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一万六千
作者: 全州明  (総ページ数: 10ページ)
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*7*

「ねぇ旅人さん」少女が布団から顔を出した。
「なんだい?」
「ねぇ、旅人さん。眠れないから何かお話して?」
「お話? どんなお話がいいんだい?」
「うーーんとねぇ、昔話がいいな」
「うーーん、昔話か。それじゃあ、昔の話をしてあげようか。

 ――昔あるところに、若いお父さんとお母さんがいました。
 お母さんのお腹の中には子供がいて、とても幸せそうに暮らしていました。
 でも、その生活は、長くは続きませんでした。
 ある日、お父さんの勤めたいた会社が倒産して、お父さんは職を失ってしまったのです。
 そして、生活に困ったお父さんは、家にあった貯金を全て下ろして、遠いところへ逃げてしまいました。
 残されたお母さんは、なんとか働いてお金を稼ごうとしましたが、お腹に子供がいたので、なかなか働くことはできず。自分ひとりの生活がやっとでした。
 でも、もうすぐ子供が産まれます。子供はもう中絶ができないくらい成長していました。
 ただでさえぎりぎりの生活なのに、子供を育てる余裕なんてありません。
 お母さんは悩みました。しかし、どれだけ悩んでも、いい答えは出てきませんでした。
 そしてついに、その時が来ました。
 それは、いつものように水道代を節約するため、公衆トイレで手を洗っているときでした。
 洗面器からはほとんど水がこぼれ出ていないのに、いつの間にか足元が水浸しになっていました。破水でした。
 その時、周りには誰もいませんでした。

 ――だからお母さんは・・・・」
 きずけば少女は、静かに寝息をたてていた。
「・・・・・続きはまた明日。お休み」
 話の一番大切な部分を聞き逃されては困るので、旅人も寝ることにした。

 ――やがて、朝が来た。

 旅人が眠そうに目をこすりながら起き上ると、少女はすでに起きており、窓の外を悲しげに見つめていた。
「・・・・どうかしたのかい?」
「ねぇ、旅人さん」
 少女はまだ窓の外を見ている。
「なんだい?」
「わたし、最近怖い夢を見るの。とっても怖い夢を」
「どんな夢?」
「人が死ぬ夢。夢の中の私は、いつもわたしじゃない別の人で、昨日は知らない男の人だった」
「夢の中のわたしは、とっても幸せな生活を送ってて、その日も幸せそうに大通りを歩いていたの、そしたらいきなりお腹に何かが刺さって、となりにいた女の人が悲鳴を上げて、わたしはお腹がとっても痛くなって、苦しくて、倒れて・・・・そんな夢だった」
「嫌な夢だね」
「でもわたし、思うの、あれは夢なんかじゃないって」
「どうして?」
「だってわたし、山から一度も出たことないのに、わたしの歩いてた道がセタガヤ大通りって知ってたもん」
 確かにそうだ。
 本当に一度も山から出たことがないのなら、大通りの名前を知っているはずがない。
 それにその大通りはここからかなり離れた場所にある。
 この子の両親が知っていて教えたとしても、その場合、この子の両親はかなり遠くからわざわざこんな山奥に引っ越してきたことになるからその線はなさそうだ。
 こうゆう人気のない場所ほど殺人事件が起きやすいからな。
 そんな不便なことだらけの場所に引っ越してくることはないだろう。
 と言うことは、この子が見た夢は、まさか・・・・
「ねぇ、わたし怖いよ、旅人さん。わたし、殺されたくない。でも、一人はさびしいよ」
「大丈夫だよ、お兄さんがついてるからね」
「でもまた、お兄さんも知らない人に殺されちゃうんでしょ? みんなみたいに」
「大丈夫。知らない人には殺されないよ」
「どうして? どうしてそう言いきれるの?」
「だって、この世界に残っているのはもう、――君だけだから」

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