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*10*
† 五の罪 “谷を守護せし者” (後)
ツェーザルによって既に何割にも及ぶ戦力を喪失した軍勢は、指揮官も討たれたと知って戦意を恐怖が上回るに至る。大自然の、そして長老の激憤を、谷に害意を向ける者に対しての仕打ちを肌で感じた彼等は、我先にと逃走してゆくのであった。
「みな、怪我はしておらんか?」
戦慄している村人たちを、何時もと同じ穏やかな顔つきで案ずる長老。
「全軍の撤退を確認しました」
ツェーザルが戻って来た。
「うむ。見事な活躍じゃった! 弟子がこんなにも成長しているとは、わしも鼻が高いわい」
「いえいえ、この程度まだ準備運動の範囲です。それより……あの者が言っていたのはどういうことでしょうか? この者たちが谷に入ったから兵を差し向けられたのですか? 先ほど天使方とおっしゃられていましたが、悪魔がいると見なされ続ける限りまた攻められる、ということでしょうか?」
「確証はないが、あれだけの兵員と武具をそろえ、数日で正確な場所へ派遣できるとなれば他には思いつかん。あの騎兵も異端狩りを名乗りおったし、悪魔という言葉を強調する様子からも間違いないじゃろう」
「……やはり、この2人は悪魔なのですか?」
ツェーザルが詰め寄るも、答えようとしない師。
「教えて下さい。今後も村に置いておくおつもりでしょうか?」
唇を固く結んだままの長老の目元は、どこを見ているのか理解らない。
「黙っておられては分かりません! 谷の皆は家族、隠し事など無いと……」
その直後、漆黒の影が降り立ち、声を張り上げかけたツェーザルが止まった。臨戦態勢に入った彼に目もくれず、ルシファーは悠々と歩き出す。
「狩人の血は健在であったか、フューラー。戰いこそが貴様の生き様。悦べ、其の方が在り様は此の俺が見届けるに値うると心得た」
長老の傍らで足を止めると、双眸を見据えて告げた。
「おやおや、いつの間にわしの名を聞いたのかな」
無言で僅かに微笑すると背を向け、立ち去るルシファー。
「おいおい、この状況で置いてくってどういうことだい! 気まずいってレベルじゃねーぞ」
アモンも飛び降りると、後を追って走る。
「何故です! 何故悪魔と面識が……?」
「……少し、ひとりにしてはくれんかね」
弟子の問いを遮るようにして、長老は門の内へと消えた。
「お待ちを! 我々にも明かせぬような……」
「兄上! 長老も何か考えがあるんだよ、きっと」
見兼ねた弟が引き止める。
「お前は気がかりではないのかデアフリンガー。今回は凌いだが、次はもっと大勢で襲い来るかも知れない。その時この谷を守りきれるか心配ではないのか!?」
「そりゃ心配じゃないって言えば嘘になるよ。でも谷を守る僕たちはこんな時だからこそ堂々と構え、村のみんなを動揺させないようにしなきゃ。今すべきことをせよって長老がいつもおっしゃってるじゃん」
「その長老が一番弟子である我等兄弟にも隠し事をしていたのにか? 分からない、私は何を信じれば良いのか……もう分からない…………」
俯くツェーザル。
「――なら目の前にあるものを夢中で守れば良いだろ、誰よりも強い剣士なのだから」
顔を上げると、水桶を抱えた少女が立っている。
「ベル! どうしてここに……?」
「ツェーザル疲れておるだろうから水を持ってってやれと長老がな。吾輩と長老と吾輩に感謝して飲むのだ」
「そうか、有り難く頂戴するとしよう」
得意気な表情で言い放つ彼女の頭に軽く手を乗せると、ツェーザルは桶を掴んだ。
「お前も飲め。身体を休めておかないと、明日からはより一層鍛錬に励むのだからな」
凛とした面持ちで、弟に桶を手渡す。
「兄上……ああ、望むところだ!」
一瞬、戸惑いの色を見せるデアフリンガーであったが、即座に精悍な面構えで首肯した。
「そうだ、頑張れ童貞兄弟!」
満面の笑顔で激励するベルゼブブ。
「遺憾の意を表明する。いつか愛する者ができた日に困らない為にも、強い男になっておかねばならない」
いつもの調子を取り戻した生真面目な武人は力説する。
「でーきーまーせーんっ! 童貞村の宿命だ」
「「そんな名前の村守りたくねええぇ!」」
山間に木霊する兄弟の喚き声。普段であれば幸せそうに目を細める筈の長老は、自室で眉間に皺を寄せながら耳にしていた。独り考え込む後ろ姿は、哀愁と憂鬱に満ちている。
(……もう子供ではないと言っても、彼らもまだ若い。いつか再びあの者と相対する日が来る予感はあったが、せめてあの子たちだけにはいらぬ苦しみを味あわせたくはない…………)
「まだ鍛錬をしていたのかい、イヴ」
小さな背にかけられた声は、優しさを含んでいた。
「……だって強くなりたいもん、もっとあたし強くなる」
「言いたくないなら無理に話さないでもいいけど、困っているのならお父さんに相談してみなさい」
そう言って彼は、温かく微笑む。
「なっ、何もないもん!」
「力み過ぎているな。嫌なことがあっても力任せに振り回しちゃ一流の騎士にはなれないぞ」
「……あいつよりあたしの方が強いのに。強いのに…………」
少女は唇を噛んで項垂れた。
「悔しい気持ちをかてに頑張るのは良いことだけど、無理し過ぎないようにね。いいかいイヴ、負けたことのない人間はいないよ。お父さんも若い頃はなかなか勝てなかったさ」
「じゃあ、あたしもお父様と同じぐらい強くなれる?」
顔を輝かせて見上げるイヴ。
「剣には作った方の魂が込められている。彼らは一流の騎士に使ってもらえるよう一流の剣を打つんだ……闇雲に振り回すだけじゃ失礼になってしまうね。使い手が剣の力をすべて引き出してくれたら職人さんの想いも報われる」
ローランは穏やかに、それでいてしっかりと語りかけた。
「お父様……あたしなってみせるよ、誰よりも剣を上手く使いこなせるようになる!」
「良い心意気だ。ただ、これだけは覚えておいてほしい。剣で人を斬ることは容易い。でも殺すだけなら悪党と変わらない。騎士の剣は護る為の大切な相棒なんだ。仲間を、大切な人を、騎士の誇りを護れるように、職人さんが汗水たらして作り上げた世界に二つと無いものなんだよ。お前なら立派な騎士になれるとお父さんは信じている。イヴ、お前がお父さんの剣を受け継ぐ日が来るだろう。護るべきものを見失わない、色んな意味で強い騎士になるんだ」
(……お父様…………)
彼女は窓の外に目をやる。一昔近く前のことを思い出している内に、陽が随分と傾いてしまったようだ。あれから苦難の日々を乗り越え、仲間内でも一、二を争う腕前へと至ったイヴ。なれど、いまだに亡き父ローランを超えるどころか、近づいたという手応えも感じていなかった。そして、あの黒衣の青年――いや、悪魔だろうか。彼には遠く及ばないと自分自身が誰よりも分かっている。今の自分では、一太刀も浴びせること敵わずに討たれるに違いない。あれ程までに悪魔というものは強いのか。一方で、人間とは次元の違う力を有していながらも、掴みどころが無いとはいえ、全く話の通じない相手ではないとも感じた。文献などで得た悪魔の知識から想像していた姿、生態とはかけ離れているように思える。まず、まことに父を殺したのは悪魔であるのか? 何故あの二人は谷に来たのか――――
(知りたい。もっと……私は、本当のことを知りたい……!)
直情径行な彼女らしく、思った時には既に動き出していた。戦うには、まず相手を知ること。悪魔のことを解するには、やはり悪魔本人からが最も理に適っている。