複雑・ファジー小説

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Stray Stories(6/28、一部更新)
日時: 2013/06/28 16:57
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: XnbZDj7O)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=14315

はじめまして、Lithicsと申します。

ここは以前まで『禍つ唄』と題してホラー短編を載せていたスレッドですが、最近になって関係のない雑多な内容が大半を占めるにあたり、改題を致しました。


感想・批評・アドバイスなどを貰えれば、とても嬉しいです。また、もしあればリクエストも受け付けます。では、ごゆっくりどうぞ。

     『かごめ、かごめ』 >>1-2 
     『ダルマさんがころんだ』 >>3
     『もういいかい』 >>8-9 (改稿予定)


     『西行奇譚』 >>10-11
     『Straight』 >>15-17
     『緋色のスカーフ』>>18-19
     『奇想、日傘を差す女』>>25-27 (風死さんSS大会より)

     『桜花の誉れ』>>28-29 (ryukaさんよりテーマ『桜』)
     『ゲオルギウスの槍』 >>32-34 (風死さんSS大会より)
     『怪雨の夜』>>35-36



○参照1000企画>>31

Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.25 )
日時: 2013/03/28 18:27
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: 278bD7xE)

※『荒城の月』は一時保留とします。
ここでは風死さんのSS大会に投稿させて頂いたものを転載します。


奇想『日傘を差す女』 

 O.Claude Monetに寄せて——



 絵画とは魔法だ。
 光も風も、あるいは時間でさえも、一本の絵筆で真白いカンパスの中に閉じ込めてしまう。太古の昔から人間が描かずにはいられなかったものとは、きっと、そんな刹那に過ぎてしまう一瞬なのだろう。
 だが私は、それが時に残酷なものだとも思うのだ。

 何故なら。それはどこまでも虚構でありながら、見る者によっては真実に近すぎる。
 そこには、失われてしまったはずのモノがいつまでも鮮明に残されてしまうのだから。
 
○○○

 ふと、カリカリという音が止んだ。
 何という事はない、私が鉛筆を削っていたナイフの動きを止めただけの事だ。あまりにも無心になって削っていたからか、芯の先は針のように尖っている。ここまでやってしまうと却って折れやすく、使いものにならない。これは詰る所、数時間前からこっち、ほんの少しも構想が浮かんでいない事から逃避した結果なのだった。
 ひとつ、肺を絞るような溜息を吐いて。こんな時は、そうだ、早々と諦めてしまうのに限る。

「はぁ……そうだな。今日はこれまでにしよう」

 曰く、思い立ったが吉日だ。急くようにイーゼルの前から離れ、パレットと絵筆を放り出して。うずうずとした衝動のままに薄暗いアトリエを飛び出し、黒鉛と油絵具に塗れた両手を洗い流したなら……さぁ、私は自由だ!パリで得た画家の名声も、普仏戦争の記憶が生々しいロンドンでの日々も、このフランス北西の街——アルジャントゥイユでは意味を持たない。此処ではサロンの顔色を窺わずに好きなものを描き、それにも倦み疲れたなら、こうして気ままに筆を擱くことが出来る。どうせ暫くすれば自然と絵筆を執ってしまうのだから、思い切って休んでしまえば良い。
 そして私はこんな時、決まって我が家の小さな庭へと足を運ぶのだった。

 ——そう。光溢れる午後の庭は、きっと私の幸福そのものだ。

 初夏の薫りを胸一杯に吸い込んで、服が汚れるのも構わず芝生の上に寝転ぶ。眩い太陽の微笑みに軽い眩暈がして。思わず右腕を翳して真白い光を遮った先には、息を呑むほど高いアルジャンの青空が広がっていた。

「ははっ……」
 頬が緩むのはきっと、私が今、とても幸せだからだろう。
 セーヌの流れで冷やされた風は涼しげに吹き渡り、遠い教会の鐘の音を届けてくれる。するとそれに合わせるように、妻と息子の戯れ唄が屋敷の中から聴こえてきた。妻であるカミーユの声は透き通った美しいソプラノで、五歳になる息子ジャンは勇ましくも微笑ましい腕白な声。彼女たちの不揃いな合唱は鐘の音が止んでも途切れず、次々と曲を変えて私の耳を楽しませてくれる。

 V'là l'bon vent, v'là l'joli vent
(ごらん、良き風が吹いている。ほら、なんて素敵な風だろう)

 そんな多幸感にほだされて、ついつい同じ唄を口ずさんでみたが……やぁ、我ながらなんと音痴であることか。やっぱり絵以外には才が無いらしいと再確認できたところで、私は苦笑したままで瞼を閉じた。
 こうして光と風の祝福を受けながら、ゆったりと日が暮れていくのを待つ時間は、私にとってまさに至福の時だ。敬愛するニッポンの人々は悲しいときに笑うと聞くけれど、私はやはり幸せな時にこそ笑わなければと常々思う。そうだとも、フランス人が滅多に笑わないのは、希少な幸せの価値を知っているからなのだ。思えば妻も息子も、アルジャンに引っ越してからは笑顔が絶えず、唄声は弾んでいる。ならば、この美しい街こそが私たちを幸せにしてくれているのだろうと、そんな事を思ったりもした。

 さて。心が満たされたなら、その隙を狙うように眠気がやってきた。
 日が落ちるまでには時間があるし、此処で昼寝をしても風邪を引く心配はないだろう。御近所の目は気に成るが、この心地好さには到底抗えない。せめて日陰がある庭木の下まで行こうかとも思ったが、躰はもう既に動こうとはしなかった。
 そんな葛藤は一瞬だけで。不意にくらり、と意識が芝生の中へ沈み込んでいくような感覚。妻たちの唄声が遠くなっていく気がして、私は浅く微睡むような眠りに落ちていった。

○○
 
 絵画とは魔法だ。
 神が私に与え給うた唯一の才だ。その上で私自らが選び取り研鑽したのは、数ある絵画のスタイルの中でも孤立した、それ即ち『印象』を扱うものだった。色彩を操り、光を描く。世界の写実から一歩進み、画家の見る主題を強調する。そうして描かれたものには、『私そのもの』が封じられているような感覚さえ覚えるのだ。
 だからこそ私はかつて……きっと美しく、そして愛しいものだけを描こうと誓った。





Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.26 )
日時: 2013/03/28 18:28
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: 278bD7xE)

ふと、直ぐ傍に、誰かの温もりと息遣いを感じた。
 まだ日は高いのか、直視してしまった光が目の奥に赤々と残る。それでも、目覚めたばかりの胡乱な意識は直ぐには上手く回ってくれないようだった。
 誰か、そこに居るのか。仰向けのままで辺りを見渡しても、庭に人影はない。屋敷の方から聴こえていた唄声も、今はとうに消えてしまっていた。
 だが、不思議と愕きは無かった。その気配が傍にあることは、私にとってごく自然な事に思えたから。少しだけ働き始めた感覚が、頭の後ろに柔らかい温もりを認めて。くすくすと耳を擽る笑い声に誘われるように、私は視線を真上へと向けた。

 そこには予想通り、いや望み通りの、一人の女性の貌があった。
 
「ふふ、おはよう、オスカル。良い夢は見られましたか?」
「あぁ……やっぱり君か、カミーユ」

 ——その微笑みを形容する言葉を、詩人ならぬ私は持っていなかった。白く霞むような逆光の中で、彼女の笑みだけが確かな形をもって私を見下ろしている。そこには安心感と愛おしさと、そして空よりも蒼い瞳に吸い込まれそうな怖さすらあった。その眼で見つめられたなら、途端に私は愛を語る言葉さえなくしてしまうのだ。だから、私は最愛の妻に甘い言葉を掛けたことなど無い。その時も、私がやっとのことで絞り出したのは……いつも通りに不愛想な亭主然とした、あるいは私の嫌いなパリの紳士風の陳腐な言葉でしかなかった。
                                         
「はい、わたしです。中々起きて下さらないから、どうしようかと思いましたよ」
「む、すまない……いつ頃から此処に?」

「ええと、ジャンがお昼寝してからですから、一時間前くらいこうしてます。ふふ、やっぱり貴方の息子ですね? 二人とも、幸せそうな寝顔がそっくりです」
「ぐ…………」

 なんて事だ。私はどうも、膝枕をされても目を覚まさず、一時間も彼女に緩みきった寝顔を晒していたらしい。愕然とした私の顔を見て、彼女はコロコロと愉快げに笑った。

「あら、そんな御顔をしないで。可愛かったですよ、ジャンと同じくらい。そうそうオスカル、貴方が眠っている間にアリス……っと、こんな呼び方ではいけませんね。オシュデ夫人がおいでになられました。エルネスト・オシュデ氏の主催する展覧会のお知らせだったようですが」

「な……! マダム・アリスが? 来たのか、此処に?」

 愕然、再び。
 エルネストは私の無二の友人であり、新進の実業家であり、画業の支援をしてくれている所謂パトロンだ。その夫人である若きマダム・アリスとカミーユも、歳が近いこともあり仲が良く、昔から家族ぐるみの付き合いがあった。
 だが、だからといって、いい歳をした大人が庭で昼寝をしている図など見せていいはずがない。ましてや、妻に膝枕されているなど……どう考えても、エルネストに知られたなら暫くは画壇の笑いモノだ。少なくとも彼だけは、あの下品な声で腹を捩って笑うだろう。
 そうなれば私としては、彼の豊かな(豊かな!なんと寛容な表現だろう)体型を主題として寸分の違わぬ肖像を描いて、パリのサロンに提出するくらいでしか報復にはなるまい。フランス人……もとい、パリ人とは自由と怠惰をこよなく愛するが、見苦しい肥満は許さない人種なのである。

 閑話休題。
 まだ見ぬ屈辱とその復讐に思いを馳せている私をよそに、カミーユは悪戯をする若い娘のような表情をして。

「あ、そうですね! 折角ですからアリスにも見てもらえば良かったのに、私ったら……」
「む、彼女には見られていないのか」
「ええ。貴方は出掛けてるということにして、ちょっとだけ二人でお茶をしました。新作を楽しみにしてると伝えてくれとのことでしたよ」
「はぁ……神よ」

 知らず、ほぅと安堵の息が漏れる。
 それが可笑しかったのか、今度は声を上げて笑い出した妻の顔を見上げながら……少しだけ、もしかしたら有ったかも知れない騒動の顛末を幻視した。私とエルネストは詰まらない喧嘩をして、飲んで忘れただろう。そして彼女たちは、こんな風に笑っていたかもしれない。それはそれで楽しかったのではと考えて、やはり幸せに呆けているんだなぁと自嘲した。あぁ、なんだか可笑しくて……ガラでもなく笑みが止まらなくなった。

「……? どうしました、オスカル?」
「ははっ、なんでもない。なんでもないんだ……それよりも、なぁ、カミーユ」
「はい?」

 くい、と首をかしげるカミーユ。滅多にこうして笑わないものだから、今私が笑っている理由が解らないのだろう。その仕草がまた可笑しくて少し吹き出しそうになりながら、私は言葉を繋げた。
 

「君の……いや、今度は君と、ジャンの絵を描こう」

 ——それは私の、精一杯の愛の言葉に等しい。
 今まで幾度となく彼女の絵を描いてきたが、それは最も身近なモデルだからという理由ではなく。言うまでもないし言いはしないが、彼女が私にとって最も美しく、愛しい主題だからだ。
 もしや、その意図を知っているのだろうか。彼女は私がそう切り出す度に、珍しく照れたように淡いはにかみを見せるのだった。

「またですか? 私なんか、オスカルの絵には相応しくないって何度も……」
「そんなことはない!……ないさ、そんなことは」

 右手を上に伸ばして、彼女の頬に添える。それはまるで太陽に手を差し伸べているような温かさで……その途端、あれだけ思いあぐねていた構図のアイデアは溢れんばかりに湧き上がってきた。

「あぁ、良い季節だ、そうは思わないか? こんな陽気なら、セーヌの河畔はきっと気持ちが好いだろうな。うん、そうしよう。いいかな、河岸の草地でジャンを自由に遊ばせて、それを眺める君を描こう。君は一等綺麗な余所行きを着て——ああ、なら、この光が映える白のドレスが良いな。君は色が白いから、日焼けをしないようにしないと……」

 そうして、私はどうしてか酷く饒舌に語っていた。カミーユが珍しいものを見たように目を丸くしているのが判ってはいても、止まりそうにはなかった。その構図は見る前、描く前から目に浮かぶようで。慣れない言葉を駆使してでもその美しさを、彼女の輝くような価値を伝えたかったのだ。

「そうだ、君は日傘を差すと良い。それなら夏の光の中でも影を生かして、君を綺麗に描くことが出来る。ははっ、素晴らしい! きっと傑作になる、きっとだ、カミーユ!」

 この絵には、私の全てが込められるだろう。
 願わくは我が妻がそれを見たときに、私の想いが届きますように——
 

Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.27 )
日時: 2013/03/28 18:30
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: 278bD7xE)

 
○○

 目を覚ますと、私は一人だった。
 
 あぁ、長い夢を見ていたのだ、と。
 凍えるほどに冷たい風が眠気を覚まし、その奇妙に冴えた頭で、私はあっさりと現実を受け入れた。酷い夢だったのか、懐かしい夢というべきか。それとも幸せな、良い夢だったと、そう思える日が来るだろうか。
 
「なぁ……居ないのか」

 横たわる地面の冷たさが、季節が秋の終わりであることを思い出させてくれる。木立の葉が落ち、金木犀の薫りが漂う庭は意味もなく寂しげで。それは季節のせいにしておく方が良いのだと、私はそう自分を納得させることにした。
 日は落ちかけて、空の端は深い群青に沈んでいる。この光が死んでいく時間は美的ではあるけれど、私は好きではなかった。だからこそ、かつては必ず妻がこうなる前に起こしてくれたのだった。だが、その優しさは既に無い。無いのだ。

 軋むドアを押して、暗いアトリエに入る。
 イーゼルに掛けられたカンパスは白く、穴のように夜に浮かんでいる。絵筆は乾き、生けられた花は見る影もなく干からびていた。それは一年前、彼女が生けた向日葵の花。夏を思わせる鮮やかな黄が、脳裏にはしっかりと残っている。

「あぁ……」

 そして、アトリエの奥に掛けられた一枚の絵を目にした途端、私の全身から力が抜けてしまった。日傘を差す女性と、その息子の絵。美しい絵であり、幸せな絵だ。それは『オスカル』という画家が描いた、その生涯の最高傑作だろう。私には絵の中からこちらを見つめる女性と、それを描いた男の心情が手に取るように分かった。
 そこには初夏の光が満ちていて、日傘のもたらすもの以外に影などない。なのにどうして……こんなに、儚げな風が吹いているのか。なぜ、ふと目を離せば光の下から居なくなってしまうような危うさを孕んでいるのか。描かれた当時、その絵は幸福そのものでしかなかったはず。だが、もしも時とともに絵の意味も変わるとするならば、その魔的な芸術は到底私の手に負えるものではないと思った。

「オスカル、さん?」
「……!」

 不意に背中へと掛けられた呼びかけに、私は背筋の凍る思いをした。
 振り返ってみれば、アトリエの入り口に立っていたのは……今や見慣れてしまった女性の姿。かつての友が破産し蒸発して以来、彼女はこの家で暮らしていた。

「ごめんなさい、急に声を掛けて。でも、何だか御気分が優れないように見えましたので」
 
 落ち着いた声。それは私の良く知っている声とは違うけれど、『オスカル』という響きは胸に突き刺さるような感覚がして。私は心配して歩み寄ってくるアリスを目で制して、軽く首を振った。

「いや、大丈夫だ。アリス、大丈夫だよ。ただ、いつも言っているだろう、その……」
「……ごめんなさい、クロードさん」
「ありがとう。さぁ、そろそろ夕飯だろう? 後で行くから、子供たちを頼むよ」

 はい、と返事をして素直にアトリエを出ていくアリス。その背中が、私を非難しているように思えた。許してほしいとは思わない。謝ることもしまい。だが、あの名前は否応なしに『彼女』を思い出させる。だから、私はそれを封印することに決めたのだ。オスカルという名前と、彼がかつて誓った絵画のポリシーを。

「そう、決めたんだよ、アリス」

 哀れな女だと思った。美しい人でもあった。亡き妻を重ねることなく、彼女を愛することは出来るだろう。そうする事をカミーユは望むだろうし、その道でしか、再び幸せを得ることは出来ないと判っていた。だからこそ、カミーユの面影は絵の中にしかあってはならなかったのだ。


 窓の外に白い月が昇っていた。
 しばし、その美しさに息を呑む。世界がこんなにも美しいのは、私たち人間が見ているからではないのだろう。悲しくても嬉しくても、幸せでもそうでなくても世界は輝いているのだから。 
 それが判った今、画家である私が描くべきものは一つだけ。
 かつて愛しいものを描いた結果が、この胸を掻き毟らねば治まらない痛みならば。この永遠に残る愛の面影ならば。私はそれを繰り返すべきではないと思う。それは、思い出と共に移ろい老いていく自らの心に留めるからこそ、きっと美しく在るのだ、と。
 芳しい夕餉の薫りが空腹を誘い、にぎやかなアリスの連れ子たちとジャンの声が私の心を慰めた。さぁ、私も食卓へ行こう。そして其処に幸せの欠片があるなら、私は笑っていなければならない——

 最後に。
 『光の画家』の名に恥じぬよう、クロード・モネとして誓う。
 この先、決して長くはない生涯において。私が描くのは、この限りなく美しい世界の風景だけであると。

(了)

Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.28 )
日時: 2013/04/04 21:24
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: a0IIU004)


『桜花の誉れ』

 刀折れ、矢は尽き。
 万策は元より、あれほど熱くたぎった血汐まで残らず流れ尽きた。そうして自らと敵の兵(つわもの)どもの血で重く濡れた大鎧と具足を引きずり、くるくると必死に落ち遁れた地で。
 その男、沖野佐兵衛(おきの さへえ)が見たものは、それはそれは美しい叢雲の如き桜の花だった。

「ふは、ははッ……儂は今世一の果報者か。それとも、もは此処は彼岸かの」

 あぁ綺麗だ、と心底から思った途端、総身から力が抜けてしまった。
 近くの太い桜樹の幹に組み付くようにして倒れ込み、最後の力を絞って仰向けになる。地面は昨夜の雨で泥濘んでいるが、もはやどうでも良い。抜けるような蒼穹と、高い日を遮って輝く桜花の色が目に沁みて。深く息を吐けば、それだけで気を失いそうになるのを堪え、佐兵衛はその美しい光景を焼き付けようと目を見開き続けた。

 それ以上は指一本動かせぬ、と言わんばかりの満身創痍、早い話が救いようのない死に体であった。幾多の戦場を共に駆けた愛馬も果て、数え切れぬ首級(くび)を狩った家伝の佩刀も右の手首ごと落とされた。ああ、そうか。動かす動かさない以前に『指などない』のだと思えば、何だか可笑しい。
 だが、自分のそれは敵味方を問わずに響き渡る獅子奮迅の働きであったはず。黒く大地を染めんとする騎馬の勢を眼光剣風を以て押し留め、美事、殿(しんがり)の名乗りを上げたのだ。
 今となっては戦の行方を知る由もないのが無念だが……我が主が窮地を落ち延びられ、捲土重来を期して戦に勝利された暁には。御主家を救った功により我が家名は昇り、惣領息子の重用は確かだろう。配下の兵たちの死も無駄にしなくて済む。

 ——さあれば各々方、後は宜しゅう。儂は、もはやこれまでに御座いますれば。

 自らの死を悟りながらも、佐兵衛は不思議と悪くない気分で微笑んだ。
 戦場(いくさば)で果てるのが一番だとは言え、このような極楽もかくやという桜の苑で死する事が出来るなら、それはまさしく武人の誉れというもの。心残りがあるとすれば、まだ辞世の句をしたためていない事くらいか。戦の前から死ぬ事を考えていたのではと、佐兵衛は今までどんな戦でも、『それ』を書く事はしていなかった。
 だが。もう意識は遠のき、痛みすら感じなくなってきた。句を練るような頭は回りようもない。さらに言えば甲の中に筆筒こそ持ってはいるが、そも、利き手は失われているのだ。これではいずれにせよ、今からではどうしようもないというものだった。

「む、ぅ……これは殺生な。はて、神か仏か、浄土か地獄か存じ上げぬが、少しばかり迎えを急き過ぎではないかの。辞世の一つや二つ、ゆっくりと詠ませてくれても良さそうなものを。まぁ何にせよ、書き留めてくれる者が居らねば無駄じゃろうが」

 ひとしきり文句を言ったところで、限界が来た。
 ずるり、と目蓋が落ちる。そのまさしく午睡に就くような感覚は、思ったよりもずっと優しい『死』だった。戦いの中での苛烈な死を覚悟していた身としては、なんと贅沢な話か。これは誰かれ構わず自慢したい所だが、それは叶わぬというもの。辞世の句も詠めない。ならばせめて、家の者には自分の最期の心持ちが分かるように……

「では。これより桜花の下にて、一代の末期と致す。希(こいねが)わくば、祖霊と共に護家の鬼とならん。巡り春来たりて、桜花の紅(べに)とならん。ふふ、やはり儂は果報者じゃ……はは、はははッ!」

 如何にも彼らしい剛毅な笑みを浮かべたまま、桜風を肺一杯に吸い込んで。
 ゆっくり、ゆっくりと吐き出したなり、佐兵衛は静かに呼吸を止めた。


○○○


「…………む」

 はて。自分は死んだ、のでは無かったか。
 それこそ眠りから覚めるように、佐兵衛は目を開けた。幾分かはっきりした視界には相変わらず馬鹿らしいほど青い空と、見事な枝振りの桜。と、そこまでは変わらない。
 が、妙な陰が顔にかかると思えば、自分の顔を『誰か』が斜めから覗き込んでいた。逆光で影のようになって、顔は判らない。男女の別も定かでない。しかし、その着物だけは桜の花弁を散りばめたような美しい色をしているように見えた。

「やっ、むむ?」

 正直な話、いくら歴戦の武人だとて寝起きは弱い。
 寝込みを襲うような輩は今まで滅多にいなかった上に、自分は死んだと思っていたのだから仕方がないとも言えたが。ともかく、佐兵衛は自分の顔を不躾にも覗き込んでいる影と、数秒に渡ってじっと目を合わせ続ける羽目になり……そして。

「ッ! 貴様、誰(たれ)か!」
「ひぁッ! 待った、待て……しばらく、しばらく!?」

 電光石火——腰巻に差していた短刀を引き抜き、影の頚筋に押し付けた。
 躰が壮健だったならば、迷わず一文字に頚を曳き切っていただろう。だが、こちらが吃驚するような青年らしき大声と、動かぬはずの死に体を無理に動かした事。そして慣れぬ左手であった事から、佐兵衛は寸での所で動きを止めた。

「誰か! 名を名乗れい。此処で何をしておった。儂が死んだと思って首級を狙ろうておったのか。死に首狩りは恥ぞ、童(わっぱ)め」

「あ、あぁ……待て、落ち着け、お侍さん。そんなにいっぺんに訊かれても答えられん。とにかくだ、その物騒なもんは下ろしてくれまいか。喋っただけで喉が、こう、ね?」

 ——目が逆光に慣れてくると、その風貌が良く見えた。
 多分、男である。年の頃は十六のあとさきだろう、まだ若い。整ってはいるが幼い印象の顔つきに、その細い眉に掛かるほど総髪を伸ばしていて、どうにも武人らしくは無い。見れば確かに桜色の着物を纏い、それだけでは女子(おなご)と間違えてしまいそうな雰囲気を持っていた。居ずまいにも京人(みやこびと)のような気品が伺える。故に町人とも農民とも言えそうにない、なんとも面妖な青年であった。
 だが、丸腰で危険はなさそうだ、と。佐兵衛は短刀をゆっくりと下ろし、奪われぬよう丁寧に腰巻に戻した。

「た、助かった。いやぁ、寿命が五十は縮みもうしたよ。南無南無……」

 真に、面妖としか言い様のない青年である。
 あと五十年もしたら、彼とて土の中であろうに。本気で言っているとしたら、こいつは魑魅(ちみ)か妖(あやかし)の類であろう。はてさて、これは夢か幻か。
 佐兵衛は眉を潜めつつ、どこか緊張感に欠けた笑みを浮かべる青年を鋭く睨めつけた。

「で。ぬしゃ、『何』ぞ。此処は『何』ぞ。言え。誤魔化しは無用、儂には判っておるぞ」

 そう佐兵衛が言うと、はっと青年は息を呑んだ。と思えば、次の瞬間にはまたヘラヘラと笑っている。見れば、彼の頚には一条の傷もなく、泥濘んでいるはずの地面には佐兵衛が来た時の足跡しかなかった。
 ああ、やはり間違いない。そも、自分は確かに『死んだはず』であった。ならば今、こうして横たわっている桜の苑や、桜色の青年は……

「あれ、何だ。お前様、意外と頭の柔らかい。『その躰』でまだ動ける事といい、大した御仁だね」

 にやり、と。
 悔しいほどに艶のある笑みを浮かべ、青年は自らの非実在を認めた。
 こう、真上を百鬼夜行が渡っていった心持ちがしたが、佐兵衛は持ち前の胆力で以て無視を決め込んだ。

「君子、怪力乱神を語らず、とは言うがの。多くを斬った故に判るのだ、儂は確かに先刻亡うなったとな。ならば主(ぬし)は死神か。それとも地獄の鬼か。まさか極楽の使いかの? それならば父祖殿にも会えようものだが」
「あはは、気の早い。『そいつら』が来るのは、もう少し後で。僕は、そう……これで御座いますよ、お侍さん」

 と言って、青年はやおらに斜め上を指差す。
 そこには丁度、佐兵衛の真上にあたる桜樹の梢が風に揺れていた。

「なに?」
「む、分からいでどうします。ほらほら、これ。お前様が枕にしておる根っこ、それは僕の『半身』で御座いますれば」
「は……」

 ——それは或る意味、死神云々よりもずっと現実味がない話だった。
 頭上に咲き誇る満開の桜の、楚々として美しい立ち姿。言われてみれば、それは青年の持つ柔らかで華やかな雰囲気に良く似ている。
 そして、彼は役者のように両手(もろて)を広げて躰をくるりと廻し、慇懃に礼をしながら言った。

「僕の名は『サクラ』。あぁ、僕たちに男女の別はないによって、考えても無駄で御座いますよ」


(続く)

Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.29 )
日時: 2013/04/04 21:25
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: a0IIU004)

○○

「して。その魑魅の類が儂に何用じゃ」
「これはしたり! 魑魅と言われるのは良いとして、何用じゃとは!」
 
 失礼、と言うなり佐兵衛の傍にどっかりと胡座をかいたサクラは、大袈裟に天を仰いで溜め息をついてみせた。だが顔は相変わらず、へらへらと笑っている。先ほど佐兵衛が渋々と自分の名を名乗ってから、ずっとこんな感じであった。
なんて胡散臭い。だが佐兵衛には、もう真か虚かなどはどうでも良い事だった。

「分からんものは分からん。何処ぞの黄泉の使いでないのなら、死んだ儂に何用がある」
「それはまぁ、ほら。『死んでいる』から用があるとは思われぬのか」
「余計分からんわ。お主の膝下でおっ死んだのは悪いと思うたがな、儂とて選んだ訳ではない」
「何だ、あれほど儂は果報者じゃ、とか言っておったくせに。まったく、武士とは意地っぱりばかりで敵いませぬな。佐兵衛殿、お前様も大人(たいじん)か小人(しょうじん)か分からん」
「はん、好きなように申せ。こればかりは、どうせ死んでも治らぬよ」

 今際の際に至って、いや、既に死んでからにして下らない会話であった。
 ふと一瞬でも気を抜けば、春風に誘われて直ぐに眠ってしまいそうな倦怠感。別に抗わずとも良いのだが。そうしていざ眠ってしまおうとすると、すかさず頬を叩かれた。

「しばらく。お前様よ、だから僕は用があると言うておりましょうに。勝手に召されるでない」
「勝手に、とはまた勝手な。ええい、ならば勿体付けず、早う用を申せい」

 それは横暴であろう、と。きっと睨みつけてやるなり、サクラは後ろに仰け反った。
 魑魅の類でも刃は怖いと見える。ちらちらと腰巻の辺りを伺いながら、やっこさん、妙に居住まいを正し畏まった風に言った。

「ならば申しますが」
「おう、早う」
「ご存知、我ら植生は土から糧を得ます」
「当たり前じゃな」
「ええい、茶々を入れなさるな。僕にとっては話しにくい事なのです。そう、されど、そればかりで足りる訳でもなく、こうして美しい花を咲かせ子孫を残そうと思うたれば……」
「ああ……そうか」

 ——古説曰く、桜は骸(むくろ)の上に咲く。

 そのあまりにも有名な言い伝えに思い至って、佐兵衛はようやく得心した。この場所は、かつて佐兵衛たちの父祖が戦をした古戦場だ。弔われる事もなく地に還った兵(つわもの)たちの骸が、こうして桜に淡い色を付けているのだろうか。そう思えば、その薄紅色がどこか危ういものにさえ思えた。
 ざぁ、と鬨の声のような風音が、不思議と耳につく。サクラは、次の言葉を言い淀むように俯いていた。

「つまるところ、儂を喰らいたいのか、サクラよ」
「っ、違う、僕とてそうはしとうない! しとうないのです!」
「…………」

 急に大声を出したと思えば、佐兵衛の顔をじっと見つめてくる。その表情はやはり真剣で、あのへらへらとした笑みは何処かへ行ってしまったかのようだった。
 そして、聞いて頂けるか、と神妙な前置きをして。サクラは人心には在りうべからざる葛藤を語り始めた。

「草木とは、獣の如く狩りをせぬもの。禽鳥の如く魚(うお)を獲らぬもの。そして人の如くに互いで殺し合いをせぬもので御座います。ははっ、ただそれだけを聞かば、なんと清らかな生類か。人々が詩に草花の美しさを詠いしは、つまるところ、そのような聖者(しょうじゃ)の如き在り方に憧憬を覚えるからで御座いましょうぞ」

 サクラが息を継ぐ合間に、ぐっと日が傾いたような感覚。
 このまま夜になれば、きっと真の迎えが来るのだろうと佐兵衛は思った。

「だが、それは違う。間違っておる。そんなのは人が我らに抱きおった勝手な解釈で、我らの本質は鳥獣にも劣らぬ『貪欲』なので御座います。考えてもご覧なさい、草木の糧となるは大地の養分で、その養分とは紛う事なき『物の死』。生きとし生けるもの、自らの眷属すら『死』を以て糧とするので御座る。お分かりか、佐兵衛殿。僕は、お前様の死を喜んでおるのだ。魂まで貪ろうと、こうして黄泉路に逝かれる前に捕まえておる。そういう生き物故に仕方が無い。いくら僕が『人らしく』振舞った所で、渇きは癒せぬのです。さてもさても、もはやお前様が立って遁れることも、無論の事、僕が歩いて避けることも出来ぬ故……」

 その自嘲気味に笑う様は痛ましかった。
 サクラが地面に付きそうなほど頭を下げているのは、佐兵衛ひとりに対してというよりも、これまで糧としてきた生きとし生けるもの全てに対してなのだろうと思う。

「この通り、許して欲しい。僕は、お前様を離す訳にはいかぬ。浄土にも地獄にも行かせる訳にはいかぬ」

 そう言って佐兵衛に向けて謝したなり、サクラは微動だにせずに言葉を待っている。気持ちは、まぁ判らないでもない。仮に人間が牛馬や稲穂に向かって懺悔する事があるならば、きっとこうする他にあるまいと佐兵衛は思った。
 大きく息を吐き、視線を暗みはじめた空へと泳がせて。さて喚くべきか、嘆くべきか。得物は頼りないが物は試し、無礼討ちにでもしてみるか。
 そうして逡巡とも呼べぬ短い思考の末。桜の散り始めだろう一片が落ちるのを目で追う間に、佐兵衛は答えを出していた。

「ふむ、相判った」

 ——そのとき佐兵衛は確かに、勢い余って地面に頭を打ち付けるサクラを見た。

「は……!? な、今なんと?」
「だから、相判ったと。何を口開けておるか、見苦しいからやめよ」

「のう、サクラよ。ぬしゃぁ言ったな、人は互いに殺し合う生き物じゃと。確かにそうだ、しかも儂の如き武人ならば尚更じゃの。この戦に限っても、斬った人数は数え切れん。落ち延びる時などはもっと酷いぞ、もう己が助からぬと知っていながら、見るからに年若い追手どもを何人がとこ斬って捨てたか知れん。それでも彼奴らが儂を追うたのは、何故か分かるか。それはほれ、この首級が『誉れ』となるからじゃ。儂が此処まで遁れたのは、それがこの身の『誉れ』であるからじゃ」

 佐兵衛は一息つき、落陽の眩さに目を細めた。
 もう、しばらくも保たぬだろう。日に二度も死ぬなど、そう出来る経験ではないと思えば、不思議と顔は緩んだ。我ながら何故にここまで舌が回るか知れないが、どうも死に目に会えず仕舞いであった息子たちへ語っている気になっていたらしい。そう思えば恥ずかしくもあるが、今さら佐兵衛の口は止まらなかった。

「つまるところ、儂らは『それ』を競い合って戯れているようなものじゃ。この憂き世で確かなものはそれだけよ。儂らのたかが五十年など、父祖に子孫に誇れるような生き方たれば、それだけで良い。お主は武士ではないが、そう思わぬか、サクラ。お主は初陣に立つ若武者のようじゃ。儂の倅もそんな年での、命を奪う事が怖いと震えておったよ。だが怖れることはない。善悪はうっちゃっておいて、意味があるか否かだけを気にすれば良い。しからばどうじゃ、お主が糧とした命が無駄だなどと、少なくとも儂は思わん。ならば、さぁ……あっぱれ誉れ高く、儂の首級を以て花と咲け」

「佐兵衛殿……」

 俯いたまま聞いていたサクラの目に、落陽の赤が光る。
 武士の情けで見なかった事にしていると、やがて顔を上げた彼は、以前のようにへらへらとした笑みを浮かべて。

「……は、やはり大した御仁だ。死ぬのも奪うのも恐ろしゅうないなど、僕には真似が出来そうにない」
「まぁ、正直に言えばの、地獄行きだけは怖い。じゃによって、お主に食われて浮き世にとどまるのは望むところなのだが」
「はははっ! よしよし、ならば僕は張り切って千年は生きましょう。その頃には閻魔様の地獄帳も取っ替えられておって、お前様の事など分かるまい」

 違いない、と佐兵衛はサクラと共に笑った。
 悪くない死出だと思う。この一時、もしくは一生が夢だとしても、その最期は確かにこうして笑っていられたのだから。

「そうじゃ、ついでに聞いてくれるかの」
「なんだ、まだ未練があると。はは、さっきは格好良い事を言いおってからに、情けないのう」
「違うわい。武士たるもの、辞世の句の一つも残したい。が、生憎と紙とか手首とか、色々と持ち合わせがなくての。この際、残せなくても良い。せめてお主、聞いてくれるか」
「む……心得た、聞こう。いつか人にでも転生(てんしょう)したならば、お前様の事を句と共に誰かれかまわず語り聞かせましょう」
「はは、それはありがたい。では……」


我が霊(たま)の 標たれかし 桜花
千代の先まで 誉れ伝えよ


 笑声は高く、桜舞う空へ。
 佐兵衛はそこに、見果てぬ父祖らの面影が浮かぶのを見た気がした。いや、ここまできて気のせいでもあるまい。その中で父は満面に笑みを浮かべ、誉れ高く死にゆく佐兵衛を「良うやった」と懐かしい戦枯れした声で褒めてくれた。

(了)


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