複雑・ファジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

十三人の葬列【美しい星 掲載】
日時: 2022/06/02 22:34
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

■目次

十三人の葬列

 第一章 >>1-2

 第二章 >>3-6

 第三章 >>7-8

豚の王様

 >>9-10

美しい星

 >>11

■連絡先
@r_playing_9

第一章 ( No.2 )
日時: 2022/05/19 22:49
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 毎朝、僕と浅葱は七時に校門をくぐる。通勤ラッシュを嫌がった浅葱が、登校という義務に対して最大限譲歩した結果だった。
 並んで歩く、その視線の少し下で黒い頭が揺れる。朝の冷気に染まった指先が、瞼を擦っていた。

「浅葱、寝た?」
「寝てない」

 もはや形骸化した確認をしながら、僕は教室棟へ向かう階段へ、浅葱は保健室へと向かう。最初は『ホームルームだけでも出たら?』と声を掛けていたけど、それも今はもうない。浅葱には浅葱の考えがあるんだろう。それでいいと思う。
 きゅ、と靴底が床と擦れて高い音が鳴った。いつもは朝練の声がそろそろ聞こえてくる頃なのに、今日はやけに静かだ。そのくせ空気は張りつめて、首筋にざらりとまとわりつく。

「……やな感じするな」

 呟いた声は、透明なまま消えていった。
 机に荷物を置いて、まだ暖房の弱い朝の匂いを吸い込む。肺に溜まった二酸化炭素を吐き出しきった時、外から足音が聞こえてきた。
 廊下を透かす窓に目を向けると、二つ結びの髪が揺れている。控えめなマスカラに縁取られた瞳が物憂げに伏せられているのを見て、思わずそっと引き戸に手を掛けた。

「渡辺さん、おはよ」
「あ、菅原か。おはよー」

 溜め息でも漏れ出てきそうな唇が、形良い弧を作る。緩く細められた目尻に、疲れが淀んで見えた。

「なんかあった? 疲れてそうだけど」
「あー、うん、まあねー……」

 曖昧な笑みが僕の顔の周りを漂って、また床に落ちていく。「僕でよければ、話聞くけど」と押せば、作られた頬の歪みがすっと溶けるように消えた。残ったのは、泣き出しそうな迷子の顔。狼狽えて一度引き結ばれた口が、そっと開いた。

「菅原ってさ、新聞部だったよね」
「ん? そうだけど」
「校内で起こった事件とか、前も調べてたりしたよね」
「ああ、うん、浅葱が助けてくれたやつかな」
「多分。あのさ、そしたら、うちのサッカー部も調べてほしいんだけど」

 小さく唇を噛む。白く揃った前歯に、淡くリップの色が移っていた。

「人が死んでたの。部室の中で」

第二章 ( No.3 )
日時: 2022/05/19 22:54
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

「──んで、そのミステリー小説ごっこがなんだって?」
「ごっことか言わない。実際に人が死んでるんだよ」
「人は死ぬもんだよ」

 加湿器が水を吸い上げる音だけが、カーテンの内側に渦巻いている。無造作にベッドの端へ蹴り寄せられた掛け布団が、足の動きに合わせてまた皺を増やした。気怠げな声が少し掠れているのは、膨らみ始めた喉仏のせいだけではないだろう。前髪の向こうで、瞳が瞼に隠れては現れを繰り返している。昼間の柔らかな光が入り込んで、少し黄みがかって見えた。
 その双眸に「はやく」と急かされて、僕は持ってきていたメモ帳を開く。そこには今朝、サッカー部の部室で見た光景と、渡辺さんから聞いたことをまとめていた。黒鉛で浅く掘られた紙を親指で撫でて、軽く唾を飲み込む。乾いた舌の根が潤ったのを合図に、口を開いた。

「被害者は田村信夫。今日、朝練の準備に来たマネージャーである渡辺さんと、部長の木村先輩が部室のドアを開けて見つけた。天井から縄で首を吊ってたらしい。その時点で先生を呼んだり一一九番に通報したけど、手遅れだったって」
「ふうん、それが? よくある自殺だろ」
「いや、それがそうも言えなくて、部室も昔の教室を使ってるから構造が大体同じなんだけど」
「……あぁ、踏み台がいるのか。縄を括り付けてぶら下がるには、教室の天井は高いからな」
「そう。必要なはずである踏み台が、無かった」

 ベッドのパイプが軋んで音を立てる。起き上がった上体が壁に背を預け、僕の正面を向いた。微熱のような好奇心が消えないうちに、メモ帳のページを捲る。渡辺さんにこっそり見せてもらった光景を、できるだけ鮮明に思い出しながら。

「二人で窓とか外に繋がるような場所を確認したけど、全部ダメ。窓も鍵が掛かっていたし、廊下側のドア上に付いた小窓も閉じ切ってる。換気扇すら止まってたって。僕も見たけど、鍵が無いとまともな出入りはできなかったと思う」
「鍵の行方は? その渡辺とかって女は鍵を開けたんだろ」
「それはマスターキーを借りたらしいよ。職員室に返す鍵は部屋の中にあって、普段使う先輩のスペアキーもその日は無かったみたいで」
「スペア? ……なるほどな、溜まり場か」

 シーツへ上に吐き捨てられた言葉に、苦笑いを返そうとしてやめた。昔、同じことをしたとき、『それは会話の放棄だ』と浅葱に言われたことを思い出す。あの頃から変わらない目に促されて、唇を湿らせた。

「まあ、その呼び方はちょっと厳しいけど、実際職員室を通さずに、部員が部室を自由に出入りすることはあったみたい。一応そういう時は、先輩もいることが前提だったみたいだけど」
「猿でも群れの規律を守るくらいの脳味噌はあんのか」
「なんでそんな見知らぬ人に喧嘩腰なの」
「嫌いだから」
「またそういうこと言って」
「それで」伸びた爪が唇を引っ掻く。「続きは?」
「部室にあったのは、ロッカーや休憩用のベンチ、部員が置いてた荷物だけ。でもそれだって台になるものは無かった。強いて言えば隅にあったクーラーボックスくらいかな。五十センチくらいの高さがあるやつ。あれなら上に乗れば天井に届きそう」
「あったって足元に無いなら問題は同じだろ」

 口元に置かれていた指が、ピンと立つ。まずは人差し指。

「不自然に宙吊りになった死体」

 中指がその隣に伸びる。

「内側から閉じられた部屋」

 並んだ二本の指が、くいと曲がった。幼稚園のお遊戯のように動く手の周りで、埃が渦を巻く。

「この二つに説明を付けるなら、現状ボス猿が持ってたスペアキーしか材料が無い」
「先輩が殺して、スペアで外から鍵をかけた、ってこと?」
「お前が持ってきた材料だけで構築するなら、一番シンプルな答えだろ」
「そうなんだけど、でも……」

 言いかけて、口を閉じる。部室に置かれていた集合写真。きっと今年の秋頃にやった試合だろう。自分を取り囲む十一人の部員と、同じユニフォームを身にまとって笑っていたあの顔。特徴的な切れ長の三白眼は、得意げに細まっていてもよくわかる。

「んだよ。はよ言えや」
「昨日、バスで先輩を見かけたんだよ、僕。一緒に乗ってたと思う」
「時間は」
「バスの? えーっと、五時かな。先輩が降りたのが二十分くらい」
「だけじゃなくて」
「だけじゃなくて?」
「犯行時刻の目処は立ってんのかよ」
「……あ、忘れてた」

 勢いよく飛んできた枕に鼻が潰れる。咄嗟に閉じた瞼の裏が真っ黒になった。

「ん˝むっ」
「駄目記者じゃねぇかやり直してこい」
「いや、待って、ごめんって! 違うんだよ、ちゃんと聞いてきた!」
「遅ぇんだよ」
「いだっ」

 肩に叩き付けられる硬い枕を受け止めて、メモ帳のページを捲る。

「二年生の授業終わりも大体僕らと同じ四時半。その三十分後に、部室に寄った渡辺さんが被害者と会ってる。渡辺さんが部室を出て、更に三十分後別の部員が忘れ物に気付いて見た時には鍵はもう掛かって、明かりも消えてたって」
「職員室で確認はしなかったのか?」
「みたいだね。そのまま帰ったって言ってた」
「ふうん、なるほど。なるほどな」

 僕よりも小ぶりな親指の爪が、唇に浅く食い込む。薄いそこが、引っ掻くたびに色をじんわり濃くなった。

「鍵を持ってる先輩なら、一度出てまた掛ければ良いけど」
「三十分までに犯行を終えるのは無理だな」
「でもそうすると、他に殺せた人なんていないよね?」
「考えられる線としては、渡辺とか言う女と部長の共犯か。渡辺の証言の裏が取れない以上、前もって鍵を受け取ってから殺して、朝は口裏を合わせれば成立する」
「渡辺さんが共犯……?」

 確かに有り得る。というより、この状況だとそれが一番自然だ。でも、あんなに思いつめた表情で僕に相談してくれた渡辺さんが、実行犯かもしれないなんて。

「まあ、現状出てる情報で組み立てるならそれが一番筋が通ってる。死体が夜のうちに、いきなりぶら下がったって言うよりはな」
「でも、それだって女子が男子一人の体を持ち上げたことになる。それも不自然じゃない?」
「そう、不自然なんだよ」

 ピースが足りない。呻くような低い呟きを零して、浅葱の言葉も止まった。閉じた唇をずっと引っ掻いてる。薄皮が剥けた下から血が滲んだ。それなのにまた同じところを弄るから、爪に赤色が移って広がる。それを見ない振りをして、メモ帳を閉じた。今はもう、読み上げることも書くことも尽きただろう。

「気になるよね、浅葱」
「気にならない。勝手に死んで勝手に騒いで勝手に書いてろ」
「そっか。でも僕は気になる。……放課後、先輩が行ってた病院に行ってみようと思うんだけど」

 指の動きが止まる。もう一声。

「浅葱が手伝ってくれたら助かる。頼らせてくれない?」

 情けなく合わせた手に返ってきたのは、この日一番盛大な舌打ちだった。次に苛立ちで爛々と光る目で睨まれ、「やだ」の一言でスリーコンボ。おっと、ダメっぽい。

「そう言えば何でもかんでも俺が頷くと思ってんじゃねぇぞ」
「ダメかあ」
「一人で行って来い。俺は知らん」

 掛布団の中に引きこもり始めた背中に何か言おうか悩んでいると、チャイムが鳴った。昼休みが終わる五分前の合図だ。保健室から教室はそこそこ距離があるから、そろそろ出ないといけない。
 立ちあがって、椅子をベッドの下に戻す。

「それじゃ、何かまた新しく分かったら伝えるね」

 そっぽを向いたままの頭に言えば、「早く行け」と突き返されて思わず噴き出した。

第二章 ( No.4 )
日時: 2022/05/19 22:57
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 この季節はどこの建物も、一歩踏み込んだ瞬間に中の空気へ頭まで浸かったような感覚になる。暖められた消毒液の匂いが肺に染み込んでいくのを感じながら、辺りを見渡した。
 大きな受付には看護師さんが四人立って、各々忙しなく仕事をしている。待合の長椅子にはサラリーマンらしきスーツの男性から、母親の隣にランドセルを抱いて座る少女、顔見知り同士なのか談笑する老人まで色々な人が自分の順番を待っていた。たまにスピーカーから番号を呼ぶ声が聞こえる。そのたびに柔らかそうな椅子から立ち上がって、またそこに目的を終えた人が座って。水が流れるように入れ替わっていく。というか。

「えっ、意外と多い……」

 平日の夜ってこんなにみんな病院に来るの?
 入り口のマットで止めてしまった足を動かす。靴底の雪をなんとなく落として、それとなく人の流れが穏やかな隅に収まる。なるほど確かにこれは、浅葱は嫌がるだろう。
 先輩はここで何をしていたんだろうか。死んでしまった田村先輩と何か関係があるのか。そもそもどうしてあんな、顔を殆ど隠すようにバスに乗っていたのだろう。まるで誰かの目を怯えるように。
 ぐるぐる同じところを辿り始めた頭を、一つ息を吐いて止める。こういうのに向かない僕が、うだうだ考えても仕方ない。まずは無難に受付に聞いてみよう。幸いこれから帰る人が多いのか、待合場所の賑わっている割に受付に並ぶ人はいない。鞄の肩紐をぐっと掴んで下に回すように引っ張る。腰の横に下がっていた鞄が背中まで持ち上がったまま、受付へ向かう。足取りは少し重く、躊躇って。眉尻は下げ気味。曖昧に笑みを浮かべて。そうすれば情けない声が勝手に出てくる。

「すいませーん、僕、城戸高校サッカー部の菅原なんですけど」

 カウンターの向こうでパソコンの画面に向いていた目が、僕を映してぱちりと瞬いた。怪訝そうに半開きになった唇が動く前に、更に続ける。

「部長の木村が昨日来たと思うんですけど、その、木村先輩から用事を頼まれてしまって」

 視線が僕の顔から少し下、ネクタイの辺りで止まって、ああ、と納得したように小さく頷く。これは当たりか?

「……ごめんなさい、どなたが来たかは個人情報になってしまうので、ご本人からご連絡頂けないと」
「ああ、そうなんですね。こっちこそすいませんでした」

 会釈して、そっかあ、どうしようかなあ、なんて呟く。看護師さんも申し訳なさそうに笑ってくれているが、確かにそれはそうだ。何のために受付も番号で呼び出してるのかって話になってしまう。でも多分、心当たりはあるようだった。それだけでも──

「いいじゃないの、忘れ物くらい渡してあげなさいよ」
「あ、ちょっと、中原さんっ」

 背中から聞こえてきたしゃがれ声に、焦ったように立ち上がる看護師さんの視線を追って振り向けば、胸くらいの高さにある顔が僕を見上げている。目尻の皺が穏やかに深くなって、「ねえ?」と繰り返した。

「え、と?」
「昨日あなたと同じ制服の子がね、鍵を忘れて行っちゃったのよ。それを取りに来たんでしょう? 困ってるだろうに、可哀想にねえ。リハビリしてたら頑張ってくださいって声をかけてくれるから、もう顔も覚えちゃったわ。良い子だなあと思って」
「鍵……?」
「あら、違うの?」

 首を傾げるおばあちゃんに慌てて「鍵だったんですね。忘れ物したとしか聞かされなくて」と合わせれば、笑って頷いてくれた。よかった。

「そうしたら僕、明日本人に連絡するよう言っておきますね。すいません、無理なこと言って」

 看護師さんとおばあちゃんに別れを告げて、病院を出る。流石に現物を見せてもらうわけにはいかないだろう。それにしても鍵、鍵か。普通に家の鍵とかかもしれないけど、朝のことが頭にちらつく。持っていなかったスペアキー。それはつまり、家に置いてきたのではなく、病院に忘れてきたから?
 バスを待つ間に、スマートフォンのトークアプリを開く。浅葱の名前を示す初期設定アイコンに触れて、一文字ずつ打っていく。ケータイに慣れ始めたと思ったら、この一面液晶の板になってしまった。ボタンを押す感覚が指先に響かないと、それだけで手元がおぼつかなくなる。

「た、だ、い、ま、っと」

 緑の枠に囲まれて表示されてから十秒。既読のマークが付いてもう一呼吸すれば、「進展は」と三文字だけが返ってくる。文字でも声でもぶっきらぼうだなあ。

「先輩は昨日、病院に来てたよ」
「何のために?」
「それは分からなかったけど、鍵を忘れていったらしい」
「鍵? 何の。部室か?」
「そこまでは分からなかった」
「言いくるめるのは得意分野だろ」
「プライバシーは大事だよ」

 送ってから、思わず笑ってしまった。何がプライバシーだろう。渡辺さんに頼まれたとはいえ、新聞部であることを口実に、入ってもいない部活の事情にここまで深く首を突っ込んで。
 バスが目の前に滑りこんで、ゆっくりと止まった。前のドアから乗り込んで、つり革を掴む。そこでまた、左手に握ったままだったスマートフォンが揺れた。ホーム画面から内容を確認する。

「早く帰ってこい」

 うん、そうする。
 返事は喉と液晶の間で、溶けて消えた。

第二章 ( No.5 )
日時: 2022/05/19 23:06
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 ナイターの照明に照らされた校庭では、また雪がちらついている。踏み固められて茶ばんだ上を、この一晩でまた白く塗り潰していくのだろう。そっとカーテンの隙間を閉じて、ベッドに向き直す。保健室の薄いマットは決して快適ではないだろうに、今日もこの一畳半の主は一日中君臨していたらしい。素早く指が操作するのは、液晶ではなく携帯ゲーム機のボタン。主にふさわしい傍若無人っぷりだった。

「遅かったな、昼には終わると思ってた」
「休み時間は限られてるからね。言われた通り、渡辺さんと木村先輩と……あと部員からは二人話を聞けたよ」

 昨日病院から帰ってきて、浅葱に頼まれたのは関係者への聞き取り調査だった。

『明日中に、部長とマネージャー、関係ない部員から一人ずつ話聞いてこい』

 風呂あがりにそんな文面を光らせる液晶を見たときには、思わず笑ってしまった。人使いが荒いなあ。

「まず話を聞けたのは渡辺さん。頼んだら朝早めに来てくれて。あまり人に聞かれたくないだろうと思ったから空き教室で話してきた」

 メモ帳を開いて、文字を指先でなぞる。



 遠くから朝練をしている野球部の掛け声が聞こえる中、渡辺さんは強張った口を開いてくれた。

「事件のこと、だよね」
「うん。話せる範囲で良いから、渡辺さんから見てどう思ったのかを知りたいんだ」
「良いよ。大丈夫」

 ボールペンの頭をかちりと押し込む。その何気ない音すら誰もいない教室の中では酷く響いた。

「じゃあまずは確認なんだけど、一昨日の夕方五時に部室に行って、田村先輩に会ったんだよね」

 こくり、と小さく首が縦に振られる。その動きを追って、結われた髪の毛先も揺れる。ふと、左右の結び目が少しずれているのが目に入った。

「吹奏楽部に友達がいるから、遊びに行ったの。練習してるとこ見学したりちょっと話したりしてから、帰る前に様子見ておこうと思って。その時は田村先輩、普通にしてたから、そんな、まさか死んでるなんて……」
「変わった様子とかも、特になかった?」
「うん。なんか、いつも通りって感じで……」

 ああ、でも。そんな呟きが聞こえて、メモに落としていた視線を上げる。

「私、今日部活お休みですよって言ったの。そしたら、『木村に呼ばれたから』って」
「あまり普段、呼ばれることはないの?」
「うん、ううん、えっと、そうだね。なんていうか」
「ゆっくりで良いよ、大丈夫」

 瞳が泳ぐ。膝の上のスカートが握られて、プリーツがくしゃりと皺を作った。

「上手く説明できるか分からないんだけど。あまり……木村先輩と田村先輩、仲良くなかったんだよね。なんだろ、木村先輩が田村先輩を嫌ってたというか、ううん、嫌ってたわけじゃなくて……弄ってた? 田村先輩、そこまで気が強くなかったから、黙ってたけど。あれを良い関係とは、言わないと思う」

 言い切ってすっきりしたのか、渡辺さんはそこまで言い切ると大きく息を吸い、ふう、と吐いた。揺れていた視線もしっかりしている。唇の上を舐める舌先にリップの赤味が持ってかれて、少し血色の悪い素地が見えた。

「なるほどね、同学年だからって仲が良いわけじゃなかったのか」
「先輩達が言うには、一年の頃からそんな感じだったみたい。でも三年生が引退して、木村先輩がキャプテンになってからは、特に露骨になって」

 憑き物が取れたように出てくる言葉を、たまに相槌を打ちながらメモに写す。

「露骨にってことは、部員みんなそれを知ってたの?」
「そうだね、知ってた」

 はっきりと頷くその顔が、やけに印象に残った。



 一通り話し終えて小さく息を吐きながら、手元のメモから浅葱へ視線を上げる。いつの間にか携帯ゲームは枕元に捨て置かれ、さっきまでボタンを連打していた指が唇を弄っていた。

「帰ってからのアリバイは無いけど、そもそも片道三十分かかるみたいだし、一緒に帰った友達もいるから、聞いてくれたら裏は取れるって」
「朝の動きは?」
「それも昨日の話と大差無かったよ。念のため詳しく聞いてみたけど。朝練の前準備で早めに来て職員室に鍵を取りに行ったら、保管場所に無い。そこで困ってたところに先輩が来て、一緒にマスターキーを借りたらしい。先輩の鍵は家に置いてきたって話してたみたいだね」

 蛍光灯がカーテンに遮られ、薄暗い中。確かめるような声は珍しく真面目な色をしている。

「なら、出てきた情報としては木村と田村の関係か」
「……ねえ浅葱、渡辺さんと木村先輩が共犯だったとして、同じ共犯者がこんな疑われるようなこと言うかな」
「お人好しか? 逆に木村をスケープゴートにしようとしてる可能性だってある」
「でも、二人の不仲は本当に部内じゃ目立ってたみたいだし」

 メモ帳を捲る。紙の端が薄汚れて柔らかくなっていることに気付いた。残りも少なくなってるし、そろそろ次を買っておいた方が良いのかもしれない。

「木村先輩、田村先輩と同学年の部員にも話を聞いてきたんだけど」
「ふうん、なんて?」

 話してみろと促されて、記憶を辿っていく。



「──ということで、大宮先輩にもお話を聞けたらと思うんですけど」
「はぁ? 警察にも先生にも色々言われて疲れてんのに?」

 話が終わった後、『部員の人とも話したい』とお願いした俺に、渡辺さんが空き教室から出るその足で紹介してくれたのが大宮先輩だった。
 日焼けか、それとも脱色か、茶色の髪が電灯に透けて黄色っぽい。木村先輩のように目つきが悪いわけではないのに、顔に滲んだ疲れと苛立ちが圧になっている。正直、廊下で擦れ違ったら目を合わせないようにしたい。
 それでも、渡辺さんが「私から頼んだんです。これから春になれば後輩も入って来るのに、もやもやしているだけなのは嫌で……」と間に入ってくれたおかげで、どうにか教室に戻ろうとする足を止めてもらうことができた。
 始業時間が近付きつつある廊下は、段々と人が増えて賑やかになってきた。僕達三人の横を通り過ぎていく視線が、たまに窺うように撫でては逸らされる。

「……場所、変えましょうか?」
「いい。めんどい。どうせ俺、別に渡辺と木村みたいになんか知ってるわけでもないし」

 隣で肩を縮ませていた渡辺さんが、「私、そろそろ先教室戻ってても良いかな」と囁く。確かにこんな誰が聞いてるか分からない中で、自分が遭遇してしまった事件の話をするのだ。聞いているのも、ましてや一緒に立っているのも気が滅入るだろう。

「いいよ、ここまでありがとう。なにかまた分かったら連絡するね」
「うん、よろしく」

 大宮先輩に会釈して、僕にひらりと手を振り、そうして二年の教室へと小走りで去っていく。ローファーの靴音は、一緒に空き教室へ向かっていた時よりも軽やかに響いていた。

「で、俺には何を聞きたいの? 田村が死んだときにはさっさと家に帰ってゲームやってたけど。なに、アリバイ無いと疑われるわけ?」
「ああいや、そうではなく。先輩には普段の部活の様子を伺えたらな、と」
「普段の様子?」
「えーっと、木村先輩と田村先輩がどんな関係だったか、とか。田村先輩、亡くなる前に木村先輩に呼ばれたって言ってたらしいんですけど」

 どう思いますか、と続けようとした口を思わず閉じる。見上げた大宮先輩は丸い眼をぱちりと瞬くと、堰を切ったように笑い出した。口元に当てた手の隙間から、堪えられない引き笑いが溢れ出す。思わず一歩足を後ろに引きかけて、踏み止まった。え、なに?

「いやっ、ない……それは絶対無い……いやもう今回のことなんも知らねぇけど、それだけは断言できるわ」
「どうしてか、お聞きしてもいいですか?」
「お前田村のこと知らないだろ」

 まだ余韻を言葉尻に引きずりながら、大宮先輩はそう言って大きく息を吐いた。唇の端が緩やかに吊り上っているのに、その目は暗い。当たり前だ、下を見ているから光が入るはずがない。
 ああ、この笑い方は知ってる。嘲笑だ。

「アイツ空気読めないしさ、その癖こっちが何言っても聞きやしねぇ。何か頼んでもとろいし。木村は特にチーム任されてるわけだから、相当苛ついてたんじゃねぇの? そんな奴とわざわざ、部活でもない時に会ったりしないだろ」
「……それじゃあ、木村先輩が邪魔な田村先輩を殺すために呼び出した、というのは?」
「ただの部活だぞ、そこまでするか?」

 ああ、でも。大宮先輩の笑顔がふっと消える。話し始めた時と同じ疲れた無表情で、吐き捨てるように付け加えた。

「田村が木村を殺そうとして、逆にやっちまったってのはあると思う。俺はそっちだと思ってるよ。」



「──ってことで、多分渡辺さんが誇張して言ったりしてるわけじゃなくて、本当に木村先輩と田村先輩の仲は悪かったんだと思う。というか大宮先輩の反応を見た感じ、サッカー部と田村先輩が険悪だったというか……」
「ようするにハブられてたんだろ。組織が一つあれば、内部に仮想敵を作って仲間意識を高めるのはよくあることだ。これだから集団でしか動けない奴は」

 は、とお手本のように鼻で笑ってみせる浅葱に、そうだねと頷く。僕はそこまで割り切れないけど、こうして一日カーテンで囲われた中で閉じこもっている浅葱にとっては、きっと集団で生活する人間の歪みはどれも俯瞰するものなのかもしれない。
 それでも、校舎まで毎日来てくれるのは、僕が連れ出すからじゃなくてきっと、浅葱もまだ期待を捨て切れないんだろう。僕の願望が、そう見せてるだけかもしれないけど。

「それにしてもなるほどな、田村が本当は殺そうとして、返り討ちに遭った、か。確かに木村のアリバイを知らない人間には、それらしく見えるシナリオだ」
「一年のサッカー部にもそれとなく聞いたけど、結構そう考えてる人は部内にもいるみたいだったよ。自殺じゃないっていうのと、密室って部分だけが独り歩きしてるみたい」
「自分から調べず真偽も分からない情報だけで考えた気になってんのか? 愚かだな」

 言いたいことは何個か胸に湧き上がったけど、唾と一緒に飲みこんだ。浅葱が僕のことを信頼してくれてると思えば、まあ、うん。

「それで、当の本人である木村には? 一番面倒なのはアイツだろ」
「本当に意地でも先輩って付けないよね」
「何か教わったことも世話になった記憶も無いからな」
「ううん、そういうことじゃないんだけど……」

 呻きながらメモをまた一枚捲る。浅葱の論理で先輩と呼べる人も、いつかできれば良い。取り敢えず今ではないんだろうけど。

「木村先輩と話したのは、昼に入ってから。前もって渡辺さん経由で連絡は取ってたんだけど──」



 教室からも校庭からも離れた、職員室の真下。三年生の自習室として開放されている第二会議室には、昼休みではしゃぐ足音も、賑やかな喧騒も届かない。普段使われないからだろう、暖房のスイッチも入っていないから、ブレザーの袖から冷気が入りこんでくる。それでも廊下の暖気が滲むからか、吐く息の色だけは屋内のものだった。
 行儀悪く机に座った先輩が、床につかない左足を揺らしながら口を開いた。

「それで」

 冷たい、明確に僕を突き放そうとする声に、思わず喉が強張る。木村先輩がこの場所を指定した理由がなんとなく分かった気がした。ここの空気とこの人の警戒は似ている。

「新聞部ってことは、どうせ俺が田村を殺しただとか面白おかしく記事にするつもりで嗅ぎ回ってんだろ。渡辺がどうこう言ってるみたいだけど、俺はやってない」
「僕は先輩が殺したと思ってませんし、記事にするかもまだ考えていません。過去の記事を読んでくれた渡辺さんが、何が起こったのか知りたいと、個人的に僕に依頼してくれたんです」
「でも田村を殺せたのは俺だけだろ」

 切り捨てるような言葉に、僕よりも言った本人である木村先輩の方が眉を顰めていた。

「鍵を外から掛けれたのは俺だけだし、その時間どこで何してたかって証明できるかっつったら何もできない。さっさと家に帰って一人でゲームやってただけだからな」

 嘘だ。先輩は病院にいた。二十分かけてバスに乗っていたのを僕は見ているし、証言だってある。

「確かに俺はやってない。待ってれば警察が調べてくれるんだろ。新入生が入ってくるまでには、下らない噂も消える」
「──本当に、下らないと思ってますか」

 三白眼が、椅子に座る僕を見下ろす。乾いた口が貼り付きそうになるのを引き剥がして、言葉を続けた。

「今の状況に、部員がこの状況に少なからず不安がっているんだと思います。人間は、理解できないものを疎み怖がって、理解できる枠に嵌め込もうとする生き物です。先輩が田村さんを殺してしまったという噂が広まるのも、理解できない状況を理解できる流れに嵌め込もうとしてるんだと思います。それが誤っているなら、ちゃんと理解できる真実を提示するのが、部長としての責任なのではないでしょうか」

 刺すような視線に、正面から見つめ返す。そうして何秒、何分経ったのか。先に折れたのは先輩の方だった。眼がたじろいで、逸らされる。舌打ちを追いかけて零れ落ちたのは、さっきとは比べものにならないほどに弱々しい本音だった。

「……俺だって、何が起こってんのか分かんねぇんだよ」

 なんだよみんなして、いきなり。続いたその言葉が聞こえてしまったのは、この教室が他から切り離されたように静かだからだ。だから、そこは聞こえなかったふりをして、話を続ける。

「だから、何が起こったのかを知るために、協力してください。先輩、ホームルームが終わった後、本当に真っ直ぐ家に帰ったんですか?」
「……なんで、そんなことわざわざ訊くんだよ。さっきも言ったろ」

 ここまで言っても口を割ってくれないのか。なかなか堅い。それでも、最初のやりすごそうと閉じた殻が、少しだけ開いた気がした。もう一息。引いてダメなら。

「先輩、本当は部室の鍵を忘れてきたのって家じゃないですよね。本当は、青葉大学病院なんじゃないですか」

 こんなのハッタリだ。子供の猫だましみたいなもの。こっちは『忘れ物は鍵』としか聞いていないし、現物を見れてもいない。それが家なのか、部室なのか、それとも他の何かなのか分かるはずもない。だから、鼻で笑われてしまえばそれまでだ。それでも。

「は? お前、どうしてお前が病院のことを知って──」
「──ここにいたんすか、木村先輩!」

 先輩が身を乗り出した瞬間、それまで静寂を保っていたドアが勢いよく開いた。どんなに力んで開けたのか、壁とドアがぶつかって鈍い音を立てる。その振動で第二会議室にピンと張っていた糸が千切れ、僕と先輩の間を埃と一緒に漂って床に落ちていった。
 開けた張本人は、僕には目もくれず先輩の顔を見つけると「職員室で大山先生が呼んでました。多分、あの、事件のことかと」と告げる。何に緊張しているのか、語尾がひっくり返って寸でのところで堪えた。
 目の前の机から、先輩が降りる。右足、左足とスニーカーが床について、ゴム底が擦れる高い音が鳴った。

「……それじゃあ、また何かあったらスマホでも、直接でも聞くから」
「はい。お時間いただきありがとうございました。何かあればご連絡します」

 立ち上がって会釈をしながら、ドアから出ていく背中を見送る。それも視界から消えて、階段を上るゆっくりした足音が聞こえてから、思わず溜め息を吐いた。間が悪い。悪すぎた。いや、誰のせいというわけでもないし、寧ろ今誰もが直接話を聞きたがる木村先輩とここまで話せたわけで、それは幸運だったのかもしれないけど。

「お前さ、菅原だろ、新聞部の」
「ん? うん、そうだけど」

 先輩に話しかけた時の勢いはどこえやら、乱入者はドアの前で立ったまま、窺うように僕を見ている。そういえば先輩って呼んでたっけ、それなら同級生か。
 黒髪がやや伸びている同級生は、しばらく僕の顔をしかめっ面で眺めると徐に口を開いた。

「調べてるならさあ、もう知ってるかもしれないけど、田村先輩いじめられてたんだよ」
「それは、木村先輩に?」
「だけじゃないけど……やってる側は楽しそうだけどさあ、見てる側はなんかもう、いたたまれないよな。それだけ」

 満足したのか、同級生も踵を返して廊下を歩いていく。
 会議室に備え付けられた時計を見れば、十時過ぎを指していた。どう見ても止まっている。まあ、普段使われない場所だから仕方ないだろうけど。
 聞いた話をメモ帳にまとめ、誰もいなくなった会議室を出る。鍵は当然、開いたままだった。

第二章 ( No.6 )
日時: 2022/05/19 23:10
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 話し終えた時には、バレー部だろうか。体育館から出てきた足音が続いて、保健室の前を通って行った。随分時間が経っていたらしい。
 浅葱は何も言わず、口元に指をあてている。伏せられた目が、ゆっくりと瞬きをした。一度。二度。閉じていた唇が動く。

「分かった」
「本当に? ここまでの話で?」
「大体何が起こったかは理解した。渡辺と木村に連絡がつくんだよな」
「うん、できるよ」
「じゃあ明日の放課後、そうだな、十七時にサッカー部員全員、第二会議室で集めろ。そこで話す」

 言われたことを、まずは渡辺さんにメッセージで送る。文面をもう少し整えたら木村先輩にも送ろう。

「でも、本当に解いちゃうなんて。やっぱり浅葱はすごいな」
「こんなん誰でもちょっと考えれば分かる。それより八尋、これ見ろ」
「なに?」

 浅葱が押し付けてきたスマートフォンの画面には、少しぶれた教室が写っていた。開いたドアの前から、中を撮ったような構図だ。壁に並んだ十二個のロッカー。窓際に置かれた、休憩用のベンチ。部屋の隅には大きめのクーラーボックスが一つと、それら全ての日常感が際立つ、床の大きなシミ。ピントが合わずにぼけているが、もしや手前の黄色は立ち入り禁止のテープなのではないか。

「この部屋のシミ──」
「待って浅葱サッカー部の部室なんていつ撮ってきたの?」
「うるさい授業中に決まってるだろ。それよりこのシミ」

 写真が拡大される。茶色く汚れたシミの周りに、埃が流されたようにもう一周縁があるように見える。

「これ、お前からも二重に見えるな?」
「え、うん。見える。どうかしたの?」
「いや、なんでもない。検算」

 それだけ言うと、浅葱は口を閉じてベットから降りた。鞄とコートを掴み、カーテンを開く。
 外では足跡一つない真っ白な校庭が、光に照らされてきらきらと輝いている。隣で同じように窓を覗いた浅葱が、鼻で笑った。


Page:1 2 3



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。