ダーク・ファンタジー小説
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- 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている
- 日時: 2026/02/03 21:36
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
かなり長編(になる予定)のやつです。前から執筆をしていたものですが、まだ完結していません。
結末はまだどうなるかはわかりませんが、毎朝出す予定(今回こそ)なのでぜひチェックをお願いします。順番がめんどくさいことになっているので、このページの目次から移ることをお勧めします。
第一部 忘却の監獄編 >>1-15
第1章 春の砂塵 >>01
第2章 完璧な教室 >>02
第3章 清められた傷跡 >>03
第4章 親切な包囲網 >>04
第5章 静寂の鱗粉(りんぷん) >>05
第6章 カチ、カチ >>06
第7章 1986年の放課後 >>07
第8章 垂直の闇 >>08
第9章 腐食する日常 >>09
第10章 11月14日の黒板 >>10
第11章 朝の境界線 >>11
第12章 白い診察室 >>12
第13章 幸福な監獄 >>13
第14章 夕暮れの図書室 >>14
第15章:深淵への選択 >>15
第二部 前書き >>16
第二部 1986年の残響編 >>17-30
まだ目次は作成途中です。これからどんどん増えていくと思います。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.1 )
- 日時: 2026/02/01 20:19
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第1章:春の砂塵
その学校は、あまりに美しく、あまりに静かだった。
聖ヶ丘高校の正門をくぐると、視界を埋め尽くすのは計算し尽くされた色彩の調和だ。淡いピンク色の桜並木、手入れの行き届いたエメラルド色の芝生、そしてそれらを反射する、全面ガラス張りの新校舎。 入学式へと向かう新入生たちの足取りは軽く、真新しいローファーがアスファルトを叩く音すら、春の調べのように心地よい。
如月(きさらぎ)ハルもまた、その波の中にいた。 紺青色のブレザーに袖を通し、少し窮屈なネクタイを直す。どこにでもある、ありふれた幸福な春の光景。
(……はずなのに)
ハルは、自分の右手のひらをそっと握りしめた。 指先には、一週間経っても消えない違和感が残っている。感覚が、少しだけ「遠い」のだ。 合格発表の日、自分の番号を見つけた瞬間の高揚感は覚えている。だが、その直前――最後に行われたはずの特殊教科「脱出」の記憶だけが、霧に包まれたように真っ白だった。
「ねえ、ハル。見てよ、あのモニュメント。格好良くない?」
幼馴染のカナが、校庭の中央を指差して声を弾ませる。 そこには、この洗練された校舎には不釣り合いな、赤錆びた鉄骨の塊が鎮座していた。高さは三メートルほどだろうか。複雑に折れ曲がった鉄の棒が、天に向かって苦悶しているようにも、あるいは地底からの叫びを抑え込んでいるようにも見える。
「……『鎮魂の塔』、だっけ」 ハルは、パンフレットに載っていた名称を思い出す。 「そう。四十年前、このあたりで大きな地盤沈下があったんだって。その時の教訓を忘れないために、創立者が建てたらしいよ」
カナは事もなき風に言って、桜の花びらを追いかけて駆け出した。 ハルはその場に立ち止まり、錆びた鉄の肌をじっと見つめる。 陽光を浴びているはずのその鉄骨は、なぜか周囲の空気を吸い込んでいるように暗く、冷たく見えた。
ふと、足元から微かな振動が伝わってきた。 地鳴りというにはあまりに細く、心臓の鼓動に近いリズム。 その瞬間、ハルの脳裏に強烈なフラッシュバックが走った。
――熱い。 ――息が、できない。 ――爪が剥がれる。石を、石を掴め。
「……っ!」 激しい眩暈に襲われ、ハルは近くの街灯に手をかけた。 視界が歪む。桜のピンク色が、一瞬だけ、焼けつくようなオレンジ色に変色した気がした。
「おい。大丈夫か、お前」
低く、硬い声が鼓動を鎮めた。 顔を上げると、そこには自分と同じ制服を着た少年が立っていた。鋭い眼差しと、どこか他人を拒絶するような冷たい空気を纏った少年――アキトだ。 アキトはハルの様子を訝しげに見つめ、視線をその足元へと落とした。
「……お前も、感じたのか。今の揺れ」 「揺れ? やっぱり、地震かな」 「地震じゃない。この学校の『下』が、まだ生きている証拠だ」
アキトは吐き捨てるように言うと、ハルの脇を通り過ぎていった。彼の左耳の後ろには、真新しい傷跡が一本、隠すこともなく赤く腫れていた。
ハルは、自分の右手のひらを開いてみた。 震える指先。爪の間には、今朝念入りに洗ったはずなのに、一粒の「黒い砂」がこびりついていた。 それは、どれほど磨かれた都会の土とも違う。 深く、永い眠りについていた、古の火薬の匂いがする砂だった。
「……脱出」
ハルは、無意識にその言葉を零した。 入学試験の最後、自分たちは間違いなく「そこ」にいた。 この美しい芝生の下。光の届かない、あの錆びた鉄の記憶の中に。
校舎の時計台が、午前十時の鐘を鳴らす。 それは福音のようでもあり、あるいは深い奈落へのカウントダウンのようでもあった。 聖ヶ丘高校、第41期入学式。 少年たちの「二度目の脱出」が、静かに、そして残酷に幕を開けようとしていた。
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.2 )
- 日時: 2026/02/01 20:57
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第2章:完璧な教室
入学式の喧騒が遠ざかり、新入生たちは吸い込まれるように校舎へと足を踏み入れた。 聖ヶ丘高校の廊下は、まるで高級ホテルのように静謐で、どこか無機質なほどに磨き上げられていた。等間隔に配置された窓からは、計算された角度で春の陽光が差し込み、白い壁に幾何学的な影を落としている。
ハルは、自分の足音だけが不自然に大きく響くような気がして、無意識に歩幅を狭めた。 「……ねえ、ハル。この学校、空気が少し変じゃない?」 隣を歩くカナが、不安げに制服の袖を引いた。 「変、っていうか……綺麗すぎるんだよ。埃一つ落ちてない」 ハルが答えると、カナは「そうかな」と笑って、すぐに興味を別のものに移した。彼女の適応能力の高さは、時としてハルを孤独にする。
1年A組の教室は、最上階の4階に位置していた。 自動ドアが滑らかに開き、ハルは一歩足を踏み入れた瞬間に、肌を刺すような「冷気」を感じた。それは空調による設定温度の低さだけではない。外界の春を拒絶するような、断絶された空間の温度だ。
教室内には、最新鋭の学習端末が埋め込まれたデスクが整然と並んでいた。 ハルは自分の名札が置かれた席――窓際の後ろから二番目――に座った。 椅子に腰を下ろした瞬間、ハルの背筋に嫌な汗が流れた。 (……知っている) この椅子の硬さ。机の高さ。窓から見える空の、切り取られたような角度。 初めて座ったはずなのに、自分の肉体は、この空間の寸法をミリ単位で把握しているかのような錯覚に陥る。
「皆さん、入学おめでとう。今日から私が、このクラスの舵取りを任された佐伯です」
教壇に立ったのは、三十代半ばほどの清潔感溢れる男だった。 佐伯は、仕立ての良いグレーのスーツを着こなし、縁のない眼鏡の奥で穏やかな眼差しを湛えている。その立ち居振る舞いは、非の打ち所がない「理想の教師」そのものだった。
「この聖ヶ丘高校には、三つの鉄則があります。一つ、他人を尊重すること。二つ、自己の知性を磨くこと。そして三つ――」 佐伯はそこで一度言葉を切り、教室をゆっくりと見渡した。その視線がハルとぶつかった時、ハルは蛇に睨まれた蛙のような硬直を覚えた。 「――三つ、決められた場所以外には立ち入らないこと。この学園には、古い設備を保存しているエリアや、地盤が不安定な場所が点在しています。皆さんの安全を守るため、これだけは厳守してください」
佐伯が壁のスイッチを操作すると、黒板に代わって巨大な高精細ディスプレイが起動した。 そこに映し出されたのは、学園の広大な敷地図だ。 緑豊かな森に囲まれたキャンパス。テニスコート、温水プール、そして歴史を感じさせる旧校舎。 しかし、ハルの目は、敷地の中心にあるはずの「ある場所」が、不自然なグレーのグラデーションで塗り潰されているのを見逃さなかった。
「……先生、あのグレーの区画は何ですか?」 ハルが尋ねる前に、教室の最後列から低い声が上がった。 アキトだ。彼は椅子を傾け、天井を睨むようにして座っていた。
佐伯は眼鏡のブリッジを押し上げ、微かに微笑んだ。 「そこは『聖域』と呼ばれている場所だ。40年前の……痛ましい事故の犠牲者を悼むための場所だよ。立ち入りは厳重に禁止されている」
「事故? 資料室の古い記録には『生徒による立てこもり事件』って書いてありましたけど」 アキトの言葉に、クラス中がざわついた。 「立てこもり? 何それ、テロ?」 「40年前の生徒が学校を占拠したってこと?」 生徒たちのざわめきが波紋のように広がる中、ハルはアキトの横顔をじっと見た。彼は、昨日までのハルが抱いていたのと同じ「焦燥」を抱えている。
「阿久津(あくつ)君。ネット上の根拠のない噂を鵜呑みにするのは、知性的とは言えませんね」 佐伯の声は依然として穏やかだったが、その語尾には、議論を許さない鋭い拒絶が混じっていた。
その時だった。 ――キィィィィィィン――
鼓膜を直接、氷の針で刺されたような、暴力的な高音のチャイムが鳴り響いた。 通常の「キンコンカンコン」という旋律ではない。 それは、何かが壊れる音。あるいは、誰かの叫び声を限界まで増幅させたような、不快な周波数のノイズだった。
「……っあ!」 ハルの思考が真っ白に染まった。 次の瞬間、ハルの身体は、彼自身の意志を置き去りにして動き出した。 ガタッ、と椅子を蹴り飛ばし、反射的に机の下に潜り込む。 それだけではない。ハルは震える手で隣にいたユキの腕を掴み、彼女を自分の背後に押し込んでいた。
「伏せろ! 破片が来るぞ!」
ハルが叫んだ言葉は、彼自身の記憶にはないはずのものだった。 数秒後、チャイムが止んだ。 静まり返った教室で、ハルは机の下に蹲(うずくま)ったまま、自分の呼吸の音だけを聞いていた。
顔を上げると、そこには異様な光景が広がっていた。 ハルだけではない。 クラスの半分以上の生徒が、青ざめた顔で机の下に潜り込んだり、頭を抱えて床に伏せていた。 ユキはハルに腕を掴まれたまま、目を見開いて震えている。
「……失礼。音響機器の調整が不十分だったようだ。驚かせてしまったね」
佐伯は何事もなかったかのように、教卓に散らばった資料を整えていた。 だが、その指先は、隠しようもなく震えていた。
ハルは、ゆっくりと机の下から這い出した。 自分の右手のひらを見る。 爪の中に、昨日はなかったはずの「黒い砂」が、再び一粒だけ付着していた。
(……思い出した) ハルは、喉の奥でせり上がる吐き気を押し殺した。 あのチャイムの音。 それは、入試のあの「空白の時間」に、地下の闇の中で、何度も何度も聞いた合図だ。 その音が鳴るたびに、上から瓦礫が降り注ぎ、炎が吹き荒れた。 自分たちは、その地獄の中を、泣きながら走らされていたのだ。
「脱出試験……」
ハルは隣のアキトを見た。アキトもまた、机の下で拳を握りしめ、自分自身の「身体の記憶」に怯えているようだった。
窓の外では、春の陽光に照らされた「鎮魂の塔」が、歪な影を教室の床に伸ばしていた。 その影の形は、まるで地下から這い出そうとする、巨大な人間の手のひらのように見えた。

