複雑・ファジー小説

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微睡みのエンドロール
日時: 2020/11/24 21:47
名前: ネイビー (ID: CAVbJ4NS)

※ドキドキのラブラブな話が書きたい(大嘘)。
※暇潰しの為の書き物。クオリティは低い。
※ネイビーは好きな色。
※よろしくね

Re: 微睡みのエンドロール ( No.6 )
日時: 2021/04/21 08:56
名前: ネイビー (ID: SjxNUQ9k)



 クリスマスの夜道は、平日ということもあって普段とそんなに変わらなかった。みんなが少し浮かれ、急ぎ足で家路に着いているぐらいで。少し前からあちらこちらで光り、主張を続けているイルミネーションも、毎日見ていると飽きてくる。少し落ちている僕の視力では輪郭がぼやけて映るので、正直煩わしい。

「これ、翠ちゃんに持って行って」

 店の片づけの後、田島さんがいつものタッパーではなく、プラスチック容器に骨付きどりを入れて持たせてくれた。田島さんが焼いた、香ばしい骨付きどり。あと、近くのケーキ屋で買ったという、ショートケーキを二つ。

「今年はお前を休みにしてやれんかったから。翠ちゃんにも、ちゃんと食べろって言っとけよ」
「お気遣いありがとうございます。いただきます」
「クリスマスぐらい、それっぽいことしとけや」

 田島の父親である田島さん。
 妙に親心のようなものを感じてしまって、少し居心地が悪い。田島さんが悪いわけではなくて、僕が慣れずに違和感を覚えているだけだ。
 もう一度、掠れた声でお礼を言い、ケーキが崩れないように慎重に自転車の前かごに乗せた。
 浮かれる人々を追い越し、翠のいるアパートに戻る。僕たちの家に。
 ブレーキをかけるたびに気になった中身は、きちんと形を保っていた。
 部屋に入る。暖房はやっぱりつけていなかった。翠は仕事を終えた後なのか、資料を隅に追いやってソファの上で脱力している。タコみたいだ。体は柔らかい。
 「田島さんから」と伝えると、のそりと起き上がる。
 「ああ、悪いわね」と淡泊に呟き、次に時計を見た。日付をまたいでいないことを確認し、安堵した様子だった。

「分かっていると思うけれど」

 ショートケーキを皿に盛っていると、翠が忠告する。

「これは、クリスマスケーキじゃないからね」

 別添えで袋に入っている、サンタとトナカイの飾り物はお役御免ということだ。

「……誕生日ケーキだろう」

 僕の声は震えていないだろうか。

「そうよ。一縷のね」

 骨付き鳥もあることを伝えたが、今はいいとのことだったので、冷蔵庫に閉まった。珈琲をうんと熱くして淹れる。翠の隣に座ると、ふんわりと煙草の匂いがした。

「一縷、誕生日おめでとう。あとで歌を歌ってあげるわ」



 甘すぎるケーキを食べた後、アコギを弾きながら外国の歌を歌い、翠は上機嫌だった。なんという歌なのか訊いてみたけれど、翠もわかっていなかった。よく歌ってくれた、と呟いたけれど、誰がとは訊かずにおいた。
 浴槽にお湯を張り、翠と一緒に入る。
 真っ白で美しい曲線をした翠の裸体。
 僕の胸板に背を預けるようにして、翠もどっぷりお湯に浸かる。長い髪が揺蕩い、僕をくすぐらせた。

「これ、痛いよね」

 僕が問うたのは、彼女の背中の痛々しい傷跡だった。
 彼女の美しい身体に唯一、そして大きな代償として刻まれている、刃物で切り付けられた跡。未だに触れることに躊躇する。
 彼女が髪を伸ばしているのは、これを隠すためだと気づいている。

「もう忘れちゃったわ」

 それは嘘だろう。
 翠の首筋に唇を這わせる。恋情とは程遠い。許しを乞うために、僕は何度でも上書きする。
 何往復か唇を移動させ、彼女の右耳を掠めたとき、たまらないといった様子で翠が僕の方へ向き直る。

「一縷……」

 抱きしめ、キスをし、求めあう。
 どちらも余裕がなかった。
 交わっているあいだ考えたのは、翠との初めて出会ったときのこと。僕はまだ、ランドセルを背負ってったっけ。うんと暑い夏の日だった。翠は今より髪が短くて、今と同じで煙草の匂いがしていた。
 記憶があまりにも鮮明で、今の翠を抱いているのか、過去の翠を抱いているのかわからなくなる。
 一体、僕はどちらの翠を守りたいんだろう。
 浴室ですべてを終わらせた後、「のぼせたわ」と翠が言うので冷たいレモネードを作る。時季外れの、きんっと冷えたレモネードを。





 宮川先輩のどこがいいのかって聞かれるけれど、正直アタシもよくわからない。あの人をいいなって思っていると言うと、周りからは絶対に「やめとけよ、あんな危ないやつ」って言われるに決まっている。だから絶対に言わない。
 アタシが彼を好きだと知っているのは、翠ぐらい。
 翠はすごくきれいで、落ち着いている。アタシとは性格もタイプも全然違う。
 派手なことや遊ぶことが好きなアタシと、本を読んだり絵を描いたりして静かにしていたい翠は、正反対。
 だからかもしれない。彼女には何でも話せた。
 「宮川先輩って知ってる?」と訊いた時、キョトンとした顔で「だれそれ」という答えが返ってきたとき、安心したもの。やっぱり翠は翠だなーと感心さえした。
 翠は、あまり人のことに興味がないようで、アタシに好きな人がいると知っても、そしてそれが悪名高い宮川先輩だと伝えても、「ふうん」で終わった。自分の全部を打ち明けなくてもいい翠の隣が楽で、息がしやすい。
 例え彼女に、アタシが小遣いを稼いでいる方法を教えたところで、特に態度を変えたり言いふらしたりはしないだろう。でも、やっぱり、言えないんだけど。
 うちの高校は私立の中でも底辺で、アタシみたいな決して授業態度が真面目とは言い難い生徒ですら、期末の学年順位が半分行くか行かないかぐらいまでいけちゃう。翠も別に勉強ができるわけではないけれど、クラス中が破裂寸前のおもちゃ箱みたいに騒がしいので、その見た目と雰囲気で頭が良いと見られやすい。実際、私とそんなに変わらないと思う。
 今も、もにゃもにゃした喋り方の先生が、黒板に英語の本文をダラダラと書き綴っている姿を、のんびりノートにスケッチしている。本文とか単語より、絵を描いている方が好きらしい。そしてそれが、まあまあ上手い。美術部に入ったらいいのに。
 授業が始まってすぐは、窓際に座るアタシが斜め前の翠にちょっかいをかけていたけれど、絵に向かう彼女の顔が真剣なものだから、すぐにやめた。集中しているとき、彼女の周りには膜みたいな物が張られていて、周りを一切受け付けなくなる。受動的だから案外すんなり外界からの影響を受けてくれそうだけど、彼女の雰囲気は独特で、触れようとする気を底から削いでくる。
 翠がそんな調子なので、アタシは視線を窓の外に向かわせた。
 別棟の3年生の校舎。
 こっそりカバンの中の携帯を覗いたけれど、メール受信欄にあの人の名前はない。
 宮川先輩は、今どこで何をしているんだろう。

Re: 微睡みのエンドロール ( No.7 )
日時: 2021/04/21 10:13
名前: ネイビー (ID: SjxNUQ9k)


 年末はずっと家に籠る予定だった。
 明日から店も休みという日に、田島さんはご丁寧に、ポチ袋に給料を入れて渡してくれた。毎年のことなんだけれど、パンパンに膨れたポチ袋から、折りたたまれた札束を出すのが面倒くさい。そしてこれも毎年なのだが、「翠ちゃんに」とお年玉をくれた。一体、田島さんは彼女をいくつだと思っているのだろう。

 「明日からしばらくは翠ちゃんタッパーも休みだから」

 ──この三千円で食いつないでいけよ、ということなのだろうか。
 まあ、翠なら絶対に余裕なんだろうけれど。



 突然の来訪者が、インターホンをずっと鳴らしている。夢を見ていた気がするけれど、ぷつんっと途切れて一気に現実に戻された感じがするので、内容までは思い出せない。
 寝ぼけた頭を起こし、とりあえずスマホを見た。
 12月30日。午前10時02分。
 宅配にしてはしつこい。少し前に投函されていた怪文書がちらついたけれど、いくらなんでもこんな年末に奇襲をしかけてくるほど、暇ではないだろう。
 翠は隣で起きているが──もしくは眠れていなかったか──、微動だにしない。

「おはよう」
「おはよう」
「なんか、鳴ってるね」
「ずっと鳴っているの。すごくうるさいわ。相手は想像がつくけれど」

 だからこそ、翠は出たくないのだろう。
 しょうがない。のそりと起き上がって、インターホンのカメラを覗くと、見覚えのありすぎる顔があった。

「うっわぁ……マジか……」

 頭を抱えそうになったけれど、諦めて通話ボタンを押す。

『寧々ですけど』
「わかります」
『早く開けてちょうだいな。凍えそうだわ』

 満面の笑みの叔母を見ると、既視感が強すぎて吐き気がしそうになる。この人に罪はないのだが。
 オートロック解除ボタンを押し、しばらくすると次は玄関のインターホンが鳴った。
 開けると、年齢不詳の細身の叔母が立っていた。──髪の色が、以前会ったときの白色からピンク色に変わっている。美容師という職業柄だろうか、容姿も服装も若々しい。というか色々と目立ちすぎる。

「寧々、参上しましたよん」
「お久しぶりです。連絡ぐらい入れてくれてもいいじゃないですか」
「抜き打ちだから」
「──なんの」
「抜き打ちだから」

 だから、なんの。
 僕を押しのけて、ずかずかと中に入ってくる図太さは相変わらずだ。
 ソファに深く腰掛けて「珈琲が欲しいな」と注文し、次に「ミドリンは?」とそれとなく訊いてきた。ここは喫茶店ではないんだぞと思いながらも、いつもの手順で珈琲を淹れる。この人は砂糖とミルクをたっぷり入れて飲むので、テーブルの上に二つを並べた。甘党なのだ。そういうところまで、あの人に似ている。
 佐野寧々は僕の父親の実妹だ。叔母にあたる。
 5年前に父親が亡くなり、そこから高校を卒業するまで、この叔母と一緒に住んでいたことがある。自由で縛りを嫌う叔母との生活は、縛りだらけだった父親との生活とは正反対で、ひどく緊張していたことを覚えている。どうしたらいいのか分からない。自由にって、何をどうすればいいのかがさっぱりだった。
 カチコチの僕を緩やかに溶かしたのは、紛れもないこの人の人柄だっただろうし、いろんな意味で裏表のない叔母の無神経さや鈍感さに許されている気がした。

「ねえ、ミドリンは?」

 思っていた以上の砂糖を入れながら、もう一度叔母が訊いた。

「寝ていますよ」

 寝室を見て僕は答える。
 なるべく二人を会わせたくなかった。

「──そっか。せっかくの年末なんだから、会いたいと思っていたんだけど」
「だから連絡ぐらい入れろって言ってるでしょう」
「それだと会わせてくれないじゃない」

 分かっているんだったら言わないでくれよ。うんざりした顔をしてみせたが、叔母は全然気にもしていないようだった。
 家を出て翠と一緒に住むことは、叔母が唯一反対したことだった。
 高3のとき、何気なく立ち寄った写真展。そこでフリーモデルとして写真に写っていた翠を見つけたとき、僕は過呼吸になって倒れた。色々なものが、断ち切ったはずの色々なものが、ぶり返して、体中を襲って、後悔とか罪悪感とか──言葉では表せられない感情が濁流のように襲って、溺れていた。
 ──わざわざ自分から近づくなんて、頭がおかしいよ。
 ──きみはいいかもしれない。でも、相手はどう思うだろうね。
 あのときの叔母は僕を殴りはしなかった。でも、握りしめられた両の拳は甲に血が滲むほど、爪がたてられていた。

「きみが元気で、ミドリンが幸せならハッピーだけどね」

 そう前置きして、叔母は声をひそめて言った。

「いつまで一縷として生きていくつもりなんだい、黎」

 僕の名前。
 久々に呼ばれて、一瞬誰のことを言っているのか分からなかった。
 不意打ちは、やはり戸惑う。

「うん。うーん、ああ、へへへ」

 乾いた笑いが出てしまう。
 黎。
 レイ。
 ──ゼロ。
 空っぽの僕。

「ちょっと、外に出て歩きましょうか。寧々さん」

Re: 微睡みのエンドロール ( No.8 )
日時: 2021/05/23 11:28
名前: ネイビー (ID: b634T4qE)



 ドア越しに出かけてくることを伝えてから、スウェットの上にダウンジャケットを着て、紺色のニット帽を被った。「その装備だけでは寒くない?」と叔母は片眉を上げたけれど、早く翠がいないところに行かないと、この人がまた何を言い出すかわからないので、軽く背中を押しながら家を出た。
 年末なので店はどこもやっていないだろう。冷たい空気を吸いながら、ぷらぷらと歩くことにした。途中で自販機があったので、叔母が「大人だから」という理由で熱いお茶を二つ買った。受け取り、手のひらにじんわりと広がる熱を感じて、少し落ち着く。

「珈琲の方が良かった?」
「いや、珈琲は自分で淹れた方が美味しいから」
「確かに。きみの淹れてくれた珈琲は、本当に美味しかったわ」
「それはどうも」

 叔母はずっとニコニコしている。表情筋が疲れないのかと思うぐらい。そして、何を言い出すのか予測がしづらいので、変に気負ってしまう。

「そういえば、美玲が一緒に来たがっていたわ」

 美玲というのは、この人の一人娘である。僕が叔母宅に居候ーー寧々さんが保護者として僕を引き取ったわけだけどーーしていた時、一緒に住んでいた。今は中学生になっているはずだ。

「あー、美玲ちゃん元気ですか」
「元気よ。きみにとても会いたがっていたから、一緒に来ればいいのにって言ったんだけどね」
「まあ、拒否するでしょうね」
「女心ってやつよー」

 叔母が笑顔を崩さないまま、ため息をつく。
 僕が翠と住むため家を出ると話した時、美玲はひどく怒り、荒れた。後から聞くと、僕のことをとても気に入ってくれていたらしく、あの暴力の数々は単なる嫉妬心から生まれたものだった。そんなわけで翠の存在を毛嫌いしていて、恋敵として見ているわけだ。そりゃあ、自分の好きな相手が女の人と同棲しているところに、わざわざ足を踏み入れたくはないだろうな。

「しかし、我が娘ながら男の趣味はあんまりね〜」
「本当ですよ。僕みたいなの好きになっちゃって、これからどうするんですかね」
「なにも身内ばかりをロックオンしなくてもいいと思うのよ。しかも大嫌いな愚兄の息子たち」

 叔母を見る。
 彼女も僕を見ていた。

「美玲の初恋は3歳。相手は一縷だったのよ」

 微かに耳鳴りがした。鼓膜を揺らす不快な音。
 一縷。
 宮川一縷。
 僕の実兄。翠を壊した人。僕を支配した人。父を、殺した人。
 彼について知らないことは多い。あの家で暮らしていると常識を逸脱しすぎて、感覚が鈍るどころか麻痺して壊死してゴミ箱にサヨウナラされることばかりだったから。兄弟という結びつきも、今となっては不完全だったと思う。
 気がおかしくなったように暴力を振るう父親以上に、「何かやるな」と幼いながらに思っていた。皮膚が粟立つほどの恐れの対象である実兄と、どんなふうに関わっていたかなんて、もう思い出せない。
 しかし、どういうことだろう。
 父親からも、妹がいるなんてことは聞かされなかった。僕は、自分がこの人と住むことになるまで、佐野寧々という存在を知らなかった。

「私は兄さんのことが大嫌いだったから、美玲には絶対に会わせたくないと思ってた。美玲が生まれて、旦那が亡くなってひとり親にはなっちゃったけど、保育園に預けて必死で働いていたわ。……だから、一縷が来てくれたとき、本当にビックリしたのよ。私は、妹がいるということを、兄さんは話していないと思ったから。それぐらい仲が悪かったから。だから、一縷がなぜ私のことを知っていたのか、私の働いている美容室を突き止めたのか、わからなかったのよ」
「……なんで、会いに行ったんですか」
「なにが?」
「あの人」

 兄さん、と呼ぶには抵抗があった。名前を呼ぶことは憚られた。なんだか僕だけは、その名前を言っちゃいけない気がして。
 ああ、と言ったあと、少しだけ間があった。

「これを言って、きみがどんな気持ちになるのか想像もつかないから、ストレートに言っちゃうけれど」
「大丈夫ですよ」

 努めて冷静に言った。

「黎をうちに住まわせてくれないかって、頼み込んできたの」

 疑問というより戸惑いの方が顔に出たと思う。当時中学生だった兄は、どこぞで仕入れた情報を頼りに、叔母の所在地を探し当て、僕との同居を頼み込んだ…?

「住所を聞けば、私も驚いたわ。そんなに離れていないところに住んでいたんですもの」
「……それで、寧々さんはなんて」
「ああ、断ったの」

 さらっと結果だけを言ったあと、カバンから煙草を取り出して火をつけた。長く吐かれる煙が、宙を漂う。そういえば、この人も喫煙者だな。

「旦那が病死してすぐだったし、美玲もまだまだ小さかった。自分たちのことで精一杯で、どんな理由があったにせよ、子どもをあと一人育てる余裕なんてなかったのよ。今みたいに、自分で独立もしていないし、土日は絶対に休めないから、友だちに美玲を見てもらっていたしね。それに、理由をいくら聞いても、一縷ははっきりとは言わなかった」
「そうなんですか」
「少し迷っていたようだった。でも、こちらにも生活の余裕がないと気づくと、それ以上無茶は言ってこなかったわ。ただ、美玲に会ってもいいですか?とだけ訊かれたの。私としては、会えば動悸がするぐらい嫌悪している弟の子どもに、美玲の存在を知られたくはなかった。それが正直なところなんだけれど……、でも、子どもに罪はないじゃない」

 中学生の頃の兄を思い出す。この頃から家にあまり帰らなかったり、連んでいる奴らの素行が一気に悪くなったりしていた。もともと頭の出来がすこぶる良かったようで、サボり気味だったけれど、成績はかなり良かったらしい。ただ、後から聞いた話だと、それはそれは悪事の限りを裏で牛耳っていたらしく、地元のいわゆる不良たちは、兄を苦手としていたようだ。

「美玲は一縷を見た瞬間、かっこいい!って目がハートになっちゃって。もう恋する女の顔になっていたのよ。その日はずっと遊んでもらっていたわ。ままごとをしたり、おやつを食べたりね。帰る頃になると、すっごく泣いて、一縷の服をガシガシ引っ張るものだから、伸びちゃって。引き剥がしたあとも、私の胸で泣いていたのよ。だから、『またおいで、今度は弟も一緒に』と声をかけたの。一縷は、わかりました、と答えたわ。ものすごくはっきりと。……でも、それっきり。それっきりで、おしまい」

 記憶にある彼の姿と、聞いた話とのギャップが凄くて本当に同一人物かと疑いたくなる。

「なんで、それを今更僕に打ち明けたんですか」
「さあ。そういう気分になったから。ミドリンがいる前では出来ない話じゃない」
「そうですけど」
「年末の挨拶なんて理由をつけたけれど、やっぱり納得がいかないのよ」

 ここからが本題、と言わんばかりに表情がますます柔和になる。

「うちに帰ってきなさい。一縷ごっこはもうやめて」
「ごっこ遊びのつもりはないですよ」
「なら、贖罪?罪滅ぼし?それとも罪悪感?罪、という言葉のオンパレードだけれど、それを背負う必要が一体どこにあるの?」

 叔母の歩みが止まる。アスファルトの地面に煙草を捨て、ブーツの先で火を踏み消した。温くなったお茶を一口飲んで、唇を湿らせる。こうでもしないと、言葉が枯渇して奇声を発しそうだった。意図しない奇声を。罪を。

「上手く言葉にしづらいんですよ。気持ちの整理は無理やりつけたと言っても過言じゃない。受け入れるしかなかった。翠と再会したときに、共有者がいたことで安心する自分もいたんです」
「共有者?」
「5年前を、知っている存在」

 そして、あの事件に至るまでの、緩やかな歪みと明らかな不調和を、僕と翠は共有していた。言葉など交わさなくても、僕たちは仲間だった。

「ミドリンは……、あの子は、わかっているんでしょう」

 僕はうなずく。

「きみが、一縷ではないことも。ちゃんと理解しているんでしょう」

 もちろん。
 周りはみんな、翠は精神疾患で、僕のことを一縷代わりにしていると思い込んでいる。でも違う。翠はちゃんと、僕が一縷ではなくて、僕がちゃんと『僕』だと分かっている。
 あの日、泣き叫ぶ翠を陵辱した『僕』だと。

「なんでそんな生き方を選んだの」

 ここで、くしゃりと叔母の表情が歪んだ。泣き出しそうな子どもみたいな顔。美玲とそっくりだ。

「後悔しているのよ。あの時、一縷が初めて会いに来てくれた時、もっと深く話を聞いてあげればよかったって。一縷から微かに匂ってくる煙草の匂いとか、平日の昼間なのに学校はどうしたんだろうとか……。住所を聞いていたのだから、私から連絡をすればよかったとか。そんなことが、頭の中いっぱいに溢れて眠れなかった」
「だから、僕を引き取ってくれた?」
「そうね。自分が後悔の気持ちで押しつぶされそうだったから。それも理由の一つ。自分でお店も出せて、生活もそこそこ安定していたのも、一つ」
「すごいですね」
「ありがとう。……でも、やっぱり、一縷の頼みを聞いてあげたいと思ったからかしらね。彼は、きっと黎をあの家から逃したくて、私に会いに来たのよ」

 鼻で笑いそうになったのを、なんとか抑え込む。どこまでお花畑な脳みそなんだろう。
 この人の中では、宮川一縷は綺麗な状態で記憶されているらしい。今の話が事実だとしても、その時の宮川一縷が何を思って行動していたかなんて、どちらでもいい。

「寧々さんは、説得に来たんですよね。僕が帰ってくるように」
「そうよ」
「僕が、幸せになることを放棄しても?」

 叔母の片眉が上がる。疑問を感じた時に見られる、彼女の癖。

「翠のいない幸せよりも、翠と一緒に不幸になりたいんですよ」
「よく分からないわね。同じ体験を共有して、そこから単なる共依存が生まれたとしか思えないもの。幸せとか不幸になる前に、蟲みたいにお互いの人生に寄生しているだけよ」
「辛辣ですね。そんなに翠が嫌い?」
「嫌いとか好きとかではなくて、きみの考えていることがわからないのよ。きみのしていることって、きみ自身も、そしてあの子のことも深く傷つけているとは思わないの?ましてや、お互いが了承したうえで、一縷のふりをして過ごしているなんて、気は確かなの?」
「もとから確かではないかな」
「だぁぁぁ〜っ!!!」

 額を抑えながら、大きく息を吐き、お手上げだと言わんばかりに僕に背を向けた。そのまま、スタスタと歩き始める。

「寒いから、家に戻るわよ」
「説得は失敗に終わりましたか」
「次は美玲を連れてくるわ」
「勘弁してくれ。戦争が起こります」

 

Re: 微睡みのエンドロール ( No.9 )
日時: 2021/05/29 10:01
名前: ネイビー (ID: b634T4qE)




 一縷が木原皐月のことを抱いていると知っても、俺は何にも感想を抱かなかった。
 ひとつ年下の皐月は、派手で可愛い見た目をしている。夜遊びや目立つことが好きで、喋る時の声がやけに大きい。頭が悪そうで、いかにも年上の男が好きっていう感じがして、ナイトクラブ等で会うとけっこう面倒くさい。人懐っこくていいじゃん、と一縷は言っているけれど、どうせまた飽きたら捨てるんだろう。

 俺と一縷は小学生からの幼なじみだ。家も割と近くで、登下校はなんとなくコイツと一緒だった。人形みたいなツラで、勉強も運動もできる一縷を羨望の目で見ていたこともあったが、時々垣間見える雰囲気の陰鬱さというか、どこを見て喋っているのかわからない虚な目などが不気味で、仲良くなってもいいものかと自問自答したことがある。自分と歳も背も変わらない少年に、防衛本能が働いていたのだろう。
 特に校内では話さなかったけれど、学校から遠い所にお互い家があるので、小学生にしては長い道のりを、二人でぷらぷら歩いて帰っていた。会話の内容は本当にくだらないもので、覚えていることの方が少ない。
 一縷がばちばちに暴力を振るわれていると最初に気付いたのは、俺の親父だった。
 こじんまりとした居酒屋をやっている親父が、定休日のその日、うちにプリントを届けに来た一縷と鉢合わせしたのがきっかけだったと記憶している。
 服の上から見えないところにある、痣、痣、痣、穴、穴、穴。親父は全てを悟ったようで、その日、一縷はうちで晩飯を食った。風邪で学校を休んでいた俺は、起きてみたら同級生が家で俺の茶碗と箸で飯を囲んでいるわけだから、とても驚いたけど。親父はけっこう情に熱いところがあって、一縷に弟が一人いることを知ると(俺もその時初めて知った)、タッパーにおかずを詰めて、持たせていた。弟は保育所や幼稚園にも通っていないとのことだった。


 中学で、なんかヤバいことに手を染め出した一縷を、ボケーと見ていた。監視なのか見守っているのか、無関係を装っているのかは自分でも分からなかった。ただ、一縷は面白い。飽きない。そして、クレイジーすぎた。60過ぎのババアと寝た時、それでどうして金をもらわなかったのか聞くと、「興味があったから」と答えるようなやつだった。「閉経ババアはもういいや」とも。
 とにかく俺の知る限りでも、色々と危ない橋を渡っているなという感じがあった。頭が切れて話がうまい分、自分が損にならないように物事をうまく運んでいた。ただのガキが、と甘くみているとかえって足元を掬われる。
「女に気に入られたらいい」
 そう一縷は話していた。
「その辺のバカ女でもいいし、クソババアでもいい。女は口が軽いから、なんでも喋る。旦那の愚痴、同僚の悪巧み、店の客の裏事情……ヤッたらヤッただけ、色んなことが知れる」
 中学生が知るにはヤバすぎる情報も、一縷は知っていた。それと同時に、どうでもいい話(〇〇中の教師の行きつけの美容院とか)も、細部まで記憶していた。いつどこでそれが役立つかはわからないから、と。

 俺の方も素行がすこぶる良いわけじゃなかったから、底辺の高校に入学した後、ますます夜遊びが激しくなった。皐月と出会ったのも、彼女が俺たちと同じ高校に進学することが決まっていたから、その辺りか。
 その頃には宮川一縷の存在は、周りではけっこう有名になっていて、下手に関わってとんでもない目に遭った人間も何人かいたので、一応、皐月には釘を刺していたんだけど……。どうやら、コイツは、校内で皐月と俺が話している姿を、きちんと記憶していたらしい。
「好きな女だったか?」
一縷がキョトンとした顔で訊く。俺たちは、俺の部屋で煙草を吸いながら、ぐだぐだと怠惰に過ごしていた。学校もサボって。
「まさかー。なんか騙されそうな子だから、お前に注意しとけって言ったんだよ」
「なにそれ。俺をどんな奴だと思ってんの」
「おっかねえよ」
「千明になんもしてねぇじゃん」
 確かに。昔ながらのよしみなのか、一縷は俺にはキレない。
「なぁ、そういえばさ。一年に目立たない美人がいるんだけど、お前知ってる?」
「……お前、また次から次へと」
「大嶋翠っていうらしいんだけど。皐月の友達」
「知らん知らん。つうか、皐月の友達かよ。お前、マジで刺されるぞ」
「千里が知らんってことは、あそこらの出入りはないのか。確かに遊ぶタイプじゃなさそうだしなー。なんで皐月と仲が良いのか分からん」
「聞けよ、人の話」
 ヘラヘラする一縷の足を軽く叩く。本当に軽く。叩くというより、撫でるという方が合っているかもしれない。根性焼きは残っているが、痣は中学以来、新しいものは出来ていない気がする。一度、最近父親はどうなん?と聞いたことがある。一縷はその時もやっぱり、ヘラヘラしながら答える。
「いつも通りじゃね」

Re: 微睡みのエンドロール ( No.10 )
日時: 2021/06/27 16:21
名前: ネイビー (ID: b634T4qE)


3

 家に戻ると、翠が煙草を吸っていた。相変わらず肌寒そうな恰好でガラス戸の前に座っている。叔母を見て、露骨に嫌そうな顔をし、見たくないものを見たといった感じで、ふいっと目を逸らした。そんな態度の彼女にも臆すことなく、僕を押し除けずかずかと中に入り、暖房をつける。それから上着を脱がず、バッグからタバコを取り出して、「しつれーい」と、翠の隣で吸い始める。
 心底迷惑そうに咳払いをした後に、ただ一言。

「もう帰って」

 翠の言葉が聴こえていないのか、聴こえていたけれど無視をしたのか。長く煙を吐き、空いた手で丁寧に磨かれた爪を弄りながら、叔母は口元を緩めた。
 先に吸い終わったのは叔母だった。
 翠は2本目を吸い出したが、叔母は寒そうに身を縮め、暖房の下で座り込む。
 居心地の悪いのなんのって。僕は叔母がいつ帰るのかそればかり気になってしょうがなかった。やがて、叔母は壁に飾られている一枚の絵に注目し、ほうっと溜息をついた。
 その絵は、厚ぼったい絵の具で描かれている。一見、濃い緑にも見えるが、見る角度を変えると反射して、光っているようにも見えるし、深い夜の空や静まり返った沼に覆い繁る藻の様な色にも見える。その独特な色の上に、濁った白いペンで無数の血管の様な線が張り巡らされている。翠の描いたものがいくつかこの部屋には飾られているが、彼女がこうような抽象画を描くのは稀だ。
 その絵に対して何か触れようと思って開いであろう口を閉じ、叔母の視線が翠へ向けられる。
 その視線が鬱陶しいのか、まだ吸える煙草を灰皿に押し付け、翠が僕を睨む。……どうして僕を睨む?

「なんだかひどく嫌われてるみたいだね。傷ついちゃうなー」

 空気を敢えて読まない叔母の言葉に、僕の口元が引き攣る。こんな状態でも笑顔を作る叔母のメンタルの強さが、どうして僕にはないんだろう。

「好かれていると思っていたの?お互いにそれは無いでしょう」

 諦めたのか、やっと翠が答えた。ガラス戸を閉めて、ソファに座り、膝を抱える。伸びた髪の傷みのない柔らかい毛先を弄りながら、静かに言葉の臨戦態勢をとる。そんな喧嘩腰にならなくても、空気は壊滅的に悪い。

「監視役…といったところでしょうか。すごく不快だし、放っておいてほしいというのが、正直な感想ですね」
「私はこの子の保護者で叔母よ。血の繋がりがあるの。甥っ子に年末の挨拶をするぐらい、当然のことだと思うけれど」
「そうだとしても、この家には私がいる。一緒に住む私の許可なく、我が物顔で踏み入ってくるなんて、常識知らずだと思いますよ」
「……きみは、この子のなんなの?」

 この子、を強調させて言う。僕はいつまでこの人の中で子どものままなんだろう。子ども扱いをされることに慣れていなくて、歯痒い。田島さんに対して抱く、むず痒さと似ている。

「まさか恋人なんて言うつもりはないでしょう」
「年末の挨拶が、婚約の挨拶になっちゃうなんて、飛んだ笑い話ですね」
「あってたまるもんですか、そんな冗談」

 女同士のギスギスした空気感に耐えられず、珈琲を淹れ始めた。叔母も飲むだろうか。飲んだら帰ってくれるかな。珈琲の匂いでどうか二人の刺々しさが柔和されてほしい。
 僕の時と同じ質問をした叔母の、言いたいことはわかる。
 五年前にあれほど、人間の汚い部分を見て、触って、感じたはずなのに。懲りないのか、この子たちは、と。笑っているけれど、怒っているのだ。其々の幸せというやつをどうして歩まずに、二人で不幸に落ちていっているのか。叔母にはそれが理解できなくて、もどかしいのだろう。…僕にだって、未だに明らかにできていないのに。

「私との関係、ですか」
「そうよ。保護者である私が納得すべき答えを、まだ聞けていないの。安心できないままでいるのよ」
「あーなるほど。一緒に住むときにお話はしましたが、納得はされていなかったんですね」
「強行突破だったじゃない、あのとき。どれだけ言ったって、きみたちは聞く耳も持たず、勝手に決めちゃったからね。止めることすら出来なかった。今も後悔している」
「私たちが一緒に住むことを?」
「……もっと前からだね」

 淹れたての珈琲を二人に持っていく。暖房の下に座っていた叔母は、のそのそとテーブルに近づき「ありがとう」と言って、一口飲んだ。僕は翠の隣に座り、ゆっくりと長く息を吐く。今まで呼吸を忘れていたのかと思うほど、長く。

「私と彼の関係はシンプルですよ」

 叔母が片眉を上げて翠を見る。
 答えが気になって、僕も顔を彼女に傾けた。

「共有者、ですかね」

 あっさりと。
 僕の答えたままの回答を口にした翠に、叔母も僕も口をぽかんと開けるしかなかった。当の本人は、どうして僕たち二人が間抜けな顔をしているのか分からないらしく、自信のなさそうに首を傾げる。困惑したようで、助けを求めるみたいな僕を見た。
 私、なにか、間違ったことを言った?
 その視線がそう訴える。
 ……本当に敵わない。この人には。

「……ふははっ」

 叔母が吹き出した。お腹を抱えて、ひいひいと笑い続ける。叔母の異変に今度は翠が驚いたようで、若干引いている。

「本当に!救いようのない子たちだね!」

 笑いが収まった後、叔母は珈琲を残して帰っていった。
 帰る間際、「またね」と言って。



『お詫び』
・前回のログで、田島千里の名前が「千明」となっている箇所があります。千里です、千里。


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