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沙界集/砂漠の彼女
作者: ryuka ◆wtjNtxaTX2  (総ページ数: 12ページ)
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10~

*6*


「羅生門。その後」




 冬。
 羅生門には、雪が降っていた。

 そこに一人、どういう訳だが男がやって来た。
 男は中年で、雪の深く積もった道とも言えぬ道の中を、一生懸命に進んでいた。膝から下は、ずっと雪に接していたせいか、じんじんと痺れて、熱い。

 「疲れたな……」
 京の街は、一面、見渡す限り死んだような白色に染まっていた。あまりにも静かすぎる都は、耳を澄ませばしんしんと、雪の積もる音が聞こえるくらいだ。

 ふぅ、と思わず溜め息が出る。どうやらこの国の都は、もう無くなってしまったらしい。

 天を仰ぐと、分厚い雲が視界の限り空を覆っていた。白、というよりは灰色に傾いた、どこまでも人を憂鬱にさせる色だ。

 腹が減った。取りあえず、いつまでも雪に当たっているのは莫迦らしいので、屋根の下に入ることにした。羅生門は噂に聞いた以上に傾いていたが、どうにか雪だけは防いでくれそうだった。
 門の下、屋根のある部分は雪が積もっていなくて、石段が顔を見せていた。数えると三段見えたが、本当はもっと段数が多いのかもしれない。

 雪をかき分けて、石段の一番上まで登る。どっこらしょ、と腰を下ろすと、体の関節という関節が音を立てた。気分転換に首を回してみると、ゴキゴキと肩の凝った音がする。まあ、ずっと休まずに歩いて来たのだから、無理もないか。

 一息ついて、腹が減っていたことを思い出した。懐から干し肉と焼き餅を少し出して、できるだけよく噛んで食べた。なんの味もしなかったが、少しは腹の虫が落ち着いたようだった。



 すると、背後、建物の奥の方から男の声がした。


 「おい、お前」
 ひどく、痰の絡んだ声であった。

 振り向けば、紺の襖に、なんだかよく分からない灰色のぼろを上半身に羽織った男が、建物の柱にもたれ掛るようにして座っていた。よく顔を見れば、まだ青年と呼べるくらいの若い男であったが、土気色の肌と羽織っている灰色のぼろが、この人物をひと回りもふた回りも老けさせていた。


 「それを、よこせ」
 ゲホッゲホッ、と男は痰が混じった咳をした。

 「これをか? その喉ではきついぞ」

 そう言いながらも、干し肉を千切って男の方に投げてやると、男はギョロリと目を剥き、たいそう驚いた顔をした後に、肉にかぶりついた。 が、うまく顎が回らないらしく、やっと、噛むことができたと思えば、また痰混じりの咳をして、口元から肉をぼろぼろとこぼしてしまっていた。……よほど、弱っているらしい。

 それから、男の苦しそうな咳がずっと続いた。

 しばらくして、咳がやっとおさまったかと思えば、今度はヒューヒューと喉がおかしな音を鳴らす。それをどうにか収めようとして、男が無理矢理に深呼吸をすれば、またその弾みでゲホゲホと、咳が止まらなくなっていた。

 「おい、大丈夫か」
 あまりにも男の様子が苦しそうだったので、男のいる建物の奥の方へと足を踏み込んだ。
 羅生門の中は、想像していたよりも暗く、妙な異臭もした。建物の湿気た、かびの臭いとは別に、鼻を刺すような、不愉快な臭いである。

 暗闇に目が慣れてくると、だんだんと周りの様子がはっきりと見えてきた。建物を支える大きな柱は全部で八本あったが、その八本の柱すべてに、顔までぼろに包まった人が、柱にもたれ掛るようにしてぐったりと、座っていた。柱だけではない、壁にも、地面にもぼろの塊がある。しかし誰も、動いたり声をあげたりせずに、黙って座っている。……華の京も、ここまでさびれてしまったのか。

 ふと、男の方を見ると、先程までの咳は収まっていたが、全身をぶるぶると尋常じゃないくらいに震わせていた。けれど、右手にはしっかりと干し肉の欠片を握ったままだ。

 「少し聞きたい。この柱に寄りかかっている者達は、皆寝ているのか?」

 すると男は、へへへ、と下品な笑いを漏らした。

 「馬鹿、死んでおるわ」

 ……この、妙な臭いは、そこから来ていたのか。一瞬、全身を粟立てるような鳥肌が立ったが、すぐに気を取り直す。

 「では、どうしておぬしはここにおるのだ。見れば咳もひどい。まだ若いのだから、きちんと直そうとすれば風邪はすぐに治る」

 「動けないからだよ。見ろよ、足はこんなんでさ、」
 言いながら男は襖の裾を少し上げた。細く、褐色の悪い棒のような足で、脛の中ほどから、つま先にかけての肌の色が真っ黒になっていた。

 「もうすぐ俺もコイツらの仲間入りよ。あんたも数日ともたないぜ」



 「……ここで、死ぬ気か」
 知らず、声が震えていた。

 「死ぬ気はない。ないが、そうなってしまうだろうよ」


 そう言うと、男はまたゲホゲホと咳き込んだ。何か意味の解らないことをぶつぶつと呻きながら、男は肩口あたりから、ぼろを頭の上まで引っ張って、そのまますっぽりと頭からつま先まで灰色のぼろの中にうずまってしまった。

 「そうか。邪魔いたした。退散する」

 これ以上、この男とこの場所で話していると頭がおかしくなりそうだった。建物の中、そこかしこに散らばるのボロの塊ひとつひとつの中、虫のさなぎのように人間の死体があることを想像すると、吐き気がした。


 ? あんたも数日ともたないぜ ?


 たったそれだけの男の言葉が、呪いのように頭の中を何度も何度も反芻する。本当に、頭がクラクラとする。こんなに寒いのに汗が吹いた。 歩くなり走るなり、何かしていないと気が狂ってしまいそうだった。 

        ◇

 それから、逃げるように、数か月ぶりの来客は羅生門を去っていった。

 冬の街に、男の後ろ姿が呑まれるように、消えてゆく。

 こんなになってしまった京の都に何の用があるのか、男はやけに急いでいる様子だった。


 また、静かになった羅生門には、男の苦しそうな咳がしばらく続いた。
 まるで、巨大なさなぎのような灰色のぼろは、男が咳をする度に不気味に上下に痙攣した。
 ぼろの中、男の右手はしっかりと握られたまま、何度も何度も口元へと運ばれたが、その度に激しい咳に邪魔される。
 



 やがて、その音も止んでしまう。
 巨大なさなぎも、動かなくなった。




 ……あとには、楼に積もる雪の音が、しんしんと、羅生門を、京の都を、ゆっくりと包むだけだ。




                       (おわり)

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