複雑・ファジー小説

当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫
日時: 2018/11/29 21:45
名前: 羅知

こんにちは、初めまして。羅知と言うものです。
普段はシリアス板に生息していますが、名前を変えてここでは書かせて頂きます。

注意
・過激な描写あり
・定期更新でない
・ちょっと特殊嗜好のキャラがいる(注意とページの一番上に載せます)
・↑以上のことを踏まえた上でどうぞ。

当て馬体質の主人公と、そんな彼の周りの人間達が、主人公の事を語っていく物語。




【報告】
コメディライト板で、『当たる馬には鹿が足りない』のスピンオフ『天から授けられし彩を笑え!!』を掲載しています。
髪の毛と名前が色にまつわる彼らの過去のお話になっております。
こちらと同じく、あちらも不定期更新にはなりますが宜しくお願いします。

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Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.104 )
日時: 2018/12/16 18:42
名前: 羅知

 




 
「ま、……って……待っ、てよ、やしろ」

 
 どれだけ走っただろうか。いや、どれだけだって走るしかない。彼女を追いかけるしかない。オレは無力で、不出来で、出来損ないだ。オレに出来ることなんて何もないのかもしれない。だけど、あんな死にそうな目をした彼女を放っておくことなんて出来るはずがなかった。もう、嫌なのだ。大切な人が目の前で消えようとするのを、見ていることしか出来ないなんて、絶対に。
 
 それなのに。追いかけなきゃ、追い付かなきゃいけないのに。彼女の姿はオレからどんどん離れていく。走る。彼女を追いかけて、走る。喉が痛い。寒さの為に厚着してきたのが仇になった。暑い。熱い。身体から汗が滝のように出てくる。身体中が熱く、頭が朦朧とする。この数ヶ月間まともに食事を摂ることの出来なかった不健康な身体は脆く、身体全体が重く感じた。それでもオレは彼女を追いかける。追いかけるしかない。どれだけ不恰好でも無様でもそれでも。兄さんのように、雪那さんのように、そして────濃尾日向のように。彼女を同じように、失う訳にはいかないのだ。



   

 なのに、なのに。





 
   
(オレは…………いつも、こうだ)









 
 彼女の横に並べる男になりたくて、彼女に追い付きたくて、彼女を追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて────それでもなお、追い付けない。

 そんな自身の不甲斐なさに何度も絶望して、死にたくなった。

 兄さんに裏切られて、汚されて、心をぐちゃぐちゃにされたとき、全てがどうでもよくなった。自分の全てが嫌に思えて、この世から消えてしまいたいと思った。









 
 それでも、死ねなかったのは、彼女がいたからだった。










 
 死のうとする度に、彼女の顔がちらついて、彼女の笑顔を思い出して、それで────刃物を持つ手の力が緩んだ。そんなことが何度もあって。致命傷にならなかった傷達は、大小様々な形で、オレの腕に残った。




 
 死んだら、彼女の姿を見ることは、もう、一生出来なくなる。



 そう思ったら、どうしても死ねなかった。
 汚れてしまったオレは、もう彼女の横に立つ資格なんてない。彼女の綺麗で純粋な瞳をまっすぐに見ることなんて出来ない。だけど、観客席からでいい。観客席からでいいから、彼女の姿を、スポットに当てられて光輝く彼女の姿を観ていたかった。


 今も、昔も、オレは彼女の為に生きている。彼女を中心にオレのセカイは廻っている。オレにとってまさに彼女は太陽で、なくてはならない存在で、同時に────近付きすぎてはいけない人だ。もし少しでも"幼なじみ"の一線を越えるような行動をしたら、オレは瞬く間に自己憎悪の業火によって燃やし尽くされてしまうだろう。



 
 あぁ。
 考えれば、考えるほど、彼女とオレには何をしたって覆せない程の差がある。もし幼なじみという関係性ではなかったら、彼女はオレになど見向きもしない。確信を持ってそう思えた。



 
 こんな自分が嫌いだ。
 女々しくて、情けなくて、好きな女の子の前ですら格好いいところを見せれない、ましてや物語の王子様のようになんか絶対なれっこない────そんな自分が大嫌いだ。



 もしオレが兄さんのようになれたなら────きっと、こんなことはなかっただろう。オレはオレを愛することが出来ただろうし、彼女の横に堂々と立つことだって出来たはずだ。
 


(本当にそうだ。もしオレが兄さんみたいに……いや兄さんそのものになれたなら)






 
 オレはきっと、彼女の恋人にだってなれたはずなのに。



 
 



 
 
 彼から逃げるように走って数分。彼が追い付く気配はない。ずっと、ずっと追いかけてきてはくれているようだけど────まだまだ、ここから見た彼は豆粒のように小さく見えた。


 

 私が本当に幸せだったあの時間を彼が憎らしく思っていると分かった、その瞬間、私はもういてもたってもいられなくてその場から逃げ出した。


 
 
 『────大嫌いだった』


 
 耐えられなかった。あれ以上、彼のあの憎悪の込もった眼を見ていたら叫びだしてしまいそうだった。

 
(……なんて、酷い奴だったんだろう。私は)

 
 どうして気付けなかったのだろう。彼の隣で私が幸せに感じていたとき、彼は私の隣にいることが苦痛で苦痛で仕方なかったというのに。私は自分のことばかりで、彼の本当の気持ちを分かってあげることも出来なくて。なんて、なんて酷い女なんだろう。彼に嫌われていると分かって、鈍く痛むこの胸すら抉ってしまいたい程に自分が嫌になる。酷くて、恥ずかしい女。相手に嫌われてることも分からずに、せめて隣にいられたらなんて馬鹿らしいことを思って。会いたいなんて、戻ってきてほしいなんて願って。



 
 彼は逃げたのだ。
 大嫌いな、私から。


 

 自分の馬鹿らしさに涙より反吐が出そうだった。苦しむ彼に気付けなかったどころか、やっとのことで私から逃げた彼をまた追いかけて、逃げられて、そのことを酷く身勝手に悲しんで。あぁ愚かしい。馬鹿な女の一人劇なんて喜劇にも悲劇にもなりはしない。ましてやこれは物語の中の話ではなく現実の話だ。だから余計にタチが悪い。笑えない。

 
(……私が、お姫様になれないことなんて、ずっと前から分かってた)

 
 女の子は誰でもお姫様になれるなんて嘘っぱちだ。お姫様になれるのは王子様に選ばれる価値のある愛らしい女の子だけ。私と同じ顔をした童話の中の"お姫様"を体現したかのような彼女は、口で言うでもなくそのことを私に教えてくれた。私と同じ顔のはずなのに、私とほとんど変わらないはずなのに、彼女は誰よりもお姫様だった。私のなりたかったお姫様は、私と同じ顔をした双子の姉で、それが私には許せなかった。手の届く位置にいるはずなのに、けして私はそれになることは出来ない。それが悔しくて、もどかしくて────私は姉のことが大嫌いになった。

 
 お姫様に私はなれない。


 生まれたとき、私と彼女はほとんど同じだった。だけど成長していくにつれて私と彼女は少しずつ変わっていった。私の身体は次第に何処か筋肉質な身体になっていったし、身長も小さめな男の子なら軽々と抜かしてしまうくらいに伸びた。対して彼女はまさに可愛らしい女の子そのものだった。きっと元々の体質的なものだったのだろう。このことについて誰かを責めることなんて出来るわけがない。だけど隣で女の子らしくしている彼女を見ると、どうにも胸がムカムカして仕方なかった。昔から妙に頭がよくて、よく意地悪で言い負かされていたので、あまり好きではなかった姉のことが、そのことをきっかけに一気に嫌いになった。大嫌いになった。



 いつだってそうなのだ。
 あの姉は、私が求めてやまないものを全て奪っていく。



 
 勿論これは私が勝手に思っていることで、姉を恨むのは筋違いなことで、そしてみっともないことだということは理解している。こんなことを思う自分がとてつもなくしょうもない女だということも。

 だけど、抑えようがなかった。
 姉は持っていて、私は持っていなかった。その変えようがない事実が私はどうしようもなく憎らしいのだ。




 
 あぁ本当に。
 私はなんて愚かなんだろう。






 
 こんなだから、こんな醜い女だから、彼の愛も彼女に奪われてしまうのだ。嫌われてしまうのだ。





 






 
 歯車は歪な音をたてて。
 事態は、ねじ曲がって、修復不可能なほどに壊れていく。





 
 嘘つきが一人。
 嘘つきが二人。







 愚者のパレードが行き着く先は。
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.105 )
日時: 2018/12/23 12:50
名前: 羅知


 

 
 体調の悪そうだった社を、少し店で休ませてあげようと思っただけなのに。

  
「…………」

 
 休ませてあげるはずだった彼女は、店に入るや否や何があったのか何故か逃げるように何処かへ行ってしまうし。店にいた陰気臭そうな男もそれを追いかけて何処かへ行くし。残っていた客も全員ソイツの連れだったのか、それを追いかけていくし。少ないながらも人が数人は入ってるように見えた喫茶店の中はもうすっからかんだ。訳が分からない。誰かに、この事態についてこと細やかに説明をしてほしい。だけど聞ける人もいなかった。誰かに何かを聞く暇なんてないうちに、皆どこかへ行ってしまった。


 
 タイミングを失った。
 どうすればいいのかも分からず、おれはその場に立ち尽くす。






 
「取り残されちゃいましたねー」





 
 誰もいない、はずだった。
 それなのに後ろから声がして。反射的に振り返ると、ひょろりとした背の高いニコニコした男が立っていた。


 
「そんなオバケでも見たような顔しないでくださいよー、酷いなぁ」
「…………!」
「オバケじゃないですよ。僕は、ずっとここにいました。皆さんが自分のことばかりで気付けなかっただけですよー」


 
 おれの驚いた様子を見て、男は手をひらひらと振ってそう弁解する。笑顔を崩さないまま。まさに『人畜無害』を貼り付けたような、そんな様子で。
 コイツの言っていることが嘘か本当かはともかくとして、突然殴りかかってくるような危険人物には見えないし、もし殴りかかってきたとしてもナヨナヨしてとても弱そうだった。ほんの少しだけ警戒を解き、おれは相手に名を尋ねる。


 
「……お前、誰だよ」
「誰、っていうか。この店の店員ですよー、普通に。まぁ臨時アルバイトなんで本職じゃないんですけど」
「…………」
「笹藤直(ささふじなお)って言います、今後会うことはないかもしれないですけどよろしくですー」


 自分でも相当不躾な声の掛け方であったと思うが、それに対して男は一切不快そうな顔をせずにへらっと笑ってそんな風に自己紹介した。元々の顔の作りがそうなのか随分とその笑顔は幼く見える。もし、コイツの身長がさほど高くなかったら中学生くらいだと思ったかもしれない。まぁ実際の年齢がいくつなのかは知らないが。

「まぁとりあえず僕は掃除始めちゃいますねー、仕事なので」

  おれが名前を尋ねたので、名前を聞き返されるかと思ったが、予想に反して男はそれだけ言うと、無人の席に残されたコップや皿達を手慣れた様子で片付け始める。相変わらず表情は気の抜けた笑顔のままだ。なんだか掴み所のない男だ。見るからに平凡そうであるのに、どこか妙な不気味さを感じる。
 だが、この店の店員というからにはさっきまで起こっていた事態については多少なりとも分かっているのではないだろうか。少なくとも今さっきこの店に来たおれよりは事態の展開を目の前で見ていたのだから知っているはずだ。そう見込んでおれは、鼻歌混じりに掃除をしているヤツに話を聞く。

「店員なら見てたんだから、分かるよな。……一体何があったんだよ、さっきの奴ら」
「そうですねー、凄い修羅場でしたよ。」
「……修羅場?」
「多分色恋沙汰とかじゃないですか?なんとなくそんな雰囲気がしましたねー」

 
 それを聞いて、おれは驚く。
 
 修羅場?ましてや色恋沙汰?ありえない。
 これはけして社がモテないとかそういったことを言っている訳じゃない。むしろ社はモテる。男からも女からも。特に女からの好かれ様は凄まじい。たまに変なストーカーが付くくらいだ。勿論そのストーカーは、おれが然るべき所に追い込んでやったけど。
 まぁその話は今は置いとこう。
 社はモテる。だけど色恋沙汰なんかに発展したことは一度もない。どれだけ他人に好意を寄せられたとしても、彼女はそれを相手にしていないからだ。下手すれば、その好意は相手の勘違いや思い込みだとさえ彼女は考えているかもしれない。自分に恋愛的好意が向けられる可能性を彼女は一ミリも考えていない。恋愛的な面の彼女は自分を卑下する傾向にある。理由は分からないけれど、いつからか彼女はまるで呪いのように好意という好意を否定するようになった。

 『……私に告白とか色々してくる子達はいるけどさ。あの子達は皆騙されてるだけなんだよ、私に。そこに理想の王子様みたいな役を演じてる私がいたから、ステータスがそこそこ高い私がいたから、なんとなく"好き"な気がしちゃっただけなんだよ』
『……全部、勘違いで、偽物なのに。私みたいなのに騙されて、本当に、皆、可哀想』


 これは、以前彼女が言った言葉だ。確か中学三年生くらいの時だった。
 その時の彼女の目は、本当に哀しげで、切なくて───そして、自嘲的だった。諦めきった顔だった。



 だから、そんな彼女が色恋沙汰なんかに巻き込まれるはずがない。彼女は恋を望まない。彼女が誰かを恋愛的な意味で好きになることなんてない。昔はあったのかもしれないけど、少なくとも今は、ない。



 
 だって、それじゃ、おれは。
 おれの、気持ちは。

 
 社が誰も好きになることはないって、分かってたから、抑えることが出来てた、おれの気持ちは。



 
「だって、逃げた彼女────貴女の連れですかねー。あれは恋してる目でしたよ?いやー青春ですねぇ」



 
 信じたくないおれの気持ちをポキリと折るように、男が続けてそう言う。

 彼女が恋する気持ちを取り戻したというなら、それは喜ぶべきことなのかもしれない。おれの気持ちなど抑え込んで、誰よりも応援してやるべきなのかもしれない。だけど素直にそれが出来るほど、おれは出来た人間じゃない。相手に対する嫉妬のような何かで唇が歪む。



 
「……お前の勘違いじゃないのか、そんなアイツが恋なんて──」
「そうですねー、僕の勘違いかもしれません」



 
 苦し紛れに出たそんな言葉は、案外あっさりと肯定される。あまりの呆気なさに、おれは戸惑った。別に否定してほしかった訳でもないし、言い争いがしたかった訳でもないけれど、あまりにもこの男、適当すぎではないだろうか。主体というものがなさすぎる。


 
 本当なんなんだ、この男。
 凄く、凄く────気持ち悪い。


 
「……お前、本当、なんなんだよ……」

 

 
 思わず出てしまったそんな言葉にも男は不気味な程変わらない笑顔で答える。




 
「だーかーら、笹藤直という名前のただのどこにでもいる奴ですよ、僕は。それ以外の何者でもありません」



 
 
 


 
「じゃあ、もう店じまいなので。帰ってくれると嬉しいですねー」

 
 自分がそう言うと、彼女はまるで逃げるようにこの店から出ていった。喋っている最中もそうだったけど、僕の何をそんなに怯えているのか。僕は"どこにでもいる"だけの、ただの一般人だっていうのに。

(あーあ、あんな悲しそうな顔しちゃって)

 確か今話題のアイドルか何かだったか。多くのファンを持ち、沢山の人々から愛される彼女のこのような顔を、もし世間の人々が見たら、きっと大きなショックを受けるだろう。

 
(超人気アイドルが男装の麗人にお熱、ゴシップ誌の良いネタになりそうだなぁ)


 色恋沙汰と聞いて、彼女は大層驚いていたし、否定していたけれど本当は彼女だって気が付いていただろうに。愛鹿社のことをずっと見ていたというのなら。愛鹿社のことを愛していたというのなら。

 彼女のたった一人に向けるあの熱っぽい視線に気付かないはずがないのに。

 彼女は信じたくないだけだ。本当は気付いているけれど、それを認めてしまったら、自分が自分でいられなくなってしまうから。

(愛鹿社があんな風になったっていうのに、追いかけなかったのが良い証拠だよねー)

 あの熱っぽい視線を見ていられなかったのだろう、彼女は。まさに神並白夜の、あの憎々しげな目を見ていられなかった愛鹿社と同じように。彼女をあのまま追いかけてしまったら、何を見てしまうのか、それが彼女は怖くて怖くてたまらなかったのだ。


 彼女がどうしようもなく"その事実"を受け止めなければいけなくなったとき、彼女がどうなってしまうのか──────それは僕の預り知らぬところだ。



 
 誰かの恋が叶わなくたって、誰かが傷付いたって。それは僕には関係のないことなんだから。



 
 僕はただ、それなりに、なんとなく生きていければいい。




 
 
(まぁ、"彼"の"お願い"くらいはちょっとくらいお手伝いしてあげるつもりだけど)




『笹藤さん』
『……お願いがあるんだ。いつか、必ず、お礼はするからさ』
 


 
 笹藤直は、ただどこにでもいるだけの奴だ。何気なく。然り気無く。



 
『……もし、俺に何かあったらさ。俺の"代行"を頼まれてくれないか』
『俺、今、色々調べてることがあるんだけど……それの手伝いと、あと』
『弟の、ことを』



 
 彼の行動に大して理由なんてない。意味なんてない。まぁ、なんというか興味が沸いたのだ。"彼"という人間に。

 
 ちょっとくらい、何かを手伝ってあげてもいいんじゃないかってくらいには。


 
『……もう、兄なんて呼んでもらえる資格、ないけどさ。本当に、許されないことをしたから』
『でも、守りたいんだ。白夜のこと。……俺のせいで傷付けたからこそ。エゴイスティックな願いかもしれないけど』




 
 彼の、愚かで、あまりにも人間らしい、あの表情はなんというか──"好き"だった。それは自分が持たないものだったから。


 
(それじゃあ、万が一に備えて────僕も向かおうとしようか。彼のところへ)



 
 
 そんなことを考えながら、彼は店の看板を『close』に変えて、店を出ていった。




 出ていく彼の表情は、無表情で、空っぽで、冷え冷えとした夜の風景とよく似ていた。
 


 
 




 
 
『あー、救急なんですけどー、馬場満月って子が、部屋で血だらけになって倒れてるって濃尾彩斗先生に言って貰えますか?多分自殺未遂だと思うんですけど』
『僕の名前は────いや、匿名で。名乗るほどの者じゃないですよー、ただのどこにでもいる奴なので』
 
『────さて、止血するか』

『ねぇ、白夜くん。覚えてる?』
『君が馬場満月として、用務員の僕に言ったこと』
『"笹藤さんのいる場所は何だか落ち着く"って──それ、満月くんも言ったことなんだよ?』

 
『本当似てるよ、君達。心から笑えるくらいに』
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.106 )
日時: 2019/01/07 21:42
名前: 羅知


 


 小さい頃から、お姫様になるのが夢だった。
 ちょっぴり気弱で、不器用だけど、いざって時には私を全力で守ってくれる貴方は私の王子様だった。
 貴方はいつだって私の側にいた。愛してくれているとまではいわない、ただ友人として好かれてはいる、そう思っていた。そう信じていた。


 
 だけどそれは違った。大間違いだった。貴方は私を嫌っていた。大嫌いだった。



 
 本物のお姫様にはなれなくても、せめて貴方にとってのお姫様でありたかった。もう叶わない夢だけれど。
 
 こんな惨めな姿じゃ、お姫様はおろか王子様にだってなれっこない。無理矢理作り上げた私の"王子様"としての仮面は剥がれてしまって、もうボロボロだ。

 
 だけど貴方は優しいから。いつだって、誰にだって優しいから。
 きっとこんな私にさえ、手を差し伸べてくれるのだろう。今だって身勝手にも逃げ出した私を追いかけてきてくれている。本当は大嫌いであるはずの私にでさえ。



 あぁ、それはなんて残酷なことなんだろう。私は貴方の怖いくらいの優しさが恐ろしい。いつかそれが貴方を狂わして、壊してしまうんじゃないかって。そう思うと怖くて怖くてたまらなくなる。


 
 貴方は捕らわれている。私達に。貴方自身のその優しさに。




 お姫様になれず、王子様にもなりきれなかった私が貴方の為に出来ることはなんだろう。行き着く先は一体何処だというのだろう。
 逃げながら、考えて、考えて、考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて────────そして、決めた。




 
(白夜、大嫌いな私の言葉、ちょっとの間でいいから、聞いてね)







 
 私は、愛鹿社は、この物語の"悪役"になる。






 
「ねぇ、白夜」






 
 貴方に自由になってもらう為に。
 私は貴方を解放する。








 
「────私、もう貴方がいなくても大丈夫みたい」
 


 

 
 先程まで逃げていた彼女が足を止めた。

 
 何か理由があるのか、それとも単に疲れてしまったからか。それは分からないけれど、これはチャンスだ。オレは最後の力を振り絞って足を踏み出す。一歩、二歩、三歩。足がもつれて転びそうになり、不恰好になりながらも前へ進む。ぼやけていた彼女の輪郭が進めば進むほどにはっきりと形になっていく。この位置までくれば、オレの声は、彼女に届いてくれるだろうか。どうか届いてほしい。届いてくれ。オレは彼女の名前を呼んだ。社。オレは、神並白夜は、君のことが、愛鹿社のことが。


 
「やし、ろ」

 

 オレの呼び掛けで彼女が振り向き、彼女の瞳がオレを捉える。一瞬哀しげに揺れる瞳は、次の瞬間には何か決意したようなそんなものに変わっていた。


 
 オレが何かを言う前に彼女の口が素早く開き、オレの言葉をかき消す。



「ねぇ、白夜」



 
 投げかけられるのは。
 投げつけられたのは。
 信じられないような言葉。


 

 
「────私、もう貴方がいなくても大丈夫みたい」
「え……」



 
 否、分かっていた。
 彼女にはオレなんか必要ない。そう、だから"この言葉"はオレにふさわしい。そうか、ようやくその言葉を言われてしまうのか。哀しいけれど、いつか必ずそう言われてしまうことは分かっていた。だから、信じられないのはそれではない。
 


 
 信じられないのは。
 彼女が言うその言葉が"嘘"だったことだ。



 
「……だからね、白夜。もう私に関わらないで。邪魔だから」



 
 刺々しく彼女はオレにそう言う。
 彼女は明らかに嘘をついている。これで彼女は演技をしているつもりなのだろうか、だというのなら彼女は完全に動揺しているに違いない。本来の彼女の演技は、まさにその役そのもの真実さながらといった感じで見抜けるようなものではないのだ。こんな嘘ではオレはおろか素人ですら騙すことは出来はしない。


 
「……嘘、だよね。それ」
「嘘じゃない」
「…………それこそ嘘だよ。社ちゃんは、嘘をついてる。社ちゃんが嘘をついてるなら、オレに分からないはずがない」


 
 ずっと一緒にいた。
 ずっと彼女を見ていた。
 だからこそ彼女の"嘘"は、"本当"は、絶対に分かる。



 
「……"本当"のことを、言ってよ」
「………………"本当"、ね」
「…………」
「……本当に…………本当に、伝わってほしいことは何も伝わらないのに。白夜は、変なところで鋭いよね。昔から」



 
 暫くの間の後、そう言って彼女は苦笑いする。表情は歪んだような笑顔だったけれど、今度の言葉は嘘を吐いてるようには聞こえない。無理な演技を止めて、今の彼女はありのままの彼女のように見える。


 おかしな笑顔のまま、彼女は続ける。それは、オレの求めていた"本当"のことだった。けしてオレにとって嬉しい内容ではなかったけれど。


 
「……さっき言ったのは、確かに嘘だよ。でもね、私達やっぱり距離を置くべきだと思うの」
「…………」
「っていうか、白夜が"新しい自分"になって、変わっていってたのを、私が邪魔しちゃったんだよね。……白夜は私から離れたかったのに」
「それは──」


 
 違う、と言いたかった。
 でもオレが社から離れたかったことは事実だ。だからはっきりと彼女の言葉を否定することはできない。
 オレは社から離れたかった。だけどそれは社が嫌いだからとか、社のせいとかではなくて、オレの問題だ。社が邪魔だったとかそんな訳がない。今も昔もオレにとって社は光のような存在なのだ。眩しくて、ほんのり温かくて、側にいるとオレの心もキラキラして。


 
 だからこそ離れたかった。
 相応しくない、と感じてしまったから。
 社のせいじゃない。全部オレのせいだ。



 
 社が好きだ。社のことが大好きだ。



 
 そう胸を張って言えたなら、言えるような自分なら、どれほど良かっただろう。


 
 「────それは社ちゃんのせいじゃない。オレの問題だから……だから、だからえっと……」

 
 口が、頭が、上手く回らない。彼女の視線が痛い。目を合わせられない。心臓が五月蝿い。声が震える。泣きそうだ。上手く言おうとすればするほど頭がぐるぐるして何も分からなくなる。いつもそうだ。大事な時にオレはいつだって上手くできない。


 
 何処まで行っても、変わらない、変われない自分が心底憎らしい。こんな自分が嫌だ。嫌いだ。消えてしまいたい。
 そんな感情が自分の中に濁流のように満ちて、溢れて、涙となって零れていく。 

 
 
「…………おねがい、だから……逃げ、ないで。やしろちゃん……」



 
 辛うじて、そんな言葉だけが嗚咽と共に口から出る。



 
 巫山戯たことを言っているのは分かっている。初めに彼女から逃げたのは自分だ。今更何を言うのだろう。でもこれが本音だった。逃げていく、自分から離れていく彼女を見た瞬間、自覚した。側にいさせてほしいなんて大層なことを願っているわけじゃない。ただ突き放すことだけは止めてほしかった。壁一枚挟んだ世界の向こうでもいいから彼女の存在をオレは感じていたいのだ。
 



「…………」




 長い、永い静寂。





 
 逃げないで、そう言ったオレをじっと見つめる彼女。
 どんな気持ちで、どんな顔をしているかは分からない。
 顔をあげることなんて出来るはずがない。
 ただただ嗚咽を溢しながら、俯き、オレは待ち続けた。彼女の言葉を。




 
 



 優しいものが、とても怖くて。




 
 けれども"本当"に向き合う勇気もなくて。




 
 意気地無しの私達はいつも優しい嘘に逃げてしまう。





 けれども。




 
 いつかは夢から覚めるように。




 
 私達も"本当"を見なきゃいけないの?





 

 それなら私は一生眠ったままでいい。





 
 二度と目覚めないように、もう誰も起こさないで。


 
 




 いつまでも続くかと思われた静寂は突然終わりを告げた。



 
 
「……白夜はさ、優しいよね。本当に」




 
 
 淡々と彼女は言う。
 息を吸うこともなく、ぽつりとまるで息するみたいに、零れるみたいに、一人言みたいに、淡々と。
 怖いくらいに抑揚はない。













 
「私なんかに同情しなくていいのに気を使わなくたっていいのに」


 

「本当に、本当に本当に本当に嫌になっちゃうくらい優しいんだから」


 
 
「でもさ」




 
「それじゃ白夜が壊れちゃうよ」



 

「そんな"泣くほど無理して"嘘なんかつかなくたっていいんだよ、別に」




 

「本当に、本当に本当に」





 



「本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に」












 
 ────白夜は優しいんだから。
















 異変を感じて、ようやく顔を上げれば、いつの間に持っていたのか彼女はぎらりと鈍色に光る鋏をどくどくと脈打っているだろう首元に沿えていて。









 
 そうして、この世の誰よりも美しく笑った。














 
  「あなたを解放してあげる」















 『お前を、解放してあげる』
『君を解放してあげる』

 
 その言葉がかつての二人の言葉と重なって、オレは反射的に彼女に飛びかかった。






 
 なんとか身体全体で彼女の身体を押さえ込むけれど、腕の中で暴れる彼女の力は強い。少しでも気を抜いたら、彼女はきっとその手に持ったモノで彼女自身の首をかっ切るだろう。オレは死にもの狂いで彼女を押さえた。オレはどうなったっていい。でもどうか彼女だけは。彼女の命だけは。奪わせない。誰にも。それが彼女自身であってさえも。



 
(どうすればいい?)



 彼女は鋏をしっかりと握り込んでいて絶対にそれを離そうとしない。言葉での説得も無理だ。彼女は狂乱している。今はまだ押さえ込めているけれど、じきに体力の限界が来る。食事もまともに取れず弱りきっているオレと、きっと今でも演劇の為に稽古を続けてる彼女。どちらの体力が上回っているか。それは明らかだった。



 ならばどうすればいい?



 時間がない。
 手っ取り早く彼女の持っているモノを無力化するためには。








 

 どうすれば。










 
 どうすれば。













 
「…………」








 あぁ。








 

 こうすれば。












 
 彼女の腕を強く引き寄せて、オレは迷いなく彼女の持つ鋏を自分の脇腹に深く突き刺した。

 
 絶対に彼女が抜けないように、深く深く。



「────っツ!!」


 死ぬほど痛い。悲鳴すらあげれないくらい痛い。
 そりゃそうだ。死んでもいいつもりでやったのだから。痛いに決まってる。何回やったって慣れるものじゃない。刺したところから血がどくどくと溢れて、身体の中から血がなくなっていく感覚がする。最早自立して立つことすら出来なくなるくらい血が減ってしまったのか、糸の切れたマリオネットのように倒れる。地面にそのまま頭をぶつけたけれど、脇腹が痛すぎて頭の痛みは分からなかった。




「……??……???」



 
 突飛な行動をとったオレに彼女は完全に呆気に取られたらしく、目を見開いて声も出せずに座り込んで震えながらこっちを見ている。どうやら腰が抜けてしまったらしい。
 良かった。これでも暴れられて、自殺を謀られたら、もうどうしようもなかったから。






 
 だんだんと景色が霞んできた。あんなに外は寒かったのに、走ってるときは熱かったのに、もう何も感じない。全身の感覚がだんだんと鈍くなっていく。刺されたところも、もう痛くはない。






「────馬場ッ!!」
「馬場君!?」
「……満月、クン」
「馬場さんッ!!」
「…………!!」
「うそ、だろ……!?」





 
 尾田君や菜種さん達もオレを追いかけてきてくれてたらしい。倒れ込んだオレの姿を見て、皆の表情が絶望的なものに変わる。あぁそんな顔しないでいいのに。皆の悲しい顔は見たくない。嬉しい顔が一番だ。笑ってくれまでとはいわないけど、悲しい顔なんかよしてくれ。


 

 
 あぁ振り返ってみれば。
 文化祭の時の皆の笑顔、あれは本当に良かったなぁ。皆楽しそうで。幸せそうで。ヒナだってあんなに笑ってて。

 あんな風に大切な人達と一緒にまた演劇が出来るなんて思ってなかった。

 沢山の人々を演劇の力で笑顔にすることができるなんて。




 


 
 「……本当に、本当に、楽しかった、なぁ」




 
 皆の心配そうな顔が目の前にある。何か言っているようだけど上手く聞こえない。もう大分身体が限界らしい。


 
(……こんなに心配してくれるんだなぁ、皆。"馬場満月"のこと)



 
 どうせ聞こえないなら、まだ喋れる内に彼らに何か言っておこう。これが最後かもしれないし。



 
「……ほんとうの、おれで、みんな、と、すごしたかった、いっしょに、わらいたかった」



 
 心のずっと底に封じ込んでいた願い。


 
「もし、もういちど、あえるなら、おれを……うけいれてくれ、ますか、ともだちに、なって、くれますか?」
 




 
 これが、正直な、馬場満月でもなんでもない神並白夜の本当の気持ち。願い。



 
 何か返事してくれているようだけど、やっぱり何も聞こえない。それでいい。返事なんか聞きたくない。



 目を開けていることも億劫になって、ゆっくりと目を閉じる。





 
 きっと何もかも足りないはずなのに、オレの心は何故だか幸せに満ちていた。
 


***********************
第八話【既知の道】→【未知の基地】



 見覚えのある通りを歩いていた。だけども俺は此処を知らない。
 家だと教えられた場所は、何故だかピンとこなくて。
 何かがおかしい?俺は何かを忘れている?
 夢のような、現実のようなこの世界で俺は今日も生きている。

 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.107 )
日時: 2019/01/19 08:17
名前: お洒の鬼


う-ん
なんか初期の設定とキャラの行動があっていないような?
期待していたのに少し残念かな?78点

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.108 )
日時: 2019/01/19 12:54
名前: 羅知

幕間【In my heart】



 ばらばら。
 ぱらぱら。
 


 
 


 
 あまりに幼すぎて、断片的にしか思い出せないけど。両親との生活は確かに幸せなものだったということはなんとなく覚えている。



「日向はママ似だね」
「んー?」
「とっても可愛いけど、強くて格好良いってことだよ」
「あー?」
「……分かんないか」


 パパは────いや、父は優しい人だった。
 父はいつも仕事で帰ってくるのが遅かった。帰ってきたときにはいつもヘトヘトな様子だった。けれども、たまの休日には、仕事で疲れているだろうに僕や母の前では元気に振る舞って、いつも笑っていた。近所の公園だけど、暖かい日には三人でピクニックをした。僕が何かするたびに「良い子だね」「すごいね」って言って。そうして僕の頭を優しく撫でる。僕はそんな優しい父が大好きだった。


 
「……パパ、遅いね」
「うー?」
「……日向も、寂しい?」
「あー!」
「眠たかったら日向は寝てもいいよ。ママはパパが帰ってくるまで起きて、日向の分までおかえりってパパに言うから」


 母は強い人だった。
 どれだけ父が帰ってくるのが遅くなったって、母は起きて父の帰りを待っていた。たまに待ちくたびれて玄関で毛布にくるまってそのまま寝てしまうこともあったけれど、そんな時は帰って来た父が布団まで母を運んでいた。父はそんな母を心配して、母に玄関で自分を待つのは止めるように言った。けれども母は父がどれだけ言っても待つことを止めなかった。父が帰ってきたら、笑顔でおかえりと言って、冷えた晩御飯を暖めて、父をぎゅっと抱き締めた。冷えきって帰ってくるパパに暖まってほしいからって、母は父をいつも待っていた。僕はそんな強い母が大好きだった。



 


 ばらばら。
 ぱらぱら。



 




 
 実は、"その日"、何があったのか僕はあまりよく分かっていない。目の前で起こっていた惨状を理解するには僕はあまりにも幼すぎた。



 
 嫌と言う母の叫び声が、聞こえたような気がする。
 苦しくて呻いている母の声が、聞こえたような気がする。
 知らない男の人の声が、聞こえたような気がする。



 
「まま」
 


 
 母の様子が気になって、呼んだけれど、一瞬がたがたがた、と大きな音がしたあと、パタンとドアが閉められた音がしただけで母の返事はない。



 
「まま?」



 
 もう一度呼ぶ。
 返事はなかった。
 


 


 
  「ボウヤ、起きなよ」
 

 
 知らない誰かのそんな言葉で僕は目を覚ました。部屋の中で母を探し回っている間に、疲れて眠ってしまったらしい。
 目を開ければ、目の前には見覚えのない顔の若い男の人がいた。

 
「おにさん、だぁれ」
「お兄さんかい?お兄さんはね……アクツっていうんだ。よろしくね」
「おにさん」
「呼ばないのかい?別にそれでもいいけど」

 
 男の人はそう言ってにっこりと笑った。開いた口の隙間から獣みたいな八重歯が見えて、少し不気味だった。


「なんじ?あさ?」
「今はまだ夜だよ」
「ねる」
「寝ちゃダメだよ。お兄さんはボウヤを迎えにきたんだからさ」

 
 そう言いながら男の人は僕の腕を掴んで、無理矢理立たせる。掴まれた腕が痛くて、僕は涙が出そうになった。男の人は笑顔のままだった。むしろ僕が痛がって泣きそうになってるのを見て、もっと嬉しそうになった風にさえ見えた。

 
「可愛いねぇ」


 ねっとりした口調で彼は言う。悪意のないはずのその言葉を酷く気持ち悪く感じて、背筋がぞくりと震える。


「寝ている君も可愛かったけど、起きてると尚更可愛いね」


 そんなことを言いながら男の人は僕の腕を掴んだまま、僕を僕の知らない場所に連れていく。母も側におらず、何がなんだか分からない僕は、それに大した抵抗もせずに着いていった。今の僕なら流石におかしいと気付いて抵抗したんだろうけど、幼い僕はあまりにも幼すぎて、あまりにも愚かだったのだ。


 
 だからこそ、僕は生き残ったのだろう。
 あの時、少しでも不信感を抱き、少しでも抵抗しようものなら、あの男の人は僕を殺していた。彼はそういう人間だった。あの場にだって本当は残った僕を殺すために戻ってきたに違いない。僕は彼の気まぐれで生き残らされたに過ぎないのだ。


 その時、生き残ったことが良いことなのか、悪いことなのか、それは今でも僕には分からない。



 

 
「ボウヤ、名前は?」
「ひなた」
「そう、ヒナタ君か。略してヒナ君だね」
「ひな……」

 特に抵抗することもなく車に乗せられ、連れてこられた先は見知らぬ薄汚れたマンションだった。大通りから少し離れた場所にあるらしく人の気配はほとんどない。なんだかお化けでも出そうな雰囲気もあって、僕は少し怖くなった。


「逃げちゃ駄目だよ」


 別に逃げようとしたわけではなかった。
 けれども彼は僕の怯えた様子を『逃げようとした』そう解釈したらしい。ニコニコと笑っていた顔が突然無表情になり、腕を掴む力が余計に強くなる。笑ってる時は半開き程度だった目がカッと見開いて僕を見つめる。その目はどこか蛇が獲物を捕らえる時にするものとよく似ていた。恐怖で体の力が抜けてしまって、まさに蛇に睨まれた蛙のようになる僕をなかば引き摺って彼は僕をどこかへ連れていく。何かがおかしい。いくら僕が幼く愚かでも流石にもう気が付いていた。けれども反抗することも、抵抗することも出来るわけなんてなくて。無力な僕はただ彼に逆らわず着いていくことしか出来なかった。



 


 
「ミケ」

 最終的に僕は古びたマンションの三階の一番奥の部屋に連れてこられた。彼が部屋のドアを開けると、彼より少し年下くらいに見える女の人が体操座りで玄関に座り込んでいた。初めは顔を伏せていたが、彼が呼んだのに反応してゆっくりと顔を上げ、そして彼のそばにいる僕に気が付く。まるで珍獣でも見るような目付きで数秒僕の顔を覗くと、きょとんとした顔で彼に聞く。

 
「アクツさん、誰ですか、その子」
「ヒナ君。ほら、例の家の子だよ。駄目だった?」
「……あぁ、あの家の。ミケは別に構いません。アクツさんが望んでいるのなら」

 
 短く話を終えると、ミケと呼ばれた女の人は立ち上がり、僕の方を見て、うっすらと笑った。

「ヒナ君、でしたっけ。ミケはミケ。どうぞよろしく」

 何だか拍子抜けしてしまいそうなほどに優しい笑顔だ。僕はさっきまでの恐怖を忘れて、よろしくという言葉に、こくんと頷く。頷いた頭を優しく撫でられる。それは父や母がよく僕にしてくる撫で方ととてもよく似ていて、僕は自分の心が落ち着いていくのを感じた。


 
 あぁ、そういえば母はどこに行ってしまったのだろう。



 そんなことを一瞬考えたけど、まぁきっと大丈夫だろう。少したったらすぐに迎えに来てくれる。能天気にもそんな風に思った。思っていた。愚かにも、そんなことを。


 

 
「みけ?って、がいこくのひと?」
「……どういうことです?」


 この部屋に連れてこられて数日が経過した。相変わらず母はどこにいるかも分からず、父とも連絡が取れない日々。でもあまり寂しくはない。アクツさんは最初の日以来顔を見ていないけど、僕の側にはいつもミケさんがいる。表情は乏しいけれど、僕が遊んでと言ったら遊んでくれるし、お腹すいたと言えばご飯やお菓子を出してくれる。思ってることがあまり顔に出ないだけなのだろう、きっと。ミケさんは優しい人だ。

「……あぁ、この目と髪の色を見て、そう思ったんですね。違いますよ」

 ミケさんの髪と目の色は綺麗な亜麻色だ。顔立ちも目鼻立ちがはっきりとしていて日本人離れしている。だから僕はてっきりミケさんは外国の人なのだと思っていた。でもミケさんが言うにはどうやらそうではないらしい。

 
「ミケの両親は、分かりません。だからもしかしたら外国の血も入ってるのかもしれません。でも日本育ちです。外国なんか行ったこともありません」
「……パパママ、いない?」
「はい。でも寂しくはないですよ。アクツさんがずっと一緒にいてくれましたから」

 そう言うとミケさんは自分の縛っている髪の毛の片方を触った。ミケさんはいつも髪の毛を綺麗なお下げの三つ編みにしている。

「小さいとき、孤児院にいたとき、アクツさんが言ってくれました。三つ編み可愛いね、綺麗な髪だね、って。それからずっとこれなんです」

 そう言うミケさんはとても嬉しそうに笑っている。アクツさんの話をするとき、表情の乏しい彼女はよく笑う。きっと彼が大好きなのだろう。彼のためなら何でもしたいとそう思えるくらいに。それは母の父に対する思いに似ていた。純粋な、一点の曇りのない愛だった。けれども彼らの愛は誰かを犠牲にしないと成り立たないようなもので。愛は尊いものだというけれど、そんな愛でも尊いと言えるのだろうか。

 
 そんな難しいこと、この時の僕には分からなかったけれど。

 
 少なくとも、この時の僕は二人の幸せが続いてほしい。そう思っていたのだ。それが何によって成り立っているなんて分からずに。


 

 それからまた数日が経った。
 父と母の行方は未だ分からず、僕はミケさんと共にこの部屋にい続けた。

 
 


 ある日のことだった。
 見知らぬ男の人が部屋の中にいた。作業服のような格好をして、部屋の掃除をしているようだ。
 
「だぁれ」

 僕の言葉に彼は一瞬こちらを一瞥したけれど、すぐさま作業に戻った。

「…………」

 気のせいかもしれないけれど、一瞬見えた目は僕を哀れんでいるように見えた。可哀想なものを見るような、そんな目に。

「それは……多分、熊猫(パンダ)さんですね」
 
 あとからミケさんにその人のことについて尋ねると、どうやらあの男の人もミケさんやアクツさんの仲間だったらしい。

「今は別のお名前があるみたいですけど……ミケは少なくともそう呼んでいます。お掃除してくれたり、庭仕事してくれたり……呼べばどこにでも来る方ですよ」

 もっと詳しい話を聞いてみたいと思ったけれど、ミケさんはパンダさんという人についてはあまり知らないらしい。

「アクツさんの知り合いですから、あの人は。……よく分からない方で、ミケはあまり好きではありません。何考えるか分かんないし……多分何も考えていないんでしょうけど」

 
 そうだろうか、一瞬見ただけだけれども、そんな人には見えない。何も考えていないような人に、あんな目はできるのだろうか。むしろ彼は色んな感情を無理矢理抑え込んでいるのではないだろうか、洪水しそうな感情を無理矢理。
 出来ることならもう一度あの人と会って、聞いてみたい。きっと彼は全てを分かっていて、だからこそあんな目を僕に向けていたのだろうから。

 



 某所にて。

「あーあ、お気の毒に。酷い目に合っちゃって。…………まぁ命じたのは俺なんだけど」




 
「怖い?もう怖くない?……はは震えないでよぉ……もう怖いことなんかしないから」








 
「もうすぐ会わせてあげる。大丈夫。ボウヤには酷いことなんてしてないからさぁ」







 
「なんでこんなことするか、って?楽しいからに決まってるだろ?わざわざつまらないことなんてしないさ」







 
「……つまんねぇなぁ。ただただ怯えて反抗しなくなった獲物は」








「まぁ、お前を餌にあと二人は釣れる予定だからさ。せいぜい俺を楽しませてくれよ」







「なぁ、陽子サン?」
 

 
 

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