完結小説図書館

<< 小説一覧に戻る

パフェイン0% (完) 『原題:今日創られる昨日』
作者: 全州明  (総ページ数: 9ページ)
関連タグ:
 >>「紹介文/目次」の表示ON/OFFはこちらをクリック

*4*

「あっ、雨降ってきた。ついてないなぁー」
「そうだねー」
 帰り道、恵美は降り出した雨に愚痴をこぼす。
 悦子はそれを聞いていたのかいないのか、生返事で答え、足を止めた。
「ん? どうしたの悦子?」
 いきなり足を止めた悦子を不信に思い、麻奈は首をかしげた。
「・・・・向こうに、誰かいる」
「え? 誰もいないよ? 気のせいじゃない?」
 理恵が体を傾けて角の向こうを覗き込み、そう呟く。
「雨降ってきたし、早く帰ろうよ」
「そうだよー」
 二人に急かされ、悦子はただの気のせいだと思い、風邪をひいても困るので、再び歩き出す。
「うん、そうだね」
 しかし、曲がり角の向こうには、確かに誰かが立っていた。
 正確には、曲がり角を曲がった先の、道の先に。
 それは背が低く小柄で、見たところ、十代半ばくらいの少年だった。
 上下にジャージを着用し、黒い帽子を深くかぶっており、両手には、毛糸の手袋をしていた。
 秋真っただ中のこの時期に、これほどの厚着をしているのは別におかしくないが、彼はそこから動こうとせず、心なしか、悦子たちの方を見ている気がする。
「何アイツ、誰か待ってるのかな?」 
 恵美がそう呟いた時だった。
 先程まで立ちつくしていた少年が、突如駆けだし、恵美のすぐ横をあっという間に駆け抜けて行き、さっと曲がり角の向こうへと消えていった。
 そのあまりの速さに面喰い、悦子が目で追うと、すぐ近くを駆け抜けていったのに驚いたのか、恵美が尻もちをついて目を見開き、口をパクパクさせていた。
「恵美、大丈夫?」
 悦子が駆け寄ると、落としたカバンを気にもせず、恵美は、焦点の定まらない目で、縋るように悦子たちを見つめ、震える声で、うわ言のように呟いた。
「違う、違うの・・・・」
「どうしたの恵美、何が違うの?」
「カバン濡れちゃうよ?」
 麻奈は悦子の間の抜けた発言を無視し、心配そうに恵美を見つめる。
「・・・・アイツが、私の横を、通り過ぎた時、アイツの、手が、あたしの手に、当たって・・・・そしたら、急に右肩が軽くなって、それで・・・・」
「右肩? 右肩が、どうかしたの?」
 悦子が恵美の前に回り込み、恵美のブレザーの右袖をつかむと、右袖は頼りなく折れ曲がった。それは本来、そこにあるべきはずのものが、なくなっていることを意味していた。
「嘘・・・・こんなの、嘘よ。ありえない。あんな、あんな一瞬で、どうやって・・・・」
 悦子は、恵美が怯えている理由に気がつき、頭の中が真っ白になった。
 恵美の制服が、見る見る赤く染まっていく。
「悦子までどうしたの? 顔が真っ青だよ?」
 どうやら麻奈の角度からは恵美の右側が見えないため、まだ気がついていないらしい。
 だが、それも時間の問題だろう。自分まで混乱している暇はなさそうだ。
「ちょっと救急車呼んでて」
 それだけ言うと、悦子は麻奈の返事も聞かず、少年の逃げて行ったほうへと駆け出した。
 曲がり角を曲がると、案外すぐに追いついた。
 少年は、道の先の曲がり角で、待ち伏せしていたのだ。
 その後ろには、ランニング用と思われるタンクトップを着た、知らない男が倒れていた。
「随分遅かったね?」
 彼は、確かに少年の姿をしている。しかし、様々な声の入り混じる、不気味な声をしていた。
「アンタ、何者なの? 本当に、人間なの?」
「何言ってるんだよ。見ればわかるだろ? 僕は人間じゃないよ。でも、それも今日で終わる」
「何、言ってるの?」
 悦子は困惑した。確かに、あれほどまでに早く走り、一瞬すれ違っただけで恵美の右腕を奪い、様々な人が入り混じったような不気味な声で喋るこの少年は、とても人間には思えない。
 しかし本当に、人間でないというのなら、目の前に立つこの少年は、一体なんだ?
「あと一つ、あと、一つだけなんだよ。それさえ手に入れれば、僕は、人間になれる」
 そう言って、少年は、両の手袋を脱ぎ捨て、自らの手をさらけ出した。
「ほら、見てよ。僕の手を」
 そう言って、少年は、両手を悦子にみせつけるように突き出した。
 右手は、少年にしては色白で細く、丸みを帯び、すべすべとした、綺麗な手だった。
 しかし、少年の左手は、わずかに光沢を帯び、真っ黒に染まっていた。
「何なのよその左手!!」
 悦子は後ずさりした。
「僕にはまだ、左腕がないんだ。でも、あの人に貰えば、僕は、人間になる」
 少年は、後ろに倒れこむ、男の左腕を指差した。
「貰うって、そんなこと、できるわけ・・・・」
「できるよ。今までだってそうだった。
 足りないものは、みんな、手に入れてきた。
 君だって見ただろう? 僕が、あの子の右腕を、奪うところを」
「まさか、その右手は・・・・」
「そうだよ。今更気付いたの? まあぃいや。それより、僕が人間になる記念すべき瞬間を、この人の代わりに見届けてよ。この人、僕が左腕を取ろうとしたら、気絶しちゃったんだよ」
 そう言い終わると、少年は倒れこむ男にゆっくりと歩みより、男の左手を、真っ黒な左手で掴んだ。その瞬間、男の左手が消えたかと思えば、いつの間にか、左手部分に、少年のものにしてはやけに大きい日焼けをした手が、当たり前のように生えていた。
 それを見た悦子は言葉を失い、追いかけてきたことを後悔した。
 少年に生えた左腕は、もう男のもとへ戻ることはないだろう。
 もう、取り返しはつかない。
 少年がゆっくりと立ち上がり、悦子の方に振り返り、一歩一歩、近づいてくる。
「あ、あ・・・・」
 悦子は必死に助けを求め、声を上げようとするが、声にならない空気が出るばかりで、舌が喋り方を忘れたように空回りする。膝ががくがくと振るえだし、まるでゆうことを聞かない。
 絶望感とともに涙が込み上げて来たその時、少年が突然足を止め、生えたばかりの左腕で、自分の胸倉を掴み、うめきだした。呼吸が乱れ、目が虚ろになる。
「なんだ、これ・・・・」
 少年は前屈みになって頭を抱え、尚も呻く。
 少年の様子がおかしいことに気がつくと、足の力が抜け、悦子は膝から崩れ落ちた。
 悦子は何とか息を整え、やっとの思いで問いかける。
「どう、したの?」
「・・・・痛ぃ。痛いん・・・だ。体中が、痛い。こんな、こと、今まで、なかったのに・・・・
 なんで? どぅして? 僕は、人間に、なれた、はず・・・・な、のに」
「何で? 何で、そこまでして、人間になりたがるの?」
「だって・・・・人間に、なれれば、誰かと一緒に、笑ぅことだって、
 誰・・・・と、一緒に、遊ぶことだって、誰かと一緒に、過ごすこと・・・・だって、
 誰かと一緒に―――恋をすることだって、できる、じゃないか。
 そんな、そんな、ことが、できたら、きっと、きっと、楽しい、はず、だ、から―――」
 最後の力を振り絞るようにして出したその声は空の涙とともに、どぶの中へと吸い込まれ、少年は冷たいコンクリートの上に、力なく倒れ込んだ。

3 < 4 > 5