがアニアの翼に寄って集ってせっせと金属片を除去したり傷口を消毒したりしている。翼をいっぱいに広げて治療が受けられるようにと、大部屋全体がふかふかのベッドになっているため、幼い者たちがぴょんぴょんと飛び跳ねて遊んでいるのを目を細めて見つめた。
「ふふふ、そんな風に心配そうな顔をしてきょろきょろしなくたって、悲しんでいる子はいないわよ。あなたのおかげで」
「……それならいーんだけどさ」
アニアは無意味に畳まれているいつもの黒い服を引き寄せてポケットをまさぐる。服は翼以上に穴だらけだったけれど、ポケットの中身は無事だった。アニアは煙草を一本取り出して、億劫そうにくわえた。
「それ、地上の煙草よね?」
「……またお説教?」
マッチで火をともしながらアニアは顔をしかめる。ソフィーに言われなくたってわかっている。地上のものは、食べ物から空気に至るまで、すべてのものが天上のものに害をなす。
「だって俺たち、もう死んでるみたいなもんだろ?」
「いいえ、そんなことないわ」
ソフィーの白い指は、炎をも恐れずにアニアの口元から煙草を抜き取り、くしゃりと握りつぶした。ああ、とアニアは悲愴な悲鳴を上げてシーツの上にころりと転がった残骸を見た。
「もう、ひどい人だね」
「あら、冗談でしょう? 私のギフトはやさしさよ?」
「嘘でしょ、よく言うねぇ。俺、君より優しい人を知ってるんだけど」
「私は知らないもの」
ふふふ、とソフィーがあまりにきれいに笑うものだから、あの煙草が残っていたなら、きっとアニアはその顔に炎を押し付けていただろう。それすらも彼女のせいでできないのだからと、ひとつまた大きな舌打ちをする。それから、ごろりと横に転がって彼女の膝から脱出する。次は彼女が惜しそうに声を上げた。
アニアがうつぶせになろうと動いたせいで突然暴れた翼に、治療を施していた少女たちや遊んでいた子供たちがころんと転んで悲鳴を上げた。
アニアをそれを気にすることなく、翼の付け根に近いところに食い込んでいた金属片をずるりと抜き取り、陽光に葉を透かして葉脈を観察する子供のようにそれを目の前にかかげて、澄んだ目で見つめた。
「ソフィー」
「なぁに」
「ねぇ、きれい」
「……えぇ、そうね。まるで——」
- Re: 切り裂けど飛べず ( No.10 )
- 日時: 2018/06/13 00:00
- 名前: うに (ID: pH/JvMbe)
翼をゆっくりと切り取られていく。苦痛に染み出す脂汗が流れ落ちていく速度より、ずっとゆっくりと。
「無理だよ、やっぱり・・・・・・いやだ」
声がすぐそばで聴こえた。彼の喉の震えは、そのままわたしの右肩に伝わっていた。それから、冷たいのにあたたかな、きっと舐めてみたら悲しい味のする涙が服を濡らしている感触も。彼の名前を呼んで大丈夫だと繰り返す。
ごめんね、嘘だ。大丈夫なわけがない。翼を奪われる痛みより、彼の嗚咽が響いて胸が、頭が、割れるように痛い。痛くて痛くてたまらない。こうして彼を真正面から抱きしめているけれど、本当はもっと長く、強く抱きしめていたかった。
けれどもう、さよならになる。わたしは大丈夫だけれど。彼に悲しみだけを残して、新しい苦しみを与えることになってしまうのが恐ろしくてたまらない。だって彼は泣いているのだ。これからまた彼が涙を流したって、わたしがずっとそばにいて、大丈夫だと何度も何度も伝えてあげられなくなるのがさみしい。
きっと彼は大丈夫じゃない。それが悲しくて、嬉しくて、そしてなにより苦しい。
もう、さよならになる。
2度目のさよならだけれど、今度こそ次はない。
わたしは、大丈夫なのだけれど。
「・・・・・・ッ!」
飛び起きた。心臓が痛いほどに脈打っているのはなぜだろう。シャツが張り付くほどに汗ばんだ身体はなぜだろう。僕はベッドの上で座り込んだまましばらく動けなかった。夢を、見ていたのだと思う。いやな夢のようだったが、きっと悪夢ではなかった。ただただ悲しくて、苦しいだけの夢だ。
僕はふぅと大きなため息をついてあたりを見回す。あの墓地を出て、今はもう主のいない家で休養させてもらおうとしていたのだった。メディイカはどうしているだろう。僕はベッドから抜け出して、そう広くはない家の中を歩き回る。メディイカは大きな窓のある部屋のロッキングチェアに赤ん坊を抱えて座っていた。
「・・・・・・あ、ゼラ。起きたのね」
大きな窓から見える夜空は、端っこのほうが白んできていた。メディイカはずっとこうしてこの夜が過ぎ去っていくのを眺めていたのだろうか。顔をのぞき込むと、彼女は少し困ったような表情で、それでも笑った。
「少し、眠れなかったの」
「・・・・・・大丈夫? 子守なら、僕が」
そっと両腕を差し出すと、メディイカは小さく首を横に振る。僕は戸惑うように不器用にその手を引っ込めた。
「・・・・・・これから、どうしようか」
そう、僕たちの旅は大失敗に終わった。目指した楽園は焼き払われたあとで、僕たちに残されたのはひとりで生きていくことすらできない赤ん坊だけだった。
僕はメディイカを、あの家に帰そうと考えている。彼女には彼女を愛してくれる人がいるし、僕に攫われたのだと言えば、これまで以上に大切に神さまの手から守ってもらえることだろう。こんなふうに別れてしまうのはさみしいけれど、どの道と比べたってずっと幸せで、安全だ。
けれどメディイカははっきりと答えた。
「まず、この村の人たちを弔ってあげなきゃいけないわ」
メディイカが無理に出したような明るい声で言う。
そうだ、彼女はやさしいから。切り株の上に放置されていた赤ん坊を抱き上げたのも彼女だし、至る所に血が飛び散ったり、散らかったりしていたこの家を僕が眠りこけているあいだに綺麗にしてしまったのも彼女だ。
「それから、全部の家を綺麗にするの。汚れたままじゃ可哀想だし、旅の人が来たりしたらびっくりしちゃうわ」
ロッキングチェアがひときわ大きく揺れる。彼女は笑っているのだろうか。僕にはよくわからない。きっと暗いからわからないんだ。僕たちの話し声に目を覚ましてしまった赤ん坊がぐずりはじめる。
「この子は」
メディイカはさっきから、言葉を止めたくないかのようにかすかに震える声で話し続けていたけれど、そこでぴたりと止まってしまう。昇りはじめた朝日が彼女の頬に落とすやわらかな睫毛の影がゆっくりと動いている。
「私たちでは、きっと幸せにできないわ」
ただ、翼がないだけのいきものがひどく遠いもののように感じられた。僕らはまだ幼くて、いつ「居なくなる」かすらもわからない。この子に度重なるような喪失を与えたくはなかった。
僕はメディイカの言葉に頷いた。
——せっかく生まれてきたんだ。
そんな言葉が脳裏を過る。違う。あれはあの男の言葉なんかじゃない。せっかく生まれてきたのだから、この子にはちゃんと幸せに生きてほしい。ただ、それだけだ。
「その子は孤児院に預けよう。そう、明日にでも! 事情を話せばきっとわかってもらえるさ」
そうね、とメディイカはつぶやくと赤ん坊の丸い額をやさしく撫でた。
「そうね、きっと幸せになれるはずよ」
彼女はひどくさみしそうだった。赤ん坊の母親が死んでしまったこと、ひとりぼっちになってしまった赤ん坊を手放さなくてはならないこと、これから先のことはなにもわからないこと。いったい何が彼女を悲しませているのだろう。
飛ぶことはできない。彼女を何度も傷つけた。僕は僕すらも理解できちゃいない、無力でばかな男だけれど、ただ彼女のこころを知って、できることなら幸せにしてあげたかった。僕のこれからは、ただそれだけだった。
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