複雑・ファジー小説

守護神アクセス【File10・開幕】
日時: 2018/06/19 15:20
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM  (dami-dayo@docomo.ne.jp

異能バトルはいいぞ(黙れ)

この名前、見たことがあるあなたはきっと昔からいるお方。まあ知り合いや読者は少なかったのですがね!
違う名前を使うようになったのですが、ゴリゴリとドンパチするような異能ファンタジー書くので、形から入るために名前を戻しました。

以下目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83

▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

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Re: 守護神アクセス ( No.79 )
日時: 2018/05/30 22:17
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM


「やっぱ速いな、こっちのエレベーターは」
「そうですね、さっきのは狭くて乗り心地も微妙でしたしね」

 エレベーターを囲む壁は、景色の側だけでなく全方位がガラス張りになっている。それゆえ、さっきまで自分たちが立っていた60階に位置する大きな広間の様子が、ぐんぐん遠ざかっていった。ものの十秒ほどで最上階へと到着する。
 一体、この事件を引き起こしたのはどのような者なのだろうか。相手は大人なのか、子供なのかはたまた老人だろうか。男か女かすらも明らかになっていない。それでも、これだけ多くの人を大混乱に陥れた、大罪人であることに変わりはない。一歩間違えていれば死者が出ていても間違いない。
 実際横目で窺う限り、掌の形をした痣が知君の首筋に残っていた。先ほど、庇っていたはずの少女から首を締め上げられた時についたものだ。
今更だが、彼がこの一連の騒動を引き起こしたとは考えられないだろうか。Phoneを手にしていたということは、充分にその可能性はある。ただ、その場合自分にこうやってその端末を貸し与えたり、わざわざ自分の首を絞めたりする演技の必要性があるだろうか。
いや、無い。本当に彼が全ての黒幕で、自分を陥れようとしているなら、ここに至るまでにさっさと捜査官の彼に能力をかけてしまえば済んだ話だ。わざわざこんな風に回りくどく策を弄する必要も無い。
それにしても、どうして彼には洗脳を思い起こさせるような能力が感染しなかったのだろうか。それが気がかりだった。彼自身、守護神同士に相性があるという世界のルールを知ってはいなかった。それゆえ、ドルフコーストの生前の姿でもあるアドルフ・ヒトラーにとって苦手な人物と契約している可能性すら出てこない。
実際のところ、知君にドルフコーストの能力が効かないのはもう少し道を逸れた所にあった。相性と言えば確かに相性の問題ではある。しかし知君の守護神である彼がこちらの世界で生きていた時代はヒトラーと比べると千年以上昔の話。苦手意識など微塵も無い。

「もうすぐ開くぞ」
「ええ」

 昇降機が天空向かって疾走する速度が徐々に緩やかになる。揺れも無く静かに停車する様子が、先ほどの貨物用輸送機とは天地の差だった。
 それにしても、わざわざ夜に最上階まで至る理由が、まるで想像できなかった。文字通り、奪われて困るものなど何もない場所だ。一体何が目的だと言うのだろうか。
 それなら、捕らえてから聞き出せばいい。完全に制止したことを体で感じ取る。扉が開いたら即座に飛び掛かると決めた。軽く触れられるだけでゲームセット。扉の先に誰かが待ち構えているだけで危険。箱の中、奥の方へと身を潜める。誰かがそこに居れば音波の衝撃で吹き飛ばす。居なければ音速で元凶のところまで駆け抜ける。
 二つの場合を想定した奏白だったが、誰も待ち構えてなどいなかった。後者のパターンだったかと、後方の壁を腕で押し、反動で一気に加速した。突風だけを残して、最高層の展望台に彼の身体が躍り出る。
 一瞬で終わらせてやる。そう固く心に決めて踏み出したというのに、その目標は達成できずに終わってしまった。ガラス張りのフロアに降り立った途端に急激な頭痛が押し寄せる。ぐらりと体が傾く感覚、咄嗟に立ち止まって足で踏ん張った。割れて磨り潰される様な鈍痛が、頭蓋骨のさらに奥底、脳からも押し寄せる。
 これが、此度の事件における黒幕の持つ能力なのか。今にも叫びだしてしまいそうな苦悶に精神力だけで抗う。心臓が一度だけ、一際強く跳ね上がった。そのまま口からでも飛び出してしまうのではないかと錯覚するほど力強く。それと同時に脳裏に紅の衝動が押し寄せる。血を見たい、火が欲しい、破壊を求む、そんな暴力的な情動が火山から流れる溶岩のように零れていく。
 このままじゃ駄目だと、理性の残っているうちに奏白は守護神アクセスを中断した。その身体を覆っていた、緑色の闘気がたちまち霧散して消える。その身を案じて駆け寄ってきた知君に、phoneを押し付けた。

「これ、今のうちに返しとくわ」
「どうしたんですか、急に……」
「いいからとっとと下がれ。このまんまだと、お前の事どうするかわかんねえ」

 心臓が高鳴る度に、理性らしき枷が外れそうになる。それを何とか意地で抑え込み、体が勝手に動いてしまわないようにと抱きかかえるように蹲り、体を押し込める。
 周囲の人間も同じ様子だった。あまりに強い破壊衝動に駆られた結果か、周りにいる同じような状態の仲間同士で殴り合っていた。鼻の骨が折れる音に、殴られ喘鳴する声。掴みかかる際に発する叫び声は耳に痛く、拳が肉に減り込む音など、聞くだけ気が滅入る。血もリンパ液も、唾液に汗が飛び交う空間。薄くたなびく雲の隙間から満月が覗く、幻想的な景色からは想像もできないほど、この空間は狂っていた。
 目の前でその激情と真っ向から向かい合う奏白も、いつこうなったものか分からない。だからこそ早いところ下へと逃げろと言っているのだろうが、それでも助かるとは思えなかった。下層へ逃げ延びた所で、結局は無表情の一団に捕まるだけ。結果はきっと変わらないだろう。
 いっそ同じように操られてしまえば楽だったろうか。突き返されたphoneを両手で握りしめつつ、彼はそんな事を想う。強く握りしめた端末の角ばったところが掌に食い込む。しかしそんなものが痛いと感じぬほどに、今の彼の心は崩れかけていた。
 なぜなら、目の前で欲に溺れるまま暴れている彼らの姿が、彼自身に暴走の二文字を思い起こさせたから。誰かを不幸にさせた事、泣かせた事、出来損ないの烙印を押された事。そういった、思い起こしたくも無い劣悪な日々を再生させ、当時の負の感情を呼び起こす。

「いいから、とっとと逃げろって……」
「駄目です、こんな事。こんな事……あっていいはずないじゃないですか」

 その光景に恐れるがあまり、無意識の内に少年は一歩、また一歩と後方に退いた。逃げる気になってくれたのかと奏白もホッとするが、一筋縄ではいかなかった。チンとまた、昇降機が到着する鈴の音。予想外の到着音に目を丸くした奏白がそちらに目をやる。現れたのは、下層からやって来た玩具みたいに無感情な兵隊。
 はち切れそうなほどパンパンに人間が詰まっていた。重量オーバーを告げるアラームが鳴っている。鳴っているのにそのまま無理に動かしたようだ。中からどっと吐き出される人の群れ、もみくちゃになった二人は、空いている方へと足を動かす。
 拳を振りかざし、地べたを這う人を踏みつける暴徒の隙間を抜ける。ひたすら走り抜け、なぜだか唯一開けた位置に出た。一か所だけ、人々が自ずと避けていたのか、明らかにスペースが空いているところがあった。弾かれるようにそこに辿り着いた二人は、ようやく探し求めていたその人物と出会えた。
 ようやく出会えたその人物が犯人だと確証するのは容易かった。新聞紙と同じ色、グレーのオーラが身体中覆っていたのだから。手には新型のphoneを持っている。それなのに強制終了させられていないとなると、改造を受けたイリーガルな代物だ。

「あら、抵抗する人がまだ居たの」

 主犯の契約者は女性であった。それほど若くは無く、顔には皺がいくつも浮かんでいる。スレンダーと言えば聞こえはいいが、ひどく痩せた体。ダメージジーンズを履いているようだが、ただ擦り切れてしまったズボンに見えてしまうくらい、高く伸びた背に似つかわしくない体の細さだった。
 今でこそただ不健康に痩せているだけに見える体だが、奏白には見おぼえがあった。まだ小学校に通うような頃、テレべの画面越しに彼女の姿を見たことがある。

「倉田 レタラか、お前」
「あら、まだ覚えてくれる子もいたのね、あんまり売れてなかったのだけど」
「そりゃ覚えてるさ、何せあんな事して捕まったんだからな」

 彼女は元々、それほど名の売れていないモデルであった。美人ではあったが、周囲の人間と比べると霞んでしまう程度の容姿。背丈も高いと言ってもモデルの中では中ぐらい。トークが他の人よりほんの少し慣れていて、お笑いに興味があったことから時折バラエティに出させてもらっていた、タレント寄りの元ショーモデル。
 であったはずなのに、奏白が中学生の頃に彼女は唐突に書類送検された。違法な薬物を所持していた疑いで、だ。この件に関しては彼女は無罪に等しかったのだが。

「捕まっては無いわ。あの世界からは追放されたけど」
「だったな。悪かったのはあんたの友人だ」
「そうね。と言っても私自身、叩けば埃は出てきたんだけど」

 彼女の中学時代の同級生が、倉田にスーツケースを送り届けた。田舎から東京に観光に行く際、面倒だから荷物だけ預けるのに住所を使わせてくれないかと。快諾した彼女は届いたケースを数日自宅に置いていたのだが、その友人が上京してくる前に逮捕されてしまった。その結果、ついでに倉田自身も書類送検されてしまった訳だ。
 事情を説明し、それが真実だと理解されたため、何とか彼女は釈放された。当然執行猶予などという形でなく、無罪という形でだ。しかし倉田の周囲には、全く違った穢れが蔓延していたため、そちらに目を向けられてしまった。

「あの頃は意味分かってなかったけどよ、枕営業してたんだっけ、あんた」
「そうなのよ、ここぞとばかりに面白がったマスコミに攻撃されてね、仕事無くなったのよね」
「で、憂さ晴らしにマスコミが縋ってる電波塔をぶっ壊そうとした訳か」
「いや、違うわよ」

 お金はちゃんと溜めていたため、慎ましく暮らせば老後も苦労しない程度の貯蓄は合った。それゆえ悠々自適に第二の人生を歩むため、引退はむしろこの上なく丁度いい機会だったと彼女は言う。

「じゃあ、ふっつーに楽しく生きてたのかよ」
「そうなるかしらね」
「じゃあ何で、わざわざこんなことしてんだよ」

 平和大国と皮肉交じりに讃えられる日本において、ここ数十年でもトップクラスのテロ行為。日々をつつがなく過ごす人間がわざわざするような事ではない。一体、何が彼女を突き動かしたというのだろうか。
 恨みも無く、怒りも無く、動機らしい動機など一つも見当たらない。ふと奏白は、真凜から伝えられた情報を思い出す。まさかそんな訳はないと否定していた。それは本来の目的を隠すために適当に口にしていると思っていた。しかしどうやらそれは嘘偽りでも虚言でもない、真実であったと知る。
 何せ彼女の口から飛び出した答えは、より一層に不可解な代物であったからだ。

「さあ? 何となくってところかしら」
「……は?」

 理由は特に存在しない。それこそが彼女の論理だ。そんな余計なこと考えるものではないと、奏白により一層意識を集中させる。同時に、今までよりも一際強い衝動が腹の底から湧き上がってきた。何とか頭を地面に打ち付けて理性を保とうとする。握りしめた拳で何度も地面を殴りつけても、痛みより怒りが湧いてくる。

「止めて下さい! みんな、皆傷ついてるじゃないですか!」
「あら、貴方どうして私の能力が効いていないのかしら?」
「生憎と僕には、あらゆる能力が無効化されるものでして」
「何それ、化け物みたい」
「……そう、ですね」

 化け物、その言葉が胸に冷たく突き刺さる。知っているさ、自分が人間よりむしろ、銃や刀、それどころか爆弾や大砲によく似た存在だとは。あらゆるものを略奪する能力。相手の素性など何一つ知っていずとも、その命を『奪う』ことも容易い。死神のノートなんかより簡単に、誰かを殺すことができる。

「まあいいわ。あんたみたいな貧弱な子供、どうとでもできるでしょう」

 どうせなら、貴方がやりなさいよ。彼女はその場に蹲り、何とか自分の事を抑制している奏白に呼びかけた。頭を抱えたまま、彼は倉田の方を睨み上げた。敵意を通り越して、軽く殺意まで覚えるほどに。警察に属するこの俺に、民間人を殺せと指示するのか。

「何その反抗的な目」

 教えてあげるわと、高笑い。私の守護神はヒトラーをモデルにしているのと、得意げな宣告。ファシズムを貫こうとしたドイツの独裁者、事実処刑されるその時まで彼は、ドイツという国を己の主義と主張とで染め上げて率いて見せた。

「最強の統率者、アドルフ・ヒトラー。それが転生したのがこのドルフコースト」

 番号も666と上位の守護神。止められるものなど居はしない。勝ち誇るように高笑い。その視線は東から南に登りつつある月に向けられていた。この時初めて、毒ガスみたいな気体がそのフロア一帯を覆いつくしている事に気が付いた。薄くたなびく真っ赤な霧が立ち込めて、その向こうに浮かんでいる満月は血が滲んでいるような顔色をしていた。

「さあ! 早くしなさい」
「があぁ!」

 獣のような咆哮。それは、苦悶に抗う声などではなく、飢えた野犬が獲物に襲い掛かる掛け声によく似ていた。起き上がった長身の捜査官が、腕を一振り。適当に振り回された拳が、少年の頬に食い込んだ。ただ長身というだけで、小柄な少年にとっては充分な不利対面。運動もろくにしてこなかった彼が咄嗟に避けられるはずもなく、地面に這いつくばるように滑り転げた。

「すまねえ……体が、言う事……」

 早く逃げ出せと奏白は指示する。地面に腕を突いて立ち上がろうとする知君が、その顔を見る。今日半日を共にした捜査官が、大きく顔を歪ませていた。セットされていた髪も自分で抱えていたからかぐしゃぐしゃに乱れていた。しんどくても、自分が最も年長者だからと堪えて笑い飛ばしていたあの奏白が、だ。

「逃げる場所なんて、ありませんよ……」

 僕は一体どうすればいいんですか。奏白に突き返されたphoneを強く握りしめる。胸に押し当てたその機体は、心臓の拍動を強く受けていた。どくんどくんと蠢くその鼓動を、端末越しに受け取る右手は、まるでphone自身が蠢いているように感じ取った。
 まるでその殻が、破られるのを待つように。

Re: 守護神アクセス ( No.80 )
日時: 2018/05/31 15:58
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM

「僕は……僕に……どうしろって言うんですか」

 方法は一つも無い、という訳では無い。一つだけ道は残されている。しかしその手段に走ってもいいものだろうか。この最後に残された一手はいわば何が起こるか分からない諸刃の剣。吃驚箱だなんて生ぬるい。災厄ばかりが溢れ出す、パンドラの匣。
 思い出せと、知君はおもいきり首を横に振る。何度この力で辛い思いをしてきた。何度この力に泣かされてきた。そして何回……この力で、誰かを不幸にしてきた。迷惑をかけた回数はどうだ。落胆させたのは何度だ。
 できない。彼には、できなかった。その扉を開いて細い綱を渡る覚悟が。何せ彼は踏み外し続けてきたから。奈落の底へと意識が沈んだ回数は何十回と重なっていた。言うなれば彼の意識が仮死状態に陥った経験は、数十にのぼるのだ。一生の内に、成人すらしていないのに彼はもう数十回も死んでいる。
 そんな彼がどうして、再びネロルキウスを呼びだそうなどと思えようか。ネロルキウスを呼び、事態が好転する保障など何処にも無い。むしろ悪化する可能性まである。その力でドルフコーストの能力にかかった人々を助け出せる確証は何処にある。
 そうやって厳しい現実から逃避して頭を左右に振り続ける様子に、結局能力が効果的なのではないかと見当違いの笑みを浮かべた。知君を殴打したことで罪悪感に囚われ、再びその暴力的な激情を押さえ込むことができた奏白は、再びその重すぎる鈍痛に抵抗していた。

「いいから知君……人ごみに逃げ込むだけでもいい。できることなら……下に行け」

 誰もいない部屋に閉じこもって、助けが来るのを待ち続けろ。俺から言えるのはそれが最後だ、なんて掠れるような声で。

「奏白さんは……ここの人はどうなるって言うんですか!」
「だったら誰がどうにかできるっていうんだよ! 全員助からねえより、お前一人だけでも、逃げ延びた方がいいじゃねえか」
「ねえ、いいから早く片付けてくれる?」

 再び意識を取り戻した奏白に、呆れた図太さだと倉田は賞賛する。どれだけ支配を強めようとしても彼は完全に堕ちてしまおうとしない。“彼女”でさえあっさりと術中に陥ったのにと、そのまま真っ赤な月を見上げた。むしろ簡単な部類だったな、などと。愛した男の事でも考えて、感傷的になった心の隙を突いたのが功を奏していたのだろうか、と。
 そんな風に彼女が、まだ訪れてもいない勝利、その余韻に浸って気を抜いている間に、熱くて堪らない頬を抱えたまま、知君はぐるりと周囲を見回した。ここに現れた時同様に、人々は互いに互いを殴り合っていた。この破壊衝動に囚われた人間は、よほど精神力が強くない限り自我も理性も感情もほぼ全て失い、手当たり次第に壊そうとするようだ。
 ただでさえ満員電車のように人がごった返しているのに、無理やり倉田の周囲だけスペースが開けているためにより一層過密な空間が広がっていた。ほんの少し足を動かせば他人の靴を踏んでしまう、少し手を伸ばせば襟首を掴むことができる。相も変わらず生々しい喧嘩の音がひしめいていた。
 痛みに呻く声も、恐怖に慄く声も無い。時折鳩尾にいいものを貰ってしまった者が息を吐き出す喘ぎだけ漏らしているが、それだけだ。痛覚さえも遮断している、そうではない。実は怪我など負っていない、などという訳も無い。苦痛から逃げるよりも他者に傷を負わせる悦楽が優っているだけだ。
 地面に膝を付いて這いつくばる知君、そのすぐ隣に少女が現れた。下の方の階層にいた際、自分達を塔の中に招き入れてくれた彼女だ。彼女ももみ合い、圧し合いのなかに居たからか随分と埃と砂まみれになっていた。その目はまるで、充血してしまったみたいに朱に染まっていた。
 これならばまだ、下にいた頃みたいに、無感情でいてくれた方が良かった。あの時はまだ新品で汚れも無い服を着ていたというのに、今の茶色く、灰色に薄汚れた姿は見ているだけ心が痛い。
 そんな事を考えていたからか、すぐ傍に立っていた男が、よろめき、その足で少女を蹴り飛ばした。背中を蹴り飛ばされた彼女は勢いよく地面に体を打ち付けた。膝をすりむき、切れた唇からは血が垂れている。

「大丈夫ですか!」

 雑踏の喧騒にかき消される程度の声で、焦燥した様子の彼は駆け寄る。自分自身腰が抜けたままだと言うのに、その身体を引き起こす。だが、それが仇となる。ホッと一息ついたその瞬間、隙を見逃すものかと幼女は腕を伸ばした。先刻同様に知君の首筋を添うように彼女の掌が。背筋に悪寒が走り抜ける。ついさっきの、喉元を締め上げられた息苦しさが蘇る。
 それはもはや反射だった。後ろにへたり込むように彼女の方から逃げる。だが、それを追うように彼女も飛び掛かる。制服越しに彼女の乳歯が彼の肩に突き刺さった。白いシャツの布地はあまり厚くなく、焼けるような刺激が肩を襲う。無理に引きはがせば線維にからまったその子の歯が抜けてしまう。誰かを怪我させるぐらいならば自分こそが痛みを耐えねばならぬ。受け続けた教育により、他の誰でもない知君自身が、己に命じていた。
 それと同時に、湧きあがる強い感情。為す術も無い現実に対する強い絶望などではない、何もできない自分への悔しさでもなくて、こんな凶悪な事態の中心でほくそ笑んでいる倉田 レタラへの強い怒りでもなく、悲劇の真っただ中にいる悲哀とも異なる。


 この胸に燃えている想いは、一体何だと言うのだろうか。
 一体ここだけで、何人の人間が傷ついている。ただ、観光を楽しんでいただけの人々だと言うのに。
この幼い子が何をした。何もしていないじゃないか。ちょっと悪戯はしてしまったけれど、それだけだ。それだけの事で、こんな悲劇の舞台に引きずり上げられる必要があったか。
 どうして奏白が己の正義を曲げるような事をせねばならなかった。こんなに卑怯で、自分よりも格下の女性に意のままに操られなければならない。
 どうして人々が傷つかなければならないと言うのか。彼女は何と言っていた、理由なんて何もない。ただ思い立ったから何となく、それが動機だった。
 ふざけるな。握りこぶしで強く床を叩きつけた。ジンと走る痛みが、自分はまだ生きていると、正常だと告げていた。まだ自分には彼女に立ち向かっていくだけの資格があるのだと。
 そして右手に握りしめた真っ黒な匣には、それだけの力が宿っていた。この力を使えば、少なくとも主犯である倉田は討つことができるだろう。しかしその後、自分がどうなってしまうのか分かったものでは無い。ここではその暴走を止めてくれる者もいない。
 けれども知君は、掌の中で出番を待ち望むphoneを閉じたままでは居られなかった。あんなに、あんなに恐れていたはずなのに。どうしてこんなに立ち上がるだけの勇気が湧いてくる。『彼』を呼んでも構わないだなんて思えるのか。


 もうこの場に残されているのは自分一人だ。
 立ち向かえるのは自分一人だ。
 助けてあげられるのは、言うまでもなく己だけだ。
 颯爽と駆ける奏白(ヒーロー)は捕らわれた。
 護るべき人々は、これ以上ない災禍の中心にいる。
 そんな中、巨悪(レタラ)は一人嗤っている。
 嘲りながら、見下して、歪な弧を口と目とで描いて、背景に赤い月を背負って。
 そう、許せないんだ。誰かを助けるだけの正義が屈して、誰かを貶めるだけの悪がのさばっているのが。
 そうかと彼は相槌を打つ。ようやく、少年の旨の内に燻っていた熱い情動の正体に見切りが付いた。
 悲しい涙だけ運んでくる強きを挫いて、苦しみ悶えて、痛みに苛む弱きを救いたいというこの想いは、間違えようがない。

 これはきっと、正義感と呼ぶべき代物だ。


「知君……早く、逃げろ……って」
「………………いえ、駄目です」

 ここで退く訳にいかない。そんなの、決して正しくなど無い。逃避に大義などどこにもない。戦うだけの力があるのに、救えるだけのものを持っているのに、背を向けるのは悪と変わらない。正義の対極にあるという意味においては。
 僕は何のために生まれてきた。正義の使徒となるためだ。人々を護るための最後の砦としてだ。兵器、なのかもしれない。誰かを傷つけることが一番の存在理由なのかもしれない。大義を振りかざし、正しいと息巻いているだけの悪が正体なのかもしれない。
 けれども、その力によってここに居る人たちを助け出すことができれば、その力は紛れもなく正義と呼んで差し支えの無いものではないだろうか。誰かを笑顔に変えられた分だけ僕は、人間に近づくことができるんじゃないだろうか。
 とすれば、やることなんて決まっていた。Phoneを開き、構える。指を、「1」の所に置く。

「僕が、戦います」
「馬鹿野郎……俺でも無理だったんだぞ」
「大丈夫ですよ、実は僕、とても強いので」

 肩に噛み付かれる痛みに耐えながら、柔和な笑みを知君は浮かべた。

「callingを、行います……」

 Phoneナンバーは……。震えた声。この期に及んで彼はまだ、契約している守護神の事を恐れていた。しかし、恐れながらも何とかそのボタンを押し込む。

「まずは、1……」

 ピッ、と小さな電子音と共に、知君の親指がほんの一ミリ程度沈みこんだ。それだけで知君はスタミナのほとんどを持っていかれた気分だった。その胸の内に根強く巣食う恐怖、それが簡単に拭えないのは当然と言えた。ネロルキウスに体を奪われ、暴走している時間はまさに、死んでいるのと同じような者なのだから。意識が闇に沈む、眠っているのともまた違う独特の感覚。
 その正面で奏白はというと、この少年はもしや100番台の能力者なのではないかと期待する。本当にそうであれば、希望は見える。だが、もう一度「1」を押した姿を見て、彼の抱いた希望は儚く消えてしまった。ピッ、ともう一度全く同じ電子音。

「二桁目も、「1」……」

 111から119までのナンバーは、ELEVENに次ぐだけの実力者の証として『next9’s<ネクストナインズ>』と呼称され、世界的にその契約者が認知されている、next9’sに属する日本人は一人も存在しない。そもそも九人しかいない以上、確率的に仕方の無い事ではある。
 ともすれば、知君はどれだけ前向きに考えても、1100番台でしかない。自分自身が649番である以上、その数字は少し頼りなく思えてしまう。そもそも敵のドルフコーストにしたって、666であり、明らかに格上となる。

「そして……」

 すっとその指が下の方に伸びていく。1から離れたその数は、今度は最下段まで。武者震いだろうか、畏怖から来たものだろうか。右腕の肘から先は、大きく揺れ始めていた。

「三つ目に、「0」……」

 ポッ。三度目の電子音。1100番台の中では相当ましな方なのだなと奏白は幾分か安堵する。と言ってもそれは気休め程度にしか過ぎない。666と比べてしまえば1100も1199も誤差と言って差し支えないだろう。それほどに、3桁ナンバーと4桁ナンバーの守護神の間には高い壁がある。
 ただしそこで、知君の手は止まる。最後の番号を入力するのに躊躇しているのだろうかと推察する奏白は、まだ気が付いていないようであった。知君が持ち得る、最後の可能性に。
 ゼエゼエと吐き出される荒い息。いつしか知君の右手親指は宙を彷徨っていた。その指はあちらこちらをふらふら泳ぎながらも、数字の並ぶキーを飛び越えて、まっすぐにある場所へと向かっていた。
 刹那、奏白の脳裏に今日この日の間に耳にした、彼の台詞が蘇った。

 僕は、『この国で警察になるために』生まれてきましたから。
 なりたいとは言ってないんですけどね。

 日本で、警察と言えば果たして何番を意味するだろうか。それに気が付いた時奏白は、中枢神経のど真ん中を光の矢で射抜かれるほどの鋭い刺激が走るのを感じた。曇っていた脳が冴え渡っていく。
 ここに登ってくるまでに目にした、とあるニュースの事をも思い出した。

 それゆえ、地上に存在するELEVENがとうとう十名となったのだと、鼻の穴を大きくしながらアナウンサーは主張していた。残すところは最上人の界に住まうELEVENのみだと。

 彼は一体、名を何と言っていただろうか。
 ELEVENのアクセスナンバーは、統治している異世界が人間界に座標として近い所からつけられていく。最も近いフェアリーガーデン、ここを統括するシェヘラザードのアクセスナンバーは、100だ。そして二番目に近いのは幻獣界であり、三番目に近いのは伝承界。伝承界の王であるキングアーサーは102である。
 自らの守護神の影に、どうにも気おされて仕方の無い知君。項垂れながら、やはり自分には勇気が足りないのかと折れそうになる。ただその時、暖かい雫が彼の左肩に落ちた。目をやるとそこでは、かじりついたままの少女が真っ赤に染まった瞳から、一滴、二滴、と雨漏りのような涙を垂らしていた。
 その涙に、ようやく知君は知ることができた。こんな風に意思を奪われ、無理やり暴れさせられている彼らが、平気でいられる訳が無いのだと。辛くて苦しくて、もう嫌だと縋っている。
 誰も、何も口にしていないというのに、彼の耳にはそこの大観衆が「助けてくれ」と請う声が、はっきりと聞こえた。
 背中は押された。ならば、もう恐れるものなんて何処にも、何一つ有りはしなかった。そのまま彼は意を決したように、緑色の受話器のマーク、発信ボタンをぐいと押し込んだ。


 僕こそが正義だ。そう声高に主張するように。溢れ出す黒色のオーラが全身を覆う。もう、立ち止まって傍観などしていられない。
 この国で警察になるために生まれてきたと言う知君。彼の宿す守護神の名とは、その彼が冠する、王たる証であるナンバーとは。


 もう、尋ねるまでも無い。





「phoneナンバーは110……来てください、ネロルキウス!」

Re: 守護神アクセス ( No.81 )
日時: 2018/06/08 21:06
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM

「phoneナンバーは110! 来てください、ネロルキウス!」

 迷いはしない。人々を助けるためならば、この身を、心を、悪魔にだって売ってみせる。自分自身を悪魔にだって変えてみせる。きっと目の前の誰かを助けられない方が自分は後悔してしまうだろうから。
 だから、どれだけ呪われた剣であっても、封を破って鞘から引き抜いて、戦うんだ。いつかきっと、誰かが自分を救ってくれる。誰かが認めてくれる。それが誰なのか、『未来の事が分かる』訳ではないけれど、そう信じている。誰か、いつか、どこかで、どうにかして、何故だか知らないけれど受け入れてくれる。全知の力を持ってしても将来のことなど読み取れはしないけれど、『そんな』人が現れてくれてもいいじゃないか。
 5W1Hなんて気にするな。強いて考えるとするならば、今自分が立ち向かおうとするその理由だけだ。奏白の正義が捻じ曲げられていい訳が無い。小さな女の子が、傷つきながら誰かに傷を負わせて言い訳が無い。
 僕たちの振るうこの力の終着点に、何があるのかは分からないけれども、奪う事しかできないかもしれなくても、ここで逃げてしまうよりも、ずっと正しいはずだから。だから抗うんだ、不条理な運命に、目の前の犯罪者に、あまりに強大な暴君に。数年の間感じることも無かった、脳裏を過るノイズ。ネロルキウスの干渉はもうとっくに始まっていた。
 地上に溢れ返る湯水のような情報がとめどなく脳に流れ込んでくる。視界全てを文字列が埋め尽くすほどに膨大なデータが、脳みそをショートさせようとしている。しかし、昔の自分とは違う。脳のキャパシティも上昇した。データの要不要を判断する要領の良さも手に入れた。
 そして何より、昔は器になることを必然の定めだと受け入れていたが今は違う。誰かを不幸にさせないため、自分らしく戦い抜く必要がある。我儘な王様になど、この体は明け渡さない。耳元で囁く、しわがれた威圧的で傲慢な声を振り切る。
 この場における最大の敵は、ドルフコーストの契約者である倉田などでは決してなかった。異世界に潜む最恐最悪の暴虐の皇帝、己の守護神に他ならない。知君自身成長したとはいえ、この干渉能力はやはり伊達ではない。気を抜けば、首筋を掴まれたような息苦しさ。あまりに必死になっているせいで、呼吸さえ忘れていた。
 真っ黒な手が絡めとってくるような錯覚。しかし、振り払えと強く自分に指示する。ここで折れる訳にはいかない。もう、誰かを失望させるようなことなどあってはならない。

「僕は、救うための人間なんだ」

 絶対に化け物なんかじゃない。人々は決してそれを認めてくれないだろう。だが、だからこそ、僕だけはそれを肯定し続けなければならない。誰か、いつか受け入れてくれはしないだろうか。奏白のような温かい兄のような人、あるいは同じように気高い、姉のような人がいたらいいのになと、居もしない家族を求めて溜め息を吐いた。
 ネロルキウスの責め苦は途切れることは無い。気を抜くだけでまた、意識は混濁して死に似た深いあの闇と出会うことだろう。しかし、今はそんなもの受け入れてなどやらない。この場は、僕の意志で最後までやり遂げるんだ。
 暴君を使役すると言うのに、こんな腰が低い態度だからいけないのだろうか。だとすれば、どうにかして強い自分を演じることはできないだろうか。彼をも屈服させられるような、強い人間。果たしてそれは誰を演じればいいのであろうか。
 奏白だろうか。確かに頼りにはなるが、それはあくまで一般人目線での話。ELEVENの契約者である自分にしてみれば、少し頼りない。ならば琴割だろうか。駄目だろうな。あの人も結局は、ネロルキウスを御することなんてできなかった。
 じゃあ、僕にとって『一番強い日と』って誰なんだろう。その答えは考えるまでも無く、すぐ傍にあった。


 そうか。そうだね……君より強い人なんて、どこにも居やしないんだ。
 それなら、君を従えるには……誰よりも強い君の真似をするのが一番なのかな。
 少なくとも、僕はそう思う。だから。



「図に乗るなよ、ネロルキウス」

 思わず肝が冷えるような低い声。他人に対して凄んでみせたことなんて、彼にとって生まれて初めての経験であった。それにしても、堂に入った暴君ぷりだなと自分でも何だか可笑しくなる。緊張感も飛んでしまいそうだったため、笑みを漏らすことは無かったが。
 何せ手本は何度も何度も体感しつづけてきたから。今だって、少し驚いた声を上げて、それでも威厳を損なわぬよう威圧を繰り返している。けれどもそれには耳を傾けなかった。知君にはもう、目の前の悪しか見えていない。後方の圧政など、歯牙にかけるつもりもない。

「俺がお前の器だと? 冗談じゃない。貴様こそ所詮俺の剣でしかない。一分一秒でも長くこちらに顕現していたいというなら、せいぜい俺にその力を寄越すんだな」

 普段であれば攻撃的な口調になってしまわぬように気を遣っている彼であったが、今では荒々しく挑発的な語調になっている。自分とて相手から舐められぬようにと、強がっているのもあるのだが、それ以上に言葉尻に気を配っている余裕なんて残っていなかった。
 今まで感じたことのない知君の覚悟が据わった声に、ネロルキウスも違和感を感じ取ったのだろう。その意識がこれまでの彼とは違い、一切薄れようともしない様子に感嘆する。知らず知らずのうちに、年月が脆弱だった器を強固に鍛え上げていたのかと未だ青い彼の成長にほくそ笑んだ。
 今この場で肉体を奪うことができないのは惜しいものの、その将来性を考えればこの成長を確認できたことは儲けものだ。むしろ、ここで自分を御したと知君が勘違いしてくれようものなら、今後も体を乗っ取るための機会はいくらでも訪れようと言うものだ。
 それならば、ここは彼の好きなようにさせるのが得策。力を持つのみならず、狡猾な暴君はそう判断した。事実この判断が功を奏し、後日彼は少年の肉体を乗っ取ることになるのだが。
 この時、二人は揃いも揃って知らなかった。今後彼が歩むその軌跡こそが、彼を苦しめたものの、その足跡故に少年が報われることになろうとは。全知の暴君でも知り得ない『未来を知ることができる』『そんな』誰かのおかげで、彼の心が救われることを。

「待たせたな、俺の準備は万全だ。……して、レタラと名乗っていたか、貴様の準備はできているか」

 あれだけ長い間知君がネロルキウスと闘っていたというにも関わらず、目の前のレタラはというと、ただただ茫然として、目の前の様子を眺めつづけていた。先刻この少年が口にした言葉が信じられないと、ひたすらにその目を皿のようにして、じりじりと後退していた。首を横に振って、これは悪い夢を見ているのだと自分に言い聞かせようとしている。
 悲しい事にこれは揺るぎようのない現実だと言うのに。先ほどまで優勢だったが故に粋がっていた姿を思い返すと、そのネズミのように怯えた姿が情けなくて仕方ない。

「嘘……嘘よ、その守護神って、まだ契約者居ないはずでしょ? ねえ、どうしてそんな……そんな恐ろしい力」
「ほう。ネロルキウスの存在を知ってはいたか」
「当然でしょ、まだ顕現していない最後のELEVEN、その力を知る者なんて、地上にいるはずない、のに……」
「滑稽な話だ。今の世の中ならいくらでも情報など隠蔽できるというものを」
「そんな訳! 検索に看破、調査にダウジング、様々な能力を持った守護神に、その契約者が溢れ返っているのよ。誰もが一度は調べたことがあるはずよ、ELEVENの契約者は誰なのか、なんて」
「超耐性がある以上、調べられる訳が無いだろう。無知とは恥ずかしいものだな」

 思い付きだけでここまでのことをやり遂げておいて、存外頭の回らぬ女のようだなと少年は失笑した。畢竟、貴様などその守護神におんぶにだっこなだけの脆弱で矮小な存在に過ぎないのだと、先ほどまでの思い上がりを指摘した。

「好き勝手言ってくれるわね、貴方だって私とそう変わらない、守護神の性能任せのチビじゃないの!」
「そう、見えるんだろうなお前たちには。こちらに立てば分かるぞ、その言葉が如何に見当外れか」

 道を開けろ。思わず底冷えしてしまう、冷たい声音。その色は深く暗い夜のとばりのような黒に淀んでいた。常夜の闇のように、明けることの無いような底なしの深淵に引きずり込まれる恐怖を頭の隅に掠めさせるような、そんな。
 この能力は本来使うべきではない。それは重々承知していた。しかしこの女には手加減は不要だと判断する。この女が二度とこの能力を使えないようにする必要がある。そして知らしめねばならぬのだ。この世で最も、民を深い絶望に陥れたネロルキウスこそが、最大の支配者であると言うことを。洗脳のファシズムとは違う、理解していようとも抗えぬ根源的な畏怖こそが、彼が彼である所以だ。
 その事を身をもって教え、記憶に刻み込む。それゆえに知君は、一度誰かを不幸にさせてしまったその力を使うことに決めた。先ほどの道を開けろとの号令に従った人々は、その命令を聞き届けて知君から今まで以上に遠ざかった。そして彼らは、レタラの退路を塞ぐように彼女の後方の空間を埋めていく。

「ちょっと、どきなさいよ! 私が逃げられないじゃないの!」

 人ごみをかき分けて逃げ出そうとする彼女の四肢を、正気を失った人々が押さえつける。いう事を聞かない人々の様子に彼女は目を白黒させた。能力の行使中は、彼らは自分の忠実な手先のはず。それなのに、むしろ少年の言うことに従う様子に怯えてならなかった。そもそも自分が勝てるビジョンなど、彼のナンバーを耳にした瞬間にすっかり失せてしまった。

「逃がす訳が無いだろう」
「ひっ……」

 背後すぐ傍から聞こえた声に、思わず悲鳴を上げるレタラ。これではどちらが悪人なのか分かったものではないな。そう言う彼の顔に悲壮感など浮かんでおらず、むしろ楽し気にほほ笑んでいた。
 なぜか。それは当然、戦意を失ったその様子から確信したからだ。もうこれ以上、誰も傷つかなくて済むことを。だからこそ彼は、最後に彼女への処刑だけを断行した。

「折角だからとくと見るがいい。この俺が使役するネロルキウス、その能力を」
「やめてください! お願いです、自首でも何でもしますからぁ!」
「安心しろ、何も怪我させるつもりなど無い。さあ、始めるぞ……ネロルキウスの能力を行使する!」

 振り返った彼女の顔を左手で掴む。指の隙間から覗く知君の顔が、その女性にはもう、鬼や悪魔のものにしか見えなかった。

「対象は倉田 レタラ。奪い取るのは、その守護神のドルフコースト!」

 宣言すると同時に、彼女の身体を覆っていたオーラが剥がれ落ちていく。剥がれ落ちたオーラが宙を漂い、漂ったかと思えば凝集し、一人の守護神の姿がそこに現れた。その守護神は自らが掴まれている訳でもないのに、ネロルキウスによって押さえつけられているようにじたばたと頭を抱えたまま暴れていた。
 契約者であるレタラが頭を掴まれているからか、緊箍児(きんこじ)に苛まれる孫悟空さながらに、頭蓋を駆け抜ける激痛に雄たけびを上げている。野太い絶叫が収まったかと思えば、知君はレタラから手を離した。そのまま今度はドルフコーストの腕を掴む。真っ黒な染みがドルフコーストの腕を汚染するように滲む。少年の後ろに聳える暗黒のオーラに、小さく悲鳴を上げた守護神も次の瞬間には全てを察し、諦めた。

「守護神アクセス! ドルフコースト!」

 その能力は全知……あらゆる情報を奪い取ることによりとっくに把握していた。色によりその特性は異なるが、毒ガスを吸わせた者を己の支配下に置く、あるいは自立した兵として己に従わせる能力。
 解除できるとすればドルフコースト自身の命令。それゆえ少年は、過去の苦い記憶を掘り起こすことを代償に、この手段に踏み入ることに決めたのだ。

「ドルフコーストの名において『この電波塔内にいる者』に命令する。ただちに俺の支配下から解放されろ!」

 指を打ち鳴らす、それと同時に能力にかけられていた人々の身体から、黒いガスに赤いガス、それぞれが浄化されたように立ち昇ったかと思えばすぐに消えてしまった。支配されて以来、ずっと酷使され続けていたのか、その束縛から解放された途端に人々は膝から地面に崩れ落ちた。
 ところどころ、取り戻した痛覚のせいで痛みに喘ぐ声も上がっている。子供が泣き叫ぶ鋭い金切り声も上がっている。もっと早く自分が決心できていれば、そうやって自己嫌悪に陥ってしまいそうになった。
 けれども次の瞬間、幾重にも重なりあって聞こえる「助かった」の一言に、その後ろ向きな考えは全て打ち消された。自分の力で助けられた人々がいる。それだけで歯を食いしばって立ち向かった甲斐があったものだと、ようやく安堵した。Callingを終了し、奏白に駆け寄る。
 この後すぐの事だった、ここに琴割が現れて奏白に知君のことを紹介することとなったのは。




「あの時だけですね、琴割さんが僕のことを褒めてくれたのなんて」

 長い、長い昔話。彼の生まれた理由、境遇、そして再起の決意。全てを聞き届けた人々は何も口を出すことができなかった。奏白とて、出自を聞いたのは初めての事だった。
 ずっと、ずっと重たかった。思っていたよりも、ずっと。この少年が生まれた理由を納得するより、誰よりも大きな力を持っていることを再確認するよりも早く、全員の頭をかすめたのはただひたすらに後悔だけだった。
 俺たちは、私達は、一体どんな子に冷たく接してきたのか。その事実があまりに強く胸を締め付ける。何度も謝りはした。けれどもそれだけの事で許されていいだなんて、彼らには到底思えなかった。
 誰にも愛されず育ち、何度も助けてくれた少年を疎外し、仲間外れにしていた。それがどれだけ彼の心を深々と抉っていた事だろうか。
 倫理観に反する出自に始まる、道徳を教えるために道徳を無視した教育。恐怖と不安に押しつぶされそうな学生生活。もしネロルキウスを呼べないままであれば、宣告された命のタイムリミットにも震えていただろう。それこそが、彼が虐げられてきた日々。琴割と、奏白と……そして誰よりも、ネロルキウスと少年との、出会いの物語だった。


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Re: 守護神アクセス【File0・完結】 ( No.82 )
日時: 2018/06/10 23:24
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM

 少年は屋上でベンチに座りながら、ただただ空を眺めていた。南から遠ざかり、西へと向かいつつあるまだ白い太陽を見つめて、為すことも無いまま網膜を焼いていた。じりじりと視界が侵されていく感覚が気持ち悪く、目を閉じた。九月に差し掛かったというものの、熱すぎる空気が身をも焦がす。
 背後では、触れる事さえできないものの、ひらりひらりと人魚姫が宙を泳いでいた。王子の表情が何一つ変わらない事が、酷く怖かった。皮を突き破って掌を貫きそうなほどに握りしめた拳はいつしか解かれていた。
 黙りこくったまま、目を閉じて、少年は呼吸以外の一切を全て忘れてしまった。瞼の裏に残照がちらついて、噴き出る汗に炎天下を覚える。闇の中に身を投じたつもりでも、風の吹く音に、照り付ける閃光に、くすぐる深緑の生命の香りが、自分の生を知らせてくる。
 これはきっと、深淵の闇でも何でもない。だとしたら、彼が感じた闇というのはどういったものだろうかと推測していた。暑いともつめたいとも思えず、手足を動かしたつもりでもどこに進むことも無い。落ちる感覚も昇る感覚も無くて、溺れるような苦しさすら感じられず、何も辛くないその感覚が、何より恐ろしい。
 怒っている人よりもずっと、表情の変わらない人の方が怖いんだ。他人との交流に長け、他者の心を何となく読み取れるようになった王子の経験が、それを裏打ちしていた。怒ってない人を振り向かせること程難しくて、怖くなってしまうものはない。
 この世界に生きている以上、五感全てを遮断される様な経験など体感しようも無い。平衡感覚は乱れ、立つ事すらままならなくて、きっと転んで怪我をするのだろうけれど、その怪我はちっとも痛くない。誰かに助けを求めても、その誰かが傍にいると知ることもできない。そんな真っ暗な世界に一人、取り残されたらきっと、俺なら五秒と持たずに発狂するんだろうな。静かに呼吸をしていた彼であったが、ふと大きく息を吐き出した。
 それはまるで、ため息とよく似ているけれども、深呼吸の方が似合っていた。見上げていた首を真下に向け、項垂れる。目は閉じたままだ。自分がのうのうと生きていることを肯定したくなくて、この世界に自分は居ないものだと思い込みたくて、目を開ける勇気を振り絞ることができなかった。
 屋上には、王子を除いて誰もいなかった。それは第三者が見たらの話であり、実際には守護神アクセスをした状態のセイラがいるのだが。しかし彼女は黙ったまま、ただ後ろで見守っていた。寄り添おうにも、今の状態では王子の身体さえ通り抜けてしまうから。だからただ、項垂れたままの彼を後ろから眺めていることしかできない。
 話し声の無い世界が、ずっと続いていたとしたらどれだけ良かっただろう。誰も何も口にしていないというのに、この空間にはある物語がずっと届けられていた。知君が過去を話し始める直前に、奏白が守護神アクセスしていた。アマデウスの能力により、離れた場所でのクラスメイトの物語が次々届けられていた。
 彼が生まれた理由、どうやって生み出されたのか、天涯孤独の訳。今までずっと知らなかった事実を全て告げられた。ELEVENであると聞いても、驚かなかったのは、何となくその予感があったからだろう。あれだけ強い守護神だ、何も驚くことは無い。
 産み落とされた彼は、人間の子供というよりむしろ、兵器の製造によく似ていた。白雪姫と戦う際にずっと、戦っていないと存在価値が無い、兵器として生まれたと口にしていた理由がようやく分かった。試験管の中で生まれた命、彼の誕生に歓喜した者こそいれど、きっとそれは純粋な親心など微塵も無くて、実験が成功した程度の感慨。その後の教育も、人間の教育というよりむしろ、機械のプログラミングや、動物の躾によく似ていた。
 いつも、怯えるように守護神アクセスしていた理由がようやく分かった。そう言えばいつも、彼は体を震わせていなかったか。それを笑顔で上塗りしていなかったか。知君が、我儘を言うところを何度聞いた? 自分のための我儘を言っていたことはあったか?
 一度として、無かった。仲良くなったのはたかだか一か月ほど前の事だけれど、それでも我儘を口にしないと言うのは異常だと気づく余裕は、まだ幼い彼の精神は持ち合わせていなかった。
 どうして、そんな事できるんだよ。その言葉をぐっと飲み込んだ。簡単だ、言っていたじゃないか。それをできなければ痛みによる制裁が加えられる日々を過ごしてきた。それゆえ、条件反射で本心を、そして欲求を押し殺してしまう。
 子供みたいな容姿で、小さな体をまだ抱えたままの未熟な少年。第一印象はそうだったはずだ。けれども知るうちに、その精神は誰より成熟していると感じていた。けれどそれは、無理していただけだったんだ、何で気づけなかったんだろうな。知君はずっと、王子のことを友人だと信じていた。自分だってそう思っていた。なのに、一つも理解できていなかった。
 知君が隠していた。それはきっと、そうだろう。けれども王子は知っていた。隠し事をしない人なんていないし、隠し事は何となく人は匂わせているものだ。それなのに、知君にはそれが無かった。脆くてぐずぐずの心の深層を、硬い容器で密封しきっていた。けれども、知る努力を怠っていた。

「一声かけるだけで、良かったんだよな……」

 大丈夫か、なんて心配するほどの事でもない。何でそんなに強いんだ、って訊けばよかったんだ。実は強くなんてないんですよって、吐き出してくれるかもしれなかったのに。
 きっと、嫉んでいたんだ。ようやく戦うだけの力が、相棒を得たというのに敵わない知君があまりに遠くて、妬いていたんだ。知君の方が、よっぽど颯爽と現れるヒーローだなんて思って。誰かのために泥臭く戦う自分だって、ヒーローなんだと認められなかった。

「あいつ、あんなに精一杯戦ってたんだな……」

 セイラは答えなかった。ただ、黙って後ろで見守っている。その通りだと肯定するようなこともなく、ただただ彼が自力で乗り越えるのを信じていた。

「言われた通りだったよ。自分の言ったこと、こんなに後悔することになるなんて、思っていなかった」

 ずっと独りぼっちだった彼にかけた、友達なんて願い下げだの言葉。あの時彼は、どんな顔をしていた? 思い出したくなんてなかった。その時俺はどんな顔をしていたっけなと王子は思い返す。簡単に想像できた。あの時自分は、自分の事しか考えられていなかった。きっとただ、辛い感情全部、知君をサンドバッグにしてぶつけていただけだ。その顔はきっと、自分勝手な怒りだけに染まっていただろう。

「謝んなきゃな、沢山」

 そして今度は助けよう。これまで何度も助けてくれた彼を。人々を護り続けた知君を、今度は一丸となって他の者たち全員で支えよう。
 そう言えば知君は、訳があってこの病院にしか入院できないと聞いていた。その理由がようやく分かった。知君には、戸籍が無い。だから琴割と旧知の仲である王子の祖父が経営するこの病院を使って点滴をするしかなかったのだ。
 さらに、無理に戸籍を作ってその存在を表ざたにもしたくなかったのだろう。知君は「世間的にはELEVENと認知されていない」なぜなら、それが知られるといまほど自由に守護神アクセスできなくなるためだ。琴割が、先兵として使いたいときに知君を使うことができるよう、その存在が公になるのを拒絶しているのだろう。

「許してもらえなくても、いいから。ちょっとでもあいつが楽に感じられるように、俺の言った事撤回しなきゃいけないんだ。傷つけてごめんなって言わなきゃいけないんだ。絶好されても構わねえから、お前は何も悪くねえって伝えなきゃ。罪滅ぼしに俺が代わりに戦ってやるって、ついでに」

 残る大きな敵はもう少ない。その内の一人はシンデレラであり、傾城の特質を持っている。嫌が応にも、ネロルキウスでなくセイラの能力で浄化をしなければならないのだ。最後の最後に決めるのはきっと、自分になる。その事に強くプレッシャーを感じていた。自分こそ最後の砦、そう言われてはいたが、それがあまりに怖かった。しかしきっと、知君はこの重圧とずっと戦ってきたのだろうし、戦力としては未だに最高だ。それゆえきっと、これからもその重たい圧に耐えねばなるまい。
 しんどいな、これは。自分にはずっと見てくれる人がいる。父も兄も支えてくれるし、何よりもセイラが見てくれている、それだけで勇気はとめどなく湧いてくる。それなのに、知君は。
 その時だった、力強い警鐘が、響き渡ったのは。





「何だ? 今度は何が出やがった?」
「以前一寸法師を倒したところなのに……」

 既知のフェアリーテイルの発現を告げるアラートが、その場の全員のphoneから鳴っていた。その警報はアマデウスの能力に乗って王子にも届けられる。新規でないとすれば残っているフェアリーテイルは二人しかいない。先日契約者を引っ提げて再び活動を開始したシンデレラ、そしてフェアリーテイルの中で『最大の人的被害をもたらした』少女、赤ずきん。死傷者の数は、もう数え切れない。

「私達は出なくて大丈夫なの、兄さん」
「大丈夫だ。今はまず知君を守れって指示が下りてる」
「誰から?」
「総監」

 琴割からの命令。ならば拒むことはできない。自分達最高戦力が出動できないのは極めて痛いところだが、それ以外の人員は全て現地へと駆け付ける最中だと言う。それに何よりあのじゃじゃ馬が先陣切って赤ずきんと戦っているところなのだとか。
 確かに、知君はさておき、対策課の外にいる人間にも目を向ければきっと、彼女が日本において最も強い戦士の一人に数えられる。少なくとも、真凜一人や奏白一人だけが駆け付けるよりかはずっと頼りになる。

「とりあえず知君、お前は今回安静だからな!」
「無理して出ていこうとしないでよ、私達が何とかしてみせるから」

 慌てた様子で奏白兄弟は咄嗟に知君に呼びかけた。こういった時、誰よりも逸って前に立とうとするのは彼だから。今回こそは休ませなければならぬと引き留める。実際、枕元に置いたままの黒い端末に伸びようとしていたからだ。

「まあ、今日のところは休んでおきな。……俺はそこの二人ほど強くないからよ、何とかしたいなくらいにしか思えねえけど、今回から、お前のためにも戦うからよ」

 ぶっきらぼうにベッドの上に座った彼の肩を叩く太陽。王子くんと違ってぶっきらぼうだけれど、彼と同じで肝心なところでの嘘は下手そうだと知君も思ったが、それは言わずにしまっておいた。
 どうしてか、緊迫した状況だというに、笑みが零れ出た。今までこんな事なんて一度も無かった。ひどく温かい言葉に満たされた彼の身体の芯は、まるで燃えているようであった。どれだけガンガンストーブを焚いても温もりなんて得られなかった冷え切った体が、優しさで満ちていく。
 病室のベッドの上、戦いはこれからだとは自覚しているものの、幸福感に包まれた少年は、隈の上に浮かんだ目を閉じて、ただ一言、ありがとうございますとだけ呟いた。
 あの日の真凜の言葉が蘇る。その言葉をようやく、知君は心底噛み締めていた。

 そうか僕も、やっと報われたんだなぁ。

 病床の暴君は、どんな凪より穏やかに笑っていた。そしてその笑顔は、知君が初めて見せる、嘘偽りの無い、気を許した相手にしか見せられない、そんな幸せな油断を孕んだ表情だったということだ。

File9・hanged up

Re: 守護神アクセス【File9後編・完】 ( No.83 )
日時: 2018/06/20 08:05
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM

 血の匂いがする。
 倒壊する灰色の瓦礫、空間を劈く悲鳴の重奏。煙で黒く淀んだ炎が舐めとるように半壊した建造物を飲み込んで、蜘蛛の子を散らすように人々は逃げ惑う。もうこの光景を何度となく目にしてきたが、未だに飽きることは無い。
 胸の内に渦巻く高揚。いけない事だと分かっていながら、いけない事にどっぷりと手を染めた自分が愉快でならない。口角が意識の外で自然と持ち上がる。踏み歩いたその背後には町だった残骸と、誰かが大切にしていた何かが横たわっていた。
 初めから、彼女の頭巾は真っ赤に染まっていたと言うのに。返り血がより鮮紅に染め上げていた。銃を構える機械的な音、照準を定めるように銃口が右を向き、左を見る。その先には、逃げ惑う人ごみに紛れることもできない、走り遅れた老婆の姿があった。裕福とも貧相ともとれない、無難な身なりをしている。
 おばあちゃんのためにパンとワインを届けに行く。そんなけなげな少女であったはずなのに。猟師に命令してその銃身を老いた女性に向けた彼女は、自嘲気味に乾いた笑みを漏らした。
 その砲身が自分に向いているとは、一心不乱に走る女性は気が付いていないだろう。むしろ、見ないようにしているというべきだろうか。狙われていてもいなくても、危険には変わりない。その気になりさえすれば周囲一帯蜂の巣の焼け野原にできる、そんな彼女の前では警戒なんて意味を為さない。
 その気まぐれな好奇心が、向かないように、あるいは向いてしまう前に、遠くへ進むしかない。運がいいか悪いか、それだけの差異。

「あのお婆さんも災難っすね」

 こんな所であたしに会っちゃったのが運の尽きだなんて。背後に聳え立つ、上半身のみの霊体の猟師に赤ずきんは問いかけた。猟師の身体は実体化しておらず、何人たりとも彼を傷つけることはできない。逆に猟師が触れることができるのもまた、己が握りしめる銃くらいのものであった。
 その銃だけが、猟師の虚像と人間たちとをつなぎとめている。防ぐことのできぬ狙撃手、回避するだけの敏捷性の無い一般人にとって、その照準を定められた時にはもう、死を覚悟するほかない。
 照星の先に老婆を置いて、狩人は指先に力を込める。そのまま、赤ずきんの掛け声と共に。

「猟師さーん、発射(ファイア)!」

 力ない民の背中を、撃ち抜く。

◆◇◆


 心配してくれる誰かが居る。今度こそ任せろと言ってくれる仲間がいる。その安堵と幸福をただ享受している訳にはいかない。知君は、緩んでしまった頬を再び緊張させた。赤ずきんが現れた、ならば一刻も早く誰かが現場に向かわなければならない。
 真っ赤な布で頭を覆っているのがトレードマークの彼女は、フェアリーテイル屈指の殲滅能力を有している。かつて何千という兵と共に、数十分かけて渋谷を焼き払った壊死谷がいたが、赤ずきんの影響力はその比ではない。およそ数分、使役する駒はたったの三つ、それだけで渋谷くらいなら破壊しつくす。勿論、警察の妨害が入らない前提はあるが。
 誰もが奏白の顔を見た。最も早く現着できるのはお前だと。だが、奏白は力なく首を横に振った。行きたくないのではなく、行くことができなかった。この感覚は一度経験したことがある。今にも駆け出そうとしているのに、脚が床と溶けて混ざり合ったみたいに、離れようとしない。
 第三者に、ここに踏みとどまれと、この部屋を離れることを『拒まれて』いた。

「こんな芸当、あんたにしかできないよな?」
「えらい生意気な口聞くようになったなあ、一応上司やぞ、こちとら。……まあええわ、あんま敬われんのも好きちゃうからのう」
「それで、今回は何の用だよ」
「ああ、今知君が話しとったやろ、その事についてや」

 昔そいつに施した教育の話しとった頃には着いとってんけどなあ。わざわざ部屋の外で黙っといたんやから感謝せえよと、入室してきた彼は言う。
 蛇のように真っ赤な舌を口の隙間から覗かせる、人を化かす狐のような糸目。顔は若々しいと言うのに、その頭髪だけは歴戦の猛者として真っ白になっていた。世の中では英雄とされている、現存する中で最古の守護神アクセス成功者、琴割 月光。知君を作り出したその人である。
 元々、知君筆頭に第7班の三人には話が合ったから、二人が揃って見舞いに来るタイミングで自分も向かおうとしたらしい。王子がいるとより一層都合が良かったようだが、癇癪を起こして席を外していると聞き、難儀な話だと肩を落とした。
 唐突に現れたその様子に酷く驚いた知君は、声を焦りで揺らしながら白髪の男に問いかけた。

「話して……よかったん、ですか?」
「こんな事にまで巻き込んだしのう。特に洋介からは守護神まで奪い取ってもうたし、しゃあないやろ」

 これまでずっと、この話は他人にするなと言い含められてきた彼だ。むしろ、言ったら殺すと言外に伝えられているような絶対的な命令と受け止めてきた。世界的に、守護神の能力を戦争やテロに悪用しないようにと平和の代行者を担っている琴割である。試験管の中で人間を作り上げたこと、その遺伝子を意図的に改変したこと。それだけでも倫理的に問題があると言うのに、秘密裏にELEVENの契約者を作り出し、私兵としてフェアリーテイルとの戦いに投じてきたのだ。それを知られる訳には行かない。
 自分で制定させた、ELEVENは自分の判断で能力を多用してはならないとの国際条約。知君に戸籍も無く、そのナンバーが世間的に割れていないからとその力を好き勝手使ってきたと知られたら、その信用は地に落ちる。情報の漏洩をジャンヌダルクの力で防いでいても、アメリカの大統領がELEVENである以上、いつまでも出し抜いてはいられない。彼が本気で調べようと、部下のサクセスストーリーを紡いでしまえば、分の悪い情報は知君や琴割のあずかり知らぬところから漏れていくだろう。

「それに、ほんまに聞かせる気が無かったら、こいつらが聞くのを拒むように働きかけとるからな、必要以上にびくびくすんな」

 はらはらとしながら、気が気じゃないと言わんがばかりに部屋中の人の顔色を慮る少年に嘆息混じりに琴割は苦笑を浮かべた。彼の心の中には、わずかばかり自責の念が渦巻いていた。彼がこう思うようになってしまったのも、全て自分の伝えてきたこと、教えてきたことが原因になっているのは火を見るよりも明らかなのだから。

「それより総監、私達は赤ずきんの元へ向かわなくてもよいのですか?」
「ああ、えーっと……お前は奏白の妹か」
「はい。それより、早くお答えください」

 赤ずきんは放置する訳にはいかない。もう既に、守護神ジャックをされてしまった数名の人間が生命力の枯渇による衰弱死を引き起こしている。そしてその膨大な力は全て、街の破壊と殺戮とに用いられていた。
 被害総額は億を超え、犠牲者は死者だけで千を上回った。一刻も早く駆け付けねば、また秒針が進むごとに被害は増えるだろう。それゆえ神経を憔悴でくすぶらせ、線香花火のようにゆっくりとすり減らした彼女から、火花が弾けるようにして質問が口を付いて出たらしい。

「勿論最終的には向かってもらう。じゃあ太陽、お前弟連れて先行しとる1班や2班に追いついてくれ。多分奏白の方が先に着くやろけど、奏白には少し話がある」
「分かりました。……しかしお言葉ですが、奏白だけでも先に向かわせた方が良いかと」

 話ならば、妹の側に伝えておけば後から奏白にも伝わる。それならば先に、すぐに現地に駆けつけられる音也だけでも向かわせるべきだと太陽は主張した。
 当然、彼の中には打算的な思い、後輩ながらも自分以上の実力者である彼に縋ろうとする思いは間違いなく存在していた。かつて自分は、能力をほとんど用いていない桃太郎にさえ軽くあしらわれてしまった。今ならあのような失態は二度と起こさない自信はあるがそれでも、赤ずきんから王子を守り切るだけの自信が、兄である太陽には無かった。
 自分は最悪、戦場で死ぬ覚悟はできている。しかし、弟を失う覚悟はまだできていなかった。そのため、大切な末弟を失わないようにと太陽は、先に奏白にも駆け付けてもらえないかと、藁をも掴む思いで請願した。

「というより、今はまだ誰も着いてないんだろ? やっぱり俺が行くべきだと思います」
「いや、一人既に向かっとるし、もうそろそろ着く頃やろ。……ただ、そいつが足止めしてるとはいえ増援は必要じゃろうな」
「一人って……赤ずきん相手にそんなの無謀です、早くその人だけでも、引き返させてあげて下さい!」
「安心せい知君。勝つまではいかへんやろけどそう簡単に殺されるようなタマちゃうぞ、あいつらは」
「あいつ、“ら”……? もしかして」

 一人しか向かっていないと言っていたのに、今度はあいつらと、複数人を示唆するような言葉を用いた。確かに彼女たちならば、赤ずきんの足止めくらいならば容易だろう。もしかするとそのまま赤ずきんにまで打ち勝ってしまうかもしれない。
 何せ契約している彼は、日本一の剣士なのだから。


◇◆◇

 逃げる細い胴に向かって、弾丸を撃ち放したはずだった。炸裂する火薬、焦げ臭い硝煙がまた頭巾に染み込んだかと思うと、鼓膜を殴りつけるような銃声が轟く。瞬きするほどの刹那の後に、背を向けて遠ざかろうとする白髪交じりの通行人の身体を貫通する、そのはずだったのに。
 銃声を後から追うように、金属同士が高速で擦れる甲高い悲鳴。名残惜しそうな残響と共に消えてゆく、火花と同時にチュンと鳴く鉛の弾丸。金属製の小鳥が囀ったのかと、耳を疑った。しかし、狙撃したはずの一般人が無傷で走り続けている様子から、猟銃による発砲が防がれたのは幻でなく、目の前で起こった現実だと赤ずきんも受け入れた。
 それ以外の者は全て此方から遠ざかろうと躍起になっているというのに、突如飛来した『彼女』にはその様子はなく、むしろ立ち向かうために来たのだと言わんがばかりに堂々としている。その手に握りしめているのは、一本の刀。白銀の刃を支える峰は黒光りし、直線のようで僅かに弧を描いたシルエット。この国で古くから用いられ、一時は権力の象徴とも言えた一振りの剣。日本刀である。
 袖の無いシャツにホットパンツという、涼し気で開放的な服装に似つかわしくない長物。その製鉄技術は切腹や打ち首に用いる刀と同じ製法で作られているため、かしこまった空気を醸し出すのもそれは当然のことと言えた。
 身に纏う面積の小さな衣類からは、彼女の肢体が隠れることなくほぼ全てが顔を見せていた。黄色人種らしい顔立ちだと言うのに、その肌は焼き立てのパンのような小麦色に染まっている。虎が獲物を見つけた時のような鋭い眼光が、赤ずきんを射抜いた。
 整った顔立ちに、冷静な瞳。銃をも切り捨てたその反応に速度、精密性。たった一つの動作だけで只者では無いのだと雄弁に物語っていた。刀を見るに、銃弾と衝突したであろう刃の腹一点から小さく煙が上がっている。これで宙を高速で走る、小さな弾丸を両断したのはもはや疑う余地も無いだろう。
 有象無象、大して強くも無い捜査官に取り囲まれたことは何度もあるが、その度に蹴散らして逃げおおせてきた。時として、相手を殲滅することもあった。しかし一度、音の能力を用いる能力者とぶつかったことがある。地上に現れてから、数日と言った時期だった。
 何とか隙を突くことができたものの、あの時がこれまでの最大の窮地であった。最初にジャックした人間の生命力を奪い過ぎて、能力が使えなくなりかけていたためだ。そんな時に、それまでで最も強い捜査官などと対峙したため、あの時ばかりは負けるものだと自分でも恐れてしまった。
 その者と同じだけのオーラが、目の前の女からは感じられた。よく日に焼けた褐色の肌からは、それだけ彼女が太陽の下で活動していることを示している。群れの力で襲う他の捜査官とも、圧倒的な実力だけで押しつぶしてくる実力者とも異なる。
 赤ずきんは、先日シンデレラと出会った際にある剣士に関することを聞かされていた。一人敵陣営についたフェアリーテイルがいる、と。人魚姫が向こうにいるとは以前から聞いていたが、それ以外で敵対するのは初めてだった。
 誰であるのか聞き出してみると、本来はこちら側の駒であり、敵を討つために向かっていたはずだったと言うではないか。裏切り者の存在に、舌打ちをしたのは覚えている。まさかよりによって自分が、その背信者と相対する日がこようとは思っていなかったが。
 そんな事などつゆほども知らない女性。細くしなやかな手足をリラックスさせるその様子から、彼女が修羅場をいくつも越えていると判断できた。体は幾分も硬直していそうにない。獣のような虎視眈々と、付け入る油断を窺う様な眼光が冷たく光っていた、ばかりだというのに。


 不意にその張り詰めた表情が緩んだ。


 険しかったはずの表情はどこへやら、気が付けばその頬は緩み切っていた。破顔し、少女のようなあどけない笑みを浮かべた彼女が満面の笑みを浮かべて見せたのは、まるで大輪の花火が弾けたようであった。
 リラックスしていなるのではなく、緊張感がまるでないだけ。虎のようだと思っていた瞳は、実のところ移り気な猫のようなものである。そう判断し、認識を改めるのにそう多くの時間を要しなかった。呆気にとられた直後、もはや呆れかえったフェアリーテイルを尻目に、空気の読めない褐色の少女は明るい声を轟かせた。

「ちぃーーーーっす! どうもぉ! クーニャンでぇーーーーっす!」

 一瞬でも、この女がかなりの切れ者なのではないかと考えた自分が馬鹿だったと、赤ずきんはクーニャンと名乗った彼女に向ける目を白くした。図体だけやけに大人びているが、頭の中身は自分よりもずっと子供臭い。
 乳臭い、十歳にも満たない男の子とよく似た腕白度合いだ。

「いやぁ、今日これからはヤバい奴と戦っていくんですけどもぉ、増援は誰一人来ませんでした。なぁにがいけなかったんでしょうねえー!」
「急に何なんすか、あんた」
「ありゃま知らなんだか、何かな、昔動画サイトで広告収入得るのが流行ったらしくてな、当時の面白そーな動画見てたらその内の一人が、んな事言ってたんだよなー」
「いや、知らねっすよ。人間の趣味なんて」
「そっすね、あんた守護神だもんなっすね。しゃあねーわっすね」
「……茶化さないで欲しいっす」

 あんま自分の真似されるの好きじゃないんすよね。そう言いつつ、立ち塞がるクーニャンを手で指し示した。その指示を理解したのか、首肯することも無く背後の猟師は、その照準を今度は少女の方に合わせて見せた。

「おっ、やる気かい、イカガール?」
「目ぇ腐ってんすか、どっからどう見てもあたしはイカじゃなくてアカっすよ」
「つれねーなー、流行りのゲームのキャラなのに」
「だから人間の趣味なんて」
「知らねっすよー、ってか?」

 天真爛漫に振る舞うクーニャンの姿に、次第にフラストレーションが溜まっていく。眉を吊り上げ、眉間には皺を寄せた。への字にした口からは、明確な不機嫌が溢れ出ている。

「もういいっす」
「どしたよ、怖い顔して」
「とっととぶち殺してその口永遠に閉ざしてやるっす」
「短気だけど嫌いじゃねーぜ、そう言うの。オラ、わくわくすっぞ?」
「ワクワクするのはあんたの勝手。ただ、減らず口はしまいっす。……猟師さん」

 声をかけると同時に、後ろの髭面の男が照星越しにクーニャンを見つめた。銃口を彼女の身体のど真ん中に向けて、指先に力を込めていく。先ほどと比べて、威力を高めた強力な一射。刀ごと撃ち砕いてみせるという強い意志と共に、険のある声で少女は発砲の合図を下した。

「発射(ファイア)!」

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