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*8*
山へ入ってきてから何時間経って、どこまで来たのか一切分からない。警察もきっと後から追ってきたのだろうが、良くも悪くも日向たちには存在が確認できなかった。
走ってきた距離を感覚だけで考えると、相当車と距離を置いただろうということが漠然と分かった。
日向の体力も限界に達してきたころ、身を隠すにはちょうどいい小屋を山の中で見つけて正宗はそこを一度休憩場として選んだ。
さすがマフィアというべきか、緊急時に必要なものはいくつか持ち歩いているらしい。
「ほら、これ。さみいだろ」
正宗もつかれているのか短く言葉をきって、日向へ上着を差し出した。しかしどうにも受け取れず首を振る。
「いや、でも……正宗さんも寒いんじゃ」
「いいから黙って着とけ。風邪でも引かれたらこっちが困る」
頭にぼふっと上着が投げられた。セーラー服という薄地の寒さに負けて日向も上着に腕を通す。
「今から薪を小屋の中で起こすから、これを窓に張ってこい」
黒くてすべすべした暗幕のようなものを渡される。それを日向は隙間なく窓に張り付ける。
きっと時刻が夜であるため、火を使うと明かりが外に漏れてしまい発見されやすくなるのを防ぐためだろう。
手際よくいくつか運んできた木の枝を並べるとライターで火をつけた。じりじりという音と共に火が少しずつ大きくなっていく。
その火の明かりで正宗の頬が切れているのが分かった。それ以外にも複数、怪我を負っている。
(そういえば山道を正宗さんは先頭してくれたんだ。でも安全な道ばかりじゃないから自ら盾になって道を開いてくれた……)
知らぬ間に守られていたことを実感する。なにもわからない暗闇の中に突っ走っていくのだから怪我の一つや二つだってするだろに、その危険もかえりみず安全な道かどうか確かめてくれたのだ。
「正宗さん、怪我を治せる道具とかありますか」
「あ? まあ、小さい救急セットぐらいならあるけど……お前、怪我したのか!?」
正宗はつい腰を浮かせる。人の心配してる場合じゃないだろうに、と日向は思いつつも救急セットを受け取ると、鋭い目つきはどこへ行ったのやら、日向が怪我をしていると勘違いしておろおろしている正宗を無理やり座らせた。
「わたしはどこも怪我はしてません。それよりも正宗さんの方が一杯怪我してるじゃないですか。今から手当てするんで大人しくしててください」
まず消毒液を取り出すと木綿に染み出せて切れた頬にあてた。痛いのか正宗は顔をしかめるが、日向は容赦なく腕や足の傷口にも当てていく。
「お前、容赦ねえな……」
「だってばい菌が入ったほうが大変ですもん。ここは痛くてもしっかりとやっておいた方がいいんです」
子供のころ、母に言われたことを思い出して言うと、正宗も諦めたようにされるがままになった。
次に薄いガーゼを当てると腕や足には包帯で巻きつけて、頬はばんそうこで足りたので、ぺたりと貼り付ける。
「そういえばさっき凪たちから連絡が入っててな、全員無事に警察との戦闘の末、逃げだしたってよ」
「本当ですかっ!?」
「いてっ! お前なあ、怪我の所を思いっきり握るとかやめろよ。サドなのか」
嬉しさで思わず包帯を巻いたばかりの腕を握りしめてしまった。慌てて話すが、身体中がほぐれるような安堵感が広がった。
(良かった……。みんな無事で良かった)
「……なあ、そういえばお前、敬語やめるんじゃなかったのかよ」
ほっと息をつく日向にポツリと正宗は愚痴を言うようにこぼした。日向も言われて初めてというように思い出した。
「そういえばそうでしたね。でも敬語をやめようと思ったところで、そんなことを意識する間もなく警察がやってきたので……。それからはつい反射的でして」
「じゃあ……――正宗って、呼び捨てにしないのか」
仏頂面ながら、どうにか拾える小さな声でつぶやいた正宗に日向は唖然とした。動きを止めた日向に気づいて、正宗は覆いかぶさるように座っている日向の両側に腕をつく。
「俺は、正宗って呼んでほしい」
いつもイライラしてるいるようないかつい口調なのに、今だけは低く色っぽい声に日向は体が火照るのを感じた。
至近距離で見ると意外に正宗のまつ毛が長いことに気づく。
「呼べ」
命令口調でさえ今は逆らえない甘い音に聞こえて、息づまるような熱さを感じながら口を開いた。
「ま、まさむね……」
名前を読んだ後に言葉にならないほどの羞恥心に襲われて、とっさに顔を隠したくなる。しかし身動きがとれないように正宗の腕で囲まれているため叶わなかった。
密室と呼べる狭い小屋の中で二人っきり。互いの呼吸さえもが静寂の中で聞こえて混じり合うように響く。
指の先は冷たいのに、正宗の触れている場所や吐息がかかる部分が焼けるように熱い。
「…………っ、もうだめだー!」
激しく鳴り響く胸に耐えられなくなり、日向は力強く正宗の肩を押すと逃げるように部屋の隅へ寄った。
正宗も押された衝撃で我に返ったように息をのむと、たちまち自分がしたことに顔が赤くなる。
「わ、わりい! いや、疲れでちょっと頭がおかしくなってた」
「どういう頭のおかしくなりかたよっ」
言い返しつつ顔を見たこともないくらい真っ赤に染めている正宗に、こちらがなにか悪さをしたような気分になる。
「ま、正宗って、そう呼んだ方がいいのね!? それと敬語はなしで!」
なぜか罪滅ぼしのように了承の意を表した。甘い空気はとにかく、簡単にまとめると呼び捨てで敬語なしにしろ、ということなのだ。
「あ、ああ。まあ、そうっだな」
はっきりしない答えなのは今さら照れているからだった。
強面マフィアの姿はどこへやら、あまりにも純白の乙女のような恥じらい方に、日向も伝染したかのように再び頬が赤くなった。
二人してまごまごと騒ぐだけ騒ぐと自分を落ち着かせようと深呼吸する。