複雑・ファジー小説

守護神アクセス
日時: 2019/04/17 23:31
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM  (dami-dayo@docomo.ne.jp

2019/2/26
久方ぶりに更新しました。
大体一か月も間が空いていたのですね。
ここ最近ずっと忙しかったので書けませんでした。
投げ出すつもりは今のところないので今後もよろしくお願いします。



___


異能バトルはいいぞ(黙れ)

この名前、見たことがあるあなたはきっと昔からいるお方。まあ知り合いや読者は少なかったのですがね!
違う名前を使うようになったのですが、ゴリゴリとドンパチするような異能ファンタジー書くので、形から入るために名前を戻しました。

以下目次です。

▽メインストーリー
 File1:知君 泰良 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
 File2:王子 光葉 >>9 >>10 >>11 >>12-13 >>14
 File3:奏白 真凜 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>24 >>25 >>26
 File4:セイラ   >>27 >>28 >>29 >>30 >>31
 File5:奏白 音也 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36-37 >>38
 File6:クーニャン >>39 >>40 >>41 >>42-43
 File7:交差する軌跡  >>44 >>45-46 >>47-48 >>49
 File8:例えこの身が朽ちようと    >>50-51 >>52 >>53 >>54 >>55-56 >>57 >>58
 File9:それは僕が生まれた理由(前編)    >>59 >>60-61 >>63-64
 File0:ネロルキウス  >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>72 >>73 >>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81
 File9:それは僕が生まれた理由(後編パート) >>82
 File10:共に歩むという事   >>83 >>84 >>85 >>86 >>87 >>88 >>89 >>90-92 >>93-95 >>96-97 >>98 >>99
 FILE11:人魚姫は水面に消ゆる夢を見るか >>100 >>101 >>102-103 >>104 >>105 >>106 >>107 >>108-109 >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>118-119 >>121 >>122 >>123 >>124-125 >>126-127 >>128-129 >>130-131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 >>138

▽寄り道
 春が訪れて >>23
 白銀の鳥  >>70-71
 クリスマス >>120

▽用語集
 >>8 File1分
 >>15 File2分
 >>62 File8まで諸々。それと、他作品とクロスオーバーしたイラストを頂いたのでそちらのURLも

▽ゲスト
 日向様(>>7にイラストをくれました、感謝。What A Traitor!作者)




気軽にコメントとかもらえたら嬉しいです。
僕も私も異能アクション書いてるの!って子は宣伝目的で来てくれても構いません(参考にする気しかない)

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Re: 守護神アクセス ( No.134 )
日時: 2019/03/13 18:14
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM


 窮地に陥ったはずなのに、かぐや姫は身じろぎ一つしようとはしなかった。顔色の変化を観察しようと思っても、不可能だ。なぜなら彼女は兎の面でその素顔を隠していたのだから。作中の人物とはいえ、平安時代の貴婦人ともなれば、唯一懇意にしていた帝以外にその素顔を見せたくはないということなのだろう。
 十二単がそよぐことも無い。雲一つ飛ばぬ空には、ただ月が座しているのみ。そよ風すら感じられぬ静かな夜に、真っ青なお月さまだけが大地を照らしている。日本史の教科書や便覧で目にするような、腰よりさらに下まで伸ばした黒髪が、規則正しく真っすぐに背後へと伸びていた。地面につきそうになったところで、念力のようなもので重力に逆らい、宙を漂うようになっている。
 王子達の降参を促す声に従おうかと思案しているのだろうか。その沈黙が無意味ではないとだけは分かる彼らは、不意の行動に乱されぬよう周囲に気を配ることだけは忘れなかった。
 じりじりと、沈黙が這いより、精神の蝋燭を燃やしていく。熱砂が踏み入れた足を焦がすように、強く、絡めとるかのごとく。
 こういった荒事になれていない王子がしびれを切らしたのも仕方の無い事だ。それを咎める者もいなかった。なぜなら、彼がそうしなければ膠着したまま、また無為に時間が過ぎたのだろうから。

「おい、聞いてんのかよお前」
「聞こえておるわ。千年生きておるから童が耄碌しておるとでも思うたか」

 それまで出会ったフェアリーテイル達とは、纏う雰囲気を異にする声であった。毒蛇に噛み付かれたように、一瞬竦んだ手足の自由が失ったように感じられた。当然、その瞬間かぐや姫の方は何も能力など仕掛けていなかったというのに。
 フェアリーテイルと言えば、人々の幻想をそのまま絵画にしたような見目麗しい姿で現れる。シンデレラ、白雪姫、人魚姫などを見ればよく分かることだ。その声も、玉のような声、鈴が鳴るような音色、小鳥の囀るような澄んだ声、そのように表現できる。
 おそらくかぐや姫が美しいということも否定できないであろう。その声も凛と澄んだものだったと言える。だが、その喉から発せられた言葉を耳にした身として、王子にはそれらが同一のものだとは決して言えなかった。
 それも当然かと、苦笑いを漏らす。多くの姫様は、赤ずきんもそうだが、ヒロインとして誰かに助けてもらう話ではないか。それは魔女であったり王子であったり、時には猟師や木こりではあるが、護られる身であることに変わりない。
 かぐや姫は、多くの男を弄ぶ身だった。地上の人々であれば、貴族でさえ下に見るような月から来た民の一員だった。庇護欲を掻き立てる愛らしい声など必要ない。高圧的で揺らぐことの無い支配者の声。いずれ異世界の王となることを科せられた彼女に必要なのは、覇道を歩むための貫禄こそ求められる。
 ただし、それ以上に滲み出ているのは蛇のような悪女の気配。音も無く忍び寄ったその長細い体に、全身を締め付けられる悪寒。あるはずもない圧迫感に、手足が囚われる。心根の優しい人間、あるいは小悪党程度としか接したことの無い一介の少年、王子 光葉が、彼女の身に纏う空気だけで気圧されるのも無理のない話だった。

「あんまビビんなよ、ぷりんすが要だかんな」
「分かってる……」

 呼びかけたクーニャンも、初めは刃を交える敵であった。彼にとってはあの時以上に、死を身近に感じたことはない。赤ずきんから奏白たちが撤退しようとしている時も、怪我や最悪の事態などは覚悟していたつもりだった。
 しかしあの時は共に、向き合う相手は烈火の如き衝動に衝き動かされていたというのに、対照的に月の姫は、冷気の如き殺意を孕んでいた。人に仇なすという一点においては何ら変わりないというのに、そのための手段には天と地ほどの差がある。
 ただ己の精神さえ焦がし尽くすような破壊願望を得たフェアリーテイル達とは違う。ドルフコーストの能力を直に受けた彼女は、その過程さえもこだわるらしい。本来心根の真っ直ぐな者たちが、我を失って身近な者に刃を向ける。その際に狂気を突き付けられた被害者の顔を見て、愉悦を感じるのが彼女だった。

「てかビビる理由も今更ない……よな?」
「あん? 偉く慎重じゃねーか。あたしと戦う時は痴話喧嘩した後突っ込んできたくせに」
「もう、あの時と同じじゃないってだけだ」

 二の足を踏んでいると考えられなくもないが、猪突猛進しなくなった事実は素直によい兆候だった。相手がまだ奥の手を隠していた時、足元を掬われる確率が下がる。
 今のところ気配はどこにもありはしないが、灰被りに背後から刺される様な可能性もある。勝てると思ったその時に、向こう見ずで突っ込まずに一拍考える猶予を得たのは成長に他ならない。

「でも今回は善は急げ、だと思う。だよなセイラ?」

 月を見ないように気をつけながら、相棒の守護神に問いかける。その通りだとセイラは前向きな言葉を肯定した。こうしている間にも、心身を麻痺させる群青の月光が降り注いでいる。守護神アクセスをしている間はまだ余裕があるとはいえ、次第に体が動かなくなっていく可能性が否定できない。あるいは、唐突にアクセスが中断された時が危険だ。
 生身の人間が例の月光を身に受けてしまえば、たちどころに膝から崩れ落ちてしまう。現に長い間前線を維持していた一部の捜査官は、もう既に身動きの取れない状態に陥っていた。phoneを再び手に取り、ボタンを押すだけの力さえ湧いてこないほどに。

「……降伏するつもりはない、ってことでいいか、かぐや姫」

 当然だと肯ずるため、兎の面が縦に揺れた。なら仕方ないと、王子も顔つきを変える。

「体張るのはあたしの役目のつもりだけど」
「いや、むしろ後ろ頼む。かぐや姫自体は言う程強くないんだろ?」
「そかそか。確かにそうだわ。ちゃんと考えてんだな」
「頭回すぐらいは流石に勝たせろ」

 軽口は終わりだと行動で伝える。崩れた石畳の礫たちに足をとられて捻らないよう、慎重に歩を進める。駆け足になった彼の背後にぴったりつくように少女も後を追った。
 しかし、無防備を良しとするほど愚かな将ではない。途端に、空気そのものが罅割れるような小気味よい破砕音が響いた。ぞわりと、クーニャンの首筋に鳥肌が立つ。振り返ればすぐ傍に、氷の矢が飛んできていた。
 だが、まだ甘い。即座に抜刀し、峰を返して斬るのではなく打ち砕いた。その矢を射たであろう女性捜査官を凝視する。先ほどまで操られていないと判断していたライダースーツを纏った女性だった。

「不意打ちのために隠れてたか? ならもっとギリギリまで気配は消せよ」
「違う」

 異変を感じた王子は足を止める。その背にクーニャンの背が重なり、それと同時に彼女も足を止めた。背中合わせのまま、耳打ちをするような小声で、彼女の思い付きを正した。

「だとしたら、さっき俺たちが歌で解放した時に一緒に正気に戻ってる。あれはきっと、その後に能力受けてる」
「……だとしたら変だぜ、今までちゃんと月見ねーようにしてたんだろ」
「それにあの人……多分結構な実力者だ。今更下手打つとは俺には思えない」
「じゃ、何だろうな」
「まだ何か隠し持ってるんじゃないか。想定外の一矢を当てるための何かを」
「真凜のお姉さまみたいにか」

 手段は分からないがその通りだと、王子は頷く。迂闊に近づけば、今度は自分が同じ目に遭うのではないかと警戒せざるを得ない。あともう少しだというのに、すんでのところで立ち往生してしまう。一応はクーニャンがまだ陥落していない以上、誰が操られても対処は間に合う。
 けれども、脚の止まった王子の背を、彼女は肘で小突いた。今は立ち止まる場面では無いと、身振りで伝える。

「あいつらに時間与える方が駄目だ。攻めの手立てがある敵に時間与えるのは郵便貯金ってやつだろ?」
「それは郵貯だろ。悠長って言いたいのは分かるけど、ボケてる場面じゃねえぞ」
「わり、素で知らんかった」
「そういやお前日本語まだ不得意なのか。全然そんな気しないけど」
「いいから、何度も言わせんな。はよ行け」

 思い切りその背を突き飛ばし、次々と増えていくかぐや姫の傀儡の前に立ち塞がる。身体の自由を奪われている捜査官も多く、敵として立ち塞がる人数はそれほど多くないが、骨が折れそうなことは否定できない。
 かぐや姫を倒さない限り、これが延々と続くと思えば、早いところ王子を送り出すべきだと言えた。勇み足は危険だが、臆病者になることを受け入れてはならないのだから。
 彼女の判断は正しかった。付け加えるとすれば、彼女の直感も大したものだった。しかし、判断の早い遅いに関わらず、護衛のいるいないに関わらず、その後の策を防ぐ手立てはなかった。
 操られている捜査官の能力により、追撃が二人に降り注ぐ。一つとして撃ち漏らしてなるものかと、それら全てを斬り伏せていく。王子には前だけを向かせねばならない。であれば、彼を追うように迫る脅威だけは通さない。報酬は無いとはいえ、そのように支持された以上、それを果たすのは当然の矜持だ。
 逃げようともしないかぐや姫は、もう後数歩で手が届くというところに迫っていた。視野は焦らず、低い所を見たまま保つ。自分が洗脳を受けてしまわないように。
 盤石、そのはずだった。周囲に水が存在しない以上、人魚姫の能力はその歌声による回復や味方を強化する類の能力しかない。今できる最善を彼らは尽くした。策に嵌まることがないようにと、出来得る限りの注意を払った。
 だが、それでも。一歩先んじる敵がいるのは避けられない。
 十二単の袖口を口元の辺りにあてがったかぐや姫は、小さく体を揺らした。王子の角度からは見えなかったものの、セイラはその様子を捉えた。
 すぐに分かった。その動作に意味などはないのだ、と。仮面をつけている以上、そんなことせずとも彼女の表情など誰も知り得ない。けれども、咄嗟にそうしてしまったのだろう。漏れ出そうな笑みを隠すために。
 どこから、何をしてくるのか。分からない彼女は全方位を見回す。彼女は理解していた。赤い月の光は守護神に対し、蒼い月の光は人間に対してのみ効果があると。
 きらきらと、星のようにまたたく何かが蠢いているのをセイラの目は捉えた。それが何であるのかは、先ほど何気なくクーニャンが口にしていた言葉で察することができた。真凜のように、想定外の奇襲をしかけるような手立てがあるのだと。
 かぐや姫の術中に陥る引き金は、月そのものを見ることではない。輝く月の姿を目にすることだ。それは直接である必要は無い。
 鏡に映った月を目にする、それだけで充分だと言える。
 あれはメルリヌスの、エネルギーを反射する板と同じ原理だ。しかしそれは、ただの鏡であればよい。水面に映る月でさえ、かぐや姫の司る武器として用いることができるという話なのだから。
 どういった理屈でそういった能力を獲得したのか。そんなもの彼女には分からない。理由などないとも思えた。今この瞬間において肝要なのは、至る角度からあらゆる者を支配下におけるという事実だけだ。
 王子の視線の行く先など、大体想定通りなのだろう。よく観察すれば、鏡だと思えるような宙に浮く断片がいくつも見える。反射角の都合でまだ王子の目に月が入っていないだけだ。
 次第にその鏡の欠片の数が増えていくことさえ見て取れる。だが、今更王子に指示を出したところで間に合うとは思えなかった。目を閉じろと伝えても、鏡があると伝えても、その意図を理解するより先に、洗脳を受けることだろう。
 洗脳とも限らない。幻覚を見せられ、夢の世界に捕らえられる可能性もある。そうなれば、人間の胆力であれば脱出は困難だ。特に王子は、幸せな甘い幻想から逃げ出そうとするだけの精神は無いだろう。これまでの日々で逆境に慣れ過ぎたせいか、王子は幸福な夢を自ら壊すことができない。
 結局のところ、頭で理解して行動する事などセイラにすらできなかった。それは最善の策を考えるよりも先に、身体が動いていたのだから仕方ない。目の前で大切な恩人が傷つけられようとしているのに、どうして黙って見てられるだろうか。どうして、指を咥えて見ていられるだろうか。
 セイラは自分一人の意志で守護神アクセスを無理に中断した。そうしてしまえば、今度は王子が金縛りにあってしまう可能性を失念していた。しかし、それでも、彼がかぐや姫の手先と成り果ててしまうのをひどく恐れた。
 実際、彼の精神が囚われれば、もはや勝機は全て断たれる。そう思えば、彼女の行動は決して悪手ではなかった。まだ次に繋がるだけ、幾分か妥当な道筋。
 唐突にアクセスは途切れ、王子の傍にセイラは飛びだした。何事かと動揺する王子だったが、不意に体勢が崩れるのを感じた。次第に遠ざかっていく人魚姫の姿が目に入ると、そのまま彼は目を丸くした。
 肩から倒れ込んだ彼は、彼女に突き飛ばされた現実を知る。動揺で揺れる彼の意識を叩き起こすように、セイラの声がこだました。

「鏡に映った月も見ちゃ駄目です、気を付けて!」
「これセイラ、種明かしとは行儀が悪いとは思わんか」

 ハッとした時にはもう遅い。彼女を包囲するように、全方位に鏡の断片が浮遊していた。目を閉じるよりも先に、真紅の月と目が合う。

「お主は自力で瘴気を払える……それは聞いている。ならば童自身の能力で捕えようぞ」

 目を見開いた彼女の黄金の瞳は、フェアリーテイルと成り果てたかのように、月と同じ色に染まった。かと思えば、夜空に昇る月だけは、またしても人間へ作用する青い月へと戻っていく。しかし、人魚姫の双眸に浮かんだ二つの満月だけは、血のように赤いままだった。

「まあ喜ぶがいいさ、セイラ。お主が夢だと気づくまで、王子様との幸せな日々でも見せてやろう」

 そう言い放った彼女は、兎の仮面の下で、嗜虐的な笑みを浮かべていた。

Re: 守護神アクセス ( No.135 )
日時: 2019/03/28 22:31
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM


「おいお前、セイラに何しやがった!」

 次第に力が抜けていくことなど歯牙にもかけず、王子が吐き出したのは怒りだけだった。しかしそんな強い語気を向けられても、全く意に介していない。もはや王子とて籠の中の鳥。精一杯の威嚇も強がりとしか思えない。

「なるほどな、鏡に映った月もダメか。それで向こうの連中は不意打ち喰らったんだな」

 冷静さを保っていたのは流石としか言いようがない。人魚姫が何らかの精神干渉を受け、意識を失ったというのに、何一つ揺らぐことなくクーニャンは大地を蹴った。人魚姫の無力化に成功し、もう人間側の陣営にかぐや姫の能力を解除する手段は無くなった。これ以上の追撃など必要なく、生身の人間に成り下がった王子への能力行使も遮られた。
 どこから相手のしかけた罠にかかるか分かったものではない。自分さえも洗脳されてしまう可能性を恐れ、彼女は思い切って目を閉じた。目を閉じる寸前に把握した視界の情報と物音、気配から一気にかぐや姫を取り押さえようという算段だ。流石にリスキーすぎたため今の今まで踏ん切りはつかなかったが、目を閉じてしまえば術中にはまる可能性はゼロとなる。
 脚力に天と地ほどの差があるため、距離を詰めている間に逃げられるようなこともない。衣の擦れる音、隠しようもないだろう存在感。おそらくは元凶であるフェアリーテイルがいるだろう方向に向けて、白刃をいざ振り抜かんとする。

「じゃが桃太郎とその眷属よ、ちと暴れすぎたのではあるまいか」

 しかし掌の中から、握りしめた刀の感覚は消え失せた。見えない力に押し出されるように、桃太郎が体から飛び出て転がり落ちる。最悪のタイミングで、守護神アクセスは許容時間を超えて接続が中断された。
 無理も無い。そもそも、輸送車の護衛からずっと接続したまま、王子達のところまで駆け付け、リセットする間もなくこちらに戻って来たのだから。心身を削りながらも一時間近く続けていられただけ化け物じみているというものだ。

「何もこのタイミングでそんな……」
「いいから女! もう一度儂の手を取れ!」
「つってもこの青い光やべえぞ、もう腕あがんねーぐらい力抜けてる」
「なら儂の方から行くしか……」
「させんよ」

 迫りくる弾丸を、咄嗟に桃太郎は刀の鞘で受け止めた。銃かと思えばそうではない。先ほどから何度も氷の槍を飛ばしている捜査官が、今度は小さな弾丸を高速で撃ち出しているだけのことだ。見れば、次々と飛来する氷刃は、降り注ぐ雹のように留まるところを知らない。
 契約者がいる以上、フェアリーガーデンの守護神とはいえ、彼はもうこちらの世界で能力を使えない。とはいえそもそも身体能力に優れた守護神であるため、持ち前の動体視力と俊敏性でそれらは撃ち落とせる。ただ問題があるとすれば、クーニャンの隣まで進み、手を取るだけの余裕が無い事だ。

「あいつらまで……」
「王子と言ったな。なるほど、セイラのためとしか思えぬ名をしておる」

 脅威は全て排除した。先ほどまで悠々としていた彼女も、ようやく重い腰を上げて王子の真正面までやってきた。跪き、這いつくばる姿を見て、無様な虫のようだと鼻を鳴らす。気分はどうだと尋ねられたが、王子の口から飛び出したのは先ほどと同じく、「セイラに何をした」との問いだった。

「ああ、もう一度フェアリーテイルにするもよしと思ったがな。お前と再接続して能力で自発的に癒されては意味が無い。じゃから童の幻覚に捕らえる能力で、夢を見続けてもらうことにした」

 永遠になと、冷たい声で補足する。守護神達に死の概念は無い。それは外傷にしても、病にしても、老いにしても同じことだ。それゆえ夢から覚めない限り、人魚姫は未来永劫かぐや姫の作り出した偽りの世界に囚われ続ける。

「あれは不憫な娘だ。喜びを知らん。幸福を知らん。しかし、気丈に、他者のための慈愛を抱え続けている」
「お前が勝手に不憫って決めんじゃねえよ」
「そう憤るな。同情したのは確かに礼を失したかもしれんがな。童とてそんなセイラには報われて欲しいと思うておる」
「白々しい」

 忌々しげに王子は吐き捨てた。それならば、実のともなわない夢の中に閉じ込めるのではなく、一刻も早くこんな悪夢を終わらせ、親友であるシンデレラを解放させてやるべきだ。人を傷つけるのみならず、人が傷つけられているのを傍観しているだけで気分を害してしまう彼女だ、この一連の事件の中で、何度傷ついてきたかなど、想像もできない。
 その全ての元凶であるかぐや姫が、今更セイラのために甘い幻想を見せてやっているだなどと口にしても、一笑のもとに吐き捨てることしかできない。

「セイラは、こんなこと望んでおらぬと?」
「当たり前だろ」
「それは真か? 実際にその方は問いただしたのか? 今が幸せなのかと、後悔は、かつて憧れた白馬の王子様に未練はないのかと」
「……ある訳ねえだろ」

 僅かばかりの沈黙。その無言の刹那に、かぐや姫は王子の中の苛立ちを見た。ヒリヒリと、次第に正気が擦り切れていく緊張感が、その声音には浮かんでいる。そうとも、望んでいるのはこれに他ならない。次第にその怒りが王子の判断力を焦がしつつある様子を見て、一層彼女はその表情を仮面の下で歪めた。
 最早敵となる者もいない。高らかな笑みを月夜にこだまさせ、セイラとは不釣り合いなその男を嘲った。そうとも、王子 光葉、お前にそんな覚悟などありはしないだろうと。既にざわざわと波打つ水面に、一際強い波紋を生み出す。ゆらゆらと、次第に波は高くなる。次第に、容器から感情が溢れていくようにと。

「お前にとってはセイラが全てだ。あの娘が他の誰かになびいたとすればお前の英雄譚などすぐに幕引きじゃ。否、始まってすらおらぬやもしれぬ。お前という男はセイラにとって『求めずとも勝手に求めてくれる存在』に過ぎん。己が求め続け、唯一胸を張れた長所である声を捨ててまでも叶わなかったかつての想い人と比べれば、その価値など無きに等しい。言うなれば路傍の石と天に浮かぶ月ほどの違いじゃろうて」

 次第に王子の額に青筋が浮かんでいく。深い皺が眉間に刻まれていく。ああ、堪らない。人が、心が壊れていく瞬間というものが、彼女にとって心地よくて仕方ない。いつからそう思うようになったことだろうか。初めて目にした、誰かの心が踏みにじられる瞬間は、あんなにも胸が苦しかったというのに、いつの頃からかそれが心地よいと、それが当然であると考えるようになってしまった。
 単純に自分は我儘なのだろうなと自覚している。そう、彼女は我慢ができなかった。自分一人が誰かに決められたレールを走らされているというのに、貴賤を問わず地上の人々は自由を得ていることが。私の辿り着く終着駅は、虚無か不幸しかないというのに、彼らには幸福を掴む権利が、機会が与えられている。
 この世は不平等だともいえるし、平等だとも言えた。彼女は平安の世に暮らしていた時分、充分幸せな生活を過ごしていた。だから、今、そして将来何も喜びなど無くても受け入れなくてはならない。生きとし生けるもの、経験する幸福と不幸の決算は等しくなるものだという統計。それに則れば、幸福の絶頂などとうに過ぎ去った彼女はもう、生を楽しむ事などできない。永遠に死ぬこともできないというのに。
 だから、愉快そうに笑う連中が煩わしい。その裏で退屈にしている者がいることに気づこうともせず、我が物顔で人生を謳歌している姿が。
 だから彼女は、ドルフコーストの能力にかかり、理性を失った瞬間に決めたのだ。どうせ救われることが無いというなら、万人にこの虚しさをくれてやろうと。泰平の世など討ち崩してみせようと。遠い未来、会えるかもしれないという一縷の望みにかけて不死の薬を託した帝は、その薬を富士山の頂上で焼き払ってしまった。育ての親とて、きっと彼女を怨んだまま冥土へ旅立ったことだろう。
 もう、何も残されていない。現世に対し、未練など何も残っていなかった。ならば、壊すしかない。
 フェアリーテイルは精神を蝕む破壊衝動に囚われた際、純粋な幻想であるがゆえに、純粋に街を破壊し、人々を手にかける。しかし、湾曲した怨嗟をその胸で千年煮詰めたかぐや姫はその限りではない。それは言うなれば破滅衝動なのだろうか。彼女は、ただ破壊するだけに愉悦を感じることはできなかった。
 その胸に渦巻く蛇蝎の如き毒を孕んだ感情は復讐と呼ぶべき代物だ。彼女は、誰かが絶望しきった表情をその目に収めなければ気が済まない。公立だけを求めるなら、この瞬間王子を殺してしまうべきなのだろう。しかし、そのような決着を彼女はよしとしなかった。敗北の悔しさなど生ぬるい。理解しあったと信じていた、想いあったと期待していた、人魚姫に裏切られた王子の顔を見るまで、その生を終わらせるわけにはいかない。
 だからこそかぐや姫は人々の動きを封じることにした。かつて、竹取の翁の屋敷にて、帝の兵達を足止めしたのと同じ、身体から力を奪い取る青い月光。それは幾星霜経とうとも色あせることなく、猛者たちの手足をその空間に縫い付ける。
 人魚姫に悪夢を見せるのも一興かと思えたが、僅かに同情が働いた。同郷のよしみである同情、それに付け加えるとしたら同じだけの嗜虐心だろうか。ここで人魚姫を苦しめても悪くない満足を得られるだろう。しかしそんな事をしても王子 光葉は絶望しない。怒りを湛えるのみだ。
 夢見がちで、青臭い、そんな若い獅子の奮い立つ心を、闇より暗い悲しみで塗りつぶしてしまえたなら。きっと、きっと自分さえ満足できることだろう。これ以上ない程に。ならば、セイラにはとびきり甘い夢を見せよう。そして絶望しきった王子を殺してから、目覚めさせてやろう。
 その時、セイラはどう思うだろうか。どうして甘い夢から覚めさせたのかと激怒するだろうか。それとも、自分のせいで傷心したまま救いなく没した番の男の死にすすり泣くだろうか。ああ、堪らない。これからの悲劇を思い浮かべる程、彼女の心臓は高揚した。それに呼応するように、炎のように燃え盛る紅蓮の瞳は一層その光を強くする。

「さて、その方にも見せてやろう。セイラが、童の作り出した泡沫の幻想に囚われた姿を」
「何が目的だよ」
「なぁに、冥土の土産に、せめて伴侶の願いが果たされる姿でも見せてやろうかと思うてな」
「そうかよ。日本で一番古いだけあって、性の悪さもピカイチだな」
「そう言うな。これもお主らが言う赤い瘴気の影響かもしれんぞ」

 先ほど、不意打ちで月光を反射させるために利用していた鏡の断片をかき集め、規則正しく並べてスクリーンを宙に作り出した。目の前の景色を映し出すだけの鏡だったというのに、まるでテレビのようにここではないどこかの情景を映し出した。
 それはどこかの絵本の挿絵に表される様な、静かな海岸線だった。広い砂浜が続いており、波が寄せては返している。白い泡を巻き込んで押しては返す波が、時折宝石のような貝殻を運んでくる。
 浜辺のずっと向こうには、切り立った崖が見えた。崖の少し手前には、大きな大きな、天を衝くような棟が三本並んでいるような姿が特徴的な、西洋風の城が聳えていた。
 まるでドラマのワンシーンのようだった。そこには、絶世の美男美女が一組、向かい合って並び立っていた。紫と白を基調にしたドレスをまとった女性は、輝く黄金の瞳の中心に、向かい合った男性の姿を映していた。ウェーブのかかった翡翠色の髪の毛が、風に煽られて鼻先や首筋に引っかかっている。それを指先でどうにか払いのけながら、照れくさそうに頬を赤らめて、微笑みを浮かべていた。
 彼女は紛れもなく人間だった。ドレスの裾からは、絹のような白い肌の、二本足が覗いていた。魚の尾びれなどでは決してない。だが、小さく溢した笑い声が、涼やかに染み入る風鈴のような響きを持っていたことから確信した。
 あれはセイラだ。そう、瞬時に自覚したと同時に、胸を鷲の鉤爪で掴まれたような、痛みと息苦しさを同時に覚えた。胸を裂くような喪失感と、絶えず締め付けてくる切なさと。彼女の表情には、目の前に立つ白馬の王子と見つめることへの遠慮が混じったような好意が浮かんでいた。少し及び腰の、憧れの入り混じった恋慕の情。
 鏡が映し出した景色の角度からは、王子様の姿はちゃんと見られなかった。セイラの瞳に映る小さなシルエットなども、当然判別できるはずも無い。顔も見えないその男に、間違いなく王子は嫉妬していた。
 ようやく、意図を理解した。こうやって俺の心を追い込んでいくのが狙いなのかと。恨みがましい瞳でかぐや姫を睨みつける。

「そう睨むな。見るのが心苦しくなれば目を逸らしてもよいぞ。何、その時は童直々に、この手でその方を縊り殺してくれようぞ」

 死にたくなければ辛い光景から目を逸らすな、そういうことなのだろう。ここで死ぬ訳にもいかない以上王子は、渋々視線をセイラ達の方へと戻した。
 こんな表情、見せてもらったことはないなと、漠然と感じた。あるいは、自分がこんな表情を引き出せたこともないという事実を痛感した。
 口から吸いこんだ夜風が、あまりに冷たくて。彼はそのまま凍えてしまいそうな程に思えた。

Re: 守護神アクセス ( No.136 )
日時: 2019/04/04 14:00
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM

 霧の中に私が溶けていく。気を確かに持たなければと強がる自分の頑なな意志さえも、波に拐われてしまう。
 あの人の顔はどうだったろうか。そもそも、あの人とは誰だったろうか。手の温もりが薄らいでいくにつれて、その記憶も朧気になる。必死に思い出そうとすればするほど、靄の向こうへと消えていく
 私を救い出してくれたあの人は、私の夢を叶えてくれたあの人は、一体、どんな人だったっけ。そもそも、私は一体誰だったっけ。
 どうしてこんなにもふわふわしているのだろう。ここは何処だろう、今はいつなんだろう。暖かいと思えば暖かいような、涼しいと言えば涼しさを感じるような、不思議な感覚。ふわふわと浮かび上がっているようで、ゆっくりと下降しているような。そして、意識が朦朧としていく中で、明確に目覚めが近づいている自覚。
 ああ、そうか。重力を感じている中で、柔らかな塊に身を委ねているこの感覚。上等なベッドに寝ているという事実を思い出した。春の温かな木漏れ日が、涼しい風と共に窓から入り込んでくる。
 ああ、今日もいい天気だ。私はまだ、自分が何者か思い出せていないことなど忘れて、気分良く目覚めると同時に、立ち上がった。太陽はまだ、それほど高くない。むしろ東の稜線に近い所にいるだろうか。
 立ち上がり、部屋着から外向きの洋服へ袖を通す間、強い違和感がいくつか過った。服とはどう脱ぐのだっけ、着るのだっけ。まるでこれまで、衣服の脱ぎ着など知らなかった幼子のように、どう着替えるのか頭では理解しているのに、素人みたいに体が上手く動かない。
 さらさらと肌に吸い付くような上質な布は肌に心地いい、はずなのに。なぜだか全身に纏わりつく布地の質感が新鮮だった。毎日ちゃんと着替えている筈なのに。私は、ほんのちょっぴり自分のことを思い出した。
 もう一つ、より一層強い違和感を覚えたのは足腰だろうか。しかしこれは、本当に漠然とした足元のおぼつかなさに依るものだった。なぜだか、それこそ赤子のような気分で、二本足で立つことが不自然で不慣れなもののように感じた。足に怪我や病でも患っているのだろうか。着替えを終え、ベッドに腰かけ、スカートの裾から覗いたふくらはぎをさすってみた。身に纏う衣服と同じような肌触り。むくんでいるようにも思えず、捻挫して足首を腫らしているようなこともない。病的に細くもなく、健康的な肢体であるように思えた。手前味噌だけれども。
 きっと、気のせいだ。長い事眠っていたせいなのだろう。そしてようやく、自分という存在の不安定さを思い出した。そう言えば、ここは何処で、私は何をしていたのだろうか。起きたら着替えるものだという常識に従って、ただ何となく衣類を変えてはみたものの、これで本当に正しかったのだろうか。
 そして、此処にいる私は一体どういった身分なのだろう。ベッドも、衣も、部屋の早朝も鏡台も、何もかもが高級な調度品であるような一室。よほど裕福な家柄か、王族やそれに連なる貴族にしか住み得ぬような空間。お姫様、そっと呟いたその響きが何となく耳に引っかかる。姫、姫、姫。何となくその言葉に聞き覚えがある。
 何かの御姫様、だった。そう直感したはいいが、ずきりと胸が疼いた。どうにもそれは、私には相応しくないみたいで。暗雲が、立ち込め始める。こんなにも穏やかな景色に包み込まれているのに、私の胸の内は次第に暗い気持ちが間欠泉のごとく湧き出てきた。
 頭が割れてしまいそうなほどの鈍痛。誰かが蓋をした記憶が、無理やり飛び出そうとしているような激しい痛みに、顔を顰めずにいられなかった。頭蓋骨の中央で、棘つきの鉄球が跳ね回っているみたいだ。今にも、中から破裂してしまいそうだと苦悶の声を漏らすほどに。
 やっぱり、何かおかしいんだ。隠蔽されたヴェールを剥ぎ、何らかの真相に辿り着かねばならない。他ならぬ、私のためにも。鏡台の中の私に向き合う。そこに居るのは紛れもなく、私が私であると認知している者に他ならなかった。翡翠色のウェーブがかった長い髪に、黄金を思い起こすような瞳。あまり日向に出ないせいか肌は白く、食も細めなために線の細い体をしている。
 ただ、何かが違うと叫んでいる。耳元がやけに寂しい。ピアスの穴は開いていないが、何か装飾品が欠けているような気がする。
 さらなる違和感の露呈に、私は困惑を浮かべ、一層強い頭痛に苛まされた。これは、一体なんだと言うのだろうか。想像を絶する痛みから、逃げてしまいたかった。何かが違う、けれども何が違うか分からないことが怖くて、知りたいと願うのに、こんなに辛いならば逃げたくなってしまう。
 逃げてしまえばいい。弱い自分が囁いた。そんな辛いのに、立ち向かう必要があるのかと、安寧の方へ向かうように甘言で手招きしている。けれども、逃げ腰の私に対し、首を横に振った。駄目だ、どれだけ辛くて苦しくても、自分が楽をするためだけに逃げてはいけない。それが私の信条であるはずだから。
 ずっと浸かっていたいと願ってしまう、蜂蜜のお風呂のような甘くて絡みつくような夢でもない限り、足踏みなんてしていられない。生きとし生けるものは皆、苦難を乗り越えて強くなるものだから。苦難を乗り越えた先にようやく、安住の幸せを手に入れるのだから。
 きっとここは、私にとっての安住の地なのだろう。けれども、其処に至るまでの道のりをまるで覚えていない。私が歩んできた道のりを示した地図が、記憶が、記憶からぽっかりと抜け落ちている。
 もしかしたらそれを思い出そうとする過程は、それほど難しくないのかもしれない。この部屋の扉を開けて、廊下を進み、出会った女中に話を聞くだけで解決するかもしれない。記憶が朧げな今が夢で、目を覚ますだけということもあり得るだろうか。
 ただ一つ言えることがあるとしたら、頭の中で反響し続ける痛みを言い訳に、この狭い世界から飛び出そうともせずにじっとはしていられない。それだけだ。慣れない二足歩行で、ふらつきながら、ゆっくりと出入口の扉に向かう。
 この外には、一体どんな世界が広がっているのだろうか。ドアノブに、いざ手をかけようとしたその時だった。
 まだ扉に触れてもいないのに、木製のドアが一人でに開いた。

「ああ、もう起きていたんだね」

 えっ、と驚く暇もないまま、私と目を合わせるや否や、現れた彼は相好を崩し、おはようとだけ投げかけてきた。つられて私も、オウムみたいにその言葉を返した。呆気にとられたその顔が随分と可笑しかったようで、そんなに驚いてどうしたのかと笑みを漏らしながら訪ねてきた。
 私の瞳と対を成すような、白銀の髪に、海のように深い群青の瞳。整った中性的な顔立ちだというのに、真顔になった時の凛々しい空気と、剣を振るうために引き締まった腕は、とても男らしい。声も少し女性寄りなところがあって、ハスキーなものだけれど、声変わり前の少年を思い起こさせるような、親しみやすさを感じるような声だった。
 彼が笑って、真顔になって、首を傾げて。手をちょっと持ち上げたり、手持ち無沙汰に頬を掻いたりしているのを見ているだけなのに。いつしか、頭の痛みなんて消し飛んでしまっていた。
 私を困らせていた痛みは、棘つきの鉄球というよりむしろ、氷の刃のようなものだったのだろう。身体を動かす炉心となる心臓が、彼のちょっとした振舞いに反応する度に強く動き出す。血流は早くなり、身体の奥底から次第に沸騰していくように思えた。気が付けば、腹の底から足の先、頭のてっぺんまで、全部茹ってしまうほどに。
 ぐつぐつと煮え滾った頭の中で、もうほとんど思考なんてできるはずもない。ああ、だけれども私は失った私の欠片を一つ取り戻した。私は、ずっと前からこの人を知っていた。ずっとずっと遠くで笑っているこの人の横顔を、何百回何千回と目にした記憶がある。
 早鐘は、そのまま胸を突き破って飛び出してきそうにも思えた。このあまりに五月蠅い鼓動が、目の前の彼に聞こえてしまいそうなのが、ひどく恥ずかしかった。聞こえないでいてと願うほど、意識するほど、より一層その拍動は強くなる。その鼓動を響かせる。
 今、手が触れる距離に立っているその人のせいで、いつしか私はこの世界と自分自身への違和感なんて、忘れ去っていた。

「……大丈夫かい、セイラ? 具合が悪いのなら医師や薬師を呼ぶけれど」

 できるだけ落ち着いていようとしているようだけれど、彼は焦燥をその声に滲ませていた。少しばかり顔が強張っているように見えるのは、心配のせいだろう。何も体に異変は無いと、大げさな身振りを添えて伝える。熱があるのではないかと、まだ訝しんでいるようだが、きっと体温は普通であるはずだ。熱を孕んでいるとしたら、私の心だけだ。荒波のように激しい情動が、今も脈打っている。
 セイラ。それが私の名前。歌が得意な半人半魚の神話の幻獣、セイレーンのようだなと感じた。
 この人の名前は、なんというのだろう。そんな問いが思い浮かんでは、すぐさま泡のように弾けて消えてしまった。名前なんて、どうだっていいじゃないか。
 この人は、私がずっと昔から想い焦がれていた、王子様に他ならないのだから。
 私の調子が別段悪くないと理解してくれた彼は、湖畔に向かおうと提案した。今朝から彼の愛馬も元気を持て余して仕方が無いらしい。喜んでと頷いた私は、ただ彼に手を引かれるまま絨毯の敷かれた廊下を進んでいく。
 繋いだ右手の体温が、自分と同じぐらいに熱を孕んでいた。手を繋ぎ、その体温が伝わってくるという些細なことが、何故だか特別な出来事に感じられた。
 ただやはり、どことなく私の身体が覚えている体温と比べると、齟齬がある。一体、何が違うと言うのだろうか。そもそも、どうして手を握っているだけで幸せだなんて感じたのだろうか。

 ああ、やっぱり、何も思い出せそうにない。


 けれどもまあ、それでいいか。



 だってこんなにも、幸せなのだから。

Re: 守護神アクセス ( No.137 )
日時: 2019/04/11 00:05
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM


 その白馬は、嫉妬するぐらいに美しい毛並みをしていた。雄々しく力強い体を持っているというのに、その雪のような肌はどんな美女の肌よりも綺麗だった。俗世から隔離された教会で、敬虔な神父たちに育てられた、純潔な聖女を思い起こすほどに。大地を力強く駆けることもできる牡馬だというのに、誰よりも美人だなんて、なんて贅沢な生まれなのだろう。
 彼がまだ年端もいかない頃に、この城の厩(うまや)で生まれたとの事だ。生まれたばかりの赤ん坊だった頃から、彼がこの仔の世話をしてきたのだ。だからだろうか、彼は自分の兄弟に向けるような眼差しを、その仔に注いでいる。恋慕などを超えた、長い歳月を共にしたが故に生まれる愛情。それを向けられている白馬が恨めしく、ちょっとばかりお腹の底で悪い虫のようなものが疼いた。
 このままじゃ乗りにくいだろうと、昇降台とすることを目的に作られたであろう段差の方へとエスコートされた。乗りやすい高さから、丁寧な彼の介護のおかげで、危なげなくその背に跨ることができた。彼はと言えば、事も無くひょいと飛び移るように私の前へと座った。
 ひょいと軽く飛び乗った際に、泉のせせらぎのように瞬く銀髪が踊った。しっかり捕まっていてねとの注意が、耳に入ってすぐにすり抜けてしまうぐらいに、軽く放心していた。どこまで、私はこの人に夢中なのだろう。
 また、身体の芯から熱くなった気がしたけれど、昇りつつある太陽の日差しが強くなったせいにした。

「大丈夫? そのままだと振り落とされるよ」

 別段急かすような言い方でもなく、苛立っている様子もなかった。ただ、気遣いという言葉を意図するまでもなく、当然の事柄として息つく様に自然と配慮してくれる。そう、それだけ。生まれた時から特別な人だというのに、自分以外の誰かに心から優しくできる人。それが彼だ。
 慌てて彼の腰に手を回す。別段暴れたりはしないだろうけれど、こんな大きな馬が大地を蹴るのだ。普通に走られただけで振り落とされてしまうに違いない。地面を転がる姿を想像すると、ゾッとしない気分になったため、できる限り強く抱き留める。ぴたりと身体を重ねるようにしたが、今は怖さが恥ずかしさに勝っているから仕方ない。

「そこまでがちがちにならなくても大丈夫だよ、ゆっくり走るから」

 彼もまた、あまり照れくささなどは感じていないようだ。そう言えば、さっき顔を合わせたところからずっと、彼は爽やかな笑みを絶やさず、飄々としている。もう少し、見惚れたり頬を赤らめてくれてもいいものを。私一人当惑を浮かべているのが不平等に思えて、狡いと胸中に呟いた。

「今日もよろしく頼むよ、ユニ」

 そう言ってユニの、つまりは弟のような白馬の頭を優しく撫でていた。咄嗟に、また言葉がこぼれる。
 狡い。
 今度は口からも飛び出しそうになった。
 それほど激しくは走らせないと言っていたのは本当のようで、確かに彼の腰に回した両手を軽く握っていれば落ちる気配などなかった。それでもやはり、上下や前後に揺れを感じるため、彼に掴まっていなければ、すぐさま草花が生い茂る地面に口づけをしてしまうことだろう。
 お城は、小高い丘の上に建っていた。てっぺんの屋根が尖っている、槍のような形。灰色のレンガで構成されており、その頂上だけが真っ赤な素材でできていた。城門を潜ると、緩やかな下り坂が顔を見せる。整備されたその街道以外は、全てが深緑の絨毯で包まれていた。
 無造作に馬を走らせては、その自然のカーペットを蹄で巻き上げて荒らしてしまうと配慮してか、大昔の王様がこの街道を整備したらしい。
 そして大地は、東西南北それぞれに違った表情を見せていた。北に目をやれば、頭に雪の帽子を被った鉱山が聳えている。東から南にかけて広く森林が広がっているようだが、方位によって生えている植物がそれぞれ違うらしく、その葉の色の変化が、虹のような美しいグラデーションを織り成していた。西に目を向ければ、どこまでも続くような広大な青だけが横たわっている。
 綺麗な湖だった。とても、とても広い。海と見紛えるほどに大きい。この湖はずっと西の方で実際に海と繋がっているらしく、水質が少し塩分を帯びているのだとか。そのためこちらの方では塩に強い植物しか育たないのだとか。真水、つまりは雨水がろ過された地下水のようなものが必要ならば、むしろ東の森へ向かって泉を探すべきだと彼は言う。汽水湖と言うんだ。英才教育を受けてきた彼が、知って当然という顔でそう教えてくれた。
 広い海には人魚が住むというのだから、もしかしたらここに迷い込む子もいるのかもしれないね。半分振り返って、横顔の貴方がそう嘯いた。所詮そんなもの伝承の中だけの存在だ。けれども、この空気を和ませて、会話を弾ませるためにそんな事を言ってくれたのだろう。

「会えたらそれは、さぞかし素敵なことでしょうね」
「どうかな。そうでもないと僕は思うよ」

 縁起が良さそうなのに、どうしてだろうか。怪訝に思っていると、彼が妙な雰囲気になったことを感じ取ったのか、幼い少年が言い訳するように弁明した。

「他の女性と出会いたいだなんて、滅多な事を口にしたくなかっただけだよ」

 なるほど、私のためだったのか。得心がいった私はどことなく恥ずかしくなって顔を俯かせた、つもりだった。そう、それは、きっと口説き文句に聞こえるような言葉であるはずだから、喜びと恥じらいとで目も合わせられなくなるはずだろうに。
 なぜだか、ざらざらとした粗いやすりで胸の内をかき回される気配がした。言い伝えの上では絶世の美女だと語られている人魚より、自分を優先してもらえたはずなのに。なぜだか、締め付けられるような疎外感があった。身体は熱くもなくて、むしろ寒々しく思えた程だった。
 私以外の誰かに、目を奪われてほしいと願ったとでもいうのか。そんな訳が無い。私を見て欲しいという願いは、遠い昔から想い続けていることだ。何年、何十年、何百年と時を超えて、変わることがない悲願であったはずだ。
 いや、それは可笑しい。何百年も、何十年もあり得ない。そしたら私は、白雪姫の魔女のような、しわくちゃのお婆さんにでもなっていないといけない。それなのに、どうして悠久の時を渡って今に至ったような達成感を得ているのだろうか。
 記憶はまだ、全てを取り戻せそうにない。しかし頭にでもなく、身体にでもなく、魂にその記憶は刻まれていた。私は、何百年という月日を、貴方を見つめるだけで過ごし続けたという事実を。
 一体、どうしてそんな事。訳が分からなかった。彼が何百年も生き続けているなんて、そんな事あり得ない。だって彼は紛れもなく人間なのだ。まだあどけなさの残る彼は、当然齢二十にも至らない青年だろう。百年も眺めていただなんて、そんな訳無い。不老不死じゃあるまいし。
 湖畔を駆け抜ける最中、私はその、彼の瞳と同じ色をした水面を眺めた。深い、深い海を思い起こすようで、それなのに底に手が届きそうな程透き通っている。その心根に画すべきものなど無いのだと、清廉潔白を主張するように。
 私は、同じように潔白でいられるだろうか。そう言えば、記憶が朧気だと打ち明けられないままここに来てしまった。けれども、そんなもの歯牙にかけるようなことでもないように思えた。要約してしまえば、そんなもの簡単で、好きな人と、寄り添えている。それに尽きる。これ以上適切な表現が無いのだから、甘んじて受け入れるべきだ。
 彼は一国の王子様で、私は彼に見初められた。それはきっと、間違いじゃないのだろう。その出自も、何もかもをきっと彼は受け入れた後だ。私自身がわざわざ思い出す必要も無い。名前はセイラ、それはもう聞いた。だから、それさえ知っていれば構わない。
 湖畔を歩き、遠くの森を眺め、山脈に想いを馳せる。それだけで、幸福の歯車は回り続ける。滞ることも齟齬が生じることも、錆び付くことも無い。そしてその幸福は、私一人だけのものではないのだろう。
 湖を見つめ続ける。ふと、鏡のような水面に映った、自分自身と目が合った。それは鏡面の私と真正面からぶつかりあったというより、水の向こう側に潜んでいる私が、こちらを恨めしそうに観察しているように思えた。
 またしても、鋭い痛みが、脳裏に。それと同時に強い不快感が背筋を駆け抜けた。警戒する犬のごとく、私は体を小さく揺らした。寒いと勘違いしたのか、彼は身体のことを気にかけてくれた。痛みを何とか押し殺し、作り笑顔で何でもないわと告げる。しかし、途端に心配一辺倒の顔色に変わってしまった彼はというと、何かあった時にすぐに戻れるようにと城下町の方へ戻ろうという。
 自分のせいで予定を変えさせてしまい、申し訳なさで胸がいっぱいになったけれども、何事も無く彼はまた、気遣いを投げかける。セイラが元気ならそれでいい。そう、まただ。この人は、そうあるべきだと心酔しているように、誰かに優しくできる。罪悪感をいつしか私の方から感じてしまう程だけれども、きっとそれさえ彼は望まないのだろう。
 こんな人と、一緒にいられるだなんて、私は果報者だ。強く強く、そう思う。けれど、どうしてだろうか。とてもその配慮がむず痒い。私という欠片がしっくりと収まる器が、ここではないと本能が呼びかけている。またしても、強い違和感。頭を砕くような痛みは、また勢いを増していた。それを誤魔化すためにより一層強く、引き締まったその背を強く寄せた。
 その時だった、湖の傍に立つ、一見の小さな小屋が目に入ったのは。それは、丸太でできた、質素ながらも整った家屋だった。中には、お年寄りの男性が一人と、うら若い女性がいるようだった。行ってきますと伝えた彼女が飛び出してくる。買い物かごを持っているようで、彼女もこれから城下町へと向かうようだ。
 私達は馬で来ているけれども、決して徒歩で行けない距離ではない。きっとこの景色が好きなんだろうなと、城下と比べあまりに立地が悪い此処に住む彼らの胸中を想像してみた。もしくは、ここで何らかの仕事を生業としているのかもしれない。
 家の扉に向かってあんなにも明るい笑顔をしていたというのに、振り返って正面を向いた彼女の表情は途端に崩れた。私達、いや、彼の顔を見て同時に、表情を曇らせた。驚きが一瞬だけ強く覗いたものの、それ以上に哀しみをたたえていた。表情は硬直し、音も無く籠から手を離してしまう。
 それなのに、愛馬のユニへ指示を出している彼はというと、その女性のことなど目に入っていない。知人、なのだろうか。いや、きっと違うだろう。彼と彼女が知人だとすれば、過去に何らかの確執があるような態度を示している。とすれば、おそらく、もしかしたらなのだけれど、彼女はこの人を離れたところから慕っていたのだろう。恋をしていたのだろう。けれども、叶わなかった。
 頭痛はまたしても、融けるように消えていた。その代わり、何故だか私の胸の内には、風穴が開いたようなそら寒さだけがあった。何も無い虚空のように思われる胸の内、心臓だけがずきりと痛んだ。手の温もりが、砂時計の砂のように零れ落ちていく。次第に、ゆっくりと、何かを失ってしまったせいで。
 申し訳なさを感じている訳では無かった。ここでそんな事を想いもしようものなら、あらゆる人に失礼というものだ。
 けれど、どうしてだろうか。悲しむその顔から、目が離せない。彼女のことが、他人ごとに思えなくて胸が苦しい。
 彼女と会ったことなど決してないはずなのに。なぜだか、私はこんな事を感じていた。

 あんなに、笑顔が素敵な女性なのに、どうしてあんなに辛そうなんだろう。

 彼女の素性を知ろうにも、誰に尋ねたものか、当然私にも、分からなかった。

Re: 守護神アクセス ( No.138 )
日時: 2019/04/17 23:31
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM


 彼と別れ、自室に戻り、独りを感じると同時に、また想う。おかしい。たった四文字だけの些細な一言。しかし、その端的な言葉が、じわりじわりとにじり寄って来る。ただにじり寄るだけではなくて、羽虫のように大勢群れを成して、羽音を立てるでなくその足で這いあがってくるように。
 ぞわりぞわりと、鳥肌が次第に体表を埋める。違う、違う、違う。ここは本当に私が居るべき場所なのだろうか。ここに居るだけで、落ち着かないこの体が、心臓が、私は此処に相応しくないと告げている。帰るべき人は別にいると叫んでいる。
 私の立つ場所が、ここにないと直感している。それなのに、私は自分のことさえ思い出せない。ただ一つ確かなのは、私が幸せなことだけだ。彼の顔を見ると何も考えられなくなるだけだ。それは、まるで魔法のようだ。彼の仕草を、笑みを、ただ傍らで見守りたい、それ以外に何も考えられなくなる。しかしその求心力はむしろ、罠に近いと、こうして一人部屋に閉じこもっていると実感する。
 あれは理性を溶かす薬だ。精神の抑止を無力化して、目の前の甘露をただ享受するよう人を堕落させる。そう、頭では理解している。まるで誰かがそのような思考を頭の中に植え付けたような、足元から少しずつ昇って来る恐怖を自覚している。そのはずなのに、あの銀髪を目にすれば、もう何も考えられなくなる。
 そして何より否定できないのは、この恋心はおそらく本物だということだ。彼が誰なのか分からない上、関係性もおそらく王子と姫という立場であると自覚している。ゆくゆくはお妃となるかもしれない立場であると。だが、出会った経緯がはっきりとしない。本当に私があの人の恋人で正しいのか、自分で証明できない。それなのに、これだけは確信できる。あの人は私にとって、否定しようなく最愛の想い人だった。
 流石に、彼と目を合わせて他に何も考えられなくなるのは、何か悪い魔女の介入のようなものを疑う程ではあるが、あの人と向き合った際の緊張は、紛れもなく本物だ。その隣に立っているだけで誇らしく、愛おしさを感じるのも、誰かに与えられた偽りでもなく本心からのものだ。
 それなのに、どうして私の本能は、おかしいと呟くのか。違和感に苛まされるのか。今日、記憶が朧げになりつつ起きてから一日と経っていない。それなのに、私が奇妙に感じるものはいくつあっただろう。
 この部屋の中で感じたことだけで、数え切れない。城の外に踏み出してからも、幾度となく湧いた居心地の悪さ。そう、この世界はどことなく居心地が悪い。何故だか、湖畔だけが心の拠り所のように感じた。威嚇する猫のように、全身の毛穴が緊張している。
 何より、私が最も奇妙だと感じたのは湖畔に暮らす女性のことだった。彼女のことは、どこかで目にしたことがあるはずだ。それは間違いない。私は彼女を知っている。知っていなければならない。それなのに、その素性がとんと分からない。私自身のことさえ分かっていない自分に、他人のことを知っておけというのも無理な話かもしれないけれど、それでも彼女のことを説明できない自分が、偽物に思えてならない。
 どこで見たのだろうか。そしてどうして私は彼女を見て、『あんなに笑顔が似合う女性だったのに』だなどと、考えたのか。つまり私は、彼女が笑った姿を目にしたということになる。ずっと、こんなお城に暮らしているというのにだ。先ほど、王子様と別れてから女中の人と世間話をしてみたところ、私は隣国の、国力の乏しい平穏な土地の第三王女だったらしい。ふとした機会に彼と出会い、言葉を交わし、想い合うようになったのだとか。
 その話さえ、誰かが用意した筋書きのように思えた。いや、王族同士が催しで出会う事に違和感はない。それが自分の身に起こった出来事であるということが、到底受け入れられなかった。その背景が、私の身にしっくりと当てはまらなかった。
 訳が分からない。何も覚えていないせいだ。何も分からないのに、何が分からないかを探ろうとしているせいで、迷路の無い檻どころか、明かりの無い闇の中に閉じ込められている。正解不正解どころか、選択肢さえ与えられない。辿るべき道も無いまま、手探りのための壁も無いのに、真実へ至る糸を探し当てねばならない。
 不可能だ。だからこそ、とっかかりに選んだのが、あの女性だった。
 もう一つ、気がかりなことがある。私は『あの表情』を知っていた。白馬の上、前後に並んで湖のほとりを走る私達を見て、彼女が顔に浮かべたのは、祝福でも嫉妬でもなく、深い悲しみだった。沈んでしまえば、もう浮かび上がれずに、泡となって消えていくしかない感情。
 私の仮定が正しかった場合、かつて見た彼女は笑っていたはず。とすると、私にとって見たことある表情は笑顔しかないはずだ。希望に満ちた表情であるはずだ。それなのに、あの絶望しか滲んでいない悲哀の相に、既視感を感じた。どこかで見たことが必ずある。
 そしてそれは、彼女ではない赤の他人がとっていた姿ではなかったか。
 まただ。寝起きざまに、自分の状況が妙だと勘付いた時と同じく、頭が割れるような頭痛が走った。まるで、私が真相に気が付くのを妨げるような時期を狙いすまして訪れてくる。常人(つねひと)であれば、思考を放棄するかもしれない。考えても分からない。考え過ぎである。思い出してはいけない何かがある。そう、逃げ道を作って。
 だけれども、この違和感を不自然で塗りつぶしてなかったことのようにしようとする痛みには、何者かの作為を禁じ得ない。意図的に記憶に封が為されているようだ。なぜ、どうして自分にはそう気づけたのか。真相に気づかせないための小細工のせいで逆に察せた事実が矛盾しているように思えた。
 記憶を封じ込めた制御装置は、私には効果の無いものだとしたら。適用外の人間に同じ処置を施しているせいだとしたら。とすれば私は、一般的な人間とは言えない何者かである可能性が示唆される。

“もう、考えない方がいいのでなくて?”

 誰か、女の人が囁いた。その声は初め、自分の言葉のように思えた。そうとしか思えぬ空耳が聞こえてきた。しかし、それは決して現実ではないのだろう。私の心は今も、「間違っている」と叫んでいる。虚飾の世界を引き裂こうと、甘い罠に引きずり込まれそうな弱い私に楔を打っている。
 私の邪魔をするのは、誰?
 当然、誰も応えない。これだけ都合の悪い干渉を重ねているくせに、呼びかけても応答が無い様子には、やはり何者かの意図が隠されている。
 コツコツと、木を叩く軽い音。気づけば頭痛は止んでいた。その事実に胸騒ぎがした。飲まれないようにしなければ、そう想ったはずなのに。
 抵抗も、自覚も何もかも虚しくその覚悟を棒に振る。扉の向こうで声がした。と同時に警戒がさらさらと溶けていく。紅茶の中の角砂糖のように溶けていく。そして、甘い夢が脳裏に充満していく。

「起きているかい?」
「はい」

 やはり彼だ。先ほどまでの私が今の私を知れば、溜息をつくのだろうか。また私は、罠など考えられなくなってしまった。そんなこと全部どうでもよくなる。彼の隣にいられればいい。共に過ごせればいい。愛してもらえればいい。
 幸せならば、何でもいい。そうとしか思えない。
 堅い鉄格子などよりもずっと、蜜の絡みつく柔らかな拘束の方が余程怖い。逃げられない監獄より、逃げたくなくなる鳥籠の方が、ずっと捕らえるのに適している。

「帰り際、少しだけ顔が青かったけれど、疲れすぎてはいないか」
「いえ……いえ! そんなことありません」
「そうか。ならいいんだけど……。セイラは辛くてもそれを隠そうとするからな」

 そんな事、無いとは言い切れなかった。今感じているこの不安を彼に伝えることはきっとできないだろう。誰かを不安にさせることが、ひどく不得手なのだろうか。いや、きっとそんなことは無い。私はきっと、我儘を言い出せばきりがない。それを知っているから、自分を律している。それだけだ。
 だから今、この人に頼ろうとしないのは、彼と出会うとこの違和感を忘れる呪いにかかっているせいだ。否定的になってしまう兆しを、忘れてしまう約定のせいだ。何か私を在るべき姿に戻そうとする手掛かりが無ければ、幸せな風景しか目に入らなくなる。
 甘い夢を本物であると信じること以外、できなくなる。誰かが本来演じるはずだった役に身を落としている自覚を忘れてしまう。この人物像に相応しいのは自分では無いと知っているのに。成り代わってしまってもいいじゃないかと考えてしまう。
 でもどうして、私は自分が我儘だと知っているのに、その現実に抗おうとできるのだろうか。ただ溺れていればいいだけなのに、沈まないようにと抗おうと考えているのだろうか。浮かび上がったところで、魚と同じで、悲しみの波を超えたその先、希望に満ちた空の中では呼吸ができない、生きていけないのに。
 いけないことなのに。冷静な自分が囁いている。ここで身を退くべきだ。誰も幸せにならないじゃないか。幸せを逃す誰かの顔なんて、思い浮かばないのに力なくそう叫んでいる。だからこそ、感情的な私はそんなもう一人の自分に訴える。だったら、自分が不幸になっても構わないのかと。
 愛した人間との暮らしを棄てて、何を求めるのかと。ここを去れば、救いなんてあるはずがないのに。

「今夜は共に過ごそうかと思っていたけれど、やめておくよ。やはり、休むべきだと思う。今朝から少しおかしかったしね」
「すみません……迷惑かけて」
「迷惑なんて言わないでくれ」

 そうやって、当然のように求めた言葉を差し伸べてくれる。期待した通りの言葉を、この人はくれる。そんな人だから、きっと私は愛することができたのだろう。
 けれど、想う。私は、自分が期待もしなくなってしまった希望を差し伸べてくれる手が目の前に現れたら、どんな態度を取るんだろう。今と真逆の境遇、絶望の淵で嗚咽を漏らす私に、諦めてしまった光を見せてくれる人と、出会う人ができたらと。
 今扉を隔ててすぐ近くにいる彼は、きっと理想の、憧れの人間だ。誰からも愛され、慕われる人だ。でも、万人から愛されなくても、例えその声が世迷いごとでも、誰かに新しい希望を見せられる人が現れたとしたら。
 この王子様は、幸せな道程でしか出会うことができないけれど、真っ暗闇の悲劇の中にも手を伸ばしてくれる、そんな人がいたとしたら。
 当然、誰にでも優しい王子様と結ばれる方が幸せなのだろうと想う。何不自由なく舗装された道を歩めるだろう。だって彼は、妃を幸せにする方法を生まれながらに知っている、あるいは知らずとも実践できるのだから。
 けれど、泥臭く誰かを悦ばせる方法を模索しながら、苦労もするけれど、最後にはずっとずっと幸せにしてくれる人がいたとしたら。それはきっと、もっと素敵なことのように思える。晴れしかない人生よりも、雨が降ったり曇ったりする日々の方がずっと、晴れそのものを楽しむ事が出来る。
 薄々、勘付き始めた。きっと、そのせいだ。まだ彼が離れて以降ともしていないのに、冷静さを取り戻すことができたのは。



 ああ、辛いなあ。
 苦しい。
 寂しい。
 息が詰まってしまいそうで。
 声も枯れてしまいそうだ。
 薬効も切れて、ここに立つ足さえおぼつかなくなってくる。
 大切な宝物を、自分から投げ捨てる行為というのは、きっとどんな拷問より辛い事だろう。
 でも、私を閉じ込める檻の全貌はまだ見えていないから。
 だから、私は私を取り戻すために、一歩を踏み出さなくてはならない。
 本当の居場所に帰るため。
 私が今収まっている場所に本来居る人を帰してあげるため。

 私が誰かに優しくしようと思えるのは、泣いている人を見たくないからだ。
 笑っている誰かを見たいからだ。
 それで自分が死んでしまいたくなっても。
 私は、誰かの不幸なんて見たくはない。
 私みたいにならないで欲しいって、伝えるんだ。
 世界中の誰かに、誰しもに。
 いつか私だって、報われるって、信じて。
 だから。

「明日もう一度、あの湖に連れて行ってください」
「……駄目だ。君の身体に障る」
「問題ありません。今夜のうちに治します。それでも拒むならばこの足で向かいます。這ってでも向かいます。貴方が来るまで、いつまででも待ちます。貴方に、伝えることがあります」
「随分な決心だね。止めるのは簡単だけど、それなら仕方ない。行こうか。でも、別れ話はごめんだよ」
「……安心してください。貴方を幸せにするための、大事な話です」

 言葉を濁した。何だ、私も充分狡いじゃないか。
 でも、構わない。私が彼を救ってみせる。この身を犠牲にしたとしても、あるべき姿に戻して見せる。
 声が震えそうになる。方は、もうとっくに震えていた。溢れ出る熱い想いを滴らせながら、扉越しの想像だけは普段通りに保ってみせる。何のために与えられた声だというのか。誰かを励ますための声だろう。
 だからだろうか。私の心は、彼に届いた。

「嘘はついていないみたいだね。なら、楽しみにしているよ」

 ただ、身体だけは大事にするように。最後にそれだけを言い残し、足音が遠ざかっていく。

“ああ、馬鹿みたい。ハッピーエンドを自ら手放して”
“まだ取り返しは効くけれどね”

 また、誰かが私の声で囁いた。もしかしたら、自分の喉から漏れた声だったのかもしれない。ぐさりぐさりと、心無い杭が、胸を穿つ。零れた嗚咽が、喉に栓をして、息も出来ない。
 声を、外に漏らすな。泣いていると気づかれるな。枕に顔を押し付けた。私を捕らえた誰かに、こんな姿を見せてたまるものか。月にさえ、そんな姿を見られたくなくて、俯くより早くにカーテンは閉めていた。
 当然、知らなかった。それが正解だったなんて。
 そして眠れないまま、【幸せな私】が自殺する朝を迎えた。

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