複雑・ファジー小説

当たる馬には鹿が足りない【更新停止】
日時: 2019/04/09 23:57
名前: 羅知

こんにちは、初めまして。羅知と言うものです。
普段はシリアス板に生息していますが、名前を変えてここでは書かせて頂きます。

注意
・過激な描写あり
・定期更新でない
・ちょっと特殊嗜好のキャラがいる(注意とページの一番上に載せます)
・↑以上のことを踏まえた上でどうぞ。

当て馬体質の主人公と、そんな彼の周りの人間達が、主人公の事を語っていく物語。




【報告】
コメディライト板で、『当たる馬には鹿が足りない』のスピンオフ『天から授けられし彩を笑え!!』を掲載しています。
髪の毛と名前が色にまつわる彼らの過去のお話になっております。
こちらと同じく、あちらも不定期更新にはなりますが宜しくお願いします。



一気読み用
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Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.108 )
日時: 2019/01/19 12:54
名前: 羅知

幕間【In my heart】



 ばらばら。
 ぱらぱら。
 


 
 


 
 あまりに幼すぎて、断片的にしか思い出せないけど。両親との生活は確かに幸せなものだったということはなんとなく覚えている。



「日向はママ似だね」
「んー?」
「とっても可愛いけど、強くて格好良いってことだよ」
「あー?」
「……分かんないか」


 パパは────いや、父は優しい人だった。
 父はいつも仕事で帰ってくるのが遅かった。帰ってきたときにはいつもヘトヘトな様子だった。けれども、たまの休日には、仕事で疲れているだろうに僕や母の前では元気に振る舞って、いつも笑っていた。近所の公園だけど、暖かい日には三人でピクニックをした。僕が何かするたびに「良い子だね」「すごいね」って言って。そうして僕の頭を優しく撫でる。僕はそんな優しい父が大好きだった。


 
「……パパ、遅いね」
「うー?」
「……日向も、寂しい?」
「あー!」
「眠たかったら日向は寝てもいいよ。ママはパパが帰ってくるまで起きて、日向の分までおかえりってパパに言うから」


 母は強い人だった。
 どれだけ父が帰ってくるのが遅くなったって、母は起きて父の帰りを待っていた。たまに待ちくたびれて玄関で毛布にくるまってそのまま寝てしまうこともあったけれど、そんな時は帰って来た父が布団まで母を運んでいた。父はそんな母を心配して、母に玄関で自分を待つのは止めるように言った。けれども母は父がどれだけ言っても待つことを止めなかった。父が帰ってきたら、笑顔でおかえりと言って、冷えた晩御飯を暖めて、父をぎゅっと抱き締めた。冷えきって帰ってくるパパに暖まってほしいからって、母は父をいつも待っていた。僕はそんな強い母が大好きだった。



 


 ばらばら。
 ぱらぱら。



 




 
 実は、"その日"、何があったのか僕はあまりよく分かっていない。目の前で起こっていた惨状を理解するには僕はあまりにも幼すぎた。



 
 嫌と言う母の叫び声が、聞こえたような気がする。
 苦しくて呻いている母の声が、聞こえたような気がする。
 知らない男の人の声が、聞こえたような気がする。



 
「まま」
 


 
 母の様子が気になって、呼んだけれど、一瞬がたがたがた、と大きな音がしたあと、パタンとドアが閉められた音がしただけで母の返事はない。



 
「まま?」



 
 もう一度呼ぶ。
 返事はなかった。
 


 


 
  「ボウヤ、起きなよ」
 

 
 知らない誰かのそんな言葉で僕は目を覚ました。部屋の中で母を探し回っている間に、疲れて眠ってしまったらしい。
 目を開ければ、目の前には見覚えのない顔の若い男の人がいた。

 
「おにさん、だぁれ」
「お兄さんかい?お兄さんはね……アクツっていうんだ。よろしくね」
「おにさん」
「呼ばないのかい?別にそれでもいいけど」

 
 男の人はそう言ってにっこりと笑った。開いた口の隙間から獣みたいな八重歯が見えて、少し不気味だった。


「なんじ?あさ?」
「今はまだ夜だよ」
「ねる」
「寝ちゃダメだよ。お兄さんはボウヤを迎えにきたんだからさ」

 
 そう言いながら男の人は僕の腕を掴んで、無理矢理立たせる。掴まれた腕が痛くて、僕は涙が出そうになった。男の人は笑顔のままだった。むしろ僕が痛がって泣きそうになってるのを見て、もっと嬉しそうになった風にさえ見えた。

 
「可愛いねぇ」


 ねっとりした口調で彼は言う。悪意のないはずのその言葉を酷く気持ち悪く感じて、背筋がぞくりと震える。


「寝ている君も可愛かったけど、起きてると尚更可愛いね」


 そんなことを言いながら男の人は僕の腕を掴んだまま、僕を僕の知らない場所に連れていく。母も側におらず、何がなんだか分からない僕は、それに大した抵抗もせずに着いていった。今の僕なら流石におかしいと気付いて抵抗したんだろうけど、幼い僕はあまりにも幼すぎて、あまりにも愚かだったのだ。


 
 だからこそ、僕は生き残ったのだろう。
 あの時、少しでも不信感を抱き、少しでも抵抗しようものなら、あの男の人は僕を殺していた。彼はそういう人間だった。あの場にだって本当は残った僕を殺すために戻ってきたに違いない。僕は彼の気まぐれで生き残らされたに過ぎないのだ。


 その時、生き残ったことが良いことなのか、悪いことなのか、それは今でも僕には分からない。



 

 
「ボウヤ、名前は?」
「ひなた」
「そう、ヒナタ君か。略してヒナ君だね」
「ひな……」

 特に抵抗することもなく車に乗せられ、連れてこられた先は見知らぬ薄汚れたマンションだった。大通りから少し離れた場所にあるらしく人の気配はほとんどない。なんだかお化けでも出そうな雰囲気もあって、僕は少し怖くなった。


「逃げちゃ駄目だよ」


 別に逃げようとしたわけではなかった。
 けれども彼は僕の怯えた様子を『逃げようとした』そう解釈したらしい。ニコニコと笑っていた顔が突然無表情になり、腕を掴む力が余計に強くなる。笑ってる時は半開き程度だった目がカッと見開いて僕を見つめる。その目はどこか蛇が獲物を捕らえる時にするものとよく似ていた。恐怖で体の力が抜けてしまって、まさに蛇に睨まれた蛙のようになる僕をなかば引き摺って彼は僕をどこかへ連れていく。何かがおかしい。いくら僕が幼く愚かでも流石にもう気が付いていた。けれども反抗することも、抵抗することも出来るわけなんてなくて。無力な僕はただ彼に逆らわず着いていくことしか出来なかった。



 


 
「ミケ」

 最終的に僕は古びたマンションの三階の一番奥の部屋に連れてこられた。彼が部屋のドアを開けると、彼より少し年下くらいに見える女の人が体操座りで玄関に座り込んでいた。初めは顔を伏せていたが、彼が呼んだのに反応してゆっくりと顔を上げ、そして彼のそばにいる僕に気が付く。まるで珍獣でも見るような目付きで数秒僕の顔を覗くと、きょとんとした顔で彼に聞く。

 
「アクツさん、誰ですか、その子」
「ヒナ君。ほら、例の家の子だよ。駄目だった?」
「……あぁ、あの家の。ミケは別に構いません。アクツさんが望んでいるのなら」

 
 短く話を終えると、ミケと呼ばれた女の人は立ち上がり、僕の方を見て、うっすらと笑った。

「ヒナ君、でしたっけ。ミケはミケ。どうぞよろしく」

 何だか拍子抜けしてしまいそうなほどに優しい笑顔だ。僕はさっきまでの恐怖を忘れて、よろしくという言葉に、こくんと頷く。頷いた頭を優しく撫でられる。それは父や母がよく僕にしてくる撫で方ととてもよく似ていて、僕は自分の心が落ち着いていくのを感じた。


 
 あぁ、そういえば母はどこに行ってしまったのだろう。



 そんなことを一瞬考えたけど、まぁきっと大丈夫だろう。少したったらすぐに迎えに来てくれる。能天気にもそんな風に思った。思っていた。愚かにも、そんなことを。


 

 
「みけ?って、がいこくのひと?」
「……どういうことです?」


 この部屋に連れてこられて数日が経過した。相変わらず母はどこにいるかも分からず、父とも連絡が取れない日々。でもあまり寂しくはない。アクツさんは最初の日以来顔を見ていないけど、僕の側にはいつもミケさんがいる。表情は乏しいけれど、僕が遊んでと言ったら遊んでくれるし、お腹すいたと言えばご飯やお菓子を出してくれる。思ってることがあまり顔に出ないだけなのだろう、きっと。ミケさんは優しい人だ。

「……あぁ、この目と髪の色を見て、そう思ったんですね。違いますよ」

 ミケさんの髪と目の色は綺麗な亜麻色だ。顔立ちも目鼻立ちがはっきりとしていて日本人離れしている。だから僕はてっきりミケさんは外国の人なのだと思っていた。でもミケさんが言うにはどうやらそうではないらしい。

 
「ミケの両親は、分かりません。だからもしかしたら外国の血も入ってるのかもしれません。でも日本育ちです。外国なんか行ったこともありません」
「……パパママ、いない?」
「はい。でも寂しくはないですよ。アクツさんがずっと一緒にいてくれましたから」

 そう言うとミケさんは自分の縛っている髪の毛の片方を触った。ミケさんはいつも髪の毛を綺麗なお下げの三つ編みにしている。

「小さいとき、孤児院にいたとき、アクツさんが言ってくれました。三つ編み可愛いね、綺麗な髪だね、って。それからずっとこれなんです」

 そう言うミケさんはとても嬉しそうに笑っている。アクツさんの話をするとき、表情の乏しい彼女はよく笑う。きっと彼が大好きなのだろう。彼のためなら何でもしたいとそう思えるくらいに。それは母の父に対する思いに似ていた。純粋な、一点の曇りのない愛だった。けれども彼らの愛は誰かを犠牲にしないと成り立たないようなもので。愛は尊いものだというけれど、そんな愛でも尊いと言えるのだろうか。

 
 そんな難しいこと、この時の僕には分からなかったけれど。

 
 少なくとも、この時の僕は二人の幸せが続いてほしい。そう思っていたのだ。それが何によって成り立っているなんて分からずに。


 

 それからまた数日が経った。
 父と母の行方は未だ分からず、僕はミケさんと共にこの部屋にい続けた。

 
 


 ある日のことだった。
 見知らぬ男の人が部屋の中にいた。作業服のような格好をして、部屋の掃除をしているようだ。
 
「だぁれ」

 僕の言葉に彼は一瞬こちらを一瞥したけれど、すぐさま作業に戻った。

「…………」

 気のせいかもしれないけれど、一瞬見えた目は僕を哀れんでいるように見えた。可哀想なものを見るような、そんな目に。

「それは……多分、熊猫(パンダ)さんですね」
 
 あとからミケさんにその人のことについて尋ねると、どうやらあの男の人もミケさんやアクツさんの仲間だったらしい。

「今は別のお名前があるみたいですけど……ミケは少なくともそう呼んでいます。お掃除してくれたり、庭仕事してくれたり……呼べばどこにでも来る方ですよ」

 もっと詳しい話を聞いてみたいと思ったけれど、ミケさんはパンダさんという人についてはあまり知らないらしい。

「アクツさんの知り合いですから、あの人は。……よく分からない方で、ミケはあまり好きではありません。何考えるか分かんないし……多分何も考えていないんでしょうけど」

 
 そうだろうか、一瞬見ただけだけれども、そんな人には見えない。何も考えていないような人に、あんな目はできるのだろうか。むしろ彼は色んな感情を無理矢理抑え込んでいるのではないだろうか、洪水しそうな感情を無理矢理。
 出来ることならもう一度あの人と会って、聞いてみたい。きっと彼は全てを分かっていて、だからこそあんな目を僕に向けていたのだろうから。

 



 某所にて。

「あーあ、お気の毒に。酷い目に合っちゃって。…………まぁ命じたのは俺なんだけど」




 
「怖い?もう怖くない?……はは震えないでよぉ……もう怖いことなんかしないから」








 
「もうすぐ会わせてあげる。大丈夫。ボウヤには酷いことなんてしてないからさぁ」







 
「なんでこんなことするか、って?楽しいからに決まってるだろ?わざわざつまらないことなんてしないさ」







 
「……つまんねぇなぁ。ただただ怯えて反抗しなくなった獲物は」








「まぁ、お前を餌にあと二人は釣れる予定だからさ。せいぜい俺を楽しませてくれよ」







「なぁ、陽子サン?」
 

 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.109 )
日時: 2019/02/03 17:16
名前: 羅知

 

 
「ねぇ、ヒナ君。これ着てみませんか」

 
 そう言ってミケさんが取り出したのは、可愛らしいフリルがあしらわれた白色のロリィタワンピースだった。まだ幼く、自身の性別をしっかり理解も出来ていなかった僕は特に抵抗せずに、着せられるままにその服を着た。普段着ている服と違って、なんだかごわごわとして少し動きにくい。

「ふふ、似合ってますよ」

 僕がその服を着ているのを見て、ミケさんは嬉しそうににっこりと笑った。いつもと同じ優しい笑顔だ。だけど何故だろう。いつもと同じなのに、優しい普通の笑顔なのに────なんだかその笑顔はいつもより深い意味があるように思えて、僕はその時だけ少しだけミケさんの笑顔を怖く感じた。でもほんの一瞬だった。だから僕はそんな考えをすぐに忘れた。ミケさんは優しい。それは僕にとって揺るぎない事実だった。

「今日はこれを着て下さい」
 
 それからというものミケさんは、僕に過度に女の子らしい服装を着せるようになった。僕を呼ぶ呼び方も『ヒナ君 』から『ヒナちゃん』に変わった。二人でする遊びも、おままごとや人形遊びなど女の子のするような遊びをすることが多くなった。だんだんと変わっていく環境に僕は大きな不満こそはなかったけれど、少しだけ、ほんの少しだけ嫌に思うようになってきた。たまには外で走り回って暴れまわりたい。泥だらけになって遊びたい。しかし、この可愛い服では動きにくく、そうすることが出来ないのだ。

 僕はその旨をミケさんに伝えた。ミケさんは一瞬考えるような素振りをしたけれど、すぐにまたいつものように優しい笑顔に戻った。

 
「……そう、ですか。いいですよ。着替えても、別に」

 
 そして続けて、こう言った。

 
「……ところでヒナちゃん。お母さんに、会いたくないですか?」


 答えは勿論イエスだった。
 今思えば、あまりにもこの時の彼女の言動はおかしかった。今までまったく出すことのなかった母の話題を何の脈絡もなく突然出すなんて。
 でも僕は母に会えることが嬉しくて、そんなこと気にもしなかった。母が姿を消す前に聞こえたような気がした呻き声や叫び声のことなんかもうすっかり忘れてしまっていたのだ。


 





 
「こない、で」






 
「だれ?だれ、だれだれだれだれだれ、やめて、こないでしらない、し、しししらないしらないおとこのひと、いや、いやいや、やめてこないで、」




「だれ?ちがうあなたはちがうひなはおんなのこひなはどこひなをどこにやったの?」




「はる、き……?」






「だれ、それ……わからない…………わたし、わからない……ひなは……?わたしの、ひなは……?」






 


 母は僕がミケさんと過ごしているマンションにさほど遠くはない、古くて小さな木製の小屋
にいた。
 
 結論から言えば、多分母は僕が母に再会したその時には既に精神崩壊してしまっていたのだろう。
 小屋の戸を開けて、写った母の目は酷く淀んでいて、僕のことなんか見ていなかった。ただ部屋の隅で手負いの獣のように怯えて、震えて、"ヒナ"ではない僕を警戒して、"ヒナ"というけして僕ではない何かだけを信じて、生きていた。
 どうして母の思考がそんな厄介なものになってしまったのかは分からない。けれども壊れた母の思考を彼らの都合のいいように歪に弄くりまわすことはきっと彼らにとって簡単なことだったはずだ。
 父も僕も何も分からなくなってしまった母はとても弱い人だった。大事な人の為に、ただそれだけの為に、母は強くいられた。全てを失った母は剥き出しで、ボロボロで、今すぐにでも砕け散ってしまいそうだった。

 
「ママ、どうしたの……?」


 母に拒絶され、伸ばした手を払いのけられたあの日、僕は悲しくて悲しくて沢山泣いた。何故あんなことをされたのか理由がまったく分からなかった。

 その後も何度も何度も母のところへ行った。けれども結果は同じだった。僕は母に拒絶された。近付きすぎて暴力を振るわれる日もあった。ぶたれたところが痛かった。だけど一番痛かったのは母に拒絶された心だった。

 だんだんと僕は上手く笑うことができなくなった。涙すら出ないようになってきた。ただただ悲しい気持ちだけが心に満ちていく。僕の心もその頃にはきっと相当壊れていた。

 
 そしてそうなることを見越していたかのように、ミケさんが僕に言った。ずっと変わらない優しい笑顔で言ったけれども、それは悪魔の囁きだった。

 
「ヒナちゃん、ヒナちゃんは女の子なんです。だからそれを認めれればお母さんはヒナちゃんを愛してくれますよ」


 
 愚かな僕はその言葉を受け入れた。
 明らかに間違っていると分かりきっている道を、母に会いたい、母に受け入れてもらいたい、という願いのために盲目的に進んでいったのだった。


 
 

 その日から母と僕は、ミケさんと僕が過ごしていたマンションの部屋で生活することになった。ミケさんは、たまに様子を見に来るけれど、ほとんど部屋に訪れることはなくなり、僕と母の二人で過ごす日々が始まった。
 
 "ヒナ"になった僕を母は受け入れてくれた。それはけして母から子に向けるようなものではなく、溺れそうになってすがりつかれてるも同然だったけれど、それでも僕は嬉しかった。どんな形であろうとも母に僕を見ていてほしかった。"ヒナ"でいれば僕は母に受け入れてもらえる。以前のように母に愛してもらえる。だから、これでいい。これでいいのだ。母にとって都合の"良い子"であれば、僕は、ずっとずっと母と一緒にいることができる。

 
(……"ヒナ"は、"いいこ"……)

 

 そうでなければいけないのだ。
 馬鹿みたいに、そう、信じ続けた。




 





 
「ごめんね、日向」





 それが僕が聞いた母の最期の言葉だった。真夜中にフラフラと母は起き上がったかと思うと、うつらうつらとしている僕にそれだけ言って、母は首を吊って死んでしまった。最後の最期に母は"僕"を見た。僕という存在を認識し、ごめんね、と謝った。何故、何故謝られたのだろう。何に対して謝られたのだろう。謝罪の言葉を述べる母の瞳は酷く悲しげで沈んでいた。
 謝ってほしくなんかなかった。謝ってもらう理由なんてなかった。僕は幸せだった。ただ、母と一緒にいられれば僕はそれがどんな形であったとしても幸せだったのに。それともあの謝罪は、そういう意味だったのだろうか。これから一緒にいられなくなることへの謝罪だったのだろうか?それならなおさら謝ってほしくなんかなかった。生きていてほしかった。生きて僕と一緒にいてほしかった。



 
 けれども母はその道を選ばなかった。
 今なら分かる。母はもう限界で、完全に精神という精神が壊れていて、壊されていて、あの時正気に戻ることができたのだって奇跡のようなもので。そして僕も相当に壊れていて、一緒に死ぬことはできても、生きていくことなんて、長くは持つはずがなくて。
 正気に戻った時、母は覚悟したのだろう。自分を切り捨てて、僕を救う覚悟を。僕や父を遺して命を断つ覚悟を。母は強い人だ。大切な誰かの為に、自分を簡単に犠牲に出来る、本来こういう強さを持った人だった。



 
 強い母は最期まで強い人だった。最後の最期に強い人であろうとした。






 
 母の自殺した翌日、僕は母が最後に母の弟にした電話により居場所を発見され、保護された。保護された僕は前後不覚の状態で、けして話を聞けるようなものではなく、メンタルケアの為に病院内でその後の日々を過ごすことになった。
 
 




幕間【In my heart】前編終了。後編へ続く。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.110 )
日時: 2019/02/21 23:58
名前: 羅知

九話【絶望】


 オレ達が駆け付けた時には遅かった。事態は既に終わっていて、馬場が死んでしまうことが一番の最悪だとすると、最悪の二番目くらいに今の状態は酷かった。終わっていた。二重の意味で、終わってしまっていた。




「……どうして、こう、なったの?」



 オレ達が混乱しながら馬場の怪我の処置や救急車の手配をしてる間も、馬場が救急車に運ばれていく時も、愛鹿社は最初の位置からまるで魂が抜かれてしまったかのようにへたりこんだままぴくりとも動くことはなかった。ただただ呆然と何もない虚空を見つめるだけ。そうして突然彼女の口から零れたその言葉にオレ達は何と言っていいのか分からなかった。むしろその台詞はオレ達が言いたいくらいなのだ。彼女にオレ達がそう問い詰めたいくらいなのだ。でもそんなこと出来るはずがない。彼女も分からないのだ。何も分からなくて、不安と、混乱で、いっぱいいっぱいなのだ。少しつついたら崩壊してしまういそうな危うさが今の彼女にはあった。それは最近の馬場の雰囲気とよく似ていた。

 
「…………」

 
 そおっと横目で見るようにして、彼女の姿を確認する。不躾に堂々と見ることは憚られるような気がしたからだ。相変わらず彼女はまるで魂が抜けたように動かない。どこを見つめてるかも分からないような目で、何かを見ている。オレは彼女の視線の先を探った。

 
 そうしてあることに気が付く。



(……あ)
 

 
 瞳だ。
 彼女の目は、そっくりだった。久し振りに学校に復帰したあの日、オレに確かに助けを求めていた馬場の瞳に。
 彼女は、どことも分からないような場所にいる、誰かに、助けを求めているのだ。きっと彼女にそうしている自覚はない。彼女はただ無意識に救われたいと、そう願っているのだ。目を凝らさなければ見つけられないような小さなSOS。それでもそれは確かに誰かに助けを求めていた。そして、それに気が付いてしまったらオレに彼女を助けないなんて選択肢があるはずがなかった。愛鹿社は馬場の幼馴染だ。馬場と彼女に一体何があったのかは分からない。正直心の何処かでは混乱していた彼女が馬場を刺したのでは?なんて疑っている自分がいる。でも、オレは信じる。だって気を失う前の馬場の瞳は彼女への愛に満たされていたじゃないか。もし、馬場がこの状況を見ているのなら、あの自己犠牲の精神の塊のようなあの男は彼女を身を呈してでも守るだろう。

 
 だから、助けたい。
 そして、信じたい。馬場を。彼女を。助けるという選択を選んだ自分自身を。


 

「……あの、愛鹿サン」



 おずおずとオレは彼女に声を掛けた。オレと同じように彼女をどういう風に扱えばいいのか分からずに戸惑っていたシーナや菜種達がごくりと息を飲む。


 
「……オレ達は、今から病院に向かうんスよ。だから、その……愛鹿サンも一緒に行きません?」
「…………」
「……楽観的だとか思われるかもしれないスけど、馬場なら大丈夫スよ。きっと……きっと!けろっとした感じでまた……」


 本心からの言葉ではない。でも、今は彼女の心を落ち着かせることが最優先だった。彼女の心を刺激しないように、ゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。


 
「……だから、あの、一緒に──」
「────遠慮、します」



 
 消え入りそうな声で、それでいてはっきりした冷たい口調で彼女はそう口にした。



 
「遠慮します。……貴方達は、貴方達だけで向かって下さい。私は、私一人で行きます」
「どう、して……」



 彼女が倒れてしまいそうになりながら、ゆらりと立ち上がる。顔は青白く、こちらを恨みがましそうに見つめるその姿は、どこかの怪談に出てくる幽霊を彷彿とさせた。


 
「……私は、何も分かってなかったんですね。彼のことを。あんなに小さな頃から一緒にいたのに、なんにも。貴方達の方がよっぽどか彼のことを分かってて、彼を幸せにしてあげれてた……」
「……え?」
「……貴方達を見てると、ドロドロした感情が、溢れて、なりふり構わず貴方達に向かって、投げつけたくなります。貴方達が、羨ましいんです。あぁ、憎い、憎い、憎い」


 
 ぶつぶつと怨嗟の言葉を呟きながら、ふらふらと、彼女はオレ達に背を向けて病院へと歩いていく。今にも倒れてしまいそうな彼女に待ってくれと呼び止めると、彼女は一瞬だけこちらを振り返った。


「私の姿が見えなくなってから、病院へは、向かって下さい。……共に行けば、私は、貴方達に酷いことを言います。彼の友人だった貴方達に、そんなこと、本当は言いたくありません」
「…………」
「…………ごめんなさい」




 
 小さく謝罪の言葉を告げて、ふらふらと、それでいて足早に彼女は先へ進んだ。オレ達はまるで彼女の言葉に呪われてしまったかのように、彼女の姿が見えなくなるまで、そこから離れることが出来なかった。



 
 

 
 病院へ辿り着き、受付で事情を説明すると、すぐに別室に案内された。内装は普通の病院の待合室によく似ているが、こじんまりとしている。その部屋の角の辺りにある椅子に彼女は膝に顔を埋めるようにして座っていた。

 呼吸することすら憚られるような雰囲気がそこにはあった。ましてや、声を上げることなんて出来るはずもない。どうしようか、と思いながら、シーナの方を見ると、どうしようね、というような顔をした彼が苦笑いをオレに返す。シーナを挟んだ向こう側では菜種が心配そうに愛鹿社を見つめていた。そう言えば菜種は文化祭の時に愛鹿に演技の教えを乞いにいっていたのだっけ。オレ達以上に色々と思うことがあるのだろう。菜種の憂いを帯びた表情を見て、オレは菜種から目を逸らした。


 
 どれだけ待っただろうか。時計は既に夜の12時近くを指していた。ここに来たのが夕方だと考えると、八時間近く待ったことになるだろう。その間、何度か看護師のような人が来て、食事や、飲み物などを提供してくれたが、オレ達はとてもじゃないけど食べる気にはなれなくて、一口二口食べて、残した。もう遅いから帰ってもいい、と言われたが帰る人間はいなかった。愛鹿社は、たまに体勢を変えることこそあれど、ほとんど初めの体勢から動くことはなかった。
 あまりに時間が遅すぎて、メンバーがうつらうつらとし始めた頃、白衣を着た男の人が部屋に来た。

 「……お待たせしたね。準備が出来たよ」


 
 馬場のことを診てくれた先生だろう、そう思いながらゆっくりとその先生の顔を確認した瞬間、オレ達は転げてしまいそうなくらいに驚いた。


 
「……初めまして、馬場君の友人諸君。私は濃尾彩斗、この病院で精神科医として働いている。ちなみに濃尾日向の叔父だ、宜しく」


 
 その人の顔が濃尾そっくりで、それでいて濃尾の絶対にしないような爽やかな笑顔をしていたからだ。



 



 
「はは、驚いたかな?いつも日向と仲良くしてくれてたんだよね?ありがとう」

 
 そう言いながら彼は、オレ達座っている近くの椅子に座って足を組んだ。何だか妙に緊張してしまってオレ達は身を縮めた。そんなオレ達に、緊張しなくてもいいよ、と優しく彼は微笑む。

 
「先にこれだけ言っておこうか。……馬場君の意識は既に戻ったよ。刺し所がよかったのかな……大事には至らなかったみたいだ」

 
 何でもないことのようにさらりと彼はそう言ってのけた。あまりの自然さにオレ達は最初その言葉に現実味が沸かず、ぽかんとアホ面で口を開けていた。数十秒経ってだんだんと言葉の意味が理解できてくると、開いていた口がわなわなと震えてきた。

 
「……ま、マジですか、それ」
「うん、本当。……でも、ね……」


 
 馬場は目が覚めた。それはとても嬉しいことだし良いことであるはずなのに、そこまで言って彩斗先生はもごもごと口を動かして何かを言い淀んだ。表情もどこか浮かない顔だ。何か問題でも起こったのだろうか……。オレ達は先生の次の言葉を待った。
 
 数秒間の逡巡の後に、先生は意を決したように、馬場の現状を口にした。




 
「……一言で言えばね。目覚めた馬場君は君達の知ってる馬場君じゃなかった。かといって彼の本来の性格でもない。そうだね────馬場満月の器だけ残されて中身は切り取られた、みたいな、そんな状態だったんだ」



 
 



 
「……脳に損傷は見られなかった。だから、これはつまり精神的な問題だ」


 
「君達の話によれば、馬場君はあの騒動以前から相当限界状態にあったようだから……遅かれ早かれこうはなっていただろうが、今回の騒動がきっかけになったことは確かだね」


「気に病むことはないよ。さっきも言った通り、遅かれ早かれこうなっていた可能性が高いのさ。……それに今の状況は馬場君にとって天国のようなものだろう」

 
「馬場君は現状に苦しんでた。自らの持つ過去に苦しんでた。これからの選択に苦しんでた。……それらを丸々リセットして初めからやり直せるんだ。願ったり叶ったりじゃないか」

 
「君達にとっては不服かもしれないが、私はこれからの馬場君への干渉を止めることをお勧めするよ。下手に彼を刺激したら、今度こそ彼はどうにかなってしまうかもしれない」

 
「冷たいと思うかもしれないが……君達が馬場君と過ごした期間は半年にも満たない。そんな短い時間だ。そして、君達は若く、これからの人生はとても長い。……馬場君が君達を忘れたところで、君達が馬場君のことをなかったことにしたところで、君達の人生にも馬場君の人生にも何の支障もない」

 
「…………"なかったこと"にした方が、お互い幸せなんだよ」


 
 



 信じられない、とそう思った。


 
 何か証拠を見せてくれ。自分の目で見なきゃ納得なんてできない。馬場がオレ達を忘れたなんて。それどころかオレ達の姿が見えなくなったなんて。短い間だとしても馬場とオレ達が作った思い出はけして忘れられるようなものじゃなかった。楽しいことだって、辛いことだって、色々あった。忘れたくなるような酷いことだってあったかもしれない。でも、それでも本当に、本当に忘れるなんて。そんなおかしなことあるのか?いや、あってたまるか。


 
 周りの目も気にせず、オレは感情に任せてそう叫んだ。そんなオレに対して濃尾先生は冷静そのもので、オレの言葉をどことなく冷えた目のまま受け止めると、その表情のまま、いつの間に部屋に入ってきていた助手のような人にこう命令した。



 
 「……君達がこのことを信じられないだろうことは分かっていた。照(てる)君、彼らをあそこに連れていきなさい」
「はい、分かりました」


 
 助手のような人は、濃尾先生の命令にこくりと頷くと、オレ達の方を見て、にこりと笑った。


 
「濃尾先生の代わりに今回の事故に関しての馬場君の担当医をしています、テルと申します。どうぞ宜しく」
「……?」

 
 真正面で見た彼の顔に何故か既視感を覚える。けれどその既視感をどこで味わったのかははっきりと思い出すことがは出来なかった。



 

 
 連れてこられた先は、狭くて、暗くて、壁の一面だけが擦りガラスになっているという奇妙な部屋だった。テルさんが何かのスイッチを押すと擦りガラスがただの透明なものに切り替わり、ガラスの向こうが見えるようになる。

「馬場……!」

 ガラスの向こうは普通の入院部屋のようになっていて、そこには白いベッドに横たわった入院服を着た馬場がいた。顔は青白く、体調は悪そうではあるが、意識はあるようでキョロキョロと周りを見ている。

 
「馬場君、調子はどうですか」
『……あぁ、先生。どうも……調子……まずまずってところだろうか』

 
 どうやらこちらの部屋とあちらの部屋の声はお互いに聞こえるらしい。テルさんがそうやって声を掛けると、元気こそないが馬場はそうやって言葉を返した。その様子にいたっておかしな点はない。



 
「馬場さん。先程のものに加えて質問宜しいでしょうか」
『……あぁ、いいぞ』
「何度も何度も申し訳ありませんが……貴方のことをもう一度教えて下さい」
『……また、その質問か?先生。さっきから言ってるだろう。俺は馬場満月。十六才。貴氏高校一年。"両親は海外に赴任していて、一人っ子"』
「細かいことは思い出せますか。例えば────過去の思い出のようなものとか」
『……昔の思い出?そういうのはないな。高校に上がってから特に仲の良い友達もいなかったし、クラスでも目立たない方だったし。中学、小学もそんな感じだ』
「最後にもう一つ。ワタクシのいる部屋には何人いるように見えるでしょうか」
『?……何言ってるんだ、先生。先生のいる部屋には"先生一人しかいない"だろう』
「長々と質問にお答え頂き、ありがとうございました。どうぞごゆっくりとお休み下さい」
『あぁ、お休み』



 
 そこで会話は終了して、テルさんがスイッチを押すことで、透明なガラスは擦りガラスに戻った。


「…………」



 全員が黙りこんだ。
 馬場がオレ達のことを覚えておらず、見えてさえもいないという事実をこうして実際に体験して理解すると、胸を大きな杭で打たれたようなそんな衝撃があった。
 一番ショックだったのは、その事実そのものよりも、オレ達のことを見えても覚えてもいない馬場の方が、最近の馬場よりよっぽど幸せそうに見えたことだ。
 オレ達は馬場に必要ない。馬場を助けたいだなんて願いは、オレ達のただのエゴなのだと、そう突き付けられたような気がした。


 
「う……」


 
 岸波が声を押し殺すようにして、泣いている。それに続いて、一人、また一人と涙を流す。隣を見れば、シーナが可愛い顔をぐしゃぐしゃに崩して泣いていた。それに気が付くのと同時に自分の頬が濡れていることに今更気付く。オレも泣いていた。泣けば泣くほど悲しさというものがオレの中で形を持っていき、余計に悲しくなる。悲しくなって、また泣いて、それで余計に悲しくなる。その繰り返しだった。














 皆、自分のことで精一杯で、自分の悲しみを受け止めるのに精一杯で、だから気付けなかった。


 









「あは」






 

 泣き声の中に不似合いな笑い声が混じる。




 










 
「あは、あはははっ、あはははははははは!あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!!!あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!!」










 
 オレ達は、少なくともこの事実を受け入れていた。受け入れていたからこそ、泣くことが出来た。










 
 でも、彼女には無理だった。





 
 もう限界寸前で、壊れる寸前だった彼女に、この事実が受けとめきれるわけなかった。彼とずっと一緒にいて、誰よりも彼を必要としていて、誰よりも彼を愛していた彼女に、こんな惨い事実、受けとめきれるはず、なかった。
















 
 暗くて、狭い、部屋の中、沈んだ泣き声と歪な笑い声が響く。






 それは、奇しくも満月の日の夜のことだった。

当たる馬には鹿が足りない ( No.111 )
日時: 2019/02/23 16:58
名前: 羅知


 


 
 俺の名前は馬場満月。


 
 自分で言うのもなんだが、どこにでもいる普通の男子高校生だ。
 人並みに恋したり、誰かと友情を育んだり、そういうのに憧れることもあるけれど、タイミングが悪いのか────巷でいう"青春"みたいなものを味わえたことはない。
 劇的なことは何もない、平凡な人生。まぁ人生なんて実際はこんなものだ。物語の中みたいな突飛なことなんて、なかなか起こらない。




 
 でも、きっとそんな人生を人は幸せだなんてそんな風に言うのだろう。



 
 


 
 目が覚めると、病院のような場所のベッドで俺は寝かされていた。いつの間に着替えさせられたのか入院服のような服を着ている。一体何故、何がどうなってこうなったのか。事態の把握をしようと大きく体を動かすと、腹の辺りがずきりと傷んだ。

「何だよ、これ……」

 服をめくって傷んだ部分を確認すると、包帯やらガーゼやらで厳重に傷の処置がされていた。他にも何かあるかもしれない。そう思って、体を大きく動かさないようにしながら自身の体をぺたぺたと触ってチェックすると、腕の辺りに切り裂かれたような傷が多数、太腿の辺りに大小様々な刺されたような傷が多数あった。それ以外は特に大きな傷は見当たらない。体は多少怠いが、見た目の割にあまり酷い傷ではないようで、少し痛む以外はあまり症状といった症状はない。

(俺に、何があった?)

 こんな傷、負った記憶はない。それにこんな所に来させられる理由も分からない。見た目の様子から、きっとここは病院なのだろう。それは分かる。ただ、今自分が病院にいる理由。それが、全くもって見当がつかない。


 俺は普通の、ごくありふれた日常を送っていた。



 それがどうしてこんなことに?こんな傷を?理由を求めて記憶を探るが、正解の記憶を見つけることは俺にはどうしても出来なかった。


 

 
「あぁ、目覚めたようですね」

 
 暫くすると白衣を着た若い男性が、部屋に入ってくる。そうして驚いている俺を見て、にこりと優しく笑った。

 
「どうも。貴方の"担当"の荒樹土照(あらきどてる)と申します」
 
 
 彼の名前は荒樹土照と言い、俺の担当医だそうだ。彼によれば、どうやら俺は事故にあって、そのショックで意識を失っていたらしい。ただ傷自体はあまり酷いものではなく、数日の入院で退院出来るだろうと言われた。常々俺は人並みの人間だと思っていたけれど、運だけは人並み以上にあったようだ。

 
 入院している間は、やることもないので適当な時間を過ごした。お見舞いに来てくれるほど親しい人も俺にはいない。幸い歩けないような怪我をしている訳ではなかったので病院内の散策などをしたりして、それなりに楽しい時間を過ごした。

 
 入院三日目の朝、俺がいつものように病院散策に行こうとすると病室の扉を叩く音が響く。誰だろうと思いながら、病室の扉を開くと、そこには見覚えのない綺麗な女性が立っていた。

 
「ふふ、どうも」


 女の人は、そう言って俺に軽く会釈した。ちょっとした動き全てがなんというか──妖艶だ。大人の女性ってきっとこういう人のことを言うのだろう。ずっと見ていたくなるような、そんな魅力のある人だ。でも見つめすぎて、こんなに綺麗な人に変な人だと思われるのも恥ずかしい。見ていたい。でも、見てられない。そんな相反した感情に苛まれて俺は上を見たり下を見たりときょろきょろと挙動不審に視線を動かしてしまう。呆れられても仕方のないような狼狽っぷりだと自分でも思うのだが、彼女はそんな俺を見て「慌てなくても良いですよ」とくすくすと微笑んだ。

 
「突然訪問してしまって、申し訳ありません。お加減は宜しいですか?」
「あ、あぁ……ところで、あの……」
「何でしょう?」
「貴女は誰なんだ?」


 俺のそう言った瞬間、彼女はぷっ、と吹き出して、大爆笑した。上品そうな人なのに腹を抱えて破顔してしまうくらいに笑っている。俺は何かおかしなことでも言ったのだろうか。

 
「ふふっ、ははっ!!……んふ……あぁ、すみませんね……貴方のことを笑っているのではないのです。こっちの事情で……お気を悪くされましたか?」
「……い、いや。それで、貴女は……」


 俺が改めてそう尋ねると、彼女はこほんと咳払いをして、入ってきた時の落ち着いた様子に戻る。そして真面目な顔をして、こう答えた。

 
「名乗るほどの者ではないのです。ワタクシはあくまで"代理"ですので」
「代理……?」
「えぇ。本来は貴方のお見舞いには別の方が来られる予定でした。ただ、ある事情で来られなくなってしまったので、ワタクシが来た、という訳です」
「そうなのか……それで一体誰の代理なんだ?」
「ふふ!それは秘密です。彼は匿名を希望しているようなので……案外恥ずかしがり屋なんですよ、彼」

 お見舞いに来たのに名乗りたくないなんておかしな話だ。そうは思ったけれど、もしかしたら俺が知らないだけで今時のお見舞いというのはこういうものなのかもしれない。
 彼、というからには本来来る予定だった人というのは男性なのだろう。男性、恥ずかしがり屋……誰だろう。分からない。そもそもお見舞いに来てくれそうな人がいない。

 
 そんなことを考えていると、また彼女はにこりと笑った。今度は彼女の雰囲気にあった上品な笑みだった。


 
「とっても、心配してました。彼、貴方のことを」
「そ、そうか……誰だかは分からないが、心配ありがとうと伝えておいてくれ」
「えぇ、しっかりと。……長居も失礼ですのでワタクシは帰ります。また機会があったらお会いしましょう」


 初めに部屋に入ってきた時と同じように会釈をして、彼女は部屋から出ていった。部屋には彼女の付けていた香水の匂いなのかなんとも言えない独特な香りが残っている。綺麗な人だった。本当に。また会いたいと思った。そしてまたきっと会えるだろうと何故かどこかで予感していた。


 
 


 
 
「ただ今帰りました、"マスター"」

 
 任されていたお使いを終えて、ワタクシは満足した気分でマスターの待つ家に戻りました。返事はありません。いつものことなので、ワタクシは特に気にすることなくそのまま奥の部屋に入っていきました。返事がない時、彼はここで"メンテナンス"の作業をしています。そしてワタクシの予想通り彼は奥の部屋で"メンテナンス"をしておりました。今は"両足"の調整をしているのでしょう。彼は自身の精巧に出来た義足を片腕で抱えながら、もう片方の手で調整作業をしていました。
 義足は大変リアルな造りをしているので、端から見たらこのメンテナンス風景は卒倒モノのような光景だったでしょう。

 
「……あ?帰ってンなら、ただいまくらい言えよ、テル」
「お言葉ですが、マスター。ワタクシは"ただいま"と申したのですが」
「オレ様が聞こえなきゃ言ってねェのと同じなンだよ。ちゃんとはっきり言えや」
「…………」

 
 マスターの横暴はいつものことなので、ワタクシはノーコメントでスルーすることにいたしました。彼の横暴は彼にとっての親しみの挨拶なのです。彼と長年の間付き合っている人々はそのことをしっかりと理解しております。そしてそのことは勿論ワタクシも理解しています。

 
「で?……"そっちのガワ"で、あのガキンチョに会いに行った反応はどうだった?」
「思春期の少年らしい初な反応をされましたね。大変可愛らしい様子でした」
「ま、そーだろうな。……今のアイツは正真正銘普通の男子高校生だし、お前の今"着てる"ガワはオレ様が魅力的に作ってやったワケだし。普通の男ならベタ惚れだろーよ」

 
 自慢するようなニュアンスでもなく当たり前のように、彼は彼の作った"ワタクシ"をそう評価しました。そして彼の言っていることは事実でした。マスターは大変横暴で傲慢な方ではありますが、自分の能力に対する評価はいつだって的確なのです。
 彼の力、彼の作ったワタクシのような"作品"を見て、人は彼のことを"天才"と言います。しかし彼はその言葉を受け入れません。断固として彼はその言葉に反発します。ワタクシは彼がそうする理由を知っています。彼はワタクシのマスターであるし、ワタクシは彼の最高傑作の作品であり家族であるからです。

 
 





 マスターこと荒樹土光は機械人間(サイボーグ)で、ワタクシこと荒樹土照はそんな彼に作られた自立型思考傀儡(アンドロイド)です。




 ワタクシは彼に作られた一番初めの作品でした。そして彼の家族でした。
 彼が十いくつかの頃、ワタクシは彼に作られました。まだ幼かった彼は今以上に暴力的で横暴で傲慢な人間でした。そして人間という人間を心の底から憎んでいました。誰彼構わず殺してやりたいという願望が彼の平生からは滲んでいました。
 彼は生まれて間もない頃、親に売られて、その場所で起こった人災的な事故によって身体のほとんどを失いました。両手両足はなくなり、身体中は焼け爛れて、それが元は人間の形をしていたということが分からない程に彼は壊されました。彼にとって不幸だったのはそんな状態になってしまっても生きてしまっていたことで、幸運だったのはそんな状態から今の彼になるまで彼を支えてくれた人々がいたことです。
 現在彼の体を構成しているのは、人工皮膚と機械で出来た義手と義足。人間として"本物"である部分はごくわずかしか残っておりません。偽物の顔。偽物の名前。偽物の体。唯一本当なのは彼の、自分をそんな目に合わした人間に対する憎しみと、彼の類い稀なる才能のみです。
 彼はこう言います。自分は"選ばれなかった"のだと。"テンサイ"であり"天才"であるのは選ばれた"彼ら"の方なのだと。その事実がある限り、彼は人から言われる"天才"という名誉の称号を受け入れることは出来ないのです。
 普段の彼の横暴や傲慢は元々の性格もあるのでしょうが、そんな彼の自嘲の裏返しなのでしょう。彼は嘘をついて、嘘だらけの自分で、虚勢を張りながらではないと生きていくことが出来ないのです。天の邪鬼で嘘つきな彼はそうして出来上がりました。



 そして、そんな彼だからこそ、彼────馬場満月のことが気になってしまうのでしょう。自信がなくて、自身がなくて、嘘つきで、虚勢を張って、偽物の自分を演じ続ける彼を他人事のようには思えないのでしょう。口にこそ出しませんが、きっと腹の底から心配しているのです。今回のお見舞いだってきっと馬場満月を元気づける為だったのでしょうし、そもそもワタクシを彼の専門医として濃尾先生に貸し出したのも彼が心配で、動向を詳しく知りたかったからなのでしょう。意地っ張りで恥ずかしがり屋なので絶対に心配だ、なんてそんなこと本人には絶対言わないのでしょうが。



 


 馬場満月のお見舞いに行ってこい、というお使いを果たしたその日の夜。ワタクシは馬場満月の専門医としてのガワを"着て"おりました。ワタクシにはマスターからいくつかの"ガワ"を与えられております。なにぶん、アンドロイドですので、データさえ移せば、男の体にも女にも若者にも老人にも、マスターが作った"ガワ"の数だけ"ワタクシ"は存在します。とりわけワタクシが好んで"着て"いるのは、専門医としての"ガワ"です。このガワはマスターよりいくつか上の年齢の設定で、作られており、顔立ちもマスターに似せて作られています。このガワで二人で一緒にいると、よく兄弟だと勘違いされるくらいです。ワタクシはその"勘違い"がとても愛しいです。彼と本当の家族になれたような、そんな気がするからです。


 
「なぁ、テル」



 
 部屋でぼおっとテレビを見ながら、彼はぽつりと呟きました。まるで一人言のような呟きでした。もしかすると癖でワタクシの名前を呼んでしまっただけなのかもしれません。





 
「偽物の人生なんて、つまらねェよな」




「苦しくたって、辛くたって、本当の人生を歩んだ方が良いに決まってる」




 
「アイツには仲間がいる。愛してる女がいる。失いたくない親友がいる」





 
「それを忘れちまって生きるなんて……ありえねェよ」







「オレだって、もし、"アイツら"を忘れて生きていくなんて、そんなの────」







 
 そこまで言って、自分が何を言っているのか気付いたらしく、マスターは慌てた様子で顔を耳まで真っ赤にして、ぐるんとワタクシの方に振り返り、ヤケクソになって叫ぶようにワタクシへ言いました。






 
「今のナシ!!!忘れろよ!!!」












 …………ワタクシはあえて返事をいたしませんでした。



 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.112 )
日時: 2019/04/09 23:55
名前: 羅知

私事ですが、一年ほど更新を停止させて頂くことになりました。
理由は大学受験の勉強の為です。
しかし、一年後やるべきとこをやり、成すべきことを成した後、かならず更新を再開し、この当たる馬には鹿が足りないを完結させたいと思っております。
この話を読んでくれている、応援してくれている読者の皆様、本当にありがとうございます。皆様の為、そして何よりも自分自身の為に、現実問題に立ち向かっていこうと思います。



今まで本当にありがとうございました。
それでは、しばらく、お元気で。

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