ダーク・ファンタジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

人畜無害な短編集
日時: 2020/08/27 23:27
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

 これらは人畜無害な短編集です。
 基本的に投稿されるお話は全て独立した作品です。



もくじ(Index)
>>0 スレッドの紹介
>>1-3 「幸せの景色」
>>4 「自撮り防止機能」
>>5-9「霊感」
>>10「悪夢」
>>11「魅惑の肉汁うどん」

Re: 人畜無害な短編集 ( No.8 )
日時: 2020/08/22 00:21
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

 夕暮れのオレンジ色に染まる遊具の中で少年はブランコに揺られていた。
 あの一件以降、少年の立場はますます悪くなっていた。学校だけではなく親までも少年を見る目が冷ややかになった。少年を取り囲む環境そのものが牙を剥いているような感覚だった。
 「(なんで、オレだけこんな目に合わなきゃいけないんだ……!)」
 少年の目からは涙がこぼれていた。
 生きている限りこれからも理不尽な扱いを受けることになるだろう。そのたびに周りの人間にもたくさん迷惑をかけるかも知れない。あの件以上の事が起こるかも知れない。
 だったら、もう生きている意味すらないんじゃないだろうか。これ以上生きることに本当に意味があるのだろうか。
 少年の頭の中はそんなマイナスの感情で溢れて行った。だが、それはすぐにかき消された。
 「おっ!この前の空君じゃないか!!また一人で俯いているのかい!?」
 声が聞こえた。その声はソプラノでハキハキとした喋り方だった。
 少年は声のする方へ勢いよく振り向いた。
 そこには、セーラー服を着た女子生徒の姿があった。名前は確か咲だったか。
 少年はこぼれていた涙を急いで拭うと平然を装った。
 「久しぶりだね。咲さん。」
 「おー!覚えててくれたんだ私の名前!もちろん君の名前も憶えているよ?空君だよね!?」
 「うん。正解。」
 少年の返答にやったー!と分かりやすく喜びながら隣のブランコに腰かける咲。
 「空君は一人で何をやっていたのかな!?」
 「別に。咲さんこそ何か用?」
 「あぁー。空君にさん付けされるのなんか慣れないなー!咲でいいよ!?私たち友達だもん!」
 友達。その言葉は今の少年の心にはかなり響いた。まだ、自分の味方をしてくれる人がいる。周りは敵だけではなかった。
 少年の目からは涙がこぼれていた。
 少年の顔を見た咲は少し慌てた様子で言う。
 「空君泣いているのかい!?一体、何があったというの!?」
 気が付くと少年は咲と呼ばれる女子生徒にすべてを打ち明けていた。自分が霊感を持っているという事。その力のせいで理不尽な扱いを受けてきたという事。あの一件で信頼を失ってしまったという事。
 少年の言葉は嗚咽に阻まれ上手く伝わったのか不安だった。だが、優しく頷きながら話を最後まで聞いた咲はゆっくりと歩み寄りそれから。
 ギュっと抱きしめてくれた。
 この前のときと同じ温もり。でも今泣きじゃくっているのは彼女ではなく少年の方だった。
 「うん。辛かったね。でも、もう大丈夫だよ。」
 咲は小さな声で、でも優しさを込めた穏やかな声で少年に囁く。いつものハキハキとした喋り方からは想像もつかないくらい優しい声だった。
 咲は少年の肩に回していた腕を解くと少年の目の前に立ちいつものハキハキとした声で言う。
 「そうだ!明日地区のお祭りがあるでしょ?空君一緒に行かない!?」
 「えっ……。」
 少年は口籠る。
 地区の祭りという事は勿論学校のクラスメイト達もたくさん来ることだろう。少年は同級生たちと顔を合わせたくなかった。
 それも、お祭りなんかに少年が参加している所を見られたら、最悪そこでトラブルが起きかねない。
 しかし、目を輝かせてこちらを見てくる咲の誘いを断るのはなんとも心苦しかった。しかも咲は少年の唯一の味方だ。
 少年は葛藤の末。
 「分かった。行くよ、お祭り。」
 それを聞いた咲はパァー!と笑顔になると無邪気にピョンピョンと小さく飛び跳ねて喜びを表現する。
 「やった!じゃあ、明日の夜の19時にここで会お!約束だからね!?」
 「うん。分かったよ。」
 約束を交わすと咲は満足げに頷き、手を振りながら公園を後にした。

 そんな訳で待ち合わせである。19時の公園はすっかり日が沈み辺りは紺色に包まれていた。
 咲の姿はまだない。ブランコに乗る気も起きなかったので、てきとうに公園の入り口で立つことにした。
 因みに母親にはクラスメイトと祭りに行ってくると説明した。母親ははじめ驚いたような表情を見せたが「分かったわ。」とだけ言い、それ以上は追求してこなかった。
 祭りの会場はこの公園から少し歩いたところにある神社だったが、時折鳴らされる太鼓の音がこちらまで響いていた。
 その太鼓の音を聞きながら祭りの雰囲気を感じ取っているとカランコロンという下駄の足音が聞こえてきた。
 咲だった。
 彼女は水色を基調とした浴衣に下駄という如何にも祭りを楽しみに来ましたという装いだった。
 「おまたせ!」
 「浴衣、似合ってる。」
 「おぉ!空君に褒められた良かった〜!んじゃ、行こっか!」
 そういうと咲は少年の手を引いて歩きはじめる。
 他にも浴衣を着たカップルや家族連れが同じ道を歩いていた。十中八九彼らも祭りが目的なのだろう。進むにつれて人は多くなっていき、徐々に少年と同年代に見える男女も加わっていくのが分かる。
 少年は少しだけ顔を俯かせた。その行為にどれだけの意味があるのかは分からないが、とにかく少年としては祭りに来ている事をクラスメイトに知られたくなかった。しかも今は咲と一緒だ。なにか妙な誤解をされても困るし、最悪咲に迷惑をかけることになるかもしれない。
 そんな少年の思考を打ち砕くように咲が話しかけてくる。
 「ほらみて!お祭りの明かりが見えてきたよ!賑わってるみたいだねぇ〜」
 その声に誘われるように少年は顔を上げてみる。神社まではもう目と鼻の先といった距離まで近づいていた。
 公園にいたときも聞こえていた太鼓の音がより一層大きく響く。
 懐かしい。小学1年の頃に来た時とあまり雰囲気が変わっていないような気がする。それが何となく嬉しかった。 
 神社の階段を登ると目の前には沢山の屋台と行き交う人々が広がった。焼いた食べ物のにおい、屋台の装飾、浴衣を着ている人々といったもの全体が祭りを演出しているようだった。
 「わー!結構混んでるねー!さすがお祭りって感じ!」
 「オレあんまり人混み得意じゃないんだよね。」
 「それは大変だ!じゃあ、」 
 そういうと咲は少年の右手を軽く握った。
 「手を繋いでいれば大丈夫って事だよね!よーしまずは林檎飴を買おう!」
 そういうと少年は再び咲に引っ張られるように歩き出した。
 最初は林檎飴で満足していた彼女だったが、気づいたら彼女の手はタコ焼きや焼きそばなどの食べ物で溢れかえっていた。
 「そんなに食べて大丈夫なの?」
 「ぜーんぜん平気!ほらほら空君も食べなよ!」
 グイグイと食べ物を口に突っ込まれる少年。やれやれといった様子で何気なく視線を移したその時。
 そこで少年は見かけてしまう。祭りで燥いでいるクラスメイトの姿を。
 「さ、咲……。やっぱオレここ恐いかも。」
 「んー?あちゃー、そういうことか〜。よし!私に任せて!」
 そういうと咲は少年の手を引きながらとある屋台へ走った。ちょっと待っててねと屋台の近くで待たされた少年は、数分後に咲が買ってきたものを見て思わず唖然とした。
 「じゃーん!お面!これ付けてたら顔見られないから大丈夫でしょ!?」
 それは何のキャラクターか分からない可愛らしい狐の面だった。これを付ければ顔が見えないのは確かにそうだが逆に目立つんじゃないだろうか。そこまで考えた少年だったが。
 「ぷっ。ははははは!」
 少年は思わず笑ってしまった。自分が抱えている深刻な悩みを咲はいとも簡単に面白おかしく解決してしまう。咲の前では自分の抱えている問題もちっぽけなものに見えてくる。
 「咲。ありがとね?」
 「おぉー!空君がやっと笑った!私も腕を上げたな〜!!」
 そんな会話をしているとき、上空からドォーン!という大きな音が鳴った。
 「あっ。咲、見て花火だ!」
 「わぁー!やったやったあー!」
 咲は空を見上げて子供のように無邪気にはしゃぐ。そんな咲の横顔を見ながら少年はこの人に出会えて本当に良かったと思う。
 正直、咲については知らないことの方が多い。どこの学校に通っているのか。そもそも中学生なのか高校生なのかもイマイチ分かっていない。
 分かっているのは咲は少年の味方になってくれている唯一の人であるという事。
 そしてそれさえ分かっていれば後は知らなくてもいい。少年はそう思うようにしていた。
 花火大会が幕を閉じたところで祭りも終了の時間になった。
 少年と咲は大勢の客に紛れながら家路についていた。しばらく歩くと待ち合わせ場所に使ったいつもの公園の入り口に着いた。この時点では大勢いた客の殆どとは離れていた。
 「いやぁ楽しかったね空君!私、今日の事忘れないと思う!」
 「オレも忘れない。今日は誘ってくれてありがと。」
 「どういたしまして〜。あっじゃあ明日は私たちだけで花火大会しようよ!近所の河川敷でさ!」
 「いいね。やろう!じゃあ明日の夕方もここで待ち合わせようか。」
 「さんせー!じゃあ明日の15時にここで!今日はホントに楽しかったよ!じゃあね〜!」
 咲の後ろ姿を見送った後、少年も家に向かって歩み始める。心がざわついているのが分かる。どうやら自分はワクワクしているらしい。こんな気持ちは久しぶりだった。

Re: 人畜無害な短編集 ( No.9 )
日時: 2020/08/22 00:45
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

 それからというもの少年と咲の2人は週末に必ず遊びに行くようになっていた。
 河川敷では花火をやった。
 ある時は歩いてすぐの海へ海水浴をしに行った。
 ある時は電車に乗って街に遊びに行った。街は色んな人が犇めいていて若干面食らったのを覚えている。
 ある時は水族館へまたある時は動物園へ。
 本当に色々な所に行った。
 2人で遊びに行くうちにすっかり少年の方も打ち解けていた。もう少年にとって咲は母親よりもかけがえのない存在になっていたのかも知れない。咲との出会いは少年にとって少なくとも悪い影響を与えることは無く、寧ろ少年は自然な笑顔を見せる事が多くなっていった。不思議なことに咲といる時は霊の事を忘れられていた。
 ある日の夕方。
 随分下の方から荒っぽい波の音が聞こえる。
 今日は2人で見晴らしのいい展望台へやって来た。展望台の下は海になっていて海を取り囲むようにゴツゴツとした崖や岩が連なっている。
 夕焼けに照らされた空と海が、黄金の世界のように輝いていた。
 「すごいでしょ!ここ、私の隠れ家なんだ〜!」
 「めっちゃ見晴らしいいね。気持ちいなー!」
 「でしょでしょ??ここ人に教えるのは実は初めてなんだ〜!空君もこの場所は人に教えちゃダメだからね??」
 「分かってるよ。誰にも言わない。任せて!」
 少年は視線の先に広がる大海原を目に焼き付けていた。こんな場所があるなんて知らなかった。咲がいなければ知る事さえできていないだろう。思えば、咲と遊ぶようになってから少年にとって初めて目にするものがいっぱいあった。
 ふと横に視線を流すと咲も展望台からの景色に夢中になっているようだった。その顔は咲にしては珍しく何だか真面目な顔だった。何か悩み事でもあるのだろうか。話しかけようとした少年だったが、そこで予想外の声に遮られる。
「坊や。あまり柵に近づくとあぶないよ。」
 それは、しわがれた老婆のような声だった。少年が振り返るとそこには腰をくの字に曲げて佇む小さな御婆さんの姿が見えた。
 突然声をかけられたため少年は怪訝な顔をしていると続けて老婆は口を開く。
 「坊やはまだ小さいし小学生かい?だとしたらもう帰りな。小学生が"ひとり"で来るような場所じゃないんだよ、ここは。」
 「…………………………………………………………………。」
 心臓が止まるかと思った。
 今、御婆さんは何て言った?ひとり?誰が?オレが?だってオレの横には……。
 そこまで思考を巡らせた少年はゆっくりと咲の方向を見る。
 咲は不思議そうな表情で首をかしげてこちらを見ていた。
 少年の耳に御婆さんの声が続く。
 「それにしても、よく"ひとり"でここまで来たね?さすが男の子ね?」
 ひとり。
 御婆さんは確かにそういった。つまり、どういう事だ?そこで少年は思い出した。
 ずっと前にも似たようなことがあった。確かアレは小学1年生の頃だったか。
 自分にやけに親身になってくれる若い男性が居た。少年は男性に甘えたがその男性は少年にしか見えていなかったのだ。男性の霊はだったそれは少年で遊んでいただけだったのだ。
 「空君……?」
 相変わらず咲は不思議そうな目でこちらを見つめてくる。これも演技なのだろうか。すべては少年をからかう為の行為だったのか。 少年の脳裏にはあの事件の記憶が蘇っていた。
 それは、ガラスの破片の中で倒れ込む小林の姿だった。
 「お前らなんか。」
 それは、必死に頭を下げる母親の姿だった。
 「お前らなんか……!」
 それは、犯罪者呼ばわりしてくるクラスメイト達の姿だった。
 「お前らなんか大っ嫌いだああああああああ!!!!」
 気づいたら少年は咲の体を両手で突き飛ばしていた。自分でもそこまで力を込めたつもりは無かったが、咲はバランスを崩したのか予想以上に後退して。
 そのまま柵をこえて落下していった。
 これで良かったのだ。どうせアイツだって後に正体を現して自分を馬鹿にするに違いない。そんなのは数えきれないほど経験してきたはずだ。変わった人柄に惹かれついつい乗せられてしまっていた。でも、もうこれでおしまい。
 どうせ柵の下を見ても咲は無傷か姿そのものが消えている事だろう。
 そう思った少年は柵の下の崖に目を落す。
 しかし。
 「……あれ?」
 崖の下には咲が居た。だが、無傷などではない。咲は血だらけで崖に倒れ込んでいた。ジワジワと広がってゆく血が岩を真っ赤に濡らしてゆく。
 おかしい。これではまるで、生きている人みたいではないか。
 「なんで……?何で血が……。咲……?でも、咲は……。なんだよこれ、どうなってんだよ!!」
 混乱と驚愕に溺れた少年は目を見開きながら、それでもなんとか言葉を紡ごうとする。
 だが、それは断絶させられた。
 原因は背後からの声。
 「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!騙されたね坊や。ぎゃははははははははは!!!!!!!」
 狂気に満ちた笑い声。いや、もはや笑い声なのか奇声なのか良く分からないものに成り果てていた。
 少年は恐る恐る振り返るとそこには。
 お腹を押さえながら地面で笑い転げる御婆さんの姿があった。正確には、御婆さんに扮した霊の姿が。
 「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃあああ!!!坊や、勢い余ってやっちまったねぇええええええ!!!!これだから、人の子は面白いいいいぎゃははははははは!!!」
 少年は、膝から崩れ落ちた。
 もはや、思考をまとめるとか言葉を紡ぐとかそういう事が出来るレベルを軽く超えていた。
 眼球がこぼれ落ちそうなくらい目を見開きガクガクと震える。頭の中は完全に白い闇で覆いつくされていた。
 そんな少年の耳の中には目の前で笑い転げる御婆さんの声だけが響き続けていた。







 テレビでは取材を受ける目撃者の若い女性が映し出されていた。
 「そうです。少年が急に女の子を突き飛ばしたんです。ええ、それ以外に周りに
人は居なかったとおもいます。突き飛ばした直後、少年は後ろを見てなにやら
独り言をわめいていたのですが、アレはなんだったんでしょうかね?」


【終】

Re: 人畜無害な短編集 ( No.10 )
日時: 2020/08/27 23:26
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

タイトル「悪夢」



 空を飛んでいる。
 藤岡海斗(ふじおか かいと)と呼ばれる少年が今置かれている状況を端的に説明すると、この表現が最も適切だろう。
 空を飛んでいるというのは決して飛行機に乗っているとか、パラシュートでスカイダイビングをしているとかの比喩ではない。
 彼は本当にうつ伏せの体勢で空を飛行していた。といっても背中から2本の翼が接続されているわけでもなさそうだ。
 「(つーか、最悪海に落ちたとしても助からねぇとかじゃ……?)」
 今現在の彼の心は単純に空を飛んでいるという高揚感と飛行能力を制御できていないことに対する焦燥感でいっぱいだった。
 大きな雲を切り裂くように彼は飛行し続けていた。しかし、嫌な予感は意外にも早く的中してしまう。
 「(あ、あれって。ヤベェ……ッ!?)」
 視線の先に見えたのは黒い点のようなものだった。しかし、よく見るとそれはこちらに接近する旅客機だったのだ。
 「(このままだと、5分もしないうちにぶつかる!)」
 彼は無理やり腕を回したり、身体をひねったりして回避を試みるも何故か軌道は変えられない。
 そうこうしている間にも黒い点に見えていたそれは完全に旅客機だと目視できるレベルまで迫ってきていた。 旅客機側はこちらに気づいていないのか、気づいているがどうしようもできないのか航路を変更するそぶりを一切見せずに迫って来る。
 「たすけてくださあああああい!航路を変えて下さいいいいいいいいいいいい!」
 彼は叫んだ。
 その声は時折吹き荒れる防風によって阻まれて上手く響かせられていないのは彼自身も感じていた。それでも叫ぶ。
 喉がはじけ飛ぶかと思った。血が出ているような感覚さえあった。それでもひたすらに叫んだ。
 だが、旅客機の航路に変化はない。
 次の瞬間。
 巨大な金属の塊は圧倒的なその質量をもって少年の身体を貫いた。

 という夢を見た。

 「うわぁああああ!!」
 目が覚めると、そこは真っ暗な森の中だった。
 藤岡海斗は太い木に背中を預けるようにして眠っていたのだ。
 視界は完全な暗闇に支配されていた。時折、聞いたことないような鳥の声や枝を踏みしめるベキベキという音が聞こえてくる。
 「(さっきのは夢か……?つーか、何で俺はこんなところに。)」
 徐々に目が慣れてゆく中で、自分の足下にリュックサックが置いてあるのを発見した彼はそこで思い出した。
 「(そうか。俺は今日一人でキャンプに来たんだ。途中で遭難して休憩がてらに寝ちまったって事か!)」
 その記憶が最後まで正しいものなのかは正直自信が無かったが、それでもキャンプに来たというのはなんとなく信憑性がある気がした。
 リュックの中を漁ると、懐中電灯が出てきた。試しに電源ボタンを押すと強めのライトが点いた。
 「よし、落ち着け。取りあえず、市街地にでなきゃな。そのためにはまず、歩きださねぇと始まらねぇ!」
 それは他の誰でもない自分に言い聞かせ、その場からゆっくりと立ち上がり歩き始めた。
 しばらく歩くと水の流れる音が聞こえてきた。その方向を照らすと水が流れている。どうやら沢地に着いたようだ。
 「(この下流を辿れば人気のある居場所に出るかも知れない!)」
 そう思った彼が何気なく足下の水流からゆっくり流れる方向に光をずらしていったところで何かが水をせき止めているのに気づく。
 それは最初、倒木なのだろうと思ったがその予想は即座に否定される。
 「(ちょっ……、なんだこれ……!?)」
 その太い何かはゆっくりと脈動していた。そしてその倒木から生えているもの。これも枝なんかではない。
 それは巨大な昆虫の脚だった。太い倒木のようなそれは巨大な昆虫の腹部だった。
 少年はそこまで悟ってから恐る恐る全体像を照らしてみて驚愕した。
 「か、カマキリ……?」
 それはカマキリの形をしていた。しかし、カマキリにしては大きすぎる。おそらくダンプカー相当だろう。
 藤岡は意味が分からなかった。これはなんだ。一体なんでこんなものが現実に存在しているんだ。
 完全に理解が追い付かない藤岡は単純な恐怖で足がもつれてしまった。
 「しまっ!」
 バキッっと枯れ枝が折れる音が周辺に響き渡った直後、今まで遠くを見ていたカマキリの頭部がグイン!とこちらを振り返った。
 「(まずい……!)」
 もはや、立ち上がって逃げる暇などなかった。
 瞬きをしたときには巨大な鎌状の前脚が展開し、藤岡に向かって伸びてきた。
 グチャリという音が聞こえた直後、藤岡の意識が刈り取られた。

 という夢を見た。

 「うわあああああああ!!」
 飛び起きるように目を覚ました。
 体中がじっとりと汗で濡れていた。荒い呼吸を繰り返していた藤岡海斗は呼吸を整えつつ辺りを見回すとそこは病室だった。
 周りにはたくさんのベッドが並んでいるが患者はどうやら彼一人のようだった。 
 「(さっきのカマキリはなんだったんだ……。つーか俺はなんで、病院なんかに……?)」
 記憶が著しく欠如している。混乱している彼をよそに勢いよく病室の扉が開けられた。
 「あら?藤岡さん目が覚めましたね。気分はどうですか?体調に変化はありますか?」
 眼鏡を掛けた若い看護師の女性は藤岡に質問を投げかけながらこちらに近づいてくる。何やら沢山の医療器具が乗せられた金属の台車をガラガラと引きながら。
 「あの、俺ってなんで入院しているんですかね。」
 「覚えてないかー。キャンプ場で倒れていたところを通報されて運ばれてきたのよ?全身血まみれで熊に襲われたのかって警察も調べてるところだと思うけど。」
 藤岡はそこで思い出した。 
 「(そうか、確かに俺はキャンプに出掛けていたんだ。そこで遭難してクマか何かに襲われたんだな。だからあんな夢を見たのか)」
 「取りあえず健康観察として血を抜きますね?」
 看護師の女性は話しながらも手際よく医療器具を組み上げる。
 それは太い注射器だったが管のようなものが接続されており、床に置いてある四角い大きな容器と繋がっているようだ。
 藤岡の右腕にチクリとした鋭い痛みが走る。注射器が刺され、血が抜き取られ始めた。
 しばらく血を抜き続けているが一向に終わる気配がない。
 「これって、どんくらい抜くんですか?」
 藤岡が不安げに聞くが看護師の女性は答えない。彼女はただ注射器一点を食い入るように見つめていた。
 血が抜き取られ始めて5分が経過していた。
 「ハァ……ハァ……あの、いつまで……」
 藤岡の顔が青ざめはじめ、荒い息を吐き始めるが看護師は血を抜き取り続ける。もはや視界すらもぼやけ始めていた。
 「……もう、やめ……」
 意識が朦朧とするなか、血だけが抜き続けられ、ついに藤岡の意識が断絶する。

 という夢を見た。

 「うわああああああああああ!!」
 飛び起きるとそこは教室だった。
 「こら藤岡!急にデカい声出しやがって、また居眠りしてたんだろ!寝ぼけるのもいい加減にしろよ!」
 「でも先生!たとえ起きていたとしてもその問題は藤岡には解けないとおもいまーす!!」
 ぎゃはははは!とクラスメイトの笑い声が教室中に響き渡る。
 「(学校……?俺は今までずっと寝てたのか……。)」
 笑い声が響き渡る中、藤岡だけが目を丸くして状況を整理していた。そんな彼をよそに先生の声が浴びせられる。
 「なにハトが豆鉄砲くらったみたいな顔してんだ?いい加減目を覚ませ!授業中だぞ。」
 先生も真面目に叱るのが馬鹿馬鹿しいといった様子で呆れた声を上げる。
 慣れ親しんだ先生の声。聞き慣れた生徒たちの笑い声。
 「(そうか。やっと現実に帰ってきたんだな。ったく、何だったんださっきの夢は。)」
 授業が終わると友人たちが藤岡の席に集まってきた。
 「藤岡〜。またお前ねてたよなー!良く寝るなーいつも!」
 「しょうがないだろ。疲れてんだから。」
 「疲れてるって藤岡バイトとか一切してないだろ!」
 「生きるのに疲れてんだよ、俺は。」
 「「なんじゃそりゃ、ぎゃはははは!!」」
 友人たちの笑い声。いつもの日常だ。
 本日最後の授業が終わり帰り支度をしていた藤岡だったが唐突に声をかけられた。
 「ちょっと藤岡!アンタなに帰ろうとしてるの!?今日掃除当番でしょ!」
 声の主はクラスメイトの女子だ。
 「そうだった。っていうか俺居なくても変わんないんじゃね?」
 「なに馬鹿なこと言ってんの!?ほら、早く来い!!」
 そういうとクラスメイトの女子は藤岡の腕を強引に引っ張った。
 そのまま音楽室に着くと他のクラスメイト達は既に音楽室に集まっていた。
 「おせーぞ藤岡!さっさと終わらせて帰ろうぜ?お前も愛しの恋人待たせてんだろ??」
 「わかってるよ。」
 藤岡はそういえば今日、下駄箱のところで待ってるっていってた気がすると曖昧に思い出す。
 結局掃除も藤岡と男子数名はほうきでチャンバラをし女子数名に怒られるといういつもの風景だった。
 掃除が終わり少し駆け足気味に下駄箱に着くと、ひとりの女子生徒が待っていた。女子生徒は藤岡に気づくと少し顔をしかめて言う。
 「もぉーおそい!どうせまたあそんでたんでしょ。」
 彼女はふわふわした甘い喋り方が特徴だ。藤岡が惹かれたポイントでもある。
 「悪い悪い。でも今日は割と真面目にやったよ。後半あたりからは」
 彼女はむぅっとしたあとに笑顔になり一言。
 「かえろっ」
 とだけ言った。
 学校の外を出ると辺りはすっかり夕暮れだった。学校付近を2人で歩いているとヒューヒューというベタな煽りをしてくる友人を拳を振り上げて黙らせつつ、時折彼女と顔を見合わせて笑った。
 家の近くに着くころには夕暮れも過ぎてすっかり外は暗くなっていた。
 街灯の真下で彼女である女子生徒と解散するのが定番だった。
 「じゃあ、またあしたね」
 「ああ。明日!」
 藤岡はこの瞬間が生きてきた数十年の中で一番満たされている気がした。こんな日が永遠と続けばいいのにと少し柄にもないことを思ってしまった。
 手を振って彼女の背を見送る。





 という夢を見た。
 
 

【終】

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

Re: 人畜無害な短編集 ( No.11 )
日時: 2020/08/27 23:26
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

タイトル「魅惑の肉汁うどん」
 

 

 心がボロボロに打ちのめされていた。
 いったい自分の何がいけなかったのか。増田公正(ますだ こうせい)は仕事帰りの人々が集う繁華街を死んだ魚のような目でフラフラ歩いていた。
 頭の中では自分をクビにした上司の顔が離れないでいた。
 中学高校と真面目に勉強し、大学は有名な国立大学へ入学した。成績も常に上位で誰が見てもエリートコースまっしぐらな彼だった。就活も順調で、彼は遂に念願の一流企業に就職することが出来たのだが、そこからは地獄のような日々だった。
 毎日のノルマはきついし、小さなミスでさえ許してはくれないキツイ上司のもとで2年間働いた。正直、すぐにでも辞めたい職場ではあったが増田はその気持ちを飲みこんで自分なりに頑張ろうと心を引き締めた直後のリストラだった。
 もう、人生を諦めていた。
 まだクビになってから数カ月しか経過してないのだが彼にしてみれば年単位で彼を置いてけぼりにするように時間が経過しているような気分だった。
 「「「かんぱーい!」」」
 「……。」
 陽気な晩酌の声がする方を無言で眺める。仕事終わりのビールなんて嗜める時点で随分余裕のある職場なんだなというギスギスした感想しか湧き出ない。
 実際、彼は仕事終わりの晩酌など経験したことは無かった。酒を飲む暇があったら仕事をする。それが彼が務めていた職場のポリシーのようなものだったのだ。
 様々な食べ物の匂いが混ざり合う繁華街を抜け、人気のない通りに出てきた増田だったが、そこにポツリと聳える小さな店を発見する。
 「(こんなところに食い物屋なんてあったっけ?明かりは点いてるみたいだけど随分ボロいな。でもすっげぇ良い匂い。)」
 その店の看板には『うどん』とだけ書いてあった。だが、その看板以上に主張してくるダシの香り。今まで嗅いだことの無い良い香りだった。
 「(ま、今日はここでいいか)」
 そういえばまだ夕食を済ませていなかった増田は香りに誘われるように古臭いスライド式の戸を開ける。
 「いらっしゃいませぇ」
 店の奥から、か細い老人の声が聞こえてくる。声の主は厨房にいる男性。
 店内はカウンター席と厨房が繋がっているタイプの構成で、それ以外に座席はないため狭く、全体的にレトロな印象だった。芸能人の隠れ場っぽいといえば聞こえがいい。
 増田はカウンター席の中央に座る。彼のほかに客はいないようだ。ファミレスのようなメニュー表は無く、壁にぶら下がっているボードに書かれた商品名から選ぶというシステムらしい。
 「(きつねうどん、さぬきうどん……ん?なんだこれ。)」
 一度は聞いたことのある名前が続いたところで一つだけ異質な存在感を放つ名前を見つけた。その名も『魅惑の肉汁うどん』。
 「(いかにもって感じだな。まあ頼んでみっか。)すみません、この魅惑の肉汁うどん一つください。」
 「はいぃ」
 なんでこのメニューを頼んだのかは自分でも不思議だったが、なんとなく惹かれるものがある気がする。
 しばらく待つと5分もしないうちにうどんが運ばれてくる。
 「ハイお待ちぃ」
 うどんを目の前にして気づいたが、さっき店の外にまで漏れていた良い香りの正体は、どうやらコイツだったらしい。
 増田は歯を使って割りばしを割り、うどんを啜った彼はそこでピタリと止まる。
 「(うまい……。なんだこれ、こんなの今まで食ったことない!)」
 そのうどんは、ただ味が良いというだけではなかった。今までの辛かった経験を、それを体験してきてズタズタに引き裂かれた心を優しく包み込んでくれるような優しい味わいだった。
 増田は気づくとガツガツ勢いよくうどんに食らいついていた。これまでの辛かったことを思い出しながら。
 そんな彼の目からは不思議と涙がこぼれていた。
 大袈裟かもしれないが間違いなく増田はうどんに救われた。そして、彼と同じように救われない経験をしている若者は多いのだろう。自分と同じ境遇の奴にも食べてほしい。
 知らなかった。うどんにこんなにも人を救う力があるなんてこと。いや違う、普通のうどんではこんな気持ちにはならない。という事は。
 増田の中に流れ込む思い。それは希望に満ち溢れた温かいものだった。彼がこんな気持ちになるのは久しぶりだった。
 だからこそ、彼が言い放った一言には重みがあった。
 「大将。俺、大将のうどんに救われました……!こんな気持ちは初めてなんです。お願いです、この俺を弟子にしてください……!」
 厨房でなにか作業をしていた大将は、増田の声にピタリと手を止めた。しばらく、手元に視線を落としていたが、のそりと増田の顔に視線を移し、彼の顔を凝視する。そのうち、ゆっくりと口を開いた。
 「ワタシは、弟子は雇わない主義でねぇ。この店も何十年、ずっとワタシが一人で支えてきたんだぁ。だから、弟子はいらんねぇ。」
 増田は驚愕した。たった一人でこの店を何十年も続けてきた。一体そこにはどんな苦労が伴ってきたのだろう。たった一度リストラをくらっただけで全てに絶望しフラフラしている自分なんかとは格段に違う生き方だった。
 力になりたい。世のため人の為ではなく、この大将の力になりたい。
 増田の頭の中には、そんな思いが沸き上がった。だからこそ、増田は引き下がらない。
 「それでも、俺は大将の力になりたいんです。大将のような素晴らしいうどんが作れるようになりたい!そして、自分のうどんで人々に希望を抱かせたい!」
 たとえ怒鳴られて追い出されてこの店を出禁になっても、弟子にしてくれるまで頭を下げようと決意する。
 「ですから、この俺を弟子にしてください!お願いします!」
 増田は立ち上がって深々と何度も頭を下げていた。こんなに心から頭を下げたことがあっただろうか。
 それでも聞く耳をもたない大将に対して増田は、もはや土下座をして頼み込んだ。
 「俺、なんでもします!どんなに辛くても絶対にへこたれません!この通りです!この俺を使ってください!!」
 ピクリと。そこで初めて大将の目が変わった。
 「いま、なんて言ったぁ?」
 「で、ですから。俺、何でもしますから、どうかこの俺を使ってください!」
 その言葉を聞いた大将は、急に今まで増田に見せなかった満面の笑みを見せた。
 「そうそうそうそうぅ!その言葉が聞きたかったんだよぉ。いやぁ、よく言ってくれたねぇ。」
 「そ、それじゃ。俺を認めてくれるんですね……!?」
 「あぁ!そこまで言うなら、御望み通り君を使ってあげましょうぅ!さあさあ、さっそく厨房に来たまえよぉ。」
 「あ、ありがとうございます……!やった!やったああああああああああああああああああああ!!」
 増田は、まるで小さな子供が欲しいオモチャを買ってもらった時のように無邪気に喜んだ。
 ああ。
 こんな自分にもまだ居場所はあったんだと。こんな自分を必要としてくれる人がいるんだと。増田は目に涙を滲ませながら喜んだ。
 その光景を厨房から笑顔で見つめる大将に増田はその場で改めてよろしくお願いしますと頭を下げた。
大将はいつまでも笑顔を崩さなかった。

 
 
 とあるサラリーマンの男性が繁華街を抜けたところに聳える小さなうどん屋を見つけた。その店からとてつもなく良い香りが漂っていた。
 その香りに誘われるようにサラリーマンの男性がそのうどん屋に入店した。
 「いらっしゃいぃ」
 店の奥から、か細い老人の声が聞こえてきた。
 サラリーマンの男性は店内に客がいないのを確認するとカウンターの中央に座った。厨房では大将の老人が"一人"で作業をしているのが見えた。
 「大将、なんかお勧めあるー?」
 「『魅惑の肉汁うどん』なんてどうかねぇ?当店お勧めだよぉ。」
 サラリーマンの男性が陽気に尋ねると、か細い声で返答が帰ってきた。
 そのメニューはサラリーマンの男性は初耳だった。だが、その名前の異質さに惹かれ思わず注文してしまう。
 しばらくすると、うどんが運ばれてくる。
 「わあ。この匂いだったのか!めっちゃいい香りっすね!?これ何でダシとか取ってんすか?」
 サラリーマンの男性が訪ねるが大将は何故か聞く耳を持たない。
 首をかしげながらサラリーマンの男性はうどんを啜ってそこでピタリと止まる。
 「おいしい……!こんなの食べたことない味だ!なんなんだよこれ!」
 その味はこれまでの辛かったことや苦しかったことを優しく包み込んでくれる味だった。
 サラリーマンの男性はしばらくうどんにガッついていた。
 どんぶりを掲げ汁まで飲み干した男性の目には何故か涙が溢れた。
 「(こんなうどん食べたことない。こんなにうどんで人が幸せになれるんだ。今まで仕事は金の為って割り切ってきたけど、そんな自分が馬鹿みたいだ。俺もこんなうどんが作れるようになりたい。うどんで人を幸せにしたい!)」
 気づけばサラリーマンの男性は立ち上がっていた。そして、ゆっくりと頭を下げて一言。
 「感動しました、俺、大将の弟子になりたいです!」
 「ワタシは"弟子を雇ったことがないんだぁ"この店もワタシ"一人で"ずっとやってきたぁ。だから、弟子はいらんねぇ。」
 「それでも、俺は大将と一緒に働きたい!たのんます、俺を使ってくれ!」
 ピクリと大将は目の色を変えた。
 「その一言を待ってたんだよおおおおおおおおおおおぉ!!!!」
 

 大将は満面の笑みを見せた。
 
 
 【終】

 
 

Re: 人畜無害な短編集 ( No.12 )
日時: 2020/09/04 17:32
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

※ヨモツカミさんのみんなでつくる短編集【SS投稿交流所】に投稿したものを大筋プロットとして、加筆・修正を加え、完成版としてジワジワ投稿していきます。

タイトル「深淵の街」




 「よっしー、あとの片づけ頼んだぞ?お前の事は頼りにしてるからな!」
 「は、はいっ!」
 目の前でとある社員が褒められている。
 吉田はたしか数か月前に入ってきた新任の正社員だったか。いつの間に"よっしー"なんてベタなあだ名がついたのだろう。アルバイト社員である平岡奏汰(ひらおか かなた)は吉田たちの会話に耳を傾けながら目の前の作業を続ける。
 「じゃあ、俺たちは帰るから よっしー頑張れよ!」
 「サボっちゃダメだよ?よっしーじゃあね〜!」
 そう言い捨てた社員2名はそそくさと作業場を後にした。作業場には平岡と吉田の2名が残されている。
 結局最後まで、アルバイトの平岡には挨拶一つないどころか目を合わせてくることも無かった。まさに検索件数ゼロ状態だ。
 あいつらワザとやってるんじゃないだろうな…?平岡にそういう不信感を抱かせるには十分すぎるシチュエーションだった。
 でも、こんなことは良くあることだった。
 もうこのアルバイトを続けて3年目なのだが、未だに彼は社員たちとの距離を縮めることが出来ていない。それどころか、最近は扱いが雑になっているような気さえする。
 スーパーマーケットのアルバイトがキツイというのは噂で聞いていたが、まさかこんな形で思い知らされることになるとは。
 とはいえ、言ってしまえば彼自身に一番問題があることは自覚していた。
 吉田も先ほど帰って行った社員2名も悪い人達じゃない。平岡がこのアルバイトを始めた最初の頃は割と気さくに話しかけてくれていた。
 彼がそれを知らぬ間に拒んでしまっていた。拒絶していた。
 徐々に社員たちは平岡に遠慮し、一定の距離を保って接してくるようになった。
 思い返せば、18を過ぎた頃から随分と会話ベタというか人との距離の測り方が下手糞になってしまっているようだ。
 アルバイトだけではない。
 大学でも平岡はあまり友達が出来なかった。
 大学の連中はつまらん奴が多いと勝手に決めつけ、距離を深めることをしなかったからだ。
 いつしか人間関係が、社会が、地上が、息苦しいと感じるようになった。そういう時よく目に入ったのが海を泳ぐ海洋生物たちの写真。
 ある時は図鑑で、ある時はネットの画像でよく見かけた。海洋生物は平岡にとって憧れのようなものを感じさせた。そして、影響された。
 そんな漠然とした憧れが生まれてから彼には決まって訪れる場所ができた。
 てきとうにバイトを終えて時計を見たら19時45分。
 今日も平岡はふらっと飲み屋に寄っていくような感覚で、"そこ"に訪れていた。
 少し荒っぽい潮風と強い波の音。カモメの声が演出する昼間の楽しい情景とは反して今は寂しさや悲しさといったマイナスのオーラが漂っていた。
 "そこ"とは海だった。
 それも夜の海。砂浜にはポツリと平岡一人が佇んでいて他には何もない。あるとしたら昼間に燥いだ人々の足跡。周囲は漆黒の暗闇というよりは全体的に青みがかっている。
 此処に来ると生き返った気分になる。
 あれだけ息苦しかった地上に比べて海は精神を落ち着かせる。
 吸い込まれるように波打ち際まで歩きはじめ、足が海水に触れるのを感じる。靴を履いているのに思いのほか海水の浸透は早い。今は夏なのだが、その冷たさは全身を冷やすのには十分だった。
 平岡は歩みを止めない。
 海水は膝下まで飲み込んだが、まだ歩みを止めない。
 気づけば腰下あたりまで海に浸かっていた。このまま海に飲み込まれてしまいたいと絶実に思う。
 でも、そこでピタリと足が止まる。
 まるで足が縫い留められたかのように、まるで下半身が石化してしまったかのようにそこから一歩も進めなくなる。
 こんなことを、少なくとも2年前からこんなことを繰り返しているような気がする。いつも彼はここで歩みを止めてしまう。躊躇ってしまう。
 躊躇いが生まれる理由は単純で、平岡は陸上に生きる生物だからだ。呼吸は肺を使い酸素が供給され続けなければ生きていけない。このまま頭まで沈めば、彼は海の藻屑となるだろう。
「(はぁ、ここまでか。)」
 決まってここで深い溜め息をつき、自分自身に絶望する。これはもはや日課のようなものになっていた。普段ならここで引き返して家路につくところだ。しかし、
「苦しい…。」
 今日の自分はどうかしてる。何故かこのタイミングで思いだしてしまった。
 
 それは、アルバイトで受けた屈辱だった。

 それは、大学で感じた疎外感だった。
 
 それは、ある日図鑑で見た様々な海洋生物たちが楽しげに泳ぐ姿だった。
 
 あの日から彼の中で大きな疑問が生まれた。
 自分はいつまで地上にいるのだろう。いつまで息苦しい地上で生きるのだろう。いつまで地上で生きている生き物のフリをしているのだろう。
 平岡は、一歩を、確かに踏み込んだ。
 そして、そこからは早かった。
 腰下まで来ていた海水はいつしか胸のあたりまで来ていても構わず進み続けた。内心、諦めていたのかも知れない。これは単なる現実逃避だ。人が海の中に逃げ込むなんて事が出来るわけない。泳ぐのだって息継ぎは必要だし、長時間潜るのにも酸素ボンベが必要だ。このまま海水に飲まれて流木以下の存在になるのだ。
 正直、楽になりたいというのはあった。それが海洋生物になるという形で歪んでいただけなのだ。
 もうこれで、何もかもおしまい。ついに、海水は平岡の全身を飲み込んだ。
 ここまで言っていてあれだが、息を止めている今が一番苦しいかもしれない。情けなくて笑えてくる。
 ここでゆっくり鼻から息を吸おうとしたら海水が入り込んできて彼の意識は刈り取られるだろう。分かったうえでそれを実行した。目を閉じたままゆっくりと鼻から息を吸い込みそして、

鼻から息を吐いた。

「(ん…?)」
 最初、何が起こったのか分からなかった。
 もう一度、鼻から息を吸って吐いてみたが、これが普通に出来てしまう。
「(まだ頭が地上にあるのか…?)」
 ゆっくり目を開けると確かに自分は水の中にいるようだ。ゴボゴボと水の中の音も聞こえる。でも、海水のはずなのに目が沁みることはない。そして息をすることが出来る。
「(なにが起きて…。)」
 とにかく理解が追い付かないまま平岡はそのまま歩き続けた。
 しばらく暗い水の中を歩くと視線の先に明りがあるのが見えた。近づいてゆくにつれ、それは徐々に地上にある街並みとそっくりな景色が浮かび上がってきた。
 気づけばゴボゴボという水の中の音さえ消えていて、その感覚はもはや完全に地上のものと同一になっていったのだ。
 どれくらい歩いたのだろうか。ふと足を止めて振り返ると、背後にも見たことの無い街並みの景色が広がっており、彼は完全に自分が見知らぬ街に迷い込んでいるという状況に気づくのに少し時間が掛かった。
 「(どこだ、ここは。どうなってるんだ……!)」
 方向音痴とか、そういう次元じゃなかった。建物も看板も360度の景色が全て初めて見るものだった。かといって、看板に書かれている文字が異質なもので異世界にやってきました!というファンタジーな展開でもなく、使われている文字は日本語で普通にバスや軽自動車なんかも走っている。
 先ほどから色々な人とすれ違うが、特に違和感もない。だからこそ、壮大な迷子になってしまったというリアルな焦燥感だけが平岡を追いつめていた。
 必要以上にキョロキョロしながら取りあえず再び歩き出した平岡はとにかくここがどこなのかを知るべきだと判断したが、かといって街ゆく人に声を掛けられるような度胸は持ち合わせていない。なので、冷静に交番を目指してみることにした。
 あれからかなり歩いた。元々、この謎の街に到着するまでの間も真っ暗な海の中を歩いていたのだ。焦りと疲労は確実に平岡の肉体面と精神面にダメージを蓄積していった。
 「(俺は、このまま野垂れ死ぬんだろうか。まあ、それはそれでいいけどな。)」
 あまりに急展開で忘れかけていたが、彼は本来なら既に海に身を投げ藻屑と化している筈なのである。ここで命乞いをするような気分でも無かった。そんなマイナスな思考がトドメを刺したのだろうか、バタッ!と平岡は人気のない路地裏の道に倒れ込んでしまった。
 「(ここでネズミのエサコースか。はは、しょーもねえ人生だなオイ……。)」
 涙の一つでも流れればドラマのワンシーンにでもなりそうなものだが、こんな時でさえ彼は冷めた思考の持ち主だった。乾ききった瞳を包み込むように、徐々に瞼が閉じていって。
 そこで平岡奏汰の意識は暗闇に飲み込まれるように断絶した。

【続く】


Page:1 2 3 4



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。