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*11*
「やりたいならやればいい。殺したいなら殺せばいい!! もしわたしを殺したら秘密を、暗号の意味を知ってる他の人が世間に警察の不祥事をばらまくから!」
もちろん他に知っている人などいなかったが日向は堂々と言い放った。
はったりかどうかなんて相手には分からないのだから。
志乃は少し考えるように黙り込み、ふっと日向から離れた。先ほどまで引きちぎるように掴んでいた前髪を撫でる。
「賢い子は好きだよ。だから僕も君に敬意をはらおう。日向さんはまだご飯を食べていないだろう? それに体だってあっちこち泥だらけだ。とりあえずお風呂に入って少し遅い昼食でも召し上がってきなよ」
また別人のように優しくなった志乃は呆然とする日向をよそに、わくわくするように部屋を出て行く。
しばらく硬直状態で明後日の方向を向いていると、婦人警官のような女性が二人入ってきて無言で日向を風呂場へ連行した。
口をはさむ間もなく制服だけはぎとって広い風呂場に突っ込むと、そのまま言ってしまう。
「……一体、なにがどーなったって言うのよ」
困惑に立ち尽くすが、確かに昨日からお風呂に入っていなかったので使わせてもらうことにした。
大浴場のような風呂場は一人で使うにはもったいないほど豪華だった。
ゆっくり筋肉痛やらぎしぎし軋《きし》む体のいたるところをお風呂に浸りながら治していく。
さっぱりしてお風呂から上がると、脱衣所には先ほど持って行かれた制服が新品じゃないかってくらい綺麗にされて置かれたいた。
(こんな短時間に洗濯を……恐るべし、婦人警官)
ごくりと唾《つば》つばを飲み込み感心する。
また婦人警官に連れられて元の部屋に戻った時にはホテルのランチみたいなフルコースが、部屋の中に広がっていた。
「ここって、どこですか……」
最初は警察署のどこかだと思っていたが、なんだかあきらかに雰囲気が違う。しかし婦人警官は一言もしゃべらず日向に食事を勧め、日向がぺろりとたいあげるとまた違う部屋へ向かった。
(なんか、すごく変な気分……。それにいつでも逃げられるようにって通路覚えようとてるけど、ここ、どこも同じような造りだしっ)
廊下も部屋の扉も白一色で覚えようと努力しても、結局分からずに終わる。
だめだ、こんなところ、逃げ出しても迷子になって5分と経たずに捕まってしまう。
今もまたどこを歩いているのか分からずに部屋へ着く。真っ白い扉を開けると、飛び込んできた風景に日向は息の根が止まるような心持《こころもち》になった。
そこは三六〇度ガラス窓で覆われた広い空間だった。天井は高く、ガラス窓の向こう側はたくさんのビルが立ち並んでいる。どこか違う異空間みたいだ。
「どうだいビル五十階からの眺めは。僕はこの景色が好きでね。どうだい、東京が一望できて絶景だろう?」
「東京……しかもビル五十階って。ここはどこなんですか」
先に来ていた志乃は日向をガラス窓付近に呼ぶと、自分の口に手をあてる。
「うーん、公安警察の警察署だよ、多分。でも三十階から上は僕専用のビルになってる。限られた人しか入れないから、安心して」
なにに安心しろというのだろうか。これじゃあどうあがいても逃げれないじゃない。
「逃げようなんて思わないでね?」
日向の心を読んだように言う志乃にぎくりと眼を泳がせると、空を見つめた。今日はどこまでも澄んでいて綺麗だ。
ふいにずっと疑問に思っていたことを思い出し、日向は口を開いた。
「志乃、さん。どうして暗号の意味なんて知りたがるんですか? 警察は自分たちの不祥事を知ってるじゃないですか」
「ううん、どんな不祥事か分からないんだ。だから不祥事を知って、ばれた出所とそれに関わった人たちを抹消しよって上から。ほら、そうしたらもう不祥事がばれるんじゃないか、ってびくびくしないで済むでしょう?」
さらりと志乃は答えをくれた。しかし日向はそれほどまでに警察が裏でやっていたことの多さと、傲慢さを知る。
「じゃあ少し落ち着いたし取引をしようか。先ほどの暗号の続きについて」
空気を換えるように志乃は切り出した。
取引、ということはこちらにも何かしらの利益はあるのだろうか。
覚悟を決めて腰を据えると、日向は志乃の方を向き直った。相変わらず切れ長の目は美しいが、もうそれが怖いものだと知っている。
だが、だからこそもう動じない心をお風呂場や食事中に作ってこれた。
しかしそんな覚悟は一瞬にして砕かれた。
「僕ら公安警察は二千人の部下たちがいるんだけど、近々、目障りなマフィアたちを狩ろうと思うんだ。元々、僕らはそういう組織犯罪をとり締まるために動いてるしね」
日向は鈍器で頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けた。
志乃はきっと凪たちのことを言っているのだ。
警察二千人に対して凪たちのマフィア組織は四百人だ。どうやったって勝てっこない。
「でも君が暗号の意味を教えてくれるなら、マフィア狩りはやめようと思ってさ。僕ならそれができるからね」
完全に日向がマフィアの一部と関わって特別な感情を抱いているのを知っていた。その上で取引と称して提案してくる。
(なにが取引よ。まるで……脅しじゃない)
「もう大切な人を失いたくないだろう?」
その言葉に日向は瞳を揺らした。
確かに凪たちはもう大切な人たちだった。いくら裏切られたとしてもその気持ちは変わらない。
暴力で駄目なら脅し。卑怯な志乃に表しようのない怒りを覚える。しかし完全に話は志乃のいい方へリードさせてしまっていた。
ぎゅっとそでをつかんだとき、その触感に違和感を覚えた。腕を見やると真っ黒なスーツが装着されている。
(そういえば正宗さんに借りたままだったんだっけ……。頭が一杯で着てることにも気づかなかった)
漠然とスーツを見ていると安心できるような懐かしさが心の隙間にぽんっと生まれた。
思い返してみると、いつも日向は凪たちに守られてきた。そして彼らが傍にいると、なぜか恐怖心が薄れて安堵が心にあふれていた。
(いつも……守っててくれたんだ)
今更になって気づいた。どんな時も日向の安全を第一に考え、守ってくれた。
たとえ優しさや温もり、笑顔が偽りだったとしても、体を張って守ってくれた事実は変わりようがない。
(次は……――わたしが守る)
「分かったわ。暗号の意味を教えるから、マフィアには手を出さないで」
「うん、やっぱり君は賢い」
日向の答えに志乃は満足げにうなづいた。
これが正しい選択なのか分からないが、ただ日向は凪たちを守りたかった。
たとえ父親の願いを裏切ることになっても、罪悪感はあるが悔いはない。
(お父さん、ごめんね)
静かに心の中で父親に謝ると、日向はポケットに入っている手紙を取り出して中身を開いた。そして誰にも読めないめちゃくちゃな文字に目を通す。
読むためにすっと息を吸い込んで、音と共に吐き出そうとした。
その瞬間、背後で大きな爆発音が響いた。爆風と埃が激しく体を襲う。
とっさに腕で顔を押さえて衝撃が去るのを待つと、そっと眼を開けた。視野の先にいる人物を確認したとき、驚くより前に愛おしさが湧いた。
「ひなた――っ!!」
正宗の叫び声が響く。一度その声を無視して逃げたのに、追いかけてきてくれたのだ。
(正宗、凪、蓮華、梓馬。みんないる!)
いま一番会いたくて、一番愛する人たち。
どうやらヘリコプターで突っ込んできたようで、ビルには破壊されたガラスの破片が散らばり、プロペラの止まったヘリコプターが乗り上げていた。