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*3*
そしてついに来たその日。
教室は朝の9時からだったが、なにせ遠いもんだから、家を2時半に出た。凍え死ぬかと思った。それから確か4時前に出発の始発に乗り、品川駅で6時発の新幹線に乗った。
そしてギリギリにかの大学に到着。なんとそこで知ったのだが、私が一番遠距離から来た人らしい。さすがにムチャしすぎたかな、と笑った。
実験教室は楽しかった。
普段お目にかかれないような最新式の顕微鏡を使って細胞の観察をしたり、その観察結果をもとにグループに分かれて討論会をしたりした。討論が白熱すると、グループのメンバーの喋る関西弁が半分も分からなくなってしまった。なぜなら私以外、関西の出身だったのだ。
性格からして喋るのは苦手なのに、余計に喋れなくなってしまった。あーあ、こりゃ参ったなと、ぼーっとしていると、真向いに座っている男の子と目が合ってしまった。
失礼な話だけれど、その時初めてその男の子の存在に気が付いた。それくらい、彼は影が薄かった。討論にも加わっていなかった。
「あれ…何だっけ、ブ、何とか運動。」彼がぼそっと呟いた。
「ブラウン運動?」
そう、ほぼ反射的に答えると、彼は少々びっくりした様子だった。その様子からして、どうやらこの呟きは彼の独り言であったらしく、私に質問したわけではなかったらしい。
「それだ、ありがとう。」一テンポ遅れて、礼を言われる。
「いや、どういたしまして。」
会話はそれっきりだった。どうやらお互いに初対面でもベラベラ喋れるような性格では無いらしく、かといって大勢の輪に加われる能力も無いような人間であるみたいだった。そんなこんなで、私たち二人だけ討論の輪に入れないで、黙ってプリントを眺めていたりした。一体三万円近くかけて私はここに何をしに来たんだろう、と途中で虚無感に襲われたりした。
それからしばらくして、一日がかりの実験教室が終わった。途中、虚無ったりしたけどまぁ全体的にはけっこうためになったので良しとしよう。取りあえず、第一希望の大学は遠いけどここでいいや。
記念撮影をして、解散になった。けれどみんななかなか解散しない。もう二度と会うことは無い者同士なのに、何を惜しんでかメルアド交換なんかをしていた。もちろん私にはそんなことができる勇気も実行力も無い。ただぼーっとしていた。
外は雨が降っていた。傘はない。だって来るときには雨は降っていなかったから。
さらにここが駅からどういう位置にあるのかもよく分からない。初めてくる土地なので当たり前っちゃ当たり前のことなのだが。
帰りたいのだが、一人じゃ帰れない。
しかも、この雰囲気は私のような人間には少々キツイ。嗚呼、どうしよう……
絶望していると、さっきの彼がまた何かをぼそっと呟いていた。「雨がひどくなる前に帰りたいなぁ…」
京都弁の、ゆっくりした口調でそう言われると、本当に帰りたくなってきた。
「もう帰ってもいいと思うよ。この雰囲気帰りづらいけど。」
そう言うと、またまた少しびっくりされた。どうやらこれも独り言だったらしい。「君は?帰らんの?」
「帰りたいけど……私ここ地元じゃないからさ、道分からないんだ。だからみんなが帰るときに一緒に後ろに付いてって、駅までどうにか帰るつもりなんだ。」
「そっか。」そう言うと、彼が出口のドアに手を伸ばした。「それじゃ、さいなら。」
「あ、バイバイ。」言いながら、小さく手を振った。一人で帰れるということは、地元民なんだろうか。
彼の後姿を見送っていると、突然、彼は一歩踏み出したところでストップした。何やってんだコイツ、と思って見ていると、そのまま彼が首から上だけ動かして私の方を振り返った。
「そだ、じゃあ一緒に帰る?」
「え、いいの。ラッキー、じゃあお言葉に甘えて。」
そうして、ワイワイ盛り上がっている他のみんなを残して、おそらくお互いに根暗な私たちは、二人で先に帰ることにした。