複雑・ファジー小説

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傍にいてくれたから
日時: 2023/11/18 00:14
名前: 紅茶 (ID: S26AM191)

あらすじ

香川裕子は、夫淳一と共に一軒家に暮らしていた。そんな裕子には、あるコンプレックスがあった。それは、自分が妻としての魅力がないということ。そのコンプレックスは、徐々に肥大化していく。

この作品は、短編小説になっております。感想等がありましたら、ご自由にお書きください。

Re: 傍にいてくれたから ( No.1 )
日時: 2023/11/18 08:34
名前: 紅茶 (ID: S26AM191)

第一話

ある秋の夜のことだった。
地震が起こった訳でもないのに、私の意識は突如覚醒する。周囲を見回せば真っ暗で、今が深夜であることが分かった。
「うぅーん」
私は低い唸り声のようなものを上げて、身体を起こす。そして、横に眠る夫の顔を見つめた。夫である淳一は、健やかな笑みを浮かべている。きっと、良い夢を見ているのだろう。急に目覚めた私にしてみれば、羨ましい話である。
私は夫が起きぬよう、ゆっくりと冷蔵庫へ向かう。そして、冷蔵庫から赤ワインを取り出した。もう一度眠る為に、酒を飲もうと思ったのだ。私は酒に弱い質である。なので、ワインを少し飲んだだけでも十分効果があると思われる。
ワインを持つと、リビングにあるテーブルへ向かう。そしてテーブルにコップを置くと、そこにワインを注いだ。それが十分な量になると、椅子に座り一口飲んでみる。口の中に広がるのは、渋味と酸味と華やかな香り。若かった頃は嫌いだったその味は、今なら美味しく感じる。人間の味覚というのは、不思議なものだ。
私はそれをちびちび飲みながら、窓から見える満月を見つめる。そうして芳醇な香りを味わっていると、ふと昔のことを思い出す。それは、私達夫婦がまだ新婚だった頃だ。そういえば、新婚だった頃はよく主人とワインを飲んだものだ。主人が酒好きで、私も付き合わされていたのである。
走馬灯のように、数々の思い出が頭の中に浮かんでくる。ただ、それは甘いものばかりではなかった。それこそ、今飲んでいるワインのように苦いものもある。私は思い出したくもないのに、それを思い出す。

Re: 傍にいてくれたから ( No.2 )
日時: 2023/11/18 08:36
名前: 紅茶 (ID: S26AM191)

第二話

私と主人が結婚したのは、互いに二十代中盤だった頃だ。そこに至るまでの切っ掛けは、私と主人の職場が同じだったことだ。そこで関係性を深めた結果、結婚する運びになったのである。
以降は、輝かしい新婚生活が始まった。それについて詳細は述べないが、激烈な恋愛をしていたとだけ申しておく。
そんな私達であるが、暗い思い出もあった。それは夫婦というより私のものなのだが、今からそのことについて話したい。

結婚後、私はパートの仕事をするようになった。そして帰宅後は家事に勤しむ訳だが、それが大変だった。白状すると、私は家事が全くできなかったのである。
料理は壊滅的に下手で、皿洗いをすれば食器が割れる。そんな失敗を、何度も繰り返していたのである。結婚前は録に家事をしなかったことが、仇になったのだ。
まるで笑い話のようだが、それは私の自尊心を大いに下げた。何せ、当時の私は家庭内に於いて全くの無能だったのだから。主人はそんな無能さを笑って許したが、私は自分を何度も恨んだのだった。

そんな嫌なことを思い出している内に、ワインを飲み終わった。ほんの少量しか飲んでいなかったが、ほろ酔い気分になっている。この状態ならば二度寝できるだろう。
私は寝室へ向かうと、再び毛布にくるまった。毛布の暖かさに包まれていると、酒の力も相まって眠くなる。私は主人の寝息を聞きながら、眠りに落ちた。

Re: 傍にいてくれたから ( No.3 )
日時: 2023/11/18 08:34
名前: 紅茶 (ID: S26AM191)

第三話

それから再び目を覚ますと、すっかり朝になっていた。今日は快晴のようで、窓からは眩しい日が差している。
不意に、私は窓とは逆方向に顔を向ける。すると、夫と視線が合った。
「おはよう」
私のそれよりも低い声で、夫は挨拶する。私はそれに返事する。
「おはよう。昨日はいい夢を見たの?」
「ああ。いい夢を見たよ。でも、どんな夢だか忘れちゃったよ」
私は「何それ」と言いながら少し笑う。そうしながら、夫の顔をじっと見つめた。そうすると、やはり「老けたな」と思ってしまう。何せ、主人はもう五十代なのだ。皺の数だって、若い頃より余程多い。けれど、優しい目は変わらないのだった。
「どうしたんだ?」
顔をじっと見つめられ、怪訝に思ったのだろうか。主人はそう尋ねた。
「いや、何でもないの」
「そうか。それより、僕はこれから散歩に行ってくるよ」
「分かった。私は朝食を作るね」
それを聞くと、主人は立ち上がり寝室を去っていく。
それから、私もまた寝室を出た。そしてキッチンに立ち、朝食を作る。もう私も五十代なので、流石に若い頃のようなヘマはしない。上手とは言えないが、食べられる料理は作れる。
簡単な朝食が出来上がると、それを食卓に並べた。主人が帰ってきたのは、丁度その頃である。
「おっ、美味しそうだな」
主人は料理を見ると、そう言ってくれた。夫婦揃って席に着くと、同時に朝食を食べ始めた。
私達が朝食を食べ終えたのは、それから約三十分後のことだ。食べ終えた主人は、微笑みを浮かべこう言った。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
それは淡白な言葉であったが、私には骨身に染みるものがあった。主人は気持ちが良い程の正直者だ。故に、その言葉も本心であることが伺える。ただ、その言葉を持ってしても埋められない心の隙間があった。そうだ、私は未だに妻としてのコンプレックスがあるのである。

Re: 傍にいてくれたから ( No.4 )
日時: 2023/11/18 08:35
名前: 紅茶 (ID: S26AM191)

第四話

そのコンプレックスというのは、主人の気持ちが分からないことである。主人の求めていること、好きなこと、そういったものを説明されないと察せないのだ。
主人とは、かれこれ三十年程共に生活している。また、私が夫に興味を無くした訳でもない。にも関わらず、夫について知らないことは幾らでもある。それは、一概に悪いことではないのかもしれない。しかしながら、それは私の自己嫌悪の種なのであった。
そんな私に対して、主人はどうであろう。それが、女の私よりも察知能力が高いのである。以下に、私をそう思わせる例を上げておく。
主人は私の誕生日等になると、必ず欲しかったものをくれる。私が欲しいものを言わずとも、それが何か読むことができる。私が悲しんでいる時は、適当な慰めの言葉をくれる。私が喜んでいる時は、それに同調してくれる。
そんな女のような精緻な共感能力を、夫は有していた。それは身につけたものというより、天性のものであろう。そして夫がそんな人であるが故に、私の自己嫌悪は増していた。私の妻としての価値は、どの程度あるのだろう。

Re: 傍にいてくれたから ( No.5 )
日時: 2023/11/18 08:35
名前: 紅茶 (ID: S26AM191)

第五話

そんな対称的な私達であったが、夫婦仲は良好であった。喧嘩は殆どせず、揉め事も起こらない。平穏な時間が、私達の間には流れていた。
その証拠に、主人は未だに私をデートに誘ってくれる。頻度は高くないが、時折外出し二人だけの時間を過ごすのだ。
ある日の夕食時にも、主人はデートに誘ってくれた。
「明日は休日だから、一緒に映画を観ないか。裕子と観たい映画があるんだ」
そう言いながら、主人は酒を飲む。昔はワインを良く飲んでいたが、今コップに入っているのは日本酒だ。
「私はいいですけど、観たい映画っていうのは?」
私は平静な声色でそう尋ねたが、内実は嬉しかった。というのも、デートをするのは久しぶりのことだったのである。顔を赤らめた主人は、愉快そうにこう言葉を返す。
「それは、明日になってのお楽しみだ」
私もまたお酒を飲みながら、頷く。
その翌日は、デート日和といえる程の快晴だった。それもあって、私達は昼間から映画館へと向かった。そこで観た映画の内容は、若い男女の甘酸っぱい恋愛を描いたものだった。ただ、私は如何せんその映画を楽しむことができなかった。若かった頃ならば、映画の世界観に浸れたのかもしれないが。
映画を観終えると、私達は映画館を出た。そして車で家へ帰ろうとする最中、私は一つの疑問を抱いた。それは、主人はあの映画にどんな感想を抱いたのかというものだ。気になった私は、車を運転する主人にこう尋ねる。
「あの映画、面白かった?」
「面白かったよ。ただ、ちょっと見辛かったな」
「見辛いって?」
「時折、画面がぼやけて見えることがあったんだよ。もう年なんだろうな」
「それなら、今度眼鏡を買いに行きましょう。生活に支障を来すといけないし」
当時の私は、さしてそのことを重く考えていなかった。多少目が悪くなろうと、眼鏡ないしコンタクトを付ければ問題ないと思っていた。しかしながら、その実は更に深刻な問題だったのである。


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