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*3*
小さな声で尋ねると凪はうなづいた。なぜ、と口を開く前に凪が胸ポケットから、ずっと日向が持っていたはずの手紙を取り出す。
「ごめん。蓮華がきみの怪我を見てるときに発見して。拝借《はいしゃく》させてもらった。ねえ、この手紙の中に書かれている内容が、警察をつぶせてしまうような極秘級の不祥事が書かれてるって本当?」
日向は眼を見開いて、食らいつくように凪の手紙を奪い取る。あっさり凪は手紙を離すが、黙ることは許されないような目線が日向に注がれ、嫌々首を縦に振った。
「……ええ、まあ。この手紙の内容が世間に漏れたら、国自体がすごい騒ぎになる、ってお父さんは言ってたわ」
「でも、その手紙には変な記号しか書かれていなかったよ。それはもしかして暗号?」
日向と父親以外、誰にも読めない特別な暗号。その暗号で手紙の重要な不祥事の部分はつづられていた。
父親とのただの遊びで考えたでたらめな暗号だ。だがその分、読解はどうやっても不可能だろう。
まさかあの父親が死んでしまうなんて思わず、ただひたすら家にこもっていたとき、冷蔵庫の底から一つの手紙が出てきたときのことを思い出す。
『これを読んでるってことは、もしかして僕が君を守ってあげられない状況にあるってことなのかな?』
父親が交通事故で病院へ運ばれたと連絡が来て、急いで向かったが即死だった。その後、自分の住んでいるアパートへどうやって帰ったかもわからず、途方に暮れているところにこんな一文が始めに書かれた手紙を見つけた。
『君を守れない状況って……もしかして僕が天国へ行ってたりするのかな? あははは』
読んだ瞬間、紙を引きちぎりたい衝動に駆られた。
こんな状況で能天気な父親の言葉を見ると、腹が立つ。父親はこの時、本当に自分が死んでしまうとは思わなかったのだろうか。
必死に衝動を抑えると続きを目で追う。
『これから大切な話をするね。実は、僕はかなり知ってはいけないことを知ってしまった身なんだ。とても危険な秘密を。それは使いようによっては自分の利益になる。でもね、僕はこのまま秘密を眠らせたいと思ってる。でも、君がこれを読んでいるってことは、僕はもう秘密を隠しきれない状況にあるってことだ。本当は日向を巻き込みたくなかったんだけど、ごめん、この秘密を君に任せてもいいかな』
そのまま視線を下に下げて、日向は雷に撃たれたような衝撃を受けた。
『この手紙を持って警察から……――逃げてほしんだ』
(どうして、警察からっ?)
警察は平和と安全を目指して日々努力する人たちだ。そして市民を守ってくれる。なぜ逃げなければならいのだろうか。
『僕が知った秘密は?警察の極秘級の不祥事?なんだ。それを知ったことによって警察は僕を野放しにはできなくなる。でも捕まって警察が秘密を握りつぶせば、さらに世間が知らないような非道なことをたくさんやるだろう。だからお願いだ、日向。僕はもう無理みたいだから、君が秘密を抱えながら警察の抑え役になってほしんだ。君が秘密を握っていれば警察も下手に動けないからね。大丈夫、君を僕の代わりに守ってくれる人は必ずいるから』
「警察の抑え役って……そんなの無理だよっ!」
つい日向は手紙に向かって叫んだ。父は今、一生をかけて秘密を守り通し、警察の敵となれと言っているのだ。
「無理に決まってるじゃん……」
弱弱しい声でつぶやたとき、インターホンが部屋に響いた。しばらくしてもう一度インターホンが鳴る。日向はなぜか肌が震えるような恐怖を覚えて、手紙を握りしめると玄関から一番離れた窓へ駆け寄った。
「警察です。少しお話したいことがありますので、出てきてくれませんか」
全身が身震いした。ねっとりした声が耳に届いて、手紙をポケットに突っ込むと窓から身を乗り出す。得体のしれない恐怖が背中をはいずりまわる。
(警察……逃げなきゃ……!)
窓はアパートの2階に取り付けられていたが、上手くついていた柵へ足をつけると、飛び降りた。気づかれないように足音を消しながら玄関とは逆方向へ走る。
五分走ったところで家の方角からけたたましいサイレンが耳に届いた。
それから宛もなく何時間も走り続けた。
そうすると走りながら頭の中で少しずつ、ゆっくりと父が伝えたかった想いが、託された秘密の重みが分かってくる。
(お父さんは、ただ平穏が続いてほしかっただけなんだ)
すとんっと何かが心に落ちてはまるような感覚がした。
(だって、この秘密を盾に警察を脅せるのに、ただ隠して眠らせようとするのは、世間にこの事を発表して国の崩壊へも続いてしまうよな騒ぎを起こしたくないし、かといって警察にこれ以上好き勝手をさせたくないからだ)
父はもともとまったりのんびりしてる人だった。そして平和を愛おしく思う人でもある。
(わたしに何ができるか分からないけど、とりあえず逃げようっ!)
日向は自分に喝を入れた。父の手紙に書いてあった『大丈夫、君を僕の代わりに守ってくれる人は必ずいるから』の言葉を思い出すと勇気が湧いた。
それから一度は警察に見つかったが撒き、今に至る。
「あなた達は本当に、わたしを守ってくる人なの?」
探るような目つきで睨みつける日向に、凪は怒るでもなく呆れるでもなく、真剣にうなづく。
「いきなりすべてを信じろとは言わない。君がその眼で見て、聞いたものを自分なりに考えて信じてくれればいい」
考えを押し付けない言葉に、日向は飲み込んでいた息を少しだけ吐いた。信じ切ったわけではないが、敵じゃないと思えたのだ。
「じゃあ一つ約束して。警察の不祥事は誰にも言わないで隠し通すこと。自分の利益にも使わない。約束してくれるならわたしはあなた達を少しだけ信じてみてもいいかなと思う」
「分かった。秘密は隠し通す」
上目線から言ってみても日向の、信じてみてもいい、という言葉で嬉しそうにしている凪になんだかほだされて、冷めてきてしまったカップを口につける。
まだほんのりと温かくてミルクの味が甘かった。
「お前、女にしてはしっかりしてて強いな。十そこら子供なんて泣くか喚くかぐらいしかできないと思ってたが」
面白そうに日向を見ながら正宗は近くにあったソファにどかりと腰を下ろす。行儀悪く机に脚を乗せる正宗に、日向は無意識で立ち上がって口を開いていた。
「机に脚を乗せちゃだめでしょ! 小さい時に教わんなかったの!?」
ついつい、いつもどこか抜けている父親を怒るような感覚で初対面の、しかもかなり年上であろう正宗を叱ってしまう。
叱った後に正気を戻し日向は口に手を当てた。
(しまったー……、いつもの癖でやっちゃった……)
手に変な汗がじわりとにじむ。目の前にいる四人の中でも一番強面な正宗だ。もしキレられて暴力に移られてしまったら自分では対抗する力が弱い。
身を固めてぎゅっと目をつぶったとき、となりから小さな笑い声が、そして耐え切れなくなったように大きくなった笑い声が発散された。
「え……凪、さん?」
大笑いとは無縁の凪が身をもだえ苦しむように曲げて笑っている。眼がしらに涙を浮かべながらもひたすら笑い続けた。
「あーあ。凪のツボにドストライクね。凪がこんなに笑うことって珍しいのよ? 日向ちゃん、なかなかやるわね」
褒められているのか分からない称賛《しょうさん》に呆然とする。一方、正宗の方も予想外に、
「悪かった……」とうつむきながら足をしっかり床につけて反省していた。
(なんなんだ、この人たち……なんか調子、狂う)
まだ笑っている凪に落ち込む正宗を交互に見て、言葉を失う。
見た目は怖くてかっちりしてるのに、心は無邪気な子供のようだ。
なんだかこちらまで顔の筋肉が緩んできたとき、今まで感じなかった気配が背中に現れた。
「あげる」
ばっと振り向くとヘッドホンをかけてノートパソコンを手に持った長身の男性が立っていた。
この人は先ほど凪が紹介していた梓馬という人物だろう。
「へ……あ、ありがとう」
差し出された銀包みを受け取ると中身を開く。そこには板チョコがくるまれていた。
「疲れたときはチョコレートが一番……」
ぼそりとつぶやくと梓馬はそのまま隅へ行って、体育座りでまたノートパソコンをいじり始める。
「ぷはっ」
知らぬ間に日向は口元を上げて笑っていた。
自分でも笑っているわけが分からなかったが、久しぶりに心が軽くなったような気がした。
それは初めて父親意外に笑いあえる人ができたときであった。