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パフェイン0% (完) 『原題:今日創られる昨日』
作者: 全州明 (総ページ数: 9ページ)
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*紹介文/目次*
第一章 『我名ハ』
ダイヤモンドを粉々にしてぶちまけたように点々と輝く宇宙の、中心に位置する星にそびえたつ、白く大きな神殿の最深部、王の間に、二柱の神がいた。
一柱は、全ての創造神、神王。その身分に見合う、巨大な玉座に席を取る。
「セルゼルノ、今日お前を呼んだのは他でもない。この世界の、いや、我らの存続に関わる重要な頼みごとがあったからじゃ。それも、御主にしかなし得ぬことじゃ」
セルゼルノと呼ばれたもう一柱は、その正面に敷かれた赤いカーペットの上で、少々猫背ではあるが、一応神王に忠誠を誓う形で跪き、その意欲無き瞳で、神王の眼を見つめていた。
神王より若く、青みがかった白髪を生やす。その名は、有無を司りし神、セルゼルノ。
彼は神王の言葉を聞き、そっと、安堵のため息をついた。
『良かった。てっきり消されるかと思った』
つまり彼は、消されてもおかしくないほどのことをやらかしてきたのだ。
つい先日も、誤って銀河の一つを消滅させてしまったばかりなのである。
・・・・それはさておき、セルゼルノは顔を上げ、ゆっくりと口を開く。
「私にしかできないこと、と言いますと?」
ちなみに、セルゼルノが自分のことを私と言うのは、神王の前でだけである。
「この世界で唯一生き物の住まう星、地球に、最近、高い知能を持つ生物が現れ出したのは、御主も知っておるな?」
「はい。もちろん存じ上げております」
『へぇー、そうなんだ。知らんかった』
「その生物たちは自らの事を?人間?と呼んでおるのじゃが、ついに彼らは、この世界の理(ことわり)を、彼らの中の常識を、根本から覆しかねぬ、ロケット、という装置を作り上げた」
「ロケット、でございますか?」
どれも初めて聞くことばかりで、セルゼルノは戸惑いの色を隠せない。
「そうじゃ。どうもそれは、地球を抜け、宇宙へと飛び立つことのできる装置らしい。もしもそれに人間が乗り、宇宙を見れば、世界の理が破られ、たちまち世界が崩壊することになる」
「何とっ!!」
あまりのことに、セルゼルノは目を見開く。それと同時に、嫌な予感もした。
そしてその予感は、すぐに的中することになる。
「そこで、この世界で唯一、いなくなっても世界のバランスに何ら影響のないお前に―――」
それはつまり、『お前この世界に必要ないから』ということでは?
セルゼルノはふとそう思ったが、神王の言葉が、すぐにその思考を停止させた。
「新たなる世界を、七日間で造ってほしい」
セルゼルノは一瞬、冗談か何かかと思ったが、どうやら神王は本気らしかった。
「七日間、ですか?」
「案ずるな。何も一から創れとは言わん。今あるこの世界をそのまま真似ればよい」
「それはつまり、この世界のコピーを造れ、と言う事ですか?」
「要するにそう言う事じゃ」
「しかしなぜ七日なのですか!?」
セルゼルノは納得がいかなかった。
というか納得したくなかった。面倒なので。
「さっきも述べたであろう。時は一刻を争う。別の世界を造るには、一時的にこの世界を出る必要がある。その際始まりの神、アダムが出ていけばこの世界でこれ以上何も始まらなくなる。
終わりの神イブが出ていけば、すべての終わりと限界がなくなる。
かといってわしはこの世界の創造神であり所有者だ。わしが出ていけばどうなるかわからん。
―――となれば残るはお前しかおらん。しかしお前は御世辞にもやる気があるとは思えん。そんなお前に世界を造らせては、一体何億年かかることやら・・・・。
それに世界を造る際、その時かけた時間が短ければ短いほど安定した丈夫な世界になる。
要するに、簡単に壊れたりしない世界になる。まぁその分矛盾の多いいい加減な世界になってしまうのだが・・・・。そんな世界に、可愛いアダムとイブを行かせるわけにもいかんし」
「え?」
セルゼルノが思わず間の抜けた声を上げると、神王はしまった、という顔を浮かべてから、ごまかすように大きな咳払いした。
「とにかく! この世界が無くなって我らの居場所までなくなってしまっては困る。
多少いい加減でもこの世界と違っていても構わんから地球を含む銀河系とその周辺の銀河を、ニ、三個でよいから今すぐ造ってこい!」
そう言われ、言い返す暇もなく、セルゼルノは新たな世界を造るのに十分な空っぽの空間だけが存在する真っ暗な世界に放り出され、世界へと繋がる扉を閉ざされてしまった。
取り残されたセルゼルノは、なんかもう面倒臭いなぁと、脱力感と言う名の絶望に打ちひしがれ、しゃがみ込んで頭を垂れた。
―――二日後。
神王の座る玉座の前で、一柱の神が跪いていた。
セルゼルノに比べると一回り小さく、艶のある美しい黒髪と気品漂う輪郭を持つ華奢な体。
トーガを思わせる真っ白な服は、所々肌蹴ており、白木蓮のように、白く美しい肌が伺える。
「・・・・神王様」
そしてこの、良く通る高い声。
「なんじゃ」
この姿を見て、
「なぜ私を―――」
この声を聞いて、
「このような姿にしたのですかぁーー!!」
誰が男と、思うものか。
「―――全く。またその話か。御主は一言目にはいつもそれじゃな」
「・・・・すいません。つい、取り乱してしまいました」
そう言って終わりの神イブは、花の香り漂う、肩まで伸びる長い髪を掻き上げた。
「ですがこの外見のせいで人間たちの書物にアダムが男でイブが女と書かれる始末!
これでも私は人間で言うところの〝男〟なのですよ!!」
「それは・・・・すまない」
とはいえ、その人間を創ったのは、アダムとイブである。
まず始めにアダムが生命の始まり、つまり〝生〟という概念を創り、その次にイブが〝死〟という名の終わりを創ったというわけだ。そしてその生命が進化したうちの一つが人間である。
つまり、くどいようだが、人間とその性別を創ったのは、意図的にではないにしろアダムとイブであり、そのアダムとイブを創った神王は、別に何も悪くないのだ。
「まぁ、それはいいとして・・・・で? 一体何の用だ?」
「よくはありません!!」
イブは怒りにまかせて神王を怒鳴りつける。
一応言っておくが、神王は全てを創った創造神であり、本来敬われるべき存在である。
「あぁ、まぁそうだな・・・・じゃあひとまずそれは置いといて、一体何の用だ?」
神王は、今度は少々穏やかに、さりげなく、話を切り替えようとする。
「あぁ・・・・そうでした。忘れるところでした。一つ、聞きたいことがありまして」
「なんじゃ?」
「なぜセルゼルノにあのような仕事を与えたのですか」
「何だそのことか。なぁーに、命の大切さを身を持って学ばせる、いい機会だと思ってな」
「やはりそうでしたか」
「・・・だが、セルゼルノにしか出来ないことというのも、世界が崩壊の危機にあるというのも嘘ではない。我らの未来は、全て奴にかかっている」
「なっ!!」
イブはあまりの事の重大さに絶句した。
「・・・・それはつまり、セルゼルノを信じろ、と言う事ですか」
「その通りじゃ」
おそらくそれが、神王の本当の目的だったのだろう。その証拠に人間たちはロケットの開発には成功したものの、まだ地球の引力を抜け出すだけの力を持ったエンジンを作れていないのである。つまり、なにも七日間で新しい世界を作らせる必要はないのだ。
―――そのころセルゼルノは、銀河系を造っている真っ最中だった。
「畜生。星なんて外見と大きささえそっくりに造れればいいけど、惑星は自転したり公転したりさせなきゃいけねぇから面倒だな」
・・・・理科の先生と宇宙飛行士が聞いたらひっくり返ってそのまま失神しかねないほど、身も蓋もない言い方でだるそうに世界の予備を造り始めたのはいいのだが、いくら神とはいえ、さすがに一柱では限界がある。セルゼルノはそう感じ始めていた。あと、寂しいし、辛い。
とも感じていた。そして辺りを見回し、自分以外誰もいない事を確認すると、
「またアレ作るか。神王にはもう使うなって言われてたけど、この際仕方ないよな」
そう自分に言い訳し、口元に笑みを浮かべた。
――五日後。
神王の座る玉座の前で、今日も一柱の神が跪いていた。
セルゼルノと比べると一回り大きく、艶のある短い黒髪と、角張った輪郭を持つ大柄な体。
その神は、トーガを思わせる真っ白な服の下にもう一枚、丈の短い水色のワンピースを着ており、その裾の下からは、筋肉質でたくましい太ももが生えていた。
「神王様」
そしてこの、低く、力強い声と、爽やかな海の香り。
「なんじゃ」
誰がこの姿を見て、この声を聞いて、
「地球には、性転換、というものがあるらしいですよ」
女だなんて、思うものか。
「・・・・お前もか」
人はこの状況を、デジャヴと言う。
「まぁ、それはまた今度話すとして・・・・」
「まぁ、別に、構いませんが」
そう言って、始まりの神、アダムは、不服そうに顔をしかめながらも、素直に立ちあがり、王の間を後にした。
「って、お前の用はそれだけかぁーーーーーーーーーーーーー!!」
―――六日後。
陽は既に沈み、辺りは闇夜となっていた。
「出来たああぁぁーーーーーーーーーーーあとは分身を回収するだけだぁあ!」
そんなとある街の一角で、セルゼルノは、人がいれば通報されかねないほどの大声で叫んでいた。分身を大量に造ったのが功を奏し、予定より一日早く、例のそっくりな世界、『世・改(命名:セルゼルノ)』を完成させたのだから、まぁ、無理もないと言えば無理もない。
「さっ、ほら、そこの分身、返ってこい」
セルゼルノは、とりあえず一番近くにいた分身の一つに声をかけた。
遅れてその声に反応し、振り返った分身は、形こそ、セルゼルノそっくりだが、その全身は黒く、時を止めている今でなければ、ゲームやなんかでありがちな、ダークなんちゃらとか影のなんとかの用であり、霧のようにぼやけた曖昧な輪郭が、それをさらに際立たせていた。
「あれ? おーい。返ってこーい!」
自分の分身がいつまで経ってもただ突っ立ったままなので、セルゼルノは大げさに手を振り、大声で呼びかける。が、それでも分身は戻ってこない。
セルゼルノに、徐々に焦りの色が見えてくる。
「返ってこぉーーーーーーーーーい!!」
セルゼルノは、元からない威厳を捨て、全力で呼びかける。
やはり分身は戻らない。それどころか分身は、身を翻し、どこかへ走り去ってしまった。
「ありゃ、マズイことになったな」
さすがにふざけてばかりもいられなくなり、額に焦りの色が滲み出す。
世・改の時が止まっているのは二日目から六日目の五日間のみ。
それは惑星が正しく公転、自転しているかなどを確認するためである。
そして、世界の時を止められるのは創造神神王のみであるため、このことを神王に報告しない限り、時が止まっているのは後二、三時間程度・・・・。
「よし、無理だ。諦めよう」
セルゼルノは本を閉じ、近くのベンチにふんぞり返った。
「あぁーでもどうしよっかなー、神王にばれたらマズイよなぁーー」
夜空を見上げると、自らの作った星々が、あちこちに散りばめられていた。
そういえば、人間たちは星と星を線で結んで星座を作るらしいが、この世・改の星は適当に散りばめただけなので、世界の星座とはかなり違うわけだが、良かったのだろうか。
そんな何気ないことを考えているうちに、ふと、一つの矛盾に気がついた。
「あれ? 時間止まってないじゃん」
いくら面倒臭がりなセルゼルノといえど、こればっかりは無視できない。
あのとき神王は、確かに二日目から六日目まで時を止めておくと言っていたはずだ。なのに、辺りはいつの間にか暗くなり、真っ黒な夜空には当たり前のように星々がある。
セルゼルノは立ち上がって近くの壁に駆けより、世界へと繋がる、扉を開いた。
「・・・・神王様」
神王のいる王の間までたどり着いたセルゼルノは、跪きもせず、神王に問う。
「どうしたセルゼルノ。随分早かったな」
「なぜ世・改の時が、もう既に、動きだしているのですか?」
「何じゃ、そのことか。それなら簡単じゃ。あの世界は・・・・」
「世・改です」
「あぁ、そうじゃったな。あの世・改は、二日前から、お前の物になっているのじゃ」
「二日も前から、ですか・・・・?」
「あぁ、出ないと、お前が戻ってくることができないからな。何せ世改の扉は―――」
「世・改です。神王様」
神王が、面倒クサッ! という顔をしたのを、セルゼルノは気付かない。
つまり彼は、バカな男なのだ。
「・・・・まぁ、それはさておき、世・改へと繋がる扉は、その世界の所有者にしか開閉できんのだ。そうでない者には、絶対に、開くことも、閉じることもできん」
「だから私を、世・改の所有者にしたのですか?」
「あぁ、そういうことじゃ。とはいえまだ所有者の段階じゃ。時を止めることができなくとも、この世界ごと一年後の未来に早送りすることくらいならできる」
そう言って神王は、セルゼルノが来た世・改の扉に、手をかざす。
「待って下さい! まだ・・・・」
何をするつもりなのか悟ったセルゼルノは、すぐにそれを止めた。
「どうした? まだ何か、問題でもあるのか? それとも―――」
神王は眉をひそめ、顔を顰める。
「まさか、また分身を作ったのではなかろうな?」
「いえ、そういうわけではないのですが、まだ矛盾を直していませんし・・・・」
「あぁ、そのことか。そのことなら安心しろ。御主が、次にあの世界に降り立った時、自分がこの世界の神だと名乗れば、その瞬間、あの世界は御主のものとなる。
そうなれば、あの世界を自在に改変できる」
「しかし、なぜ一年後にする必要があるのですか!」
セルゼルノは食い下がり、神王を必死に止めようとする。
もし一年も経ってしまえば、あの分身たちは完全に形を失い、消滅こそしないものの、霧のような姿になってしまう。そうなれば、回収することは困難を極める。
「なんじゃ、わからんのか? 一年経てば、人間たちが、自らの歴史を記した教科書の最新版を発行する。世界の人間の教科書と、世・改の教科書を見比べれば、二つの世界がわかりやすいであろう?」
「まぁ、それは、そうですが・・・・」
もはやセルゼルノは、納得せざるをえなかった。これ以上は、怪しまれる危険があるからだ。
「そうじゃろう? では、今から世・改を一年後の世界にする。その後、御主が世・改で、自らをこの世界の神だと名乗れば、世・改の創造神として、御主は認められる。
そうなれば、御主以外のどの神の力も及ばなくなる。良いか? セルゼルノ」
「はい。神王、様・・・・」
それを聞き、神王はうなずいてから、改めて、扉の方へ手を伸ばし、地球で言うところの、ガチャガチャを回すようなしぐさでをした。
「・・・・これでいいじゃろう。セルゼルノ」
「何でしょうか」
「今からお前は、自らのことを、我と言え。その方が、創造神としての品格がでる」
「わかりました」
「よろしい。ではゆけっ! 世・改の新たなる創造神、セルゼルノよっ!!」
「あぁーあ。なーんか面白いこと、起ここらないかなー」
誰もいない古びた神社に、だるそうな声が響いた。
その声の主は、制服である膝上の丈の短いスカートに、白い半そでのシャツを着て、カバンを足元に投げ出して賽銭箱の上に陣取り、肩の下まで伸びる茶髪を揺らしながら、暇そうに足をばたつかせていた。その神社はあまり手入れがされておらず、そのせいか、今日は元旦だというのに、参拝客は誰一人として来ていなかった。
ちなみにこの大変だらしない少女、悦子は、学校から帰る途中に偶然目の前を通ったのでなんとなく訪れただけで、御参りも何もしておらず、当然、お金など一銭も使っていない。
また、本来座るべきでない場所に特に悪びれる様子もなく座っているところから、彼女の性格が伺える。
「しっかし、この神社、いつ来ても誰もいないなー」
そう言って辺りを一通り見回すと、来る時登って来た階段の両端に、狛犬が置かれているのが目に入った。
「まっ、お前もせるぜる、じゃなかった、お前もせいぜいが―――」
―――突如砂埃が舞い上がり、振動波のように広がった。
「なっ、何!?」
慌てて後ろに振り返ると、石のタイルの並べられた地面の上に跪く、青みがかった白髪の青年がいた。突如現れた青年に、悦子は驚きを隠せなかった。
その青年は、強く息を吐きながら立ち上がった。
そして、無遠慮に悦子の瞳をまじまじと見つめた。
「御主か。我名を口ずさんだのは」
「は? 何言ってんのよ? てか、あんた誰?」
悦子は、頬を赤らめ、たどたどしく言った。
すると青年は、何を思ったのか、高らかに宣言した。
「―――我が名はセルゼルノ、この世改の神なりっ!!」
*6*
第四章 『真ノ意志』
誰かの呼ぶ声がして、それが悦子の声だと気付き、すぐに駆け付けたセルゼルノだったが、悦子はすぐそばで道路の上に横たわっていた。
「悦子!」
すぐに悦子に駆け寄り、抱き寄せる。
セルゼルノはその呼吸が止まっていない事を確認し、ホッと、安堵のため息を吐いた。
「悦子に何をした!?」
「そんなにこの子が大切なのかい? 僕とこの子じゃあ一体何が違うっていうんだよ?」
「いいから答えろ!!」
セルゼルノが怒鳴ると、人ト非は身をすくめ、あからさまに怯む。
「・・・・僕はただ、この子の心をもらおうとしただけさ」
「心? 何言ってんだ。そんなもんねぇよ! あったとしても、お前ら何かに悦子は渡さねぇ」
「怒ってるのかい? お前が、自分以外のために・・・・」
「それが何だって言うんだ?」
「酷い、酷いよ。酷過ぎる・・・・。
いつも自分以外無関心だった癖に、誰かを守ろうとしたことなんて、今まで一度も無い癖に。
その子のことは守るんだね? その子は僕らよりも、他の誰よりも大切なんだね?
酷い。そんなの差別だよ、贔屓だよ。
僕とその子は、一体、何が違うっていうんだよ?
僕だって、僕だって・・・・その子の心さえ手に入れれば、人間になれるのに。
そうでなくても、僕にだって、感情くらいあるのに・・・・なのに、いつだってお前は・・・・」
その者は、名前も知らない少女の顔で、悲痛な表情を浮かべるが、その目から、涙が流れることはない。
「黙れ!! お前は俺の言うとおりにしてりゃあいいんだよ!!」
そう言ってセルゼルノは人ト非の、誰かの細い右腕を掴もうとする。
しかし、人ト非はそれを素早く身を翻してかわし、そのまま路地裏の向こうへ駆けだす。
セルゼルノも悦子をそっと壁にもたれさせてから、路地裏のあちこちにあるゴミ箱やガラクタを踏んだり蹴っ飛ばしたり転んだりしながら追いかける。
勘違いしがちだが、セルゼルノがこの世改の神だからと言って、別に神がかり的な足の速さや筋力を持っているわけではなく、自らの体重や重力をほとんど無くして空を飛翔することができるように、自らの有無の力を使ってできることしかできない。
路地裏を抜け、追い駆け続けるが、人ト非の足が予想外に速く、全く追いつけないでいた。
そんな時、人ト非が唐突に進路を変え、公園に入って行ったのを見た瞬間、セルゼルノは、自らのスピードを無にして立ち止り、素早くしゃがみ込んで地面に手をついた。
すると、公園の周りの地面が消失し、一瞬にして、公園の周りに即席の堀が出来上がる。
その穴には底がなく、落ちれば永久にそのままとなる。
セルゼルノはそれを体重を軽くしてなんなく飛び越え、公園を出入りすることができるが、人間の体を手にし、力をほとんど失った人ト非には不可能に等しいだろう。
人ト非はすぐにそれを悟ったのか、公園の真ん中で呆然と立ち尽くす。
セルゼルノは、ある程度近づいてから、その背中に問いかける。
「何でお前は、お前らは、人間になりたがる? 人の体を、奪ってまでして・・・・」
すると人ト非は、ゆっくりと振り向き、瞬きを忘れた目で、俯きながら、ぼそぼそと呟く。
「僕には、愛の籠った名前がない。帰る場所も居場所もない。
僕自身は、誰にも求められてない。僕のやることは全部、他の誰にでもできるから」
かと思えば、唐突に顔を上げた。
「でも人間は違う」
強く、はっきりと放たれたその言葉には、人ト非の、全てが詰まっている気がした。
「だから僕は、人間になる。例えそれで、誰かが死んでも構わない!!」
「言いわけねぇだろ!!」
人ト非に負けず劣らぬ声量だった。しかし、どこか躊躇っているようにも聞こえる。
「名前も居場所も愛する者も、皆持ってるお前何かに、何が分かるっていうんだよ!!」
人ト非は、誰かの声で喚き立てる。
その必死の叫びに込められた強い願望を、セルゼルノは知っていた。
分身には、自分の意志や考えが反映される。年月を経て、何かを取り込まなければ形すら保てなくなった今ですら、全ての分身の、共通した意志。『人間になりたい』
それは、セルゼルノの、何よりも強い願いだった。
「わかるさ!! 俺だって人間じゃない!! 俺だって人間になりたい!!
でもダメなんだよ! 成れやしないんだよ! 人から何かを奪っても、体をいくつ奪っても!!」
セルゼルノは息を荒げ、その思いを、怒りや悲しみを、容赦なくぶつける。
「人間になんか、・・・・成れやしないんだよ」
セルゼルノは、人ト非を睨みつけていた視線を、すっと下げる。
「僕は人間だ!! ・・・だって僕には、人間の感情がある。
腕だってちゃんとある。足だってちゃんと付いてるし、その足で歩いてる!
だから僕は、人間だ!!」
「違う!!」
セルゼルノは悲しみに顔を歪ませながらも、再び人ト非を睨みつける。
「その腕も、その脚も、その腹も胸も首も頭も全部!!
お前の物じゃない! それはみんな、人から奪った物だ!!」
「じゃあ僕は、一体、何にならなれるって言うんだ!!」
人ト非の悲痛な叫びに、その剣幕に、セルゼルノは僅かにたじろぐ。
「所詮お前は、俺の力の一部でしかない。お前は、何にもなれなやしないんだよ!」
「じゃあ今の僕は、一体何なんだ!!」
人ト非は、怒りにまかせて持っていた鉄パイプでセルゼルノの顔面を横ナギに殴りつける。
「人のパーツを無理やり集めた、ただの塊だよ」
しかし、顔が少し傾いただけで、セルゼルノは顔色一つ変えず、右手でそっと触れただけで、鉄パイプを消してしまう。
そして、左手で殴りつけるような勢いで、人ト非の顔面を鷲掴みにする。
ゴキッと嫌な音がして、奇妙な感触が左手に広がる。
人間の体を手に入れた後は、血管に入り込んでいるらしかった。
しばしの沈黙の後、閉じていた、黒く血走った目が見開き、指と指の隙間からのぞく。
「どうしたんだよ。僕を回収するんだろ? 前みたいなことが、起こらないように」
手のひらに違和感を覚えたセルゼルノは、人ト非を突き放す。
人ト非の鼻から、ぼたぼたと墨汁のような血が垂れる。
セルゼルノの手のひらのそれも、重力に従って流れだし、指先まで真っ黒に染まる。
「何のことだ?」
先程、あの黒い血が一瞬だけ熱を帯びた気がしたが、気のせいだろうか。
「忘れたとは言わせないよ。僕は今でも覚えてる。あの時のことを――
あの時もお前は、神王に銀河を作るように命じられて、僕らみたいな無の力だけを持った分身を作って、楽をしようとしたよね。お前が適当な形だけ作って、後は全部、僕らにやらせた。
そしてお前は、僕らを回収するのを面倒臭がって、ほったらかしにした。
だからあの銀河は消えた。
当然神王にバレて怒られて、それで、やけになったお前は、全部僕らのせいにして、僕らに八つ当たりして、結局、回収したのは数体だけだったよね。
残りは全部、ブラックホールにぶち込んだんだから。
お前のせいで、あの時の分身たちは、きっと今も苦しみ続けてる。
確かに銀河を消したのは僕らだ、でも、僕らを作ったのも、回収せずにほったらかしたのも、全部、お前なのに・・・・」
その声はどこか、悲しげに聞こえ、人ト非に哀愁が漂う。
「だから何だって言うんだよ?」
「さぁはやく!! 僕を回収しろよ!! そんでまた、必要な時だけ利用して、いつまでもこき使えばいいだろ? 僕らは死なないんだからさぁ、どうせ僕らに、終わりなんて無いんだから!!」
その叫びは、生きているかのように、強い熱を帯びていた。
セルゼルノは目をつむると、人ト非に手をかざし、覇気のない冷たい声で呟く。
「消えろ」
―――セルゼルノが目を開けると、人ト非は、もう、どこにもいなくなっていた。
セルゼルノは、人ト非の、確かな質量を感じた。
少女にしては、やけに重たすぎる気がした。