ダーク・ファンタジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 隻眼の御子【短編小説】
- 日時: 2023/01/07 19:12
- 名前: 金時計の償い (ID: FWNZhYRN)
――――どうしても、許してほしい・・・・・・?なら、この実を食べてごらん・・・・・・――――
夏休みの訪れを機会に故郷を発った女子中学生の"深瀬 心(ふかせ こころ)"。彼女は過去の過ちを償うべく、幼馴染みの"葦名 瑞貴(あしな みづき)"が住む"蟲崇(ちゅうすう)の集落"へと足を運ぶ。しかし、贖罪の願望が誘うのは、悪夢の絶えない連鎖だった。
――――1人の少女は誘われる。その村に伝わる悍ましい秘密を知らずに・・・・・・――――
- Re: 隻眼の御子【短編小説】 ( No.7 )
- 日時: 2023/02/05 20:32
- 名前: 金時計の償い (ID: FWNZhYRN)
しばらく歩いて、私と百足はある場所へと行き着いた。
そこは私が蟲崇の集落を訪れた際に目にした山岳にある神社だった。
最初は大して気にならなかったけど、今となっては私達を呼び寄せているような神秘的な雰囲気に満ちている。
暗闇に遮られた静寂な頂上には・・・・・・
「――何が待っているの?」
先の読めない展開に私は足元の蟲に問いかけた。
百足は一度だけ振り返り、少女を見上げて顎を一定のリズムで動かす。
不思議にも"もう少しだよ・・・・・・"と言っている気がした。
暗い林道を通るのは怖かったけど、不安を押し殺して1つ目の石段を踏んだ。
百足は脇の斜面をウネウネと登り、私の隣を進む。
私は坂道の疲労にクタクタになりながらも、どうにか頂上まで登り切った。
石の床材が真っ直ぐに伸びており、その正面には古びた神社が。
百足は神社ではなく、その脇へと行き先の方向を変えた。
目で追うと、端にはあやふやな丸みを模った池があり、闇色で黒ずんだ水を溜めている。
水辺の近くに立ち尽くす2人の人影がこちらを目視していた。
いたのは神主の杏里さん、信じられない事に瑞貴くんも一緒だったのだ。
私は混乱をきたしたが、1つの感情だけは鮮明に浮き出てきた。
理性を捨てて、今まで繕った事がないだろう逆鱗の形相で瑞貴くんに飛び掛かろうとした。
私の心の内を悟っていた杏里さんが彼の前に立ちはだかり、接触を妨げる。
「退いてっ!!」
私は怒鳴った。でも、杏里さんも一歩も引かなかった。
「あれだけ卑劣な目に遭わされて、怒り狂う気持ちは分かる。だが、こうするしかなかったんだ」
杏里さん私の突進を食い止め、冷静に宥める。それでも、彼の後ろにいる相手を許せず、食って掛かった。
「こうするしかなかったって・・・・・・どうしてっ!?どうして、私がこうまでなる必要があったのっ!?」
「――君をこの村から逃がすためだ」
その一言を聞き捨てなかった私の昂ぶりに鎮静の兆しが芽生える。
完全には落ち着けていない状態のまま、杏里さんを見上げると、真剣な顔で地面を凝視し
「私の忠告を拒んだ時、もう君を助けられないと諦めかけていた。しかし、彼のお陰で望みを生き永らえさせる事ができたんだ。君が彼の導きに気づいたのは、幸運とも言えるだろう」
「――彼?彼って、この百足の事?」
やっぱり、この百足はただの百足じゃなかったんだ。
驚きの連続に色々と言いたい事が積もりに積もっていたが、"まずはどういう事なのか?"と単純な質問を投げかけると
「この百足については後で詳しく話す。だが、まずは私の話を聞いてほしい」
杏里さんは瑞貴くんを背に、百足を使いとして私をここに誘った理由を告白する。
「この蟲崇の集落に立ち入ったよそ者は二度と外へは出られない。奴らの仕来りに従い、この村の住人になるか、拒んでこの村の"貴重な一員"になるか、2つの選択肢しかない。君の存在が村人達に知られないうちに帰そうとしたのだが、瑞貴くんに対する異常なまでの執着心が仇となり、君はこの村に留まってしまった。その結果、今の事態に至ってしまったんだ」
「貴重な一員って何なんですか?」
その問いを耳にした途端、杏里さんは吐き気を催した様子で口を覆い、言いたくもなさそうに答える。
「――君のように毘沙百足に寄生され、肉体そのものを乗っ取られた人間達の通称だ。人間の体に寄生した毘沙百足は宿主の中で成長し、特殊な成分を身に宿す。そして、村人達はその百足から特殊な薬を生成する。服用した時点で老化が止まり、細胞が永遠に新陳代謝を繰り返す"不老不死の秘薬"だ」
「――不老不死!?」
杏里さんは更に続きを話す。
「蟲崇の集落の住人達は秘薬の生産量を増やすため、偶然にもここへ足を踏み入れた旅人や他の地域から攫ってきた人間に百足を寄生させている。先代の神主の一族が行方不明になった話は覚えているだろう?一家は行方不明になったのではなく、この村の非道な行いに反対したが故に消された。いや、正確には捕らえられて強引に貴重な一員にさせられたんだ」
真実を聞かされた私は怪訝な顔をしているだけで精一杯だった。
かつて、幼馴染みと遊戯を共にした村はのどかな自然の楽園などではなく、罪もない人々を家畜にする鬼達が住まう地獄だったのだと・・・・・・
「――じゃあ、杏里さんはこの村の住人になる事を選んだんですか?」
「――ああ。私もこの村の全貌を知り、手遅れを悟った時は本気で自殺を考えたよ。だが、何もしないで簡単に命を終わらせるには躊躇いがあった。奴らと生活を共にするふりをして、密かにこの狂った村から抜け出す策を日々練っていた。そんな時、瑞貴くんと出会ったんだ。いや、正確にはこの子は・・・・・・」
「杏里さん・・・・・・その先は僕自ら、話をさせて下さい・・・・・・」
杏里さんの台詞を遮り、瑞貴くんが会話の続きを委ねさせる。
彼はゆっくりと私の前まで来て立ち止まると、光のない目でこちらを見つめた。
- Re: 隻眼の御子【短編小説】 ( No.8 )
- 日時: 2023/02/07 18:35
- 名前: 金時計の償い (ID: FWNZhYRN)
「瑞貴くん・・・・・・」
私の呟きに瑞貴くんは首を横に振った。
「僕は・・・・・・"葦名 瑞貴じゃない"・・・・・・」
「え?」
私は一瞬、自分の耳を疑った。
「――どういう事・・・・・・?」
私の目の前にいるのは、間違いなく瑞貴くんだ。訳が分からない。じゃあ、この人は一体何者?
「僕は葦名 瑞貴の体を乗っ取った"百足"なんだ・・・・・・君の目の前にいるのは、幼馴染みじゃない・・・・・・」
衝撃の事実に私は息が詰まり、過呼吸を一歩手前に控えた。
信じられなかったが、これまでの奇怪の数々を知り過ぎた私には最早、疑う方が難しい。
自分の正体を百足だと打ち明けたその人は過去と経緯を語る。
「――10年近くも前の話だ・・・・・・当時の僕は宿主を探し求めて、蟲崇の集落を彷徨っていた。偶然にも立ち入った民家に片目に血の滲んだ包帯を巻き、苦しそうに唸りながら寝床に伏せている1人の男の子を見つけた・・・・・・僕はその男の子の体内に入り、脳を乗っ取ったんだ・・・・・・」
その証言は間違いなく、私が犯した事件の日と重なっていた。
瑞貴くんは取り返しのつかない悲劇の直後に寄生されていたのだ。
「僕は葦名 瑞貴として、第二の人生を歩む事になった・・・・・・人間の肉体を得て、言葉というものを覚え、この村の仕来りや他にも色々な事を学んだ・・・・・・そして、宿主の生前に何があったのかも・・・・・・だけど誰一人、僕の正体が百足だと疑う者はいなかった・・・・・・村人は宿主が記憶喪失になったのだと勘違いしたみたいでね・・・・・・多分、意志を持って人間の社会に溶け込んでいる蟲は僕が初めての異例だ・・・・・・」
じゃあ、既に瑞貴くんは死んでいたんだ・・・・・・
伝えられなかった。何年も後悔や良心の呵責に包んでいた贖罪の言葉を・・・・・・
償いの執念が最初から無駄な誠意になっていた事実が、行き場のない悔しさを誘う。
「――瑞貴くんは、もうこの世界にいないんだね・・・・・・」
私は思っている絶望を口に出した。
この地獄に踏み込んで、何度目か分からない泣き顔を繕うとした・・・・・・が
「違うよ・・・・・・」
「――え?」
「瑞貴くんは今もこの世で生きてる・・・・・・」
瑞貴くん(百足)は指を指した。その先には私をここまで連れてきた百足が。
「――百足・・・・・・?」
「その百足こそが"葦名 瑞貴"なんだよ・・・・・・」
「この百足が・・・・・・瑞貴くん!?」
瑞貴くんは人間のはずだ!どうして、百足の姿なんかに!?
瑞貴くん(百足)は、私の思っている事を以心伝心に受け止め、尚も続ける。
「確かに、人間としての瑞貴は死んだ・・・・・・でもね?あの子の魂はこの百足に転生したんだよ・・・・・・人間だった頃の記憶を残したまま・・・・・・」
確かに、この百足は何度も私の傍に寄り添ってきた。
出会う度に、何かを伝えたがっていたような・・・・・・事実、こうして救いの道へと導いてくれたんだ。
まさか、本当に・・・・・・
「僕は百足だから、蟲の言葉が分かる。瑞貴は君がした事に憎悪を抱いてなんかいない・・・・・・むしろ、あの時、君を傷つけてしまった事を深く後悔しているよ・・・・・・だから、大切な人の命を救おうと君をここまで連れて来たんだ・・・・・・」
「――そんな、瑞貴くん・・・・・・」
変な形だけど、こうして私は瑞貴くんと再会を果たせたんだ。
彼は私の犯した罪をとっくの昔に赦していて、ここに来た時も真っ先に会いに来てくれた。そして、この狂った集落の魔の手から守ろうとしてくれてたなんて・・・・・・
「瑞貴くん・・・・・・本当にごめんね・・・・・・!」
私は百足(瑞貴くん)を両手の器に乗せ、ずっと言いたかった事を伝えた。
嬉しくて、苦しくて 熱い涙が止まらない。
ずっと、このまま、互いの喜びを分かち合っていたかった。
でも、運命はそんな些細な事さえも妨げる。
「――うっ!ううっ・・・・・・!」
再び、激痛が頭を襲った。
百足(瑞貴くん)を地面に落とし、頭を抱えて蹲る。
「いけない!このままだと、君は貴重な一員と化して手遅れとなってしまう!」
事の重大さを察した杏里さんは深刻になって、私に駆け寄った。
「蟲祓いの薬があります・・・・・・これを飲ませれば・・・・・・」
瑞貴くん(百足)は、予め所持していた竹筒を手に取り、急ぎ杏里さんに渡した。
「この薬を服用すれば、体内の百足を取り除けるはずだ。効力が強いだけにかなり苦いが、辛抱してくれ」
杏里さんは竹筒の蓋を開け、俯く私の頭を強引に上げさせると液体を口内に流し込んだ。
薬は舌に触れた途端、味わった事のない強烈な苦みを生んで吐き出したい衝動を促す。
気が遠くなる中、頬が膨らんで、ついに寄生していた百足を嘔吐する。
百足は孵化してから短時間で成虫とも呼べる大きさに成長していたんだ。
宿主から追い出されたそいつは池に落ちると、水面を泳いで、どこかへと行ってしまった。
「――よし、これで大丈夫だ。君はこれからも深瀬 心のままでいられる」
杏里さんは困難を克服した娘を褒めるような優しい表情で苦しく咳き込む私の背中を撫で下ろす。
「ひとまずは安心ですね・・・・・・後はこの子を集落から逃がすだけ・・・・・・」
「いや。逃がすのは"2人の人間"だ。"最後の儀式"に取り掛かる必要がある」
聞き捨てならない発言を聞いていた私は杏里さんの手を借り、立とうとするが、目まいがして意識が微かに霞む。
「そうですか・・・・・・ついに、その時が来たんですね・・・・・・」
瑞貴くん(百足)はその意味と内容を察しているようだった。その落ち着いた口調は別れを惜しむように、どこか切ない。
「――あの?何をするつもりなんですか?」
自分一人、展開が把握できてない私が問いかける。
「君の幼馴染みの瑞貴くんを元の人間に戻すんだ」
杏里さんが全く冗談のない真剣な顔で儀式の詳細を説明する。
「簡単だよ・・・・・・僕も君に飲ませた薬を飲んで肉体を手放す・・・・・・そして、本物の瑞貴を元の体に移し替えて、脳を掌握させる・・・・・・そうすれば、瑞貴は再び、人間としての人生を歩めるんだ・・・・・・」
種明かしについては、瑞貴くん(百足)が教えてくれた。
「ゆっくりしていたいのは山々なんだが、儀式の間から消息を絶った君の行方を探しに村人達がここを捜索しないとも限らない」
「――その前に少しだけ、いいですか?」
私は儀式に対し、ちょっとした先延ばしをお願いすると、瑞貴くん(百足)の前に立った。
彼は無言でこちらに視線を重ねている。
「あなたは瑞貴くんを殺して、彼に成りすまして、私をずっと騙していた。酷い事も言ったし、酷い事もした。でも、それは私を救うための唯一の方法だったんだよね?あなたは私の命の・・・・・・ううん、一生の恩人。ありがとう。優しい百足さん」
私はかかとを浮かせ、瑞貴くん(百足)と対等に顔を合わせると、唇にそっと唇を重ねる。
相手は蟲だけど、体は瑞貴くんだから少し恥ずかしい。
「口づけか・・・・・・人間の愛情表現って、不思議なものだね・・・・・・僕は人として生きて随分経つけど・・・・・・まだまだ興味深くて、知らない事だらけだ・・・・・・」
「百足さんは、これからどうするの?」
「僕・・・・・・?人気のない森に帰って、ひっそりと暮らそうかな・・・・・・百足らしくね・・・・・・」
「私もその方がいいと思う。悪い人達と一緒に過ごすより、自由気ままに生きた方が幸せだもん」
私は"そうするべきだ"を違う言葉で促した。
「私。百足さんの事、絶対に忘れない。だから百足さんも、たまにでいいから私の事を思い出してほしいの」
「約束する・・・・・・」
私は嬉しくてつい微笑んだ。
百足さんもそれに釣られたのか、不気味だけど純粋な笑みを返してくれた。
- Re: 隻眼の御子【短編小説】 ( No.9 )
- 日時: 2023/02/09 20:27
- 名前: 金時計の償い (ID: FWNZhYRN)
「そろそろ、いいかい?」
杏里さんが生真面目に横やりを入れる。
私と瑞貴くん(百足)は互いに離れ、緊張感のある表情を戻した。
「ここでお別れだね・・・・・・またね・・・・・・心・・・・・・」
「うん。さようなら」
瑞貴くん(百足)は切ない別れを最後の言葉に、蟲払いの薬を一気に飲み干した。
彼は苦しそうに咳き込むと、口から何年もの時を経て竹のように太く長い百足を吐き出す。
宿主を捨てた百足さんは一度だけ、私の方を振り返って自然という故郷へと帰って行った。
百足(瑞貴くん)は元の持ち主の体へと入り込む。
不安で仕方なかったが、しばらくもしないうちに瑞貴くんの肉体は動いて、自分の力で立ち上がった。
「瑞貴くん!」
「――こ、心ちゃん・・・・・・」
本物の瑞貴くんは数年ぶりに私の名を呼んでくれた。
決していい形とは言えないけど、やっと帰って来てくれたんだ。
「お帰りなさい・・・・・・!」
私は歓喜のあまり、泣いて彼に抱きついた。
幼馴染みの温かい体温を感じながら、同じ台詞を何度も呟く。
「――ただいま。心ちゃん」
瑞貴くんは、ギュッとしがみつかれ苦しそうではあったけど、その表情は私と同じ感情を抱いていた。
「私は瑞貴くんに酷い事をしたのに!あなたは私を助けてくれた!本当にごめんなさい・・・・・・!」
ようやく言いたかった贖罪の言葉を伝えられた。
数年間ずっと、胸に吊り下がっていた重みが軽くなる。
「僕の方こそ、ごめん。全部、僕のせいで起こった悲劇だ。君が謝る必要なんてない」
瑞貴くんも懺悔して私の過ちを罵る事はなく、友好的に接してくれた。
杏里さんも感動の場面に頷き、仲のいい2人に告げる。
「君達の絆は憎悪などで断ち切れるものではなかったんだ。これからも、その絆を大事にしてほしい。さて、本題に入る準備はいいか?」
私達は話の趣旨を戻し、これからどうするべきかを話し合う。
「君達は村の中を通り、この集落に来た際に通った山道へ向かうんだ。無事に辿り着いたら、とにかく2人で遠くに逃げてくれ。決して足を止めず、振り返ってはだめだ」
危険が隣り合わせの作戦に、私の中で1つの疑問が生まれた。
確かに、私と瑞貴くんは逃げる事を目的としているけど、その中に杏里さんは含まれていない。
「杏里さんは一緒に来ないんですか?」
私はたまらなく心配になって、同行できない事情を説明させる。
「私は一緒にはいけない。この村が二度と悲劇を繰り返させないように過ちを正させる必要がある。心配はいらない。目的を果たしたら、私もこの集落を出る。二度とこの地に足を踏み入れる事はないだろう」
その行いは自分の命を投げ出してまで、やり遂げなければいけない事なの?
いくら説得しても耳を貸さない結果が出る事は予想するまでもなかった。
「そんな顔をしないでくれ。私もここを人生の終着点にするつもりはない。生憎、私の死に場所は最愛の恋人が眠る本当の故郷と決めているのでね。この村は現実から逃避したくなる事ばかりだったが、君達の再会という希望を目にした感動は一生、忘れはしないよ。例え、この地獄で命が果てる運命に誘われたとしても、君達の命を将来へ繋げられるなら本望だ」
「杏里さん・・・・・・!」
「――さて、私は先に集落に行って行動を起こすとしよう。辛いが、ここでお別れだな。縁があったらまた会おう。君達は必ず、生き延びてくれ」
神社の階段から降り立った私は瑞貴くんの腕にしがみつき、寄り添いながら村の歩道を歩く。
こうしていると、昔、森を2人で散歩した時の懐かしい感覚が微かに蘇る。
でも、楽しかったあの頃はとは違い、今は死と隣り合わせの恐怖と不安で足がすくむ。
出入り口の山道までは、まだ遠い。
単純に真っ直ぐ行けばいいだけの道が、終わりへ届かない永遠の通路に思えた。
「おい!そこにいるのは誰だ!?」
一喝に不意を突かれ、私と瑞貴くんはビクッと一瞬の痙攣した直後、無意識に足を止める。
声の主に視線をやると、曲り道から大柄な村人が1人、迫って来るのが見えた。
「――ど、どうしよう・・・・・・!?」
最も鉢合わせしたくなかった問題に私は恐くてたまらなくなり、パニックに陥る。
「心ちゃん。落ち着いて聞いて?僕が話をつけるから、君は貴重な一員に成りすますんだ。どんよりとした暗い顔で下を向いて?何があっても、絶対に言葉を話してはいけないよ?」
瑞貴くんは理性を保てるよう、背中を優しく摩ってくれた。
落ち着き払ったまま、小声で私の耳に助言を与え、対応を図る。
「――お?なんだ。瑞貴じゃねえか!宴会に姿がなかったから、心配してたんだぞ?どこにいたんだ?」
村人は更にこっちへ間合いを詰めて来る。
「心配をおかけしてしまって申し訳ありません・・・・・・あの後、自宅に戻ったのですが・・・・・・儀式の間から、この少女がいなくなっていたため、探していたんです・・・・・・」
村人は瑞貴くんの証言に疑問を抱かず、納得を得た。彼の関心の矛先が私へと移り変わる。
「そのガキは百足になっちまったのか?」
「はい・・・・・・この少女は貴重な一員と化しました・・・・・・後は家畜部屋へ入れるだけです・・・・・・」
瑞貴くんは偽証に偽証を重ねる。
絡んだ網のように抜け出せない状況に不安の鼓動は膨らんでいく。
「なら、問題ないな。確か、このガキがお前の目を潰したんだよな?ざまあねえぜ。因果応報とはこの事だ」
村人は皮肉を吐き捨てたかと思うと、いきなり、握った拳で私の頬を打った。
私は唾の飛沫を吹き出しながら、硬い地面に横たわる。
瑞貴くんは怪しまれるのを避けるため、庇おうとはしなかった。
村人は私の胸倉を掴み、強引に立たせると再び、拳を掲げる。
「このクソガキ・・・・・・震えてやがんのか?感情があるみてぇだなぁ?」
まずい!このままじゃ、私が人間である事がバレてしまう!
でも、このまま殴られ続けるなんて、耐えられない!
瑞貴くん、助けっ・・・・・・!
忍耐を捨て、助けを乞おうとしたその時だった。
突如、爆発音が鳴り響き、祭りの喝采は深刻な騒然へと変わる。
集落の奥にある建物の1つから炎と煙が上がっていた。
「――あ?おい・・・・・・嘘だろ?やべえぞ!か、家畜がっ!薬が全部、灰になっちまう!!」
どうやら、あそこは貴重な一員を押し込めていた貯蔵庫だったらしい。
我を忘れた村人は顔色を真っ青にして、私と瑞貴くんをその場に放置すると、火事の現場へと駆け出して行った。
「きっと、杏里さんがやったんだ!」
「今の内に早く逃げよう!こっちだ!」
- Re: 隻眼の御子【短編小説】 ( No.10 )
- 日時: 2023/02/11 18:47
- 名前: 金時計の償い (ID: FWNZhYRN)
月の光さえも木の葉の群れに遮られた暗い林のトンネルを私達は走る。
今頃は大混乱に陥ってるであろう呪われた集落の騒がしさは、耳には届かない。
この山道さえ抜ければ、私達は逃げられる。
だけど、神様は無情だった・・・・・・
暗闇の奥を進んでいく最中、人影と遭遇してしまう。
そいつは通路の中心で仁王立ちし、行く先を阻む。
その人影は2歩、3歩と歩みを寄せて迫って来た。
互いに寄り添い、警戒する私達の前に現れた人影の正体は・・・・・・
「村で爆発が起きた時、犯人は必ず、ここを逃げ道に選ぶと読んで先回りしてたんだ。だが、あろうことかやって来たのはお前とは・・・・・・
とっくに百足に寄生されたはずなのに何故、生きてんだ?」
「――か、一也くん・・・・・・」
人影の正体は一也くんだった。
私達がここに通る事を想定し、待ち伏せていたのだろう。人を刈り取るための鎌を手にして。
「瑞貴さんを攫って、どうするつもりだ?」
攫う?そうか。一也くんは今までの瑞貴くんが百足に乗っ取られていた事も元の人間に戻った事も知らないんだ。
「今度こそ、お前を殺して瑞貴さんの仇を討ついい機会だ。まあ、この村の秘密を知ってしまった奴はどの道、生かしてはおけないからな」
殺害を宣告した語尾を鋭く、目つきは蹂躙の形と化す。
一也くんは鎌を掲げながら一直線に走って、私に襲いかかろうとした。
瑞貴くんは両腕を置きく広げ、私に触れさせまいと2人の間に立ちはだかる。
「――み、瑞貴さん!?そこを退いて下さい!こいつはあなたに酷い仕打ちをしたんですよ!?こいつの死を望んでいるのは他でもないあなたじゃないですか!」
憎い人間を庇う行動に驚愕を極めた一也くんは私が犯した罪の事実を突きつけ、憎悪を煽ろうとするが
「――もう、僕は誰も憎みたくないんだ!心ちゃんが傷つくも、君が暴力を振るうのも・・・・・・大切な人が誰かを憎んだり、怯えたりする姿はたくさんだ!もうやめよう!?僕なんかのために、自分の手を汚さなくたっていいんだよ?」
「――なっ!?こ、このクソ女!瑞貴さんに何を吹き込んだ!?」
瑞貴くんの本心を認めようとはせず、何が何でも私のせいにする。
「違う!これは僕の意思だ!僕自身がこの子の罪を赦した!取り戻せない過去を引きずっても辛いだけでどうにもならない!心に根付いた毒を消すのは復讐なんかじゃない!犯した過ちを反省し、償い続ける事だ。僕はこの子にその大切さを学ばされた。だから、僕はこの子と一緒に行く」
瑞貴くんは、その淀みのない誓いを堂々と断言した。
一也くんは揺るぎない威厳に圧倒され、自分の思想が否定された事に強いショックを受けたようだ。
「――俺は・・・・・・」
しかし、彼は悪霊に憑りつかれたように、悍ましい変貌を遂げる。
その表情に温和な面影なんてなく、明らかに瑞貴くんに怨恨という刃先を向けていた。
「俺は誰よりも瑞貴さんの痛みを理解しているんだ・・・・・・あんな悲劇が起きた時も、瑞貴さんの傍にいてずっと看病していた・・・・・・怪我を負った瑞貴さんが元の生活を取り戻せたのも、心を開くようになったのも・・・・・・全部、俺のお陰だ!!俺がいたから!!瑞貴さんは幸せになれたんだ!!なのに、何でそんな女を選ぶんだよ!!?俺はあなたに尽くして尽くして尽くしまくって!!なのに!!長年の恩を踏みにじりやがって!!」
「違うよ一也くん!僕が言いたいのは・・・・・・!」
「――黙れっ!!黙れ黙れ黙れぇぇ!!!」
瑞貴くんがいくら宥めようとも、その優しさが彼の心を清める事は叶わなかった。
完全に理性を失い、逆鱗そのもの化した一也くんは人間の容姿をしただけの鬼と成り果てる。
「クソ女を殺したら、瑞貴さんを殺して俺も死ぬ!!あ、あはは、あはははははははは!!いい考えだ!!だって、そうだろぉ!?それが俺と瑞貴さんが幸せになれる唯一の方法なんだからなぁ!!」
一也くんは人らしからぬ発狂を吠え立て、再び私を手にかけようとした。
「やめろぉぉぉ!!」
瑞貴くんは一也くんの凶行を食い止めようとした。
だけど、力任せの勢いに負け、容赦なく突き飛ばされてしまう。
「瑞貴くん!」
私は頭を抱えて横たわる瑞貴くんに駆けつけようとした。
しかし、一刻の猶予も与えまいと一也くんが迫り、2人の接触を阻害する。
血管が浮かび上がった眼光と唾液が垂れる口をガバッと開いた鬼畜の形相。
その威圧に足がすくみ、私もまともな体勢を崩した。
「死ねえ!!クソ女ぁぁぁ!!」
その時、何かが茂みから飛び出し、一也くんにきつく絡みつく。
それは大きな百足。一瞬、目を疑ったけど間違えようがない。
瑞貴くんの体に寄生し、私を助けてくれた百足さんだった。
「――あ!?なんだぁ!?このクソ蟲がぁぁ!!」
一也くんは充血した目で百足さんを睨んだ。
首を鷲掴みにし、鎌の鋭利な刀身で体の繋ぎ目を綺麗に切断した。
「――あ・・・・・・」
空虚な一声。
衝撃的な光景に絶望が全身を巡り、瞳孔が細く狭まった。
「百足さんっ!!」
「――ぎ・・・・・・ぎゅ・・・・・・」
私は叫んだ。
百足さんの頭部は切断された切り口から体液の汁を流し、ピクピクと痙攣する。
「――そ、そんな!しっかりして!百足さんっ!!死んじゃだめ!!」
真っ青になった私は無理だと分かっていても、百足さんを助けようとした。
でも、触れる事さえ叶わず、胸部に粗暴な衝撃が当たる。
私は蹴り飛ばされ、後転して倒れた。
「――クソがっ!!てこずらせやがってぇ!!」
一也くんは狂気に飲まれた鬼畜の笑みを浮かべ、体に巻き付いた百足さんの胴体を払い落として踏みにじる。
刀身の先から体液を滴らせる鋭利な鎌は私を次の獲物に選んだ。
「――い、いや・・・・・・いやぁっ!!」
私は地面を這って後に退こうとした。
でも、肺が潰れたような激痛が体の自由を奪い、思うように動けない。
私はとうとう追いつかれ、髪を掴まれて頭部を吊るされてしまう。
目蓋を開くと、殺気立った鎌が視界の大半を埋め尽くした。
「ひっ!へへ、ひぇひぇはははっ!!殺してやるよ!!」
一也くんは今度こそ、窮地に追いやった私に止めを刺そうと刀身を振り上げる。
「――瑞貴く・・・・・・ん・・・・・・」
私は誰よりも愛しい人の名前を最後の言葉にして、全てを諦めた。
一瞬では済まないだろう痛みを覚悟し、永眠を受け入れようと・・・・・・
「きしゅぅぅぅ!!」
ふいに紙を裂くような金切り声で私は我に返った。
一也くんが喘ぎ声を発し、私を手放して引き下がる。
「――え?」
最後の力を振り絞った百足さんの頭部は再び、地面に落ちた。
一也くんは一文字の言葉を漏らし、百足さんに噛みつかれた首筋に触れる。
手を退けると、青く濃い痣が浮かんでいた。
「――あ、ああ!嫌だ!嫌だあ!!ど、毒!!毒が回って死んじまう!!婆ちゃん!!婆ちゃん助けてくれえ!!」
一也くんがさっきまで抱いていた殺意は死の淵に立たされた事で絶望に成り果て、正気を失った。
「死にたくねえ!!死にたくねえ!!嫌だぁ!!誰かぁぁぁ!!」
私は胸の痛みを堪えながらフラフラと起き上がると、死を拒んで泣き叫ぶ一也くんの傍へ寄った。
彼の足元に膝を落とし、頭を抱きかかえて・・・・・・零れた涙液の滴が蟲の顔を伝って流れ落ちていく。
「――百足さん・・・・・・ぐすっ・・・・・・!ごめんなさい・・・・・・!」
百足さんは既に息絶えていた。
自分を犠牲にしてまで、人間という愚かで罪深い命を救ってくれたんだ。
私達を脅かす脅威は全部、彼が取り去ってくれた・・・・・・
「――心ちゃん・・・・・・大丈夫?」
強打した後頭部を痛そうに押さえ、瑞貴くんが私の元へ歩み寄って来た。
「百足さんが・・・・・・百足さんが・・・・・・」
涙を堪えられなかった私は耐え難い悲しみに胸が苦しくて、それ以上は言えなかった。
「最後まで僕達を守ろうとしたんだね・・・・・・」
瑞貴くんは"ありがとう"を目で伝えているような温和な表情を浮かべながら、後ろから手を差し伸べ
「――行こう?最後まで僕達を守って死んだ百足さんの死を無駄にしてはいけない。生きるんだ」
「――うん。さようなら。百足さん・・・・・・」
私は百足さんに永遠の別れを告げ、頭を地面に置く。
幼馴染に手を引かれ、立ち上がると二度と通る事はないだろう山道を再び駆け出した。
孤独に取り残された一也くんの喚き声もだんだんと遠くなり、やがて聞こえなくなった・・・・・・
- Re: 隻眼の御子【短編小説】 ( No.11 )
- 日時: 2023/02/14 18:18
- 名前: 金時計の償い (ID: FWNZhYRN)
15年後・・・・・・
「それでどうなったの?」
家の隅にある小さな庭で1人の少女が物語の結末を聞きながら、スイカを頬張る。
この季節になると、あの時のことを思い出す。
もう20年近くも前の事なのに、遠いはずの過去が昨日の事のようだ。
「私と瑞貴くんはバスに乗って、命辛々逃げ出したの。そして、二度とその集落に近づくことはなかった・・・・・・」
私は自分が経験した全てを語り終え、グラスに余った麦茶の残りを飲んで喉を潤す。
「――蟲崇の集落か・・・・・・絶対に行きたくない」
「行ってはだめ。あそこは人間が来ていい場所じゃない」
私は最後にそう告げて、この子との夏の日常生活を満喫する。
目の前にいる少女は正真正銘、私の娘だ。でも、純粋な愛で生まれた子じゃない。
この子は私と一也くんの間にできた子・・・・・・あの時、無理やり犯された事で1つの命を孕んでいたんだ。
最初は流産しようとも考えたけど、罪もない命を断つ事なんて私には残酷過ぎて、どうしてもできなかった。
幼い体で子供を身籠った私を両親は物凄い剣幕で激怒した。
結局、家族とは絶縁し、早めに就職に就いて家庭を築いたんだ。
今はここで、3人でひっそりと暮らしている。
「ねえ?お母さん?」
「ん?な~に?由布子?」
「私のお父さんは今どこで何をしているの?」
その質問される度に私は頭を悩ませる。真実を教えたら、この子の心は絶対に耐えられない。
実は私もあの後、一也くんがどうなったのか、気になっていた。
百足さんに噛まれた毒で死んだのかもしれないし、まだ生きていて、あの村にいるのかも知れない。
時々、彼がこの家に来るんじゃないかと、とても恐ろしくなる。
「あなたのお父さんはね・・・・・・遠い所でお仕事をしているの。それにとても忙しいから、すぐには帰って来れないって・・・・・・」
「ふ~ん」
由布子は嘘を見抜いているような反応でもう一口、スイカの欠片を口に含む。
その時、急に娘は寒気を帯びたように震え出し、呑気な顔を一変させた。
足元を見下ろした途端、驚愕のあまり飛び上がった。
「きゃあ!百足がいる!き、気持ち悪っ!あっち行け!」
娘は片足を上げ、百足を踏み潰そうとした。その行為に私は我を忘れ、とっさに止めに入る。
「やめなさいっ!!」
百足を庇う私の異常な必死さに、娘は再び驚いて逆に静まり返った。
「――お母さん・・・・・・?」
娘の一言で興奮が冷め、息切れを繰り返した。私はある程度落ち着くと、真剣になって説教をする。
「由布子。よく聞きなさい。百足さんはね、守り神なの。人間の苦しみを理解して絶望から守ってくれるの。だから、間違っても殺したりなんかしちゃいけない。もう、そんな事、二度としちゃだめだよ?」
「――わ、分かった・・・・・・ごめんなさい」
娘は怪訝になりながらも素直な返事をしてくれた。
私は微笑んで頷くと、百足さんが行く先をしばらく2人で眺める。
ふいに家のインターホンが鳴る。
この時間帯に人が訪れるなんて珍しい。縁を切った両親が会いに来るわけがない。
「――もしかして、お父さんかな?」
娘は期待を寄せるが
「――まさか・・・・・・」
娘の発した一言のせいで不安が膨らんでいく。しかし、廊下を渡って来たのは瑞貴くんだった。
「瑞貴くん。誰が来たの?」
「聞いたら、きっと驚くよ。実は・・・・・・」
彼が正体を打ち明ける前に、その人物はひょっこりと姿を現した。
「やあ」
最初は誰なのか分からなかったけど。
品のある格好に落ち着き払った声・・・・・・瑞貴くんが断言した通り、本当に驚いた。
「――え?もしかして、杏里さん!?」
「久しぶりだね。少し見ない間に心ちゃんも随分と立派に成長したものだ」
杏里さんは温和な笑顔を繕い、10年以上の時を経た再会を喜ぶ。
老いが進んで白髪が目立っているが、勇敢だった面影はあの頃とほとんど変わっていない。
「お母さん。この人は誰なの?」
「この人は杏里さん。昔、蟲崇の集落で私と瑞貴くんを助けてくれた人なの」
「そうなんだ。初めまして。私は深瀬 由布子と言います」
娘は前に出て恩人である客人に対し、礼儀正しくお辞儀をして挨拶をする。
「ははっ。君に似て、とてもいい子だ。将来、立派な大人になるだろう」
こうして、私達はあの時、命がけで戦った人間達の同窓会を開いた。
私も瑞貴くも杏里さんも、色々な事を話し合ったんだ。
勿論、蟲崇の集落の事も・・・・・・
「私が貴重な一員の貯蔵庫を燃やした事で村人達は二度と不老不死の薬を作れなくなった。その後、集落は崩壊し、今やそこは田舎の風景だけが広がるただの廃墟と化したらしい」
「村人達はどうなったんですか?」
瑞貴くんが誰もが気になりそうな内容を問いかけると
「全員が消息を絶った。集落を去ったのかも知れないし、世間に秘密が公になる事を恐れて集団自殺を図ったのかも知れない」
「――じゃあ、一也くんは・・・・・・」
私はどうしても胸につかえていた疑問を口にすると
「ああ。あの子も行方知らずのままだ。私も集落から逃げる際、あの山道を通ったが、彼の死体は見当たらなかった。あったのは大きな百足の遺体だけだった」
「――百足さん。最後まで私達を救おうとしてくれたんです」
「とても、勇敢だった。僕らがあの集落を逃げ出せたのは百足さんの自己犠牲のお陰だよ」
私と瑞貴くんが言って、杏里さんも強く同意した。
「私も彼に生きる機会を与えれたようなものだ。15年の時が経っても、今という将来のきっかけを作ってくれた恩は一度も忘れた事はない」
3人は懐かしいとさえ感じない遠い過去に浸る。
それはまるで今もあの時の時代にいるかのような奇妙な感覚だった。
「お母さん。花火やってもいい?」
唐突にかけられた娘の声で私達は我に返る。
「花火?いいよ。でも、ちゃんとバケツの傍で火をつけてね?」
すると、杏里さんも膝を伸ばして庭へと歩く。
「もし良ければ、私にも1本譲ってくれないか?花火なんて、幼子の時以来だな。たまには少年の心を呼び覚ますのも悪くない」
「勿論!皆でやった方が楽しいですからね。はい、どうぞ」
娘は笑顔で杏里さんに花火を配り、火をつけた。
綺麗な閃光に心を奪われる2人を眺める私と瑞貴くん。
今の私に苦しみなんてない。
後はこれからの未来に向けて精一杯、生きて行くだけだ。
勿論、その先にはたくさんの新たな試練が待ち受ける事だろう。
だけど、この人達と一緒なら乗り越えられる気がする。
――愛してる――
私はそう呟くと、この世で誰よりも愛している幼馴染みの手に自分の手を置いた・・・・・・
隻眼の巫子 終