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*9*
空気を換えるように日向はずっとポケットに入っていた手紙を取り出した。
「そういえば、あのね。お父さんからもらった手紙、また再会できた時に暗号の意味を話そうと思うの。きっとわたし一人がこんな危なっかしい警察の不祥事を知ってるよりも、凪さんとかと一緒にこれからについて考えた方がいいと思って」
会った当時は信用できずに手紙の内容を一切明かさなかったが、今は明かして話し合いたいとも思う。
会ったばかりのころに、秘密は隠すと約束してくれたし、その上で内密にするべく最善の方法を凪たちとで考えたいのだ。
それに「またみんなで会う」という意味を込めた未来への言葉のつもりで日向は告げた。
しかし正宗は予想していた反応とはまったく別の言葉を発した。
「……手紙、見せないほうがいい」
恥じらいが一瞬にして消え、思いつめたような暗い表情をする。
「え……、なんで?」
おもいがけない言葉に日向は首をかしげた。なにか理由があるのだろうか。
長い沈黙のあと、正宗は下唇を切れるぐらい強く噛みしめると、振り切るようにまっすぐ日向をみた。
「俺達の本当の目的は、お前の持ってる手紙に書かれた内容を見て、それを盾に警察を脅しながら勢力拡大をすることだ。でも暗号は読めないから、日向自ら話すのを待つって……。最初っから約束事なんて破ってんだ」
時間が止まったような感覚におちいった。音が遠くに聞こえて、だんだん呼吸がしづらくなってくる。
正宗の言葉が一つもこぼれず、何度も何度も脳の中でリピートした。
「でも、やっぱり俺はそんなことしたくない。不祥事を盾に勢力拡大なんて卑怯な奴がやることだし、第一にお前をもう騙すようなことはしたくねえんだ」
騙す、の一言がやけに大きく聞こえた。そういえば最初から見知らぬ他人だというのに、どの人も優しかった。
(そっか、わたし騙されてたんだ)
優しくして信用させて手紙を見るつもりだったんだ。あの笑顔も優しい温もりも、全部『嘘』だったんだ。すべては手紙の中を見るために――。
心に穴がぽっかりと開いて、そこから水が漏れだすように、瞳から涙がこぼれた。渦を巻いて抑えきれない激しい悲しみがふつふつと湧いてくる。
涙を流す日向に慌てて正宗は何かを言っているようだったが、もう日向の耳にはなんの声も届かない。
「じゃあ、ずっと助けるふりして、わたしから暗号の意味を聞き出そうとしてたんだね」
「な、それは、違っ――」
「もういいよっ‼」
立ち上がると日向は小屋を飛び出した。行く末も来た道も見えない暗闇の中で無茶苦茶に走る。
後ろから正宗の呼ぶ声がしたが振り返らずに全力で駆けた。胸の悲しさを全て消し去るように。
気づけば正宗の声はもうなく、一人っきりで山の中をさまよっていた。荒く鳴った息に耐えかねて倒れるようにその場に座り込むと、胸が締め付けられるような感覚にかられる。
「っ…………、信じてたのに……大好きだったのに、やっとお父さんの他に?家族?ができたと思ったのに‼」
悲痛な叫び声が森に響いた。
もう上手く呼吸が出来なくて、喘《あえ》ぎ声と絶望的な孤独感が溢れる。
凪の心が安らぐような微笑みが、正宗の時々みせるぶっきらぼうな優しさが、蓮華の抱き着くときに感じる温かさが、梓馬の無口だけどいつも隣にいてくれる居心地の良さが、愛おしかった。
父親がいきなり亡くなったことから、どこにでもある幸せはいつでも崩れ去ってしまうと知っていた。だからこそわずかなことでさえも愛おしくて大切で堪らなかったのだ。
「だけど、それが全部嘘だったなんて……思いたくないよっ」
嫌だ嫌だ、と子供のように否定するが現実はそれを許してくれない。
凪たちが暗号の意味を教えてもらうため日向に接して、全ての優しさが偽りだった。
(…………また、一人ぼっち、だ)
いつの間にか雨が木々の間から滴るように降っていて、頬をつたう水滴が涙なのか分からなくなっていた。
しかし胸に隙間風のようなものがひんやり吹き込むのだけは感じた。きっと溶けることはないだろうというほどに心は冷たく凍っている
日向はもう動く気力もなくなり、まぶたを上げ続けることさえめんどくさくなって、その場にうずくまるよう寝転がると眼を閉じた。