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be there *完結*
作者: 花音  (総ページ数: 23ページ)
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10~ 20~

*21*

 体内時計が夜明けを告げた。


 自分の手錠を外し、まだ深い眠りについているカナの手錠を外す。かちゃり、と鍵の開く音にカナはうっすらと目を開けた。
「起きられる?」
「…まだ、ねむ……」
「ごめんね。どうしても見せたいものがあるんだ」
 軽くなった手首に視線を向けて、どうしたの?と呟く。僕は黙って拘束の取れたカナの腕を優しく引っ張った。
「立てる?」
「うん……」
 どうぞ、とバスルームの扉を開けた。
「……でも、あたし」
「大丈夫。カナはもう、大丈夫だよ」
 恐る恐る、初めて外の世界へ連れ出された子供のように、カナはゆっくりと歩き出した。藍色に染まった室内の豪華さにカナが溜息を漏らす。
「すご……。ココって何?こんな超豪華だったの?」
「残念ながらバスルームしか使わなかったけどね」
 会話している内に室内がどんどん白みを帯びてくる。もう夜明けが近い。
「最後に――いや、最初かな?カナがココから出られた時にどうしても見せたいものがあったんだ」
 仕立てのいいカーテンを全開にした。薄靄のかかった街並みは厚い防音ガラスのせいで世界が止まったかのように静寂している。大きな窓の向こうから、ゆっくりと、存在を示すように朱色の帯が伸び始める。
「どこにいても、何をしていても、カナはここにいるんだよ。カナという存在は誰にも歪ませることはできない」
「千尋……?」
「それでも自分を見失いそうになった時は真っ直ぐ見つめてみるといいよ。
 どこにあったってブレない存在を。自分を指し示してくれるこの光を――」
 朱い帯は暗い夜を消し去り、僕たちすら朱に染め上げていく。世界の闇は切り裂かれ、曲がることのない光の筋が階下に見えるビルの窓に反射する。
「太陽はここにある。
 君の存在も、ここにあるよ」
「……千尋…ありがとう」
 太陽の朱と透明な光に包まれながら、カナは静かに泣いた。その涙すら存在を示すかのようにきらきらと輝いている。
「――お迎えが来るまでまだ時間があるから、堂々とそこのベッドで眠っていいよ。コールをかけておくから、時間になったらゆっくりバスルームを使って。その間、僕はちょっとやるkとがあるから部屋を外してるから」
「どこに行くの?」
「それは後のお楽しみ♪」


 朝7時。僕たちは新宿にいた。


 夏休みをあと2日程残しているせいか、夜遊びの過ぎた学生がちらほらと通り過ぎる新宿駅西口のとあるビルの前。ボストンバッグを足元に置いたカナと僕はベンチに座っていた。
「……まだ眠いよぉ」
 大きなあくびを隠すこともせずにカナは呟いた。やっと体を広げて寝られたというのにあっという間に僕に起こされ、少々不機嫌そうだ。
「ごめんねぇ」つられてあくびを一つ。「昼便もあったんだけど、やっぱこういうのって朝の方がシチュエーション良くない?」
「だからドコ行くのよ」
 ホテルを出てからずっとされてきた質問に、預かっていたもう一つのバッグを渡してようやく答えた。
「長野だよ」
「長野ぉ!?」
 その中に、とバッグを示して続けた。
「君の新しい高校の入学案内が入ってる。高校といってもフリースクールってやつかな。中退や退学を余儀なくされたコたちが、ちゃんと高卒の資格を取る為に学べる学校。中退の理由はみんな色々だし、年齢もばらつきがあるみたいだから、カナも安心して生活できるよ」
「高校……?あたしが?」
「生徒は全員、卒業まで寮生活。住むトコも困らないから安心して。ある程度の生活費は毎月一緒に入ってる通帳に入金してもらうから。ただ、それ以上のお金は出せないから、自分でもちゃんとバイトしてね」
「お金って……ちょ、ちょっと待ってよ!入学金は!?授業料は!?てか、そのお金、どっから出てんのよ!」
「まあまあ」
 僕の隣に背広姿の男性が腰を下ろしたので、落ち着いて、と付け加える。
「細かいところは内緒ってことで。まあ僕からの卒業祝いってトコかな」
 それからこれね、と封筒を差し出す。
「みんなからの卒業祝い。といっても本物は全部、寮の部屋に送っちゃったけど」 
 封筒には『目録』となかなかの達筆で書かれている。女史の字で、彼女曰く『卒業祝いなら目録だろう』ということだった。意味不明。
「橋場さんと女史からは洋服。この間の服がとても気に入ってたって話したら、目を輝かせて買い物してたみたい。滝沢からは携帯電話。短縮1番は自分で登録しちゃったらしいよ。朝日奈からは……カナが長野に行くって話したら、長野は蕎麦が美味いんだ、とか言って蕎麦作りのセットだって。てか、美味いんなら店で食べればいいと思うんだけどねぇ」
「…何で……?何で、みんなあたしにそんなことしてくれんの……」
「友達。だからでしょ?」
 イイコトはみんなで喜び合って、ワルイコトはみんなで止めて。存在する場所が違っていても相手を思う気持ちがあればその関係は壊れることはない。ドラッグで繋がっていた友達はみんないなくなったけど、彼らは君がどんな人間であろうとも、そのままの君を受け止め続けてくれる。だから君は安心して飛び立てばいい。
「どこにいても太陽があるように、カナもそこにいるんだ。カナがいれば橋場さんたちもいる。同じ太陽を見ていると思えば、離れていても大丈夫だよ」
「うん。……ありがとう」
 残暑の厳しい太陽は、昇ったばかりだというのにもうじりじりと肌を焼き付ける。薄手とはいえ今日も長袖の僕はそれだけで汗が流れてきそうだった。それでも、と思う。この熱があるから自分の存在を――太陽の存在を知ることができる。誰よりも太陽の存在を感じていたいのは僕の方なのかもしれなかった。
「始業式、みんなに会ったら伝えておいて。絶対、また会いに来るって」
「伝えておくよ」
「最後にちゃんと会いたかったけどね。みんな忙しいんだろうね」
 見送りに来ないで目録だけ渡されたのが少し寂しかったのだろうか。
 朝一番のせいか乗客が少ない中、バスがやってきた。お先にどうぞ、と並んでいるサラリーマンに順番を譲ってから、「本当はみんなも来たがってたんだ」と白状する。
「一人で行きたいって嘘ついて、断っちゃったんだ。ごめん」
「どうして……?」
「昔話の続きが終わってないから」
 みんなには聞かれたくない、『彼』の話が終わっていなかっただろう?
 バスが動き出すぎりぎりまで、ちゃんとカナに伝えておかないといけなかったんだ。
「彼も苦しんだよ。枯渇症状と妄想と、それでもドラッグに自分が飲み込まれる訳にはいかない。埃と汚物に汚れた部屋で、水だけを飲んで体から打たれたドラッグがなくなることだけを願ったんだ」
「……彼は、どうなったの?」
「ある時、ふと体の一部が軽くなった気がした。その日を境に少しずつだけどドラッグへの禁断症状も軽くなっていった。彼は――彼も、カナと同じようにドラッグの悪循環を断ち切ることができたんだよ」
 バスがアイドリングを始める。カナの荷物を持って立ち上がった。既に乗客は全員乗り込んでしまっている。時計を見ると出発ギリギリだった。
「それで?彼は今どうしているの?ちゃんとやめられたの?」
「勿論」カナをステップに立たせて「あれ以来、二度とやってない」
「でも、彼はヤクザに捕まっちゃってたんでしょ?」
「ドラッグとの決別を確信した彼はある賭けに出た。弱ったフリをして扉を叩き、部屋で監視しているヤクザにこう呟いた。言うことを聞くから開けてくださいってね」
「それで?」
 運転手がこちらを見ている。遠距離恋愛のカップルが別れを惜しんでいるように見えるのだろうか。
「見張り役は笑いながら鍵を開けた。彼はあるだけの体力と気力で男に向かっていった。部屋にいたヤクザたちと大バトルだよ。普段なら勝てる人数だったけど、彼の体はぼろぼろだったからね、立っているのがやっとという状態だったけど、どうにか彼は部屋を抜け出した」
 出ますよ、という運転手の声。
 ボストンバッグをカナに渡す。
「全身傷だらけの彼は、それから一人の少女に出会うんだ。少女との出会いで彼は生まれ変わることが出来た。そして――」
 扉が閉まる寸前、笑顔でエンドマークを結んだ。


 そして今日、一人の女のコを同じ苦しみから解放したんだ。

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