複雑・ファジー小説
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- ときめきと死す
- 日時: 2018/07/19 17:58
- 名前: 夢野ぴこ ◆IvIoGk3xD6 (ID: w32H.V4h)
どうにかこうにかして、死にたいと思っていた頃だ。
夏。通り、過ぎていく。ゆらゆらと揺れる蛍光灯のしたに、僕は蝉の死体のように転げていた。吐く。吐き、自分の吐瀉物の臭いが気持ち悪くなって、また、吐く。それを、さっきからずっと、やっている。
自分の指に纒わり付く涎を地面に擦り、生理的に溢れる涙を拭いもせずに、月の下、崩れる。自律神経が、僕の身体そのものが、落ちていく。これでも死ねないかと思っていた頃だ。これなら死ねないかと思っていた頃だ。これから君に会いに、死ににいくつもりだ。いい加減に死なせろと叫んでいる。右手首から流れる血が、ゆっくりと、地面に広がっていく。
夏。終わる。夢は果てゆく。逝く。焼けるような暑さの日、白いワンピースとひらひら風で遊んだ彼女も、盆と消ゆ。ガラス玉、割れて、僕の手の中から血が溢れ出す。大きく息を吸いこんで、広い、広いと笑い、僕にキスをした彼女は、夏と心中して居なくなった。僕の彼女は、居なくなった。
夏、
「あのね、そのバスは今日も来ませんよ」
*
前 星野夜鷹 >>1-10
後 蜷川曜平
色々とやっていましたが、立ち止まってしまいました。しばらく時間が欲しいのです。うまくいきそうだな、と思ったら、他の小説にも手をつけます。
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- Re: ときめきと死す ( No.2 )
- 日時: 2018/04/27 04:11
- 名前: 夢野ぴこ (ID: lQjP23yG)
たばこの煙がぷか、ぷかと、水色の空へ上がっていく。途中で行方を見失ってしまいそうになる、ところに向かって、またハーっと煙を吐き出した。白い煙は天まで登ってゆく。のんびりと、ゆらゆらと。
私は、蜷川くんに恋をする、ただのフリーターの女だ。一人暮らしのアパートは二階。練馬区。駅からは、徒歩で十分くらい。出かける時は、練馬駅から都営地下鉄に乗る。とちゅうまでは夢うつつでシートに座っていられるが、新宿駅でどわっと車内人口は増える。バイト先が渋谷なので、青山一丁目で乗り換えをするのだが、身動きが取れないほど窮屈になった電車は息がしづらいし、隣に音が漏れていないだろうかと心配をして、イヤホンの音量を下げたりもする。単純に周りに迷惑をかけるのが嫌だし、私の音楽は私だけのものであってほしい。
その点、アパートは、近隣住民に迷惑さえかけなければ自由だ。誰にも干渉されない、私だけの城が持てる。蜷川くんは予想通り、起きたらホテルの部屋にはいなかった。荷物ごと、いなくなってしまったので、彼の吸っていた、同じ銘柄のたばこを購入し、一人で帰ってきた。次の仕事の出勤はいつだっけ、と右手で握りしめたスマホで確認をする。そしたら、シフトの欄はぽっかりと空いていて、私が次入ればいいのは、来週の、水曜日。けっこうまとまったお休みができてしまい、煙とともに「うぁ」と変な声を吐き出した。今週末は自由区のライブがあるから、と言ったら、かなり優しめにシフトを組んでもらえたみたいだ。雇われて半年目になるバイト、仕事内容は、渋谷の小さなライブハウスの清掃。なかなかいい職場だな、と思っている。ライブが始まる前の、しんとした箱の中、ステージに立ってみたり、する時に。大都市渋谷の、しょぼいビルの地下一階。ここでライブをする人たちは、駆け出しのアーティストばかりだった。大きな夢を持った彼らが、毎日入れ代わり立ち代わりやって来る。自由区はもう少し大きな箱を埋めるため、バイト先で蜷川くんに会えたことはない。
蜷川くんはハイライトを吸う。かなりのヘビースモーカーらしい。私、ベランダに一人、水色のパッケージからたばこを摘んで出した。安いライターで点火、すうって吐いた細い煙が風に乗って飛んでいく。
私はもともと、教室の隅で本を読んでいるような、根暗で真面目な学生であった。そのため、同じく根暗で真面目どうし、仲良くつるんでいた元同級生などに会うと、タバコなんて害でしかないならやめなよ、と真顔で言われる。私はその度に、へらぁと笑って、「早く死にたいからやっているんだ」と返すのだ。同級生らは驚いたような顔をする。名前が少し珍しい程度で、教室ではいるかいないかも分からなかった、地味な子でしたが、私。
「早く死にたいからやってるんだよ」
たばこを一本吸うと、寿命が五分縮むらしい。それなら最後まで、命をむしり取られる最後まで吸いたい。でも、フリーターの私にはそれが出来ない、お金がない。あと、来週、また蜷川くんに会えるっていう楽しみもあるし。蜷川くんの音楽が、弾くギターが、好きだ。そして、願わくば彼の辿ってきた道や、信仰や、大好きなハイライトを死ぬまで守りたいと本気で思っている。あぁ、気持ち悪い。気持ち悪い女だ。蜷川くんは高校の同級生だった。違うクラスであったが、最初は私にわざわざ会いに来た。綺麗な名前の女の子がいるって聞いてさ、と彼は言った。大きなギターケースを背負っていた。放課後。私は自転車を引いて、帰るところだった、夕方。
星のよだかが、青い宇宙をとんでゆく。
蜷川くんがはじめて作った曲は、自由区がはじめて出したアルバムにも収録されている。歌詞は色々と変更があったらしいが、ここの、このフレーズだけはこのまま使いたかったみたいで、自由区がアルバムを作ることになった際、蜷川くんから久々に連絡が来た。「よだかの歌詞、あのままアルバムに入れていい?」と。高校一年生の時に作った歌。いつから好きになったのかはもうわからないが、はじめてギターを背負って私の前に、彼が現れたその日から、蜷川くんの音楽に、世界に、恋してしまったのかもしれない。今だって甘い青春を夢見ている。二人で飲む約束を取り付けた。昨日を心待ちにしていた。案外簡単にホテルに行けた。蜷川くんは私を抱いた。夢見た彼は一夜だけ私のものになった。知ってた、高校の頃から蜷川くんの女癖の悪さは有名だったから。それでもよかったのだ、私は。
ぷか、ぷか。たばこの煙が飛んでいく。くらくらしてきたな、と思いつつ、最後、深く深く吸って、吐き出した。これを吸うときまって体調が悪くなる。貧血がひどくなるし、吐き気を催すこともある。でも、それだけ、私は死に向かって着々と近づいていっている、という確信が持てる。私は、すごくゆっくりと、ゆるやかに、自殺がしたい。烏滸がましいけれど、好きな人に、他の全てを捨ててまで、愛されたいと思ってしまうんだよな。狭いアパートで一生、ふたりで愛を誓いあって、確かめあっていたいんだ。吸殻を灰皿に押し付ける。蜷川くん、の人生に、私はちゃんと居るんだろうか。どうせ、キープその二くらいに思われているんだろうな。
夏、なんだか早く過ぎていく。ゆっくりと登っていった煙はもう見えない。今日の夜は月が綺麗らしい、綺麗なものを見て、素直に綺麗だという言葉を出せる人間になりたかった。テレビの中のアイドルは可愛い。蜷川くんも、いつか、トップアイドルのMysherryと共演したいと言っていた。その度に私は肩身の狭い思いをする。私、ね。あのアイドルグループの人気のメンバーと同じ苗字だから、私でいいじゃん。もうそんな上を目指さないで、置いていかないで。自由区がそんなに大々的に流行るとは思えないが、あの子が可愛い、共演してみたいという話を聞くと、なんにも関係ない私が苦しくなる。
ベランダから一人暮らしの部屋に足を踏み入れた。ものが散乱としている。そろそろ、片付けなければ。虫とか出たら、嫌だし。夏は特に気をつけなければならない。
テーブルの上には、酒の缶や薬や、払わなければいけない公共料金の請求書が散乱している。私はその一つを手に取ってみる。ガス代。宛先、星野夜鷹さまへ。
星のよだかが、青い宇宙を飛んでいく。
やりきれないので、スマホで再生を始めた。私の名前が歌詞になったこの曲が、自由区で一番好きである。
- Re: ときめきと死す ( No.3 )
- 日時: 2018/05/09 08:44
- 名前: ゆめのぴこ (ID: a0p/ia.h)
「星のよだか」は、アルバムの七曲目に入っている。綺麗な旋律と、星空に寄り添うように流れるギターが聴き所である。退廃音楽ばかり作っている自由区が珍しく作った、少しだけ、希望のある前向きで明るい歌。ドラムの音が、ゆっくりとイントロのビートを刻む。チープなCDだ、ボーカルが息をすうっと吸うところまで聞こえる。
蜷川くんが、私のために作った歌だと聞くとどきどきする。しかし、彼は「星のよだかが青い宇宙を飛んでいく」というフレーズを使いたいだけだったのた。星のよだか、青い宇宙。どうして人間は星空にロマンを感じるのだろう、星なんて、だいたい全部ゴミ屑なんだよ。バイトの帰り道、あぁ月が綺麗、星も綺麗、と思って立ち止まることがあるけれど、スマホのカメラを向けてみても、それらは上手く写ってはくれない。一眼レフでも買ってみればいいのだろうか? どうせゴミしか浮いていない空を、たっかい金を出して買ったカメラで撮るのか? 少ないバイト代だから、もう少し有意義に使いたいものだ。
星野夜鷹という名前について、私は別に名付けた親を恨んだりなどはしていない。ただ、名乗った時、綺麗な名前だねと褒められる度に、夜空をかける鷹なんて、素敵でもなんでもないだろうと思う。
東京はビルが高く、街が狭いのだ。星をかけるよだかなんて、見えない。し、そんなものはいない。私の綺麗な名前は全てが幻想。幻想を背負っていきていくんだ。それってもう、死んでいるようなもんじゃないか? 星のよだかは墜落し、蜷川くんはライブハウスでちょっとだけ私を思い出しながら「星のよだか」を演奏する。高校の時、私のクラスにやってきた蜷川くん。「綺麗な名前の女の子がいる」って指さして、彼はすぐに曲を作った。公園のブランコで、膨大な量のルーズリーフに何かを書きなぐっていた。歌詞を直接見た時は恥ずかしさがこみ上げてきたが演奏を聞いたら、やっぱり、素直にかっこよかった。星のよだか。今、星のよだかは、墜落死してしまいました。星野純華ちゃんの曲でも作ってたら、今頃バカ売れだったろうにね。
公共料金の紙を踏んづけて、二本目のタバコに火をつけた。煙はぷかぷかと飛んでいく。蜷川くんは、また週末可愛いラブホテルに連れて行ってくれるらしい。
そんなこといいから、東京を少し離れて、星空の下、宇宙を翔けるよだかを、この目で見てみたいな。彼女でもない女の、こんな願いは重いか。すーっと、タバコの煙を吐き出した。次蜷川くんに会えるまでは、まだ一週間ある。
- Re: ときめきと死す ( No.4 )
- 日時: 2018/05/13 14:30
- 名前: 夢野ぴこ (ID: v2BiiJyf)
バイト中。開店まではまだ一時間半あり、私達は誰もいない無音のライブハウスに、アンプや大きな機材を運び、照明を調整し、今日、もしかしたら、ここから大きな舞台に巣立っていくアーティストのお手伝いをする。昔は重くて持てなかった機材も、今や一人で運べるようになった。後輩の男の子にはとても心配される。でも私は案外、ひとりでも、生きていけるタイプなんだろうな。なんとも言えない顔の後輩くんを見て申し訳なくなる。「困った時には頼ってくださいよ」と彼は心配げに言っていたが、もはや私には、困っているものがない。重いものを運ぶくらい簡単だ、この仕事の経験が無い女子ならきついかもしれないけど、私はもう慣れた。
「よだか、そこは俺がやっとくから、お前はドリンクの補充しておけよ」
高くも低くもない、落ち着く、中性的な声が、「よだか」と私の名前を呼んだ。振り返ると、黒髪をポニーテールに縛った、身長がすらっと高くて白のワイシャツにスキニージーンズを履いている、キリッとした風貌の女性と目が合った。
「ありがとうごさいます、霧美さん」
任せなって、よだかは週末の自由区のライブで頭がいっぱいだろうしなぁ。彼女はけらけらと笑って、重い機材をひょいっと持ち上げた。バイト仲間、名前は霧美さん。それ以外の情報はよくわからない。ミステリアスな女性なのだ。中肉中背、地味な顔つきで、流行のファッションもうまく着こなせない私にとって、霧美さんは究極にかっこいい大人の女性だ。歳は私の五つほど上だろうか。前に飲みに行った時も、霧美さんは自分の話はせず、私の話だけをずっと聞いてくれた。アメリカンスピリットを吸いながら彼女は、「そうかそうか、自由区の蜷川が好きなのかぁ、もっといい男なんて死ぬほどいるのにな、よだかにはそいつしかもう見えないんだよな」と、私の頭をぽんぽんと叩いた。霧美さんの恋愛の話も聞きたかったが、私はけっこう、日本酒一杯でくらくらしてしまうタイプの人間だ。気が付いたらお会計は済まされており、霧美さんの肩に捕まって、「蜷川くん、蜷川くん」と呪いみたいに吐き出す私を、タクシーで家まで帰してくれた。霧美さんは、とてもいい人だ。一人称、俺だけど。最初はびっくりしたけど、霧美さんくらいかっこいい女の人なら、途中から何も気にならなくなった。重い荷物を軽々と運んでいく霧美さんを、私は、オレンジのリキュールを補充しながら見ていた。私は高校の時から蜷川くんが好きだったが、霧美さんはどんな恋愛をしてきたのだろうか。いつもニヤリと笑って、狙った男を落としていく。店長さえも霧美さんには敵わず、開店前の店内BGMは、霧美さんが好きだという絶望的にやる気のない、やるせないUKロックが流れていた。
「私、こういうポワーっとした、生きる気力のない音楽が大好きです」
「だろうねえ、自由区なんて聴いてるんだから、これはドンピシャでしょ」
大きなアンプの上に座って、霧美さんは足を組み、二本目のアメリカンスピリットを箱から引き抜いた。
「……でも、私、やっぱり邦楽のほうが、自由区のほうが好き。蜷川くんには、振り向いてもらえなくたっていいんです。ただ彼の作る世界、紡ぐ言葉、ステージで浴びる歓声、それを守り通せたら幸せだなって」
夏、やっぱりすぐに終わっていく。霧美さんは一瞬、きょとんとした目で私を見たような気がする。けれどすぐに元に戻って、その綺麗な口を小さく開いて煙を吐き出した。そして、こう言った。
「よだかって、悲しいくらい一途なんだな」
- Re: ときめきと死す ( No.5 )
- 日時: 2018/07/11 03:33
- 名前: 夢野ぴこ (ID: MHTXF2/b)
「よだか、ビールひとつ」
ライブハウスのカウンターに、私と霧美さんはいる。私たちの今の仕事は、ライブ中、チケットを持ってきた人に、お好みのドリンクを注いで、渡してあげる、それだけだ。私は霧美さんの指示を受け、瓶ビールを紙コップに注ぎ、客に手渡した。ここは小さな箱だから、カウンターがライブハウス内に作ってある。だから、私や霧美さんなどのアルバイトも、タダで、舞台に立つアーティスト達を見ることが出来るのだ。後ろの棚にびっしりと並んだ、見たこともない種類の酒や、ばかみたいにたくさん置いてある紙コップにもびっくりしたが、やはり、ステージをここから見た時、とても、どきどきした。蜷川くんも最初はこういう会場からのスタートだったんだろうな。最初のファンになりたかった、「最初」とか「最期」にこだわりだすとキリがないけど、間違いなく私の、最期の恋は蜷川くん。目立った顔立ちではない。だけどどこか、言葉で言い表せない部分で、かっこいい。星のよだかなんて曲を作ってしまうところも、それが完成した時私に見せてきた笑顔も。
蜷川くんの好きな、これからやりたい音楽の系統は知っていた、だけど、「星のよだか」だけは違った。まるで綺麗な、この世のものじゃないような旋律に、空とか星とか、遠い世界の幻想を詰め込んだ音楽。蜷川くんの曲はたくさん聞かせてもらった。オルタナティブ、退廃的、そんなジャンルに入るんだろうな。でも、星のよだかだけは、クリスマスシーズンに街中で流しても、まったく違和感がないくらいの曲だ。どうして蜷川くんが、星のよだかをこんな曲にしたのかはわからない。一緒に聞いていた時、「この曲、ポップだね」と言った、私の何気ない一言に、彼は少し不機嫌になってしまった。音楽に関しても、蜷川くんの世界に関しても、ド素人な私は、あたふたとしながらも、この少ない語彙と情報では彼の世界には入れ込めないんだなと思ってしまった。星のよだか。ロックじゃないんだ、ジャズとかファンクとかでもないんだ、じゃあなんだ? 蜷川くんが目を輝かせてノートに何かを書きなぐっていた星のよだか、頭の中で流れ出すピアノが絡み合う綺麗な旋律。いつか生で、ライブで聞いてみたい。星のよだかは私ですって、ライブハウスの端っこで、密かに笑っていたい。この曲は前述の通り、素人の私が聴いても「ポップ」である。自由区のバンドコンセプトは、九十年代流行った洋楽を模倣したような、気だるさやチープさを全面に出したものだ。だからこそ、「星のよだか」の、明るくて王道なメロディが分からない。蜷川くんは、こんな歌が好きだったっけ?
「ラブソングか、この甘ったれた音楽は」
考え込んでいたら、横で霧美さんがふっ、と笑い捨てた。小さなステージでを四人組のバンド。どこにでもいそうな人たちと、どこにでもありそうな音楽。ラブソング。失恋の歌が、私は好きだなあ。この時点で私は幸せになるのにはとことん向いてないことがわかる。不幸でいるのが、きっと好きなんだな。ステージの上で「愛してる、君を愛してる」と叫び続けるボーカルを、見る。ラムのリキュールを継ぎ足しながら、私は自由区の曲を口ずさんでいた。音の圧に殺されそうなライブ会場では、控えめに歌っていれば隣の霧美さんにさえ気づかれない。少し暗い、カウンターの照明の下、本当にこいつらには、愛なんてわかるのかね。霧美さんは吐き捨てた。愛してるって言えば、私も愛してるよって言葉が帰ってくるような、そんな恋愛をしてきたんじゃないですか、と私は言った、ドリンクを注ぎながら。愛がどうとか、恋がどうとか、もう私にはわからない。霧美さんもそれを察したのか、はたまた霧美さん自身もそんな恋愛をしてきたのか。私は何か思いつめた表情をしていたらしい、霧美さんは、安心しろって、こんな音楽売れないから、と、また笑う。私も、はは、と適当に笑う。
後日、このバンドは有名なプロデューサーに目をつけられたらしく、誰もが知る事務所からメジャーデビューした。
- Re: ときめきと死す ( No.6 )
- 日時: 2018/06/11 00:58
- 名前: 三森電池 (ID: Ft4.l7ID)
蜷川くんとはホテルで待ち合わせをし、ホテルで解散する。白いシーツを引いて私は、私をほったらかしてスマホをいじっている蜷川くんの背中を見ていた。
いったいどんな女の子が、蜷川くんの彼女になれるのだろうか。アイドルみたいに可愛くて、スタイルが良くて、胸も大きくて、気立てが良くて、いつも蜷川くんの後ろに隠れるように立っていて、ニコニコ笑っている女の子。私とは正反対だな、私は何も持っていないな。蜷川くんは、あと数本しか入っていないセブンスターの箱から、タバコを取り出した。私の吸っている銘柄はハイライト。蜷川くんが吸っていたから、私もハイライト。なのに彼は、簡単に、セブンスターを取り出した。オレンジの安いライターで火をともし、すうっと息を吸った後、部屋中に白い煙が広がる。蜷川くんの口元から零れるように流れていく煙を見ながら、私もセブンスターにしよう、なんてことは、思えなかった。蜷川くんが吸ってたからハイライトにしたのに。煙草のことなんてよくわかっていないけど、甘くて、コクのあるような、パッケージもオシャレなハイライトが、私も好きだったのに。
大きなベッドに転がる。ラブホテル、内装はとてもきらびやかで豪華だけど、天井にはいくつか染みがある。どんなことをしたらここに染みができるのだろうか、と思った。蜷川くんは私に興味など示さず、煙草をすいながらスマホに文字を打ち込んでいる。二人分、大きなベッドだなあ。一回寝返りを打っても、まだ余裕がある。こんなとこに住めたら。ふたりぶんのベッドを独占してはしゃぐ私を、笑顔で叱る、彼がいたら。蜷川くんは私に見向きもしない。いつものことだから、あんまり気にならない。でも、もし私が結婚したとき、隣にいるのは蜷川くんではないのだろうな、それだけはわかる。それでも私は蜷川くんが好き。大好き。このために一週間頑張ったのに。蜷川くんは付けっぱなしだったテレビを消して、「よだか」と、背を向けたまま、私を呼んだ。
「俺、明日スタジオ練なんだよ。もう寝よう」
私、テレビつけてないと眠れないの、という言葉を飲み込んだ。部屋の電気がぱちんと消える。蜷川くんが、同じ布団に入ってくる音がする。もしかして、もう一度抱いてくれるのではないかと思い、彼の細い指に手を伸ばした。冷たい人差し指を、ぎゅっと握りしめた。でも、もうそこに、暖かい熱はない。しばらくして、静かな寝息が聞こえ始めた。私に背を向けて、蜷川くんは眠っていた。
その寝顔にキスをすることも許されない。広いベッドの天井を見つめているだけだ。今日はまだ、眠れなさそうだ。