コメディ・ライト小説(新)

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最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-
日時: 2025/10/26 21:10
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 毎週日曜日更新。
 ※更新時以外はスレッドにロックをかけることにいたしました。連載が終了したわけではございません。

*ご挨拶

 初めまして、またはこんにちは。瑚雲こぐもと申します!

 こちらの「最強次元師!!」という作品は、いままで別スレで書き続けてきたものの"リメイク"となります。
 ストーリーや設定、キャラクターなど全体的に変更を加えていく所存ですので、もと書いていた作品とはちがうものとして改めて読んでいただけたらなと思います。
 しかし、物語の大筋にはあまり変更がありませんので、大まかなストーリーの流れとしては従来のものになるかと思われます。もし、もとの方を読んで下さっていた場合はネタバレなどを避けてくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします!



*目次

 一気読み >>1-
 プロローグ >>1

■第1章「兄妹」

 ・第001次元~第003次元 >>2-4 
 〇「花の降る町」編 >>5-7
 〇「海の向こうの王女と執事」編 >>8-25
 ・第023次元 >>26
 〇「君を待つ木花」編 >>27-46
 ・第044次元~第051次元 >>47-56
 〇「日に融けて影差すは月」編 >>57-82
 ・第074次元~第075次元 >>83-84
 〇「眠れる至才への最高解」編 >>85-106
 ・第098次元~第100次元 >>107-111
 〇「純眼の悪女」編 >>113-131
 ・第120次元〜第124次元 >>132-136
 〇「時の止む都」編 >>137-175
 ・第158次元〜第175次元 >>176-193

■第2章「片鱗」

 ・第176次元~ >>194


■最終章「  」



*お知らせ

 2017.11.13 MON 執筆開始
 2020 夏 小説大会(2020年夏)コメディ・ライト小説 銀賞
 2021 冬 小説大会(2021年冬)コメディ・ライト小説 金賞
 2022 冬 小説大会(2022年冬)コメディ・ライト小説 銅賞
 2024 夏 小説大会(2024年夏)コメディ・ライト小説? 銅賞

 
 ──これは運命に抗う義兄妹の戦記
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.169 )
日時: 2025/05/04 21:59
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)


 第151次元 時の止む都27

 レトヴェールには覚えがない。クレッタは姿を自在に変えられるようだから、もしかするとどこかで見かけたのかもしれないが、しかし赤い瞳をした──元魔以外の──存在と遭遇すれば、レトの脳裏にしっかりと刻まれるはずだ。

「……」

(見覚えか)

 ただそれを告げてきただけで、クレッタはすぐに頭の位置を下げようとした。
 クレッタが角を地面に突き刺す直前に、レトは身軽に跳んで躱した。間髪入れずに、角が地中を縫って土をめくりあげた。土砂の津波が立ち、レトの視界が、土一色に覆われた。
 躱しきれない、と悟ったレトは、『双斬』の刀身を輝かせた。

「五元解錠、"真斬しんざん"!」
 
 右手に持った剣を真一文字に振るい、そうして刀身から飛び出した一迅の斬撃で津波を裂く。しかし、切り開いた視界の先には、縦に大きく開かれた赤黒い口蓋が待ち構えていた。レトは舌打ちをして、咄嗟に走った。否応なく、上と下の歯が噛み合い、がちんという激しい音とともに口が閉ざされる。
 一秒と経たずにクレッタの頬が、破裂した。
 内側から頬が破かれる。鋭いもので切り裂かれた感触がした。クレッタは、レトが剣で斬ったのだと感じ取って、頭を振るった。
 見れば破けた穴から、レトが脱出していた。その目に余裕の色はなく、彼は奥歯を強く噛み締めながら跳んでいて、転がるようにして着地した。
 クレッタは、すでに血濡れたよう真っ赤な目をさらに充血させて、レトを踏み潰さんと前足を振り下ろした。

「!」

 避ける、だけで十分に動けたほうだった。しかし、次いでクレッタは暴れるように地団駄をして、その後ろ足によってレトは蹴り飛ばされた。それから止まる気配がなかった。クレッタは、レトを追いかけて、たった二歩で追いついて、前足でまた蹴り上げようとする。その前足が浮いた隙をついて、レトは足の真下をすばやく潜り抜けるのでやっとだった。
 頭で考える時間はてんで与えられない。レトはほとんど本能で動くしかなかった。後ろ足が迫るのも、身をねじって躱して、けたたましく鳴くのも奥歯を噛んで耐え忍んだ。

(視界が回る)

 自分で思っているよりもずっと、レトの脈は早まっていた。
 走り続けていると、進行方向の先で、振り乱れた角の先端が襲いかかった。ぶつかるか、否か、しごく絶妙な位置にいたレトは早々に、わざと足を止めた。直撃は免れる。だが、急に足を止めたせいか、途端に身体中から気持ち悪さが込み上げてきて、吐き気がした。
 胃液を飲みくだすように息を止めて、レトはきつく眉間を寄せながらも、そのまま思考を回していた。

(右から抜けて、奴の頬をもう一度狙い、隙を作る)

 駆け出す。が、頭に、身体が追いつかなくなったのは、すぐのことだった。
 ふと足元の感覚が抜け落ちて、レトは思考を止めた。何手先も考えていた、それも足の感覚とともに霧散する。違う。膝ががくりと折れて、足が棒のように傾いたのだ。一瞬の出来事だったので、すぐに体勢を持ち直せた。
 驚愕している間もなく。クレッタの前足の蹄がぐんと迫って、レトの視界に突き刺さった。

(間に合え!)

 すばしっこさには自信があり、これまでにも、持ち前の身軽さで幾度となく危機を回避してきた。それにレトは判断にかける時間が極端に短いので、動き出しも早かった。だからクレッタの蹄が、自身のもとへ到達するまでの時間を計測し、周囲の状況も鑑みて、もっとも安全な回避経路を選ぶのに躊躇はなかったはずだ。しかし、レトは、危機的状況下に置かれたことで思考を切り替えてしまい、先刻に感じた足元の違和感を度外視していた。
 このとき、動かそうとした下半身が鉛のように重たく感じた。
 瞬間。まるで、両足を泥沼に囚われてしまったかのようにレトの動きが静止する。そして間もなく、それは到達した。巨大な鹿足、その蹄から繰り出される激しい蹴りがレトの右半身にめりこんだ。
 身体が高く打ち上げられる。空中で何度も旋回して、視界はもうぐちゃぐちゃに歪んで、次に思考できたのは、地面の上だった。
 なされるがまま転がって、きわめて細い息を吐いて、そうして混濁する意識の中で、レトは真っ先にある事実に気がついてしまった。

(違う)

 結わいていた髪紐がほどけ、美しい金色の髪がばらばらに広がる。
 揺れる視界の中、空中で手放してしまったのか、『双斬』を失った手元を見つめた。

 指先が小刻みに震えた。

(呪いが進んでるんだ。とっくに表れてた。だから、ずっと上手く動けなかったんじゃないか)

 まるで吹雪の中で凍えているみたいだった。
 身軽といえども、身体能力はロクアンズに劣っていた。体力も彼女ほどはなかった。咄嗟が利かない瞬間があった。剣を重たく感じていたのは常だった。
 戦闘において不足しているすべてが、鍛錬が足りていなくて、甘えなのだと思い込んでいた。
 それらの理由の一つに隠れ潜み、ようやく芽を出した実感が、じわじわとレトの身体を締めつける。
 かつて母、エアリスがどのように実感を覚えて、苦しんでいたのかを、レトはもちろん教えてもらってなどいない。彼女は、できるだけ子どもたちに見苦しい姿を見せないように日々を過ごしていたに違いないのだ。だからレトは今日、ようやく、母が辿った"神の呪い"という名前をした道の出発地点に立つ。

 言うことを聞かない身体は、自分のものではないみたいで、レトは傷だらけの手足を無防備に投げ出した。

 蹄に感触があったので、蹴り飛ばしたらしいことはわかるが、手応えはほとんどない。だからクレッタはすぐに視界の中を探索して、金色の髪をしたあの人間を見つけだした。
 ゆらりと首を下ろして、すぐに、蹄の音が高らかに鳴った。
 跳びあがって、──たったの二歩。一気に距離を詰めたクレッタは、ぼろ雑巾のように転がる金の髪を目がけて、前足をぐんとまっすぐに伸ばした。
 そのときだった。
 クレッタの角の真上から鎖の雨が降り注ぐ。前足の蹄がレトに突き刺さるかと思えた、その直前に、無数の鎖はクレッタの巨大な身体に巻きついて、真横に強く引かれ、クレッタは勢い余って横転した。

 鎖の根元を握るその手の中から、血が滴り落ちた。皮膚が裂けるまで強く握りこんで、コルドは、額に浮かぶ青筋がいまにもはちきれそうな形相でクレッタを睨みつけていた。クレッタに向かって一直線に伸びていく"伸軌しんき"をさらに引き寄せると、クレッタはわずらわしい声で鳴き叫んだ。 

「俺を殺しにきたんじゃないのか……! 目の悪い奴だな! お前の獲物はこっちだろう!!」 

 コルドはもっと手に力をこめて鎖を引き寄せる。クレッタは悲痛なのか、威嚇なのか、甲高い声で喚いて、のたうち回った。

「コルド……ッ、コルドォ!!」

 神聖な風体とは裏腹に、聞くに耐えないがなり声を轟かせながらクレッタは立ち上がり、直進した。本能が戻ってきた。ふたたびコルド・ヘイナーを標的に据え、牙を剥きだしにし、地上を駆け、咆哮する。
 刻一刻と迫るクレッタを眼前にし、コルドのこめかみから一筋の汗が流れた。

(次元技を発動してる時間はない! 一か八か、この身一つで凌ぐ!)

 コルドが固く鎖を握りこんだ──次の瞬間だった。
 聞き覚えのある声が、飛んでくる。彼の意識はすぐさま声のしたほうへと引っ張られた。

「コルド副班、鎖から手を離して!」

 思わずそちらへ視線を向ければ、右手に雷光を纏わせたロクアンズが目を瞠るような速さで駆けてきていた。
 彼女は、たんと爪先で土を蹴って、跳んで、雷光をより強く瞬かせる。
 
「六元解錠──、"雷柱らいちゅう"!!」

 コルドは握っていた鎖から手を離した。
 瞬間、ロクが振りあげた拳を地面に叩きつける、と途端に──轟雷が、一本の柱のように地表から噴き出して、クレッタの巨躯を貫いた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.170 )
日時: 2025/05/11 21:27
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第152次元 時の止む都28
 
 胴部の毛先に、細い電気の糸が纏いつき、クレッタはぐらりと傾きかけた。次いで、素早く飛んできた斬撃がクレッタの片足の関節部に突き刺さった。するとクレッタは激しい音とともに転倒した。
 レトヴェールは持ち直しており、到着したロクアンズと遠目ながらに視線を交わし合うと、二人はコルドのもとへと向かった。
 倒れ伏すクレッタが、もぞもぞと動きだすのを見据え、コルドは詠唱した。

「五元解錠──、"額洛がくらく"!」

 地面の上に散らばった鎖の破片たちが、ばらばらと浮上して組み合わさっていく。そうしてできあがった鎖の壁の内側へと、ロクとレトが滑りこんだ。

「ロク!」
「──五元解錠、"雷円らいえん"!」

 コルドの呼び声に応えるようにして、ロクも立て続けに詠唱を繰り出した。ロクは、"雷円"という名の半円状の電気の膜を生み出し、それを"額洛"とぴったり重ね合わせる。
 横たわっていたクレッタはとっくに体勢を立て直し、怒り心頭といった形相ですかさず駆けてくると、鎖と雷の壁に突撃した。が、二つの次元技によって築かれた壁は、歪みこそしても崩れはせず、また電気の鋭い痺れによって、クレッタは弾かれてしまった。
 負けじと、クレッタががつん、がつん、と角をぶつけてくる音が、頭上から聞こえてくる。そのうちに、レトはロクへと問いかけた。
 
「ロク、こいつと戦ったか」
「うん、サオーリオっていう東の都で遭ったんだ! 名前は【CRETE】(クレッタ)。生命を司どる神族だって言ってたよ。クレッタは、あらゆる生物の姿に変化できるし、植物も操れる。それと、元魔を生み出していたのもクレッタだったみたい。その瞬間もちゃんと見たよ」
「クレッタ……」

 ロクは矢継ぎ早にそう説明した。レトが、ほかにもわかっていることをロクに訊こうとすると、コルドが壁に注意を注ぎながら、口を挟んだ。

「二人とも、まだ戦えるか」

 コルドは二人の顔を振り返った。頭上からは、絶え間なく、激しい衝突の音が降り注いでいる。
 ロクとレトは、示し合わせたわけでもないのに、声を揃えて答えた。

「戦うよ」

 コルドは、そう答えるだろうとわかっていたが、その返事を聞いてわずかに口角を上げた。返事を口にした二人の表情は引き締まっていた。
 レトは、目の前にいるロクとコルドからは見えないように、震える手先を固く握りこんでいた。

 あらためて、コルドはロクに問いかけた。

「俺もレトも、もう元力が底を尽きかけている。ロクはどうだ?」
「……あたしもあんまり自信ない。ここにたどりつくまでにだいぶ回復したけど、最初にクレッタたちと戦闘したときの消耗が激しかったんだ」

 コルドは頷いた。それに、とロクは付け加えて、エントリアに戻ってくるまでの道中、クレッタがいたずらに生み出したのであろう数多くの元魔にも遭遇し、対処に追われていたと言った。
 ロクが二体の神族と遭遇してからの経緯をかいつまんで説明し、それを聞き終える頃には、コルドはさらに表情を険しくしていた。

「わかった。さっきも言った通り、俺たちの元力は残りわずかだ。だから連携を取り、反撃の隙を与えず、奴を討つ。いいな、二人とも」
「うん!」
「了解」

 遥か頭上では、躍起になったクレッタが、意地になって鎖と雷の壁を壊そうと衝突を続けている。ロクは、頭上を見上げて、壁から飛び出しているクレッタの顔を睨んでいた。そのうちにコルドが口を開いた。

「まず心臓の有無がわからないからな。心臓があると仮定して動きを……」
「いいや、コルド副班、たぶんクレッタに心臓はないよ。一度胸からお腹にかけて大きな穴を開けたし、何度も雷で焼いてみてるけど、ずっと余裕そうなんだ。見てるとわかると思うけど、クレッタはかなり野生動物っぽくて、直情的だから、嘘をついて余裕に見せてるってこともないと思うんだよね」
「そうか。なら、あの大きな白い神族にやったみたいに、再起不能にするしかないのか……」

 二人が話をしている間、睫毛を伏せ、レトはしばらく考えこんでいた。
 ふと顔をあげると、彼は口を挟んだ。

「ロク、さっきぐらいの等級の次元技をあと何回発動できる?」
「えっと、六元なら三回かな。五元とか四元にするなら撃てる回数は増えるけど……」
「クレッタ相手に四元以下は通用しないな」
「うん、そうだね」
「コルド副班は?」
「……七元、六元が一度ずつで限界だな。お前が寝かせてくれたおかげで多少、戻ってきたよ」

 コルドが冗談まじりに言って、拳を握ったり開いたりした。それほど時間は稼げなかった、と返そうとしたが、レトは言葉を飲み込んで、ロクとコルドの目を見つめ直した。

「耳を貸してくれ。考えがある。コルド副班、俺が最後に合図をする。そしたら──やってほしいことがある」

 低い唸り声が、だんだんと凄みを増して、クレッタの苛立ちは最高潮に達していた。クレッタは、筋肉の膨らんだ前足を跳ね上げた。そして胴を立たせると、鎖と雷の壁に向かって前足からのしかかった。
 クレッタの全体重がかかった壁は、途端に崩れだし、瞬く間にばらばらに砕け散って、陥落した。
 鎖の破片の雨が降り注ぐ中、飛び出したレトが、『双斬』を薙いだ。

「四元解錠、"真斬"!」

 飛んでいった斬撃はクレッタの巨大な角の根元に衝突した。だが、角は傷ひとつつかず、悠々と持ち上げられて、レトを目がけて振り下ろされた。すぐに逃げる準備をしていたレトは、角の追撃から免れた。

「弱い。コルドォ!」
「六元解錠──、"雷撃"!」

 次いで、雷光が瞬く。"雷撃"は、ロクの手元を中心に飛散して、そのままクレッタの全身を包みこんだ。クレッタが前足を振り上げ、地団駄を踏むと、そこらじゅうに散乱している鎖の破片が高く跳ねた。クレッタはたたらを踏んだあと、頭を振って、そして地面の上に立っているロクの姿をみとめた。

「電気のガキ。おっ死んでなかったのかよ」
「まだ死ねないよ……! あなたたちを斃すまでは!」
「言ったぜ。何度やっても殺せねエよ。心臓はねエんだからよ!」

 クレッタは、ロクを目がけて猛突進した。すかさずロクは拳を握りしめ、電光を纏う。

「──これならどうだ! 六元解錠、"雷柱"!」

 握った拳を振り上げて、地面に叩きつけると、駆けだしたばかりのクレッタの足元から猛烈な勢いで、雷の柱が放出した。"雷柱"はクレッタの胴を貫く。同時に無数の鎖の破片を天上へと突きあげた。
 だが、大きな雷の柱が胴を貫通しているまま、クレッタは、激しく鳴き喚いた。

「グラアア! 邪魔だ! 邪魔をするな! どいつもこいつも! 殺させろ! コルドォ! オマエじゃないと話にならない!」
「なら、登場させてあげる!」

 ロクはそう言って振り返る。その拍子に、こめかみに滲んだ汗の粒が跳ねて、彼女は声を投げかけた。

「コルド副班!」

 すでに体勢を整えて待機していたコルドが、クレッタを遠くに見据え、鎖の破片を握りしめた。

「動くなよ、生命の神【CRETE】」

 雷の柱が、立ち消える。
 しかし、遥か高く天上に打ち上げられた鎖は消えない。まるで大粒の雨のように、クレッタの頭上からそれらが降り注ごうとする、直前に、コルドは力の限り詠唱した。

「七元解錠──、"鸞業区らんごく"!!」

 天上天下に散乱した鎖の破片が、主人の声に呼応して、形を成す。
 鎖の破片は寄り集まって、太い鉄柱へと姿を変える。天上で形成された無数の鉄柱は、すぐさま、クレッタの角から頭を、背中から腹部を貫通して地表に突き刺さった。そして地表に咲いた無数の柱は逆に、腹部、顎の下、腿を突き上げ空に向かって幹を伸ばした。
 神族ノーラを屠った、逃げ場のない鎖の監獄。"鸞業区"がふたたび神族の身に突き刺さる。

 ふいに静寂が訪れる。三人の息遣いが、地上に吹く風に混ざって、流れる。
 全身を鎖の柱によって串刺しにされ、静止したクレッタだったが、口は免れたようで、やがて喚きだした。

「知ってるぜ。こいつでノーラを殺ったんだろ。身体中にこいつを突き刺して……アハハ! ハハ! 死ぬなんてもったいねえなあ、ノーラ! 目が冴えてたまらねえよ! 永遠だ。永遠にこうして戦おう! ずっとずっとずっとずっと!」

 そのとき、まるで横槍を入れるかのように鋭い斬撃が飛んだ。大きく開いた口内にそれが突き刺さって、クレッタの顎が跳ねあがった。

「しゃべってるとこ悪いな」

 合図だ、とレトは続けて言った。
 鎖の柱が振動する。呼吸を整えるのと、身体中に流れる残りわずかの元力を極限まで掴みきるのに、数秒、時間がかかったものの、コルドは合図を受けてからすぐに詠唱した。

「七元解錠」

 ──七元、六元が一度ずつで限界だ、と言っていたのに、彼は昂っていく意思に正真正銘の全力を賭けて、前言を覆した。

「"嵩重かさねとく"!」

 周辺一帯の気圧が変化した、と錯覚させるような重苦しい衝撃が走った瞬間、クレッタの背が中心からがくりと割れ、顎と四つ脚が跳ねあがり、全身がくの字に折れ曲がった。"鸞業区"、そのすべての鎖の柱が重みを増して、さらに地面の下へとめりこむと、巨大なクレッタの身体があらぬ形に歪曲した。
 そして、間髪入れずに、ロクの手元から電気が飛散する。彼女も、頭に血が昇っていくのを、心臓がうるさく跳ねあがっているのを差し置いて、コルドに続いた。

「六元解錠──"雷円"!!」

 眩い光があたりを覆い、そして鋭い轟音が鳴り響くと、いびつな形のまま白目を剥いているクレッタの周囲に雷の膜が張った。それは球体状で、文字通り、クレッタを包囲する。

「ァ、ヴ……ッ、グガガ……」

 声を発する余力はあるようだった。だが、クレッタの頬には大量の汗が噴き出していて、開きっぱなしの口をはくはくと動すのみだった。

「形を変えたければ変えてみろ。できないだろうけどな」

 レトは、額に滲んだ汗を拭って、息を整えてから言った。手元の集中を切らさないように、ロクは注意を払いながら、レトに訊ねた。

「ほ、本当に身動きとれてない……! でも、なんで? もっと大きくならないの?」
「なれるならとっくになってるんだよ。おそらく、あの体積が最大なんだ。だからあいつにはもう、いまのままの大きさでいるか、小さくなるかの二択しかない。だが小さくなるのはかえって状況が悪化する。体積が縮小すれば、体内に入れこんだ鎖も集約されるからな。つまり、いまの筋肉量でも受け止めきれていない重量を、小さい身体で支える羽目になり、余計に身動きがとれなくなる。もしいま以上の大きさになったとしても、お前の"雷円"に引っかかって自滅する」

 もがくこともできず荒い呼吸ばかりしているクレッタを見上げながら、レトはロクにそう返した。

「でかい図体は的も同然だ。さっさと小さくなっておけば免れただろうけど……それを利用させてもらった」

 連携のさきがけが、レトによる四元級の攻撃だったのは、クレッタを追い詰めないためだった。追い詰めてしまえば状況の悪化を恐れて、戦闘の最中に身体を変化させてしまう──現状より小さい身体に変わる──可能性があった。そのあとロクが続いたのもほとんど同様の役割で、ロクとレトは、クレッタに決定打を与えず「現状のままで戦える」と丁寧に擦りこんでから、コルドに手番を渡したのだ。

 緊張が走る。クレッタの目はさらに赤く血走り、いまにも歯を剥き出しにして噛みついてきそうな形相で、三人を見下ろしていた。すると、クレッタがガタガタと縦に揺れ始めた。三人が警戒を強めたとき、クレッタは高らかに吼えた。

「グァッ──ガガア!!」

 次の瞬間、三人は、地面の下から異様な殺気が迫り上がってくるのを察知した。しかし、間に合わない。回避しようとしたとき、突然地面が隆起し、無数の木の根が産声をあげた。

「まずい、避けろッ!」

 木の根の切先が三人を目がけて伸びる──しかし、襲いかかってきた木の根の切先がすべて、速やかに斬り落とされた。

 ぼとぼとと音を立て、木の根の残骸が次々に転がり落ちた。咄嗟のことで驚く三人だったが、唯一ひとつだけ、一陣の風が横切った気がしていた。だがそれは気のせいではなかった。一人の老齢の女が、半壊した東門を通り抜け、近づいてきた。
 
「なるほど。これも神族の力ですね」

 左手に刀を携えたチェシアがゆっくりと歩み寄ってくる。その出で立ちには一分の隙もなかった。険しい表情でクレッタを見上げるチェシアの姿をみとめると、コルドが目をしばたいた。

「チェシア副隊長」
「そのまま、注意を逸らさずお聞きなさい。住民の退避は完了しています。また、元魔の再発生に備えて、街の中には次元師を残してきていますから、ご安心を」

 チェシアの言う次元師は、ラッドウールを指しているのだが、三人は彼が到着していることを知らされていない。そもそも、チェシアが次元師であることを知っているのはコルドだけで、ロクとレトはしばし呆気にとられていた。ロクが、チェシアにそれを訊ねようと口を開きかけたが、言葉は続かなかった。

「信仰しろ」

 頭上から聞こえてきたその声に、意識が取りあげられた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.171 )
日時: 2025/05/19 00:34
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第153次元 時の止む都29

 チェシアは『それ』をじかに耳にするのが初めてだったが、ロクアンズ、レトヴェール、コルドの三人の目に強い警戒の色が灯ったのを見て、臨戦態勢をとった。
 すばやく"希刀"の柄に左手を翳し、チェシアは叫んだ。

「下がりなさい!」

 地面の下からせりあがってきた無数の木の根が断ち切られた。
 クレッタの様子が、見る見るうちに変化していく。灰色の体毛がより一層濃くなって、四肢にはどす黒い血管が浮き上がった。そしてクレッタの身体は、これ以上大きくならないと考えていたのに、また見る見るうちに成長していき、"雷円"の膜を破った。
 瞳の赤色は、まるで噴き出したばかりの血潮のように、磨きをかけて鮮やかになった。
 雄々しく高鳴きをするクレッタの鼻先も見えなくなって、四人は絶句した。
 クレッタが頭の位置を下げ、勢いをつけて巨大な角を振り仰ぐ。それとともに地面を割って跳ねあがった無数の木の根が四人に襲いかかった。
 刀身が鮮やかに空を薙ぎ、軌跡が走る。チェシアは、満身創痍な三人の姿から、激闘を終えたばかりだとわかっていて、己が最前に立つべきと自負していた。
 木の根の大群は、一本も余すことなく断頭され、弾け飛ぶ。しかし、豹変したクレッタの巨角は凌ぐに及ばなかった。
 クレッタが動き出す。

("嵩重かさね"で重くした"鸞業区らんごく"を身体中に抱えたまま……動けるのか!?)

 コルドは顔から血の気が引いていくのがわかった。クレッタは、角を地面に突き刺したまま、ぐぐと地中を泳がせて、そして地面を割って角を突き上げた。

「回避に集中しなさい!」

 振り返らずにチェシアは言い渡して、すばやく腰の位置を落とした。
 
(元力は残り僅か)

 であるなら、最大出力で、最速で片をつけるしかない。チェシアは刀の柄を握る手に力をこめ、闘志を燃やす。

「七元解錠──、"井駄斬いだぎり"!」

 刹那、格子状の烈閃が迸る。それは刀身から解き放たれると、クレッタの頭部を捉えて切り刻んだ。
 だが。クレッタはまるで微動だにせず、首を仰け反らせもしない。
 目をしばたく、間もなく、クレッタは大口を開けてチェシアを丸呑みにした。雑に数回咀嚼したのち口の端から彼女は吐き捨てられた。五体を投げ出し、空中を飛んだ彼女は城壁だった瓦礫の山の天辺に落ちた。それを目で追っていたロクは、たまらずに叫んだ。

「副隊長さん!!」

 コルドは鎖の破片を握りしめた拳を震わせ、疾走していた。
 そのとき、首を伸ばしてどこかを見据えたかと思うと、クレッタはわずかに呼気を吐き、すぐに身体の向きを変えた。そしていきなり駆け出して、エントリアの街の中へと入っていった。
 否、街の中ではない。クレッタの視線は街の端、西門に注がれていた。

「早く追いかけなさい! 私はあとに続きます!」

 チェシアは瓦礫の山から這い出てきて、怒号をあげた。額から絶え間なく流血している彼女は、そうでなくとも顔を真っ赤にして、きつく目の端を吊りあげていた。
 ロクは、チェシアの姿を見て胸が押し潰される思いだったが、それを振り切って自身を奮い立たせた。

「副たいちょ……っ、ごめんなさい! ──行こう、レト、コルド副班! 絶対に止めるんだ!」

 レトとコルドが頷き、三人は、足元がもつれながらもクレッタのあとを追う。元力はもう底を尽きかけている。彼らの顔にはひどい疲労の色が滲んでいて、いますぐに倒れてもおかしくなかったが、駆ける両足を止めてはならないと心臓がずっと言っていた。
 
 変わり果てた街中を三人の影が疾走する。さきがけを務めたのはレトだった。ほかの二人に比べればまだ元力に余裕があったのだ。だがレトはもうずっと歯を食いしばっていて、一秒が経つたびに、いつ息を切らして倒れるのだろうと不安を抱えていた。
 レトはクレッタの脛に焦点を合わせる。残りわずかな元力を燃焼して、叫ぶように詠唱した。

「五元解錠──"真斬"ッ!」

 振り薙いだ銀の刃から鋭い斬撃が飛ぶ。狙ったままに、一直線上に空を掻き切って、斬撃はクレッタの左足に突き刺さった。
 しかし、足を止めるどころか振り向きもせず、まったく意に介していない素振りで、クレッタはぐんぐん遠ざかろうとする。

「っ、硬すぎる、だろ……!」

 直後、レトの身体の重心がぐらついた。そのまま意識が吹き飛びかけて、彼はさらに強く奥歯を噛みしめた。
 そのとき後ろを走っていたロクが、咄嗟にレトを抱きとめた。

「レト!」

 レトと義母にかけられた呪いを知っているロクは、それを察したのか、一瞬の間、心配そうな目を彼に向けた。
 だがレトと目を合わせるとすぐに前を向いて、足元に電気を纏わせる。そして、早く行けと言わんばかりの顔をしている彼をその場に残して駆け出し、加速した。
 巨大な屋根のような腹の下をくぐり抜け、ロクはクレッタの正面に躍り出ると、格子状の傷がついた顔面に向かって手を翳した。

「これ以上先には行かせない──!」

 細い電気の糸が、ロクの全身から噴出する。びっしょりと頬を濡らす汗を雷光が照り返した。これまで、今日ほど元力を消耗した戦いはなかった。血液ではないそれがからからに渇いていくのが手に取るようにわかる。けれどもかき集めて、集めて、小さな手のひらにそれを託そうと全身全霊で足掻く。
 そしてロクは手のひらに眩い光を蓄えて、口を開いた。

「六元か」
 
 しかし紡げなかった。
 ロクの手からさあっと雷光が飛散して、消える。身体の内側から激しい警鐘が鳴り響いていた。
 "これ以上は本当に底を尽きてしまう"、と。
 
「──」

 ロクは大きな左目をさらに見開いて、硬直した。発動できない。その事実に打ちひしがれ激しく動揺したせいなのか、身体が先に限界を迎えたのか、そのどちらも要因になってしまったのかもしれない。ロクは、ふいに全身から力が抜けて、踏ん張ることもできずに、倒れこんだ。
 薄目を開けて突っ伏すロクの頭上にそのとき、影が降りかかった。クレッタの頭部が、屋根のようになって、沈みかけた太陽の光を遮ろうとしていた。

 踏み潰される。

 なかば意識を失ったロクがそうぼんやりと肌で感じ取ったとき、事態はまたしても唐突に変化した。クレッタの首が、がくんと激しく折れ曲がって、瞬間地面に頭を叩きつけた。頭だけではない。角も胴も足もすべて沈んで、その衝撃で激しい音が立った。
 目を光らせたコルドがその手に鎖の欠片を固く握りしめていた。血が滴り落ちていた。彼は、クレッタが轢き潰したのであろう、逃げ遅れた人間の無残な死体の一片を踏まないように立って、鋭い眼差しをくれる。

「止まれ……!!」

 クレッタの全身に突き刺さっている何本もの大きな鎖の柱が、かの神をふたたび地面に縫い留める。コルドは、新しく次元技を発動できるほどの余裕がなかったし、"嵩重"や"鸞業区"を解除したところでほかに引き留める策を持ち合わせてもいなかった。だが偶然にも、無意識にも、高めた"意思"をさらに注がれた次元技は力を増して、ようやくクレッタは足を止めた。
 だが。それもつかの間だった。クレッタの足の関節が伸びる。背が浮きあがる。角がまっすぐ空を向く。そして目が赤く赤く光ったとき、クレッタは我を失ったようにがむしゃらにがなった。

「信仰しろ! 信仰しろ! 信仰しろ! 信仰しろ! 信仰しろ!」

 咆哮しながら、クレッタは前足を振りあげて立ち、背中を仰け反らせた。そのままぐるんと身をねじった。前足の影が、コルドの頭上に落ちた。
 前足が地面を殴打すると、街路樹や石畳が粉々になって飛散し、土煙があたりを覆い尽くした。

 一人街路の真ん中に突っ立って、呼吸をするので精一杯になっていたレトは、土煙のせいで顔を伏せていたのだが、やがて視界が晴れてくると、倒れているコルドの姿を目のあたりにした。

「コ、ルド、副班」

 口をはくと動かして、レトは眉を寄せた。
 そのときだった。レトは、荒々しい視線を全身に浴びて、打たれたように顔をあげた。
 クレッタの赤い視線がレトの瞳に突き刺さる。クレッタはぴたと進行をやめて、立ち止まり、レトを注視していた。

(──なんだ?)

 だれかに見られている。それも、クレッタではないだれかが、クレッタの視界を介してレトを見ている。そんな気がした。
 そして次の瞬間、クレッタは頭の位置を低くすると、いきなり猛突進した。

「グル、ア。アガ、ルアアア゛!」
  
 巨大な角が怒涛の勢いで迫ってきてレトは成す術がなかった。真正面から角の激突を受け横跳びに吹き飛んだ。崩れかけた家屋の石壁に背中から衝突する。ぐしゃりと倒れこみ、ひゅうと細い息を吸いこむと、すぐにまた角の鋭い先端が降った。降り注いだ。何度も、家屋の屋根を叩いては角を引き抜き、叩いては引き抜いて、ぐちゃぐちゃになるまで押し潰した。
 そして、ゆらりと頭部が持ちあがったかと思うと、クレッタは空を仰いで雄叫びをあげた。

「ヒオオオオ」

 ヒオオオ。ヒオオオオ。クレッタが咆えるたびに街路の石畳はめくれ、草木は傾いて、街中に咲いていた国花の花弁が散り散りに舞う。
 
 しばらくすると、クレッタの身体がだんだんと小さく、縮んでいった。
 やがて人間の姿へと変化すると、ぶらりと首を垂れて、クレッタはじっと立ち尽くした。そして、ぱちぱちと目をしばたいたのち、素っ頓狂な声をあげながら顔をあげた。

「ア? ……。ああ、クソ。あいつ、干渉しやがったな」

 ごきりと首の骨を鳴らして、クレッタは独り言ちた。
 それからクレッタは二本足で歩きだして、倒れ伏しているコルドの前で立ち止まった。片手でコルドの頭を鷲掴みにして乱暴に持ちあげる。コルドが呻き声をあげるのを、つまらなさそう目でクレッタは見た。

「こんなもんか。飽きた」

 雑にコルドの頭を放り投げたあと、視線を滑らせたクレッタはあるものを見つけた。それは金色の髪だった。近づいて、瓦礫に埋もれたそれを引っ張りだしたクレッタは、昏倒しているレトの顔を見つめた。
 呆けた表情のまま、クレッタは「ああ」と声をあげ、そして徐々に口角をあげた。

「見たことある、あれだ。オマエ……エポールだ! ダイキライな、この国の王ども!」

 クレッタはそう言うと、金の髪を掴みあげたその腕を乱暴に振って、レトを街路に放り投げた。

「そうだ、そうだよな! ダイキライな! 憎い! 忌々しい! 敬愛すべき! 称えるべき! ダイキライな、ダイキライな、ダイキライなキライなキライなキライな王ども!!」

 裂けんばかりに口の端を曲げたクレッタは矢継ぎ早にそうわめいて、レトの首を掴み、振り回し、投げては、蹴り飛ばし、笑って、笑って笑いながら殴った。すでにレトに意識はなかった。でもクレッタは目の前の金の髪にただひたすら手を伸ばし、突き放した。それを繰り返していた。
 クレッタの笑い声だけがあたりに響きはじめた頃、うっすらと開いていたロクの瞳に光が灯った。
 細くぼんやりとした視界の奥では、二足歩行の影が手足を存分に振り回して、金色の髪がそのたびに乱れていた。

「れ」

 景色がだんだんと鮮明に映し出されていって、レトが危険だと悟ったロクだったが、彼女はうまく動けなかった。手を地面につけ、身体を寄せるようにして起きあがろうとした。しかし力が入らなかった。動きたいのに、飛び出していきたいのに、いつでもできたはずなのに、できなかった。
 潰れかけた喉がひゅうと音を鳴らした。
 
「ぇ、……」

 左目の端に滲んだ涙が、零れて落ち、つうと鼻の上を滑って、地面を濡らす。
 
「レト……!」

 喉のずっと下からこみ上げてきた声を、吐き出したそのときだった。
 
 激しく心臓が跳ねて、ロクアンズは締めつけられるような頭痛に襲われた。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.172 )
日時: 2025/06/01 18:14
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第154次元 時の止む都30

 これまでに感じたことのない痛みだった。
 ロクアンズの頭の中では断続的に、鈍痛が響いている。心臓は激しく脈打ち、元力の枯渇した血液がすさまじい速さで体内の隅々まで巡っている。重心を支えていなければ、地面の下に沈んでしまうのではないかと不安に駆られるほど、身体全体が重たくなった。

(なにが、起こっ……)

 サオーリオにいたときからどうも、ずっと、調子がおかしい。知らない頭痛がしている。まるで胃から逆流したものをすかさず喉から下へ押し戻すように、静かに寄せては返す暗い海の波のように、頭の中心にとどまり続けている不安感が、緩やかにロクを締めつけている。
 思い当たる節はないはずだった。

『さようならね』

 ふいに、だれかの声が頭の中で響く。

『あなたと私は、もう二度と会うことはないでしょう。幸せだったわ。私のもとへ来てくれて、ありがとう』

 だれかが目の前にいて、自分に声をかけている、そんな光景だった。頭のてっぺんから、足の爪先まで、しっとりと雨水に濡れていくような寒気が肌を撫でた。

『あなたの幸せを願っています、』
 
 ──"ロクアンズ"。声の主が、そう言ったように聞こえた。

 雷鳴。

 エントリアを覆う暗雲に一筋の雷光が迸り、広い街路の上を、その光の大塊が穿った。落雷だ。落ちたのは、クレッタの立っている位置から近く、無防備にしていたクレッタは咄嗟に飛びのいた。
 半円状の大きな穴が地面に空いて、黒い煙が逆立った。

 ぽつりと、空から落ちてきた雨粒が、ロクの頬を濡らす。途端に、篠突くような雨が降りだした。
 ロクは左目をいっぱいに見開き、驚愕と困惑の色をその目に浮かべていた。

(あれ、いまの、あたしの力じゃ、)

 ない。鼓動が逸る。
 元力はもうわずかにしか残っていなかったはずだ。だって術は発動できなかった。なのに、ロクの心臓はどくどくとうるさくて、血が巡って、なにかを強く主張しているみたいだった。

(──だれの力……?)

 ロクの瞳が揺らぐ。
 クレッタのため息が聞こえてきて、ロクははっと我に返った。

「驚かせンなよ」

 クレッタは口を尖らせて、そう言いながら、レトヴェールの首根っこを掴む。彼はされるがまま、ぶらりと頭を垂れた。また彼に暴力を振るわれるかと恐怖したロクの喉はぐっと締まったが、彼女は反射的に口を開いていた。

「待って!」

 ロクが、目尻をきつく釣りあげて叫んだそのときだった。彼女の全身から猛烈な電気が飛散し、地上をすばやく滑走してクレッタの脚元を焼き払った。クレッタはまたしても反応が遅れた。ついレトの首を離し、跳びあがったあとに、大きく舌打ちを鳴らした。

 身体中に電気の糸を纏わせる。四肢に鞭打って、ロクは立ちあがった。
 どこから湧いているのか、ロクにはまったくわからなかった。しかし間違いなく元力だった。拳を握り締めれば、雷光が飛散するのを、彼女はぼうっとした目で見下ろした。

 長い耳に小指を突っこんで、クレッタはけだるげに言った。

「もう用はない。そいつを殺したら帰──」

 頬が裂け、黒い血潮が跳んだ。緩慢に首をねじったクレッタは、ロクが距離を詰めてきていて、電気を纏った腕で殴りかかってきたのだとわかった。
 クレッタはすかさずロクの腕を強い力で掴んだ。しかし空いたほうの腕でロクは今度こそ、クレッタの頬を殴りつけた。すると、電気の力で勢いづいたのか、クレッタの身体がねじれて飛んだ。横転したクレッタだったが、指先がぴくりと跳ねた。一瞬にして爪が長く伸びて、クレッタは前動作もなしに、筋力だけで跳びあがった。そしてまるで獣の鉤爪のような鋭利な光を放つそれを振りかぶり、ロクに襲いかかった。
 ロクは、肉薄したクレッタの爪の矛先をすんでのところで躱し、手首を掴んだ。なにも口にしなかった。彼女の手からは、烈火のごとく、雷撃が噴出した。

「ヴアアア」

 クレッタは顎を天に突きあげ、絶叫する。顔の輪郭がぶれ、首が左右にがくがくと揺れて、クレッタは絶えず鳴き喚いた。

「オマエ! オマエ゛! なンだ!!」

 鼻の先がつくほどの至近距離で、クレッタはロクに怒号を浴びせる。すると、クレッタの両肩がぼこりと音を立てていかった。ぼこり、ぼこりと、骨が膨らんで、ずらして、徐々に身体の形を変えていく。クレッタは熊のような太い胴と手足、牛の角を頭に据え、そして背中にはたくましい竜翼を広げた。荒息を吐き、眼下のロクに向かって腕を振り下ろす! ロクが飛び退くと、拳が地面に叩き込まれて陥没した。
 矢継ぎ早に、強烈な殴打が目にも止まらぬ速さで降り注ぐ。電気の糸が、残光を引く。踊るように躱す。いなす。喰らう。けれど倒れず、鋭い眼光でクレッタを睨みつけると、燦燦とした雷光が放たれた。
 クレッタと格闘を繰り広げるロクの動きは、電気で筋肉を刺激しているのか、目で捉えられない瞬間があるくらいに俊敏だった。
 地面に伏しているコルドは、起きあがろうとしていたが、ロクの姿に釘づけになっていた。正確には、まるで彼女らしくない動きを目の当たりにして、驚いていた。

(ロク、なのか……?)

 妙に、視界が広い。左目だけのロクの視界は常に、右側が不明瞭だったのに、長年付き合ってきた不利な景色を忘れてしまいそうなほどに、徐々に鮮明になる。
 けれど、頭の痛みは増すばかりで、一向に引く気配がないのだ。それどころか、痛みは収束して、塊みたいになって、頭の中心に寄り集まってくる。ずっとずっと、そこでなにかが響いていた。

 目の前の人間の目の色が変わったことには、クレッタは気づいていた。そしてなぜだか、この人間に喰われそうだ、という野生の勘が働いていた。にじり寄ってくる本能的なそれは恐怖とは違っていた。まるで、得体の知れない生き物と遭遇したときに湧いてくるような警戒心だ。
 判然としない。気味が悪い。むしゃくしゃする。クレッタは底知れない心地悪さに、無意識のうちに低く唸っていた。
 そして、ぷつりと目尻の血管を切らし、白目を剥くと、クレッタは腹の底にためていた渾身の力を振るった。

「アア──! ヴアア゛ッ!」

 太い腕が存分に振るわれる。ついにロクは、反応ができなかった。咄嗟に、腕で顔を覆ったものの、襲いかかってきた猛威に身体が弾けた。ロクは高く飛びあがり、弧を描いて空を舞うと、地面の上にぐしゃりと落下した。
 クレッタは鼻の穴も、口も広げて、呼吸を荒くしていた。
 
「ハア、ハア」 
 
 ロクはすかさず、雷を焚いて、四肢を叱咤する。立て。起きあがれ、と。命令は一瞬にして全身を巡り、頭に、腕に、胸に、脚に、意思を点火する。彼女はふたたび立ちあがろうとしていた。
 しかしぴたりと動きが止まってしまう。ロクは飛びこんできた光景に瞠目した。
 見ればクレッタが、倒れているレトを目がけて、怒涛の勢いで地の上を走っていた。

「オマエがいるから、この国のヤツらは、喚き立つ。また殺してやるよ! ヒトリ残さず! 跡形もなく! 殴って引き裂いてちぎってブザマに、殺してやるんだ!!」

 心臓が跳ねる。見開いた左の目は、瞬きができず、逸らせず、義兄の潰れてでこぼこになった顔を直視した。
 口だけが動いた。

「だめだ」

 電気の糸が舞う。 

「──、レトっ!!」

 力で無理やりに動かした棒のような手足よりも、ずっと痛いままの頭よりも、高鳴る心臓を真っ先に連れて、ロクは走った。

 そのとき。
 目の前で雷光が爆ぜた。
 光に包まれたロクは、この一瞬。
 白い世界の中で一人だった。


 痛かったのは頭ではなく右の目だったのだと、ようやく気がついた。


 眩い光が天上から一直線に落ちて地を穿つ。残光が空を真っ二つに裂いた。一本の光の大槍は、クレッタの脳天を突くとただちに爆発するように膨張した。天から下された巨雷の鉄槌がクレッタを殴打する。人間より遥かに大きな身体を持つクレッタがまるで豆粒かのように圧倒的な質量で、雷撃は神の身を塵芥にせんと燃え盛る。

 若草色の前髪が、風に弄ばれて揺れた。
 雷を呼んだ少女は瞳孔をかっ開き、硬直していた。
 
 視界が、広い。
 星を数えられるほどに鮮明で、本当の景色を映し出していて、けれど彼女の意識は内側にあった。


「────」


 このとき、ロクアンズは失っていたすべての記憶を思い出した。


「………………──え……?」


 巨雷の渦の中、クレッタは、全身の輪郭が消し飛ばされるかと錯覚するほどの激痛に耐えていた。猛火のごとく盛る電撃が、皮を焼き、肉を焦がし、骨を溶かすのだ。雷の勢力はとどまるところを知らず、拍車をかけて激しくなっていく。

「、ォ、ォ、ォ゛!」

 しかしロクは、クレッタには目もくれず、立ち尽くしたまま、俯いていた。
 片手は右目を覆っていて、その腕ごと小刻みに震えていた。頭も脚もがたがたと揺れだしていた。それは、雨粒と冷や汗の混ざったものが肌を濡らしたせいではなかった。

「……あ、ああ。あ……っ」

 彼女の口元が、はく、はくと、開閉する。衣服をぐしゃりと掴んで胸を抑える。なにか吐き出したがっていた。けれど出てきたのは、言葉にならない声ばかりだった。どこにも焦点が合っていない左の瞳も曇っている。呆然としているのか、動揺しているのかもわからないような彼女の表情には、ただ暗い影が落ちていた。

「うそ。わたし、私は」

 そう呟く声が雨の音にかき消された。
 
 すると突如、彼女の足元が陥没して地面の下から十数本もの木の根の群れが飛び出した。
 彼女は、咄嗟を利かせて高く跳びあがり、回避した。その拍子に巨雷の柱がふっと収束し、細い電気の糸を残して、瞬く間に立ち消えた。雷の渦中からようやく解放されるや否や、クレッタはけたたましく喚き散らした。それから歯茎まで剥き出しにして、脱兎のごとく地上を疾走し、猛烈な速度をもって彼女に迫った。

 しかし、視界の先ではすでに、雷を生み出すあの手のひらが待ち構えていた。

「オイ、その目」

 クレッタの口から想像もできないほどの静かな声が、ふいにこぼれ落ちた。
 金色の光が彼女の顔を照らしだす。轟く雷鳴が耳に差す。横殴りの雨風が、ごうと吹き荒れる、まさにそのときだった。

「オマエ、いたのかよ」
 
 若草色の前髪がめくれあがってそれが見えた。

 
裏切者うらぎりもんの……──【心情神(ハルエール)】ッ!」


 開かれた右の瞳は、血に濡れたような鮮やかな赤色だった。

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.173 )
日時: 2025/06/01 18:22
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第155次元 時の止む都31

 赤い瞳が光る。
 その艶やかで、いたく鋭い眼光は、いくら雨足が強くなっていこうとも、月明りが曇ってしまっても、なおも煌々と輝いて、迫りくる生命の神を真っ向から射抜いた。
 激しい雨が地面を叩く。暗雲の間をやみくもに駆けた雷光が、街中のいたる場所に次から次へと降り落ちる。
 高く跳びあがって八重歯を見せつけてきたクレッタを仰ぎ見て、ロクアンズは片手を掲げた。
 
「八元解錠」

 彼女は扉を開く。

「──"雷撃らいげき"!」

 巨大に膨張した雷電の塊が解き放たれ、光を浴びたクレッタが燃え盛った。クレッタは口を縦一杯に開けて絶叫する。その質量の余力をいったいどこに隠し持っていたのだろうか。彼女だけではない。天候さえ豹変し、嵐のように強い雨風が吹き荒れている。
 一瞬のうちに、クレッタの外皮は真っ黒焦げになる。灰塵も同然の肉体は、ただの黒い塊に変えられて、ぼろ雑巾のように落っこちた。直後だった。黒い塊がうごうごと身動ぎをしだす。そして何度も地面の上を跳ね、焦げた皮膚を剥がす。ぼこぼこと音を立てながら伸び縮みしていると、やがて頭が膨らみ、手足も伸びてくる。
 しかし赤い眼差しは看過しなかった。
 眩い一閃。力を圧縮させた細い雷の砲撃がまっすぐに飛んで、いびつな黒い塊のままのクレッタに突き刺さった。そのまま、地面と並行に、クレッタは中空を横っ飛びする。その速さは凄まじかった。あっという間に、クレッタは東門の城壁と衝突した。

 左右で長さの違う手で、積み上がった瓦礫の山肌を掴むクレッタが、のっそりと這い出てくる。
 かろうじて二足歩行の生物の外形をとっていた。が、すぐに背骨が柔らかく曲がって、身体と脚の長さが変形する。より速く、より遠くまで走れる肉体に替える。しかし走り出せなかった。ぴりっとした鋭い気配を感じ取り、耳が立つ。視界を動かすと、その奥から、目に痛いような光を纏った人影が、人間には出せない速度で地面を蹴って迫ってきた。雷光だ。雷を纏ったロクが、地面を踏みこんで、跳躍する。残光が斜線を描いて空を裂き、その脚を張って彼女はクレッタを蹴り飛ばした。

 ごうと低く唸る雷鳴が、一向に止まずにあたりに轟いていて、チェシアは失いかけていた意識を明らかにした。
 瓦礫の山の中から下半身を引き抜いて、彼女はようやく地に足をつけたのだが、その目に映ったのはロクがクレッタらしき生物と差し向かいになって、そして攻撃の手を緩めず果敢に戦っている様だった。状況を読み取るのに困難したチェシアは、唖然としてしまった。
 北門から視線を捧げるラッドウールも、巨大な鹿の姿をしていたクレッタが街を横断して疾走しているのを目にしてから合流を目指していたが、その道中で、天気がおかしくなったことに気がついていた。
 
「……ロク──……?」

 落雷が、すぐ近くの地点を強打して、キールアは高い声をあげて身体を逸らした。この場を離れてようとしても意味はないのだろう。まるで突然嵐が訪れたかのような、横殴りの豪雨と降りしきる落雷が、街中を襲っているのだ。
 キールアは遠くの空に、幾度となく瞬く雷光を、不安げな瞳で見つめていた。


 ──危険信号はとっくに鳴りだしていた。


 神が、外皮を焦がされ、骨を痺れさせ、胴を貫かれ、頭を殴られ、再生も変形も許されず一方的な暴力を許容しているなどと、天地がひっくり返っても認められるはずがなかった。クレッタは、はらわたが煮えくりかえるほどの憎しみを育てていたが、それを吐き出す隙さえなく電撃は降った。
 赤い視線がかち合う。

 このままでは、"殺される"。クレッタの憎しみとは裏腹に、全細胞が危険を知らせるように沸き立っていた。

 クレッタはすばやく思考を巡らせた。走ろうとすれば脚を焼かれて、叫ぼうと口を開けば喉を焼かれる。無論、植物を操ろうとするものならば、火を灯したような熱い切っ先をした電撃で斬り捨てられるだろう。
 高い空を見つめ、クレッタは逃走の手を決めた。雷撃を受ける、それが捨て身になってでも、クレッタは背中に小さな翼をたくわえた。そして彼女の一挙手一投足を眼と耳で観察する。彼女が片腕を突き出したそのとき、もう片腕が後ろへ振り切るのを目で見て、身体の重心がもっとも地面に負荷をかけた瞬間を足のつま先で感じ取って、両目で瞬きをする音を聞き分けた。野生の勘が"ここだ"と告げる。すかさず、クレッタは翼を大きく広げて、飛び立った。

 身体の形は飛行しながら操作するしかなく、クレッタは急いで鳥本来の体格へと変形した。そして暗雲に紛れてしまえるまで高く、疾く、ぐんぐんと高度を上げて飛翔した。
 しかし。ロクの赤い目に映る景色は恐ろしく鮮明だった。彼女は空に手を翳す。豆粒大にまで小さくなったクレッタの目頭に眩い光が降る。雷鳴。激しい爆音を伴った落雷が飛ぶ鳥を叩き落とした。

 黒い煙をあげる消し炭のような小さな塊が、真っ逆さまに落下する。

 ロクは赤い目をぎらつかせて、ゆっくり足を動かした。一歩、また一歩と、しっかりとした足どりで向かった先はクレッタの落下地点だ。
 しかしロクは、道中でぴたと足を止めた。そしてまだ空中にいるクレッタを視界の真ん中に捉えてから、自身の腕を見下ろした。
 纏っていた電気がふいに立ち消える。
 彼女が小さな口でわずかに息を吸う。すると、右目の赤色はより濃密に、より色鮮やかに光を放った。

 落下するクレッタに焦点を合わせ、詠唱する。


「────"呪記じゅき零条れいじょう"」


 黒い消し炭と化したクレッタは"それ"の気配を感じ取って我が身をがたがたと震わせた。
 "それ"がどのような呪いであるかを知っているのだ。
 鳴り続けている危険信号が一層激しくがなる。クレッタは、ふたたび鳥の姿に戻ってゆきながら、空の上からロクを睨みつけて号哭した。

「クソクソクソクソッ、オマエェ──ッ!!」

 突然、クレッタの落下地点から、無数の木の根、あらゆる植物が地面を割って噴き出した。怒涛の勢いで急成長し、それらは東門の方角に向かって幹や茎を伸ばす。そして気絶しているアイムを乱暴に捕まえると、ばねのように反動を利かせて、巨体のアイムを投げ飛ばした。
 旋回しながら宙を飛んだアイムはついに、クレッタの落下地点──ロクの視界の中央に到達した。
 
 次の瞬間。
 ──異様な紋様が、アイムの白い皮膚の上に刻みこまれる。紋様は崩した文字の羅列のようだったが、現代語ではなかった。紋様は徐々に、不安を誘うような赤黒い色合いに変色して、まるでアイムを侵食するかのように幾重にも折り重なって滲んでいく。
 最後に、赤い目が覆い隠されて、やがて完全に赤黒色の薄膜にアイムが包みこまれると──
 
 四散。

 衝撃的な光景だった。アイムの身体が酷く凄惨に、しかし花開くようにも大きく弾け飛んで、散る。撒かれた肉体はもはや雨粒と相違ないほどに細切れだった。十尺はあった胴体も、九本の触手も、おかしく並んだ目鼻立ちも、なにもかもばらばらになって飛び散った。
 降る雨粒に、黒い血潮が覆い被さった。

 ばたばと降る雨音だけが、街中を包みこむ。あとに残った黒い液体の水溜りはすぐに、雨水に流されて、消えてしまった。しかしぼんやりと地面を見つめていれば、その液体は雨水とは混ざらずに、ひとりでに蒸発したようにも見えた。
 気がつくと、クレッタの姿はもうどこにもなかった。おそらく暗雲の向こうに消えていったのだろう、目で追える距離にはもういなくて、街の中へと視線を戻した。

 ロクは踵を返し、ゆっくりと歩きだした。
 足どりは覚束ない、だから小石に躓いただけで、簡単に膝を崩した。息も絶え絶えで、指の一本も動かせそうにないほど疲れた横顔をしているのに、身体を起こして、荒れ果てた街の中を、一心不乱に歩き続けた。

 しかし、やがてぷつりと糸が切れたみたいに、彼女は道の途中で倒れた。

 さあさあと、耳のすぐ傍で雨音が響いている。そうしてようやく、彼女は瞼を閉じた。



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