ダーク・ファンタジー小説
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- 《宵賂事屋》
- 日時: 2024/12/18 07:10
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
貴族も貧民も関係ない。人々の欲が渦巻く薄暗い世界。
金さえ積めばなんでも引き受ける、闇社会の何でも屋――宵賂事屋はそこにある。
「やぁ、おきゃくじーん。本日はどれほどのご予算で?」
迷路のような路地裏を通り抜けた先。あやしくもにぎやかな露店街の一角にある店。
「君の願いを、強欲を、是非とも聞かせていただきたい」
白髪の少年は、そこで今日も金ヅルを待っている。
――――――――――――――――――――――
《目次》
登場人物(随時記載予定) >>1
一話《病という名の》 >>2->>6
1.>>2 2.>>3 3.>>4 4.>>5 5.>>6
二話《陽下、灰は散る》 >>7-13
1.>>7 2.>>8 3.>>9 4.>>10 5.>>11 6.>>12 7.>>13
三話 >>
――――――――――――――――――――――
【注意とジャンル】
・血が流れます。人が死にます。殺されます。
・ジャンルはダークファンタジー。剣と魔法の世界です。ナーロッパです。
・上手くないです。精進中です。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はいつもお世話になっております。ベリーです。
連載短編の予定です。一話で終わる短い話を繰り返すヤツです。
三話完結予定です。
どうぞよろしくお願いします。
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.9 )
- 日時: 2024/12/18 07:01
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
3
「鬼――しかも吸血鬼がいるなんて知られたらっ」
「――オニ?」
久しぶりに聞く言葉、マモンは呟く。
鬼といえば、あの真っ赤で角が生えた化け物だ。あと黄色と黒のパンツも履いていたはず。
文脈的にはヒカがその鬼らしい。華奢な彼女が鬼だなんて、とてもそうには見えない。
しかし鬼は鬼でも吸血鬼。血を吸うバケモノだ。
そういえば、と。ヒカの耳が尖っていたことをマモンは思い出した。夫人の耳は丸く、普通のヒトのようだ。
少なくともヒカは普通のヒトではないらしい。しかし鬼とは何なのか。マモンは分からないままだった。
廊下の突き当たりに辿り着く。
夫人は周囲に誰もいないことを確認した後、壁に向かって何かを呟く。
共に夫人が手をかざすとまっさらな壁が歪み、穴が空く。まるで指で粘土に開けたようだ。
夫人とヒカは素早く穴に入り、マモンもこっそりと続いた。
「よく出来た魔法だな。夫人にしか反応しないようにできてるのか」
さながら魔法の生体認証だ。
しかし廊下は盲点だった。部屋に仕掛けがあるんじゃないのかよ、とマモンは悔しがる。
中は真っ暗。足元に階段らしきものがあり下へ続いていた。
下りきった先、扉が半開きになっていてマモンは中を覗く。真っ先にマモンの目に飛び込んだのは――。
「ひぃゃあぁ! やめて、お母さんやめて!」
大きな鉈であった。
何がどうなっているのか。考える間もなくマモンは腕を振り下ろす。
彼の指先から魔法の光が飛ぶ。ガチン、金属音。鉈は弾かれ天井に刺さる。
なんとか危機を弾いて、マモンは改めて状況を見た。ヒカは片腕を強く縛られていて、傍には腕を振り上げた夫人が。
夫人が鉈で腕を斬ろうとしていた?
「――どちら様」
夫人がギラリとマモンへ視線を向ける。
このまま隠れるのは無理があると、マモンは大人しく扉を開ける。
「どぅもぉ。初めまして、レーヴェミフィリム夫人」
前へ踏み出して自己紹介。共にマモンは部屋を見渡す。
洞窟を部屋にしたような場所だった。走り回れるぐらいには広く、地下牢獄の牢や壁をぶち抜いたような空間だ。薬と鉄が混じったような異様な臭いにマモンは眉をひそめた。
ここで薬品を扱っていた気配がする。何かの実験室だったのだろうか。騎士団に目をつけられたから部屋を片付けたのか。
「白髪、ここ最近屋敷でウロチョロしてたネズミね。あなたも鬼かしら」
紫髪が妖しく光る。マモンの白髪を見て、夫人は動揺する気配がない。ヒカで慣れてしまっているのか。
「ごめんだけど僕、その鬼がなんなのか知んないんだよね」
「鬼を知らない? お里が知れますわね、あら、白髪には知れるお里もあられませんでしたわ」
「あ?」
学がないのはマモンも認めているが、こう真正面からいわれるとムカつく。
「そーいうならさぁ君さぁ? ヒカの母親なんでしょ? お前もヒカと同じ鬼ってことになんない?」
「ひか? 魔女のこと? これまた剽軽な名前を作られますわね」
「話逸らすなよ、娘大好きなのは分かったから」
「誰が」
「照れんなって」
「はぁあっ!」
思わず煽ってしまった。これでは鬼がなんなのかも聞き出せない。
「おふざけも程々になさい、白髪! こんなところへノコノコと着いてきて、助けなんて呼べませんわよ!」
「僕白髪だから、呼べても助けてくれる人なんていないんだけど」
マモンが自嘲すれば夫人が笑う。
「おほほ! そーでありました、実に哀れですわぁ! では私が、あなたも有効活用して差し上げましょう!」
あなた“も”? 違和感を覚えて、しかし考える暇もないとマモンは前方へローリング。
マモンが立っていた場所へ紫の結晶が降り注ぐ。
目先、夫人は頭上に手をにかざす。
紫が淡く光り、現れるのは結晶。殺意を詰め込んだような鋭利さで、幾多のそれはマモンヘ降り注ぐ。
ぐるり前転、勢いのままに壁を走る。狙い違わぬ結晶はマモンの軌跡をなぞり刺す。
「んっ!」
振り向き際にマモンも腕を払う。同じ結晶が現れ、夫人へと飛んだ。夫人は自らの結晶で相殺、攻撃がやむ。
流石お貴族様、魔法も大したものである。技術こそマモンの方があるが、魔素量――エネルギーは夫人の方が圧倒的。消耗戦に持ちこまれればマモンは勝てない。
ただの金持ちと舐め腐っていてはいられないらしい。
「ふん、ネズミ如きが」
しかし技術の差は明らかだ。夫人もマモンのスタミナは分からないだろう。下手に攻められることはないはずだ。
「お互い実力も測れたところで、もうちょいお話しない?」
「下手なお誘いですこと」
「そりゃどーも。で、結局鬼ってなんなの」
夫人は机に縛られているヒカに目をやり、しばらくの沈黙をへて口を開いた。
「太古の昔、世界を滅ぼした白の魔女はご存知?」
「それに関しちゃぁ、君たちより詳しい自信があるよ」
「それで鬼は知らないの、おかしな人ね。鬼というのは、白の魔女が英雄達に封印された、その折に生まれた存在」
「なぁんで魔女が封印されたら鬼が生まれんの」
「封印しきれなかった魔女の残骸ですわ。この世の飢餓、老い、病魔、魔物、全ての不幸は魔女の残骸。同じように常命ならざる力をもつ、不幸の塊こそが鬼。おわかり頂けて?」
「おかわり頂けました。で、なんでその鬼が君らから生まれたわけ。君、一応ヒト、だよね?」
「私も旦那も、今まで関わってきた殿方も皆ヒト族ですわ」
「サラッと浮気相手の種族も教えてくれるの、複雑ー。じゃあヒカもヒトでしょ」
「白髪でおかしい耳と鋭利な牙を持つコイツが、ヒトだと?」
「ヒトじゃないの?」
「その目はお飾りで? ヒトなわけがない、吸血鬼、バケモノですわ」
「僕はヒトとヒトの間に別種族が生まれることの方が、なわけないって思うんだけどなぁ」
「……鬼は、子が腹にいる間、魔女の残骸に取り憑かれたことで産まれる。親の種族は関係ありませんの」
「魔女魔女いうけど、それどっからが逸話でどっからがホントなの? 白の魔女とか存在が太古の昔すぎてイマイチ信ぴょう性がないんだって」
「白髪である貴方がいいますの?」
「そうだった。君らの話がホントなら、僕も魔女にのっとられた存在なんだった」
「己が鬼と認めますのね」
「んーや、まだわかんない。けど鬼のことは分かった気が……する?」
ようは白の魔女にのっとられた生き物の総称、それが鬼。識別方法は髪色と異常な能力だ。
だから白髪であるマモンは鬼である、が、いまいちピンとこない。
晟大やマスターに鬼と呼ばれたことはないし、マモンも別の種族名を持っている。
しかし白髪の存在がありえないのも事実。
低確率とか珍しいとかそんな次元ではなく、産まれることは絶対にありえないのだ。
それなのにここには今、マモンとヒカ、二人の白髪がいる。
魔女の呪いと言わずしてなんというのだ。
「んー! やっぱわからん!」
鬼のことはもうどうでもいい! ヒカは吸血鬼、マモンはマモン! それでいい! マモンは思考を放り投げる。
「そんで、君はなんでヒカの腕を斬ろうとしたわけ」
「持ち運ぶのには手足は邪魔でしょう」
あっけらかんと夫人は言った。それはどういう意味なのだろう。
「お前はヒカをどうしたいんだ? 白髪だろ? 魔女に乗っ取られた存在なんだろ? なんで殺さない、なんで幽閉してる、娘だからか?」
「こんなものが私の腹から出てきたなんて、どこまでもおぞましい」
「本当かよ。お前、実は娘のこと大好きなんじゃないのか?」
はぁ? 淑女にあるまじき歪んだ声が放たれた。全身全霊の嫌悪、夫人の顔は怒りで真っ赤だ。
「冗談も加減されること! 魔女を産んだ女が、ましてや伯爵夫人がどう思われどう処分されるか分かってらして!? 出産に立ち会ったメイドの口封じをし、運良く立ち会わなかった旦那に嘘を振りまいて、魔女は私がどうにかしなければならなかった、誰にもいってはいけなかった、誰かにバレてしまえば私も旦那も貴族ではいられなくなってしまう、お父様もお母様も雇った者たちもどうなってしまうか……!」
怒号が徐々に悲哀へと色を変える。喉を潰すような甲高い悲鳴が響いた。
自分と大切な人を守りたかっただけだと夫人は叫ぶ。
お前に何がわかるんだと割れるように叫ぶ。どうしようもできなかった現実にどうしたらよかったと、答えを求めるように夫人は泣き叫んだ。
「独り独りずっと独り、どう足掻いても満たされない!」
だから不倫を繰り返したのだろうか。
「それもこれも全部この魔女がァっ!」
「じゃあ殺せよ」
ごうごうと燃え上がる怒りの炎に冷水がぶっかけられた。
夫人は大きく息を吸う。これでもかとかっぴらいた瞳は一旦閉じられ、またゆっくり開けられ。座った目でマモンを見つめた。
「殺そうといたしました、当たり前ですわ。こんな白髪、本来ならば要らないもの」
「――本来ならば?」
夫人の言葉の節々に引っかかるものがある。何かを隠している、いや見落としている?
白髪のヒカ、白髪を怨む夫人、しかしヒカを消そうとはしない言動の矛盾。
考えて考えてそれでも分からなくて、脳が油でギトギトになったみたいに回らない。
答えを求めるように視線をあげると、夫人は机の引き出しから何か取り出した。
ガラスの瓶と、枯れた根の塊? 根をよく見てみれば顔がみえる。しわくちゃで、苦しそうな老人のようだ。
夫人が根を床に落とす。べちゃ。泥を落としたような音がなり、根が動き出した。驚いたように触手のような根が跳ね、表情も変わり、まるで生き物のようだ。
これは――
「魔物か!?」
魔法や魔素が生態に強く影響を及ぼしている動植物の総称――魔物。
マモンはゲッと顔を歪ませる。
「ええ。そしてこちらは、そうね。恐らく、貴方が求めていた代物よ」
夫人の手には透き通った青色のガラス瓶。これみよがしに回して、そう笑った。
マモンの思考が一瞬止まる。まさか、そんなわけ。思いながらマモンは叫ぶ。
「若返りの薬――ッ!」
夫人は薄ら笑い、瓶を開ける。あら、と声を漏らして瓶を逆さに振った。何も出てこない。どうやら中身がないらしい。
「空っぽね」
「夫人、なんのつもりだ? 魔物と若返りの薬なんかだして、意味が……」
「すぐ分かりますから、薬を作るまで待って頂戴」
何を作るって? 彼女の言葉に目を見張った。
この何もない空間では薬どころか軽食も作れやしない。
夫人は両手に手袋をはめ、ヒカの手首を掴んだ。
夫人がもう片手を宙にあげると、その指先に結晶が一つ現れる。それはナイフのように鋭利で、夫人は目を細めてソレを――振り下ろした。
ヒカの真っ白い手首に一筋赤が走った。
「いたいっ!」
「ヒカ!」
ヒカとマモンの声が重なった。マモンは指先が震えて走り出す。
「止まりなさい。進んだら分かるでしょう?」
脅しのような言葉で、マモンも足を止めざるえない。
ヒカの手首から真っ赤な血が零れる。サラサラと絶え間なく流れ出る。ソレを、夫人は結晶を伝わせて瓶に流す。
マモンが言葉を失う。空気が蒸発したかのように声が出なくなって、立ち尽くす。
夫人が瓶の蓋を締めた。
ヒカの手首からは未だ血が流れ、ボツ、ボツと床にシミを作った。
夫人は根の魔物へ歩み寄って、結晶についた血を一滴、魔物にたらす。
瞬間、吐いた息を押し返される感覚、突風が頬を叩く。
木の幹が軋み、ひび割れ、皮が裂ける音が重なり合い轟音となった。まるで木そのものの成長が今一秒に詰め込まれ、空間を押し広げるようだった。
影がマモンをすっぽりと覆う。それを見あげ、言葉も出ない。
さっきまで地面に這いつくばっていた枯れ木の魔物が、弾かれるように巨大化した。
「もうお分かりでしょうけど、若返りの薬の正体、それはこの魔女の――吸血鬼の血ですわ」
なにを言葉にすればよいのだろう。呆然がマモンを包み込み、敵意が行き場を失っている。
「商品化するのに大変だったのですよ? この通り、吸血鬼の血は一滴だけに爆発的な効果がある。寿命を伸ばし、病や傷を治す程度に血を希釈させるのには、長い年月がかかりましたわ」
「……ヒカを殺さなかったのは、薬のためか」
ようやくでた言葉がそれだった。何かの間違いであってくれと、わずかな希望に手を伸ばすようにマモンは問うた。
白髪といえど実の娘の血を抜いて薬にするなんて、そんなこと親がすることじゃない、そうであってくれと。
「それ以外に何があって?」
夫人はなだらかな手を頬に当て、本気の困惑顔をみせた。
白髪は産まれるはずのない存在、白の魔女に酷く近い存在、だから迫害される。
マモンはそう思っていた。
違うのだ。
夫人とマモンの感覚の温度差、違和感、ヒカの扱い、それらでようやく気付いた。
そもそもマモンら白髪は、人として見られていない。
感覚では汚らわしい魔物に近いのだろう。そりゃあ、お貴族様の腹から魔物が産まれればパニックになる。
動物の飼育も分からない金持ちなら、魔物を適当な空き部屋に放り込むだろう。暖もいるとは思わない。
それに、いくら血をとったって心も痛まない。
マモンたちはそもそも、彼らと同じ土俵に立たされていなかったのだ。
「さて、粗方話もできたことですし、そろそろネズミは仕留めませんと。放っておけばこの部屋も白で穢れてしまうわ」
魔物は根っこを丸めたような姿に顔が浮かび上がっている。根で作られた顔。シワが深く刻まれ、こちらをジッと睨んでいる。
マモンに明らかな敵意を向けている。主人を理解しているようでよく躾られている。
夫人は魔物のとなりへ歩み、淡い光とともに結晶を作りだした。
「……」
マモンは一つ息を吸う。喉に詰まったものを押し出すようにゆっくり、大きく、肺が痛くなるぐらい空気を追い出す。
白髪の扱いを実感して、マモンは何を思えばいいか分からない。ただ胸を叩かれたような衝撃から逃げ出せない。
しかし立ち尽くしたままではいられない。
「ああ、終わらせよう。ケーリィム・レーヴェミフィリム」
長い前髪で隠れていた視界、マモンは片手でかき揚げて魔物を見上げた。
「僕はマモン。宵賂事屋のマモンだ。金さえあればなんでもやる裏社会の何でも屋」
マモンはポーチからナイフを取り出す。逆手にとって構え、そのナイフ越しにケーリィムに焦点を合わせた。
「若返りの薬、よこせよ」
「なら奪ってみせなさい?」
ケーリィムから槍のような結晶が飛ぶ。同時に魔物からも根が飛ぶ。
マモンは前へ飛んだ。着地で前転、勢いそのままケーリィムへ駆ける。
「木」
恐らく魔物の名前。ケーリィムが呟けば真横から根のスウィング。
目前に迫るソレを体を反らしてかわす。も、体幹が乱れる。狙ったように結晶が襲う。
体を反った勢いのままにバク転、結晶が追いかける。もう一度バク転、着地してマモンは腕を払う。
「んっ!」
ケーリィムのと同じ結晶が生まれて相殺。続けてマモンはもう一度結晶を放った。
ケーリィム側も結晶と根でソレを相殺、更に――
「うぉっ!」
急にマモンの世界が傾く。根に足を払われたらしい。
理解して、倒れる前に床に手を付き、走り出す。
前から根が床を這ってきた。速すぎて目で追えない。
何とか根を飛び越えるもまた次、次といくつもやってくる。
これではキリがない。マモンは勢いのまま壁へ飛ぶ。逃げるステージを床から壁に変更。マモンの後ろを根が追いかける。
「うふふ、本当にそこへ行ってよろしいの?」
共に放たれた結晶。マモンの目の前に刺さる。キュ、と心臓が縮み上がった。
「よくッ――ないっ!」
結晶に手をつく。起動を変え何とか乗り越える。しかし次から次へと結晶はやってくる。
4.>>10
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.10 )
- 日時: 2024/12/18 07:03
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
4
壁を走るからには止まれない、飛べない、戻れない、前へ進むことしか許されない。でないと床に落ちてしまう。
マモンは唇を噛み締めて、紙一重で結晶を避け走り続ける。
結晶を乗り越える度肝が冷え、長くはもたないことをヒシヒシと感じる。
結晶はまだ障害物として立ちはだかってくれるが、進路を封じられたら床に落ちるしかない。
ケーリィムは進路を塞げることにまだ気づいていないらしい。しかし気づくのも時間の問題だ。
どうする、どう勝つ、道は何がある。
遠心力に身を任せるマモン、汗を置き去りにして走る、考える。
木ならば燃やすのはどうか。ダメだ、密室で火事は洒落にならない。
魔物より先にケーリィムを封じるべきだ。
倒す決め手がどうであれ、二対一の状況を早く崩さなければ。
ケーリィム一人ぐらいなら魔法でどうにか――マモンが思ったその時、天井から床へ垂直になぞるように結晶が刺さり、並んだ。
進路が塞がれた。マモンは止まることもできず勢いそのまま結晶の壁に衝突、ボトリと床へ落ちる。
遠心力から解放され重力に迎えられる。
疲れた、そう思う暇もなく結晶が飛んできて、マモンは倒れたまま体を逸らしてかわす。
早く立たねば、そうマモンが右を向けば目の前に結晶が、反対を向けばまた結晶が刺さる。
前方にはケーリィム、左右には結晶の結晶、上部を見れば太い根が。
あ、逃げられない。マモンの心にポツリと浮かんで、ドサッと腰が落ちた。
心臓がドッドッドと喚いて、体が執拗に空気を求めて。視界が霞んで。額から鼻筋にかけて。汗が。垂れる。感覚が。
「こひゅっ、はぁっ、こひゅっ、はぁっ……」
「やっと止まれましたわね、久々の床の味はいかが?」
マモンは一度ゴクリと呼吸を飲んで、笑いながら、しかし瞳は鋭くケーリィムを刺して答えた。
「めっちゃ、冷、たい」
「そう」
ケーリィムが手をかざす。結晶が一本現れる。濃く深い紫色、怪しく光る結晶がマモンめがけて飛んだ。
一瞬にして迫ってくる。マモンは重い体を引きずって体を逸らすが――。
「ぁ、」
強い衝撃が左の腹を貫いた。
真っ白になる世界。バキ、ミシ。体からでているとは思えない、何かが壊れる音が内側から響く。
息が詰まり、左側から焼かれるような熱が広がり、横腹が脈打つ。第二の心臓のようにドクドクと。
「ぁ、う、あっ、あっ……」
どれほど瞼を広げようとも世界は白くあり続ける。見えてるはずのものが見えない、五感の半分以上が消え失せる感覚。
バタリ、全体重が床に預けられる。鉄板のように熱い腹に手を当ててみると、ぬるりとした感触があり、指先が硬いなにかに当たる。
「骨ぇ、飛び出して、んじゃん……」
痛い、熱い、痛い、熱い、気が狂うほどの激痛が思考を噛み砕いていく。
糸がプツンと切れてしまいそうな感覚がして、なんとか気を保とうと呼吸する、吸って、痛い、吐いて、痛い、痛い、痛い。
何度空気を吸っても体へ届かない、吸う度に痛みが胸を走る。
吸った空気が皮や肉を押し出す違和感、そこを触ってみれば胸が僅かに膨らんでいて、まるで霜柱を踏んだ時のよな音がパリパリと、内側から響いている。
肺が潰れたか、穴が空いている。肺から漏れた空気が皮を、肉を膨らましているのだ。
チラリと壁に目をやる。血がベタりとついていて、太い結晶が刺さっている。
かわさなければ体がペシャンコだっただろう。
目が見えなくなってゆく、感触も遠のく、ただ耳がこちらへ近づく足音を感じ取った。
「あらまぁ、酷い有様」
言葉の割に声色は笑っている。なにか言葉にしようとして喉につっかえ、止まる。
「げほっ、がっ、かはっ」
ベチャ、と口から落ちたのは血だ。これのせいで声がだせなかったのだ。
マモンは顔を上げて、恐らくケーリィムがいるのであろう方へ視線を向けてみる。
「げほっ、げほっ、いいの。近づいちゃっ、て」
「あはは、強がっちゃって。今のあなたに何ができて?」
マモンはスーッと息を吐いて顔を下ろして目を閉じる。
横腹は貫通、肺は片方がやられていて肋骨も折れているのだろう。出血が酷いからか五感が霞んで寒い、しかし腹は熱い。
ついには音も遠くなっていく。ヒカが叫び泣く声が水底から聞こえてくるようだった。世界がどんどん遠ざかって、死という真っ暗闇がマモンの体を包もうとしている。
もう死んでしまう、本能から分かってしまうその瞬間は――彼にとっては、何度も経験したものだった。
「――氷塊ぃ」
刹那、ほくそ笑んでいたケーリィムの足元を氷結が襲った。
「冷た、なにっ、なんなんですの!」
下半身が氷に覆われて動けないケーリィム。思わぬ自体に身を捩らせているが氷は溶けない。
「ゲホッ、ゲホッ、痛い……。ケーリィム、氷塊っていう氷の魔法ぐらいは分かるだろ」
ケーリィムの瞳が見開かれた。真っ青な顔で首を横に振っている。まるで生き返った死人を目の当たりにしたかのような――いいや、実際そうなのだ。
「ありえない、ありえない。どうして動けますの? いえ、どうして、複数の系統の魔法を使えますの?」
「系統? 属性みたいな? ごめん、僕頭悪いからさ、魔法の分類とかよくわかんないんだよね」
マモンは立ち上がる。彼が手をかざしている脇腹、血がボトボトと塊のように落ちていく中、淡く白く光っている。
「肺ぐらいなら塞げる。あとの回復は、ちょっと魔素が足らないや」
折れて刺さった骨はある程度抜いて、あとの部分は氷で補強する。
これでも動くための一時的な処置、放っておいたら生きていられない。早く終わらせなければならない。とマモンはケーリィムを睨む。
「どうして、生きておりますの? 生き返った?」
「生き返ろうとも思ったけどさ、ヒカの目の前で死ねない。魔法で延命してるだけだから、そんなバケモノみるような顔でみるなよケーリィム」
マモンはカラッと笑ってみせる。痛々しい彼の体。ケーリィムはウッ、と嘔吐いた。
「魔女、魔女め。白の魔女っ!」
「魔女じゃないって。けど無理の仕方がヒトじゃないのは自覚してる」
「気色悪い、あなた、あなたなんなんですの! 木! なんとしてでもコイツを殺しなさいっ! コイツはこの世界にいていい存在じゃないっ!」
死の際から舞い戻ったというのに、傷は痛み、他人に罵倒され、まだ魔物が立ちはだかっている、あまりに悲惨で絶望的な状況である。
しかしマモンは悲観していない。楽観もしていない。
痛い、辛い、苦しい、確かにある感覚を噛み締めて、だから悲観も楽観もしていられないのだ。
動け、走れ、手を伸ばせ。
目的を達成する機械かのように冷たく前を見据えている。
走る、ともに根がマモンの残像を叩いた。ケーリィムとすれ違いざまに瓶を奪う。
後ろからケーリィムが喚いている。が、知ったことではない。
瓶を揺らすと水の音がする。確かに血が入っている。
足元を根が襲う。共に前から別の根が伸びてきて、マモンは飛んでその根に乗る。
「さっき血を希釈するっていってたよね」
根から根へと飛び乗って天井を目指す。天井に刺さっていた鉈を抜く、襲い来る魔物の根を切り裂く。
「ってことはさぁ」
共に魔法の結晶で周囲の根を薙ぎ払った。天井近く、宙から魔物を見下して、鉈も放って瓶を高らかと掲げる。
「この血、本来は劇薬なんじゃないかなぁ!」
瓶の先をもって投げる、ガラスは青を瞬かせ魔物へ飛び――割れた。
耳をつんざくような叫び。枯れた木の絶叫が部屋を満たした。
シワがよった顔はみるみるまに木に埋もれ、魔物を包んでいた根も縮む。
あっという間に萎れるの域を超え、ついには灰のように散り散りになり、魔物は跡形もなくなってしまった。
マモンが着地した床にはガラスの破片とヒカの血が広がっている。
あれだけ窮屈だった部屋が一気に広くなった。
やっと終わった、そう思うと横腹の痛みが大きくなっていく。
興奮で麻痺していた痛覚が正常に機能していく感覚。
「あっ、あっ、あいたたいたいいたい! えぇなにこれグッロ!」
マモンは己の腹を見て叫ぶ。我ながら今更だと思う。
氷で覆っているとはいえ中が透けて見えていて、折れた骨も全て抜いた訳では無い。
治したのは肺が使えるぐらいの最低限で、息を吸う度に痛むのは変わらない。
「えぇ、なんで僕生きてんの……。まあいいや」
目的は若返りの薬――ヒカだ。あとはレシピだ。この場合、恐らくヒカの血を希釈する方法だろう。
どちらにしろ依頼人にヒカを渡さなければならない。
「……」
マモンは机に縛られているヒカを見る。
しばらく黙って、逡巡するフリをしてその実なにも考えられないまま、ヒカをほどこうと歩む。
「あら、背を向けてよろしくて?」
刹那、突風。ワンテンポ遅れて轟音がしていたことに気付く。
マモンはさっきぶりの感覚に、まさかと力いっぱい振り向く。
「なん、で――」
目の前にはさっきと違う魔物が立ちはだかっていた。それも三体。
何が起こった、そうケーリィムを睨む。彼女の手には血に濡れた手袋がある。
「魔物は小さいですもの、三体ぐらい袖に入りますわ。手袋も回収しないでよく勝った気でいられましたわね!」
ケーリィムが高らかと笑う。マモンは唇を噛み締め、まずはヒカに駆け寄る。
ナイフでヒカを縛っている布を切る。それを彼女の手首に添え、血を拭く。
怪我の回復でほとんど魔素を使ってしまった。それでも身体中からかき集めてマモンは魔法を発動、傷つけられた手首を治す。
「マ――」
「いいかヒカ。僕が道を開くから君は扉蹴り飛ばして逃げろ」
三体の魔物の方へ目を向け、どうヒカを連れていくか考える。
棘がついた茎に覆われている薔薇の魔物。
真っ赤な花を咲かせる魔物。
キノコが束になっていて、見上げるほど大きな魔物。
薔薇の魔物が、その棘でケーリィムの氷を削る。そして脱出してしまった。
「うっわぁ、無理ゲー」
最早笑うしかない。
魔物三体と魔法を使うケーリィム。対してマモン。魔法はもう使えないし、体もいつまで持つかわからない。
振り出しに戻った――いいやそれ以上に酷い。
「まってマモン、マモン!」
走り出すマモンの腕をヒカが掴む。相変わらずの怪力で、逆らえない。
「私の血をかけたらあのバケモノ、消えちゃうんでしょ!」
「だったらなんだよ」
ヒカはその真っ白な腕を差し出す。
「私の、とって」
「自分が何いってるのか、わかってんの」
何となく言われることを察していたマモン。凍った表情をヒカに向ける。
ヒカは一瞬怯えるものの、しかし朝空のように澄んだ瞳で強く見つめた。
ヒカの覚悟は決まっている。
「お願いマモン」
「無理、なんで僕が君のいうこと聞かなきゃなんないんだよ」
マモンはヒカから目を逸らした。
「ヒカ、さっきいった通りだ。全速力で走れ」
「無理、絶対に無理! あんなのマモンじゃ倒せない! 私は大丈夫だから、ねぇ、私の血を――」
「僕が欲しいのは若返りの薬だ。商品に傷がいって買い取られなかったらどうしてくれる。僕は依頼人から絞れるだけ絞りたいんだよ!」
「――」
ヒカが言葉を失う。
マモンの言葉を真に受けたのかそうでないのか、どちらでもいいだろう。
「ほら行け!」
走ってくれさえすればいい、そう彼は目の前の背中を叩く。
ヒカはつんのめってそのまま走り出した。
マモンは視線で床をなで、落とした鉈を探す。案外近くにあったソレを捉えると駆けよって拾った。
「止まりなさい魔女! ださせるわけないでしょう!」
ケーリィムの手から結晶が生まれ、ヒカの背を追いかける。
体から歪な音が響いている感覚。マモンは顔を歪めながら、力いっぱい床を蹴って腕を振り下ろす。
ガキン。結晶の軌道が逸れる。無事ヒカにはあたらず結晶は壁にめり込んだ。
ヒカの行く手を花の魔物が拒む。
方向転換、横腹が痛む。ぐぅ、と声を漏らしながらもマモンはヒカを追い越し、魔物へ斬りかかった。
茎を切り裂いて傷口に蹴りを入れてやる。
痛がれ、苦しめ、悶えろ! 怯め!
マモンの願い虚しく花の魔物は怯まない。痛覚はないようで、幾ら傷をつけても痛がる様子がない。
「くっそ!」
花の魔物に構いすぎている。危機感が背をなぞってヒカへ目を向ける。
キノコと薔薇がヒカに襲いかからんとしていた。
マモンも花の魔物は一旦素通り。
ヒカを襲う薔薇の茎。引きちぎらんとばかりに手を伸ばして、ヒカに届きそうなギリギリのところで斬る。
今度は巨大キノコがヒカに迫る。
届かない。瞬時に判断して落ちた薔薇の茎を蹴る。目の前で浮く茎を、マモンは鉈の腹でかっ飛ばした。
棘が刺さったキノコは怯む。その下をヒカはくぐり抜けた。
扉まで目前、そんな時視界が傾く。
「か、ぁ」
唾が口から漏れでる。花の魔物の茎がマモンを叩いていた。
風きり音、景色がマモンを追い抜き背に衝撃。壁に全身が叩きつけられる。
景色が止まる。同時に呼吸も押さえつけられたように止まる。明滅する視界、遠のく世界の音、体が壊れる音だけが鮮明に響いている。
全身の力が抜けて音も聞こえない。もう体も動かない。
扉に辿り着いたヒカは立ち尽くしている。力を込めてドアノブを掴んでいるのに、彼女の怪力をもってしても扉は微動だにしない。鍵でもかけられているように、完全に閉ざされている。
どうして。襲ってきた不安をかき消すようにマモンは考えた。
どうすればヒカを外に出せる。閉ざされた扉。魔物に攻撃を誘発させて扉を壊すか? いや、ヒカの怪力でも開かないようなら無理だ。
行き止まり、戻って他の道を探す。考える、行き止まり、戻って回り込んで。極小の勝ち筋を見逃すまいと探す、探す、考える。
頭の中で策を探し続ける。しかし手に取れるものはもう一つもない――。
出口もなければ迷路でもない一本道を、マモンは往復しているだけ。もはや思考すら空回る。
意識を扉へ戻す。幼い手が扉にしがみつき、掠れた声でなにかを叫んでいる。
白い髪が荒々しく揺れて、扉へ必死に訴えかけていた。
顔を歪ませたヒカの必死な叫びが耳鳴りによって塗りつぶされる。
視界を影が差したため見上げてみれば、ケーリィムがマモンを見下ろしていた。
邪悪な笑みを浮かべ、楽しむように手をたたいている。
鍵をかけたのはお前だよな――。
当たり前の答えを思う。
マモンは目を閉じた。
息を吸う、吐く、痛い、痛い。
時が凍ってしまったような静けさが心を腐してく。
それでもどこか諦めきれない自分がいて。
こんなとき、どうすればいいのだろう。強者ならどう考えるのだろう。
アイツなら、どうするのだろう。
「せぃ――だい」
こんなときに浮かんだ物。それがよりにもよってあの悪人面で、自分も焼きが回ったものだと、満更でもないながらにマモンは嘲笑った。
ドン。
振動が床から伝わってくる。ドン、ドン、ドン。それは勢いをまして腹の底に響きわたる。
その異常にマモンは目を開いた。ケーリィムも警戒を強めて扉を睨んでいる。異常の源は扉の外だ。
ドン、ドン、ドン、ドン。
「ヒ……カ、離れろ!」
マモンは反射的に叫んだ。ヒカは我に返ったように飛び退く。刹那、全ての音を追い越す衝撃が響く。
重く閉ざされていた扉が破られた。塗料の向こう側をむき出しにした木片が舞う。
誰もが呆然としている中、木材を踏み潰す足音が淡々と鳴る。
現れたのは、一人の男だった。
鋭い眼光と威風堂々とした立ち住まい、鞘に入った剣を担いで大股で歩く。
霞む世界に色がついてきて、その男を視界に捉えたマモンは、大きく息を吸って、目を見開いた。
「どこにもいないと思えば、こんなカビ臭い部屋におられましたか、レーヴェミフィリム夫人」
「あ、あなた、あなたは……」
震えるケーリィムに、男は重くゆっくりと答えた。
「騎士団第十部隊第十騎士団長、玫瑰秋 晟大」
まるで穏やかな川のように、洗練された動きで剣を抜く。骨ばった顎を引き、人相の悪い顔で睨んだ。
「通達通り、武力行使だ」
5.>>11
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.11 )
- 日時: 2024/12/18 07:06
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
5
晟大が踏み込む。重々しい体に相反し、弾き飛ばされたように飛び出した。
「守りなさい、守りなさいっ! 少しでも足止めをおやりなさいっ!」
ケーリィムが髪を乱して指示すれば、魔物三体が晟大へ襲いかかった。
二本の茎のムチ。キノコはその巨体で晟大へ飛ぶ。
晟大はバックステップ。キノコの着地点から飛び退いた。そして一本のムチを剣で斬る。もう一本、向かってくるムチに晟大は飛び乗った。
魔物。彼らは見上げるほどに大きく、茎の源も高くにある。晟大は茎を伝って上へとのぼり――ドスン。後ろの方でキノコが着地する。
彼は茎の主とは逆方向の、キノコの方へと大きく飛んだ。座り込むキノコの頭上、長剣を大きく振りかぶって――一閃。
着地した晟大の背後、キノコの真ん中に一つ線が生まれ、裂けた。中から緑の液体を流してキノコは倒れる。
「いや、いやっ! やめて、お母さん!」
甲高い悲鳴。マモンは視線を変えた。ケーリィムがヒカの腕を掴んでいる。
ワッ、と今までの疲れが吹き飛んだ感覚がして、マモンは勢いよく駆けだした。
ケーリィムの腕を振り払って、縮こまるヒカを守るように前へ出る。
体中が火照って、横腹の氷も溶け始めている。着実に体が壊れている最中、それでもヒカには触れさせまいとマモンは立ちはだかる。
――晟大なら、そうするのだ。
色のない、真っ白な無表情、それでも鬼の形相と呼ぶに相応しい顔でマモンは睨む。
「こんの、そこを、そごをどぎなざいっ!」
髪を掻きむしって叫ぶケーリィム。マモンは冷たい笑みで返した。
「あっは、なにいってんのかわかんないよ、オバサン」
「――ッ!」
肩が外れる勢いでケーリィムが手を掲げる。紫の結晶が現れ、その太さにマモンはゾッとする。体を貫かれたことがフラッシュバックした。
「今度は頭を潰して差し上げますわッ!」
「野蛮ですよ夫人」
唸るような中年の声。ケーリィムがハッと振り向き、マモンも奥の方へ視線を向け、目を見開いた。
真っ赤な花弁が宙を舞い、毒々しい液体が散乱する空間、あれほど猛威を奮っていた巨躯が見当たらない。視線を下に向けてみればあるのは切り刻まれた、魔物三体の残骸。
空っぽになっただだっ広い空間にポツンと、一人晟大が佇んでいる。
剣を軽く振るって鋼についた体液を飛ばす。疲れを感じさせない動作。何事もなかったかのように、晟大はその悪人面でケーリィムを睨んだ。
「なっ……」
マモンが思わず呻いた。ほんの一瞬、目を離した隙に全てが終わっていた。
マモン自身、一体を相手するにも死の淵を走っていたというのに。それが三体――晟大は汗一つ落とさず、日常の延長のように片付けてしまった。
その光景を目の当たりにしたケーリィムはブワッと毛が逆立ち、甲高い叫び声を上げる。共に晟大へ結晶を投げた。
魔法で作られた重々しい結晶は願い違わず晟大に迫り――割れた。いいや違う、晟大が斬ったのだ。
縦に割れた二つの結晶。狙いを失い飛んでいく。
「ひっ……!」
恐怖に顔を歪ませてケーリィムは一心不乱に結晶を生成、がむしゃらに投げる。が、全て晟大が斬ってしまう。
その隔絶した差に圧倒され、ケーリィムはついに戦意喪失。膝から崩れ落ちてしまった。
「ケーリィム・レーヴェミフィリム・フォン・チレアティ。貴殿を違法薬物の所持、製造、並びに公務執行妨害の容疑により拘束する」
「いや、いやぁ、まって、まって!」
晟大によって後ろで腕を縛られるケーリィム。さっきの威勢はどこへやら、情けない声で喚いている。
「そうよ、ねぇ、ねぇ白髪! マモンといったわね!」
助けを乞う視線がこちらへ向く。都合がいいものだとマモンは眉を顰めた。
「私を助けなさい!」
「どっかの誰かさんに腹貫かれた死に損ないが勝てると思う? コイツに」
「見返りなしとはいいませんのよ、アナタ、若返りの薬が欲しかったのでしょう?」
ケーリィムがこれから言うことを予感して、マモンはヒュッと息が止まる。
「私を救った暁には、ともに若返りの薬で商売をしましょう?」
ケーリィムの声は震えている。必死に笑みを取り繕うとしているが、涙で化粧が崩れているのも相まり、その表情は見るに堪えない。
「白髪で仕事もないからこんなことやってるのでしょう? まともに稼げていないのではないかしら」
自分の窮地を逃れたいがための出まかせだ。実に哀れで仕方がない、そう思いたいはずなのに。
ケーリィムの憶測は全て当っていて、マモンの眉間にシワがよる。
「若返りの薬を上手く使えば億万長者も夢ではありませんの、まだ間に合いますわ、マモン、私と共に行きましょう!」
ケーリィムは息を切らしながらマモンに手を伸ばした。
貴族としての気品もプライドも、先程の威勢も見るあともなく、目の前でしぶとく残っているのは浅ましさだ。
こんな口約束にのったって仕方がない。理性ではそう思っているはずなのに、マモンは断りきれず、ただ呆然と固まっている。
それを好機と思ったのだろう、ケーリィムはさらにまくし立てた。
「あなたはどうしてお金を求めていますの? 生きるため? 娯楽のため? 賭け事? 宝石?」
そのどれもにマモンは反応しない。
「あぁ、そう。なら誰かのためね? 家族かしら?」
「一番ありえない」
「ああ! そう、そうなのね! 家族のために稼いでますの、まあ素敵!」
「ち、違うって、勝手に話進めんなよ!」
「なら尚更安定して報酬が欲しいでしょう?」
「違うって!」
マモンの大きくなってゆく喚き声。彼に宿る焦りを見つけて、ケーリィムの笑みは深くなってゆく。
「ねぇ、マモン。私の元で働いてみない? 安定した報酬と、それから衣食住を提供することを誓いますわ。悪い話ではないでしょう?」
「――」
マモンは息を大きく吸って、今日一番、肺が痛む感覚がした。
宵賂事屋には常に依頼が舞い込んで来る訳じゃない。だからこそ毎度依頼人にふっかけているのだが、生活を整えられるほど稼いでる訳でもない。
けれどケーリィムの元で働けば?
安定した報酬と、さらに衣食住までついてくる。白髪である限り手に入らない全てが、ケーリィムによって与えられるのだ。
マモンは俯いて己の両手を見た。雪のように真っ白な手、小さな傷がいくつも刻まれ、ガタガタな爪。
自分の浅い呼吸音が鮮明に聞こえる。ふと顔を上げて目に入ったケーリィムは、笑みが深くなってゆく。
信用できるわけがないだろう、そう理性が訴えるが、掻き消されてしまう。
――金さえあれば。
足が前へ引っ張られる、腕が上がる、手を伸ばす。喉の苦い感覚を飲み込もうとした、そのとき。
「……マモン」
体が止まった。瞳孔を震わせながらマモンは振り返る。
ヒカが不安げに彼のマントを掴んでいる。
薄暗い無機質な部屋で、朝空のような瞳がマモンを刺していた。
逃げるように目を逸らして前を向くと、ケーリィムを縛る晟大と目が合った。
マモンは眉間にシワをよせた。舌打ちをし手で顔を覆う。そして大きなため息を吐いた。
「ねぇ、マ――」
「悪いけど」
最後のひと押しを試みたケーリィムの声がマモンによって遮られる。
「君のその手には――乗れない」
ぎこちない声。顔を覆っている五本の指から紅い目が覗いた。シワがよったその瞳は、彼の葛藤を物語っている。
「どうして、悪い提案ではなかったはずでしょう、ねぇ、どうして! 答えなさいよ、ねぇ!」
ケーリィムは喉が割れるかのような絶叫を響かせた。
認めたくない現実を前に、ヒステリックな声を上げるケーリィム。マモンは覆っていた手を下ろす。肩の力を抜いて、膝まづく彼女に歩み寄った。
「だってさ」
マモンは目を細め、呟く。
「痛いだろ。血ぃ抜かれるの」
俯き、長い前髪で顔を隠しながら、マモンはボソッと零した。
痛いのは嫌だろう。ヒカが恐怖で震えるようすを思い返して、その思いがより一層強まる。
「――それだけのことで? 痛そうだからなんて、たったそれだけの感情で、あなたの家族を苦しめていいと!」
「それだけだよ。あまりにも非合理的でくっだらなくて滑稽でしょうもない、ただの共感」
「飾りにもならないお頭ですこと! 愚図ったらしい判断をして、後悔するわ!」
「君のいうとおり、まーじで損しかしないんだよな」
肩を竦めて呆れてみせる。それでも意思は変わらない。
頭上の晟大に目を移す。晟大の表情は部屋に入ったときから変わることなく、温度のない目でこちらを見下ろしている。
数年前のことだ。
廃墟のような屋敷に忍び込んで、初めて会った屋敷の主にコテンパンにされたあの日。
『一人は寂しい』
目の前の中年が、そう、ぶっきらぼうにオムライスを差し出したのだから。
「そんな損したがりに助けられて、僕の今はあってしまうんだよ」
まるで不服に思っているような言葉。しかしマモンは満更でもなかった。
「白髪の癖に、白髪の癖に……! どうして私は誰も、助けてくれませんでしたの……」
「運が悪かったね。少なくとも、今君を縛ってるオッサンに相談してりぁあなんか変わったんじぁゃないの」
ケーリィムは目を見開いて、細めて、「偉そうに……」と怨嗟を絞り出した。
一区切りついてマモンは鼻息を鳴らす。と、ドッと疲れが襲ってきて、マモンは座り込んだ。
「さて。色々聞きたいことがあるが」
晟大は今日初めて口調を砕いた。彼の目線の先、マモンもムスッとして言い返す。
「こっちのセリフなんですけどぉ。まず何からツッコめばいい? とりあえず、敬語使う君って気持ち悪いね」
「一番に言うことがそれか。その体たらくの割には元気そうだな」
晟大の視線が横腹に移って、マモンは痛いとこ突かれたと顔を歪ませる。
「これでも善戦した方だ。というか君の強さがおかしいんだけど!」
マモンは魔物の残骸に目を移す。もはや木くずの山で、あれがアクティブに戦闘していたとは思えない。
「なに、ちょっと剪定しただけだ」
「にしては原型がないな。形整えるどころか本体までガッツリ斬っちゃってるんだよ」
「じゃあ処した」
「そうだけどな!? じゃあってなんだよ、てかそういう話じゃねーの!」
マイペースな晟大に頭を抱えつつ、マモンは声色を低くする。
「君、騎士団だったの。しかも団長」
騎士団、それはこの世界における治安維持組織。
マモンは眉間にシワをよせる。方足を一歩下げ、警戒態勢で晟大を睨んだ。
宵賂事屋が請け負う依頼は、決して陽のあたる場所で語られるものではない。端的にいえば犯罪代行。
貴族の屋敷に侵入しているマモンは処罰対象だ。
そもそも白髪である彼にとっては犯罪以前の話なのだが。
マモンにとって騎士団とは天敵のような存在なのだ。
その組織の団長が、今まさに目の前にいる。しかも規格外に強い。
本調子のマモンでさえ敵わない相手を今相手にすれば――。
したくもない想像にマモンは顔を歪め、晟大を見る。
晟大はじっとマモンを見つめる。表情はピクリとも動かず何を考えているのか読めない。
その不気味さが胸にじわりと嫌な重みを落とす。
「そうだが、なんだ」
晟大の肯定に、マモンの肺がビリッと傷んだ。
どこぞの闇組織のボスかと思っていたが、まさか正反対である騎士団の幹部なんて思うまい。
身近な人物が敵になり得るのであれば、マモンの生活基盤がすべてひっくり返ってしまう。
宵賂事屋の事務所は晟大から借りている部屋だし、今まで請け負ってきた依頼内容も一部透けている。
そんな人物が騎士団として、マモンを取り締まろうとしてきたら。今まで築き上げてきたものが全てパーである。
「目の前の白髪が絶賛犯罪中、何もなくはないでしょ」
冷静を装っているつもりだったが、いざ言葉にすると声が震えてしまう。
そんなマモンを見て晟大は肩を竦め、鼻息。
「今更が過ぎるだろう」
「それは僕も思ったけど……。至近距離に天敵がいるとなっちゃぁ警戒せざる追えないわけで」
「そもそも、宵賂事屋が始まって何年目だ」
しばらく沈黙してマモンは答える。
「三年」
「ワタシは三年見逃していることになる」
「そっ、そーなるけど……」
「まさか怖気付いたか?」
今までの機械的な表情が一変、晟大が挑戦的な笑みを浮かべたもので、マモンは思わずムッと言い返す。
「まさか」
会話の調子がいつものものになってなんとなく安心する。
晟大はマモンを捕らえる気がないらしい。しかし何故。
騎士団長なんて肩書きの人物が目の前の犯罪者を野放しにしていい訳がない。怪訝なマモンが何かいう前に晟大が口を開いた。
「ワタシの所属する第十団は表沙汰にできない案件を扱う、まあ特殊部隊みたいなものだ。ちゃちな違反に構っている暇はない」
「ああ、だから」
晟大はここに来たのか。マモンは心の中で続けた。
若返りの薬なんて危険薬物は表沙汰にできない。しかし放っておくにはあまりにも危険すぎる代物。だから第十団と、その団長がわざわざここへ来たのだろう。
「けど白髪はどーなのよ。表沙汰にできないし、下手したら若返りの薬よりも厄介案件よ?」
「それは、だな」
晟大が珍しく目を泳がせる。剣の鞘で地面をカンカンと鳴らし回答に迷う。
「……命令されてない」
明後日の方向を向く晟大に、ブハッとマモンは吹き出した。
「ダッハハッ! もしや君、思ったより悪い子だな?」
「やめろ。中年に“子”は、なんだ、その。厳しい」
「僕も言ったあとに思ったよ」
湧き出る笑いを堪え、あーあと長いため息を吐いた。
これで対処すべき脅威は去ったと、マモンは肩の力を抜いて、改めて晟大に目を向ける。
「だが」
マモンが息を止めた。晟大の重々しいたった二音で毛が逆だった。マモンは身構える。
「そっちの白髪は別だ」
晟大の視線を追って、不安げな顔のヒカを見た。
「なんで、僕も同じ白髪だぞ」
「しかし今回の一件、原因はレーヴェミフィリム夫人だが源は、その白髪だろう」
ひ、とヒカが悲鳴を漏らして、マモンは彼女を守るように立つ。
「んや? この子は突然生まれたただの白髪。若返りの薬とは無関係だ」
違う、とヒカが言いかけたのでマモンが睨んで制す。ヒカは気圧され、戸惑いながらも、マモンの意図を汲み取って口を閉じてくれた。
しかし、床に這いつくばるケーリィムがクツクツと笑う。
「それを私の前で言いまして?」
「黙れ」
マモンの鋭い拒絶にケーリィムの笑いが高まる。
今のケーリィムは為す術がもうないからか、何をするにも躊躇がないように思えた。
マモンは向けられた嘲笑にゾッとする。彼の瞳から恐怖の色を感じ取ったのであろう。ケーリィムは活き活きと語り始めた。
「ええ、若返りの薬の源はこの魔女! 血を希釈すれば、腕の一本なんて簡単に生えるぐらい強力な薬ができますの! 希釈度合いを調整すれば寿命を伸ばす薬にも万能薬にもできる! ええ、全てはこの魔女による恩恵ですの!」
「――お前」
ベラベラと全てを語ったケーリィム。ここまで赤裸々とされてはマモンも隠し通せない。
「何をそんなに焦った顔をしておりますの? マモン」
「怒ってんだよ」
マモンの返しにケーリィムは大きく笑った。
「あらぁ! それは悪いことをしましたわぁ! でも、どっちみち嘘は通りませんでしたわよ?」
床で芋虫のようにウネウネ這いつくばるケーリィム。マモンは頭が爆発するかのような怒りに襲われ、それがケーリィムの思うツボであることも分かって、更に頭が熱せられる。
「第十団の団長が、鬼の存在を知らないはずはないでしょう? そしてその血の性質も。端から茶番でしたのよ!」
「――あっそ」
唸るようにマモンはこぼして、ケーリィムに歩み寄る。化粧で汚くなった顔面とボサボサの紫髪。
ケタケタと笑う浅ましいその顔面目がけて、マモンは足蹴りを――
「マモン」
剣鞘が彼の足を止めた。長い前髪の隙間から、ギロッとマモンは晟大を睨む。
「何」
「女性は丁重に扱え」
「ほっ、ざけ!」
ヒートアップするマモンに対して、晟大は置物のように微動だにしない。
破顔しているマモンをただジッと見つめる。晟大との温度差を覚えたマモンは、悔しそうに顔を歪めながらも、ケーリィムへ向けた足を下げた。
「ていちょうに、してくれるのですか?」
そう前へ踏み出したのは後ろに隠れていたヒカだった。言い慣れない言葉をたどたどしく復唱して、ヒカは晟大へ視線を向ける。
彼の悪人面を向けられ、一瞬肩を震わすもヒカは下がらなかった。
「約束しよう」
晟大の優しい声色に、ヒカは安堵したように息を吐いた。
「では、私を捕まえてしまってください」
「ヒカ」
マモンの威嚇に等しい呼び声。ヒカは怯え、しかし「なに、マモン」と返す。声は震えていてぎこちない。
なんで返すんだよ。と、マモンはヒカの勇気に怯んでしまう。
6.>>12
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.12 )
- 日時: 2024/12/18 07:08
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
6
「あっははっ! バカな子! 白髪が丁重にされる訳がないのに! まあ、逃げることももうできませんものね!」
「そうだな」
床から割り込んできたケーリィムに、晟大は賛同してしまう。
どこまでも意地汚いケーリィムだが、それでも彼女はヒカの母親であった。
ヒカはギュッと服の裾をつかみ、唇を噛み、母の心ない高笑いに涙を堪えた。
ブチブチブチ、と堪忍袋の緒の束が一気にちぎれる感覚が、マモンの中で激しく鳴った。
「ケーリ――」
「失礼」
マモンが名を呼びかけ、それを晟大が遮った。
晟大は鞘に収めた剣でケーリィムの後頭部を正確に打撃した。
途端にケーリィムは脱力し、姦しい声がパタリと止んだ。気絶したらしい。
「……女性は丁重に扱わなきゃなんないんじゃないの」
「丁重に眠ってもらった」
打撃は丁重じゃないだろう、と言いかけてマモンは口をつむぐ。それどころじゃないのだ。
「では、ワタシは仕事に戻る。君、名前は」
晟大がしゃがみこんで名を聞く。
「……ヒカ」
「ではヒカ。一緒に来てもらいたい」
晟大が、その骨ばった手を差し伸べる。ヒカは一度ギュ、と目をつぶって、ゆっくり開いて。震えながらも決意のままに、その小さな手を伸ばした。
「あのさ」
と、マモンがヒカに手を重ね、止める。二人の視線がマモンに集中するが、マモンは目を泳がせるばかりで何もいわない。
「えっと、マモ――」
「あのさ!」
ヒカの声を遮るように、マモンが大声で繰り返した。
「化け狸って、魔物が、その。いてさ」
「えっ?」
ヒカの戸惑いをよそにマモンは話を続ける。
「体に魔石――魔素が詰まった石が生える時期があって、採れるんだってさ」
「……え?」
ヒカの戸惑いがより一層強まる。しかしマモンは止まらない。
「大陸の間にある海はさ、流れが強すぎるのと、凶暴な魔物が多く生息するから船で渡れないんだ」
「えっと」
「だからその地下にある世界最大の迷宮を使って移動してて、迷宮には鉄道も通ってるんだ」
マモンの意味不明な言動。しかし彼の聞いて欲しいという熱量だけは伝わったらしく、戸惑いの表情を消して、ヒカはジッとマモンを見つめた。
「あと、世界の果てにはでっかい氷の壁があるらしい。絶対に溶けないし、壊れても再生するから、誰も向こうにはいけない、って」
「うん」
「えっと、年に一度、世界中ででっかい祭りがあるんだ。月白祭っていって、白の魔女との争いが終わったことを祝う、らしい」
「そうなんだ」
ヒカはマモンの話に思いを馳せ、笑みをこぼした。しかし今生では見ることができない景色の話に、ヒカは俯き、寂しそうな色を覗かせた。
「最後に、教えてくれてありがとう。マモン」
ゆっくりと顔を上げたヒカ。眉を少し下げながらも、優しい笑みが広がっている。
マモンは目を見開き、驚き。そうじゃないと表情を歪ませる。
「違う、じゃん!」
キョトンと首を傾げるヒカ。
自分の気持ちが伝わらないもどかしさと、けれど口にはだしたくない意地がせめぎ合って、マモンは視線で晟大に助けを求める。
晟大は冷ややかにマモンを見下ろしている。この場で助けを乞うことそのものを責められている気がして、マモンは髪を掻きむしる。
「だ、だからさぁ! そんな顔する、ならさぁ!」
指に引っかかった毛を払って、視線を泳がせて、息を止めて。意地の隙間から顔をだして、マモンはヒカと視線を合わせる。
「行きたくないって、いえよ……」
ヒカは呆然とマモンを見つめ返した。
「君が、君が晟大と行きたくないっていったら、僕はっ、僕はさぁ、動けるんだよ! 行きたくないって、そういえよ! 外に行きたいっていえよ……!」
頭を降って身を捩らせて、マモンは訴えた。
「違うから、僕が君を連れ出したいとかじゃっ、そんなんじゃないから! 僕は宵賂事屋だから! 客を逃がしたくないだけだからっ! そう!」
誰もなにもいっていないのにマモンは言い訳を始める。
「どっち道依頼は失敗。だから僕は仕事が欲しいわけで……」
声はだんだん萎んでゆき、最後にはマモン自身も聞こえなくなるほどか細いものとなった。
回答に迷って、ヒカは助けを乞うように晟大を見た。
「仮に逃げたとして、第十団は逃がすつもりはない」
僅かな希望をかき消すような晟大の言葉。ヒカは「そうですよね」と苦笑し、俯く。
「まあ」
あさっての方向を向いて晟大は続ける。
「ワタシはここ数日激務が続いていて、二日ほど睡眠をとっていない」
晟大のカミングアウトに戸惑って、ヒカは首をかしげる。
「だから、なんだ。早く寝たい」
「そ、そうですか……」
結局意味がわからなかったヒカは、そう返す他ない。マモンは鼻息を吐いていう。
「要は見逃すってことだよ」
「えっ、どうして? ただ眠たいだけじゃ……」
「早く寝たい。早く仕事を終わらせたい。けど白髪が事件に絡んでいたとなれば、もっと仕事が増えてゆっくりできない。だから見逃しても仕方がないよなっていいたいの、コイツは」
「えっ、えぇ!?」
にわかには信じ難いマモンの意訳、驚くヒカは訝しげに晟大を見る。
晟大は否定も肯定もせず、ただ顔を背けて何もない壁を見つめている。
マモンが「いった通りだろ?」とでもいいたげに片眉をあげて、ヒカは更に目を見開いた。
「で、どーすんの。依頼、すんの」
不貞腐れながらマモンが聞く。
ヒカはすぐに答えられず、口を開いては閉じて、黙って。不安げな顔で尋ねる。
「外は、暖かい?」
「知らん」
冷淡な声が返ってくる。
「まあ、少なくとも本物の暖炉はあるよ」
朝空のような瞳は、パッと曇りが晴れて潤いが満たされる。
「行く、行きたい、行きたい! 宵賂事屋、連れてって!」
高鳴る声と共に、ヒカは念押するように何度も何度も口にする。
期待以上の反応に自然と口角があがる。それを悟られぬよう、マモンは慌てて口に手を当て、
「まいどあり」
そうニヤリと、笑みの意図を逸らした。
「して、マモン。先の通り、第十団は白髪を逃すつもりはない。生半可な考えでは逃げられないぞ」
「えっ」
ヒカが不安げに晟大を見上げる。
「だろうね。皆が皆白髪を見逃してちゃぁこっちが心配になるよ」
マモンは片目をつぶり、皮肉まじりに笑った。ヒカはみるみる間に不安げな顔となり、「大丈夫なの?」と震える。
「さぁ、どーだろう。晟大、朝まであとどれぐらい?」
マモンが軽い調子で晟大に尋ねる。飄々とした彼の態度がかえってヒカの不安を煽る。
「もう日が昇っていてもおかしくない頃合だ」
「よし、じゃあいこうかヒカ」
「え、ちょっ、ちょっと待っ」
動揺した声が漏れる。しかしマモンが陽のようにふわりと笑って、らしくない彼にヒカは息を呑む。
マモンは彼女の手をぎゅっと手を握って、
「暖かいもの、見に行こう!」
自信たっぷりな、爽快な声を響かせた。
◇
晟大が壊した扉から二人は駆け上がり、これまた彼が壊したのであろう壁から廊下へでる。
窓からは立地的に光が入らないようになっている。しかし薄明るい景色から陽が登り始めていることが分かった。
角を曲がると――
「白っ……!」
男二人が。道を守っていたようにも見えた二人は、守るべき方向からの足音に振り向き、いち早くマモンの白髪に目がいく。
その道の先にもまばらに人がいる。みな用心棒とは違う制服を着ていて、騎士団員かとマモンは思う。
ヒカがヒッ、と声を上げた。振り向くと顔が強ばり手から震えが伝わってくる。
吸血鬼ということもあってか走るのが速いが、持久力はないようで、悲鳴のような呼吸音が聞こえてくる。
「歯ぁ噛めよっ!」
マモンは叫ぶとヒカの足を引っかけ、横に抱いて走った。
ヒカが驚いて目を白黒させるが、今は彼女に気遣ってやれる余裕がない。悪く思うな、そうマモンは前を向く。
騎士団は一瞬マモンらの白髪に怯むが、それがなんだと雄叫びをあげて剣を掲げ、一斉にマモンを追いかける。
晟大が特殊部隊と呼ぶだけはあって、彼らは白髪に怯えるどころか気迫を増している。
流石のマモンもこれには冷や汗。更に今のマモンは怪我を負っていて思うように走れない。
「腹だ! 氷の腹を狙え!」
騎士団もいち早くそれに気付く。マモンは眉間にシワをよせた。
身軽なマモンにとって屋敷の廊下は庭のようなもの。狭い空間を駆け回って相手を錯乱させる。そんな彼に今まで追いつけたものはいない。
だが今回は訳が違う。
相手は数々の危地を潜り抜けたのだろう騎士団だ。マモンの動き程度に惑わされなかった。
足元を潜り抜けよう物なら上から剣が刺す。飛ぼうものなら飛び先に刃がまっている。剣の腹を背で転がるように飛びよけ、しかし着地点には剣を構える者が。
「――ッ!」
かわせない。魔法は。使えない。受けるほかない。
ガシャン。割れたような音がする。
薄い光、反射する氷、廊下に飛び散る光。
氷で塞いでいた傷口を剣が叩いた。
肉を抉られるような痛み。衝撃。マモンは歯を食いしばる。
――ヒカを傷つけるわけには行かない。
ふと浮かび、マモンは衝撃に身を任せる。そのまま体を捻って一回転。壁に足をつけて床へ着地。体制を整え直した。
騎士団の完璧なまでの即興な連携。狙ってくるのも無防備な空中だ。
『生半可な考えでは逃げられないぞ』
さっきの晟大の言葉が浮かぶ。
「分かってた、けどさっ!」
ここまでとは思うまい。一先ずは群れを抜けた。しかし足音は数を増やし追いかけてくる。
先程は群れといえど少人数であったから助かった。しかしこの足音全てに追いつかれれば――。マモンは唇を噛む。
幸いは腹を狙ってくれたことだろうか。抉れた肉を塞いでいる氷。それが盾となってくれた。
だが次はこうもいかない。今度の相手は別の急所を突いてくるだろう。
今までの相手とは訳が違う。
逃げられるのだろうか。一抹の不安が浮かぶ。逃げられなければ、どうなる。捕まったら何をされるのだろう。何を言われるのだろう。宵賂事屋はどうなるのだろう。いつもなら湧き出ることのない恐怖。しかし今日は別だ。
致命傷になりかねない怪我。追いかけてくるのは国家機関。今まで以上に強い敵の数々。
ドッドッドッドッ、ドッドッドッ。
心臓の音。呼吸。喉のヒリつき。焦燥感が食道を圧迫する感覚。
と、肌から伝わる脈動。マモンはハッと下に顔を向けた。
ヒカがギュッと目をつぶって不安げに、しかし力強くマモンにしがみついていた。
「ぁ」
マモンは息を吐いた。
吐いて、吸って、わんわんと響く足音を噛み締めて、前を向く。
絶対に離してはならない。足を止めてはならない。そうマモンは強く、強く床を蹴る。
だって、可哀想だろう。
適当な命名に目を輝かせるアホ。泥棒に心を許す愚図。本を破かれた程度で泣く泣き虫。そして、自分の血を差し出せてしまうお人好しなバカさ加減が――だれに知られることもないなんて。
「周りこめ! 前と後ろ、横からも挟め!」
「白髪に壁を走らせるな! 走らせるぐらいなら叩きつけろ!」
前からも騎士団がやってくる。目的の部屋まであと少し。一息で越えてやろう。
郡勢とぶつかる前に、マモンは勢いそのまま壁を駆けた。すかさず騎士団がマモンの下に潜り込む。剣を掲げ進路を妨げた。まってましたといわんばかりに今度のマモンはぐるりと天井へ。
天井までは剣も届くまい。しかしマモンも長くはいられない。体をそらし道の角を曲がる。誰もいないその先でやっと着地した。
「よし!」
騎士団の喜び。それもそう。この先は行き止まりだ。きっと彼らの作戦のうちだったのだろう。追いかけてくる足音も緩やかになってゆく。
マモンはスピードを緩めることなく駆ける。
静かになったからかヒカが顔を上げ、呟く。
「あ、ここ、知ってる」
息をするのも苦しい中。マモンはなんとか声を出した。
「うん、君の、部屋」
一番奥、開きっぱなしの扉へマモンは飛ぶように入り、バタンと閉じた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、きっつー!」
マモンは扉にもたれかかり、ズルズルと座り込んだ。ヒカはマモンの足の間に座り込むことになり、申し訳なさそうにどいて、ギョッとする。
「こんな、酷い傷だったの? 体も細くて、骨が透けてる……」
ヒカがまじまじとマモンの体をみて顔を歪める。そういえばずっと月夜の下でしか会っていなかったな、とマモンは思い出す。
「肋が、浮き、出てるのは、元々だ……」
ハイテンポな呼吸をゴクンと、一呑みし、はぁっと大きく息を吐いて、整える。
マモンはゆっくり部屋を見渡した。
証拠隠滅のためピカピカにしたマントルピース。本棚と、椅子は丸々一つなくなっている。部屋の隅に視線を向けると日陰で、カーテンだったボロ布が敷いてある。
「マモン、もしかして窓から飛び降りるの?」
「うーん、惜しい。三マモンポイント」
「えっ、なにそれ?」
「特に意味はない」
ヒカは目を見開き、顔を歪ませる。不安を煽られたらしいヒカは泣き声混じりに訴えた。
「そういう、大事なときにふざけるの、よくない……!」
「ふざけてないよ。通常運転だ」
「いつもからふざけてるの! 騎士団の人が来るよ!」
「そー急かさんな、お嬢様」
焦るヒカとは対象に、マモンはマイペースに会話を返す。部屋の隅にあるボロ布を捲り上げ、よしと言葉をこぼす。
「ねぇ、ねぇマモン!」
足音が大きくなってゆく。ヒカが泣きそうな顔でマモンにしがみつく。それは裏切られそうな期待への不安であり、マモンはチクッと罪悪感を覚える。
「大丈夫だから、こういうときこそ冷静になるべきなんだよ」
「マモンは冷静なんじゃなくて、いつもと同じなだけでしょ!」
いつも冷静ってこと? といつものように返しそうになるが、それこそヒカの言う通りになってしまうからとマモンは口を紡ぐ。
「で、だ。こっからどー逃げるかだけど」
「話、逸らさないでよ!」
「ごめんって、真面目にやるから」
ずっと真面目ではあったんだけど。マモンはこれも心に閉まって、窓の外を見た。
「窓から飛び降りるのは君の言う通り、けどそれじゃあダメだ」
「……どうして?」
「あの騎士団強いし賢いし、僕と一緒に窓から飛び降りてきそうなんだもん」
「えっ、逃げられるの?」
「無理。本調子の僕なら可能性あったけど、さすがに今はね」
マモンはお手上げ、と両手をあげて自嘲気味に笑う。
「ど、どうするの? もう逃げられないの? 外に連れてってくれるって言ったじゃん!」
「うん、連れてくよ」
「どうやって!」
叫ぶヒカ。ついには涙が零れ落ちはじめてしまった。マモンは調子を変えないままマントを脱いで、ヒカに被せる。
いつもの、色のないマモンの表情。飄々としていて掴みどころがなく、何を考えているか分からない。
ただマモンは開けっ放しの窓の外を見て、落ち着いて話す。
「今日騎士団から逃げたって、生きてる限り明日、明後日と僕らは探される。そうなれば宵賂事屋もやってられなくなる」
「――え」
「一筋縄ではいかない。分かってたつもりだったんだけどな、ここまでとは」
まるでここで終わりのような、そんなマモンの言葉に、ヒカは呆然とする。マモン。そう彼女が呼びかけたとき、カッと強い光に照らされて二人は目を細めた。
陽が登る。
薄い空はみるみる濃くなって、朝焼けが遠く向こうへ消えていく。ヒカは思わずマントを頭から被った。白髪は光に弱い。ヒカも例外ではない。
「朝って好きじゃないんだよね。明るいのに月がでてるんだよ?」
意図が分からないマモンの言葉。ヒカは黙っている。光がでてるから動きたくないのか、マモンに失望して、もう口も聞きたくないのか。
「月は嫌いだ」
「……私と同じこと、思わないで」
「君も月は嫌いか」
マモンはフッと笑った。
「僕もだよ。だって――」
ドン、と扉が叩かれた。何度もドン、ドンと叩かれ、音も次第に重くなる。騎士団員らが体当をしているらしい。
元からあった魔法の鍵はかけておいた。しかし破られるのも時間の問題だ。
それでもマイペースにマモンは背伸びして、縮こまるヒカにいった。
「んー! っと。さ、そろそろ行こうか!」
「行くって、どこに……?」
マモンの緊張感のなさにヒカも変だと思ったらしく、チラッと顔を出した。
マモンは部屋の隅にあったボロ布で、その下にあったものを包み込む。
7.>>13
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.13 )
- 日時: 2024/12/18 07:11
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
7
「ヒカ、知ってる?」
「な、なに?」
「吸血鬼ってさ、陽にあたったら」
朝日が一番照り込む窓の前。マモンは布の中身をそっと置き、無事床におけたことを確認するやいなや、布を勢いよく振り上げた。
「灰になって死ぬんだって!」
舞い散る、舞い散る、舞い散る。
白髪が空を反射して青く光る。そのマモンの顔。綺麗な唇が弧を描き、ゆるく目尻がさがり、積雪のようなまつげが揺れた。
朝に溶けてしまいそうな彼を、ヒカはどうすることもできずぼうっと眺める。
「一緒に死のうよ、ヒカ!」
扉の向こうに聞こえてしまいそうなほど、高らかとマモンが叫ぶ。
それは朝空のような爽やかさで、未練などまるで感じさせない。
陽にあたって真っ赤な頬と共に、マモンは目を細め、笑い、手を伸ばした。
◇
扉が壊れ、騎士団が一斉に部屋へなだれ込む。かろうじて繊維でつながった木片が、踏まれ、ちぎられ、ギィギィと悲鳴をあげるのもつかの間、ピタリと音が止んだ。
ともに団員たちのどよめきが広がって、徐々に戸惑いの声となる。
「逃げたのか?」
「窓から飛び降りたんじゃ?」
「ではこれはなんなんだ」
「死んだってことですか?」
「そんな訳が――いや、しかしな」
数々の声が飛び交う。しかし考えはまとまらないまま、戸惑いが戸惑いを呼んでいた。
「状況は」
一つ、一際重く響く声が放たれ、場は水を打ったようにしんと静まり返った。
一人の男が現れる。団員は機敏な動きで、人で敷き詰められた空間に道を作った。
「は! この部屋に二匹の鬼を追い詰めたところ、行方を暗ましました」
「逃がしたのか?」
「私たちでは判断し難い状況であります。団長は、どうお考えでしょうか」
男――晟大は、部屋の様子にその目を細めた。
薄汚いカーペットと今にも崩れそうな家具たちと、開け放たれた窓。
舞い散る。
色彩薄い朝に降り注ぐ。
舞い散る、舞い散る。
雪のように、しかし雪より軽く、汚く。
舞い散る、舞い散る、舞い散る。
それは光に照らされ、静かに空気を漂っている。
晟大が歩み寄ると、それはふわりと、円を描くように舞った。
「――灰だな」
晟大の呟きに、団長の一人はえぇと返す。
「部屋に入ったときにはもうこの状態で――」
「みなは何故、判断を迷っている」
その問いに団員たちは顔を見合わせる。おずおずと一人の団員が前へ出た。
「鬼が逃げたのか、灰となって死んだのか判断し兼ねておりました」
「ほう。確かに、鬼は陽の光に弱いといわれているが……。この灰が鬼のものと決まった訳ではないだろう」
「それが……。扉を破る直前に、鬼がまるで心中を図っているかのような事をいっておりまして」
「何といっていたんだ」
「『一緒に死のう』と」
「……そうか」
晟大は外を眺める。空はすっかり濃い青だ。冷たい風が吹き、灰が飛び散る。
団員らは晟大の動向にゴクリと息を呑む。しばらくの沈黙の後、晟大は一つ息を吐く。
「みな、よく聞け」
張った声とともに振り返り、団員たちの背筋が伸びた。
「鬼は灰と共に消えた。よって、任務は終了となる! レーヴェミフィリム夫人は別の班が連行している。事後処理担当は直ちに持ち場につくよう。それ以外の奴は解散!」
沈黙。しかし言葉の意味がジワジワ広がり、場はワッと盛り上がった。
ゾロゾロと人がはけていく中、一人の団員が晟大に声をかけた。
「団長、それは本当に、吸血鬼の灰なのでしょうか……?」
晟大はジロリと団員を見る。しかしすぐ目を逸らし、遠くの方をぼうっと眺めた。
「ワタシの判断が間違っていると?」
「とんでもない」
「なら早く帰れ。処理班の邪魔になる」
団員は怯えつつ、敬礼をしてそそくさと去っていってしまった。
部屋に誰もいなくなったところで、晟大はフンと鼻息。灰の中に足を突っ込んだ。ぼき、ばきと壊れる音。完全に燃えていなかった木を、晟大は足ですり潰す。
「詰めが甘い」
そう晟大は足を払い、部屋を後にした。
――朝の陽が、あたる下でその灰は散る。
◇
「あっはははっ!」
雲ひとつない、濃い青が広がる空。蜃気楼のような淡い白が、屋根から屋根へと飛び移る。
「僕ら死んじゃったね! あっははは!」
マモンが楽しそうにピョン、ピョンとジャンプする。そんな彼の腕にはマントに包まれたヒカが。ヒカは白昼夢でも見ているように呆然としている。しばらくしてハッと我に返り、不満を訴えた。
「何アレ! どういうことなの、説明して!」
「簡単だよ。前に僕が部屋に火をつけたことあったじゃん?」
「私の本を燃やした……」
「ごめんって……。で、ケーリィムに火の後が見つかれば不味いから、魔法で証拠隠滅したんだよ。煙とか臭いとかね。けど灰は処理に困ってさー。見つからないことを願って部屋の隅に隠してたって訳。あ、ちゃんと今日回収するつもりだったよ?」
「その灰を使って……?」
「うん。吸血鬼は陽にあたったら灰になってる死ぬって本で読んだから、騙されるかなーって思ってやってみたら本当に騙されちゃったよ」
アホだよねー! とマモンはケタケタ笑う。まるでイタズラに成功した子供のようだ。
「アホ、なの? どうして?」
「うん。だって吸血鬼は陽に当たっても死なないもん」
「そうなの!? なんで!」
「いや、普通に考えてありえないでしょ。陽に当たって灰になるとか」
「え、え……?」
マモンが急に当たり前の事をいうため、ヒカは返答に困ってしまった。
「昔からある迷信だよ。白髪が陽に弱いのは事実だから、そっから広がったのかもね。もしくは、誰かさんが創作話を広げちゃった、とか」
「マモンは? 陽の光は平気なの?」
「いや? 全然。帰ったら水膨れすごいと思うよ」
「だ、大丈夫じゃないじゃん!」
「腹えぐれてるから今更今更」
「お腹、それ、治る?」
「治るよ。君の手首を治したみたいにね。さ、着いたよ。布とって。大丈夫だから」
マモンが降ろすと、ヒカはおそるおそるマントから顔を出した。
「あ、頭はあんまださないでね……」
シーッとジェスチャーをするマモン。彼はヒカの目の色とおなじ、薄い青色のカツラを被っていた。片方の目は眼帯で隠している。
ヒカは髪をださないようにマントを被って、周囲を見渡す。
明るく、眩しい。しかし日差しは強くない。
そこは露店街で、店の庇が場所を奪い合うように通りを埋めつくしていた。
香辛料や焼き菓子の匂いが、喧騒とともに鼻をくすぐる。人と肩をすれ違わせるほどの混雑ぶりで、争いの声もまちまち聞こえる。
「ここは――」
「迷々街。で、ここは宵賂事屋」
他と比べるとボロい、石造りの建物をマモンは指さした。彼は上の方を指していて、ヒカは見上げるが庇しか見えない。
マモンは建物の脇にある階段をあがる。ヒカもついて行って、あがりきった先には扉があった。
「ねぇ、マモン。私、これからどうすればいいの……?」
マモンが扉を開ける前、ヒカが不安げに呟いた。マモンはキョトンとした顔をしたのち、うーんと唸る。
「君も一応貴族だしなぁ。どーなるんだろ。君の父親次第じゃない?」
「父親……そんなの、本当にあるの?」
「うん、あるんだよ。父ないと君もないから」
父親、とヒカは馴染みのない言葉を繰り返す。喜んでいる様子もなく、ただ不思議な感覚を確かめているようだった。
「騎士団、というか晟大がどう処理してくれるかによるね。ま、行く場所なかったらウチにこりゃあいいよ」
「ウチ?」
「宵賂事屋」
「……いいの?」
「条件はあるけどね」
「条件?」
ヒカが小首を傾げる。うん、条件。とマモンはまた繰り返して、ズイッと手のひらを差し出した。
「依頼料。払って」
マモンの唐突な要求。いつもなら戸惑うヒカだったが、
「……え!」
今回ばかりは心当たりがあったのか、口に手を当てハッとしている。
マモンが彼女を連れ出したのは依頼としてであり、ヒカは分かった上で頼んだのだから。
「外に連れ出すって依頼をこなしたんだからさぁ、相応の対価は払って貰わなきゃねぇ?」
「えっ、えっと、私、今なにももってなくて……。あ、ち! 血! 血!」
ヒカがその真っ白な腕を差し出してきてマモンは面食らう。
「あ、ちょっとそれはいらないっていうか。あの、からかってるだけだから! そこまで真に受けないでくれない!?」
「対価払わなくていいの?」
「ちょっとウチ、ダイレクト血液決済は対応してなくてですね」
「それじゃあ、私、何もできないけど……」
俯くヒカ。マモンはクスッと笑って
「そんなことないよ」
とヒカの頬に手を添え、前を向かせた。ヒカは、他に何があるのかと目で訴える。
マモンは微笑みで返し、そして宵賂事屋の扉を開けた。立て付けが悪く、ギィッ、ギィと悲鳴のような音が鳴る。
石造りで無機質な部屋と汚い絨毯。大きな机と、それを挟むようにソファが置いてある。その片方には男が座っていた。
「おぉ! 遅いではないか、宵賂事屋!」
小綺麗な服を着る男は、待ってましたといわんばかりに手を広げ、マモンを歓迎する。
マモンは笑顔を貼り付けて何もいわない。
「報酬を上乗せしようと思ってな! 製造の主もついでに殺してはくれまいか! さすれば、若返りの薬は真に私のものとなり、この王都の経済を――」
「ヒカ」
マモンの凛とした声が男の理想を遮った。笑みを消し、無表情。温度のない目で男を見て、
「対価はな――この男を追い出すことだよ!」
男に襲いかかった。
「えっ、ちょっマモン?」
「何をする!」
「うるさい! 大人しく帰れ!」
「なんだと! 私は報酬の上乗せに来てやったというのに!」
「そんな金あったんなら前金を用意しておくんだったなァ!」
「マモンっ、私、どうしたら……」
「自慢の怪力でこの男を投げ飛ばせ!」
「キサマァ! 無礼にもほどがあるぞォ!」
「宵賂事屋に依頼するような奴に礼なんてねーわぁ!」
街が目を覚ます朝。迷々街にはいつもと変わらず喧騒に包まれている。
その日、初めて外に出た少女は世界に胸を踊らせた。そして、いい加減なマモンによって喧嘩に巻き込まれ、やっぱり不安になってしまった。
「も、もう若返りの薬は、ありませんからぁー!」
ヒカは、不憫な外出デビューを果たすこととなってしまった。
終