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大罪のスペルビア
作者: 三井雄貴  (総ページ数: 50ページ)
関連タグ: 天使 堕天使 魔王 悪魔  魔法 魔術 騎士  ファンタジー 異世界 アクション バトル 異能 キリスト教 失楽園 
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10~ 20~ 30~ 40~

*1*

       
              † 一の罪 “堕天使斯く顕現す” (前)

 眼に映る存在すべてが深紅(あか)に染められていた。
 そう……其処はまさに此の世の煉獄。虚空(そら)を覆うは、太陽をも焼き尽くさんとす終焉の業火。遍く生きとし生ける者に最期を告げる狼煙。叢雲(むらくも)を裂くは、裁きの紫電。
 そして――天より失墜する明けの明星。

 天空高く、二人の天使が死闘を繰り広げていた。大気を震わせる魔力弾の応酬。まさに、世界の命運を決さんとす一戦に相応しい壮絶な光景が展開されている。
「大天使長(セラフィム)である我が身に貴様ごときが敵うとでも?」
 漆黒の天使が言い放つ。
「結果が後から示すことだろう。そして、あなたは既に大天使長に非ず!」
 描いた魔法陣で迫り来る火炎を弾き、白銀の天使が叫んだ。両雄とも魔力は同等、技量も互角。どちらともなく、剣を抜いた。敗北は、即ち天国の門を永久にくぐれないことを意味する。
「―――終わりだ、主に反逆した自身の愚かさを怨め!」
 眩いばかりに光輝く剣で闇の刃を斬り裂く。
「なっ、我が剣が……おのれ!」
 響き渡る剣戟が止むよりも疾く、滑らせた切先は黒衣を貫いた。
「何故だ、貴様が此の俺を破るなど……」
「――鞘より出でし剣……神に授かりし、裏切り者を裁く刃。さらばだ、堕天使。貴様に墓標は要らない。其の儘、贖いの奈落へと堕ちよ!」
 剣を引き抜き、常闇を湛えし翼を鮮血に染めながら、黒き天使は雲間より落下してゆく。
「――さようなら…………」
 宿敵を打ち破ったと云うのに、彼の者の瞳が湛えし色は、栄光で彩られし勝利の光ではなく、何故か哀しみにも似た、憂いを帯びていたのであった。

 何時の時代も、強き力を持つ存在は、畏怖され、嫉妬され、やがて終いには憎悪の対象と成りゆく運命にあるのが常。斯様な理を示すかの如く、かつて世界と戦った最強の悪魔がいた。万人を魅了し、戦慄させ、天より失墜(おち)て尚も“明けの明星”を冠したその輝かしき名は、時空を超え、語り継がれる……
 人々は、かの者を魔王と呼んだ――――


 どこまでも広がる青空……竜の棲む谷(ドラッヘ・タール)の空気は今日も澄んでいた。
「ああっ、あれは!?」
 村人の一人が空を指差す。
「もしかして……流れ星……!」
 腰に一振りの剣を下げた少年が、目を輝かせて叫んだ。
「何を言っているデアフリンガー。昼間に流れ星など見えるか」
 同じく帯剣した隣の美青年が、呆れたように呟く。
「ったく、兄上は夢がないなー」
 デアフリンガーと呼ばれた彼は、大袈裟に溜息を吐いた。
「おお、ツェーザル殿! 落ちましたぞ」
「村から遠くないな。デアフリンガー、様子を見にゆくぞ」
 弟に声をかけると、早足に歩き出すツェーザル。

「こ、これは……」
 天より降ってきた何かの落下地点へと急いだ一同は、予想外の事態に言葉を失った。荒野は大きく抉れ、周辺の大地もひび割れている。そして、その中心に“彼女”はいた――――
 まだ年端もゆかぬ幼い女の子、のようであるが……遊びたい年頃なのだろう。悪魔ごっこでもしていたのか、随分と奇妙な変装だ。
「うわぁあんッ! いたい、いたいーッ!」
 倒れたままの少女が泣いている。駆け寄るデアフリンガー。
「大丈夫かい? えっと、君は……」
「こら、無礼な小童め! 地獄大元帥たる吾輩に気安く近づくとは命知らずな……まさかお主、この面貌を存じぬわけではあるまい」
 甲高い声で涙目の彼女が怒鳴った。頭には触角のような細い角が一対、背中には蝿にも似た羽。
「おー、この触感は本物みたいだな。兄上ー。よくできてるよ、この子の飾り物」
 デアフリンガーは傍にしゃがみ込むと、目を丸くして覗き込んだ。
「みたいも何も本物に決まっておろう、痴れ者めが! なんと恐れを知らぬ奴だ……この討ち果たした者たちの首が目に入らんかーッ!」
 腰にぶら下げた数個の髑髏を指す。重量感の無い音が響いた。
「えっと……作り物、だよな……」
 歳若き剣士は困惑している。
「だって頭蓋骨なんて重たいもんー!」
 両腕をばたつかせて喚く様子から、怪我は酷くないようだ。
「でも数々の敵を討ち果たしたのは真だぞ、吾輩は魔界でも指折りの実力者だからな」
 立ち上がるとフンと鼻を鳴らし、腰に両手を当てて言い聞かせる。
「そうだね、すごいなー。で、君……ご両親は?」
 受け流してデアフリンガーが尋ねた。
「親はおらん。ガブリエルめに惑わされて、ご主人様とはぐれてしまったのだ」
「あー、想像力が豊かなんだね。ははは……」
 苦笑いする他は無い。 ガブリエルと言えば、この世で最も高貴にして強力な存在である天使でも最上級の“四大天使”と称される一人。このように小さな子供と接点など皆無だろう。
(うーん、何を言っているんだろう……この子は)
 デアフリンガーが困り果てていると、ツェーザルが歩み寄ってきた。
「まあ子供の言うことだ。当てにしても仕方あるまい。ひとまず長老の元に連れてゆくぞ。角と羽の生えている種族など、この辺りでは見かけない」
 淡々と促す兄。この谷は竜が棲んでいるかのような名ではあるが、基本的に住民は人間のみである。俗世と隔絶された山間の僻地ゆえ、使者や旅人を除いて外部より訪れる者も少ない。
「長老ーッ! 空から女の子が! しかも地獄なんとかなんて名乗ってて、頭をやられてしまったみたいなんです」
 村役場に響き渡るデアフリンガーの大声と足音。
「まったく、何を騒いでおる。空から女の子が落ちてくるなんて、そんな作り話みたいなことが……」
 長老が半笑いで書類より顔を上げる。だがしかし、デアフリンガーの伴っている少女を視界に収めると同時に、その穏やかな表情に衝撃の色が奔った。
「そ、そちは……!」

 夕闇に照らし出される、広大な原野に取り残されたかのような旧い遺跡。二つの影が暗い室内に揺らめく。
「飛ばしてた使い魔が場所をつかんだんだが、お嬢はドラッヘ・タールって谷にいるらしい」
 さっぱりとした口調で、葉巻煙草を咥えた大柄な老女が話しかけた。いや、一見すると壮健そうな老女のように見えるが、その両手は刃状と化している。
「……竜の棲む谷、か」
 対照的に細身で中性的な美青年が、その薄い双唇を開いた。
「竜って言や、大昔アンタらが滅ぼしたんだし、人間の言うことだから本当に住んでやがるとは思えんがね」
「否……屠竜戰役の折、大物を一体のみ逃がしている。して、ベルゼブブが谷で戰となった跡は?」
 銀髪の隙間より覗き見て男が問う。
「いや、波動は一定してる。あんだけの魔力だ。戦おうもんなら誤魔化せるハズねぇわな」
 腕組みをして述べる異形の相方。
「左様か。なれど現世に留まっておれば天使方が如何に動くかも理解らぬ故、我等も谷へ赴く方が良いと心得る。異存は有るか、アモンよ」
 黒装束に身を包んだ青年が問う。
「各個撃破をおそれてるってのかい、ずいぶんと魔王様にしちゃ弱腰じゃないか」
 壁に寄りかかったまま、アモンは苦笑してみせた。
「久方ぶりの現世だ、弱腰で上等。上に立つ者は常に最善の選択をせねばならぬ。地獄侯爵として幾多の悪魔を率いるお前であれば存じておろう」
 魔王と呼ばれた男が流し目で見遣る。
「まあお嬢も心配だし合流に異論はないさ。と、その前に来客のようだね。もう嗅ぎつけるとは人間もバカにならんもんだ。ひとつ、もてなすとするか」

 荒野に吹き荒ぶ風。遮るものなど何も無い。それもその筈。この王都より遠く離れた土地は、最も近くにある村が竜の棲むと噂される秘境という程の僻地だ。兵士たちは、視界に存在する唯一の建造物へと、一直線に行進する。
「行程に余裕があるとはいえ、こんな辺鄙な所で異端狩りの仕事に付き合わされるとはついてないなあ。魔術師、だっけ? んなもん奴等がなんとかする相手じゃないか」
「まったく、最近は物騒だねえ」
「なにやら悪魔の仕業って話もあるらしいじゃん。魔術師とはいえ、人間相手で済むならマシなもんだぜ」
 口々に男たちが零す通り、数日前から月は血の様に深紅へと染まり、このような辺境に至るまで重苦しい不気味な空気で包まれている。堕天使が訪れる前兆である漆黒の羽が目撃され、地獄と現世が繋がったのではないかという噂が絶えない。
「その通り。悪いのは悪魔よ」
 凛とした声と共に足音が近づいて来る。
「でも安心して。この騎士イヴがいれば怯えることはないわ」
 肩に掛かる程度の髪は亜麻色。どちらかと言うと高めの背丈。引き締まっていながらも、女性らしさの失われていない躰つき。そして、腰には新しくはないが手入れの行き届いた剣。
「さすがイヴさん! 隊の騎士がうらやましいなあ」
「ありがとう。でも、予定外の任務が増えたって嫌がってちゃ騎士は務まらないわよ」
 そう言って笑顔を見せた美しい女騎士は、若くして隊長に抜擢され、今回の派遣にあたっては、王より書状と贈品を託された。寄せ集めとはいえ、数十人の護衛が同行していることから、重要な命であると想像できる。

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