ダーク・ファンタジー小説

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《宵賂事屋》
日時: 2024/10/09 22:37
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)

 貴族も貧民も関係ない。人々の欲が渦巻く薄暗い世界。
 金さえ積めばなんでも引き受ける、闇社会の何でも屋――宵賂事よろず屋はそこにある。
「やぁ、おきゃくじーん。本日はどれほどのご予算で?」
 迷路のような路地裏を通り抜けた先。あやしくもにぎやかな露店街の一角にある店。
「君の願いを、強欲を、是非とも聞かせていただきたい」
 白髪の少年は、そこで今日も金ヅルを待っている。

 ――――――――――――――――――――――

     《目次》

 登場人物(随時記載予定) >>1

 一話 >>2->>6
 1>>2 2>>3 3>>4
 4>>5 5>>6

 二話 >>

 三話 >>


 ――――――――――――――――――――――
【注意とジャンル】
・血が流れます。人が死にます。殺されます。
・ジャンルはダークファンタジー。剣と魔法の世界です。ナーロッパです。
・上手くないです。精進中です。

 初めましての方は初めまして。
 お久しぶりの方はいつもお世話になっております。ベリーです。
 連載短編の予定です。一話で終わる短い話を繰り返すヤツです。
 三話完結予定です。
 どうぞよろしくお願いします。

Re: 《宵賂事屋》 ( No.2 )
日時: 2024/10/09 22:18
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)

 一話


 1
 
 どっぷり沈んだ深海で、月光によって息をする。
 この窓を閉じてしまったら、自分は溶けてしまうだろう。そんな気がした。
 もっとも、そんなことがある訳ないのだが。
 喉奥から脈動する動悸と汗、全身に広がる緊張の痺れが、たかが暗闇に消えてくれるならそれ以上のことはない。
 雲の合間から差す僅かな月光を頼りに、彼はなにかを探している。

「あっ、た」

 呟く彼の手にはブレスレットがあった。大粒の艶やかな真珠が連なっている。
 傷一つもない。どれほど大事にしてきたのだろう。彼はそれを無造作に腰のポーチにしまった、その時。

「やめてぇ!」

 開けっ放しの戸から甲高い声が放たれる。寝間着姿の少女が息を切らしていた。

「それはっお祖母様の形見なんです! お金なら、いくらでも渡しますから! それだけは、それだけは……! おばあちゃんとの、思い出なんです……」

 振り絞った声で懇願して少女はへたれこんだ。少女の手は震え、ボタボタと涙がカーペットにシミを作る。
 彼は振り返った。少女の方へ歩み寄って彼はしゃがみこむ。
 彼は少女の顔を覗き込んで、大きな息を漏らし、何を期待したか少女は顔を上げる。

「――ひ」

 少女はソレを見て、足先からせり上がった冷気を声に漏らした。

「おばあちゃんの形見だったかぁ……」

 幼い声だった。柄も少女より一回り小さく細く弱々しい。
 少年は少女に近づいて涙を拭ってやる。恐怖で顔が歪んだ少女に少年は微笑んだ。

「それはごしゅーしょー様」

 少女の息は詰まり、涙も引っ込んでしまった。

「侵入者だあぁ‼︎」

 どこか遠くで男の叫び声が聞こえた。足音が一つ、二つと数をましていく。

「なーんでバレた? やっぱり玄関蹴破ったのが悪かったか」

 少年は機敏に立ち上がり風のように部屋を後にした。
 少女は呆然と彼を見送って、我に返って叫ぶ。

「イヤァァァ――‼︎」

 甲高い悲鳴が屋敷に響いた。
 応えるように、武器をもった衛兵たちが廊下を走る。
 少年は首のマントを頭巾のように深く被る。

「止まれぇ泥棒がぁっ!」

 少年の前から衛兵がやってくる。来た道を振り返ればその先にも衛兵が。挟まれている。

「貴族の屋敷に忍び込むなんて、命知らずもいいところだ」

 先頭の衛兵は半ば勝ちを確信していたようだった。そんな余裕も束の間、衛兵たちは足を止める。
 彼らの目の前から少年が消えた。
 いや暗闇に溶けたといった方が正しいか。
 衛兵たちはまるで狐につままれたような顔で見渡す。

「慌てるな、盗人の魔法だ!」

 一人の衛兵の声で彼らは我に返った。

「そんな、魔法の気配なんて全くしなかった」

「魔法使いのお前でも分からないのか。厄介なネズミらしい。二手に別れよう!」

 リーダーらしき男の股下を少年がくぐり抜けた。
 だが誰も少年に気が付かない。少年は当然だといわんばかりに走り抜けた。
 数々の衛兵が廊下を走っている。
 接触しないように。気づかれないように。少年は重量など忘れて壁を、天井を、窓を蹴った。
 衛兵たちはみな少年とすれ違う。
 さて、どう屋敷をでようか。少年は考えた。
 玄関は当然衛兵がいるだろう。ならば窓からだ。
 ふと斜め下の踊り場に視線がむく。大きなガラス張りの窓から庭の景色が見えた。
 階段にまで赤い絨毯を敷くものなのか。なんて感心しながら、少年は手すりに腰掛けて踊り場まで滑り落ちた。

「ナイフで割るのは時間がかかるなぁ。なら魔法か」

 少年の呟きと同時、独りでにガラスが割れた。
 派手な音とともに破片が降る。身軽な少年はひょいひょいっと窓までよじ登った。
 あとは脱出するだけだと、少年が窓枠に触れた途端、痛みが走る。
 少年は思わず手を離して破片の上に落ちた。窓枠に触れた手を見やると血が流れている。
 窓枠にガラスが残っていたらしい。油断した、と再び空を見上げたときだった。

「――」

 誰かが息を飲む音がした。
 少年が視線をやってみると、上の階で衛兵たちが呆然としていた。
 足をふるわせ、大きく口を開けて、皆その顔が恐怖に歪んでいる。
 ふと少年は首元に触れてみる。被っていたはずのマントが外れていた。
 衛兵の誰かが声を絞り出す。

「し、白っ――」

 風が吹いた。カーテンがたなびく激しい音だけが響き、冷たさが鼻奥にツンとくる。
 真っ黒な雲の合間から月光が差す。
 闇夜に似合わない、とにかく、とにかく白い人だった。
 あどけない顔に冷徹さを刻む白皙の少年。
 真っ白い睫毛に縁取られた瞳も白く、絹糸のような短髪がパラパラと浮かぶ。
 肋は透けて見え、身につけている服はボロ布同然でみすぼらしい。
 それをもってしても、人の繊細な部分を無造作にぶち抜いてしまうような、そして触れられないような理不尽な美があった。
 この世に存在してはならないものだと思わせる少年はまさに――。

「白の魔女っ」

 この世界に、白い髪も白い瞳も生まれない。
 カランカランと衛兵らは武器を落とす。逃げる意思も戦意も奪われて座り込んでしまった。
 少年は罰が悪そうに再びマントを被った。

「ソレ、この世界ができるずぅっーと前に封印されたヤツじゃん。人を、世界滅ぼした災厄にしないでくれん?」

 少年はベ、と舌を出し左の下まぶたを引っ張った。
 白い少年の中で唯一赤い、左の瞳が見開かれた。
 タンタンと壁を蹴って再び窓枠まで上がる。
 手から流れる血を舐めとって、そうだと少年は振り返る。

「マモン。魔女じゃないし女でもない。――君たちの欲を叶える、宵賂事屋のマモンだ」

 少年――マモンは色のない表情でそう告げると、黄色いマントをたなびかせ落ちてった。
 

 2 >>3
 

Re: 《宵賂事屋》 ( No.3 )
日時: 2024/10/09 22:18
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)


 2

 
 王都ネニュファール。王様貴族様が集まり、人口密度が高い都市である。

「たっだいまー。て、誰もいないんだけどさ」

 迷々街めいめいがい――この街は、そんな王都の一角にある。
 街の周りは高い建物に囲われて入り組んでもおり、複雑な地下街を経由しながら、魔法も潜り抜かなければこの街には辿りつけない。
 ハンモックに寝転ぶ少年の名はマモン。ただのマモン。
 ヒト基準で考えるならば、歳は外から見て六〜十歳ほどだろうか。
 丈が短くサイズはブカブカな黒いタンクトップにショートパンツ。服装は必要最低限であった。
 布団替わりに黄色いマントを羽織る。
 そしてマモンの意識は緩やかに沈――。
 ガンガン
 ――むことはなかった。
 乱暴なノックにマモンは舌打ち。顔に書かれた面倒臭いの文字を消さないまま、玄関の戸を乱暴に開けた。

「おっ客さぁん。営業じかんがーい」

「生憎だが、客じゃない」

 扉の前に立っていたのは中年の男だった。
 ガタイがよく日頃から体を鍛えているのが伺える。こき色の髪と瞳。
 顔の彫りは深く目つきが厳つく、子供ならまず近づかないであろう悪人顔をしていた。

「晟大! まって、今月の家賃の支払いって今日だっけ!?」

「今日じゃない」

 晟大と呼ばれた男はサラリと答える。マモンはホッと息を吐いて笑顔を浮かべた。

「あー。びっくりしたー」

「先週だ」

 扉を閉めるマモン。すかさず晟大は隙間に足をねじ込んだ。
 逃げられない。本能的に理解したマモンは逃走ルートから言い訳ルートにシフトチェンジした。

「違うんだ晟大、話をしよう。いや、僕は払おうとしたんだよ? でも支払日になっても晟大さんちっとも来ないし、僕も晟大がいつもどこにいるか知らないし連絡先も知らないししょうがないじゃん。というか今週は僕仕事で忙しかったから――」

 晟大は、身振り手振りで言い訳するマモンを冷ややかに見下す。
 それが責められている気がして、更にマモンは冷か汗をかく。

「そもそも君が悪いんだ。幼い僕に口座を使わせたくないとかさ。幼いなら貴族の宝石盗ませるなって話で、まずこの王都が腐ってて――」

 話が変な方向に向かって苛立ったのだろう。晟大はマモンの脛を蹴った。
 電流が足元から翔ける感覚。
 マモンは「あぅっ!」と小さく悲鳴を上げて床を転げ回る。

「予定が合わなかったのは仕方がないことだ。が、お前支払日を忘れていたな?」

「いーやいや、そんな訳……あ」

 先程のやりとりを経てなお嘘をつくのは無理があったことに、マモンは発言したあとに気付いた。
 呆れるように晟大は大きくため息をついた。

「まあいい。家賃回収はついでだ。最近立て込んでいたらしいが、終わったのか」

「うん。昨日――というかさっき丁度終わった」

 マモンは腰のポーチから真珠のブレスレットを取り出す。人差し指でクルクルと回し始めた。

「これがお目当ての品」

「なら雑に扱うな」

 晟大はマモン手を握り、降ろさせる。

「べっつにいーじゃん。憎たらしいあの子を傷つけるため、おばあちゃんの形見を盗んでーって下衆の頼みよ? このブレスレットにゃ価値はないって」

「お前まで下衆に落ちてどうする」

「残念。僕は元からだ」

 マモンがべーっと色が薄い舌をだす。
 くるりと薄っぺらいマントをひるがえして、適当に置いてあった麻袋を持ちあげる。
 ずっしりと重い。じゃりじゃりと金属音が重なる。中に入っているのは硬貨だ。

「はい。僕の月給の二割」

 渡された麻袋をもって晟大は、重さを確かめ目を細める。

「銀貨があと二枚足りんぞ」

「ちぇ、バレたか」

 マモンは口を尖らせつつ、バレることを予見していたため用意していた銀貨二枚を渡す。

「確かに」

 晟大の言葉にマモンはほっとする。
 晟大は重さだけで金額を確かめた。簡単にできることではない。
 マモンは、晟大に中途半端な誤魔化しは通じないと思っている。
 家賃だって本当に収入の二割なのか晟大には分からないだろう。
 しかし晟大はマモンの言葉を信じている。
 いや、マモンの誤魔化しには騙されない自信があるのだろうか。
 どちらにしろ、マモンは晟大には敵わない。
 イタズラ程度の誤魔化しこそするが、取り返しのつかない隠し事はしない。

「相変わらず年不相応なヤツだ」

「僕のことガキっていってる?」

「さあな。で、本題だ」

 晟大がマモンをじっと見る。
 マモンの悪ふざけに付き合っていたついさっきの晟大と、なんとなく雰囲気が変わる気がする。

「頼みがある。“宵賂事よろず屋”」

 ピリッとマモンに緊張感が走った。
 入れ。と、晟大は開けっ放しの玄関の外に声をかける。
 ぎし、と音がする。外にもう一人いる。晟大が訪ねてきた初めからマモンは気付いていた。
 しかし、その人物は――。

「……ひっ」

 少年だった。マモンを見て怯えて縮こまっている。
 なぜ子供が尋ねて来たのだろうと、初めからマモンは疑問だった。
 頼りない背丈に細い体だ。お粗末な服装からスラムか、それに近いところから来たのだろう。

「なぁんでこんな子供がこの街にいんの?」

「俺から見たら、どちらも年は対して変わらないが」

 マモンはムッとして、少年の前まで歩み寄る。その餅のような頬をギュッと掴んだ。
 いっ、と少年は顔を歪ませる。まるで幽霊でも見たような顔だ。失礼な、とマモンはこぼす。

「で、晟大。用事ってコイツ?」

「そうだが、とりあえずは離れてやれ。お前は白髪なんだから」

 白髪。復唱して、マモンは子供から離れてやる。

「宵賂事屋、依頼だ。依頼主はワタシではなく、この子供がだがな」

 晟大に呼ばれた子供は身を縮こまらせた。
 マモンは流し目で子供を見つめる。上から下までじっくりと見て、はぁ、と大きなため息を零した。

「晟大。この店の名前が、なんで“宵賂事屋”なのか、知ってるかい?」

「知るか」

「“宵”に“まいない”で動く“万事屋ばんじや”だからだよ! 夜に働く汚ったない何でも屋! 今何時よ? もうお日様でてるの。明るいの。モーニングだよモーニング! 営業時間外なんだよ!」

「知るか」

「知れ!」

 はあはあと、息を切らして屈むマモン。
 宵から始まる店ということもあり、マモンも昼夜逆転している。
 朝は寝る時間だ。マモンはこのまま寝てしまいたい。
 しかしどうせ晟大には敵わない。話だけなら大人しく聞いてやろうか。

「てかこの子猿どっから連れてきたん。晟大の親戚……ではないね。うん。確実に」

 マモンは晟大が何をやっている人なのかよく知らない。
 ただ貸し出せる土地や家があったり服装が小綺麗だったり、少なくとも中流階級以上の人物だろう。
 みすぼらしい格好の少年との繋がりなどないように思える。
 あと少年は晟大のような悪の親玉感がない。絶対血は繋がってない、とマモンは確信した。

「昨夜、といっても今日だが。この小僧が屋敷に金品を盗みに来た」

「ハッ、盗み先が晟大ん家なんて運が悪いね〜。まあ君の屋敷は廃墟なりかけだもんね。あんなボロ屋敷に人が住んでるとか罠だよ」

「そこら辺の賊でさえワタシの屋敷であることは知っている。お前らが世間知らずなだけだ」

「晟大がいるってだけで誰も盗みに入らないの? あそこ? 君歩く防犯機器じゃん。どんだけ怖がられてんの」

 晟大が闇組織のボスかもなんて冗談が笑えなくなってきた。

「んで連れてきた理由は? 聞いたところただの子供っぽいけど。わざわざ迷々街にまで連れてきてさ」

「気に入った」

「それだけ?」

「これほど新鮮な起き上がり小法師は久しぶりだ」

 マモンは首を傾げる。と、ゾッとする。普段堅物な晟大が微笑みを浮かべていた。
 マモンがすぐさま少年に手を伸ばすも、少年は怯えて後退る。白髪がここで足手まといとなる。
 マモンは舌打ちをして少年の服を強引にめくりあげた。
 マモンは顔を歪める。少年の体にはついさっきできたようなアザがいくつも残っていた。

「オジサン、命知らずのガキ――もとい勇猛果敢な若者相手にハッスルしすぎ。ちょっとは自分の歳考えろよ」

 マモンが傷に触ろうとするも「くるなっ」と少年は小さく悲鳴をあげる。
 だがマモンは躊躇なく傷に触れ、怖がる少年を他所に魔法で傷を癒す。

「血は流していない。お前のときと比べればかなり手を抜いた」

「内出血してるから青じんでるんですけどぉ!? あーあ、こりゃ酷い。僕も屋敷に盗みに入って君と初めて会ったとき、ポコポコにされたわー」

「効果音合ってるか?」

「なんだよ。バキボキバキバキグッシャァ‼︎ はい。これでいいだろ」

 少年の治療を終えてマモンは少年の背中をポン、と押す。
 元の不健康そうな体は直せないが、生傷はあらかた消えていた。
 なぜ、これほど傷を負ってもなお少年は晟大に着いてきたのか。マモンが思ったとき少年は声を絞り出した。

「父ちゃんの、病気を治して……」

 そういえば少年は依頼をしにやってきた、と晟大がいっていた。
 マモンは脊髄反射でいう。

「病院いけ」

「マモン」

 晟大がマモンを窘める。

「いや、だってそーじゃん。ここ病院じゃないし。何でも屋だし」

「何でも屋なら何でもしろ」

「何でも屋は何でもはしないの!」

 晟大の言葉をマモンは強気で返す。
 マモンに断られたからか、はたまた歓迎されていないからか、少年は唇を噛みしめている。
 震えているも眼光は鋭い。引く気はないらしい。

「なあ、お願いだよ。おねがい、おねがい……、父ちゃんを助けて……!」

 細い声で少年がマモンにしがみついた。
 泣くことは本望ではないようで眉間にシワがよっている。しかし目尻には今にも零れ落ちそうなほど涙が溜まっている。

「もうここにしか頼めないんだよぉ。色んな所から盗んで、薬買って、賭けまでやったのにっ、もう、全部だめで、だめで……なぁ、なんでもするから……!」

 ありえないほどの必死さだ。
 ただマモンは無情な人間だった。
 マモンは少年を振り払う。鼻水で汚れたらどうする、とマントをはたいた。
 話を聞くに、少年はスラムの偽医者や自称魔術師などに偽薬でも掴まされたのだろう。
 欲に塗れた大人が群がる賭けなんて、こんな少年が一人で挑んで勝てるわけもない。
 無謀がすぎる。五体満足であるのが不思議なくらいだ。

「分からないなー。どーしてそこまでする? 父親なんて所詮他人じゃん」

「お前らのその考えが分からないよ……!」

 同じようなことを何度もいわれたのだろう。少年はキッとマモンを睨んで返す。
 どう突き放しても少年の決意は変わらないらしい。
 なんといって追い返そうかとマモンは眉間に皺を寄せた。

「ときにマモン」

「なんでしょう晟大サン」

「守りたい人はいないのか」

「ハッ」

 マモンは鼻で笑う。
 晟大はマモンに依頼を受けてほしいらしい。
 赤の他人に、しかもガキにどうしてそこまでやるのだろうか、とマモンは鼻で笑う。
 理由は分かっている。少年の情にやられたのだ。
 少年がどれほど必死なのか試すために打ちのめし、その決意の固さに関心し、チャンスを与える意味でここへ連れてきた。
 なら尚更マモンは依頼を受ける気にはなれない。

「急に何をいうかと思えば。そんな仲良しごっこ僕はしないし」

「そうか」

「ならなぜ、お前はワタシに打ちのめされてもなお起き上がった」

 マモンに昔の記憶が駆け巡る。
 マモンが晟大に打ちのめされたときなんて一度しかない。
 この少年と同じように、マモンが晟大の屋敷に盗みに入ったときであり、晟大と初めて出会ったときだ。

「金が欲しかったからだよ」

 一つ息を吸うぐらいの間を置いてマモンは言う。
 答えを出し切ったというのに、マモンは色のない顔で逡巡する。
 守りたい人も救いたい人も、マモンにはいない。その感覚がバカバカしいとさえ思う。
 そのはずなのに、晟大が少年を助けたいという気持ちが、マモンにも感化させられていた。

「金、依頼料は。払えんの」

 マモンが伏せ目がちで問うてみれば少年は首を横に振った。

「話にならん。僕は寝る」

 マモンはハンモックに横になってしまった。
 依頼を断ったようなそんな雰囲気が流れ、少年は不安げに晟大を見上げる。
 晟大はもう帰るところで玄関から半分でていた。
 少年と視線が合うとふっと逸らして去り際に言う。

「依頼料ならマモンが見繕うさ」

「昼に起こして」

 マモンの乱暴な言葉は晟大の肯定のようにも思えた。

 
 3 >>4

Re: 《宵賂事屋》 ( No.4 )
日時: 2024/10/09 22:23
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)


 3


 太陽が真上にきて、そして少し傾いたお昼すぎ。
 マモンはたるむ瞳を荒く擦って、あくびをふかしながら支度する。

「そーいや名前聞いてなかった」

「ジャン」

 少年――ジャンから答えが返ってくる。
 ジャンは頼みが届かないと諦めたのだろうか、朝よりも態度がふてぶてしい。
 その顔が小生意気にみえるのはジャンが打ち解けてくれているからか。
 ついさっき、ジャンに起きないからとハンモックから突き落とされたからか。
 マモンは未だヒリヒリする背中を気にしながら、髪をまとめてカツラをかぶる。

「おまえ、ちゃんとヒトなんだね」

「ドーユー意味だ」

 少なくとも褒め言葉ではないジャンの言葉に、マモンは顔をしかめる。

「白いところかくしてるじゃん。かくしたらヒトにみえる」

 今のマモンは薄水色のカツラを被り、白色の方の瞳に眼帯をしている。

「君たちにとって、そーんな白色って不吉なの?」

「こわいよ。ヒトじゃない。生き物でもない。“この世の邪悪全てを煮詰めた色”って、本に書いてあるよ」

 露出度が高い服に眼帯をしている少年だって、十分に怖いだろう。
 白髪はもっと悪いものらしい。マモンはその感覚がよく分からなかった。だがこの世界の人々が白をよく思っていないのは分かる。
 だからこうやって変装をするのだ。
 ため息を吐いて、マモンはジャンを連れて外へ出た。
 宵賂事屋は迷々街の露店街にある。
 石の道は細く、庇が場所を取り合っていて直射日光はほとんど当たらない。
 洋風のシャレた店もあれば、オンボロで怪しげな店もある。

「人、ちょっと多いよ」

「夜はもっとすごいよ」

 マモンはなぜか自慢げに鼻を鳴らした。
 街が起きるのは夜だ。
 昼過ぎの今でこそポツポツと店が開いているが、夜は雑貨屋、風呂屋、魔法道具屋、色々な店が開いている。宵賂事屋もその一つだ。
 その分、この狭い道に人がごった返すため移動は大変なのだが。

「てか、父親を助けたいって、母親はどーしたのよ。死んだ?」

 マモンのノンデリケートな言葉に、ジャンは顔を歪ます。

「母ちゃんは昔にどっか行っちゃった。よく分からないけど、父ちゃんのシサン? 全部もって行ったんだって」

 シサン――資産のことだろうか。
 しかしスラム街に住んでいそうな子の親に、資産など大層なものがあるのか。

「ジャン、君さぁ。もしかして前はいい家に住んでたり?」

「え、うん。えっとね、石の家でさ。暖炉とかカーペットがあって暖かいんだよ。いっつも美味しいもの作れてさ、ベッドも柔らかくて、窓の外は綺麗な景色で……。うん、いい家だったよ。よくわかったね」

 ジャンは笑顔を浮かべた。しかしどうにも影が拭えていない顔で、無理に笑っていることは明らかだった。

「母親は何やってたのよ」

 マモンの言葉にジャンは考え込む。

「改めていわれると、何してたんだろう……。よく派手な服を着て出かけてたのは覚えてるんだけど……」

「それってさ。めっちゃ肌出てる服だったり? 胸元とか特に」

「あ! そういえばそうだった! すごい、なんでも分かるなマモン!」

 ジャンが感心の眼差しを向ける。ただマモンはそれを素直に受け取れなかった。
 恐らくジャンの母親は売春婦か、それに近しい人だったのだろう。
 そして父親はある程度金を持っていた。
 母親が蒸発した理由も察せられて、マモンは黙った。

「今の家はボロボロだけどね。父ちゃんも動かなくなっちゃって。今の家に引っ越してきた時は元気だったんだよ?」

「そーなん? 意外だな、普通落ち込んだりしない?」

「ううん、落ち込んではいたんだ。俺よりもすっごくさ。毎晩酒飲みながら泣いてた」

「ジャンはなんか声かけたの」

「初めは話そうとしてたんだけど、ちょっと話すと怒っちゃって。父ちゃん、怒ると歯止めが効かなくて、すぐ物にあたるし俺にも殴り掛かるし。怖くてしばらく声かけなかったら、いつの間にかすっごく静かになって、寝たきりになっちゃった」

 思ったよりもジャンの家庭事情が酷かった。確かに、ジャンの体に古いアザがいくつかあったなとマモンは思い出す。

「そんな父親助けなくて良くない?」

「は」

 ジャンがギロッとマモンを睨む。その一文字に怒りがこれでもかと込められていた。

「父ちゃんは本当はもっと優しいんだよ、優しかったんだよ! だから、今度は俺が父ちゃんに良くしたい。父ちゃんが苦しそうなのも、多分、俺が何も出来なかったからだし、怒らせたのは俺だったし……」

 ジャンの声がうわずってきた。マモンがふと見れば、再びジャンは涙を浮かべていた。
 また泣かせてしまった。罰が悪くなったマモンは顔を逸らす。
 そんな話をしている間に二人は迷々街からでていた。

「なあ、どこまで行くんだよ」

「着いてきたら分かるよ」

「――俺の依頼は受けないんじゃなかったのかよ」

 ジャンが不貞腐れたように呟く。マモンは「あー」と頭を掻きむしって、軽くジャンを小突いた。

「うるさい。分かるだろ」

「何がだよ。ちゃんと口に出せって」

「いや、だーかーら! わーかーるーだーろ!?」

「わーかーらーなーいって! 宵賂事屋なんて仕事やってんなら、やることもっとハッキリさせてよ!」

 ジャンがマモンのマントを引っ張って叫ぶ。
 思わずマモンは止まって、しかし意地が邪魔をするらしく頑なに口を開けない。

「仕事じゃなくて、マモンが個人的に助けてくれるのか?」

「バッ、んなわけないじゃん! 仕事だ仕事!」

 慌ててマモンはジャンの襟をつかみ返す。
 ジャンが嬉しそうしているのに気付いてマモンはハッとする。

「図ったな」

「よく分からないけど、依頼、受けてくれるんだな」

 マモンはジャンを軽く突き放す。再び歩き出して「あー」と唸る。

「出世払いな。絶対払えよ」

 迷々街どころかスラム街を完全に抜け切ったま昼間の世界。
 あでやかな喧騒が響く。
 巨大な広場にある噴水を素通りしてしばらく。大通りを外れた人気のない道。
 小川が静かに流れている。ふと、植えられたばかりなのだろう小さな木が、マモンの視界に止まる。
 マモンは木から道を隔ててある店に入った。
 そこはバーのようであった。洒落たランプやロウソクは、昼の今は消え去っている。バーに似つかわしくない、昼の光で満たされた空間には一人の老人が。

「おや、マモン様。お昼に訪ねられるとは珍しい」

 青い髪に優しそうな顔つきをした老人は、磨いていたガラスを机に置いた。
 見たところ店は開いていないようだ。

「マスター。聞きたいことがあってきた」

 マモンはズカズカと店内を歩いてテーブルソファに座る。
 マモンが視線で「座れ」と訴えると察したのか、ジャンはカウンターに座る。

「おや、なんでしょう」

「薬なんだけど」

「マモン様、麻薬は取り扱えないと何度も……」

「いや、今回は普通の薬! 治療薬の方!」

 自分がいつも麻薬をせびっているような言い方はやめて欲しいものだ。
 マモンはいうほどせびってなどいない。最近は半分ぐらいは冗談である。
 そろりとジャンの方を見ると呆れたような顔でみられていた。

「ほう、治療薬……。それは、そちらの方が求めておられて?」

 老人――マスターの優しい瞳が、ジャンの方へと向けられた。
 ジャンがビクッ、と肩を震わせる。
 同年代のマモンとは気兼ねなく話せるようだが、大人が相手だとジャンはどうも緊張している。

「父ちゃんが、病気で。薬が欲しい。でも、お前酒屋? のマスターなんだろ。薬なんて知ってるのか」

 酒屋ですか、とマスターは笑う。

「ええ。私は薬師ではありませんから、薬には詳しくありません。しかし、ツテならいくらかもっておりますよ」

「ツテ?」

「紹介が遅れた。コレはこの店のマスター、本名は忘れた。そして、僕らの世界ではちょいとばかり有名な情報屋だ」

「情報屋……って……」

 有名なんてそんな、と困り顔だったマスターが答える。

「情報を売る商売を少々。しかし、本業はバーの店主ですよ」

「ってぇことでぇ? 僕らはマスターがもつ情報を買いに来たってワケ」

 説明してもなおジャンは困惑の表情を浮かべている。
 薄暗い世界での情報屋の立ち位置自体、掴めていないようだ。
 明るい世界では一部の職についていない限り、情報屋が必要な場面などそうないだろう。それもそうだ。

「ねぇマスター。なんかー、アレ。どんな病気もなんでも治す万能薬とか、なんかそんな凄いモノない?」

「流石にそのような代物は聞いたことがないですね……」

 マスターが申し訳なさそうに苦笑する。
 ジャンの表情が歪む。

「万能薬は、の話ですが。お客様のお父様は、どのような病気であられるのでしょうか……?」

 言われて、ジャンはしばらく黙っていた。

「父ちゃんは――」

 ようやく言葉を紡ぐ。
 溢れでるものを抑えるように、少しづつ丁寧に吐き出すように。
 しかし堰なんて簡単に壊れてしまう。ジャンはすべて吐き出し、バーにはわめき声が響いていた。
 偽医者やエセ魔術師にもこうやって泣いて話していたのだろうか。
 なんとなくムカついてマモンはソファに倒れた。


 4 >>5

Re: 《宵賂事屋》 ( No.5 )
日時: 2024/10/09 22:27
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)

 4


 どうしたものか。
 カラカラとした茜の色の腹の中。マモンは密かに眉間にシワをよせていた。
 舗道されていないデコボコの砂利道とボロボロの家々。王都の外壁にそってあるスラム街を、マモンとジャンは歩いていた。
 ジャンはマスターに父親の状態を話した。
 ジャンの話から汲み取ると、父親は酒と麻薬に溺れていたらしい。しかし徐々に元気もなくなり、今は死体のように寝たきりだとか。
 そこでマモンとマスターにある悪い予感が浮かんでいた。
 しかし実際にその父親を見なければ判断ができない。
 そういう訳で、マモンたちは今ジャンの家へ向かっている。
 ジャンの家は今にも崩れそうだった。薄っぺらい木板が辛うじて家と外の境界線を作っている。
 ただいまー。とジャンは家に入る。さっきよりテンションが高い気がする。
 酷い荒れようだ。スラム街だからといえど、衣食住はなんとか大事にするところが多い。
 しかしここは違う。家を修復しようとする意志など見えない。
 そもそもの、生きる意欲さえ見えなかった。

「マモン、これ、俺の父ちゃん」

 希望の兆しが見えたからか、はたまた同年代に家族を紹介することが嬉しいのか、ジャンの声は心做し弾んで聞こえる。
 徐々に冷たくなる空気と、ぬるりと喉をナメクジが通ったかのような生臭さは、マモンの顔にシワを刻む。
 ぺしゃんこになった敷布団に男が寝転がっている。
 ガリガリにやせ細っていて、骨に皮だけが被さっているようだ。
 伸びっぱなしの髪と髭で顔がよく見えない。ブンブンと飛び回る虫を手で払いつつ、マモンは毛をどかし顔を見る。

「うーん、酷い顔」

 開きっぱなしの双眸は焦点があっていない。口はなにか求めるようにパクパクと動いて、ヨダレがだらっと垂れっぱなしだ。

「――り」

 男がなにか言った気がして、マモンは耳を近付ける。
 しかしそれから男は声を発さない。
 もう一度言ってくださーい、と声をかけてみれば、男が息を吸ったためマモンは耳を近付ける。

『――を、くれ』

「ん、なんか欲しいん?」

『――をくれ』

「何をくれって?」

 男の不潔も気にしないで、マモンは口元のすぐ側まで己の耳を寄せた。
 と、男が動いた。やせ細ったといえど、男の大きな両手がマモンの頭蓋と髪を掴んだ。
 ヒヤリと肝が冷えて、世界の音が遠くなった気がした。
 
『クスリをくれ』
 
 ぼやけた世界で、その一言が鮮明に、マモンの鼓膜を震わせた。

「ッ――!」

 マモンは耳を抑えて男を突き飛ばした。

「父ちゃん!」

 傍でみていたジャンが男に駆け寄った。

「マモン、父ちゃんがごめん。なんていわれたんだ?」

「クスリをよこせって言われたよ」

「ああ、いつも言ってるから。あんまり気にしないで」

 マモンの嫌味はあらぬ方向へ飛んでった。
 俺が父ちゃんの病気の薬を見つけられないのが悪いんだ、と。ジャンがボソッとこぼす。
 マモンが嫌悪したのはジャンにではないというのに。
 ただそれよりも、ジャンの「いつも言ってる」という言葉でマモンはある判断がついた。
 マモンはカツラと眼帯を外す。
 なんの色も感じない、真っ白な表情で口を結んだ。
 空が瞑色に侵される最中、冷たくなりゆく部屋の隅、マモンは淡々と告げた。

「ジャン、コイツの病気が分かった」

 ジャンの表情がパァッと晴天のように明るくなる。

「そうなのか!? なぁ、父ちゃんはどうなってるの。なんの薬を探せばいいんだ!」

 今からマモンは現実を突きつけなければならないのに、希望に満ち溢れたその顔が、彼はうざったらしくて仕方がなかった。
 だから、絶望を突きつけてやりたいのだ。きっと、そうなのだ。
 マモンは自身にそう唱えて、ハッキリと言った。

「薬はない」

 戸惑い。ジャンの眉が歪む。

「どぅゆうこと?」

「そもそも、コイツはジャンが思ってるような病気じゃない」

「え、なにが? え?」

「体の病じゃない。精神の病だ。そもそも病といっていいのか、医者じゃない僕には分からない」

「なにいって、なにがいいた――」

「薬じゃ治らない。薬だけじゃ治らない。上質な治療を長い年月をかけてかけつづけ、それでも治るか分からない」

「父ちゃんは、そんなに重い病気なのか……? どこが悪いんだ? お腹か?」

 マモンの表情は彫刻のように変わらない。
 無機質な双眸で、曇り始めたジャンを刺す。

「そうか。じゃあ、君にはこういった方がいいか。コイツは病気じゃない」

 ヒュ、とジャンの息が鮮明に聞こえた。
 ジャンはまだ精神の病を理解できないとマモンは判断した。ならこういった方がわかりやすいだろう。

「女に逃げられ金を失い薬に壊されて、頭がおかしくなってるだけだよ。心が壊れてる。もう元には戻らない。薬も効かない。君には何も出来ない」

 だからマモンは強い言葉を選ぶ。
 ジャンが分かるように。なにも分からないように。

「ぇ、え?」

 一度に押し寄せる情報と感情にジャンは追いつけていないらしい。
 彼が戸惑っているのは明らかだ。
 しかし――いや、だからマモンは間髪入れない。

「君の前にある選択肢は二つ。治らぬ病に苦しんで死にゆく男を看取るか――」

 マモンの手のひらに魔法のエネルギー――魔素が集まる。
 紫の光はみるみる間に結晶となり、鋭利な刃を作り上げた。
 マモンは、瞳孔が揺れるジャンの手のひらにソレを握らせる。

「――君が、殺すか」

 至極色。世界の色が変わる。
 ジャンは冷たい手を震わせた。
 交雑する情報と感情のなか、「殺す」という言葉が強く残ったのだろう。

「っ、やめっ――!」

 ジャンはマモンの手を払った。
 カランっカランっ、と結晶の刃が転がって光となって消えてった。
 依然マモンの双眸はジャンから離れない。ジャンの答えを急かすように。
 ジャンはなにも言わない。言えないのか。呼吸の音だけ強くして、ジャンは顔を歪ませる。
 沈黙が重い。

「――ふっ、あっはははは!」

 それを、マモンが破り去った。

「そーっか、そーんなにコイツを治したいか。お父さん大好きだねぇ、ああ! 結構結構こけっこー。君の気持ちはよぉーく分かった」

 氷点下のような表情から打って変わって、マモンはピエロのように笑顔であり続ける。

「だから、質問を変えよう」

 パン、とマモンは胸の前で手を叩く。
 暗い部屋で白いマモンだけが光り輝く。その白はあまりに不気味で、“この世の邪悪全てを煮詰めた色”だった。

「君は、どうしたい?」

「どうって、どうって、なに?」

「お父さんを治して、幸せに暮らしたい?」

「うん」

「十年も二十年も、ずーっとお父さんの傍で看病することになっても?」

「……うん」

「それとも、早くお父さんを楽にしてあげたい?」

「……」

 ジャンは押し黙る。再び訪れる沈黙。しかし先程とは違う。
 ジャンが逡巡している。彼なりに必死に答えをだそうとしている。
 俺は、と。ジャンはつっかえながらも言葉を落とす。

「――苦しい父ちゃんを、みたくない。それで父ちゃんの病気が治るなら、いいけど。でもずっとずっと、長い時間見てるのは嫌だ。死ぬのが決まっちゃってるなら、もっといやだ」

「じゃあ」

「でも! でも、でもでも、でもさ……」

 ジャンは自分の服を破けそうなぐらいに引っ張る。真っ赤な顔で歯を噛み締めて、震える声で、叫んだ。

「殺したくないよ! 父ちゃんが死ぬのなんて、いやだよっ! いやだ、殺したくない! 死んで欲しくない! でも、苦しむ父ちゃんも、いやだよぉ……」

 堪えきれない切なさと戸惑いが幼いジャンの喉を圧迫し、そのまま舌にのって吐き散らかされた。
 今ここで男を殺すのも、このままここで衰弱死するのもジャンは嫌らしい。
 マモンが提示した以外の選択肢もあるにはある。
 僅かな可能性にかけてジャンが男を治療することだ。
 治るかも分からない廃れた心を、何年も何年もかけて。
 マモンはそんなことをジャンにさせたくなかった。
 子供に殴り掛かる親だ。そんな親のために、どうしてジャンの時間も精神も費やさねばならないのだろう。
 極小の希望をチラつかせ、ジャンさえも潰してしまうのか。
 それぐらいなら、希望などない方がいい。
 マモンの勝手な判断だった。

「――わかった」

 マモンは、しゃくり声をあげるジャンの頭を撫でた。
 背はあまり変わらない。ジャンが少し大きいかもしれない。
 マモンは腕をあげてジャンの涙を拭って、その手を彼の頬にそえる。

「僕は宵賂事屋だ。依頼者の願いは、できる限り叶えたいと思っている」

「――」

「だから、今僕ができることは。考えられることは、これだけだ。――悪く思うな」

 ジャンの表情から温度が抜けた。

「ま、まっ、て。マモ――」

 マモンは宵賂事屋だ。
 夜に働く汚たない何でも屋だ。
 方法なんて選ばない。依頼はこなせさえすればいいのだ。
 だから振り返ってはならない。
 痩せている首を掴む。
 生暖かい脈を絞める。
 五感の全てを殺して、気持ち悪く脈打つモノを潰すのだ。

「――! ――ッ‼︎」

 鐘の音の残滓のような耳鳴りが強く響いてる。
 男がマモンの手を引っ掻いて赤い跡が重なる。
 見えて、聞こえて、痛みがあるはずなのに、マモンは全て他人事に思えた。
 ジャンがマモンに掴みかかる。
 髪を引っ張られて、マントを掴まれて、頬を強く叩かれて揉みくちゃだ。
 もう何が何だかわからない。
 感覚が混濁する中、男の首だけは鮮明に見える。

「――! ――っ、――ッ‼︎」

 無理に吹いた笛みたいな、甲高い子供の悲鳴が響いている。
 それがジャンのものなのか自分のものなのか、マモンももう分からなかった。
 気付いたら男はもう死んでいた。
 しかし二人の取っ組み合いは終わらない。カヒュ、コヒュ、とカラカラな喘ぎ声が重なり続けている。

「ぅ、は、ぁ――」

 パタンと、糸が切れた人形のようにジャンは座り込んだ。
 肩で息をして引っ掻き傷がある腕を抑える。
 先程までの騒ぎが嘘のように部屋は静まり返った。
 ボヤボヤした世界の音が徐々に戻る。お互い脱力して息を整える。
 布が擦れる音がしてマモンは顔を上げた。
 ジャンが這うように、男の傍によっている。

「父ちゃん」

 ねぇ、父ちゃん。ジャンが何度も掠れた声で呼びかける。
 男は動かない。当たり前だ。マモンが殺したのだから。
 手のひらに男の脈が残っている感覚がして、マモンは右手を床に擦り付ける。

「とぅちゃん……」

 やるせない声だった。
 どうして、それほど父親の死に悲しむのだろう。
 母親が蒸発する前はどうだったか知らないが、その男は癇癪で子供に当たるようなやつだったのだろう。
 どうして、それほど悲哀にふけられるのだろう。
 マモンは疑問に思いながら聞くことはしなかった。
 聞けばもっとジャンは泣いてしまいそうだった。
 マモンは綿人形のようになってしまった気がした。空っぽで重い体をのしりと起こす。
 引きずるように歩いて、マモンはジャンと男を見下ろした。

「マモン――」

 ジャンの吐く息一つには感情全てが込められていた。
 真珠色の瞳でマモンはジャンを見つめ返す。
 睨み合いが続いて、先に目を逸らしたのはマモンだった。

「依頼料。貰うから」

 マモンが男を担ぎ上げて歩き出す。
 呆然としていたジャンは絞り出すように声を出した。

「なん、で――」

「死体は高く売れる」

 ジャンの息を吸う音が鮮明にした。
 マモンは男を背負って歩く。体格差もあって男の足はズルズルと引き摺られた。
 夜の風が体を冷やす。玄関の垂れ下がっているボロ布の下をくぐり抜けようとした矢先。

「――し、人殺しっ!」

 そんなもの彼らの世界では貶し言葉にすらならない。
 もちろんマモンは足を止めない。

「――しろ、シロ、白‼︎ 白ッ‼︎」

 放ってはマモンへ辿り着く前に消え失せる、言葉未満の雑音。背後からのソレが大きさを増す。

「白が、白がぁっ! 白の魔女がぁッ‼︎」

 この世界において最大級の暴言がマモンに追いついた。
 白、白。魔女、魔女。世界を壊した白の魔女。
 親をなくした少年の血を吐くような絶叫。
 どうしてと、溢れた怒りも悲しみも後悔も、濁流のようにマモンを追いかける。
 逃げるように逃れるように、腕も振れず、耳も塞げず、言葉を返せないもどかしさを感じることも許されず、ドロドロとよろけながら走ることが、マモンにできる精一杯であった。
 
 
 5 >>6 

 

Re: 《宵賂事屋》 ( No.6 )
日時: 2024/10/09 22:34
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)

 5



 地下街にある真っ暗闇の店。空色髪のマモンはカウンターに死体を置いた。
 でてきた店員は毛むくじゃら。骨格もヒトじゃない。獣人族と呼ばれる。
 獣人族は硬貨を差し出す。無表情。マモンも無感情で受け取る。
 カツカツ。高い足音が響く。外にでても真っ暗だ。路地裏には光が入らない。
 ふと目先に男が。マモンは目が悪い。更に暗い。店内よりはマシだ。が、何も見えない。
 けれどマモンは魔素で物体を感じられる。男は晟大だ。
 晟大はマモンの横を歩く。月光が入った。晟大の表情が見える。
 二人は視線をかわす。逸らす。沈黙が続く。

「売ったのか」

 先に晟大が口を開く。

「なにを」

「子供の親の、亡骸を」

「なんで知――」

「マスターから聞いた。ジャンのことも」

 名前知ってたのかよ。なんて呟きをマモンは潰す。晟大が見込んだ者の名を聞いてないわけない。

「それが仕事だ」

「何故殺した」

「仕事だ」

「他にも方法はあった」

「宵賂事屋に最善を求めるな」

「ジャンは、この先苦労するだろう。どう食っていくんだろうか」

「さぁ」

「恐らく野垂れ死ぬ」

「だろうね」

「人は、殺すもんじゃない」

「君はそうなんだね」

 カツン、コツン。石畳と革靴が叩き合う。黒と、僅かに白が入る。路地裏は続く。石に囲まれた世界。

「人を殺すのは簡単だ」

 晟大の声は冷たい。

「大抵の揉め事は人を殺せば終わる」

 鼻腔から空気が這い出た。

「殺し合うのが一番楽だ」

 マモンは右手を握る。マントに擦った。

「だから皆、最善を探さなくなる」

 頬がヒリつく。引っ張られる感覚。まだ残っている。

「本心も見ようとしなくなる。極小でも確かにある可能性を、見て見ぬふりして殺しに逃げる」

 殺したくない。苦しませたくもない。矛盾を直視した少年がいた。
 でも怖いだろう。泣く子が。叫ぶ子が。懇願する子が。希望に踊らされ絶望するのは。
 それなら、希望なんてない方がいい。

「腰抜け」

「違う‼︎」

 マモンの叫びが響いた。
 さっきの否定が自分の口から出たことに、気付いて思わず口を覆う。

「なにが違う」

「――ッ!」

 声にならない声がでる。冷たいはずだった世界。白と黒しかない景色で、マモンの前髪から赤い瞳が覗いた。

「煩いッ! あの場にいなかった君に何がわかんだよ、なぁ? お前なんてジャンを宵賂事屋に連れてきたぐらいしかしてないじゃないか。誰が偉そうに頭垂れてんだよダボがッ!」

 じわりとマモンの額から汗が流れた。熱気に包まれてゆく感覚がする。

「ワタシは気に入った子供に機会を与えただけだ。救われるかどうかはジャン次第。救う道理はない」

「救おうとも助けようともしなかった奴が、僕に文句いう権利なんてねぇーだろっ! 僕だって救う理由なんてない! あんな金なし客にならない!」

「でも助けようとした」

「してない! 僕は宵賂事屋だ、金さえあれば――」

「ジャンに金はなかった」

 マモンは思わず息を吸い込む。吸った息を溜めて、反論しようにも何も出て来ない。
 ただ冷たい空気が口を出入りする。マモンはようやく、自分が冷たい裏路地にいたことを思い出した。

「ジャンの親が生きるつもりだった“その後”は、気が遠くなるほど長い年月で、一言じゃ言い表せない感情と経験があった筈だ。それは、一瞬にして、消えてなくなってしまえる。この意味がわかるか、マモン」

「――あの男が生きるつもりだったのかも、分からないじゃん」

「そうだな。だが、生きるはずだった時間はあった。ジャンと笑い合う未来もあった」

「んな未来なんてないに等しい」

「でも確かに“あった”。そして、お前はそれを“消した”」

「――さっきからずっとガタガタ抜かしやがって、結局何が言いたいんだよ‼︎」

 街灯が届くところまできて、晟大の顔が照らされていた。
 刻まれたシワとたるんだ頬。いつも通りの仏頂面だ。
 説教染みた会話だったのだから、てっきりもっと怖い顔をしているとマモンは思っていた。
 むしろほんの少しだけ、なんとなくだが、マモンは彼から哀愁を感じた。

「潰してしまった未来の責任を負わなければならない」

「責任って――」

「言ったろ。恐らく、ジャンは野垂れ死ぬと」

 ようやっとマモンは晟大の言いたいことが分かった。
 回りくどく、説教臭く、上から目線で頭にくる会話だった。
 だが直球に伝えられたらマモンはきっと、意固地になって全てを否定していただろう。

「責任、責任ね」

 マモンはポケットから硬貨を取り出し、ピンツとトスする。

「存外、死体が高く売れたし。働いてやらなくもないけどさ」

 ここまでして、空腹で死なれてはマモンも気分が悪い。
 ブロンズの硬貨が月と重なる。無機質な夜がどこまでもどこまでも続いていた。

 

 ◇



 喧騒が響く市場は今日も賑わっている。

「えっと、二十ヨルね」

 その一角にある露天商。少年はたどたどしく銅貨を数えた。

「はい、二ヨルの釣り!」

「ありがとね」

 女性が店から離れていって、ジャンは一つ息を吐いていた。
 外が赤く染まりはじめた。もうそろそろ店を閉めろ、と店主が指示をする。
 ジャンは適当に返事する。店頭にはもう僅かな果物しか並んでいない。
 土台の箱ごと持ち上げればゴロゴロと音が鳴る。
 ある程度片付けて、手が痺れたらしいジャンは背筋を伸ばす。
 手についた果物の匂いを嗅いで、手を握る。

「ぼけっとしなさんな、はやく店じまいしてちょーだい」

 店主の中年女性がジャンを急かす。

「うー、うるさい。いわれなくてもやーる!」

「ま、人見知りなくせに生意気なんだから」

 二人で店じまいを始める。この店は、女性店主とジャンの二人だけで運営している。

「もうすぐしたら王都から出るんだから」

「分かってる。次は東の寒いトコ行くんだろ」

 街の名前は忘れたけど。とジャンが呟やくと同時に片付けが終わる。
 夕日に照らされる、商品が並ばない露天は見ていると寂しい。

「アンタ、ここの育ちなんでしょ? ウチで働いてくれるのは嬉しいけどねぇ、雇われてすぐで、故郷を離れていいのかい? もうちょっといてもいいんだよ?」

「変な気使わなくていいから、オバサン」

「オバッ……アンタねぇ」

 女性店主。もといふくよかなオバサンは怒り半分呆れ半分でため息をつく。
 彼女らは旅商人をやっている。今回は半年ほど王都にいたようだが、もうそろそろ離れるらしい。

「あと、今はなるべくはやく王都から出たい気分」

 伏せ目で落としたジャンの言葉に、なにか思うことでもあったのか。
 オバサンは慈しむような表情を浮かべる。

「王都ネニュファールは嫌いかい?」

「別に。好きでも嫌いでもない」

 自分の荷物をまとめ、ジャンは肩にかけた。

「でも今は、ここにいたくない。けど、五年後ぐらいに戻ってきたいよ。いつか、大人になったとき。話したい人がいる」

「そう、五年後ね。それぐらいには、また戻ってきてるわよ」

 帰りましょうか。オバサンがジャンの頭を撫でる。
 ジャンは満更でもなさそうに歩き始めた。
 徐々に宵に染っていく空。ふと、オバサンがこちらを向いた。
 夕日が沈む進行方向ではなく、斜め後ろ上の、意識しなければ向かないであろうこちらを。
 屋根の上、マントをたなびかせるマモンは目を細める。バッチリと合った視線。
 オバサンは目を細めて、視線を逸らし去っていった。

「……結構遠くにいるつもりだったんだけど、普通気づく?」

 発言とは裏腹にマモンは笑った。
 彼女とマモンはちょっとした知り合いであった。
 一人で旅をしているというから、ジャンを紹介してみれば即採用された。
 マモンがオバサンにジャンを紹介したこと、マモンとオバサンが知り合いであること、ジャンはどこまで知っているだろうか。恐らく何も知らないだろう。
 なにより、これで余程の事がない限りジャンが野垂れ死ぬことはない。
 夕日に照らされ、新しい家族にぶっきらぼうな笑みを浮かべるジャン。
 マモンは人知れず彼を目で追い、ふと目をそらして、宵の方へと溶けてった。

「もう宵賂事屋になんて来るなよ」

 誰かに届かせる気もない呟きが、ボトンと、闇夜の底へ消えてった。
 

      終


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