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作者: 花音 (総ページ数: 23ページ)
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*20*
一週間も着替えをしないのはさすがにまずいだろうと、メイドさんに着替えを頼んだ日のことだった。
カナの気に入る服が判らないので適当にお願いします、と言ったのだが、届けられた洋服にカナは目を丸くした。
「うわ!雑誌に載ってるヤツじゃん!いいの!?」
「いいの、と聞かれても」僕が着る服じゃないし。「どうぞご自由に」
「すごーい!このブランド欲しかったんだよねぇ!」
カナは昨日までと打って変わって嬉しそうに言った。あの男に女物のブランドが判るとは思えないし、メイドさんはいつも同じようなスーツばかりだった。女子高生って選ぶ服が好みによってバラバラだからどうやってカナの好みを選択したのだろう。
……と、思っていたら謎はすぐに解けた。
「ふふ。ねえ、見てよこれ」カナは笑って「優しいね、みんな」
手錠越しに受け取ったのはポストカードだった。なかなか読み辛い丸文字は橋場さんの特徴ある字だった。
『気に入ってもらえたら嬉しいのだ♪』
女子高生の服は女子高生に選ばせるべし、だね。
いつものように自分の手錠を外してからカナのも外してあげる。後ろを向いて耳栓…はいらないかな?と思ったが、着替えの音はやはり聞かれたくないだろうと考えて静寂と暗闇の世界に潜り込む。しばらくして肩を叩かれたので耳栓を外して振り向くと、雑誌のモデルのようにポーズを決めたカナがいた。
「へえ、やっぱり似合うね。いいんじゃない?」
「そ〜ぉ?へへ、嬉しいなぁ。見せたいなぁ」
「……誰に?」
てっきりあの男の名前が返ってくると思ったが、カナはちょっと頬を赤くして「誰でもいいじゃん」と顔を逸らした。意外な反応だった。
そしておとなしく手錠をかけてくれるあたり、今までと少し感情が変わっているようだった。
「こんな服着てるのに手錠に繋がれてフロ場に監禁なんて最悪なんだけど?」
「それは謝るって。もう少しじゃない?今日は気分も落ち着いているみたいだし」
「……そうだね。何か、今までと世界が違う感じ?」
「じゃあ今日は少し話をしようか?」
「どんな話?」
「そうだな……ドラッグを断ち切ってここから出たら、カナは何がしたい?」
以前なら「どうでもいい」と吐き捨てるか怒鳴るかだったが、カナは考えるように髪の毛をいじりながら、学校に行きたい、と呟いた。
「あたし、頭悪くて勉強キライだったけど、やんなくなったらしたくなる。高校……てか、専門学校みたいなトコ行って、何か自分のやりたいこと見つけたいな」
「専門学校って確か、何かを専門に学ぶところだよね。やりたいことを見つける前に一つの学校に決めちゃったらそれしか出来なくなるんじゃない?」
「あ、そうか。順番逆だねぇ」
やっぱ頭悪い〜、と言ってカナは笑った。
トリップしていた時とは違う、明るくて見ているこっちも笑ってしまうような笑顔だった。
「じゃあ、やっぱ普通の高校なのかな?行けるのか、あたしに?」
「今から決めなくてもいいんじゃないかな。他には?」
「そうだなぁ……働くのもいいな。汗流してヘトヘトになるくらい働いて、自分で稼いだお金で生きるの。誰にも動かされないあたしだけのお金で生きるの」
「……カナは強いね」
「そう?」
僕が選んだ仕事は汚いものばかりだったから。それが一番お金になるし、そうしないと生きていけないと思っていたから。
確実にカナは新しい自分へ進み始めている。
カナは饒舌になり沢山のことを話した。
中学まではそこそこの成績で教師陣の評価も高かったが、無理をして入った高校で成績が下がり、何もかもが嫌になって家出をしたこと。ネットカフェを渡り歩いていたこと。そこで出会った彼にすがるように同棲を始めたこと。そしてドラッグのこと。
「最初はさ、クラブでちょこっとキメて盛り上がるだけだったんだ」
ゴハンが食べたい、と言うカナの希望通り、本日の昼食は中身が尋常でなく豪華な巻き寿司だった。片手でぱくつきながらカナは続ける。
「バツ入れるとすっごいハイになれるし、オールしたって全然平気だし。そりゃ次の日ガツンと落ちるけどまたキメれば元気なれるし」
「究極の悪循環だねぇ」
「バツくらいならみんなやってんじゃない?」
「ほら、その考えが危ないんだって。何の為の法律なんだよ」
口の中で蕩けるような鉄火巻きなど食べたことがない。……鉄火巻きって赤身だろ?これトロじゃないか。
カナも「美味しぃ〜」と今まで以上に巻き寿司を平らげていく。
「でもさ、その内バツだけじゃ足りなくなってさ。そしたらマサトが……」
「キメるものも増えていった訳だね」
うん、と巻き寿司に伸ばした手を止めて膝を抱える。
「時々さ、声が聞こえるんだ」
「幻聴ってこと?」
「きっとそうなんだろうね。ココにいるのは千尋しかいないのに、マサトとか一緒にキメてたコの声が聞こえる。逃げるのかって。……お前はどんなことをしたってクズのままなんだって。ジャンキーのあたしがマトモになれる筈がないって」
「禁断症状からくる被害妄想なんだろうね。気にしない方がいいよ、と言いたいけど、そんな訳にもいかないだろうし……」
「あたし、マトモに戻れるのかな……」
「大丈夫。どんなことをしたってカナを救ってあげる」
それが君との契約だから。
ありがとう、とカナは呟き、膝に顔を埋めたまままた何かを呟いた。
「何か言った?」
「――会いたいの」
「……君は彼から離れない限りドラッグとは」
違うの、とカナが言う。誰に会いたいの?と聞き返した。
「みんなに……。千尋の友達に、会いたい……」
「僕の友達っていうか、君の友達なんじゃないかな?」
「ともだち……」
「怖いくらい真っ直ぐな人たちだからね。時々、僕みたいなのが一緒にいていいものか悩むくらいに」
「どうして?」
「だってねぇ」
最後の巻き寿司を口に放り込んで溜息をついた。
「1ヶ月も女のコ監禁しちゃうようなヤツだし。僕って」
そうだね、最悪だね、とカナが笑ってくれた。
カナはよく眠り、よく食べるようになった。
ドラッグに蝕まれていた感覚が少しずつ戻ってきているのだろう。虚ろな瞳にも生気が宿り、届けられる食事を美味しそうに頬張る仕草は普通の女子高校生と変わりなく思える。
大理石では硬いだろうと思って頼んだ布団を四つ折にした小さな布団で、捨てられた猫のように丸くなって眠るカナは、それでも時々、嫌な夢にうなされ続けた。そんな悪夢も3日に一度ほどになり、今夜のカナはとても満ち足りた表情で眠っている。
カナは大丈夫だ。
この顔を見たら動こうと思っていたんだ。
ポケットに忍ばせていた携帯を取り出し、プッシュ音を消して暗記している番号を叩く。いちいち番号を打たないといけないのが面倒なのだが、この携帯を与えられた時に登録しないことを約束させられているので仕方ない。メモリー登録している人間の殆どの電話番号を暗記しているので、実は電話帳を開いたり着信履歴を見るより直接打ち込んだ方が早い時もあるのだが。
真夜中だというのにコール2回でいつもの声が聞こえた。
『どうかなさいましたか?』
「――ここを出ます」
『畏まりました。明日の朝でよろしいですか?』
「大丈夫です。それと、そちらの準備は出来てますか?」
万端です、という頼もしい答えだった。
チェックアウトの時間――お金を払う必要がないのであまり関係ないが――迎えの車の時間、それから頼んでおいた諸々の受け取りを確認して、電話を切る。
「――慣れないね、どうも」
真夜中の電話というものに。情報交換をするだけのやりとりに。そこに『仕事』の内容が含まれていないことに。
用件だけを伝えるのは電話の相手の日常なのに、時間帯が違うだけで僕はこんなにも緊張してしまう。