ダーク・ファンタジー小説
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- 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている
- 日時: 2026/02/03 21:36
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
かなり長編(になる予定)のやつです。前から執筆をしていたものですが、まだ完結していません。
結末はまだどうなるかはわかりませんが、毎朝出す予定(今回こそ)なのでぜひチェックをお願いします。順番がめんどくさいことになっているので、このページの目次から移ることをお勧めします。
第一部 忘却の監獄編 >>1-15
第1章 春の砂塵 >>01
第2章 完璧な教室 >>02
第3章 清められた傷跡 >>03
第4章 親切な包囲網 >>04
第5章 静寂の鱗粉(りんぷん) >>05
第6章 カチ、カチ >>06
第7章 1986年の放課後 >>07
第8章 垂直の闇 >>08
第9章 腐食する日常 >>09
第10章 11月14日の黒板 >>10
第11章 朝の境界線 >>11
第12章 白い診察室 >>12
第13章 幸福な監獄 >>13
第14章 夕暮れの図書室 >>14
第15章:深淵への選択 >>15
第二部 前書き >>16
第二部 1986年の残響編 >>17-30
まだ目次は作成途中です。これからどんどん増えていくと思います。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.3 )
- 日時: 2026/02/01 21:03
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第3章:清められた傷跡
1年A組に流れた凍りつくような沈黙を、担任の佐伯は鮮やかな手つきで塗りつぶした。
「さあ、いつまでそうしているんだい? 避難訓練の成果が出すぎてしまったかな。実に優秀な反応だ」
佐伯がパン、と小気味よく手を叩くと、教室内を支配していた硬直が、魔法が解けたように緩んだ。生徒たちは一人、また一人と机の下から這い出し、きまりが悪そうに制服の埃を払う。
「……避難、訓練?」 ハルは、自分の声が他人のもののように掠れて聞こえるのを自覚した。 「そうだ。本校では入試期間中、無意識下での安全教育を並行して行っている。一種のサブリミナル的なものだがね。今のチャイム音は、そのトリガーだ。君たちが自分の身を反射的に守れたのは、教育が成功した証だよ」
佐伯の言葉はあまりに淀みなく、理路整然としていた。 生徒たちは「なんだ、そういうことか」と安堵の色を浮かべ、互いに笑い合う。しかし、ハルの隣で立ち上がったユキの顔は、依然として陶器のように白いままだ。彼女の右腕には、ハルが強く掴んだ指の跡が、鮮やかな赤紫色の痣となって浮き上がっていた。
「ごめん、ユキさん。強く掴みすぎた」 「……いいの。でも、如月君。あの時、あなた何て言った?」
破片が来る――。 ハルは自分の口が吐き出した警告を思い出す。だが、この教室の天井にはひび一つなく、空調からは清浄な空気が静かに流れ出している。破片など、どこにも降ってくるはずがなかった。
「……分からない。自分でも、どうしてあんなこと言ったのか」
午後の授業が始まると、学校の「過剰なまでのホスピタリティ」がハルをさらに困惑させた。 三時間目の体育の時間。更衣室で着替えていたハルは、クラスの男子たちの背中や肩に、不自然な「医療用テープ」が貼られていることに気づいた。
「それ、どうしたんだ?」 ハルが尋ねると、一人の男子生徒が不思議そうに自分の肩を覗き込んだ。 「これ? 昨日の健康診断で、予防接種の後に貼られたんだよ。少し腫れやすい体質だからって、看護師さんが丁寧に貼ってくれてさ。あ、如月も貼ってあるじゃん。腰のあたり」
ハルは鏡を振り返り、自分の腰に貼られた大きな四角いテープを見つけた。 そんなものを貼られた覚えはない。 恐る恐るその端を剥がしてみる。テープの下にあったのは、注射の跡などではなかった。 それは、**「何かに激しく擦りつけ、肉が裂けた後に、無理やり縫合されたような、生々しい傷跡」**だった。
「――っ!」
ハルは悲鳴を上げそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪えた。 傷口は、驚くほど綺麗に処置されている。最新の医療技術を使わなければ不可能なほど、皮膚が平滑に繋げられている。だが、その下にある筋肉の痛みは、これが「昨日今日」の傷であることを明確に告げていた。
(予防接種? 嘘だ。僕たちは、この傷を負うような『何か』をさせられたんだ)
ふと視線を感じ、顔を上げると、アキトが鏡越しにハルを見ていた。 アキトは何も言わず、自分の首筋の傷を指先でなぞった。彼の傷は、医療用テープで隠されることすら拒んだかのように、剥き出しのまま怒りを湛えている。
放課後、校舎内は部活動の勧誘に沸いていた。 吹奏楽部の華やかな旋律、運動部の威勢の良い掛け声。どこにでもある、輝かしい放課後の風景だ。
ハルは、校内の掲示板の前に立っていた。 そこには、部活動の一覧が整然と並んでいる。野球部、サッカー部、科学部、文芸部……。 ハルは指先で一つひとつの部名をなぞり、ある一点で指を止めた。
『歴史研究部 ――失われた地層と、40年前の真実を追う――』
その部活動の紹介文だけが、他の部活のような手書きのPOPではなく、古い活版印刷のような無機質な文字で印刷されていた。 そしてその下には、手書きの小さなメモが、ピンで留められていた。
『砂の味が忘れられない者だけ、放課後の旧図書館へ来い』
ハルは、爪の間に残る「黒い砂」の感触を思い出した。 背後で、冷たい風が吹き抜ける。 振り返ると、そこには誰もいなかった。ただ、夕日に照らされた廊下の影が、迷宮の入り口のように長く、深く伸びていた。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.4 )
- 日時: 2026/02/01 21:06
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第4章:親切な包囲網
「砂の味」という言葉が、ハルの脳裏で警報のように鳴り響いていた。
旧図書館は、新築された鏡面仕上げのメイン校舎とは対照的に、敷地の北端にひっそりと佇む煉瓦造りの建物だ。40年前の爆発事件でも唯一倒壊を免れたと言われるその場所は、今は立ち入り制限区域のすぐ側に位置している。
ハルは掲示板の前を離れ、人波に逆らって北へと足を向けた。だが、一歩踏み出した瞬間、背後から柔らかな声が届いた。
「如月君、どこへ行くんだい?」
振り返ると、そこには生活指導担当の女教師、中根が立っていた。彼女はハルがこの学校で見た中で、最も穏やかで、最も「完璧な」笑顔を持っていた。
「あ、いえ……少し、図書館に」 「それなら新校舎の三階だよ。あそこなら最新の電子書籍も、美味しいカフェラテも完備されている。旧館の方はもう、カビ臭くて資料もボロボロだ。君のような優秀な生徒が行く場所じゃない」
中根はハルの肩にそっと手を置いた。その手のひらは驚くほど冷たく、けれど力強くハルの足を止めさせる。
「でも、歴史研究部の掲示を見て……」 「ああ、あの部活ね。あそこはもう、廃部同然なんだ。部員も少し……精神的に不安定な子たちが集まっているだけでね。君にはもっと、テニス部や生徒会のような、光の当たる場所が似合っているわ」
中根はハルの腕を取り、自然な動作で進行方向を百八十度変えさせた。 「さあ、案内してあげよう。新校舎のメディアセンターは、今日の放課後、新入生向けに特別なスイーツを提供しているの。ユキさんも先に行っているはずよ」
教師の態度は、どこまでも親切で、どこまでも正しい。 けれど、ハルは背筋に走る悪寒を隠せなかった。彼女の目は笑っているが、瞳の奥はまるで録画された映像のように、一点の揺らぎもなくハルを監視している。
新校舎へ戻る道すがら、ハルは何度か列を離れようと試みた。 だが、その度に「親切な上級生」が現れる。 「君、ネクタイが曲がっているよ。直してあげよう」 「道に迷ったのかい? こっちは食堂だよ。一緒にアイスを食べに行こう」
彼らは決してハルを怒鳴ったり、力ずくで押さえつけたりはしない。ただ、過剰なまでの善意でハルの進路を塞ぎ、彼を「明るい場所」へと押し戻そうとするのだ。その連携の良さは、まるで精密にプログラムされた防衛システムのようだった。
ハルは、メディアセンターの騒がしい喧騒の中に放り込まれた。 最新のBGMが流れ、生徒たちがタブレットを手に談笑している。そこにはユキの姿もあった。彼女は勧められたマンゴーパフェを前に、どこか虚ろな目でスプーンを動かしている。
「……如月君。あなたも、連れてこられたの?」 ユキが小さく声を漏らす。 「ユキさんもか」 「うん。私、屋上に行こうとしただけなのに。四人の先生に代わる代わる声をかけられて、気づいたらここにいたわ。みんな、すごく優しかった。……優しすぎて、吐き気がする」
彼女の腕に貼られた医療用テープが、照明の下で白く浮き上がっている。 ハルは確信した。学校側は、生徒たちが「特定の場所」に近づくこと、そして「特定の記憶」に触れることを、全力で、かつ優雅に阻止している。
窓の外に目をやると、夕闇が校庭を浸食し始めていた。 「鎮魂の塔」の影が、巨大な指のように旧図書館の方角を指し示している。
「……あそこに行かなきゃいけない」 ハルは、ポケットの中で握りしめた「黒い砂」の感触を確かめた。 「でも、どうやって? 先生たちがどこにでもいるのに」
その時、メディアセンターの入り口で、激しい物音がした。 「離せよ! 俺はアイスなんて食いたくねえって言ってんだろ!」
アキトだった。 彼は彼を囲んでいた上級生たちの腕を振り払い、床にトレイをぶちまけた。派手な音が響き、周囲の視線が一斉に彼に集まる。 「阿久津君、落ち着いて。君は少し疲れているんだ」 教師たちが一斉にアキトのもとへ駆け寄る。
「今だ」 ハルはユキの手を取り、騒ぎに乗じてセンターの裏口へと走り出した。
監視の目がアキトという「バグ」に集中した一瞬。 ハルたちは、光り輝く新校舎の裏側、冷たい湿り気を帯びた影の世界へと飛び出した。
背後で、佐伯の声が遠く響いた気がした。 「――逃がさないよ。それは、君たちのためにならないんだから」
春の夜風が、微かに「火薬の匂い」を運んでくる。 二人は、暗闇に沈む旧図書館の重厚な扉へと、必死に足を動かした。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.5 )
- 日時: 2026/02/01 21:08
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第5章:静寂の鱗粉(りんぷん)
新校舎の自動ドアが閉まる音が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえた。 メディアセンターの華やかな喧騒と、人工的なマンゴーの香りは、厚い煉瓦の壁に遮断される。
旧図書館の内部は、時間が40年前で凝固したかのような、濃密な静寂に支配されていた。 窓硝子は積年の埃で曇り、そこから差し込む月光は、まるで水中に差し込む光のように青く、濁っている。空中に舞う無数の塵が、銀色の鱗粉のようにキラキラと光りながら、二人の周囲をゆっくりと旋回していた。
「……巻いたかな」 ユキが肩で息をしながら、重厚な書架の影に身を潜めた。 「ああ。あの上級生たちも、ここまでは追ってこないみたいだ」
ハルは、入り口の木製の扉をそっと閉めた。 扉の隙間から漏れる新校舎の光が、細い一本の線となって床を走っている。その光の線の中に、ハルは自分の影が奇妙に「波打っている」のを見つけた。
「……ねえ、如月君。暗いところで見ると、これ……」
ユキが震える手で、自分の制服の袖を捲り上げた。 そこには、先ほどハルが掴んでしまった指の跡――赤紫色の痣があった。だが、暗闇の中で見るその痣は、単なる内出血ではなかった。 痣の表面が、微かに、けれど確実に**「発光」**していたのだ。 それは深い海の底に棲む生物が放つような、冷たくて不気味な青い燐光だった。
「光ってる……?」 ハルは自分の右手のひらを見つめた。 爪の間に食い込んだ「黒い砂」。それもまた、暗闇の中で小さな星屑のように、チリチリとした光を放っている。
「これ、ただの土じゃない。まるで、生きているみたいだ」
ハルがその砂を指先で弄ぶと、指の腹を針で刺されたような鋭い痛みが走った。 驚いて砂を振り払おうとしたが、砂は磁石に吸い寄せられるように皮膚に張り付き、じわじわと毛穴の中に沈み込んでいく。
「如月君、あっち……」 ユキが指差した先。 図書館の最奥、立ち入り禁止のロープが張られた「禁書エリア」の影に、誰かがいた。
そこには、巨大な木製の机に突っ伏して眠る人影があった。 古びた学ランを纏い、周囲には何十冊もの古い新聞の切り抜きや、手書きの図面が散乱している。 その人物の背後にある窓からは、校庭の「鎮魂の塔」が、まるで巨大な墓標のようにそびえ立っているのが見えた。
「……しっ。起さないように」 ハルが囁き、慎重に一歩を踏み出した。 その時、床の古い板が「ギィ……」と、この世の終わりを告げるような不吉な音を立てた。
眠っていた人影が、ビクリと肩を震わせる。 ゆっくりと、本当にゆっくりと、その人物が顔を上げた。 逆光で表情は見えない。ただ、眼鏡のレンズだけが青白く光っている。
「……まだ、五時か。チャイムは鳴ったかな」
その声は、ひどく掠れていて、けれど妙に落ち着いた響きを持っていた。 人物はゆっくりと椅子から立ち上がると、机の上のランプを点した。 小さなオレンジ色の炎が、埃っぽい空間を照らし出す。
そこにいたのは、ハルたちより二、三歳ほど年上に見える、青白い肌の少年だった。 彼の首には、ハルやアキトが見たものと同じ「医療用テープ」が、まるで包帯のように何重にも巻き付けられていた。
「新入生、か。それとも、まだ『向こう側』の住人かな」
少年は、ハルの右手のひらに吸い込まれていく「砂」をじっと見つめ、悲しげに目を細めた。 「砂が、君を選んだんだね。……かわいそうに」
「……あなたは、歴史研究部の?」 ユキの問いに、少年は答えなかった。代わりに、彼は机の上に広げられた「40年前の新聞」を、ハルたちの方へスッと差し出した。
そこには、衝撃的な見出しが躍っていた。
『聖ヶ丘高校、爆発事故により校舎が「反転」。地下に消失した生徒たちの捜索、打ち切りへ』
「反転?」 ハルがその奇妙な言葉を口にした瞬間。 床下から、あの不気味な、重低音の地鳴りが響いてきた。
それは昼間に聞いたチャイムよりも深く、内臓を直接揺さぶるような音。 「……始まった。君たちの、二度目の『入学試験』だ」
少年の言葉と同時に、図書館の窓の外――あんなに穏やかだった校庭の景色が、ぐにゃりと歪み始めた。 新校舎の輝くガラス壁が、まるで熱で溶けた飴のように崩れ落ち、その下から「40年前の、黒く焼け焦げた壁」が、皮膚を突き破る骨のように突き出してきたのだ。
「隠れて。息を殺して」 少年はランプを吹き消した。 「『監視員』が、君たちの記憶を回収しに来る」
暗闇の中、ハルはユキの手を握りしめた。 二人の痣が、今までで一番強く、激しく脈打ち始めた。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.6 )
- 日時: 2026/02/02 11:43
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第6章:カチ、カチ
暗闇は、もはや単なる光の欠如ではなかった。 それは粘り気を持った生き物のように、ハルたちの肺へと入り込み、思考を鈍らせていく。
ランプが消された旧図書館の中で、唯一の道標は、歴史研究部の先輩――シノと呼ばれたその少年の、微かな衣擦れの音だけだった。
「……動かないで。あいつらは、音よりも『意識の波』を探知する」
シノの声は、囁きというよりも吐息に近かった。ハルは言われた通り、全身の筋肉を硬直させ、呼吸を可能な限り薄くした。隣にいるユキの、震える指先がハルの袖を強く握りしめているのが伝わってくる。
カチ、カチ、カチ。
廊下の向こうから、規則的な音が近づいてくる。 それは、硬い革靴が木床を叩く音のようでもあり、あるいは巨大な時計の秒針が刻まれているようでもあった。一定の……あまりにも一定すぎるそのリズムは、生物が持つゆらぎを一切排除している。
ハルは、本棚の隙間から廊下の様子を伺った。 曇った硝子戸越しに、一つの人影が通り過ぎていく。 それは、昼間に笑顔でハルを呼び止めた中根先生……のようだった。だが、その動きはあまりに滑らかで、関節の存在を感じさせない。彼女の手には、細長い「検校灯」のようなデバイスが握られ、その青い光が廊下の壁をなぞるたび、壁面がデジタルノイズのように激しく乱れた。
「……中根、先生?」 ユキが喉の奥で、押し殺した悲鳴を漏らす。
「あれはもう、君たちが知っている『人間』じゃない」 シノが、暗闇の中で冷たく告げた。 「記憶の整合性が取れなくなった生徒を、システムの一部として再処理するための……いわば掃除機だ」
カチ、カチ。
音が、図書館の扉の前で止まった。 静寂。 心臓の音がうるさすぎて、それが外まで漏れているのではないかとハルは気が気ではなかった。 扉の隙間から、青い光の筋が差し込んでくる。その光は床を這い、ハルの足元にまで届こうとしていた。
その時、ハルの右手のひらに潜り込んだ「黒い砂」が、焼けるような熱を帯びた。 (……来る) 直感した。見つかる。 だが、青い光がハルの影に触れる直前、シノがハルの口を掌で塞ぎ、もう片方の手で古い羊皮紙のようなものを床に広げた。
青い光は、その羊皮紙に触れた瞬間、まるで鏡に反射したように不自然な角度で折れ曲がり、ハルたちを避けて反対側の壁へと吸い込まれていった。
やがて。 カチ、カチ、カチ……。
靴音は再び遠ざかり、重苦しい静寂が戻ってきた。 ハルは、肺に溜まっていた熱い空気を一気に吐き出した。全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。
「今のは……何だったんですか」 「『視覚的検閲』だよ。彼らには、この学校を『正しい形』に保つためのフィルターが埋め込まれている。今の羊皮紙は、40年前の爆発現場に残されていた……いわば、この空間の『バグ』だ。一時的に彼らの目をごまかせる」
シノはゆっくりと立ち上がり、再びランプを灯した。 小さな火が照らし出したのは、先ほどまで見ていた「美しい旧図書館」ではなかった。
壁にはどす黒い焦げ跡が走り、本棚は爆風になぎ倒されたかのように歪んでいる。天井からは、切れた電線が蛇のように垂れ下がり、時折、パチリと青白い火花を散らしている。
「これが……本当の姿?」 ユキが呆然と周囲を見渡す。 「正確には、40年前の『現実』と、今の『虚構』が重なり合っている状態だ。君たちの痣が光るのは、その重なり(オーバーラップ)に対する拒絶反応だよ」
シノは、机の上に散乱していた「40年前の事件」の資料を、一枚の図面へと集約させた。 そこには、学園の地下深くへと続く、迷路のような螺旋構造が描かれていた。
「40年前、生徒たちは学校を封鎖し、爆破した。彼らは学校を壊したかったんじゃない。学校の下にある『何か』を、この世に引きずり出そうとしたんだ」
シノの指が、図面の中心部――「特異点」と記された場所で止まった。
「入学試験で、君たちはここを通った。そして、自分の意志で戻ってきた。だからこそ、君たちの身体は覚えている。……ここから先、僕たちは『正しくない』生徒として扱われることになるだろう」
シノは、ハルの首筋を指差した。 そこには、ハル自身も気づかないうちに、一筋の細い「文字」のような痣が浮かび上がっていた。 それは、古代の記号のようでもあり、あるいは脱出経路を示す地図のようにも見えた。
「……まだ、外へは出られない。夜の校舎は、40年前の熱を持ったままだからね」
ハルは、窓の外を見た。 そこには、月の光に照らされた「鎮魂の塔」が、先ほどよりも一回り大きく、まるで生き物のように脈打っているのが見えた。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.7 )
- 日時: 2026/02/02 14:11
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第7章:1986年の放課後
シノが机の引き出しから取り出したのは、鈍い銀色をした古いカセットデッキだった。 今の時代、スマートフォンの薄さに慣れたハルの目には、その分厚い筐体(きょうたい)はまるで鈍器か、あるいは何かの心臓部のようにも見えた。
「これは、僕が地下の入り口近くで拾ったものだ」
シノは、ラベルの剥がれかけた一本のカセットテープをデッキに差し込んだ。カチッという重い感触と共に、再生ボタンが押し込まれる。 初めに聞こえてきたのは、激しい砂嵐のようなノイズだった。 ザッ、ザザッ、という音が、旧図書館の歪んだ空気と混ざり合う。ユキが不安げにハルの袖を握り、二人はデッキを囲むようにして身を乗り出した。
『――聞こえるか? こちら、放送室。……いや、解放区一号だ』
ノイズの向こうから、若者の声が響いた。 ひどく興奮しているが、どこか陶酔したような、不思議な明るさを持った声だ。
『今日は1986年11月14日。外は雨だ。……いや、こっちには関係ない。僕たちはついに、あのクソったれな教師どもの鍵を全部壊した。今、この学校は僕たちのものだ』
背景に、数人の笑い声が混じる。 それは文化祭の準備をしている生徒たちのような、瑞々しく、どこにでもある青春の響きだった。だが、ハルはその声を聞いた瞬間、首筋に言いようのない寒気を覚えた。 その笑い声の裏で、**「あの音」**がずっと鳴り続けていたからだ。
「……チャイム」
ハルが呟く。 昼間、教室で自分たちを机の下へと突き動かした、あの暴力的な高音。 テープの中では、その音がもっと低く、けれど執拗に、通奏低音(つうそうていおん)のように鳴り響いている。
『……おい、九条。そろそろ準備ができそうだ。地下の熱源が安定してきた。これを使えば、僕たちは二度と、あの「調整」を受けなくて済む。……記憶を洗われることも、番号で呼ばれることもない』
「調整」という言葉が出た瞬間、シノがハルの目をじっと見た。 「彼らは、何かに抗っていた。40年前の聖ヶ丘高校も、今と同じように……いや、今以上に、生徒を管理し、作り変える場所だったのかもしれない」
テープの声は、次第に熱を帯びていく。 『……九条、笑えよ。歴史を塗り替えるんだ。僕たちの脱出は、ここから始まる。さあ、スイッチを――』
その時、録音は凄まじい衝撃音と共に途切れた。 ドォォォォォン……という、腹の底を抉るような重低音。 それは爆発音というよりも、世界そのものがひび割れるような音だった。
そして、再び沈黙が訪れる。 デッキからは、ただテープが空回りする「カラカラ」という虚しい音だけが流れていた。
「……それだけ?」 ユキが、震える声で尋ねた。 「ああ。この先は磁気情報が完全に破壊されている。……だが、一つだけ分かっていることがある」
シノはデッキを止め、窓の外を指差した。 月明かりに照らされた「鎮魂の塔」の影が、夜の闇の中で鎌のように鋭く伸びている。
「あのテープに出てきた『九条』という名前。今の理事長の姓と同じだ。そして、当時の生徒たちが地下で『見つけた』とされる熱源……。学校側は今も、それを必死に隠しながら、何かに利用している」
ハルは、自分の手のひらに吸い込まれた「黒い砂」の熱を感じていた。 今の音声。 九条と呼ばれた少年たちの笑い声。 それらは、記憶にないはずの「入試」の記憶と、奇妙にシンクロした。
(僕たちは、地下で誰かの声を聞いた……。あの時、暗闇の中で誰かが僕の背中を押して、『行け』って言ったんだ)
「……ハル君、手が」 ユキの指摘にハルが目を見落とすと、彼の右手が、無意識に机の上に置かれた「40年前の地図」を強く握りしめていた。 握りしめた指の隙間から、青白い光が漏れている。
「……身体が、行きたがっている」 ハルは自分でも驚くほど、冷徹な声で言った。 「この学校が何を隠しているのか。40年前に何が起きて、僕たちが地下で何を見たのか。それを知らない限り、僕はこの椅子に座って、『正しい生徒』を演じることはできない」
シノは微かに口角を上げ、寂しげな笑みを浮かべた。 「……おすすめはしないよ。一度知ってしまえば、もう二度と、あの清潔な新校舎には戻れないからね」
その時、図書館の扉の向こうで、再び**「カチ、カチ」**という靴音が聞こえた。 昼間の監視員とは違う。もっと重く、複数の足音。 「捜索隊が来た。……地下への最短ルートを教える。ただし、そこはまだ『道』になっていない」
シノが立ち上がり、書棚の奥にある古い暖炉の火かき棒を握った。 「――僕たちの『放課後』は、ここからだ」

