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*5*
この家には梓馬以外、ロリコンの変態と露出狂《ろしゅつきょう》と誘惑魔という問題児がいると確信してから一週間が経った。
あれから幾度となく問題児の行動や発言に散々振り回されてきた日向は、そりゃあもう誰にも乱されない鉄壁の心を鍛えあげられた気がした。
たとえば夜寝るとき、「もし一人で寝るのが怖かったいつでも言ってくださいね。僕が添い寝して差しあげますから」と言って部屋へいきなりやってくる凪。 時間を問わずお風呂に入っては人に指摘されるまで上着を着ない正宗。いきなり飛びついて体を締め上げる蓮華。
唯一梓馬だけは無害で、口数は少ないが日向にとって気の休まる相手となっていた。心なしか最近じゃ少し仲良くなれた気もする。
(梓馬さんと今日だってお菓子一緒に食べたし、昼寝したし……)
なんだかもう小動物のような感覚だった。
「梓馬さん、わたし先に寝ますね。おやすみなさい」
丁度見ていたテレビのドラマが終了したので、日向はあくびを噛みしめながら立ち上がる。
日向の隣で体を丸めながらホットミルクを飲んでいた梓馬はこくりとうなづいた。
「おやすみ……」
聞き取れないような小さい声だが日向にはしっかり分かる。
リビングを出て自室へ向かおうとしたとき、廊下でこちらへ向かってくる凪の姿があった。向こう側は暗くてよく見えないが歩く姿から凪だと分かるのだ。
(まだ少ししか暮らしてないのに、なんとなくわかるもんなんだな……)
感覚だけで見当がつくようになった自分に少し感心した。
凪は横を通るときに日向の頭を優しくなでていく。
「おやすみ」
低く落ち着いた声に一瞬、日向はどくんっと胸が高鳴るのを感じた。
なぜか今だに凪だけはスキンシップに慣れない。
時には誘惑魔で、時には大人びていて、ふわふわして掴みにくい性格だ。
(あ……返事返すの忘れちゃったな)
少しだけ悔いるような気持ちになりながらも、自室へ足を進めた。
日向が巨大ケーキに追われている夢を見ているころ、真夜中のリビングではマフィアたちだけの晩餐会《ばんさんかい》が開かれていた。
日向が家に来たころから、昼間は飲酒やたばこを吸わずに、日向が寝付いてから行うようにしているのだ。
「なあ、凪。本当の事、日向に話さねえのかよ。このままだと、そのうちばれて日向に嫌われっぞ」
グラスに入ったビールを一気に飲み干しながら、酔い口調で正宗は訪ねた。
隣でワインを堪能していた蓮華も少しだけ考えるように肘をつく。
「確かにねえ。日向ちゃん、自分が騙されてるって知ればかなり傷つくんじゃないかしら」
「別にいいさ。仲間のためなら、たとえ彼女を傷つけることになったって。蒼梧さんが亡くなった今、僕らがかなり危険な位置にいるのを知ってるだろう?」
二人の言葉にうつむきながら、凪は雑念を振り払うように言い切った。
決意した表情に正宗と蓮華もうなづくしかないのだった。
今日は手作り菓子でも作って綺麗になった庭でティータイムでもしようかと日向が考え込んでいると、見覚えのある顔がつけっぱなしのテレビに写っていた。
「……って、これ、わたしじゃない!?」
日向の声に、朝食のためにリビングに集まっていた他の四人もテレビを見た。そして眼を見開いてテレビを食い入るように見る。
「『厳重指名手配犯、本郷日向』ってなんだよ……思いっきり顔写真載ってんじゃねえか」
正宗が渋い顔つきでつぶやく。凪も苦虫を噛み潰したような顔で飲みかけの紅茶を置いた。
「とうとう警察も足どりが一切つかめなくて市民の協力を得るために公開したか……。夕刊の新聞の見出しはざっと『衝撃! 女子高生が厳重指名手配犯に!?』みたいなところかな」
「そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ!」
凪の頭を蓮華は手に持っていた雑誌で一発叩くと「梓馬っ」と呼ぶ。梓馬はもうできてるとばかりにパソコンをみんなに見えるように傾けた。
「もうネット上ではかなり話題になってる。警察は大手のテレビ会社や新聞・サイトへ情報を買わせたみたいだから、広がるのが早いんだ。多分関東一帯は歩けないと考えていい」
静かな声で状況説明する梓馬に日向は絶望的な気持ちになった。
もうこれで、本当に帰る場所はなくなってしまった。高校にも親戚の家にもアパートにも行けない。そしてなによりも外を出歩けないのだ。もう市民が日向の顔を知ってしまってるせいで、見られればすぐに通報されてしまうだろう。
「……これ以上ここにいるのも危なくなってきたな」
「そんな……っ」
凪の言葉に雷に撃たれたようなショックを受けた。今まで騒がしいなりとも愛おしく感じてきた日常がこんなにもあっさりと崩れてしまうのだろうか。
(ううん、必ずやってくる平和な日常なんてないって……知ってた。もう、知ってるじゃんか)
日向はついこの前失った、たった一人の父親の事を思い出した。
明日も明後日も会えるはずだと思って疑わなかった父親が次の日にはいなくなっていた。
大切で大事なものほど、あっけなく終わりを迎えてしまうこともあるのだ。
爪の跡が残るほど強く両手を握りしめたとき、その上に優しく覆いかぶさる掌があった。
「大丈夫ですよ、日向さん」
「変な心配すんな。お前は俺らに守られてればいい」
「大丈夫……」
「……っ! みんな……、」
凪、正宗、梓馬が手を重ねる。その上に蓮華も手を重ねてぱちっとウィンクした。
「ねえ、じゃあ、お金持ちの避暑地とかだったら市民もいないんじゃない?」
そこから四人の行動は素早かった。
簡単に手荷物をまとめると家の隣に留めてある黒い車につぎこんでいく。
元々日向は身一つだったので手荷物はなく、邪魔にならないように普段の2倍の速さで動く皆を見守っていた。
「よーし、しゅっぱーつ!」
蓮華が腕を上げて合図する。その合図と一緒に凪がエンジンをかけて夜中のうちにアジトを抜け出した。
向かう先はなんと蓮華の知り合いの避暑地だという。今までもマフィアの身であるため何度も隠れ家として使っていたらしい。
「蓮華さん、マフィアってどうやって人が集まるんですか? やっぱり家族の家系とかなんでしょうか」
蓮華のお金持ちの知り合い、という部分に疑問を覚え、隣に座っている蓮華に聞く。蓮華は少し間を開けてから口を開いた。
「……そうね、家族でマフィアっていう人たちもいるけど、大体は帰る場所がない人や家を飛び出してきた人が集まるのよ。そして一つの大きな家族となる。マフィアのグループはファミリーとも呼ばれてるの」
会った頃に凪が自分たちは十六ファミリーだと言っていたのを思い出す。
じゃあ他にもたくさんのファミリーがいるのだろうか。
「蓮華さんはどうしてマフィアに……?」
聞いてから日向は後悔した。
人には知られたくない過去の一つや二つあるだろう。
申し訳ない顔をする日向に蓮華は苦笑すると内緒話をするように日向の耳に手をあてた。
「あたし、元は名のある名家の令嬢だったの。でも厳しいしきたりとか決まった婚約者とかすごく嫌いでね、家から逃げてきちゃった。当然マフィアになって両親からは勘当されたけど、逆になんだかすっきりしたしたのよね。自由になったみたいで」
蓮華は清々しい顔をしていた。
同時に日向は自由に翼を広げて羽ばたく蓮華を少しだけ羨ましく思った。
(わたしにも、なにかしたいと思うことはできるのかな)
今は一人じゃ身動きもできないが、これからどうしたいのか考えることはできる。
「で、向かう知人の避暑地っていうのがあたしの叔母の避暑地でね。今は冬だからいないんだけど、すごくおおらかでマフィアになったあたしを認めてくれる人なんだ」
嬉しそうな蓮華を見て自分の胸にも喜びが湧く。
(わたしも、したいこと考えよう。自分で考えて自分で動くんだ)
未来へ続く道が少しだけ見えた気がして、胸の中が満たされていくような感覚に眼を薄く細めた。それは心地よく、少しだけくすぐったい。
(そのとき、みんなが周りにいたらいいのにな……)
マフィアの四人はもう大切な人になっていた。
普通に生活していたら決して出会わなかったであろう人たち。しかし今はそんな人たちが目の前にいて日向に笑顔をくれる。なんだかそのことが不思議に思えながらも漠然とした安心感をおぼえる。
日向は穏やかにやってくる車の振動で、誘うような睡魔に身を預けた。
なんだかいい夢が見られる気がする。