ダーク・ファンタジー小説
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- 死んで花実が咲くものか
- 日時: 2022/03/05 12:06
- 名前: わらび餅 (ID: 5Zruy792)
神様が、憎かった。
願って縋って嘆いた先、待っていたのは地獄だった。
生きたい。
生きたい。
まだ、生きていたいのに。
死神の足音は、すぐそこまで迫っていた。
***
死んで花実が咲くものか
生きていてこそいい時もあるので、死んでしまえば万事おしまいである。
──goo国語辞書より引用
※読む前に
・流血、暴力表現あり
・死ネタ
・魔法等の類ではありませんが一応ファンタジー
・現実にはない病気が主題
元題「いつか花を。」です。
以上のことをふまえ、お進みください。
*目次
・序章 >>1-14
・一輪目 『勿忘草』 >>16-32
・二輪目 『アイビー』 >>33-37
*お客様
・ゼロ様
・祝福の仮面屋様
・nam様
*2018年5月27日 参照1000突破
*2019年6月11日 参照2000突破
*2020年6月11日 参照3000突破
*小説大会2020年冬にて銀賞をいただきました
*2021年1月29日 参照4000突破
*小説大会2021年夏にて金賞をいただきました
*小説大会2021年冬にて金賞をいただきました
*2022年1月29日 参照5000突破
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.29 )
- 日時: 2021/01/03 00:57
- 名前: わらび餅 (ID: IjQZZTQr)
ゆるやかに、終わりは近づいてきていた。音もない、穏やかな終わりがすぐそこにきていた。
ベッドに横たわる彼女のそばで、本を読む。それが日課になって数週間が経ったある日、ミオがぽつりと呟いた。
「死んだら、どこにいくのかな」
どこか夢うつつの彼女の瞳は、こちらを向いてはいなかった。どこか遠く、目には見えないどこかを見ているようだった。
「どうしたんだい、突然」
「んーと……天国って、あるのかなって思って」
話しかけてようやくこちらを向いた瞳には、悲しみや怒りといった負の感情は浮かんでおらず、ただただ静かに凪いでいる。
「……どうだろう。死後のことは誰にも分からないからね」
科学的根拠など何も無いにも関わらず、人々の間で信じられている死後の世界。きっと、死に怯える人間が、「死は終わりではない」と思うために、或いは、大切な人の死を受け入れるために創り出したものだと僕は考えている。昔の自分だったら「そんなものは有り得ない」と一蹴していただろうが、それはミオが望む答えではないだろう。
故に僕は、「分からない」と答えることにした。事実そうであるし、もしかしたらこの世の神秘というものが本当にあるのかもしれない。それを目にする術は、今のところ無いけれど。
「私は、天国にいけるのかな」
ぽつりと呟く彼女。
もし、もしも、天国や地獄のような場所が本当にあるのだとして、彼女がどちらに逝けるかなんて明白だろう。彼女は背負うべき罪も罰もなく、まっさらに生きてきた。そんな彼女が地獄に堕ちるのなら、この世の人間は全て地獄逝きだ。
「いけるさ」
「ほんと?」
「うん。なにをそんなに疑うことがあるんだい? きみはなにも償うべきことなどしていないだろう」
「……そうかなあ」
なぜか納得していない様子で、ミオは布団の上で手を握りしめた。
その姿をみて、どうしたものかと思案し、頭の中でかける言葉を探す。僕は口が上手い方では決してないため、冗談や軽口の類は得意じゃない。好き好んで口にする方でもない。他人の冗談に付き合うことも、あまりしたいとは思わない程だ。けれど、彼女の笑顔を見る為ならば。
「そうだとも。それを言うなら僕の方がよっぽど地獄に相応しいよ」
「えっ、どうして? せんせいだってなにもしてないでしょ?」
「……実は」
「……実は?」
「──虫を、殺したことがある」
至って真面目な顔を作り深刻に告げる僕を見て、ミオはぽかんと口を開けた。そうして見つめあった僕達の間に沈黙が横たわる。その沈黙を破ったのは、少し間抜けな空気が弾けた音だった。
「ぷっ…………」
「……」
「あはっ……せ、せんせ……」
「なんだい?」
彼女の笑顔を見て、僕の口元も自然と緩む。よかった、どうやらこれはきちんと冗談として彼女に届いたようだった。
「それで地獄いきだったら、地獄が人でいっぱいになっちゃうよ。大変! ふふ」
「うん、確かにそうだ」
「私も小さい虫とか、ありさんとか、気づかないうちにころしちゃってるだろうし……」
生死の概念を知らない幼かった僕の行動を知らない彼女は、そう言ってくすくすと笑った。虫をかき集めて観察し、時折それらをわざと押し潰していたことは、まあ、言わなくてもいいだろう。どうか目を瞑ってくれと神様に祈った。
ひとしきり笑ったあと、彼女は滲んだ涙を指先で拭った。
「はあ。こんなに笑ったの、久しぶり……」
「それはよかった。……ねえ、ミオ」
「なあに?」
「ないとは思うけれど、もし万が一、なにかの手違いで君が地獄にいってしまったとしても」
「うん」
「その時は、僕も一緒に地獄にいこう。だから……」
だから。
はっとして、途中で言葉を止めた。だから、なんだと言うんだ。安心して死んでくれ、とでも言うつもりか。死んで欲しいわけじゃない。ただ、本当にこのまま何の手立てもなく、彼女には死しか残っていないのなら、そこに少しでも安堵を抱いてほしかった。
この時ほど、自分の口下手を憎んだことは無い。他の誰に誤解されても構わない。だが、ミオだけは、彼女だけには、僕の気持ちを正しく受け取って欲しい。
「だ、だから……」
言葉に詰まった僕を見て、ミオは柔らかく微笑んだ。
「せんせいが来てくれるなら安心だなぁ。約束だよ?」
そう言って笑う彼女に、はっとする。怖がっていたのは、きっと、僕の方だ。
「……ああ、ああ。約束だ。必ずいくから」
──だから、もう少し。もう少しこのまま、君と。
いつの間にかかたく握りしめていた手を、暖かな温度が包む。彼女の手が、そっと僕のそれに重なっていた。
「もうひとつ、約束してもいい?」
「……なんだい?」
「私のところに来る時は、お土産を持ってきて欲しいの。せんせいの本と、せんせいが面白いって思った本。たくさん持ってきて欲しいから、たくさん書いて、たくさん読んで……おじいちゃんになったら、会いに来てね」
ひどい、酷い言葉だな、と思った。まるで呪いだ、とも。
彼女は僕に、生きろと言っているのだ。彼女がいなくなったあとも、自分で自分の命を捨てることがないように。僕は彼女のいない世界など想像出来ないし、したくもないというのに。
けれど、きっと僕はこの約束をやぶることなどできないだろう。他でもない、彼女の願いなのだから、頷く以外の選択肢など存在しない。彼女が隣にいなくても、息をしなければいけないのだ。きっとそれは、酷く苦しいことだと思った。それでも僕は、生きなければならない。
ああ。ひどい、酷い言葉だ。
「……えっ」
ぎょっとしたようにミオが僕を見る。目を見開いて、信じられないような顔をしていた。
どうしたのだろう、と首を捻ると、ふと、頬にあたたかいなにかが伝った。
「……せんせいが泣いてるとこ、初めて見た」
歪んだ視界の中、彼女がそうぽつりと呟いたのが見えた。この頬を伝うものが、涙だというのか。拭った指先が、次から次へと溢れ出るそれで濡れる。
僕の記憶が確かなら、この世に生まれ自我を持ってからは一度たりとも涙を流したことがなかった。両親に捨てられた時も、ごみを投げつけられたり水をかけられたりした時も、何も思わず感じず、涙なんて滲むことすらなかったというのに。
涙が出るのは悲しい時だと、今の僕は知っている。
「……本当に、死んでしまうのか?」
泣きながらそう尋ねる僕に、ミオはきょとんとした顔を浮かべた。恐らく僕の顔は酷く情けないものになっているだろうが、そんなもの気にしている余裕がなかった。
こうして彼女と話をして、約束をして、やっと実感してしまったのだ。これは彼女が死んだら、なんてもしもの話ではなく、確実にやってくる近い未来の話なのだと。それはきっと、すぐそこにやってきているのだと。
「……うん。死んじゃうみたい。なんとなく、わかるんだ。そろそろだなあって。でもね、怖くないんだよ。せんせいが約束してくれたから、ちっとも怖くないの。ほんとだよ? むしろ、ちょっと楽しみなんだ。せんせいがどんな本を持ってきてくれるのかな、とか、天国や地獄ってどんなところだろう、とか」
「僕を、置いていくのに?」
「……そんなに悲しい?」
「悲しい。し、寂しい。こんな感情初めてだ、知りたくなかった」
「……えへへ」
「……なんで嬉しそうなんだ」
「えへへ、ないしょ。……ねえ、せんせい」
──約束、きっと守ってね。
次の日の朝、彼女は目を開けることなく、そのまま息を引き取った。
彼女の襟首からは、細い細い蔦が顔を出し、そこに小さな花を咲かせていた。
本当に小さな、小さな花だった。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.30 )
- 日時: 2021/03/21 23:26
- 名前: わらび餅 (ID: DIefjyru)
彼女が残したものはあまりにも小さく、そしてあまりにも美しかった。
ミオの葬儀は早急に執り行われた。彼女の体を引取りにきた婚約者の彼は、彼女を抱えたまま深々と頭を下げた。あの時と同じように。違うのは、腕の中の彼女がもう二度と目を覚まさないということくらいだろうか。
葬儀に参列することはなかった。ミオの家族は、彼女がここ数週間を僕の家で過ごしていたこと自体知らされていないらしく、そもそも面識もない。例え彼女が僕のことを先生だと話していたとしても、きっといい顔はされないだろう。彼女の両親──特に母親は、話を聞くかぎり彼女が勉学に励むことを良しとしていなかったからだ。そして僕も、もし参列を促されたとして首を縦に振るかと言われれば、答えは否であった。花を手向ける気分には、とてもなれなかった。
しかしひとつだけ、手元に残したものがある。それは、彼女が咲かせた花だった。彼女の命を吸った殺人花を、彼女が生きた証を、僕は手折ってしまった。このまま、彼女と共に灰になってしまう前に、自分のものにしてしまいたかった。彼は気づいていただろうに、何も言わずに去って行った。つくづく、誠実で、彼女に良く似合ういい青年だと、そう思う。細い瓶に、花をそっと生けた。
ところで、花には花言葉というものがあるらしい。象徴的な意味を持たせるため、植物に与えられる言葉。この花の花言葉が知りたくて、僕は植物の図鑑を買った。そこそこ値の張るものだったが、躊躇いはほんの一欠片もなかった。
鮮やかな青色の、小さな花弁を持つ花。名を勿忘草というらしい。花言葉は、「私を忘れないで」。
それを見た僕は、とても忘れられるものではないな、と思わず笑った。あの眩しい笑顔も、鈴を転がしたような声も、こころをくすぐる仕草も、なにもかもが脳に焼き付いて離れてくれない。しかし人の記憶力には限界があり、どんなに大事なものでもいつかは忘れてしまうのだという。故人のことで真っ先に忘れるものは、声だと言われている。僕はいつまで彼女の声を覚えていられるのだろうか。今は鮮やかに残っていても、いつかは色褪せて消えてしまうのだろうか。
彼女を残しておきたいと思った。声も、顔も、仕草も、彼女を殺した花でさえも、残っていて欲しいと思ってしまった。だから僕は、花を手折ってしまったのだ。けれど、花もいつかは枯れる。そして記憶も薄れて、なにもかもを忘れてしまった時、「忘れないで」の言葉だけが僕のこころに刻まれているのだろう。そんな気がした。
彼女が寝ていたベッドをそっと撫ぜる。シーツの皺ひとつひとつに彼女のぬくもりが残っている気がして、思わず眉をひそめた。未練がましく、彼女の欠片を探そうとしている自分に辟易した。いっそのこと洗濯をして全て洗い流してしまおう。そう思い、シーツを剥ぎ取るために枕をどかした。そして、はっとする。
枕の下に、何枚かの便箋が置いてあったのだ。僕は導かれるように手を伸ばし、その便箋に触れた。その手が少し震えていたのは、どうしてだろうか。
拙い形をした文字が、そこには綴られていた。書き出しは、こうだった。
──せんせいへ
体の奥底から湧いて出てきた、名称不明の感情をため息とともに口から吐き出す。便箋を持ったまま立ち尽くした僕は、続く文字に目を走らせた。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.31 )
- 日時: 2021/03/21 23:29
- 名前: わらび餅 (ID: DIefjyru)
せんせいへ
せんせいは、この紙を見つけられたでしょうか。わたしはまだ、隠し場所にとても迷っています。きっと未来のわたしがとってもいい場所に隠してくれることでしょう。こういうのを、手紙っていうそうです。見つけてくれたらうれしいけれど、見つからなくてもいいかな。ちょっと恥ずかしいし!
せんせいが教えてくれた文字を、せっかくだから書いてみることにしました。せんせいがわたしのために書いてくれたお話が、とってもうれしかったから、せんせいにも喜んでほしいな。でもやっぱりむずかしいです。すぐにつかれてしまいます。せんせいはやっぱりすごいんだなって思いました。それで、なにを書こうかずっと悩んでいたんだけど、きっと最後だと思うから、いままで言えなかったことを書こうと思います。
本当は、せんせいが心配です。いつもちゃんとご飯を食べないし、自分のことを大切にしてくれないので、だれかがせんせいのそばにいてくれたらいいなって思います。やくそくはぜったいにわすれないこと! 破ったら針千本!
本当は、わたしは、恋のお話がそんなに好きじゃありません。魔法がでてきて、わくわくするような冒険のお話のほうが、ずっと好きでした。お話に出てくる王子様がすっごくかっこいいって聞いたから、読んでみたいって思ったの。せんせいよりかっこいいひとがいるのかなって思ったから。でも、やっぱり、せんせいがいちばんかっこよかったです。
本当は、死んじゃうのがとっても怖かったです。病気になったときも怖かった。痛かったらやだなって、ずっとそればっかり考えていました。あと、結婚してくれたのに、ちゃんとお嫁さんになれなくてごめんなさいって、あやまれなかった。せんせいと、もっといっしょにいたかった。でも、天国でも地獄でも、せんせいが会いにきてくれるって言ってくれたから、もうちっとも怖くないです。せんせいも、そうだといいな。ちゃんと待ってるので、あんまりはやくこないでください。おじいちゃんになったらきてください!
本当は、わたし、ずっとせんせいのことが
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.32 )
- 日時: 2021/04/16 18:12
- 名前: わらび餅 (ID: Jf2bTTLH)
「──続きは、書かれていなかった。手紙を読んだ後、僕は、すぐにこの家に越してきた。ここは、かつて両親が別荘にと建てた家でね。もう使っていないから勝手に借りているんだ」
そう淡々と語る作家さんの瞳は、微かに揺れていた。まるでひとつのお話を読み終えたような気がして、私は思わず息を吐いた。
「書かなかったのか、それとも書けなかったのかはわからないが、僕にはその続きがどういうものなのか想像がついたよ。僕と、似たようなものを持ってくれていたのだと思う。ミオがあの手紙を、僕の目を盗んで書いていたと思うと……ひどく、やるせない気持ちになった」
ふたりとも、同じ想いだったのに。
作家さんのやるせなさや後悔がひしひしと伝わって、ぎゅっと拳を握った。もし、彼女が花咲き病にかからなかったら。もし、結婚しなかったら。もし、どちらかが想いを伝えていたら。そんないくつもの「もし」が頭の中を巡っては消えていく。考えたってどうにもならないことはわかっているのに、どうしても願ってしまう。ふたりが一緒にいる未来を、想像してしまう。
「噂を覚えているかな? 僕が恋人の死に涙ひとつ流さず、挙句の果てに話のネタにした、と」
こくり、と頷く。それを彼が肯定したことも、はっきりと覚えている。けれど、話を聞く限りではそんな人には思えなかった。一体どうしてそんな噂が流れ出したのだろう。
「涙ひとつ流さなかったのは本当だ。彼女が亡くなる前にみっともなく散々泣いて、涙なんかでなかったんだ。それどころか、彼女の手紙を読んでからは安心すらした。僕は、もう死を怖がらなくていいのだから。いつ、どんな最期を迎えても、きっと僕は嬉しく思うだろう。……彼女には、怒られてしまうかもしれないけれど」
そう微笑む作家さんの顔は、どこまでも穏やかで、すこし寂しそうに見えた。
「あの噂で間違っていることは、僕たちは恋人ではなかったことと、話のネタにしたことだ。僕は、僕自身の物語しか書くことが出来ない。感情や行動に名前をつけて、それを書き出してようやく、僕は僕に起きたことを正しく受け取ることができる。そうやって、感情を吐き出していたんだ。だから、今回のことも書き起こそうとした。噂で言う、話のネタにしようとね。けれど、駄目だったんだ」
「だめ、だった?」
「なにも、なにも書けないんだ。培った言葉をどれだけ並べても、彼女への想いを表現することはできなかった。愛も恋も慕情も、ただ紙の上に並べただけの記号にしかならなかった。唯一、命が宿った言葉は、たった四文字だった」
──会いたい。
ただ、それだけだったと彼は笑った。だから、今はなにも新しい本を出していないのだという。
「実は、ここに越してきたのは、噂から逃げるためなんだ」
「……ほとんど出任せなんだから、逃げなくたってよかったのに」
「そう思えたらよかったのだけれど。僕は、怖くなったんだ。人々が皆、僕のこれを『愛ではない』と言うから。酷い男だと、そう言うから、耳を塞ぎたくなったんだ。涙を流せなかったのは、愛していない証拠だったんじゃないか。彼女への想いを『愛』と表せないのは、本当は愛していなかったんじゃないのかと、怖くなった」
石を投げられても水をかけられても、心を動かすことのなかった彼が、誰かの目を気にしている。気にして、怖がっている。彼は自身のことを「化け物」だと言ったけれど、もうきっと、人になったのだ。
だから私がこの人にかけられる言葉は、ほんの少しだけだ。
「そんなことない。その気持ちは、愛だと思う」
「……そう、だろうか」
「私も……私も、恋とか、愛とか、よく分からないけど。でも、大切な人はいる。その人への思いは言葉じゃ表せなくて、私も、ずっと伝えられなかったから」
あの子とは、ずっと一緒にいるものだと思っていた。私が花咲き病にかかることも、村を追われることも、想像すらしなかった。贅沢ではないご飯を食べて、薄い布にくるまって、朝に『おはよう』と言い合う日々は、ずっと続くのだと思っていた。けれど、そうではなかった。当たり前だったものがなくなってしまうのは、いつだって突然なのかもしれない。そうして当たり前じゃなくなって、ようやく気づくのだ。あの日々が、どれだけ大切だったかを。
村の人々に向けられた目を、今でもはっきりと思い出すことが出来る。そこには、あたたかなものなど一欠片もなかった。両親は、結局私の親ではなくあの子の親でしかない、ただの他人だったのだ。私の家族は、あの子だけだった。
私はあの子に、与えられてばかりだった。食事の仕方も、着替え方も、たくさんの知識も、ありったけのあたたかい愛も。ひとつだって、あの子に返したことがなかった。だからずっと、後悔している。
あの日からずっと、ただひたすらに、あの子に会いたい。
「愛じゃないって言われて怖くなるくらい、作家さんはミオさんのこと、大切だったんだ。だからきっと、それは愛でしょ?」
私の言葉に目を丸くした作家さんは、しばらくしてその眦を緩めた。そして、ぽつりと呟く。
「──そう、そうか。僕はちゃんと、あの子を愛しているのか」
よかった、と零す彼は、なんだか今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ありがとう、お嬢さん。少し……楽になった気がする。過去が変わるわけではないが、それでも。僕はずっと、誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。僕の想いは、間違っていないのだと」
「……うん」
「君は、大切な人には、まだ会えるのかい?」
「……わからない」
「そうか。……きっと、君の想いも、正しく愛だ。例え正しくなくても、間違いなどではない。それが分からず、ここまで逃げてきてしまった僕のようには、なってくれるなよ」
躊躇いながらも小さく頷くと、作家さんは満足そうに微笑んだ。
「さて、随分長いこと話し込んでしまったね。お礼といってはなんだが、君に渡したい物がある」
その言葉に、思わず首を傾げる。なんだろう、と思っていると、作家さんは「少し待っていてくれ」と本棚の方へと歩いていった。
しばらくして戻ってきた彼は、紙の束を抱えていた。
「これは、僕が初めて書いた話だ。ここにある唯一の僕の、本……とは言えない、紙の束だけれど。ミオのために書いて、彼女にあげたものだよ。彼女が亡くなったあと、引き取ったんだ。僕は、僕の本に価値を見いだせないけれど、これだけは火にくべる気にならなくてね」
「え……」
「僕の本を読んでみたいと言っていただろう? 生憎、これしか手元に残していなくてね。不出来なものだから読むに耐えないかもしれないが、君さえよかったら、貰ってはくれないだろうか」
「で、でも、大切なものなんじゃ」
「僕が持っていても腐らせてしまうだけだからね。それに……なぜだろう、君に読んでもらいたいと、そう思ったんだ。誰にも読んでもらえない本なんて、可哀想だろう」
差し出されたそれを、恐る恐る受け取った。
本とは言えない紙の束の表紙は、真っ白だった。題名のない、作家さんとミオさんの物語。なんだか心臓がぎゅっと引き絞られた気がして、思わず紙の束ごと自分を抱きしめた。
そこで、はっとする。私は読むことが出来ないのだ。文字は簡単なものしかわからない。そう口にしようとする前に、作家さんが穏やかな声色で言った。
「僕が教えると言ったけれど……読み方は、ヒガンに教えてもらうといい。彼も読み書きはできるから」
「え……」
「きっと、その方がいいだろう。そうして、一緒に彼のことも知るといい。君たちがどうして共にいるのか、なんて無粋なことは聞かないけれど、見たところまだ深い仲ではないのだろう? お互いを知る良い機会にもなる。僕も花師としての彼しか知らないから、詳しいことは分からないけれど」
一度言葉を切った作家さんは、一瞬なにかを考えるように目を伏せた。
「あまり、良い噂を聞かないんだ。君は賢いからそういった噂を鵜呑みにするとは思っていないが、念の為に言っておこう。君は、君が信じたいものを信じるといい。それに、彼といればおのずと事実は見えてくるはずだ」
そう言われて、お兄さんの顔が頭に浮かぶ。私は、あの人のことを何も知らない。知っていることといえば、死んで大切な人に逢いたいと思っていることと、その手がとてもあたたかいことだけ。過去に何があったのか、どんな噂が流れているのか、私は何一つ知らないのだ。
本当は、知らないままの方がいい。利用し利用される関係に、そんなもの必要ない。だというのに、私は作家さんの提案を否定することが出来なかった。
「……ヒガンお兄さんって、どんな人だと思う?」
気がつけば、そんな言葉が零れていた。聞いたところでなにがあるわけでもない。けれど、なんとなく、この人の嘘偽りのない言葉が聞きたかった。
「僕? そうだな……彼は、寂しいひと、だと思う」
──からっぽだった頃の僕に、少し、似ている。
「本? その紙の束が?」
あの後、書斎を出てお兄さんの元へ戻ると、彼はソファで微かな寝息をたてながら眠っていた。退屈にさせてしまったことを申し訳なく思いながらも、その体を揺さぶり起こし、作家さんの屋敷を後にした。
屋敷の前では、一台の馬車が止まっていた。来る時に乗ったものとは違う、随分と立派な馬車だ。御者さんも小綺麗な身なりをしていて、出てきた私たちを目にするとすぐに恭しく一礼した。そんな御者さんに軽く会釈をして、お兄さんは私の手を取り馬車へと載せてくれた。
馬車の中で、作家さんがくれた本について話すと、彼は少し目を丸くした。
「随分と気に入られたんだな。あの人がそこまで話すなんて」
「お兄さんは、知ってたの?」
「あの人のことかい? 花の手入れを依頼された時に大まかなことは聞いたけれど。……変わった人だっただろう? 本以外は全くと言っていいほど物を持たなくて、他人ならまだしも、自分のことですら無頓着でさ。本当、いつか飢え死にするんじゃないかと思うよ」
「でも、やさしい人だった」
「まあ、悪い人ではないことは確かだな」
「それで、お兄さんに読み方を教えてもらうといって言われた。……読める?」
そう言いながら本を渡すと、お兄さんは「勝手なことを……」とぼやきながらそれをぺらぺらとめくりだした。
「ある程度は。昔、ハイル先生に叩き込まれたからなあ」
「そうなんだ」
「うん。俺とあの人、結構長い付き合いでさ。一時は一緒に暮らしてたんだけど……ってそんなのはどうでもいいか。これ、今読みたい?」
「……読んでくれるの?」
「次の目的地まで少し時間があるし、いいよ。ええと、書き出しは……」
お兄さんの少し低い声が、作家さんの言葉を紡ぐ。
──からっぽな人生だった。
一輪目『勿忘草』
花言葉『私を忘れないで』
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.33 )
- 日時: 2021/05/20 00:28
- 名前: わらび餅 (ID: Jf2bTTLH)
──だいすき。だいすきよ、ロゼ。
私の唯一となってしまった家族。大好きで、大切な、たったひとり。あの子はいつだって、そう言って微笑んだ。
私は、あの子と一緒に地獄にいけるだろうか。
二輪目「アイビー」
「──遅い!」
開け放たれた扉と同時に飛び込んできた罵声に、思わず目をぱちくりさせた。隣に立っているお兄さんをそろりと見上げると、微笑みを浮かべってはいるが目が笑っていない……気がする。
罵声の主はというと、仁王立ちで両腕を組みながらこちらを睨みつけていた。
「五分も遅刻するなんて姉様の貴重なお時間をなんだと思ってんだヒガン! 僕も姉様も暇じゃねえんだ、お前と違ってな!」
「……たった五分も待てないなんて、よっぽどお忙しいんでしょうね坊ちゃま」
「坊ちゃまと呼ぶなと何度言ったらわかるんだ貴様! 次言ったらその口縫い付けてやる!」
お互い遠慮のない言葉の応酬にひやひやとする反面、少しほんわかしてしまう自分がいる。なぜかというと、お兄さんが相手をしている人がとてもかわいらしいのだ。
私とたいして変わらない背丈の彼──おそらく彼──は、まるでお人形のような姿かたちをしていた。ふわふわの黒い髪、まるで飴玉のような桃色の大きなふたつの瞳。真っ白い肌に線の細い体で、一生懸命にふんぞりかえってお兄さんを見上げている。小動物が必死に威嚇しているように見えて、なんとも気が抜ける。この子が今回の依頼人だろうか。
「もういい、とっとと中に入れ! これ以上姉様をお待たせすることは許さねえ!」
「はいはい」
肩をすくめて、少年のあとに続いて中に入るお兄さん。
「薬は持ってきたんだろうな」
「当たり前じゃないですか。そのために来たんだから」
やたらに長く続く廊下をじゃれあいつつ進んでいく二人の背中を追いかけながら、馬車での会話を思い出していた。
*****
「──薬?」
「そう、薬……変な薬じゃないからね?」
妙なことを心配するお兄さんに頷きながら、話の続きを促す。
「俺の仕事は、大きく分けて二つあるんだ。一つはロゼも知ってるとおり、死花の手入れ……花師の仕事。もう一つは、薬の配達。ハイル先生が作った薬を届ける仕事。あの人、人前に出ることがないからさ。俺が代わりに届けてるってわけ」
ハイル先生という名前を聞いて、脳裏にあの眩しい金色が蘇る。確かに彼は薬剤師だと言っていたけれど。
「どんな薬?」
花咲き病を治す薬は、いまだに見つかっていない。だからハイル先生がどんな薬を作っているのか、気になってはいたのだ。色々あって、聞きそびれてしまったが。
「花咲き病の進行を遅らせる薬だよ」
「え」
病気の進行を、遅らせる。
その言葉に思わず動きを止めた。そんな薬があるなんて、どうして教えてくれなかったのだろう。それがあれば、私も──
「だめだよ」
私の心を見透かしたかのように、お兄さんがそう言った。はっとして彼の顔を見ると、そこにあったのはうつくしい微笑みだった。仮面を貼り付けたような、つめたい顔。
「……なにも言ってない」
「顔に出やすいって言ったろ。あの薬は、本当にどうしようもなくなった時にしか渡さない……あんなものを飲むくらいなら、そのまま死んだ方がましだ」
「飲んだことあるの?」
「……治験としてね。俺だけだったからさ、ちゃんとした人間だったの。ストーカーは『あれ』だし。先生本人も……まあストーカーよりはましだけど。それに、遅らせるといってもほんの僅かだよ。飲んでも飲まなくても大して変わらない」
嘘ではないのだろう。お兄さんは私の死花を見ることを目的としているが、咲いても咲かなくても彼はどっちでもいいのだ。その程度の、繋がりでしかない。だから、私の病気の進行を早めようなんてことはしないはずだ。彼に、嘘を吐く理由がない。
お兄さんがそこまで言う薬がどんなものか、逆に気になりはするが。飲まない未来がやってくることを祈るしかない。
ああ、けれど──
「……それでも、そんな薬を飲もうとする人がいるんだ」
そう呟くと、お兄さんは私からそっと視線をはずした。
「……そうまでしてでも、生きたいと思うんだろ。俺には、わからないけど」
*****
そうして、たどりついたのがこの屋敷だった。作家さんの屋敷よりもずっと大きな、豪華絢爛という言葉がよく似合うような場所だった。こんな場所にいったいどんな人が住んでいるのか、と少し身構えてしまったけれど、出迎えてくれた子のおかげで少し力を抜くことができた気がする。それほどまでにあの子は可愛らしかったのだ。
「……そういえば、お前誰だ?」
「……私?」
前を歩いていた彼が突然振り返り、私のほうをじっと見つめる。ぼうっとしていた私は思わず気の抜けた声で返事をしてしまった。そんな私に呆れたように眉尻を上げた。
「お前以外に誰がいるんだよ。ヒガンに薬を依頼したときはいなかった」
「この子は俺の助手だよ。最近雇ったんだ」
「助手? こいつの助手なんてろくなことないだろ。見る目ないな、お前」
「……坊ちゃまはそろそろお勉強に力を入れたほうがいいんじゃないですか? 敬語とか。それにこの子はお前じゃなくて、ロゼっていうかわいい名前があるんですよ」
「敬語は敬う相手に対して使うものだろ。僕は姉様しか敬わない。……おい、ロゼ。僕は優しいから忠告してやるが、さっさとこいつから離れた方が身のためだぞ。どうせろくなことにならない」
随分嫌われているんだな、とどこか遠い目でお兄さんを後ろから見つめていると、その視線に気が付いたのか心底癒そうな顔をしてこちらを振り返った。そしてゆるく首を横に振る。「気にしないで」というようなその顔に、小さくうなずいた。
険悪な雰囲気をなんとか変えようと、恐る恐る男の子に問いかける。
「その……姉様、っていうのは……?」
「僕の姉様だ。僕の、双子の姉。この世で一番うつくしくてかわいらしくて気高くて、いついかなる時も凛としたその佇まいは女神と見紛う……いや姉様こそ女神そのものだと僕はいつも思うんだ。お前も一目見ればわかると思うがくれぐれも邪な目を姉様に向けるなよもしそんなことをしたら僕がその目を潰して二度と姉様を見ることができないようにしてやるからな。ああそれと必要以上に口をきくな姉様のうつくしく可憐な御耳を余計な雑音で汚したくない。ヒガンお前は薬だけを置いて立ち去れいいか」
「大丈夫だよロゼ。無視して」
いまだに「姉様」について熱く語る彼からそっと距離を置き、私の隣にやってきたお兄さんは苦笑いを浮かべていた。
「この子はちょっとばかりお姉さんが好きすぎるだけで、特に害はないから大丈夫」
なんだかとんでもない人に出会ってしまったな、と、小さい背中を眺めながらそんなことを思った。……大丈夫、だろうか。