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作者: 花音 (総ページ数: 23ページ)
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*10*
これ以上ヤバいことに首は突っ込みたくないなぁ、できれば佐藤さん(仮)が肩透かしの如くどこかへ行ってしまっていればいいのだけど。
いや、それでも近所の知り合いということになっているんだから佐藤さん(仮)を探さなきゃいけないことになりそうだし、でも実は苗字も知りませんってぶっちゃけちゃえば彼らも逆に納得するかもしれないしなぁ。
――と、期待半分、溜息半分で蒸し暑いサウナのような我がアパートに戻ってみると、意外なことに佐藤さん(仮)は敷いた布団もそのままに、枕を抱えてそこに座り込んでいた。
「……いたんだ」我ながら芸のない言葉だったと思う。「ずっとそこにいたの?」
「いくトコ、ないもん」
佐藤さん(仮)は日本語と認識される言葉で返した。しかし言葉だけを見れば普通とも思える返答も、重だるい抑揚のない喋り方に軽い溜息も漏れる。
離脱症状特有の、呂律の回らない口調。本人はまともに話しているつもりなのが余計に憎らしい。
「昨日のコト覚えてる?」と尋ねてみたが、何が?と逆に質問を返されてしまった。
「新宿の××ってビルの中で、僕たちの目の前で、君がドラッグを買おうとしたんだよ。見かねた僕の友達が止めに入って、君はそのままバッドトリップよろしく気を失って、住所も名前も知らないまま僕が自宅まで運んであげた。――寝床まで提供してやった恩人に感謝の言葉とかないわけ?」
「……それは、ありがと。たのんでないけど」
いちいち気に障る言い方をするコだな。素直に『ありがとう』がいえないのか。
薄っぺらなカバンを冷蔵庫の脇に投げて代わりにペットボトルを取り出す。ざっと中身を確認したがミネラルウォーターのボトルが一つなくなっているだけで、非常食もおやつもそのままだった。
「――食欲は?」
「別に」
「起きてから何も食べてないの?」
「いらない。ダイエットしてるから」
肉の存在など感じられないような細い身体でダイエット?馬鹿馬鹿しい。
「ドラッグのキメすぎだよ。クスリより食事を摂るべきだと思うけどね」
「……何にも、言わないんだ」
枕ごと膝を抱え、振り子人形のようにゆらゆらと身体を前後に揺らしながら佐藤さん(仮)は呟く。
「何を?ドラッグのこと?」
「関係ないんだろうけどねぇ。あたしと君、トモダチじゃないし」
「……あぁ関係ない。全身全霊で否定できるくらい、僕は君を友達と思わないし、事実友達ではないね」
「うわ、すっごい否定。ひどくないそれ?」
「僕を否定したのは君の方だ」
自分の分と、予備にもう一つ残っていたミネラルウォーターのボトルを布団の上に置いてその脇に腰を下ろした。
「最初に言っておく。僕はドラッグをやる人間が大嫌いだ。ドラッグそのものも大嫌いだ。出来ることなら全く関わりたくはない」
「――なら、どうしてあたしを助けたの?」
「君を助けたのは僕じゃない。僕の友達だ」
友達?と佐藤さん(仮)が聞き返す。
「そう。ドラッグなんて見たことも聞いたことも、無論、試したこともない完全な人間だと大声で叫ぶことのできる、僕の友達。君に声をかけたのは橋場さんっていう女のコで、放っておけと言う僕の忠告を無視して、バイヤーに近づいた君を見ていられなかったんだって。今、君が着ている洋服も橋場さんと一緒にいた友達が買ってくれて着替えさせてくれた。君の洋服は残念だけどゲロまみれだから焼却処分だよ。意識の戻る気配のない君を抱えてビルを出てくれたのも僕の友達。そして全員が、僕と君を心配してくれてた。
また会う機会があるだろうから、今度会ったらちゃんとお礼を言うべきだよ」
座っているだけで長袖の内側がじわじわと湿ってくる。
同じように汗をかいているペットボトルをひねって半分ほど一気に飲み干す。佐藤さん(仮)は飲む気もないのか――脱水症状だけは勘弁してくれよ――水滴のついたボトルを見つめていた。
「……アイス、いる?」
「え?」
「アイスだよ。冷たいヤツ。知らない?」
それまでずっと下を向いていた彼女は僕の言葉にぱっと顔を上げた。ふるふると揺れていた瞳が一瞬だけ現実味を帯び、口元が僅かに綻ぶ。
「……なんだ、『仲間』なんじゃん。そうだよね、何か君、すっごいドラッグ詳しいしぃ」
「いるのかいらないのかはっきりしたら?」
「ちょうだい」気持ち悪い笑顔だった。「大丈夫、今度は失敗しないからさぁ」
ちょっと待ってね、と腰を上げて冷蔵庫へ。
今日のおやつにと買いだめしておいた『アイス』を二つ取り出し、一つを布団へ放り投げる。
「……何コレ?」
「アイスだろ?」
投げ出されたのはもなかのアイス。僕のマイブームだ。
「超絶に美味いんだよ?あずきもなかなんだけど、中身があずきアイスじゃなくて、バニラアイスの上にあずきがのってるんだ。しかも栗入り。これが105円なんだから世の中って幸せだよねぇ」
スーパーなら定価じゃなくて買えるだろうけど、試験勉強中に無性に食べたくなってコンビニでまとめ買いしたやつだ。滝沢にその話をしたら、『男は黙ってガリガリ君だろ!?』と何故か怒られたけど。
しばらく呆然とアイスを見つめていた佐藤さん(仮)は僕をにらみつけた。
「いらない」
「覚せい剤だと思ったんだろ?」
覚せい剤の隠語は『アイス』。もしくは『冷たいやつ』なんて呼ばれてもいる。昨日の話に出たバツとかタマなんてのもドラッグを売りやすく――買う人間に『麻薬』という抵抗感をなくすために造られた言葉だ。僕もそれを狙ってわざと聞いたんだけどね。
「悪いけど、君は正真正銘の中毒者(ジャンキー)だね。打つ手ないよ。後はもうサツに捕まるか人間やめるかのどっちかじゃない?」
至福のもなかアイスをぱくつきながら突き放す。ここまできたら甘やかしたって無駄だ。朝日奈たちのように何か辛いことがあったんだね、などと共感することもできない。人生の底を見た人間だろうとそれはドラッグに逃げていい免罪符にはならない。
「ドラッグをやめろ、とは言わない。それは僕には関係ない話だからね、友達じゃないから。君がどこでのたれ死のうと、ドラッグを買う金の為にどんな犯罪を犯そうともサツに密告する気もない。ただ二度と僕の目の前に現れないでくれ。何度も言うけど僕はドラッグもドラッグに自ら手を出す人間も大ッ嫌いだ。今までそこそこ楽しかった西島千尋の人生にドラッグは必要ない」
「……ちひろって言うんだ」
「はあ?」
「あたしはカナだよ」
「――話聞いてた?いきなりどっかイッちゃったの?」
「千尋」と、佐藤さん(仮)――もとい、カナはいきなり布団の上で土下座した。
「お願いします!あたしを助けてください!」
腹の底から搾り出すような、悲痛な叫び声だった。