複雑・ファジー小説
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- どうかこの手を離さないで
- 日時: 2020/06/10 03:12
- 名前: スペルミス (ID: IQFPLn6c)
これは、魔法が息づく世界のお話。
手を取り合い、生きていく人々の営み。
ひとつの世界を中心に、スペルミスが自由に物語を書いていきます。
【今まで書いたもの】
- Re: どうかこの手を離さないで ( No.4 )
- 日時: 2020/06/11 10:47
- 名前: スペルミス (ID: XomqbFXQ)
いつの間にか夢の中をさまよっていたエルネストを叩き起したのは、今日来たばかりの使用人の男だった。口枷をはめた異様な姿の男に、エルネストは動揺したが、彼が自分の服を指さし、軽く引っ張ったことで納得がいった。
「……服なんてどうでもいいだろ」
もう自分は捨てられたも同然だ。以前から仕えていた数人の使用人はいなくなり、今日からはこの奇妙な男のみとなった。とうとう人員を割くことすら嫌になったらしい、何年もあっていない父の顔を思い出してきつく歯を噛み締める。随分前に諦めていた、親からの愛情を求める情けない自分が、もう一度顔を出しそうになっていた。
ふいっとそっぽを向いたエルネストを男はしばらく眺めていたが、どうやら服を着替える様子もないことを察したようで、エルネストの細い腕を掴んだ。その男の行動にエルネストは驚き、思わずその手を払い除けた。
乾いた音が鳴り、エルネストから手を離した男は、不思議そうに少年の目を見つめていた。金の瞳は純粋に疑問を表しており、エルネストはどこからか湧いてくる罪悪感を必死に押し隠した。
「僕に触れると呪いが移るぞ……っは、そんなことも前のやつらは教えていかなかったのか? お前も可哀想な奴だな…………ってだから触るな?! 僕の話聞いてなかったのか?!」
お構い無し、といった様子でエルネストの服を脱がせようとする男に抵抗してみたものの、力も体格も叶わない男の前では無力だった。ぎこちないながらもエルネストの服を脱がせた男は、真新しい服をベッドの端に置くと、何も言わずに部屋から出ていってしまった。
裸の状態でぽつんとその場に残されたエルネストは慌てて用意されて服を着替え、あの男の不躾な行動に憤慨した。
- Re: どうかこの手を離さないで ( No.5 )
- 日時: 2020/06/12 18:58
- 名前: スペルミス (ID: Q7FEgXSL)
「あ……おい、お前! さっきのはなんだ!」
強引に服を脱がされてから数時間、いつも通りの時間に夕食を運んできた男に、エルネストは声を荒らげた。今日からは自分が主人だと言うのに、この男はその主人をぞんざいに扱ったのだ。
「お前は僕に仕えてるんだ、その自覚があるのか?」
よく見れば、手首には酷い傷跡が膿んでいるし、首にも跡が残っている。大方奴隷として安売りされているところを父が下働き共に買わせたに違いない。なぜ口枷を嵌めたままでいるのかは分からないが、そんなことはどうでもよかった。今必要なのは教育である。この男が、ちゃんと自分の言うことを聞くようにするための躾をしなければ。
「いいか、お前の主人はこの僕だ。僕の言うことが聞けなければお前を元いた場所に送り返してやるからな…………」
ベッドの横の机に食事の乗ったトレーを置くと、男は急にその場に座り込んだ。唐突のことに思わず口を閉じて、じっと男を見ると、俯いた横顔は辛そうに歪められ、先程自分を見つめていた金色の目はどこか虚ろに地面を見つめていた。
しかし、それも数秒のことで、エルネストがなにか声をかける間もなく、男は立ち上がり、よろよろと部屋を出ていった。まだ説教の途中であったことも忘れ、エルネストは再び呆気に取られたままその場に取り残されてしまった。
おずおずと、食事に手を伸ばす。前の使用人たちの作り置きなのだろう。味は以前と全く変わらなかったが、食事はぬるく、盛り付け方も酷い。眉根をひそめるも、どうにもあんな姿を見たあとで、呼び出してまで叱りつける気にはなれなかった。
それから少しして食器を下げに来た時も、部屋を再び掃除しに来た時も、注意してみるとどことなく足を引きずる歩き方であったり、片手を庇った動作が目立つ気がした。あんな様子を見てしまったからそう見えるだけかもしれないと、そう思いつつも、エルネストはじっと黙って男の様子を眺めていた。
その日の夜、眠る前に薬を持ってきた男に、エルネストは何も言わなかった。体調を整えるだけの何の役にも立たない薬を無理やり飲み込むと、「出ていけ」と一言だけ言って背中を向けて毛布に潜り込む。男は何も言わないまま、空になったグラスを持って、部屋を出ていった。
あんな奴のことを気にしてやる必要は無い。どうせ、あいつもすぐにいなくなるのだから。僕に興味なんてないのだ、あのようで分かる。そのうち嫌気がさして逃げ出すだろう。そうなれば、違うやつが奴がまたやってくるに違いない。そうしてもらった方がありがたい、あいつは不躾にも程がある。
身体を丸め、毛布を握りしめながら、独りの寂しさを押し隠すように、エルネストは自分自身に諦めろと何度も言い聞かせた。そうして、何時間もの苦悩の後にやってきた睡魔に任せ、意識を手放した。
- Re: どうかこの手を離さないで ( No.6 )
- 日時: 2020/06/13 13:32
- 名前: スペルミス (ID: Q7FEgXSL)
次の朝、朝食を運んで部屋にやってきた男はさらに体調を崩していた。
ぼんやりと虚ろな目はエルネストを見ているのかすら分からない。近づいてきた時に見た手首には布が巻き付けられており、そこからは薬草のにおいがした。膿んだ傷が原因で熱を出しているようだった。しっかりとした処置が施されなかったのだろう。
朝食は酷い有様だった。スープは冷たく、果物のカットも不格好である。しかし、エルネストは黙って食事をした。その間、男は朝の湯浴みの準備のために部屋を出ていった。
湯浴み。この瞬間が一番エルネストは嫌いだった。彼の呪いを表す禍々しい模様は、心臓を中心に体全体に広がっている。腕や足にまで広がったグロテクスな呪いの模様を、以前仕えていた使用人たちは恐れ、触れることを躊躇った。エルネストも、これが全身に広がった時が、自分の死ぬ時なのだと思うと、恐ろしくて仕方がない。
食事は半分も喉を通らなかった。ため息をつき、ベッドに寝そべって男がやってくるのを待っていたが、中々来る様子がない。まさか忘れているのかと思い、近くにある呼び出し用のベルを鳴らすが、それでも反応はない。僅かな胸のざわつきを感じ、エルネストはそっとベッドから降りた。
久しぶりに自分から部屋を出た。この部屋に軟禁されている訳では無いが、今まで外に出ると使用人に怯えられていたため、自分から出ようなんて思いもしなかった。ドアを開け、男を探して歩いていると、玄関の近くからくぐもった声が聞こえた。
薪を運ぶ最中だったのだろう、何本か抱え込んだまま男はそこで倒れていた。
顔は青ざめ、脂汗が滲んでいる。苦しそうに激しく胸を上下し、目はきつく閉じられていた。驚いてエルネストがあげた声にも反応はない。そっと近づくと、がりがりと強い力で口枷を噛みながら、唸っているのが分かった。
「……お前、獣人族だったのか」
むき出しになった歯は人間のそれより鋭く尖っている。金色の目から合わせて考えると、推測は確証に変わった。
獣人族の中でも魔力量の少ない個体は、一族の中でも恥として人間に売られることがある。そのように奴隷となった獣人族は、力仕事などに好んで使われているため、この男が獣人族でありながらあまり魔法が使えないことは何となく察しがついた。
この口枷にも納得がいく。彼ら獣人族は人間と同じ、またはそれ以上に知能が高く、労働力として使われる際には反発の声を上げさせないために言葉を奪うような形で従順にさせる拘束魔法を使われる。昔からの形式のようなものだった。
目の前で苦しむ男は、エルネストが体に触れても目を覚まさなかった。服越しだと言うのに触れた腕は熱く、身体中を熱が蝕んでいることがわかる。傷口に巻きついている布も衛生的とは言えず、それ自体が傷を膿む原因にもなっていそうだった。
エルネストはしばらくその場でしゃがみこんでいたが、不意に立ち上がると、男が抱え込んでいた薪をひとつ取り上げ、ずるずるとキッチンに引きずっていった。
「…… ファイア!」
窯に薪を放り込み、火をつける。手頃な鍋を引き出し、朝食用の水を部屋から取ってきて、流し込んだ。
貴族の血が混ざるエルネストは人よりも魔力量が多く、そこに知識が加われば大抵のことが出来た。呪いを受け、魔法をつかえば体調を崩すこともあったために今まで全く使わなかったが、こんな事態になってしまっては仕方がない。沸騰した熱湯が入った鍋を何とか床におろし、火を消火すると、壁に干してあった薬草を掴み、折って細かくした数本を一気に湯の中に突っ込む。すぐにじんわりと色が変わっていく。
「サナ・スピリトゥス・アニマ」
呪文の詠唱は精霊に捧げる祈りである。丁寧に節をつけ、音を奏でると、緑色だった熱湯が鮮やかなコバルトブルーに変わった。沸騰するほどの熱はきんっと一瞬で冷え、折って入れた薬草が全て溶け込み、ぱちぱちくすくすと弾けて消えた小さな水泡が薬の完成を示す。ふっと安堵のため息をもらすと、手近なグラスいっぱいに薬を入れて、男のそばに座る。
「おい、これを飲め」
軽く揺さぶると、金色の目が薄く開かれた。エルネストと、その手にあるコバルトブルーの液体をぼんやりと見つめながら、男は体を起こそうとする。どんな状況でも命令に従うようになっているのだろうが、それでも上手くいかないようで、やっと体を起こして壁にもたれかかった時には先ほどよりも具合が悪くなっているようだった。
「これを飲んだら楽になる。なぁ……飲めるか?」
床にだらりと落ちた手にグラスを握らせるも、男は一向に動こうとしなかった。痺れを切らしたエルネストはグラスを取ると、口枷の隙間から輝く薬を少しずつ男の口に流し込んだ。
最初、男は驚いたように瞬きを繰り返してエルネストを見つめたが、その真剣な表情を見たからか、または毒だとしても諦めがついていたのか、素直に薬を嚥下した。そうして、流し込まれる薬を全て飲み込んだ男は、力尽きたようにばたりとその場で横になった。
あの薬が効けば、直に熱は引くだろう。傷の手当は軟膏を探さがすか、ここになければ作らなければならない。父がここに偵察の者をよこすのは随分と先になるだろうから、しばらくはこの男と二人きりの生活だ。
ここでたった一人の世話役が死なれても困る。エルネストはそう呟きながら傷の手当用の軟膏を探し出し、自分の部屋から毛布を取ってきて、男の上に被せた。少しずつ良くなる顔色を眺めながら、何となく、湧き上がってくるむずむずとした気持ちを受け入れる。
誰かの役に立ったことなど、エルネストにはなかった。今まで、自分は誰かに疎まれる存在でしか無かったのに。
薬を定期的に与えると、男はその度に回復していった。それが何よりもエルネストを喜ばせ、備蓄してあった果物や干した野菜を煮ただけのスープで済ませた昼食にも文句はなかった。ゆっくりと状態が良くなっていく男を眺めながら、エルネストはその日、暖炉のそばで眠った。
- Re: どうかこの手を離さないで ( No.7 )
- 日時: 2020/06/13 16:09
- 名前: スペルミス (ID: Q7FEgXSL)
久しぶりに両親の顔を見たのは悪夢の中だった。
激しい苦痛で目を覚ますと、母が見たこともないような表情でエルネストを見つめていた。その目には明確な殺意と、身も骨もどろどろに溶かし尽くしてしまいそうなほどの愛情が燃えている。エルネストとよく似た抜けるような空の色を宿した目は、じっとりと我が子を見つめていた。
「よくお聞き、エルネスト。私はあなたを世界の誰よりも愛しているわ。そして、あなたも私を、母を世界一愛してくれている息子よ」
母の細い指がエルネストの頬を撫でた。額を互いに擦り寄せて、薄暗く質素な部屋の中で抱きしめ合う。
「だから、どうか、私を助けてちょうだい。私の願いを叶えてちょうだい」
祈るような母の声と重なるように、心臓に激痛が走る。思わず、痛い、助けてと声を上げると、母は愛情の籠った笑みから一変し、酷く醜い笑みで口の端を釣り上げた。
「あの男を殺しなさい、いいえ、それだけでは駄目よ。あの男の家族諸共、全員から、未来を奪いなさい。それだけが、嗚呼、それだけが私たちの望みなの!」
どこか恍惚とした、狂気に満ちた表情で天を仰ぎ、母はその場でぱたりと倒れてしまった。エルネストは驚いてその体に抱きつこうとしたが、胸の痛みは今や全身に広がり、思うように体を動かせなくなっていた。
心臓が脈打つ度に、全身の血管にガラス片が流れていくような痛みが走った。少しでも体を動かせば、その部分からぼろぼろに崩れていきそうだった。エルネストは息絶えた母の亡骸をどうすることも出来ずに泣きじゃくった。
遠くから足音が聞こえ、どうにか顔を上げると、そこには父がいた。父は、エルネストと母を、卑しいものでも見るかのような目付きで見下ろし、母の死体を何人かの使用人に運ばせた。エルネストは必死に母を呼んだが、誰も振り向きはしなかった。せめて最後まで母と一緒にいたいと、父にすがりついて頼み込んだが、父はそんなエルネストの腕を振り払い、怒鳴りつけた。
「触るな穢れた子供が! 呪いを伝染す気か! 」
ああ、そんなつもりじゃなかった。僕はただ、お母さんに、お父さんに、抱きしめて欲しかっただけなんだ……。
エルネストの声が届くことは無かった。もう誰にも触れられない、触れたら、きっとこの呪いが伝染ってしまう。全身の痛みは増していき、呪いの紋様がとうとう体を埋めつくした時、エルネストは蹲り、たった独りで息絶える瞬間を待ち望んだ。
- Re: どうかこの手を離さないで ( No.8 )
- 日時: 2020/06/13 20:55
- 名前: スペルミス (ID: Q7FEgXSL)
分厚い手のひらが、そっとエルネストの額を撫でた。
不意の感覚に目を開けると、金色の目がじっとエルネストを見つめていた。男の手がゆっくりと、汗で顔に張り付いたエルネストの髪を整え、水で湿らせたタオルを火照った首元に宛てがう。
魔法を使ったからだろう。エルネストの体を呪いによる痛みが襲っていた。今回は発熱も伴っているようで、昨日の男と同じような有様となっているようだ。情けないと思いつつも、ふと、霞んだ目で見上げる男の様子に安心する。
手を伸ばせば、男は不思議そうにエルネストに近づいた。呪いの紋様がうっすらと浮いた手を恐れもせず、男は、エルネストの幼く白い指先でぺたぺたと顔を触れられても何も言わない。自分の体温が高いせいで、今は男の顔の方が冷たく感じられた。
もう熱もない。ぼんやりとした意識の中でほっとため息を吐く。
「良かった……」
あのまま苦しんでいたらどうしよう。あの薬が効かなかったらどうしよう。昨晩、自分よりも気持ちよさそうにすやすやと眠る男を見てそんな不安はなかったはずだが……それでも、こうやってちゃんと効果が出た様子を見るのは嬉しかった。自分のような存在でも誰かの役に立てた。その実感が湧く。
エルネストが一通り満足し、腕を下ろして目を閉じると、再び男の大きな手がエルネストの髪を撫でた。体は熱で苦しかったが、その温かさは穏やかな気持ちをエルネストに与えた。いつ以来だろうか、こんな風に撫でてもらうのは。母が居なくなってから、こうやって自分に恐れることも無く触れてくれる人はいなかった。使用人も、専属の医者も、魔術師も、父さえも──エルネストの呪いを恐れて触れることを躊躇った。
髪や額を撫でた手が離れていくと、何となく寂しくなり、手探りで男の腕を探した。服を掴んで引き寄せると、今度は両手でエルネストの顔を包み込んだ。目を開けると、男がエルネストの額に自分の額を合わせていた。
『────』
人の言葉とはまた違うそれが、獣人族の言葉で紡がれる歌であることをエルネストは理解した。その瞬間、ふわりとした睡魔が瞼を蕩けさせる。驚くエルネストに、男はゆっくりと髪や頬をなで、安心するさせるようにその目を細めた。揺蕩うような旋律を、男の低い声がなぞる度に強ばった体から力が抜けていく。
夢見の魔法。小さな子供が初めて知る魔法だ。いい夢が見られますようにと、眠る我が子を守るように親がかける呪文である。魔力の低い者でも、子守唄のように歌うことで時折、効果が現れる。
抵抗する気も起きず、とろとろと意識が落ちていき、暗転する。最後まで男の手はエルネストを暖かく包み込み、穏やかな夢へと幼い意識を導いていった。
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