ダーク・ファンタジー小説

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白薔薇のナスカ《改稿版投稿完了!》
日時: 2017/09/10 23:51
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

初めまして。あるいはこんにちは。四季といいます。
以前他サイトに投稿していた作品なのですが、こちらに移動させていただくことにしました。
初心者なので拙い文章ではありますが、どうぞよよしくお願い致します。
※この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

初期版 >>01-50
2017.8 改稿版 >>53-85

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.81 )
日時: 2017/09/08 18:38
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Mu5Txw/v)

episode.21
「ただ前へ進むだけ」

 作戦決行の日。
 とてもよく晴れた冬の朝だった。雲のない澄んだ空から降り注ぐ穏やかな日差しが、冷えたアスファルトを照らしていた。
 ナスカはいつもより早く起きて外へ出ると、空を仰ぎ、一人ぼんやりと両親のことを考えていた。
 庭の花壇から小さな芽を眺めた春、少し離れた野原で家族みんなでピクニックをした夏。秋にはどこか物悲しい海を眺め、冬には母が作った温かいポタージュを飲んだ。あの幸せだった頃の自分が、ほんの僅かでも、今の自分の姿を予想しただろうか……。
「おはよう」
 背後から声が聞こえ振り返るとそこにはエアハルトが立っていた。
「不安かい?」
「……いいえ。両親のことを考えていただけです」
 迷いのないナスカを見てエアハルトはふっと笑みをこぼす。
「強いね、君は」
「えっ!私がですか?」
「親を亡くし、兄や妹とも引き離され、青春時代を戦争に費やし……君は、最初に僕が思ったよりずっと偉大だったよ」
 エアハルトは優しく微笑む。
「い、偉大?そんな!私は偉くなんかありませんよ」
 ここまでなれたのは周囲の協力があってこそで、ナスカは一度も、自分が偉いからだと思ったことはなかった。
「ただ、私は私にできることをしてきただけです。今の私があるのは色々な人が助けてくれたからで、えっと、一人じゃなかったから上手くいきました」
 一人じゃなければ全てが上手くいく。
 それはまだナスカが悩んでばかりいた頃に、エアハルトがいつもかけてくれた言葉だった。
「ナスカ」
「何ですか」
「これが終わったらどこへ行きたい?」
 ナスカにはその意味がよく理解できなかった。
「戦争が終わって平和になったら、君が戦う必要はなくなる。そしたら、何をしたい?」
 そんなこと考えたことがなかった。この道を選んだその時、もう二度と幸せな日々には戻れないと覚悟した。それでも構わない、と。
 ナスカが答えに迷って黙り込んでいると、エアハルトは穏やかに微笑んで言う。
「……まぁいいや。今すぐに決めなくても、終わってからゆっくり考えれば構わないことだしね。さて!準備するか」
「そうですね」
 ナスカは大きく、強く頷く。
「それじゃあ、また後で!」

 それから数時間が経ち午前。
 作戦に参加する者はほとんど準備を終え、一箇所に集まる。ナスカはエアハルトのところへ行った。
「各自、予定の配置について」
 エアハルトがそう告げた。
 ジレル中尉はリリー、トーレはヒムロをそれぞれ乗せ、エアハルトとナスカは個人で敵陣まで入り込む。
「ナスカ、花火は持った?」
「持ちました」
 カスカベ女大統領の殺害に成功した暁に打ち上げる花火だ。これが上がると同時に、外からの部隊が攻め込む作戦である。
「では、健闘を祈る」
 これが上手くいけば全てが終わる。
 こうして長い一日が始まった。

 離陸して数分が経ったかという時、突然エアハルトから通信が入る。
『敵機を確認した。戦うな。今は関係ない』
「は、はい!でも、見逃していいのですか?」
 目を凝らすと、遥か彼方にぼんやりと黒い影が見える。五機ぐらいはいそうだ。
『僕が撃ち落とす』
 エアハルトの機体は他と方向を変えると、その黒い影に向かって、視認できないようなスピードで突き進む。それから一分もしないうちに辺りは煙に包まれ、その薄暗い煙からエアハルトの黒い機体だけが飛び出す。
『全機、撃墜』
 ナスカはさすがだと思った。彼の能力を実際に目にするのは久々な気がするが、『クロレアの閃光』の名はやはり伊達ではない。
 それから飛び続けること三十分、女大統領が住んでいるという建物が見えてくる。
『降りるよ』
 エアハルトが告げる。ナスカは予定の場所に着陸し、コックピットから出る。
「ここからは三つに分かれて行動する。ヒムロ、案内を」
「分かってるわ。任せなさい」
 ヒムロは真剣な顔をしながらも、どこか余裕ありげに頷く。
「私はかき乱せばいいのだな」
「リリーも頑張るよ!」
 ナスカが心配そうな顔をしているのに気がついたジレル中尉は言う。
「心配はいらない。リリーくんは守る」
「……大丈夫です。大丈夫だと……信じています」

 予定通りジレル中尉が騒ぎを起こし、見張りがそちらへ向かった隙に、ナスカとエアハルトは裏口から建物に侵入する。二人はヒムロの案内を聞きながら慎重に進んでいった。その間もナスカはリリーのことが心配でならなかった。
「何をしている」
 おそるおそる歩いていると、突然聞き慣れないハスキーな声が聞こえ、ナスカは心臓がドキリとした。
 エアハルトは拳銃を構える。
 そこに立っていたのは冷やかな雰囲気の女だった。裾を切り揃えられた艶のある短い髪に動きやすそうな軍服姿、背中には細身の長い銃。化粧はしていないようだが美人で凛々しい。
「男が一人、女が一人」
 女は拳銃を向けられても動揺せず、慣れた手付きで背負っている細身の長い銃を取り出す。それを構え、淡々とした口調で問う。
「外のやつらの仲間か?」
 エアハルトは女を鋭く睨みながらトリガーに指をかける。
「ん?男のほう、どこかで見たことがある気がするが……話したくないだろうし、まぁ構わん。捕らえて拷問でもすれば、話す気になるはずだ」
 女がそう言った刹那、歯切れの良い単発の大きな音が三回鳴った。エアハルトはトリガーを引いていた。床に小さな三つのくぼみができている。
「この期に及んではずすとは、その度胸は認めてやろう」
 どこか余裕を感じる女とは対照的に、エアハルトは殺伐とした雰囲気を漂わせている。トリガーにかけられたエアハルトの指が微かに震えていることに気付いたナスカは、覚悟を決めて拳銃を取り出す。
「そこを退いて下さい」
 しかし女は細身の長い銃を構えてじっとしているままだ。
「それはできない」
 ナスカはスライドを引き、トリガーに指を添える。
「残念です」
 トリガーを引く、乾いた音と共に弾丸が飛び出す。弾丸は女の頬にかすり、後ろの壁に突き刺さる。拳銃の扱いには慣れていないナスカとしては、かすっただけでも上出来だ。
 女は銃を撃つ。
 反応に遅れたナスカの腕をエアハルトが引っ張る。もう少し遅ければ消し炭になってしまっていたかもしれなかった。
「大丈夫?」
「は、はい。平気です」
 女は素早く次の弾を込め、細身の長い銃の銃口をナスカの背中に向ける。
「危ない!」
 即座に気付いたエアハルトは叫ぶとほぼ同時に、覆い被さるようにナスカを抱き締める。ナスカは強く目を閉じる。
 ……硝煙の匂いが漂う。痛みを感じない。ゆっくりと目を開く。首もとから赤い液体が流れて、ナスカは、はっとする。
「エアハルトさん!」
 首もとを濡らしている赤い液体は、彼の肩から流れてきているものだった。
「大丈夫ですか!?」
 エアハルトは顔をしかめながらも弱々しく言う。
「心配しないで……ナスカ。これぐらい、大丈夫だから」
 女は次の弾を込め、引き金を引く。動く時間はなかった。
 背中に弾丸を受けたエアハルトは、駆け巡る激痛に顔を歪めながらも、女に向けて拳銃のトリガーを引く。しかし、震える手では狙いが定まらない。
「そうだ、思い出した。エアハルト・アードラー……だったかな?詳しくは知らぬが、貴様は確か拷問にすら屈さぬとか」
 女はエアハルトに歩み寄ると彼の拳銃を持つ手を掴む。
「所詮、噂は噂。拷問に屈さぬ男ならば、女一人ごときに震えるはずがあるまい」
 バカにしたような笑みを浮かべる女に腹を立てたナスカは、すかさず言葉を挟む。
「バカにしないで!」
「愚か者はバカにされても仕方がない。そういうものだ、諦めろ」
 そう言って女はエアハルトを蹴りとばす。彼の耳に装着されていたヒムロとやり取りするための小さな片耳用イヤホンがとれて床に落ちた。
「エアハルトさんは愚か者なんかじゃないわ!」
 腹を蹴られたエアハルトは、荒い呼吸をしながら手首を押さえ、地面にうずくまっている。
「そうか。ならば、そう思っていて構わない。二人仲良く地獄に落ちるといい」
 女はそう吐き捨てると、長い銃を再び構えた。
 ——死ねない。こんなところで死んだら、平和は訪れない。それだけではなく、ここまでのみんなの頑張りが水の泡だ。
 ナスカは一撃目を素早くかわすが、着地に失敗してつまずき転倒し、直後、顔を上げた時には既に、銃口がナスカの額を冷たく睨んでいた。それに気付いたナスカは青ざめる。
 女がトリガーを引く直前、天井の一つのパネルが、パタンと軽い音を立てて開く。そこから勢いよく飛び降りてきて、ナスカと女の間に入ったのは、ジレル中尉だった。
 女はいきなりの登場に少し驚いたようだったが、すぐに無表情に戻り、今度はジレル中尉に銃口を向ける。
「気を付けて下さい。あの女の人、素早いです」
「そうか。ありがとう、ナスカくん。だが……関係あるまい」
 ジレル中尉は素早く女に接近し弾丸を入れている腰の袋を奪い取ると、それをナスカに向かって投げる。ナスカはキャッチする。
「……く」
 女は小さく舌打ちする。
 ジレル中尉は女の足を凪ぎ払い転倒させ、女の首もとを掴むと、壁の方向に蹴飛ばす。勢いよく廊下の壁に叩きつけられた女の方へ歩いていき、ジレル中尉は更に二・三発女を蹴る。それがとどめとなり女は気絶したらしく、全身が脱力したのが見てとれる。
「役目が終わったリリーくんは一旦ヘリで避難させた。ナスカくんは無事か?」
 ジレル中尉が振り返り、硬直しているナスカに尋ねながら近付いてくる。
「怪我はないか」
 彼の声で現実に戻ったナスカは、急いでエアハルトのもとへ駆け寄る。命の危機に直面し、つい忘れていた。
「ジレル中尉、エアハルトさんが!」
 エアハルトは倒れたまま、青い顔でぼんやりとしている。
「エアハルトさん、大丈夫ですか?私はここにいます。すぐ手当てしますから、頑張って下さい」
 ナスカはエアハルトの冷えた手を握り泣きそうになるが、必死に涙を堪える。
 そんなナスカにジレル中尉が淡々と告げたのは残酷な内容だった。
「残念だがナスカくん、アードラーを手当てする時間はない」
「そんな!では彼をこのまま放置するのですか!?」
「一人の人間に時間をかける余裕はない。任務が優先だ」
 ナスカは胸が締め付けられ、苦しくなる。エアハルトの手を強く握ると、今まで我慢していた涙が一気にこぼれた。
「……やだ。嫌だ」
「ナスカくん、時間がない。直に敵が押し寄せる。急ごう」
「絶対に嫌!」
 はっきりと拒否されたジレル中尉はすっかり困ってしまう。
「エアハルトさん……聞こえますか?聞こえているなら、返事して下さい」
 ナスカが小さく声をかけるとエアハルトの指が微かに動く。
「エアハルトさん!」
「大丈夫……」
 彼の唇がほんの少し動いた。
「死んだり……しない。全部……終わるまで」
 掠れた弱々しい声だった。
「私はずっと、貴方の傍にいます。だからどうか生きて」
 エアハルトのぼんやりした瞳がナスカを捉える。
「……泣かないで」
 エアハルトは手を伸ばし、その指でナスカの目からこぼれた涙を拭く。ナスカは驚いてエアハルトを見る。
「……行って」
 彼は小さくも優しい声で呟くように言い、笑みを浮かべる。
「お願い、嫌よ。貴方と離れるなんて絶対に嫌。私、もう二度と大切な人を失うのは耐えられない。エアハルトさん、私は」
「ナスカくん!上!」
 突然ジレル中尉が叫んだ。
 驚いて顔を上げると、天井が崩れてきていた。ジレル中尉がナスカの腕を掴み引っ張る。
 次の瞬間には、天井の瓦礫が廊下を完全に塞ぐ。ナスカは絶望で目の前が真っ暗になり、言葉は出なかった。
「無事か」
 ジレル中尉が確認した。
「……一緒に死なせてくれれば良かったのに」
 ナスカがそう漏らすと、ジレル中尉は返す。
「何ということを言うんだ」
 ナスカの腕を掴む。
「運命は残酷ね……。いつも、私からすべてを奪ってしまうもの……」
 この時ばかりはさすがのナスカも、死んでしまえたらどれほど楽になれるだろう、と考えた。もし今、偶然でも心臓が止まったなら。呼吸が止まったなら、どれほど苦しまずに済むだろうか、と。
「いや。それは違う」
 ジレル中尉はそんなナスカにはっきりと告げる。
「君にはリリーくんも兄もいる。運命は君から奪うばかりではない。大切な人がいることを思い出せ。しっかりしろ、リリーくんを残して死ぬな。……行くぞ」
 それからジレル中尉は半ば強制的にナスカを引っ張っていった。
「君はリリーくんの一番大切な人間だ。こんなところで死なせるものか」

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.82 )
日時: 2017/09/10 23:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

episode.22
「カスカベ女大統領」

 エアハルトが死んでしまったかもしれない。そう思うと、ナスカは何もかもどうでもよくなりそうだった。今は、すべてを諦めてエアハルトのところへ帰り、彼を抱き締めたそのまま二人で死んでしまうことが、一番の幸せのように思えた。
 だがジレル中尉は、ナスカがその選択肢を選ぶことを許しはしなかった。
「死ぬな。例え平和な世界が訪れたとしても、その時に生きていなければ意味がない」
 彼は淡々と、しかしどこか優しく、そんなことを言った。きっと彼なりの気遣いなのだろう。もっとも、ナスカは絶望に染まっているせいで気付かなかっただろうが。
 ナスカとジレル中尉は黙り込んだまま廊下を早足で歩く。二人の間には会話はなく、規則的な足音だけが廊下に反響していた。

 大頭領の執務室の入口の前には、頑丈そうな防具で身を固めた体格のいい男が三人ほど、銃器を構えて立っていた。いつどこから来ても殺す自信があるというくらいに、らんらんと目を光らせている。
「……見張りがいますね」
 ナスカが困り顔で言うと、ジレル中尉は冷静に返す。
「問題ない、すぐに片付ける。全員を倒したところで突入するぞ。それまでは隠れていて構わんが、準備しておけ」
「……はい」
 ナスカが覚悟を決めて頷くのを、ジレル中尉はほんの少し微笑んで見詰める。それから彼は目を閉じ心を落ち着かせ、男たちがいる方へ歩き出した。
「侵入者だ!」
 一人が気付いて叫んでから、銃器の引き金に指をかけるまでの、ほんの僅かな瞬間に、ジレル中尉は回し蹴りをヒットさせる。勢いよく顔面を蹴られた男は失神して崩れ落ちる。
 残りの二人は驚きと恐怖の入り交じった感情に顔をひきつらせながら銃を向ける。ジレル中尉は微塵も動揺せず、失神した男が落とした銃器を構えると、片方の男の胸を撃ち抜く。
「く、来るな!」
 一人残された男は錯乱気味に連射する。ダダダ、と激しい音が鳴り、廊下の床や壁に、細かな穴が沢山できた。
「終わりだ」
 最後の男は、ジレル中尉の冷ややかな一言と共に、胸に銃弾を受け倒れた。
「こちらジレル。突入する」
 彼は壁の陰に隠れているナスカに合図する。ナスカは勇気を振り絞り一歩を踏み出した。
「エアハルトの仇は私がとる」
 いつしか彼女の心には、そんな決意が芽生えていた。
 ジレル中尉は装飾を施された立派な扉を乱暴に蹴り開ける。
「あらあら。ようやく来たようですわね」
 ナスカが目にしたのは、二十代後半くらい——自分より少し年上に見える、色白で美人の女性だった。柔らかな淡い茶髪をお団子にまとめ、白いスーツを身にまとっているその姿は、女性らしさを持ちながらも知的で、品のある印象だ。
「こんなところへ何のお話をしにいらしたのかしら?」
 随分余裕のある表情だった。
 ジレル中尉は何も答えずに引き金を引いた。大きな音が轟きナスカは思わず耳を塞ぐ。
 やがて音が止み、ナスカは女性を見て驚く。
「そんな風に適当に撃ち続けても当たりませんわ。何のお話をしにいらしたのか、このわたくしが質問しているのです。それに答えず、更に銃を向けるとは……無礼にも程があるというものですわよ」
 いつの間にか、大きな盾を持った男たちが彼女の前にずらっと並び、壁をつくっていた。
「カスカベ様、ご命令をお願い致します」
 おそらくリーダー格なのであろう一人が言った。
「えぇ。奴らを殺しなさい」
 女性は今までとは違い感情のこもらない冷たい声で命じた。
「承知しました!!」
 一列にずらっと並んだ男たちが、一斉に背中から銃を取り出し構える。
「撃て!」
 命令の一言で全員が同時に引き金を引く。
「ナスカくんは下がっていろ。……死ぬなよ」
 ジレル中尉は硬直しているナスカに声をかけてから、男の列に突撃していく。彼の素早い動きに翻弄され列が乱れた。
「ナニッ!突撃だと!」
「うわっ!」
「こ、こいつ!」
 男たちの慌てふためく声がはっきりと聞き取れた。
 喧騒の中、女性——カスカベ女大頭領が、ナスカの方に余裕のある足取りで歩いてくる。ナスカは警戒して素早く腰の拳銃を手に取り、銃口をカスカベに向ける。
「動かないで!」
 ナスカは威嚇するように鋭く叫んだ。
「あらあら、そんな風に警戒しないで。わたくしは貴女みたいな女の子好きですわよ」
 銃口を向けられているにも関わらず穏やかな微笑みを浮かべているカスカベを見て、ナスカは更に警戒する。
 カスカベは呑気に言う。
「わたくしは無益な争いをする気はありませんわ。誰にも利益をもたらさない争いなど、時間の無駄。貴女もそうは思いませんこと?」
「だったらどうして戦争なんかするの。それこそ、人を傷付けるだけで何の利益もない争いじゃない!」
「なぜ戦争をするか?」
 突然冷たい雰囲気になったカスカベに、ナスカは悪寒を感じた。
「簡単なことですわ。リボソ国の領土には資源がない。けれど国の発展のためには資源が必要不可欠。となれば、必然的に近隣の国から分けてもらうことになるでしょう」
「それは戦争をすることの理由にはならないわ!」
 ナスカが口調を強めて言い放つと、カスカベは可哀想な者を見るような目で返す。
「クロレアが資源を半分でも譲ってくだされば、こんなことしなくてもよかったのですわ。貪欲なお偉い様方が、資源を独占しようとしようとした結果がこれ。つまり、自分たちが招いた事態ですのよ」
「だからって、武力で奪いとろうなんて……そんなの変よ!戦争によって奪われた命は無関係な人間の命が大半だわ。そんなのおかしい。どうしてそう思えないの!?」
「大人の世界なんて、そんなものですのよ。まだ若い貴女には分からないかもしれませんけれど……」
 ナスカはカスカベに向けた拳銃の引き金に指をかける。
「今すぐ戦争を止めて。じゃないと撃つ!」
「できますの?」
 ナスカは言い終わるのを待たずに引き金を引いた。
「あらあら、いきなり発砲するとは危ない娘ですわね」
 弾丸はカスカベを通り越し、壁に穴を開ける。
 その間にもジレル中尉は華麗な動きで、並んでいた男たちを次々に倒している。
「それにしても……てっきりエアハルト・アードラーと来るものだと思っていましたわ。彼、今日はお休みですのね」
「そうなんです」
 ナスカはふつふつと沸き上がる憎しみを必死に抑えて冷静に答えた。
「それであのような野蛮な男とペアになってしまいましたのね。可愛らしいお嬢さんなのに、実に可哀想ですこと」
「侮辱しないで!」
 カッとなり引き金を引く。
 その数秒後、ナスカは愕然とした。ナスカの撃った弾丸が、ジレル中尉のすねをえぐっていたからだ。
 動揺した顔のジレル中尉と目が合う。
「……そんな」
 ナスカが愕然として呟いた次の瞬間、ジレル中尉は男に地面に押さえ込まれる。だが彼は、傷ついたすねをぐりぐりと踏みつけられても、弱音を吐くことなく男を睨み付けている。
「お前たち、少し待ちなさい」
 少し笑みを浮かべながらカスカベが述べた。
「カスカベ様?」
 男はジレル中尉を地面に押さえ付けたまま、不思議そうな顔をしている。
「その男は殺さない。捕らえておきなさい」
 男はカスカベの唐突な命令に戸惑いを隠せない。
「ですが……」
「わたくしに逆らうの!首を切られたいのですわね!?」
 カスカベは男をギロリと睨みヒステリックに叫ぶ。男は青ざめ畏縮している。
「す、すみません……」
「次に口答えをすれば、ただじゃ済まないとお思い!」
「ちょっと、言い過ぎよ!」
 ナスカがつい口を挟むと、カスカベは不思議そうな顔になった。
「あらあら、いきなり何を言いますの?貴女もあの男と一緒に捕らえて捕虜にしますわ」
 それからカスカベはナスカの腕を強く掴んだ。関節が軋む。
「ちょ、痛い!止めて!」
 ナスカは必死に腕を振ったり足を動かしたりしてみるが、カスカベの力は意外と強く逃れられない。
「離しなさいよ!」
「言ったはずですわよ。捕虜にする、と」
 カスカベはナスカの手から落下した拳銃を拾うと、その銃口をナスカの額にぴったりとくっつける。
「貴女がどうしてこんな生き方を好むのか……わたくし、少しだけ興味がありますわ。名誉、お金、権力……一言に欲望と言っても色々ありますけれど、貴女は何が欲しくてこんなことをしていますの?」
「好んでなんかない。当たり前の暮らしを手に入れるために戦うだけよ」
 他人に誇れるだけの名誉も、恵まれた生活をするためのお金も、社会で有利に生きていくための権力だって、ナスカは持っていた。由緒ある貴族の家に嫁ぎ、平穏に生きていくという人生だってあった。それだけの容姿も教養も家柄も彼女は持っていたのだから。
「当たり前の暮らし、ですって?あらあら。笑わせますわね」
 カスカベはナスカをバカにしたように鼻で笑った。
「正義の味方気取りは自分の身を滅ぼしますわよ?自分以外のために生きれば、いつか必ず後悔するもの……」
「それは違うわ!」
 聞き慣れたはっきりした声が聞こえ、ナスカは驚く。しかしカスカベはナスカよりも驚いた顔をしている。
「待たせたわね」
 ヒムロは長い金髪をたなびかせ、口元には余裕の笑みを浮かべている。
「まずはその拳銃、ナスカちゃんから離してもらえるかしら?カスカベ大統領」
 カスカベは動揺を隠そうと平静を装っているが、ナスカには瞳が揺れているのがはっきりと見えた。
「やはり……生きていると思いましたわ。一度は逃亡しておきながら、のこのこと帰ってくるとは。実に愚かなことですわ」
 ヒムロの後ろには十人程度の男がおり、若い者の中に、一人中年に見える者がいる。その中にナスカが知っている人は一人もいない。それどころか、リボソの軍服を着ている。
「カスカベ!時代は変わる!」
 ヒムロはカスカベをビシッと指差すと鋭い声をあげる。
「ここは既に包囲されてる。逃げ場はないわよ」
「……ふざけるな」
 カスカベが歯を食いしばり引き金に指をかけようとした、その刹那、ヒムロの背後にいる若い男の一人が目にもとまらぬ素早さで接近し、カスカベを背負い投げした。ナスカはその様子を硬直したまま見守る。
「ナスカさん!今のうちに逃げて下さい!」
「は、はいっ!?」
 ナスカは理解しきれないまま慌ててその場から離れる。
「捕まえるのよ!」
 ヒムロの指示に従い、若い男たちはカスカベの方へ行く。鬼の形相で暴れるカスカベには、さっきナスカが初めて出会ったときに感じた品や知的さはない。まったくない、と言っても過言ではない。
「……おのれ。おのれ、ヒムロルナ!ふざけるな!この国はこのわたくしのもの!!誰にも文句は言わせない!!」
 男たちは数名がかりで、激しく暴れ抵抗するカスカベを押さえ込んだ。
「ちょっと、お前たち!ぼんやりしてないでどうにかしなさいよっ!」
「は、はい!ですが何を……」
「ちょっとは自分で考えろ!このバカ男!!」
 カスカベの部下である男が畏縮した隙を見逃さず、ジレル中尉は所持していた短剣で男の脇腹を刺す。さすがに慣れたもので、なんの躊躇いもない。ジレル中尉は近くにいたカスカベの部下を蹴り飛ばし気絶させる。赤くこびりついた片足はやはり痛むようで、ハンデになっていたが、それ以外の要素で上手くフォローしている。
「ナスカちゃん、お疲れ様。あとはあたしに任せて」
 不安げな表情を浮かべているナスカにヒムロは微笑みかける。
「心配はいらないわ。アードラーくんは無事よ」
「えっ!エアハルトさんは生きていらっしゃるのですか?」
「瓦礫の隙間にいたみたいで、怪我は銃創だけだったわ。生命力の半端ない彼なら、きっと生き延びる。だってアードラーくん、あれだけの拷問すら耐え抜いた人だもの」
「……よかった」
 ほとんど諦めかけていたナスカは驚きとともに安堵し、思わず自然に笑みがこぼれた。
 そして、頭のスイッチが切り替わる。
「ヒムロさん。あの人、私が撃ってもいいですか」
「……ナスカちゃん?」
 ヒムロは理解しきれていないような顔だ。
「確か、私が殺す作戦でしたよね。それで構いませんか?」
「別に構わないけど……突然どうしたの」
 若い男の一人がナスカの拳銃をヒムロに渡す。
「ルナさん!あのお嬢さんの拳銃です。取り返しました」
「ありがと」
 ヒムロは小さくお礼を言いながら拳銃を受け取ると、それを持った手をナスカに差し出す。
「ナスカちゃん……本当にやるつもり?」
 既に覚悟を決めているナスカが力強く頷くのを見て、ヒムロはふっと笑みをこぼす。
「いい覚悟ね」
 ナスカはヒムロから拳銃を受け取ると、その黒い銃口を、動けなくされているカスカベへと向ける。興奮と緊張の入り交じった複雑な感情が全身を駆け巡った。
 いくら射撃が下手とはいえ、動かない的に当てるくらいなら可能なはずだ。ナスカはしっかりと狙いを定め、落ち着いて指を引き金にかける。
「お待ちなさい!待って!こんなのは一方的でおかしい。間違っていますわ!」
 これですべてが終わる。いや、この一撃で終わらせるのだ。
 ナスカはカスカベの眉間を冷静にじっと見る。
 しかし、今、彼女が見ているのは、その先にある未来だ。ずっと待ち続けた、あの日からずっと望み続けてきた、明るい未来。
 そして、引き金を引いた。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.83 )
日時: 2017/09/10 23:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

episode.23
「この幸せなぬくもりを」

 空に、華が咲いた。
 昼間のまだ明るい空に咲くまばゆい華を、その日、リボソ国の国民は見た。
 その綺麗な華は、大空に大きく開き、ちらちらと名残惜しそうに輝きながら消える。それは女帝カスカベの時代の終わり、そして、リボソの国の新たな時代の幕開けを意味していた。
「……終わった」
 合図の花火をあげたナスカはすべてが終わった後の静かな部屋にゆっくりと帰ってきた。先程までの喧騒が嘘のようだ。カスカベの部下の男たちは愕然として目を大きく見開き、立ち尽くしている。その足は微かに震えていた。自分たちのこれからを恐れているようにも見えた。
 こわばった顔をしているナスカの心を癒そうとしたのか、ヒムロは優しく微笑みかける。
「よくやったわね。ナスカちゃん、さすがだったわ」
「けど私……人を」
 ヒムロは首を横に振り、ナスカをそっと抱き締める。
「いいのよ」
 ナスカを抱き締める腕から、温かなぬくもりが、じんわりと伝わってくる。母親と錯覚するような温かさだ。
「後悔しない道を選んだのでしょう」
 確かにヒムロの言う通り、カスカベにとどめを刺したことを後悔はしていない。むしろどちらかというと、すっきりしているくらいのところもある。
「ご苦労だったな」
 ヒムロの後ろから言ったのはジレル中尉だ。
「ジレル中尉!あの、……ごめんなさい。私」
 ナスカが頭を下げて謝ると、ジレル中尉はやや恥ずかしそうな表情で返す。
「構わん。気にするな、仕事がら怪我には慣れている。それに応急手当てはしてもらった。もう大丈夫だ」
 言われてから見てみると、ジレル中尉の足には包帯が巻かれていた。ヒムロが連れてきた男たちの中に、救急箱を持っている者がいる。どうやらその彼が手当てしたようだ。
「けど、痛かったでしょう。本当に……本当にごめんなさい。治りますか?」
 ナスカがジレル中尉の手を取り目を見詰めると、ジレル中尉は戸惑ったような顔をした。
「たいした怪我ではない。正しい処置をすればすぐ治る」
「……よかったぁ」
 ナスカは目の前の彼に悪いとは思いながらも、安堵して漏らした。けれど彼はそれを聞いても嫌な顔をしなかった。
 ヒムロがジレル中尉に視線を合わせ口を開く。
「それじゃあ、後は任せるわ。ナスカちゃんをよろしく」
「私らは撤退か?」
「アードラーくんに会わせてあげてほしいの。彼や戦闘機を乗せた船がもうじき出るわ」
「……そうか」
「時間がないわ。ちょっと急いだほうがいいと思うわよ」
 ナスカがふと疑問に思ったことを尋ねる。
「ヒムロさんは?」
 するとヒムロは穏やかに微笑んだ。
「あたしはリボソに残るわ。これから色々しなくちゃならないことがあるのよ。だから、しばらくの間、別れね」
 その言葉を聞き、ナスカは突然寂しい気持ちに襲われる。
「……もう一緒にいられないんですか。まぁ、そうですよね。初めから、ヒムロさんはクロレアの人じゃない……」
「まさか」
 切なそうな顔をしているナスカの頭を優しく撫でる。
「用が済んだら、また会いに行くわよ。それまで待ってて」
 ヒムロは迷いのない瞳で微笑んでいた。

 それから、ナスカはジレル中尉と港へ急いだ。あまりゆったりしている時間はない。
 街で怪しまれないために私服に着替え、鉄道を乗り継ぎ、なんとか船が出る時間に間に合うように急ぎ足で歩いた。本当は自動車かなにかを使えればよかったのだが、さすがのヒムロもあの短時間でそこまでは用意できなかったらしい。戦争中であったのだから仕方ない。使える鉄道があるだけ、まだましだ。
 一刻も早くエアハルトに会いたいと思う気持ちが、ナスカをいつもより早足にした。ジレル中尉は足に怪我をしていながらも、ナスカの気持ちを汲んでいたのか、彼女のテンポに合わせて歩く。
「それにしても遠いな。結構な距離だ」
 港へ向かう海岸沿いを歩いているとき、いつもは無口な彼が唐突に口を開いた。
「そうですね。早く帰って、ゆっくりしたいです」
「あぁ、そうだな。私もだ」
 ジレル中尉は珍しく穏やかな表情を浮かべている。
「果たしてこれで、本当に戦争は終わるのでしょうか」
 爽やかな海風がナスカの髪を揺らす。海岸沿いということもあり激しい風だが、今はそんな風など気にもならない。
「それは……どうだろうか。争いはまたいずれ起こるだろう。人間の歴史なんてものは戦争ばかりだよ。だが、君の戦争は終わった。それだけで十分じゃないか」
 太陽の光が妙に眩しく感じられる。
「本当はここにいるのが、アードラーなら良かったのだがな」
 そう言いながら、ジレル中尉は今までで一番寂しそうに笑っていた。

 二人が港に着いたとき、エアハルトや戦闘機を乗せているというクロレア行きの船は、既に出港の準備を始めていた。
 ナスカはその船の近くで作業している、見知らぬ一人の男性に声をかける。
「あの、すみません!この船、今から乗ってもいいですか?」
 やや縦長のごつごつした輪郭がたくましい男性だったが、いかつい見た目に似合わない優しそうな、愛らしさすら感じる笑みを浮かべた。警戒されているものと思っていたナスカは意外な反応に内心驚いた。
「許可はありますか」
 たくましい男性は笑みを崩さずにナスカを見て尋ねた。
「えーっと、許可ですか?」
 よく分からないナスカは、困ってジレル中尉に目をやる。
「ありますか?」
 その時、男性はジレル中尉に視線を移し、はっと何かに気付いたような顔をする。
「あっ!これはこれは、ジレルさんではありませんか!もしかして、そちらの女性は娘さんですか?」
 男性は厳つい顔をくしゅっと愛らしく縮め無邪気に尋ねた。
「私は独身だ!」
 気分を害したのかジレル中尉は強い調子で言う。
「ナスカ・ルルー!知っているだろう!?」
 たくましい男性はその気迫に圧倒され弱々しく返す。
「す、すみません。自分はあまり詳しくなく……」
 その弱気な態度が気に食わなかったのか更に食ってかかる。
「何を言う!ナスカくんはクロレアの英雄だぞ!それを詳しくないから知らないだと?ふざけるにも程が……」
「落ち着いて下さい!」
 ナスカは大きく叫んだ。
 ジレル中尉は愕然として目を見開く。いかつい男性も驚きをあらわにしている。
「あのっ、すみません!ありがとうございます。それじゃあ私たち、この船に乗ります!」
 ナスカはそう言ってジレル中尉の手を引いた。男性は始終、きょとんとしたままだった。
 ナスカは手を離さないまま、今にも出港しようとしているクロレア行きの船に向かって駆け出す。海からの強い風が、二人を後ろから急かしていた。

 なんとか間に合い船に乗り込むことができたナスカとジレル中尉は、近くにいた女性乗組員に頼み、エアハルトがいるという部屋まで案内してもらった。
「こちらがエアハルト・アードラーさんの客室になります。お休み中かと思われますので、どうかお静かにお入り下さい」
 ナスカがお礼を言うと、案内してくれた女性乗組員は深々と頭を下げ、静かにその場を離れる。
「行きましょう」
 そう声をかけたが、ジレル中尉は立ち止まったまま首を横に振った。
「いいよ。私は」
「えっ、どうしてですか?」
 彼は壁にもたれかかり、口角を上げる。
「一人で行ってくるといい。色々な意味でその方が良かろう」
「……そうですか。では」
 ナスカは軽くお辞儀してから客室のドアノブに手をかけた瞬間、期待と不安の入り交じった感情を感じる。数秒間があってから、ドアノブを捻り、ゆっくりとドアを開ける。
「あの……こんにちは」
 壁には絵画、そしてクラシカルなテーブルとイスがあるという、やや古風な内装だった。客船の客室みたいだ。
 ナスカはゆっくりとベッドの方へ足を進める。
「エアハルトさん」
 小さく呼びかけてみるが反応はない。どうやら随分深く眠っているらしい。物音に一切反応しないぐらいの深い睡眠だ。
 ベッドの横まで行き覗き込むと、その暖かそうな布団の中でエアハルトはすやすやと眠っていた。その寝顔はとても穏やかで、苦痛の色が浮かんでいないことに安心した。
 ナスカがそっと彼の額に手を当てかけた刹那、エアハルトがうっすらと目を開いた。ナスカは慌てて手を離す。
「……ナスカ?」
 寝起きでぼんやりしながらエアハルトは尋ねた。
「エアハルトさん!」
 ナスカは思わず叫んだ。
「な、な、何!?」
 大声に驚いたエアハルトは、怪我人とは思えぬ素早さで起き上がる。日々の鍛練の賜物だろうが……今はあまり関係ない。
 ナスカは嬉しさのあまり、なんの躊躇いもなくエアハルトを強く抱き締めた。
「生きていて良かった。……もう会えないかと思いました」
「心配かけてごめん」
 エアハルトはそう言ってナスカの頭に優しく触れる。彼もまた再会を喜んでいた。
「あっ、そういえば、体はもう大丈夫なんですか?」
 嬉しさの暴走が落ち着くと、ナスカは尋ねた。
「うん、大丈夫。じっとしていれば治るって」
「もう痛くないんですか?」
 エアハルトは、ナスカに心配をかけまいと思ったのか、明るく元気そうに振る舞う。
「さすがに普段通りってわけにはいかないけど、大丈夫だよ。たかが二発だしね」
 痛くないわけないのに。
 その言葉が真実とは思えなかった。だが完全な嘘ではないだろうとは思えたし、何よりナスカのことを考えてそう言ってくれていると分かった。
「……それなら良かったです。生きていてくれればそれで。もう言うことはありません」
 ナスカは、もう一度だけ、とエアハルトを強く抱き締める。 そして部屋を出ていこうとしたとき、その背中に向かって、エアハルトが少し大きめの声で言う。
「一つだけ言ってもいいかな」
 ナスカは足を止めた。
「僕は気付いたんだ。これは伝えないと絶対後悔するって。だから……」
「何ですか?」
 振り返ると、エアハルトは真剣な顔つきだった。
「ナスカ、君が好きだ」
「……えっ?」
 ナスカは耳を疑い、信じられない思いで彼に目をやる。
「今……何て?」
「君が好きだ、結婚してくれ。そう言いたかったんだ」
 エアハルトは微塵も照れることなく、迷いのない真剣なまなざしでナスカを見つめていた。
「だ、大丈夫ですか!!?」
 ナスカはエアハルトに駆け寄り、彼の肩を掴み、大きくぐらぐらとゆする。
「やっぱり脳にダメージがあるんじゃありませんか!!?」
「大丈夫だよ大丈夫……って、ちょ、痛いよ!痛いって!」
 ナスカはエアハルトの声で正気に戻り彼の肩から手を離す。
「あっ、すみません。それにしてもあの……それは、本気ですか?」
 ナスカは彼の言ったことをまだ信じられずにいた。
「僕は嘘はつかない」
 エアハルトは落ち着きはらってそう答えた。こんな時に限って落ち着き払っているから、ナスカは余計にその言葉を信じられなかった。
「お気持ちは嬉しいですけど、いきなり結婚なんて。……まだ今は分かりません」
 エアハルトは、戸惑いを隠しきれていないナスカの腕を引き寄せ、優しく述べる。
「返事は急がないけど、本気だから。考えてほしいな」
 間近でみるエアハルトの顔はいつもより魅力的に見える。普段でも凛々しく十分な美男子なのだが、今はいつもと違った雰囲気がある。いや、意識してしまったせいで今までと違って見えているのかもしれない。
「で、でも……航空隊は独身男性でないといけないのではなかったのですか?」
 航空隊について学んでいた時、ある本でそんなことを読んだ気がする。ナスカがおそるおそる尋ねると、エアハルトは首を横に振り答える。
「独身じゃないといけないっていう規定はないよ。心に決めたただ一人の人に捧げるだけならいいんじゃないかな?」
 そう言ってからエアハルトはニコッと笑みを浮かべる。
「そうですか……。けど、航空隊で既婚の方って、会ったことがありません。戦闘機パイロットなんて、女の人に人気ありそうなのに不思議です」
「そりゃあ戦闘機パイロットは人気あるよ。給料もそこそこだしね。その代わり、いつ死ぬか分からないし、人殺しが仕事なわけだからね……。それになぜか性格に難ありの人も多い」
「それはそうですね」
 今まで出会ってきた人たちのことを思い浮かべると、確かに風変わりな人物が多かったと思い、ナスカは妙に笑えた。
 一人として普通……いや、平凡な人はいなかった気がする。けれど、心底悪い人だと思うような人はいなかった。無愛想だったり謎が多かったり。けれど、みんな根は優しくて、どこか良いところがあり、頼りになる人たちだったことは確かだ。
「エアハルトさん……本当に私でいいのですか。クロレアの閃光とまで呼ばれた貴方が、私みたいな平凡な女で本当に構わないのですか?」
 するとエアハルトは探るような怪訝な顔をする。
「どういう意味?」
「貴方ほどの人なら、大金持ちの令嬢とだって結婚できるはずです」
「ナスカだから好きなんだよ。それ以外にも理由が必要なのかな?」
「……いらない」
 ナスカは小さく呟いて、エアハルトを抱き締める。
「私も好き」
 いつからだろう。初めは尊敬する師匠と思っていたはずだったのに、いつからか彼にそれ以上の気持ちを抱いていたのかもしれない。
 もう二度と手放したくない。この幸せなぬくもりを。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.84 )
日時: 2017/09/10 23:49
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

episode.24
「未来へ」

 船がクロレアの港に着く。
 ナスカが船を降りると、ヴェルナーやリリーを筆頭に航空隊の隊員など、お馴染みの顔が並んでいた。
「ナスカだ!」
 リリーは叫ぶとほぼ同時にナスカの胸へ飛び込んだ。腕に柔らかい金髪が触れる。
「待っていてくれたのね、リリー。大丈夫だった?」
 ナスカが柔らかい金髪を撫でると、リリーは自慢げにガッツポーズをしてみせる。
「平気平気!リリーはこう見えてとっても強いの!」
「でも心配よ。だって私の中では今も昔のリリーだもの」
「違うよ」
 リリーは明るい顔を上げてナスカを見つめた。
「昔は昔、今は今!だから、今のリリーは、昔のリリーとは別物なの!」
 言われてみればそうだ。人は時の流れと共に変わっていく。
「……えぇ。それもそうね」
「ナスカ?」
「変わっていくのは素敵なことだわ。けれど、少し寂しいの」
 だってそれは、大切な人がいつか自分から離れていくかもしれないと、心配し続けなくてはならないということだから。
 そんな風に考え寂しそうな顔をするナスカの手を、リリーは強く掴む。
「大丈夫だよ!もし大切な人と会えなくなってしまっても、別れても、また誰か大切な人ができるから!」
「……そうかもしれない。けどずっと変わらなければ、その大切な人と永遠にいられるのよ。もう別れは辛いわ」
「むぅ……難しいよぉ」
 リリーは頬を膨らませた。
「お久しぶり。ナスカちゃん」
 その時、銀の髪を後ろで一つに束ねた落ち着いた雰囲気の女性が口を挟んだ。
「サラさん!」
 ナスカはとても懐かしい顔に驚きを隠せなかった。
 サラは、まだ幼かったナスカが家族を失い絶望の淵にいたときに毎日励ましてくれた、輸送機パイロットの優しいお姉さんだ。あの頃は、仕事が始まる前に毎朝、色とりどりの花を届けてくれたものである。それも今や懐かしい。
「分かってくれた?嬉しいわ。私も年をとったから、分かってもらえないかと思ったわよ」
 サラはそんなことを言うが、ナスカの目には昔と何も変わらないように見える。昔から落ち着いた大人の雰囲気だったというのもあるかもしれないが。
「そんな!分かりますよ。そんなの当然のことです」
 ナスカが笑顔で返すと、サラは冗談めかしてお辞儀する。
「光栄です!英雄様」
「サラさん、何やってんすか」
 すかさずヴェルナーが突っ込んだ。
「何よ。冗談でしょ」
 サラは涼しい顔で言った。
「そういえばサラさんって、兄さんと知り合いだったんですよね」
「えぇ。私の方が数年先輩だけど、縁あって知り合いになったのよ。っていうのはね、私の父は教官をしていたの。父が教えていた訓練生の一人がヴェルナーくんだったのよ」
「教官ですか!それは凄いですね!何という方ですか?」
 するとサラは寂しそうな顔になって答える。
「ロザリオ。ロザリオ・ランティークっていうの」
 ナスカは怪訝な顔をする。
「……ロザリオ?」
 サラは明るく続ける。
「それはさておき!ナスカちゃん、心配は無用よ。ヴェルナーくんとは単に知り合いってだけで、そんな親しい関係じゃないから」
「いえ!まったく気にしませんよ。むしろ嬉しいです!」
 ナスカが本心をきっぱり言い放つと、ヴェルナーは大げさに傷ついた表情をする。
「酷いっ」
「何が酷いの?兄さん」
 その意味が理解できず、ナスカは不思議な顔をする。
「うぅ……」
 声を聞いて船の方を見ると、いつもにも増して青白い顔をしたジレル中尉が、よろめきながら降りてきている。いつもの鋭い眼光は感じられない。
「ジレル!!!」
 リリーがジレル中尉に勢いよく飛びかかる。ジレル中尉はよろけて膝をかっくんと折って倒れた。
「あれ?ジレル?ジレル!大丈夫!?」
 リリーは慌ててジレル中尉の背中をさする。
「どこか痛いの?しんどいの?動悸?狭心症?」
 するとジレル中尉はやや早い呼吸をしながら言う。
「……うるさい」
 リリーに顔を覗き込みじろじろ見られ、ジレル中尉は不愉快そうな表情になる。
「私は船が嫌いなんだ!……酔うから」
 するとリリーは明るくニコッと笑う。
「なぁんだ!ただの船酔いだね!じゃ、大丈夫だね!」
 すると場は笑いに包まれ、ジレル中尉だけが苦々しい顔をしていた……。だが、それはいつものことなので、誰も気にかけはしない。

 それから、クロレアに帰ったナスカを待っていたのは賞賛の嵐だった。長く続いた戦争の終戦を記念する大規模なパレードが行われ、ナスカは人生で初めてパレードに参加した。音楽隊に舞踊団、そしてパレードを見守るたくさんの国民の拍手。華やかなムードで行われるパレードは、ナスカにとってはなにもかも初めての経験で、とても心が踊った。
 作戦の成功を聞き付けたヘーゲルはおおいに喜び、そして、ナスカに褒美のお金を大量に贈ると言ったが、ナスカはそれを断った。一人の力で上手くいったわけではないのに、褒美を独り占めするというのは、どうにも納得できなかったからだ。

 1951年、年末。
 ナスカはヴェルナーと共に、ファンクションにある昔の家へ帰っていた。
 その年が終わる日、夜にふと目覚めたナスカは、ランプを持って一階に降りる。一階には、窓辺の椅子に座りぼんやり外を眺めているヴェルナーがいた。
「兄さん、何をしているの?」
 小さな声でナスカが声をかけると、ヴェルナーは窓を指さして返す。
「雪が降ってきた」
「そう!珍しいわね」
 ナスカはテーブルにランプを置くと、窓辺に駆け寄る。
「ホント!雪が降ってる!」
 ファンクションはクロレアの南端の街であり、雪などは滅多と降らない。けれど、今は白い雪が、ひらひらと舞い降りてきていた。
「ねぇ、兄さん。あの話の続きを聞かせて?」
 ナスカが切り出す。
「あの話って?」
「訓練の事故の話。ここでなら気がねなく話せるわよね。……続きがあるんでしょ?」
「どうしてそう思う」
 ヴェルナーが静かに尋ねた。
「……なんとなく。兄さんとエアハルトさんが話してる雰囲気は不自然だし、サラさんのお父さんがロザリオさんっていうのも気になって」
「ナスカは鋭いなぁ。正解だ。ロザリオ・ランティーク、ロザリオ先生はサラさんのお父さんなんだ」
 悪い予想が当たってしまった——という感じがした。サラの口から『ロザリオ』という名を聞いたとき、薄々そんな気がしたのだ。
「ならどうして、サラさんはクロレアにいるの?普通、裏切り者の娘をいさせておくものじゃないでしょ」
 それに、百歩譲っていさせてもらえたとしても、裏切った父の名を易々と口にしたりはしないはずだ。
「サラさんは今もまだ、自分の父親が裏切り者であったことを知らないんだ」
 窓枠にもたれかかりヴェルナーはそう言った。
「あの事故はすべてエアハルト・アードラーのせいになったから。ロザリオ先生は被害者のことになってる」
 それを聞き、ナスカは愕然として、ヴェルナーを凝視する。
「どうして!?」
 ヴェルナーは顔をうつむけ、暗い表情で言う。
「……今だから、全部話すよ。俺がアードラーさんに責任を押し付けたんだ」
「そんな。どうして」
「足を奪われ、将来を奪われた俺は、ただ一人生き残ったアードラーさんを憎んだ。俺をこんな目に遭わせたアードラーさんを許せなかった。それで、お見舞いに来てくれた彼に辛くあたった。もう会いたくないって、もう二度と来るなって。消えてしまえ!とまで言った。まぁ、それは叶わなかったけどな」
 ナスカはそれを聞いていて、ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。突然目の前が真っ暗になりショックで冷静さを失っていたのは分かるが、だからといって、そこまでする意味が分からない。
 それと同時に、悲しくもあった。自分の存在がエアハルトを苦しめていたのではないかと思ったからだ。
「酷いわ、兄さん!どうして黙っていたの!」
 ナスカは今、どうしてもヴェルナーを許せなかった。
「もっと早くに話すべきだと思った。けど言えなかったんだ……。ごめんよ」
「許せるわけない!」
 そう吐き捨てて、ナスカはテーブルの上のランプを持ち、二階へ駆け上がっていった。
 ナスカは二階の自室へ入ると鍵をかけ、電話に一直線に向かった。脇に置いてある分厚い電話帳を開き、ダイアルを回す。
『はい。もしもし』
 エアハルトの声がした。
「エアハルトさん?」
『あれっ、もしかしてナスカ?こんな時間にどうかした?』
「……聞いたの。兄さんと貴方のこと。昔、何があったのか」
 ナスカは何度か途切れながらそう言った。
「私、貴方の傍にいていい人間じゃないわ」
『急にどうしたんだい?』
「兄さんは貴方に酷いことをしたの。今日まで知らなかった」
『ヴェルナーは何もしてないよ!君に似て、何事にも一生懸命な訓練生だったよ』
 その後、エアハルトは突然話題を変える。
『あ!そうそう、ちょうど良かった。今度ファンクションに用事あるから、その時についでにナスカの家寄ってもいい?ナスカはしばらくそっちにいるんだよね。たまには会いたいし。お土産持っていくよ。それと、ヴェルナーに話したいことあるから、そう伝えて』
「は、はい」
『そういえば今日、敬語じゃなかったね』
 まったく無意識だったナスカは慌てて謝る。
「そうでしたか!?それは、すみません!」
『嬉しかったな。ありがとう』
 そんなことを言われるのは初めてで、ナスカは不思議な心地がした。
「そ、そうですか……」
『もうすぐ新しい年だね。せっかくだし、ヴェルナーと年越ししてきたら?』
「でも……」
『兄妹で年越しなんて素敵だと思うよ。家族だし。リリーはジレルさんところなんだよね。楽しくしてると思うよ。それじゃあ、おやすみ』
「おやすみなさい」
 ナスカは電話を切り、壁にかかった時計を見る。来年まであと十分くらいしかない。
 ランプを持ち、ナスカは再び一階へと向かう。
「兄さん。今、エアハルトさんと話してきた」
 悲しそうに窓の外の雪を見つめているヴェルナーが振り返った。
「今度、ファンクションに用事があるから、その時、うちに寄るって。ヴェルナーに話があるって言ってた」
 椅子の一つを運び、ヴェルナーの向かいに座る。そして、彼をまっすぐに見つめた。
「許してくれるのか?」
 ヴェルナーは弱々しく言う。
「許すか許さないかを決めるのは私じゃない。だから、私はもう何も言わないようにするわ」
「あぁ……」
 ヴェルナーはがっくりと肩を落とした。
「謝って」
「……ごめん」
 ナスカは首を横に振る。
「違うわ。今度会うその時、アードラーさんに謝って」
「分かった。ちゃんと謝るよ」
 ボーン、ボーン。
 ちょうど十二を示す大きな柱時計の鐘の音が空気を震わせ、新しい年がやってきた。
「あ、年が明けたわね」
「本当だ!」
 外はまだ雪が降り続き、いよいよ白く積もりはじめている。暗い夜の中に白い雪が輝きながら積もる様子はとても幻想的。日頃は雪が少ない地域であるから尚更だ。
「それにしても、リリーは楽しくしているだろうか?」
 ヴェルナーは心配そうな顔をしていた。
「えぇ。きっとね」
 リリーは楽しくしているだろう、とナスカは確信している。
「襲われたりしていないだろうか……。あの若さで、それも独身の男と二人きりとは……」
 あまりにくだらない心配に、ナスカは溜め息を漏らす。
「兄さんは心配しすぎなのよ。ジレル中尉はそんな欲望にまみれた男じゃないわ」
「ならいいけど……心配だ」
「それに、二人きりじゃないし!使用人とか、他にも人はたくさんいるわよ。あと、新年パーティーの準備で忙しいって聞いたわ」
「あ、そうか」
 ナスカとヴェルナーは目を合わせると笑いあった。
「楽しい一年になるといいな」
 ヴェルナーが言った。
「そうね。みんなでいろんなところへ行きたいわ。もちろん、もう十分幸せよ。けれど……今年はもっと素敵な一年になりますように」
 時の流れは、多くのものを変えてゆく。だがその中でも変わらないものはある。ただ、それが永遠かどうかは、誰も知らない。
 また新しい一年が始まる。
 そして、新しい時代の幕開けだ。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.85 )
日時: 2017/09/10 23:50
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

エピローグ

 1955年・春。
「ね、寝坊したぁ!」
 起床予定時刻より三十分も過ぎている。ナスカが階段転げるように駆け降りてくると、一階のテーブルではエアハルトとヴェルナーが既に朝食を食べ始めていた。
「おはよう、ナスカ。よく眠れたみたいだね。まだ慌てなくて大丈夫だよ」
 エアハルトはスーツを着て、いつもと違ったかっこよさが漂っているが、表情は普段通りの穏やかさ。
「すぐに朝食を用意するよ。挨拶の原稿とか、荷物を用意してきたら?」
「そうするわ」
 ナスカはそう言うと、再び二階へ駆け上がった。
「慌ただしくてすみません」
 ヴェルナーが苦笑いして、頼りない妹について謝罪する。
「いやいや、そういうところも可愛いんだ。好きなんだよ」
 エアハルトはトーストにバターを塗りながら笑顔で返す。
「そうなんですか。ところで、お仕事の方は?」
「何を言ってる、まだまだ現役パイロットだよ。とはいえ……ここまで平和になると戦闘機は仕事がないね。この前は航空ショーのお誘いがあったけど、お断りしたよ。なんせ、そういう才能はないものでね。しばらくの間は、まぁ、訓練と授業とかぐらいかな」
「できたできた!」
 膝丈の桜色のドレスを着たナスカが、カバンを抱えて階段を降りてくる。
「エアハルト、朝食は?」
「どうぞ」
 エアハルトはナスカの前に、バターを塗られたトースト二枚とサラダを出す。
「サラダにはトマトの代わりに鶏のささみをいれてるから」
「嬉しいわ!ささみ!」
 ナスカは勢いよくサラダを食べ、トーストにかぶりつく。
「エアハルトの朝食はいつだって最高よ。ねぇ、兄さん」
「着替え早すぎだろ」
 ヴェルナーは無関係なところを突っ込んだ。
「朝食の話をしてるのに!」
 気がつくとエアハルトはナスカのカバンの中身を確認している。
「ハンカチがないよ。入れとくね、ナスカ」
「ありがと!よし、食べた!」
 ヴェルナーはナスカの早食いに愕然とする。
「じゃ、行こっか!」
 ナスカはエアハルトに声をかけた。
「そうだね。ではヴェルナー、留守番任せた。行ってきます」
「また夜電話するね!」
「いってらっしゃい。楽しんできてくださいよ、アードラーさんも」
 ヴェルナーはそう言うと、二人を見送った。

 電車とバスを乗り継ぎ、三時間ほどで到着したのはアルトという街。ファンクションからはそこそこ遠い、北にある小さな街で、学校が多く存在しているのが特徴といえる。近くの有名な街としてはユーミルの故郷・スペースなどがある。
 今日ナスカとエアハルトが行くのは、アルトで最も有名な国立の学校だ。この学校には航空科というものがあり、毎年卒業生の数名が航空隊や軍に入っているらしい。
「おはようございます」
 到着した二人に、気の良さそうな校長が話しかける。
「本日は誠にありがとうございます。ナスカさん、挨拶楽しみにしておりますぞ」
「ちょっと緊張してます」
 ナスカは照れ笑いに顔をひきつらせた。やはり、こんな風に丁寧に扱われるのには馴染めない。
「アードラーさんも、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく」
 ぎこちない表情のナスカとは真逆で、エアハルトは慣れた様子である。
 入学式が始まるまでの間、二人は談話室で待つことになり、お茶を出された。
「そういえばナスカ。昨日、マリーから手紙が届いたんだ」
「マリアムさんから?」
「そうそう。だいぶ治って元気にしてるみたいだよ。またそのうち遊びに来るってさ」
「良かった。また会えるのが楽しみだわ」
 そんな会話をしていると、何か音が聞こえてくる。
「なりませんっ!お嬢様!」
「行くの!」
「どうかお止めください!」
「いいの!」
 何やら外が騒がしいと思っていると、突然ドアが勢いよくバァンと開いた。
「ナスカ!」
 入ってきたのは、柔らかい金髪を綺麗にアップにして紺色のワンピースを来た、まだ若い少女だった。
「り、リリー!?」
「そうだよ!ワンピース可愛いでしょ?買ってもらったの」
 その後ろから薄紫のワイシャツを着た男性が現れる。
「すまんな、ナスカくん」
「ジレル中尉!えっ、どうしてここに?」
 ナスカは何が起こっているのかさっぱり理解できなかった。いるはずのない人物がいきなり目の前に現れたのだから無理もない。
「リリーがどうしてもと言うのでな。仕方なく来たのだ」
「えへへ。リリーね、姉の活躍を見にやって来たの!挨拶あるんでしょ。頑張ってね!あと、一つ報告。ジレルはようやく昇格したの。だから、もうジレル中尉じゃないよ」
「ようやくと言うな!」
 その時、係員がやって来る。
「ナスカさん、そろそろご準備お願いします」
「あ、はーい!」
 ナスカは返事してから、エアハルトの額にキスをする。
「行ってくるね」
 エアハルトは少しだけ赤面して「いってらっしゃい」と言った。彼の出番はもう少し後だ。
 ナスカは胸を張って、舞台袖へ向かう。

『次は今年の特別ゲスト、クロレア航空隊の誇るナスカ・ルルーこと、ナスカ・アードラー様からのご挨拶です』

 緊張は消え、胸が高鳴る。
 今、舞台へと歩き出した。


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