複雑・ファジー小説

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キチレツ大百科
日時: 2016/01/06 12:05
名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)

「起キル……」
「起キル……」

あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。

「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ? 
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。

「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」

Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」

くっ……頭が痛ぇ。
 
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。

わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……

「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。

Re: キチレツ大百科 ( No.166 )
日時: 2017/06/04 19:32
名前: 藤尾F藤子 (ID: 5oJbC9FU)

「どうぞ……」

 僧は、自ら白竹の茶筅を用い薄茶を煎じて、壮八と殺目へと出した。

「恐れいいもす」
 壮八が、椀を向けられた位置から左回しに其れを飲む。

「よか、お手前でおいもす」

 壮八はそう言って静かに僧へ頭を下げる。
 殺目は、壮八から回された椀を同じく絵柄から左回しに飲むと、静かに礼をした。

(茶なんぞで遊んで何になる)
 殺目は、そう心の内で吐き捨てる。
 殺目からすれば、禅や茶道なんぞは知識人の”遊び”でそんなものに傾れるなどは、軟弱そのもである。古来、尚武を尊ぶ薩摩隼人である頼母壮八がそれをこうして受けているのも殺目にとっては、また気に入らぬ光景でもある。
 しかし、茶といっても飽くまでこれは、この僧の客人への心遣いであり、華美なものは一切とない。壮八は所謂、薩摩武士の中でも江戸の薩摩藩邸詰であったりしたので、偶々そう言った作法を知っていたに過ぎない。しかし、殺目の様な長州の下級志士などにはこうした行為は全て卑しむ行為になってしまう。殺目もそう言った部分では、未だに考え方が偏屈であると言わざる得ない。
 これに比べ、頼母壮八は、西南戦争での謂わば、薩摩の暴発組であるにも関わらず、考え方に偏屈さはなく、ややもすれば寛容的ですらある。

 僧は、それを見抜いていた。いや、それを見る為にこうして茶などを煎じたのかもしれなかった。

「殺目様と仰ったか……? 随分と、人をお斬りになられましたな」
 殺目は、黙ったまま答えない。
 それがどうかしたかと、言う事である。そんな事をこの僧と話した所でしょうがないと殺目は思っている……しかし、この場所にいるのは、壮八の供連れである立場から、殺目はその態度を出さずにただ黙っているのである。

「わたくしも、戊辰の役までは戦場をひた駆けておりました。随分と人も斬りました・……」

 殺目は、いよいようんざりしてくる。この上に坊主の昔語りが始まるのかと言う気持ちである。

「無論、殺女とも相対しました……」
 殺目は言った。
「戊辰の役なら私も従軍していたよ? 貴僧が私の輩(ともがら:この場合は姉妹)と斬り合ったというのなら、それは見事なもので御座いましたと言わねばならぬでしょうな? 今こうして生きていらっしゃるのでありますれば」
 殺目は少し意地の悪い言い方をした。

「はい……拙僧も髷を落としましたのも、殺女との戦いがその理由の一つと云わざるお得ませぬ」

 一間を置き、僧がまた口を開こうというその時。

「貴殿! なにが……言われたいのかはっきりしてもらおうか? 思い出話に花を咲かせたいのであらば、そこら乞食にでもするのだな!? 私は御免だ」
 殺目が言い捨てた。
 壮八が、隣で諭す様に言う。
「殺目さぁ、そう、やいやい言うもんでんなか。もそっと隠忍自重っちゅうこつばせんといかん。そいにご無礼さぁんぞ?」

「壮八!! お前迄なんなんだ! 私に坊主の念仏でも此処で聞いていろというのか? 付き合ってられん! それより……島津(珍彦)候の件は……どうなんだ」

 僧が言った。
「その事を殺目様にも、お話し致さねばなりませぬ。貴女にとっても、都合の良い始末をご用意して下すっております。しかし、其れには貴女の助けがいる事となりましょう」

 殺目は、視線鋭く僧を見つめる……

「私の助け……? 面白い、聞こうか」

 殺目は、そう言うと襟を正して、座り直した……
 殺目は、どんな長時間でも正座を保つ事ができる。幼少の頃からそう殺死丸に躾けられていたから。
 壮八は、昨日島津珍彦と政府筋の薩摩人等と此処で会談している。その内容はもう知っているはずである。しかし、こうして密議の様な席を設けているのである。殺目にも尋常ではない事であることは理解出来る。

(薩人の郷党意識というのは、どうしようもないな……)
 殺目は憚らずにそう思う。

 僧は言う。
「先だっては、政府の薩摩人、黒田清隆殿が島津家に直々に御申し入れになられたとの事で御座います。今現在鹿児島市中列びに九州地方に逐電した西郷私学校党軍の敗残兵を、密かに蝦夷地(北海道)への対魯西亜への屯田兵に受け入れると……」

「黒田了介か……流石に薩摩人は病み難いほどの藩閥意識だな? しかし、考えたな……黒田からすれば、こうして薩摩人を救済するは間接的な島津への罪滅ぼしになり、同時に自分達が打ち滅ぼした西郷大将の弔いの意味合いにも見える……」

 黒田清隆は、北海道を開拓し基礎を作った薩摩人である。日本の鉄道も黒田の尽力で大隈重信と共に之を整備した。北海道の農業の基礎とも言える札幌農学校を設立したのも黒田清隆である。黒田は、アメリカのケプロンから農政というものを北海道に導入し、それが札幌農学校へとなり「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」で有名なウィリアムス・スミス・クラークを招聘し、これが北海道の進歩的農業改革となった。
(因みにクラーク博士は大志を抱きすぎ、後に投資で大失敗している……)
 黒田は示現流の創始者、東郷重位(とうごうちゅうい:有識読)の門下の道場で剣を学び、函館戦争では幕府側の榎本武揚などを嘆願助命し降伏させた。
 西郷隆盛からも、その才を愛され、自らも西郷を信奉する薩摩人の一人であったが、黒田は洋行し、世界を知った薩摩人であった為、西南戦争では、西郷従道や大山弥助等と共に涙を流しながら、西郷軍と戦い、西郷の自決を知ると、その場でまた泣き崩れたという……
 その男が、今、壮八達、私学校党軍の敗兵達に手を差し伸べるというのである。
 しかし、この行為も黒田と言う男にとっては当然かもしれない。この黒田と言う男は薩摩人のそれも木強者(ぼっけもの)と言うに相応しい素質の持ち主であった。時に応じては甚だ勇猛であり、負けた者にはどこまでも優しさを忘れない。
 しかし、この男には人間として致命的な欠陥がある。極度の酒乱であり、酒を飲むと前後不覚になり我を忘れて暴れるのである。しかも普段の人柄からは打って変わり、キチガイそのものになってしまうのである。
 それは、政敵である長州の井上馨の家に押し入って刀で妻を脅したり、クラーク博士を乗せた船で酔って暴れ、小岩を撃ってやると、大砲を撃ち放すとその弾が漁村に逸れて家屋を破壊しその家の娘が死んだ。
 それでも、酒を止められず、酔って自宅に帰り妻を斬殺してしまう迄でであった。一度、あるとき、余りにその暴れぶりが酷く、同じ料亭で飲んでいた木戸孝允(桂小五郎に)に叩きのめされ、布団に簀巻きにされたりもした。それ以来、酔った席では「木戸が来た」と言うと大人しくなったりもた。ただ、二人には親交が出来て薩人嫌いの木戸が、唯一心を割って話せる薩摩人が黒田である。
 普段の黒田は、人に乱暴をするなどありえない程の仁者であったというから、まるで二重人格者である。しかし、どうしても酒は止められなかった。この点は麻薬中毒者のそれと同じで、歯止めがきかず自分では止められないのである。
 こういった面から、黒田は功績華々しいにも関わらず、薩摩人の派閥からは大いに嫌われていた。

 殺目は、その点で黒田が今更になって薩摩の敗兵を屯田兵として自らが受け入れるべき利点が分かった。薩摩人は、やはり薩摩を抜いては考えられないのである。

(黒田もこうして薩摩や島津におべっかか……ヤキが回っているな)
 殺目はそう思っている。

「西郷大将が死んだから、黒田にとっては薩摩の派閥に返り咲く丁度いい
呼び水と言う事か……?」

「なんと1?」
 その言葉に、僧すら色めき立つ。

「殺目さぁ!! そげんこっぬかしちゃならん!!」
 しかし、壮八が耐えられず、大声で言った。
 殺目は、普段壮八に大喝される事などないので驚き無言になった。
 
「大先生(おおせんせい:西郷)ん死を、笑うよんこっいってはイカん……」

 壮八は、泣いていた。

 殺目は長州人であるから、この薩摩での西郷と言う者の存在の大きさが判りかねる。
 しかし、殺目自らも元は御新兵(旧近衛兵)であった。その為に、陸軍大将である西郷には”大将”と言う敬称は付けるが、『先生』や『翁』などと言う尊称は使わないし、その感情もない。
 薩摩人にとって、西郷は最大の威望であり、英雄であり仁者であった……
 殺目は、ふと殺華がいつか言っていた言葉を思い出した。
 ”薩人は西郷大将をまるで人間の母の様に思っている”と。
 それは、案外的外れでもない様に殺目にも感じた。言うなれば、観世音の様なものかもしれない。
 西郷は日本の最大の軍事的頂点でありながらも、それを使い私的行動を起こそうという性格は一切になく、その攻撃性の無さと自らを愛さないと言う点では、この日本の歴史上どの革命家、軍事的指導者、大名などとも比較にならない。
 最後の西南戦争でさえ、西郷の意思ではなく、暴発した薩摩の二才(にせ:若者)達の為に死ぬと言う名目で一切の口出しをせず、最後まで付き合った末に自決したのである。
 これは、自らがこの国家を成立せしめる為に士族を廢止したその責任を取った行動とも言える。そういった点で、西郷には薩摩の若者に対し拭い難い程の悲愛があり、それはまるで、謂うなれば母性の如くの様なのである。
 
 その、悲哀の西郷を想い、大の男が咽び泣いている。西郷と戦場を共にし、落ち延びてしまった男である……

「すまなかった……壮八。私が迂闊であった。ごめん」

 殺目は、心から誰かに詫びるという行為を知らない。であるからこうした言葉しか自らに持っていない。殺目の殺女としての憐れな面でもある。

「ごめん……ごめんな? 壮八、ごめんな……壮八」
 殺目はそう言いながら、壮八の背中をさすりながら言った……

「大先生……許したモンせ、許したモンせ……!!」
 壮八は、在りし日の西郷の大きな背中を思い出しながら泣いた。




  



 

Re: キチレツ大百科 ( No.167 )
日時: 2017/06/08 01:50
名前: 藤尾F藤子 (ID: ESJvCUA5)

「入来君、まだかね……?」

「むぅ、まだじゃい……」

 薩摩、鍛治屋町付近の水田で、殺華と、薬丸流の門下の薩摩兵児、入来甚左衛門が呑気に遊んでいる……

 入来は、殺華と何人かを連れ立って、水田で何やら捕まえようとしているのである。
「入来君、まだかね」

「まだじゃい……ん? 殺華どん、あれじゃ!」

 水田の水面から、何やら黒い物が突き出ている。

「よし、僕がやってみるゾ……」

 殺華は、鉤針の付いた竿を、水面に浮き出るその黒い物の下にくぐらせ、素早くそれをひっくり返した。

「やった! やったょ〜!!」

 兵児達が手を叩いて笑う。
「よっしゃ! そんまま、足ん方を持って籠ば入れやんせ」
 殺華は、水田の中でジタバタと足をばたつかせる黒い生き物を取り上げた。

「うわぁぁあい! でっかいスッポンだょ!!」

 殺華達は、スッポン猟をしているのである。薩摩ではスッポンや鰻、ナマズ、や鯉などが多く生息していた為、これらが良く捕れたのである。この当時は、其処らの水田や川、側溝でまで鰻が捕れたという。

「これがスッポンかぁ……初めて獲ったよ。それにしてもドロ亀と何が違うんだい?」
 入来は自分で捕ったスッポンを籠に入れた。
「ドロ亀んごたるよっ全然味が美味か。そいに良か滋養があいもそ! 決闘を控えたる殺華どんにはよかっ気付けんないもそ」

 殺華は、自分の捕らえているスッポンをまじまじと見つめた。
「ふむ、見た目はドロ亀と大差ないなぁ……」
 すると、スッポンは首を伸ばして殺華の腕へと噛み付いた。

「あ! うぎゃぁぁぁああん!」

 殺華は掴み方が甘く、スッポンに噛み付かれた。

「殺華どんがスッポンに噛まれよったぞ!」
 兵児達が笑う。
「掴み方がなっておらんとじゃ!」
「ぎゃぁぁぁぁあ! 痛いよ〜!! 笑ってないで何とかしてくれょー!!」

 兵児達が鉈を持ってきて、スッポンの首を飛ばした。

「あぁぁぁぁ!! 首を落としてもその頭が僕の腕に噛みついたままなんだよぉぉぉ」

 入来が殺華の腕に噛み付いたままの頭を剥がすと、それをそのまま口の中に放り込んだ。入来はボリボリとスッポンの頭を噛み砕いている。

「イテテ、入来君、キミ歯が丈夫なんだな……頭骨ごと生のまま食うなんて」
「スッポンは甲羅と骨以外は皆食えっとじゃ、ガハハハ!」
「君は、骨ごと食っているじゃないか」

 すると、入来はスッポンの胴体から滴り落ちる血を口の中に流し込む。そして、それを周りの兵児達にも回した。
 皆スッポンの生き血をそのまま喉に流し込んでいる。
「君達、そんな物飲んで大丈夫かい?」
 すると、入来が殺華にもそれを勧めた。
「スッポンの生き血は元気いないもそ、殺華どんも飲みやい」

「え……? 美味しいの?」
 殺華は勧められるが儘、それを飲んだ。

「ぎゃぁぁぁ!! いがらっぽいょ! 水水!」

 それを見て、また兵児達が楽しそうに笑った。
「こん生き血はショッチユに混ぜて飲むと最高じゃぞ! そいを飲めば、殺華どんも橋口なんぞん和郎は一撃で斬い殺せっど!」
「ガハハ! そん通りじゃ! 気張いやんせ!」

 兵児達は、決闘を間近に控えた殺華の為に、このスッポン猟を思い付いたのである。

「よぉぉぉぉし!! 僕も薬丸流の『抜き』を見せてやるゾ! 待ってろ橋口君めっ!」

「そん意気じゃ! 気張れよ」
「チェストー!!」

 兵児達が薬丸流の独特の奇声を挙げ、奮発しだした。

「うぉぉぉぉお!! チェースト!!」
 殺華も、口をスッポンの血で汚しながら発奮した。
 皆笑いながら、首を落としたスッポンの血を飲み奇声をあげる。
 はたから見れば、キチガイの集団のようであるが、薩摩では大した事ではない。

 その日の夜は、肝付家に皆が集まり、捕れたスッポンを鍋にしたりしてダイヤメが行われた。
 焼酎とスッポンの生き血を割った酒を飲み、兵児達も殺華も大いに酔い、気勢を挙げて酒宴を楽しんだ。箸拳(ナンコ)と言う、酒の座興の戯れで、酒を飲まし合い、果てに組み打ち相撲で喧嘩騒ぎになる。いつもの肝付家の酒宴である。
 夜も更けると、殺華は兵児達と庭で相撲を取ったり殴り合ったりして、そのまま庭で寝るのがいつもの事であるが、この日はどうにも寝付きが悪い。

「なんだろ、なんだか眠れないゃ……」

 殺華は、庭で眠りこけている兵児を担ぎ、屋敷の中に一人づつ叩き込むと、庭で一人、十次郎に借りた浪ノ平を構え『抜き』の稽古を始める。

 直立を取ると、そのまま、右足を大きく踏み込む。それと同時に、鞘元を握る左手を刀を押し回す様に前に出す。左足は、体が傾く儘に一切と曲げてはならない。そして、右足が地面に食い込むと同時に抜刀、右手一本の斬り上げである。
 これを、一瞬の内にやってのけるのが薬丸自顕流の「抜き」である。

 しかし、殺華にはまだ、この最後の斬り上げに納得がいっていない。
 
 ”どうも剣尖が鈍るな”

 殺華は、それがどうしても納得ができない。十字郎に直々に教わり、いよいよ斬り上げでの刃先が真上にいくようになったなった今もである。

「なんでだろ……変なの」
 殺華は独りごちた。


 皆が、寝静まっている。
 
 実は、十字郎は酒が弱い。別に薩摩人だからと言って誰もが酒が強いと言うわけではない。事実、薩摩の木強者(ぼっけもの)を代表する様な男であった中村半次郎や西郷隆盛も酒が弱く飲めなかった。幕末、人斬り半次郎と言われた桐野利秋は、酒が弱かったが、献杯されればそれを断らず、全て飲んだ。然し、もう限界という所に来た時、彼は汁粉を頼むのである。半次郎の前に汁粉が置かれると、人は皆酒を勧める事は辞めた。
 幕末、薩長の連中がよく利用した京都、東山の曙亭と言う料亭で、中村半次郎が汁粉を二十六杯平らげたと言う記録が残っている。これに店の主人が大いに感動し、汁粉を薩摩藩邸に届けると、半次郎は、薩摩絣の反物一反と、金子(きんす)を十分過ぎる程渡し、「高か汁粉になったもんじゃねぇ」と照れて笑ったと言う。

 肝付邸では、皆が酒に酔って暴れ出すので酒宴の際には襖や障子は家人達が予め取り払ってしまうのである。
 邸の中からは、夥しい兵児達の鼾や時折デカい寝言が聞こえて来る。

「まったく、限度という物を知らなきゃならんのだょ……」
 殺華は自分も酔っているくせにそう呟いた。しかし、殺華は屋敷で鼾をかいている連中より、幾分か酒が強い様である。まだ、前後不覚にはなっていない。

 また、剣を構えた。
 左手で、刀を抉る……踏み込み、そして抜刀。刃先が宙を斬り上げる。

 ”違う、十字郎君はもっと迅速(はや)かった!”

 もう一度、踏み込み、抜刀。
 夜闇に、月の光で煌めく剣光。

 殺華は暫し、俯く。
「これは”死ぬ”かな、僕は……」
 しかし、もう殺華には不思議と怖れはなかった。
 だが、どうせ死ぬのであらば、見事に死にたかったし、何より無様に死を晒すは十次郎や薬丸流、門下の兵児達にも顔向けができない。

 死ぬのであっても、立派に死ななければならない。その為には、恐怖などに構っていてはダメなのである。これは、殺華が自分自身で見つけた恐怖からの唯一の対処であった。 
 例えば、常人であるのならば、まず自身の命が先決となる。であるからして、恐怖が先行してしまい、十分な戦働きなどは出来よう筈も無く負けは自ずと決まってしまうであろう。
 しかし、殺華は先ず命を棄てる事を常とし考える様にしたのである。
 そして、自身以外の事、例えば誇りや、名誉を優先する事で”無私”と言う境地に近い理念を殺華は拙いながらも自分自身見つけ出した。これが、殺華が恐怖から逃れる術なのであった。もしかすれば、之はこの肝付家に集まる連中に間接的に教えられたのかもしれないと殺華は思ったりする。
 十字郎や、入来や、兵児達と同じ釜の飯を食って、酒を飲み、剣を学び、雑魚寝する中で、短いながらも、殺華は其れを見つけたのである。

「あぁ、この連中と何時迄もこうしていられたら良いのになぁ……」

 夜風が、一迅……殺華の火照った首筋を僅かと吹き抜けていった。
 見上げると、其処は満天。星々が散りばめられている。それはまるで、夜闇の天井から零れ落ちてきそうな程、幾千、幾万の光の粒。


「はれ……!?」

 殺華は屋敷の塀に、何か黒い影を一瞬見た様な気がした。

「ありゃ、僕もいよいよ酔いが回ってきたんだょ……」


 殺華は、もう一度其れを確認するが、其処には誰もいない。

「う〜ん、おかしいなぁ……」

 その時、庭に人の気配。
「!?」

 それは、一気に間合いを詰めた。
 影は、鋭く黒い尾を引き殺華の背後を取った。

「な、ナンダッテーッ!?」

 同時に、殺華の首に影の手が回り、そのまま体が密着した。

「フフ、見つけた……アナタが、脱走した殺女、殺華ね?」

「……!!」
 殺華が口を開こうとした時、影は素早く殺華の口を塞いだ。

「フガフガ、モゴモゴ!!」

「折角見つけたのに、人が来ると厭だわ……少し、お出掛けしましょ……いいでしょ?」

 影は艶のある微笑で言った……

「……モゴモゴ」




 

 
 

Re: キチレツ大百科 ( No.169 )
日時: 2017/06/12 20:21
名前: 藤尾F藤子 (ID: hxCWRkln)

「じゃ、行きましょ……?」

 殺華の後ろに回った”影”がそう言うと、そのまま殺華の身体がぐるりと回転して横を向いた。
「あわわー!?」

 影は殺華の腰を、左手で自分の傍へと抱える様に持ち上げたのである。
「うわぁ! 何するんだょ? やめてくれー」

 殺華は小脇に抱えられてしまう形になってしまった。

「喋ると舌を噛むわ」

 そう言って影が駆けた。

「えぇ? 嘘! わわっ……!」

 次の瞬間、殺華を傍に抱え走る影の全身からしなやかな力のせり上がりが沸き起こった。

「ふぇ1?」
 影は地を蹴り上げ、殺華を抱えながら塀を軽く飛び越した。

「あぁぁぁぁぁああ!! と、飛んだよ〜」

 暫く滞空しながら、宙を舞っていると月の光が影を暴いていく……

 殺華には、その少女が、同じ”殺女”である事がすぐに解った。
「君は……!?」

 二人は、徐々に重力に捕らわれ落下していく。轟々と風と空気がぶつかる中で少女は言った。

「保科血影……それが私の名」

「保科? 機智家じゃないの……」

 そのまま、地に着地すると、その衝撃が殺華にも伝わる。
「おげぇっ!!」
 だが、間髪なく、そのまま血影はまた走り出す。

「うわぁぁぁ離してよ〜!! 攫われるー」

「ちょっと! あんまり暴れないで頂戴」
「やだよー離してよぉ!!」

 血影は、高見橋の付近で漸くその足を止めた……

「ふぅ……この辺なら、誰も邪魔に入らないかしら?」
「な、ナンナンダー! いい加減、離してくれ給えよ〜」

 血影は、小脇に抱える殺華を離した。

「むぅぅ……殺女だな、わかるぞ。と、いうことは……僕を捕まえに来たんだな!? それにしても……随分とハイカラな洋服だね、何処で買ったんだい? いいな、いいな! それ、いいな」

 殺華は血影の着ている、まるで異人の少女の様な服に興味がある様だ。
「アラ? 貴女、中々見る目がある様ね……? 小汚い格好している癖に」
「ほっといてくれ給えよ……この服って下は何を履いているんだい?」

「ちょっと! 裾を捲らないで頂戴!」

 殺華は、この血影と名乗った少女の雰囲気に興味津々である。元々が好奇心旺盛なだけに、血影の不思議な少女趣味的雰囲気は殺華にとって新鮮なのである。 


 血影は、改めてまじまじと殺華の頭の上から足元まで見つめている。

「ふぅうん……貴女”殺”の銘入りなのに、随分と阿呆そうな顔をしているのね?」
「な、何だー!! 失敬じゃないか! 藪から棒に」
 憤慨する殺華を他所に、血影はクツクツと笑っている。

「フフン、薩摩の芋侍に剣を習っている奇妙な他藩人がいるって聞いたの……すぐわかったわ? そんな馬鹿な事普通しないもの……ウフフ、殺華ね貴女?」
「馬鹿じゃないやい! 僕はね、薬丸流の剣を修めて薩摩隼人になるんだよ?」

 血影は、いよいよ高らかに笑いだした。

「アッハハァ! おめ、馬っ鹿でねが? そっただ事してどうすんなし?」

「え?」
 殺華は、阿呆の様な顔している。

「なじょした……?」
「アハハハ、キミ、一体何処の方言だね……? しかも、そんな異人みたいな格好してる癖におかしいんだ」

 すると、血影は殺華の頬をつねりあげる。

「キミじゃね……この、おんつぁあ。俺はあねちゃぞ」
「あいでででで、何すんだよ……しかも何いってるのかわかんないんだょ?」

 血影は殺華の頬をピンと弾く様に手を離すと言った。
「フン……まぁいいわ」

「イテテ、何なんだょ……で、キミ一体誰なのさ。僕は君の事知らないゾ」
 血影は、また殺華の頬をつねる。

「チッ! いいこと? 私は、貴女より年上なのよ? ”君”と言うのは下級の浪士志士風情が同格に対し使う言葉よ? 私の事は『血影殿』と言いなさい? いいこと!?」
「イデデデデ……!!」

「ふん」
「アイデデ、血影ちゃん、乱暴だょ」
「ちゃん……? 貴女、口の聞き方を知らない様ね。まぁ、長州の下級志士なら無理もないかしら?」
「ねぇねぇ、何でこんな髪の色なの? どうして白髪なの?」
「貴女、話聞かないわね!」

 血影は、殺華の左目の包帯を指差し言った。
「目を怪我しているの?」
「うん、西南の役で弾が当たったんだ」
「そう……ねぇ、貴女どうして脱走なんかしたの?」
 殺華は「う〜ん」と腕組みをしながら考える。

「どうしてかな? 僕にもよくわかんないや! ただ、田原坂で僕の隊は殺目ちゃんと僕以外は全滅しちゃったょ。僕らは偶々、敵の薩摩四番大隊に捕虜として捕えられたんだ。桐野少将の部隊だよ」

「あぁ、中村半次郎か……鶴ヶ城の明け渡しの時、西軍で薩摩側の特使として西郷と共に来た奴だ」

「鶴ヶ城?」
「会津のお城よ」

 殺華は、また考え込みながら記憶を辿る。

「キミぃ! 会津の殺女なのかい? じゃあ駿府に慶喜(けいき:有識読み)を暗殺しよにきた殺女じゃないか!?」

「ええ、そうよ。それだけじゃない、機智烈斎も殺してやろうとしたわ?」

「なな、ナンデストー! とんでもない謀反人じゃないか? 凄いな血影ちゃんは……」

「うっつぁあし! 謀反人は機智烈斎のほうでねが!! おだったこと抜かしてっとくらすけっかんな! にっしゃ!」

「なんだよー! 意味はわからないけど、そっちの方が謀反じゃないか!」
「おめぇ、くらっつけっつぉ!」
 殺華の胸ぐらを掴む血影。
「わぁぁあ何だ! やるのかー!?」

「……貴女? 酔っ払ってるの? 酒臭っ……」
「酔っ払って何が悪いってんだょ!」

 血影は、呆れた様な顔をして殺華をどん、と突き放した。

「調子の狂う子ね……」
「何だよ、君は何がしたいんだよ? 文句があるのなら、やってやるんだからね? 僕はね、こう見えても中々の……」

「?」

「うぅ……頭を揺らされたから気持ちが悪くなってきた……」
「ちょっと!! 此処で反吐なんか吐かないで頂戴!」

「なら、水を一杯汲んで来てもらえないだろうか……?」
「はぁ? 貴女図々しいわね」
「何を言っているんだね!! 血影ちゃんが僕を此処まで攫って来たんじゃないか!? 水位汲んで来てくれたってバチは当たらないんだょっ!」
「……まぁ、そうね」

 血影も何だか、この殺華のペースに巻き込まれていく。この殺華という少女にはこういった訳の分からぬ変な屈託のなさがある。奔放でちゃっかりしているのである。
 ただ、水を容れる物を持っていない為に血影は橋の下の川べり迄殺華を連れて行く羽目になった。

 殺華は、川に直接顔を入れて水を飲んでいる。

「ガラガラガラ……ペッ!」

「貴女、いつもそんななの? あっけらかんとしているというか、まるで天衣無縫の振る舞いね」

「ん? そうかな? そんなに褒められると照れちゃうな」
「褒めてないのよ? 呆れているの……それにしても貴女、橋ノ口の芋侍と決闘をするんですって? 馬鹿な事をするものね、で、勝算はどうなの?」

「勝算かい? ないよ。このまま行けば死ぬかな? あはは」
「はぁ!? 貴女いよいよ馬鹿も極まってきたわね。どうするつもりなの?」

 殺華は、顔を洗って、頭を振るとなんとも言えない無邪気な顔で笑った。

「どうもこうもしないさ! 勝算なんてつこうがつくまいが、戦うべき時に戦わないのは薩摩隼人にあるまじき行為なんだょ! それとも、君、勝算が付く勝負しかしないのかい? 勝てる見込みがある勝負なんて、勝負ではないんだょ?」

 血影は、その言葉に戊辰戦争を思い出した。嘗て自分達は完全に兵数で圧倒していた薩摩長州に敗れたのである。
 そして、その後、官軍となった薩長勢を相手に今度は完全に勝ち目のない戦いをしたのである……
 
 勝負というものは、次の一瞬迄、その終わりまで完全に予測する事など不可能なのである。この殺華は己が身一つで其れに臨もうというのである。

「そう、そうね……貴女の言う通り。そう”勝ち目”なんて言うのはまやかし。それは貴女が最後に決める事ね」

「へへ……でも、僕実は人を斬った事がないんだょ〜えへへ」

「クッ!? 貴女、それじゃ勝負以前の問題じゃなくて?」
 
 血影は堪らず、殺華に顔がつく寸前まで迫る。
「あわわ……でも、なんとかなるかなって」
「なるわけないでしょ!? 貴女、斬人の経験もないのに薩人と決闘なんて常軌を逸してるわ? 狂ったの? 血迷ったとしか考えられないわよ!」

「剣の手習いは何時からなの?」
「つい最近だょ〜、僕は自慢じゃないが、長州諸隊でも戦力外で戊辰の役ではもっぱら鼓笛隊だったょ」

 長州諸隊は、日本で初めて鼓笛で行進曲を演奏しながら行軍した軍隊である。

「貴女、何もかもが予想外な阿呆ね……もう呆れるのを通り越して、ある意味爽快よ? なら豪快に死ぬのね」

 殺華は笑う。

「そうさ、死ぬも生きるも紙一重さ! チェースト!!」

 血影は何だか、久しぶりに心底笑った。
 殺華は、正真正銘の阿呆である。しかし、其処には所謂、愚劣や卑俗なものはなく、ただ、ひたすらに抜ける風の様な湿り気のない愉快がある。

 この殺華と言う殺女は快活である。
(確かに、薩人の様な救い様のない血気盛んだ)

「羨ましくなるほどの呑気さよ、殺華? ただ、それだけじゃあ、決闘なんてできないわ? いいわ、少し私がその剣、見てあげるわ……?」

「ほぇ? 僕の剣を……?」

「そ、面白いから、少し相手をしてあげるわ」

 そう言うと、血影は悪戯っぽく笑った。

Re: キチレツ大百科 ( No.170 )
日時: 2017/06/19 08:14
名前: 藤尾F藤子 (ID: w2RTPWz1)

 血影は腰に手を当てて、くいと顎をあげる。
 殺華へと、自分の剣技を見せてみろという事である。

「え? 僕の剣かい!?」
「えぇ、貴女の自慢の田舎剣術をこの私に見せてみなさいな?」

 殺華はそれを聞くと頬を膨らまし抗議する。
「何だとぅ!? 薬丸流は田舎剣術じゃないやい! すごいんだぞう」
「はいはい、いいから貴女が其の決闘に使おうという技を見せなさい?」
「え〜? でも血影ちゃん、君剣の事なんて解るのかい? あんまり剛そうにはみえないけどなー、果たして、僕の必殺剣の凄さが理解できるかどうか」
 殺華は呑気な顔をしながらジロリと血影を見つめた。
「クッ! 斬り捨ててやりたいっ。いいがら早く見せてみなんし!」

「しょ〜がないなぁ! 僕の薬丸流の太刀技、しかと目に焼き付けたまえょー! 行くゾっ!」

 殺華は、素早く右足を踏み込むと、刀の柄を押し回し、前足を地面に抉り込ませると同時に地面すれすれの位置で抜刀した。
「チェェェーイ!!」

 裂帛の気合と共に、剣煌が上から下に夜闇を切り裂いた。
 傍に居た血影は、まるで自分の頬を其の剣風が吹き抜けていった錯覚を覚えた。

「……」

「どうだね〜!? これが僕の”抜き”だょー」 

「ふ〜ん……薬丸自顕流、ね。それで次は?」
「……ほえ?」

「……」
 沈黙が二人に流れた。
「次よ、次手! ”ほえ?”なんてアホウみたいな顔してるんじゃないわよ!」
「え、これで終わりだけど」

「はぁあ!? 貴女、終わりって、それじゃあ出会い頭に抜き打ちで下からの逆袈裟を浴びせ掛けるだけじゃあない!? もっとあるんでしょ?」
「ないよ、僕はこの”抜き”の初太刀で決めるんだぁ。だから次手はないよ」
「この馬鹿!」
 血影は殺華の頭に拳骨を振り下ろした」
「あいたー!」
「貴女、剣術を舐め腐るのもいい加減になさいよ! 何が初太刀できめるんだぁ、よ。剣術を馬鹿にしてるとしか思えないわよ! 確かに、貴女の踏み込みは観るべき所があるわ? 地面を抉る程に強く早いわ。でも抜き打ちの抜刀術にしては、貴女は刀を鞘から抜く速度が遅い! それでは見切られて相手の切り下ろしを諸に受けるわよ!」

「ムゥ……なら仕方なし、潔く死地に出ずる」
「この馬鹿!」
 また殺華に、血影の拳骨が落ちる。
「イダー!! 血影ちゃんは暴力的だょ……」  
「貸しなさいな」

 血影は、殺華の浪ノ平を取り上げると鞘から抜いた。
「二尺四寸、反りも浅いわね……貴女こんな大剣引っ提げて、もっと自分の身体に合った刀を使いなさいよ」
「う〜ん、でもそれは朋友から貸し賜うた大事な太刀なんだょ。命を預けるならその浪ノ平が良いんだ。気に入ってるんだょ?」

「まぁ良いわ、見てなさいな?」

 血影はそう言うと、左腰に納刀された浪ノ平を当てがった。

「シィイッ」
 
 一刀、二刀、三刀の三連撃、一瞬である。まるで刃が尾を弾く様に流れていった。
 血影は前に踏み出ると、そのまま抜刀し逆袈裟を放った。続けざま刃を斬り下ろし、次に横薙ぎに刃を振るい、そのまま納刀した。

「す、凄いよー! なんて速さだ!?」
 血影は、鞘を殺華に押し付ける様にして返した。
「貴女の一振りで、私は悠に三撃放てるわよ?」
「な、なんですとー! 血影ちゃん君、剣が達者なんだね?」
「剣というのは、馬鹿の様に、ただただ強く振れば良いってもんじゃないわよ? それに、強烈な一撃たろうとも、躱されればそれでお終い。意味はないわ」
 殺華はイマイチ要領の得ない顔である。
「う〜ん、僕は一撃で斃せば事足りると思うな! 殺目ちゃんも言ってたよ、小手先の技は戦場では役に立たないって。人を殺すには上段からの斬り下ろしと袈裟がけ以外無いんだって。道場稽古の小手、胴、突きなんて斬人には意味をなさないって」

 血影はウンザリしたという顔をする。
「これだから薩長人は厭なのよ、やたらめったら大剣を腰に帯びて、一撃必殺の突撃剣術みたいなものばかり。ただただ勇猛果敢というだけよ? それだけじゃない、剣の真髄というのはそういったものではないの」

 殺華は、感心した様な顔をして血影を見ている。
「どうしたの? 馬鹿みたいな顔をして……」
「感心しているんだよ!!」

 ふいに血影は、殺華の腕を伸ばして見る。
「え、なになに?」
 そして、浪ノ平の差している位置を見やる。
「貴女、さっきの”抜き”をもう一度見せてご覧なさい?」
「え……うん」

 もう一度殺華は同じ様に”抜き”を見せた。

「……そうね、殺華? もしその技でどうしても立ち合いたいと言うのなら、刀を押し回すの止めなさい。鞘を押さえて、引き抜く感じかしらね」
「え、でも”抜き”は鍔元を相手に突き出さないといけないんだょ?」
「そうでしょうね? でも貴女の場合、その大剣が地面をすれすれになってしまって、手首の返しを自然と躊躇ってしまっているわ? それて抜刀前に刀を斜めに抉り倒しておきなさい」
「でもそうすると刀先が真上に行かなくなるよ?」

「構わないわ、斜め下から、相手脇腹を抜く様に切り裂けば良いの。大分マシになるわよ」
「本当かい? よ〜し試してみるゾ!」


 殺華は、もう一度”抜き”の体勢に入った。
「刀を斜めに抉りながら……押し出さない、と」

 踏み出した。
 そのまま、剣尖が闇を撥ねた。

「!!」
 秒が消し飛ぶその真邇摩……それは瞬間と言う間すら無い程の絶間。

「変わった……わね?」
 血影の額に一筋、冷たい汗が流れた……

 もし、あれを正面から受ければ捌ききれるのか。
 正しく峻烈なる一撃であった。

「凄いや……初めて返しが上手くいった様に思える。やったょ血影ちゃん! 僕はやったょ〜!!」

 殺華は血影に抱きついた。

「ちょっと! くっつかないで頂戴!」
「やったょ! 血影ちゃんの言う通りにしたらできたぞ! 血影ちゃんは凄いや!」
「そう……良かったわね、でも、それでも必ず勝てる訳ではないのよ」

 殺華は一際に輝く笑顔で言った。
「うん! これで勝てなきゃ致し方なしだし、僕も本望だよ! それより、僕はやっと自分の剣を掴んだ気がするんだょ! これ程嬉しいものは無いんだよ!?」

「剣や武術というのはね? その個人個人の体格や、感覚……”勘”みたいなものが要になるわ? 只々教えを乞うているだけでも、馬鹿の様に只管毎日稽古しているだけでもダメよ……その感覚を掴まなきゃあね」

「血影ちゃんは僕の心の師だょ〜」
 殺華は只管強く血影を抱きしめた。

「ちょっ痛い痛い! 貴女以外と馬鹿力ね? 私は足の怪我が治ったばかりなのよ? もっと労って頂戴!」
 殺華は血影を持ち上げてそのままグルグル回り出した。
「わ〜い愉快愉快!」

「なにっ、ちょっとやめて! 回さ無いで」
 殺華は余程嬉しかったのであろう、はしゃぎ回っている。
「僕はやるぞー! チェスーストォ!!」

「いいから、下ろして! 目が回る……」
「あぁゴメン、そうだ! 血影ちゃん? 僕が今世話になっている肝付邸に来ないかい? 僕の朋輩たちを紹介するよ! 皆んな顔は悪いけど、根は良い連中だょ」

「嫌よ……薩摩の兵児どもなんか、みんな嫌いよ」
「血影ちゃんは、僕に剣技を掴むコツを教えてくれたんだ。皆んな歓迎してくれるよ」
「良いわよ、うざったい……それより、決闘……精々頑張る事ね?」
 血影はフンと鼻をならして殺華から視線を外した。

「ありがと、明後日、玉江橋の木場場でやるよ。日が昇る頃に……」

「そう、ならば見に行かせてもらうわ? 死ぬにせよ、勝にせよ、後には引か無い事ね。貴女の流派はそれを想定とした太刀運びじゃなくて? 精々頑張る事ね」

「ありがと、血影ちゃん! 僕は頑張るゾ、薩摩隼人の意地を見せてやるんだから」

 血影はフッと、なんとも言え無い幽かな笑顔を浮かべただけで、その言葉には応えなかった。

 血影は、そのまま殺華に背を向けて、いつの間にやら闇に溶けていった。

「血影ちゃんは、僕に何の用があったんだろう……?」

 一人残された殺華は、自分の居場所がどこだかわから無い事に今更ながら気づいた。
「どうしよう、肝付の屋敷はどの方角だろう……まぁ、いいか! 明るくなればわかるや!」

 殺華は考えてもしょうがないと、そのまま、その場で横になり寝込んでしまった。

 

Re: キチレツ大百科 ( No.172 )
日時: 2017/06/23 23:39
名前: 藤尾F藤子 (ID: gEN.C.v9)

 翌朝、鹿児島市中、南林寺。


 本堂では、元薩摩私学校党軍四番大隊の敗残兵達が集結していた。
 皆、床に座布団も引かずに胡座を掻き、腕を組みながら何やらむつかしい顔をしている。その集団の中心にいる人物は頼母壮八である、今日はその傍に殺目も居た。

「おいは、黒田の下になど行きとうなかっじゃい! そがんずんだれっ奴は侍じゃなか!」
 一人が言った。
「じゃっどん、今んこん事態ば、どげんせっかにゃらんっぞ!?」
「こげんか腐った政府に今更戻って如何とするか!! そげんおいげぇ真似っ出来ん!」
 
 壮八は黙ったまま目を瞑っていた……

「そがんこっ言うちっいけんすいっけ!」

 一人の男がいよいよ立ち上がって吠える。

「議をゆな!(議を言うな) どげんもこげんもなか! 今一度官軍に斬い込みをかければ事足っ」

「そうじゃ!! 汝(わい)どんら今更臆したか!? 薩摩武士の意地ば見せちゃれ! よろっで(皆)潔く戦って死ねばよか! 何を話し合うこっがある事か!? 大先生(おおせんせい:西郷)ん墓前に一人でも多くの官軍兵の首ば土産に斬い込めばよか!」

 元々薩摩武士には事を決めるに会議を開き、話し合うという習慣がない。
 結局薩摩人が集まればこの様な結果になるのである……西南戦争も謂わばこうした暴発的言動が瞬間的に次々と飛び火して行き爆発したに過ぎない。

 しかも、この時期の薩摩武士というのは、戦国期の薩摩武士とは違い、凡そ策を練るという行為を極端に忌避し軽蔑した。代わりに出てくる案などは、薩摩武士なれば、体一つで一挙攻め入れば敵う者無し、などと言う幻想めいた妄案ばかりで作戦や戦術めいたものは何一つなかった。この座にしても、とても二十歳を過ぎた大人とは思えない軽挙的妄言ばかりが上がるのである。この連中は既に西南戦争を無理矢理に決行し、官軍に敗れたという自覚がそもそも足りていなかった。

 少なくとも幕末の薩摩軍はもっと”大人”の組織であった。
 幕府や長州、会津を手玉に取り、維新を成し遂げたのである。
 しかし、維新以降薩摩はそれに驕り過ぎたと言え得る。自分達こそが英雄だと言う薩摩の強烈な自負心と、堅牢な藩閥主義がその要因とも言えるが、それだけではない。
 維新という血の革命に於いて、薩摩人はその強烈な薩摩士族のエネルギーを発奮し足りなかったのである……
 これに比べ、この座に居る長州軍であった殺目は違った。
 京都蛤御門、四カ国連合艦隊、長州藩内、鳥羽伏見、戊辰戦争、長州はたった一潘で日本中と戦い、フランス、イギリス、アメリカ、オランダの連合軍とも同時に戦ったのである。
 嘗て、日本においてこれだけ戦争を経験した潘は長州一潘のみである。
 殺目から言わせれば、日本という国が一国に成りえたのは長州藩の功績である。長州藩は、当時、長州の為に戦ったのではなく、倒幕を成し日本を作る為に其れこそ長州を滅ぼす覚悟で幕府に戦争を仕掛ようと決起したのであった。
 しかし、長州藩のこの倒幕思想は、吉田松陰と言う、思想的指導者とその死によって多分に狂気的に暴走した。長州は軈て孝明天皇すらにも恐れられ、天皇は幕府や会津を頼りとした。長州は一時期京都政界を牛耳っていたにも拘らず、薩摩、会津によって政治的に敗北し、続き京都の政治的クーデターに失敗し日本中から朝敵にされ攻められたのである。
 殺目は、自分達長州人の流した血が維新を後押ししたと思っている。薩摩は最後の最後までのらりくらりと戦力を温存し、長州の犠牲の上に漸く腰を上げてそれに乗っかったのである。長州も徳川も、会津や新撰組でさえ、それなりの無邪気な正義的思想の下でお互いが戦った。其々が大なり小なりの子供染みた正義である。それは”尊王攘夷”であったり”尊皇佐幕”であったりするスローガンを掲げてだ。しかし、薩摩だけはそれとは異なる”公武合体”と言うどちらにも転べる政治的な謀略の上の背負い投げをしたのである。この点で薩摩だけは”大人”の集団であったのである。
 その大人であった薩摩が、こうも子供染みた論調に覆い尽くされ、未だにそれを固辞している。殺目にとっては笑止の一言で閉口せざる得なかった……
 反対に長州はおこりの落ちた様に、狂気的側面が御一新と共に一気に薄れ、今や政府と国家をデザインする立場に熱中しだしたと言ってもいい。しかも、長州は軍の山縣有朋とその取り巻きを除き、比較的藩の特権意識が薄かった。長州人は早くから日本人的全体意識を持ち始めたのである。
 
 勿論、殺目達”殺女”の軍人達はその意識は乏しいと言わざる得ないが、薩摩人の様な強烈な藩閥意識的士族精神などは持ち合わせてはいなかったし、殺目自身もまだ、志士的な暴客精神を持ってはいる。しかし、それは士族的な特権意識ではなく、殺目の生まれに依るものである。この点殺目は斬人や戦争を、職業的役割として割り切っている感があった。

(官軍に蹴散らされたばかりでまだ言うのか? 此奴らは……薩摩も陥落する訳であるな)
 
 殺目は何だか情けない思いであった。
 仮にも、薩摩は一時期は敵として相見え、その末に手を取り倒幕を成し遂げたのである。その上で立ち上がった新政府には確かに唾棄すべき様な汚職や勘違いめいた驕りの一端があった。
 しかし、それは薩長が作った政府ではないかと言う思いがある。それに腹を立て暴発したはいいものを西郷大将を半ば無理やり頭に押し頂き、自決せしめたその責任は誰にあるのか、と言う思いすらある。
 しかも、この連中はまだ自分達にこの状況で何かを成し遂げられるという、履き違えが甚だしい。今、銃弾薬も底を尽き、なし崩しの抜刀突撃などした所で、良くても一度や二度敵軍を追い散らせる事が精一杯である。とても鹿児島市中に駐屯する官軍第一旅団などに真面に敵うはずもない。下手をすれば警視庁の巡査隊の小隊にすら負けてしまうだろう。
 その癖に薩摩人は鎮台兵を”クソ鎮”などと嘲っている。しかし、薩摩私学校党軍は、その鎮台兵に結果的には敗走を余儀なくされた。陸軍卿の山縣有朋と西郷の弟である、西郷従道、西郷の従兄弟にあたる大山巌の作戦によってどうしようもなくなり戦略的に敗北した。そもそも私学校党軍は戦争の意義的にも戦略的にも何の意味もない熊本城をまず攻めた時点で最早勝機を棄てた様なものであった。

「壮八どん! 今に至っては仕方なかっ! 官軍の本営を狙い夜襲をかけっとじゃ!」
「チェストー!! 薩摩隼人の意地ば見せっがぞ!!」

 一斉に私学校党兵達がチェスト、チェストと気勢を上げだした。
 
 壮八は、何も言わずにそれを眺めていた……

「壮八どん、急ぎ戦支度を始めてくれりょ!?」

 壮八だけが、この一座で沈毅な面持ちである。

「ないじゃ!? まさか壮八どん! 黒田のなんぞヒデ奴ん話を受けるとか!?」

 一人が気勢を上げた勢いのまま、壮八に迫った。

「なんじゃぁああ! 汝や! こんやっせもんが! たたっ斬っ!!」
 
 男が抜いた。

「こん……きしゃあ! いい加減抜かしャァ!」

 殺目が男に飛びかかった!

「汝や! 女の癖に!」

 殺目は男に向け拳を打ち下ろす。
 殺目が、突然目の色を変え殴りかかったので、周囲は唖然とした。

「どうしたっちゃ!? 貴様、女の拳も返せないのか、この腑抜けが!!」

 殺目は、左右の拳を振り下ろしながら吼える。

 これは、殺目と壮八に迫った薩摩人との喧嘩である。であるからして、この喧嘩に他の者が加勢をする事はない。しかも殺目の相手は勢いとは言え抜刀したのである。之に加勢をするのは卑怯となる。これは薩摩人の独特の考え方である。

「どうした!? きさまぁ! その刀で掛かって来い! 貴様なんぞ素手で十分だ、殺してやる、さぁどうした? この! どうしたぁ」

 殺目は、我を忘れた様に夢中で拳を打ちかける。殺目の拳の拳頭に男の歯が折れて刺さっている。最早、意識を失い男は顔の色が失せだした。

「殺目さぁ……もうやめときやぃ」

 壮八は些かに暗い面持ちで言った。

「うるさい! 貴様が私の争いに口を出すのか?」
「もう死による……」

 殺目は、その言葉に立ち上がった……

「? 可笑しな事を言う……お前達は、お前達は先程までにあれ程死に急いだ事を言っていただろうが!?」
 壮八は言った。
「此処で死ぬこっはなか」
 殺目は続けて言う。
「では何か? 此処で死ぬのは無駄死にで、鹿児島市中で突撃して死ぬのは無駄死にではないのか!?」

 一人の薩摩人が言う。
「其れと之とじゃ、話が違うとよ」
 
 殺目は、その男に向かい大喝した。

「議を言フナ!!

 一座が静まり返る。
 殺目は、一人立ち尽くしながら言った。
「お前達はっ!! 負けたんだ! 官軍に敗北したんだよ!! どうして……それが、解らないんだ……? この上まだ、お前達は無駄に抜刀突撃で死んでいくのか? それが西郷大将が望む事なのか!?」

「汝や!! 大先生を他藩人が気安く語りよるな! もへ(最早)許せん! 斬い捨てる!!」

「あぁ、構わない。私もどうせ一度は死んだ身だ。お前達に捕らえられ一時永らえただけの事……この身共々呉れてやる!! 方々抜けぃ!! 此処で皆犬死にだ! 各々掛かって来い!!」

 此れには、この場にいる薩摩人も参ってしまった。
 今この場の殺目は、自分達の為に命を賭そうと息巻いているのである。之に大勢で寄って集って斬り掛かる事は憚られたのである……

「何が大先生だ!! お前達はこの上にまだ西郷大将に縋り付こうと言うのか!? お前達はいつ迄親離れが出来ない嬰児の様な事を抜かしているんだ!!」

 殺目の疾呼が本堂に響いた……


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