複雑・ファジー小説

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十三人の葬列【美しい星 掲載】
日時: 2022/06/02 22:34
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

■目次

十三人の葬列

 第一章 >>1-2

 第二章 >>3-6

 第三章 >>7-8

豚の王様

 >>9-10

美しい星

 >>11

■連絡先
@r_playing_9

第一章 ( No.1 )
日時: 2022/05/19 22:51
名前: 唯柚 ◆lUykKY/81I (ID: 8qQF9FdS)

 壁に付けられたヒーターに体が当たらないよう気を付けながら、二重になった窓を両方大きく開く。暖房で火照った頬を、十二月の冷たい風が撫でていった。肺の中の埃っぽい息を大きく吐くと、白い水蒸気になって暗くなり始めた外の景色に消えていく。何年経ってもこの空気の鋭さには慣れないけど、体中が何か綺麗なもので満たされるような感覚は好きだ。

「菅原くんわざわざ空気入れ替えてんの? 寒くない?」
「流石に暖房付いてる中で埃舞ったら、空気悪過ぎるかなって思って」
「偉いねー。うち一回開けたけど寒くってさー、適当に終わらせちゃったさ」

 隣クラスの渡辺さんが、廊下と教室を遮る窓から身を乗り出す。軽い声に自分も笑って返しながら、立て掛けていた箒で床を掃き始めた。掲示板に貼られた『掃除の手順。その一、机を後ろに下げる』という文字を横目に見ながら、机の下に箒を差し込んでゴミを取る。教壇から後ろの棚まで一通り集めてから、塵取りで拾い上げてゴミ箱に。微かに舞う埃が風に流されていって、思わず身震いをした。寒い。箒をしまおうと握ったロッカーの取手が、氷のように冷え切っていた。
 外を見ればさっきよりも夜の色が濃くなった空から、白く柔らかなものが降ってきている。慌てて駆け寄れば、窓際に落ちた雪が枠に触れて透明になり、形が崩れて水滴へと変わっていった。

「夜から明け方にかけて凄い冷え込むって。今年一番の寒さになるらしいよ」
「あー、そういえば天気予報でそんなこと言ってたかな……」

 窓を閉め、しっかり鍵をかける。机の上に置いていたコートを着て、マフラーを巻き、耳当てを付けて手袋をはめる。鞄を肩にかけて教室を出ると、渡辺さんがそっと横に立った。歩幅を小さく意識して歩くと、同じペースで僕の視線より低い二つ結びの髪が揺れる。

「出る前からめっちゃ着込んでんじゃん。笑うわ」
「廊下出るともう寒くて。渡辺さん待ってくれてたの? ありがとう。俺寄ってくところあるんだけど」
「知ってるー。能登谷でしょ? 同じクラスだし。今日部活無いし、どっかほかの部活に遊びに行く前に時間潰してただけだから」
「そういえばそうだっけ……。待たせてたんじゃないなら良かった」

 廊下を進んだ突き当りで、一度立ち止まる。左には渡り廊下、右には階下に続く階段。渡部さんはそのまま階段の方へ一人で進んで、不意に振り向いた。長いマフラーの端が一度浮かんで、ブレザーの肩に落ちる。薄い色のリップクリームが、蛍光灯に照らされて光っていた。

「じゃ、また明日」
「うん。帰る時気を付けてね」

 白い上履きが軽快に階段を下りていく。その先から、金管楽器の一音ずつ確かめるような音が聞こえてきた。そろそろ部活が始まる時間らしい。
 真っ直ぐ渡り廊下を歩き、そこから続く大階段を下りる。その先の廊下では野球部とバスケ部が窮屈そうにしながら、ストレッチの準備をしていた。その集団とぶつかる前に脇に続くもう一つの大階段を駆け下りる。外と壁一枚隔てただけの冷たさに体が硬くなる。右側の黄色い引き戸を開けば、また暖かい空気に包まれて息がふっと緩んだ。
 部屋の中央で二つ向かい合わせに置かれた机の片方で、几帳面に髪を一本にまとめた女性が手元から顔を上げてこっちを見た。会釈すると持っていたペンで、淡い黄色のカーテンに覆われたベッドを指す。入学してからこの数か月間で、すっかりこのやり取りも板についてしまった。
 緑色の敷パットの上で靴を脱ぎ、横の靴箱に入れる。僕のブーツの他に置かれているのは、あと一足だけ。僕よりサイズの小さいスニーカータイプの冬靴。
 足音を立てないよう、そっとフローリングを歩く。カーテンを揺らさないよう、ゆっくりと手を伸ばし──一気に引いた。
 カーテンがレールを滑る音にも平然とした声が鋭く切り込む。

「遅い。また無駄に雑用を引き受けてきたんだろ」
「……びっくりさせようと思ったのになあ」
「ドアを開く音は聞こえるし、そのまま無言で入るならやり取りがいらない、いつも来てる奴に限られる」

 こんなことも分かんないのか、と言いたげな視線に肩をすくめる。言われてみれば簡単なことだった。
 気恥ずかしさにむずむずする喉に咳を一つして、肩の鞄を持ち直す。中の筆箱と水筒がぶつかって音を立てた。

「もう帰ろう。雪が積もる前に家に着いちゃいたい」
「……まだ眠い」
「今起きてただろ。ほら早くしないとバスの時間過ぎるぞ」
「ふざっけんなその埃塗れの手で触んじゃねぇ」

 毛布を捲ろうと伸ばした手がはたかれる。不機嫌な猫みたいだ。

「埃塗れって」
「どうせ一人で教室の掃除してたんだろ。大方体育の後で部活まで時間が無いだとか適当な理由で押し付けられたか。ブレザーの袖に白い塵が付いてるのはコートを脱いで掃除をしてたから。コートの裾にも付いてるのは机か椅子──折り目から見て机か。上に置いてる時に垂れ下がって箒に掠ったから。お前は寒がりだから教室から出るならコートを絶対に着るのに袖が濡れてないから手は洗ってない」
「んんっ」

 もう一度伸ばしかけていた手を引っ込めて、そのまま顔の高さまで上げる。図星だった。
 僕の顔を見上げる目が得意げに瞬く。ベッドから這い出て帰る支度を整えるのを見ながら、毛布を畳み直しマットレスの上へ置いた。
 こっちなんか見ずに薄っぺらい鞄を掴み、カーテンを潜って出ていく背中を追う。さっさと進んでドアを開く浅葱あさぎの代わりに先生に会釈すると、先生は軽く手を振ってまた書類に視線を戻した。
 スマートフォンのホーム画面を開けば、四時五十六分を表示していた。次のバスは五時だ。少し待てば乗れるだろう。
 澄んだ空気を吸い込むと鼻の奥がツンとして、マフラーに埋める。視線を少し下げれば、街灯の光が当たる黒髪に淡い白が散っていた。覗く耳が赤い。

「浅葱、見るからに寒そうなんだけど」
「それは勝手にお前が俺に感情移入してるだけだ。寒くない」

 口を開くたびに、言葉が白く溶けていく。取り付く島もない言葉に「まあ、そうかもしれないけど」と返したところで、バスが来た。
 学生や会社員、買い物帰りらしき親子に混じって、二人掛けの座席に座る。視界の端ではこっちを向いて、揺れる靴先にじっと視線を下ろしている黒髪が見えた。いつの間に出したのか、堅牢なヘッドホンが耳を覆っている。
 僕たちの後ろに並んでいた列が乗り終わる。『発車します』という運転手の声と一緒にドアが閉まりかけた時、その隙間から滑り込むように黒いコートが乗り込んできた。深く被ったニット帽とマフラーで顔は分からないけど、コートから生えるスラックスがうちの制服だ。鞄は運動部が使うようなスポーツバッグ。
 じっと俯いていたと思えば、時折周りを窺うように顔を上げて、目だけを動かす。その仕草につい視線が引き寄せられた。

「──あ、」

 一瞬合った目が逸らされる。

「どうした、八尋」
「あー、いや、なんでもない」

 訝しげに名前を呼ぶ浅葱に、思わず曖昧な返事をしてしまう。長い前髪越しでもこっちを覗く瞳は、バスの照明の下で爛々と輝いていた。

『えー、次はー、青葉大学病院前。青葉大学病院前。お降りの方は──』

 降車ボタンが光る。夜という化け物の胃の中で、赤い目が僕たちを凝視している。
 ゆっくりと雪の上を止まって、脇腹のドアが開いた。彼は俯いたまま、逃げるようにステップを踏んで降りる。縮こまった肩は、ドアがまた閉じる前に見えなくなってしまった。

「んだよ、知り合いか」
「知り合いかって、まあ、うん、ちょっとね」

 窓の外を見れば、病院の入口が煌々と蛍光灯に照らされている。そこに向かって、黒い人影が歩いていた。足早に進む誰かが横断歩道を渡り切ったところで、バスの車輪がまた動き始める。あっという間に疎らな街灯が増えて、道沿いにも店の看板や窓から光が溢れ出る。降り続ける雪が歩く人を、ぼんやりと明るく照らしていた。
 コンビニ、スーパー、またコンビニ。角に交番があって、その向こうには学習塾から子供たちが出てくる。いつもの風景。いつもの帰り道。それでもこうして目で追ってしまう。きっとこの高校を卒業するまで、あと二年と数か月、飽きることはないのだろう。
 仕事終わりのサラリーマンが、コートの襟を立てて顎を埋めている。後ろではきっと買い物帰りなのだろう、幼い女の子が何かを一生懸命に話す声。隣には、しんと押し黙った浅葱。耳を澄ませば、ヘッドホンから漏れるドラムの音が聞こえた。浅葱にとっては威嚇音だし、僕にとっては聞き慣れたものだ。

『次はー、学園前。学園前。お降りの方は──』
「降りるよ、浅葱」
「……知ってる」

 僕が指を伸ばす前に、赤い灯りは瞼を開いた。
 先に立ち上がった浅葱を追ってバスを降りる。首に掛けられたままのヘッドホンにも、街灯で浮かび上がった雪が、触れては溶けて少し残ってを繰り返していた。
 教会の十字架に見下ろされながら、薄暗い路地を歩く。踏み出すたびに厚みを増した新雪が微かに沈んで、ずもりと鈍い音を鳴らした。通り過ぎる家の窓は明るく、換気扇からは仄かなスパイスの匂いがした。きっと今日の夕飯はカレーなんだろう。

「浅葱、今日の夜は何にするの?」

 雪の下に隠れているかもしれない氷にも怯えることなく、迷わない足取りは僕より速い。

「カップラーメン」
「また? 栄養偏ると背伸びないよ」
「皮肉か?」
「心配だよ。おじさんも気にしてたし」

 メトロノームのようだった靴音が止まる。思わず一歩前に出てしまった踵を回して振り向けば、いつも俯いている目が前髪越しに、正面から、僕のことを見ていた。

「お前も、親父の肩持つのかよ」

 思わず背筋が粟立つ。地面の雪が、風で舞い上がった。

「……別に、そういうわけじゃないよ。ただ、気にしてるって伝えてくれてって頼まれてたから。それに、僕も気になっちゃったし。僕は、浅葱の、味方だよ」

 一言ずつ、ゆっくりと。言葉が硬くなった顔に染み込んで、ふわりと和らぐ。「知ってる」と追い越しながら言った目尻は、もう強張ってはいなかった。よかった。

「兎に角、野菜は食べなきゃダメだよ」
「野菜ジュースは飲んでる」
「それは……まあ、うん、それならいいのかな……?」

 話し声は住宅街に響くことなく、止む様子もない雪に吸い込まれていく。遠くから、救急車のサイレンが消え入りそうに鳴っていた。
『この先私道』の看板前で立ち止まる。細い脇道を進めばマンションに続いて、反対側の道路沿いが僕の家。ここがいつも、浅葱と別れる目印だった。

「じゃ、また明日」

 ひらりと手だけを振って、浅葱が脇道に入る。それに背を向けて、僕は僕の家へ。
 暖色の照らす灯りが、冬の空気に負けず扉を照らしている。それをくぐれば、乾いた暖気が頬から手を伸ばし、すっぽりと僕の体を包み込んだ。


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