複雑・ファジー小説
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- ハラワタ共同体。
- 日時: 2012/05/07 18:32
- 名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)
はじめまして、緑川蓮といいます。
この小説の、最後までお付き合いいただければうれしいです。
5がつ6にち
ちょっと読みやすくしてみました。
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- ハラワタ共同体。 ( No.3 )
- 日時: 2012/04/30 11:53
- 名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)
少し癖のある髪の毛の、網代というその少年は、美少年と呼ぶのに相応しいと思った。切れ長の目は、優しげな光を湛えている。しかし何より、纏う空気が、同年代のほかの少年とは違うように思えた。なんというか、彼の周りだけ静まり返ったような、そんな雰囲気があるのだ。あくまでそれは雰囲気であり、実際はセミの鳴き声が保健室の中にまで聞こえてきているのだが。
「ごめんなさい、保健室にまで押しかけてきてしまって」網代が口を開いた。澄んだ声だった。「いや、それは構わないのだよ」「具合、大丈夫ですか?」「ああ、だいぶ良くなってきたところだよ。ありがとう」。
網代は、その喋り方までもが落ち着いていた。通常、生徒が教師と会話するときは、生徒は多少なりとも緊張するものである。しかし網代は全くそれが無いのだ。それは一介の高校生でありながら探偵としてあちこちを渡り歩いてきたからなのだろうか。しかしだからといって、傲慢というわけでもないように思える。よほど聡明で素直な少年なのだろうと、二言三言会話を交わすだけで、十分に理解できた。
「ところで、キミがこんな田舎の高校まで来たのは、やはり例の連続殺人事件が理由かな?」「はい、その通りです」網代は頷いた。「まあ、その何だ。キミがその齢で優秀な探偵なのはわかるが、あまり危ない真似はするなよ。まだキミは子供なのだから」「ええ、ちゃんとわかっていますよ」網代はにこりと微笑んだ。
最近この田舎町では、立て続けに殺人事件が起きている。しかも犯人がやり手なのか、未だに逮捕されていないのだ。今話題の高校生探偵がこの田舎を訪れるには、十分な理由だと思った。それと同時に、あまりにも危険だと思った。しかし、彼を止めるべきかどうかも判らない。
それじゃあ、僕はこれで。網代はそう言って笑顔で会釈すると、保健室を出て行った。緩やかに扉が閉められた後、だんだんと足音が遠のいていく。
私は、網代という少年の聡明さが羨ましくもあり、同時に可哀想に感じた。きっとその聡明さゆえに、多くのものを周りの大人から背負わされてきたのかもしれない。それでよくひねくれずに真っ直ぐ育ったものだと感心した。
♪
「ぬぼぁーふぅーん」変な声を上げてしまった僕。しかしその声はむなしく、一面の田んぼに吸い込まれて行った。「むなしいねえ」。
凄く暑い。雲ひとつ無い青空で、太陽はゴキゲンである。このやろう、人の気も知らないで。と、心の中で悪態をついてみたけど、太陽がそれに応えてくれるはずもなかった。むなしいねえ。
しかしメダマは相変わらず汗一つかいてやしない。まるで彼女だけ、海辺の砂浜にでも居るかのようだった。僕はからっからの砂漠のど真ん中である。たった三十センチの差が、とんだ違いであった。
どうしようか、このままでは溶けてしまう。もしくは、僕の照り焼きの出来上がりである。こんがりである。
「溶けたら飲んだげる。照り焼きになったら食べてあげるよ」メダマが涼しげな顔をして言った。「うん、お願い」ああもう、メダマはかわいいなあ。
メダマに飲食されるのなら、溶けたり焼かれたりするのも悪くないかもしれない。がんばれ、太陽! と、心の中でエールを贈ってみたけれど、太陽は相変わらず知らん振りをしていた。
ああ、歩いても歩いても、進んでいる気がしない。あとどれだけ歩けば、このあぜ道を越えられるのだろう。帰ったらパンクしている自転車のタイヤに、空気を入れよう。そう決意した。
そのまえに、一休み。あぜ道の隅に腰掛ける。メダマも僕の隣に、ちょこんと足を抱えて座る。あぜ道の隅は雑草が生えているから、白いワンピースに砂埃がつく心配は無かった。
メダマの横顔は、美しかった。肌は陶器のように白くて、綺麗だった。この世のものとは思えないほど美しいというのは、まさにこのことを言うのかもしれない。
僕の視線に気づいたのか、メダマは僕のほうを向いた。
「何?」「なんでもないよ。メダマの横顔を見ていただけ」「そう」。
メダマはまた前を向いた。どこを見ているというわけでもなく、ただ遠くを眺めているだけらしい。メダマの視線の先、ずっと先には、青い山があった。
何年か前に、僕ら二人は『ある事件』に巻き込まれた。被害者は全部で四人。メダマと、メダマの母さんと、僕と、僕の父さん。そして、生き残ったのは僕とメダマだけだった。僕の父さんとメダマの母さんは、バラバラにされて死んだ。殺された。僕はというと、顔を切られて、足と腕を切り落とされて、内臓が飛び出しながらも、命だけは助かった。
メダマのお母さんは綺麗な人だった。それでいて、優しい人だった。僕の父さんは、あまり喋らないし無愛想だったけど、優しかった。
そして二人は僕たちの目の前で解体された。綺麗な顔がはがれて血と肉が出てきた。だんだん人の形ではなくなっていった。そのうちに、潰れたトマトが並んだようになっていった。
僕の父さんとメダマの母さんの次は、僕の番だった。それで、それで、
「だいじょうぶ?」メダマが僕の顔を覗き込んでいた。「大丈夫、だ、よ。ありがとう、メダマ」。
苦しい。今にでも吐いてしまいそうだ。これ以上思い出したくもなかった。無理に思い出そうとすれば、たぶん気が狂ってしまう。身体の中が、締め付けられるように痛い。ちくしょう、最悪だ。
「ねえ、君。大丈夫?」不意に、後ろから声がした。綺麗な声で、一瞬男か女かわからなかった。「救急車を呼ぼうか?」「いや、いらない。大丈夫」
振り返ると、立っていたのは、少し癖のある髪の毛の美少年だった。ウチの学校の制服を着ているけど、その顔に見覚えはない。誰だろう?
- ハラワタ共同体。 ( No.4 )
- 日時: 2012/05/09 16:30
- 名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)
「手、貸そうか?」癖毛の美少年は、僕に手を差し伸べてきた。「ありがとう。君、ここいらじゃ見ない顔だね」「うん、つい昨日引っ越してきたんだ」。
僕はこの少年の顔をどこかで見たような気がするけど、どこで見たかは思い出せなかった。他人の空似というやつなのかもしれない。少年の左目の下には、泣きぼくろがある。見たところ僕と同い年なのに、しっかりとした雰囲気をまとっているのがわかった。身長も、少年のほうが高い。
「おれは網代 湊(アジロ ミナト)っていうんだ」「僕は美波掌」「テノヒラ? 珍しい名前だね」「よく言われる」。
網代はにこにことしている。笑顔が自然で、作り笑いっぽさが全然ないのが逆に不気味だと思った。いつもあまり表情を変えないメダマとは真逆な気がする。メダマは表情をあまり変えないが、考えていることがすぐにわかるのだ。
そういえばメダマは、じぃっと網代のほうを見ているだけで、自己紹介しようとしない。恥ずかしがりなのだろうか。それもメダマの可愛いところなのだけれど。
「それから、こっちは雨雲メダマ。僕の幼馴染なんだ」網代に、メダマを紹介する。そのとき、なぜか一瞬だけ網代の笑みが途絶えた。「うん、よろしくね」しかしまたすぐに、さっきの笑顔に戻った。
あぜ道を、網代と三人で帰っていくことになった。とりとめもない話をした。網代は転勤族で、日本各地の学校を転々としているらしい。明日僕の通う高校に編入するが、もしかしたらまたすぐに転校してしまうかもしれないと言っていた。すぐに友達と別れるのは寂しくないか訊いたら、寂しいけど、それよりもやりたいことがあるんだと言っていた。僕には友達というものがいないので、なるほど、友達ってそういうものなのかと思った。
他にも僕は網代に、君は僕の顔のつぎはぎを気にしないんだねと言った。そうしたら網代は、だって、そんなもの気にしたってしょうがないじゃないかと言っていた。なぜか、胸の奥がじんわりした。具合が悪くなったのと、また違う感覚で、ひょっとしたら何かの病気なのだろうか。
メダマは終始、僕の隣を黙って歩いていた。人見知りなのかもしれない。ただ、相変わらず汗はひとつもかいていなかった。
あぜ道を抜けると、山の中に繋がる鳥居がある。鳥居の向こうの石段を登っていくと、神社があるのだ。
僕たちと網代は鳥居の前で左右に分かれた。
「じゃあね」「うん、また明日学校で」網代は笑顔のまま軽く手を振って、行ってしまった。
日はだいぶ傾いていて、西の空はオレンジ色になりかけている。まだセミは鳴いている。この辺りは森の目の前なので、とくにセミの鳴き声がうるさい。ただ、木陰で吹く風が気持ちよかった。
「ごめんね、メダマ。ほったらかして」メダマは無言で、表情を変えない。「さ、今度こそ早く帰ろう。アイスとクーラーが待ってる」。
僕らも、網代とは反対側の方向へ歩き出した。
♪
案の定、アパートの部屋の中は電気がついていなかった。実は一人暮らしなので、電気がついていたらそれはそれで怖いと思う。玄関の靴箱の上にバッグを置いて、洗面所で適当に手を洗ってうがいをする。この時期は、ノロウイルスに気をつけるべきなのだ。
それから、真っ先にノートパソコンの電源を入れた。調べたいことが出来たからだ。調べたいことというのは、八年前に都内で起きた殺人事件である。
『美波掌』それから『雨雲メダマ』。この名前で検索をかける。当時、とても話題になった事件なので、たくさんの該当ページが出てきた。
被害者は四人。内、重傷が二名、死亡者が二名。通報したのは当時の小学校教師。
見知った生徒の父親と母親が血相を変えてアパートの中に駆け込んでいったのを見て、それを不審に思い後をつけていったところ、たまたま、地獄絵図のようになった現場を目撃したのだという。
その後犯人グループは逮捕され、犯人グループらには無期懲役の判決が下された。彼らの目的は被害者の臓器で、それを売るつもりだったという。
当時はそれこそ、ニュースを見て腹の奥が煮えくり返ったことを覚えている。
そして今日、『美波掌』『雨雲メダマ』という珍しい名前を聞いて、ピンときた。やはり彼は八年前の事件の生き残りであり、あの顔の傷はその時の名残りだったのだ。
今回の連続殺人事件は、八年前の事件と深いつながりがある予感がする。しかしそうなると、幾つか腑に落ちない点があった。
八年前の事件とつながりがあるという予感が当たっているとすれば、この連続殺人事件は簡単に解決している筈なのだ。しかしそれでも、未だに犯人は捕まっていない。何か、理由があるのだろうか。だとしたらそれは何だろう。
考えるうちに、ふと、ひとつの可能性に思い当たった。東京都にいたころに聞いた刑事の名前を思い出したのだ。
若くして何件もの事件を解決に導いた腕利きの刑事であったが、転勤したのだという話を聞いた。
かくいう僕もその人に助けられた一人であり、そのとき、今度は自分がこの人を助けられるような職業に就こうと、そう決めたのだ。
ポケットから素早く携帯を取り出し、ある番号に通話をかける。通話をかけた相手は、都内に居たときに世話になった警部である。小柄な警部の優しげな声は、都内に居たころとちっとも変わっていなかった。
「やあ、網代君。キミと電話するなんて久しぶりだね」「お久しぶりです、軒端警部。今日は、ちょっとお伺いしたいことがあって」「おいおい、またかい?」「ごめんなさい」「堪忍してくれよ、一応警察の情報は外に流しちゃいけないんだからさ」警部はそう言いながらも、かっかっかと笑っていた。口ではそう言いながら、おれの事を信頼してくれているのだ。「それで、何が訊きたいんだい?」「八年前、美波掌と雨雲メダマが誘拐された事件を覚えていますか?」「ああ、あれは酷い事件だった」警部の声が翳った。「ぼくも現場に行ったのだけれどね、見るに耐えない有様だったよ。まったく、酷いことをするもんだ」「確かその事件の後、本庁から別の署に移った刑事がいたのですよね?」「そうそう。君もよく知っている、『あの人』だよ。いや、今思い出しても優秀だった。あのまま本庁に留まっていれば、今頃警視正にだってなれていたろうに」「やっぱり、ですか」「うん、どうしたんだい?」「いえ、それが聞きたかっただけです」「おお、そうか」警部は少し寂しそうに言った。「またかけておくれよ。君の元気な声を聞くたび、孫が居るようで、ぼくは嬉しいんだ」「ありがとうございます。では、また」。
椅子に全ての体重を預けて、天井を仰いだ。
まさか、よりによって、こんなところで、しかもこんな形で『あの人』と再び関わることになるとは思ってもいなかった。
おれがその命を救われ、そのときから憧れ、その背中を追い続けてきた人。きっと向こうは、おれの名前すら覚えていないだろうけれど。
とにかく、これで確信した。この田舎町の連続殺人事件と、八年前の事件は繋がっている、と。
- Re: ハラワタ共同体。 ( No.5 )
- 日時: 2012/04/30 23:05
- 名前: 茜崎あんず (ID: 92VmeC1z)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=12699
初めまして。茜崎あんずと言います。
凄く凄く凄く面白いです!!!!
人物名が個性的で素敵だし内容も最高です!!!!!!
私もこういうのがかける人になりたいと思ってます。弟子にして下s))殴
更新を毎日楽しみにしてます。常連になります!
ヨロシクです!!!!!
- Re: ハラワタ共同体。 ( No.6 )
- 日時: 2012/05/01 02:16
- 名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)
茜崎あんず さん
暖かいコメント、ありがとうございます。
コメントがくるとは思っていなかったので、凄くびっくりしてます。
まだ未熟だけど、これからもがんばらせていただきます。
よろしくお願いします。
- ハラワタ共同体。 ( No.7 )
- 日時: 2012/05/01 18:48
- 名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)
「あヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁ、ヴぁーヴぁヴぁヴぁ」僕の奇声が、扇風機を通して部屋中に響き渡っている。
クーラーをがんがんかけたうえに、扇風機の風を独占しているのだ。夏だからこそ許されるぜいたくだ。電気がもったいないといったって、仕方がないじゃないか。その上、地球は温暖化しているのだ。こんなに暑くては、こうでもしなければやっていられない。見ての通り、僕には何の非もなかった。
「メダマもおいで、涼しいよ」メダマは首を横に振った。「暑くないの?」今度は縦に振る。「そっか」。
八年前から、僕とメダマは一つ屋根の下に住んでいる。メダマの父さんはとても有名なお医者さんで、世界中を飛び回っている。そのせいで、中々メダマにかまっている余裕がない。だから、メダマは僕の家に居候しているのだと、僕の母さんは言っていた。
玄関のほうから、がちゃがちゃと音がした。その次に、扉が開いた音がした。母さんが帰ってきたのだ。ふぃぃ、と間抜けなため息の音が聞こえる。
「やあやあただいま」「おかえり記念」「お母様と呼べ、お母様と。あるいはマミー」「貴乃花」「ぶっ飛ばされたいか。ていうか、性別変わってるし」「マイケルジャクソン」「アォッ!!」。
僕の母さん、美波 記念(ミナミ カタミ)は両手からスーパーの買い物袋をぶら下げていた。きっと仕事の帰りに、買出しに行ってきたのだろう。
母さんは実年齢よりもかなり若く見えると、以前に住んでいた場所では噂になっていた。けれど、どっこいしょと声を上げ、ビニールを降ろしてからソファーに寝転がってテレビを付け、腰が痛いとのたまう動作は、紛れもなく中年のおばさんのそれだった。挙句の果てに、ビニール袋をまさぐって中から取り出した発泡酒の封を開けて一気飲み。
「ヴぁー、生き返るぅ」売れ残ったオフィスレディのようにも見えた。
八年前に父さんが殺されてから、母さんは女手一つで僕とメダマを育ててきた。それは素直に凄いと思うし、きっと僕はこの人に一生頭が上がらないだろう。
今でこそ、だいたい毎日この時間帯に帰ってくるが、昔の母さんは仕事に忙しくて、滅多に家に帰ってはこなかった。話題に出ることはないけど、やっぱり母さんもあの事件のことを引きずっているのだろうか。
能天気にビールを煽って、テレビを見て大爆笑している姿からは想像も出来なかった。
「おぅい、掌。今日はお前が晩御飯作れやい」母さんの声は間延びしていて、たった一本のビールで泥酔してしまっているのがわかった。「なんでだよ、今日は母さんの番だろ」「文句言わないのぉ。たまには親孝行してみぃよ」。
こうなった母さんに、最早何を言っても通用しない。こちらが何か言えば言うほど母さんは笑い、怒れば怒るほど母さんは大爆笑するだけだ。
あきらめた僕は、しぶしぶ立ち上がる。ビニール袋の中身を見てみると、野菜類が幾つかと、魚の切り身に豚肉、それからお米と冷凍食品があった。
そういえば、冷蔵庫にはカレールーがあったような気がする。
「ねえ、メダマ。今日はカレーで良い?」メダマは頷いた。メダマは基本的に、嫌いな食べ物は無いようだ。「母さんも、カレーでいいよね?」「あヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁ、ヴぁヴぁーん」振り返ると、さっきまで僕が独占していた扇風機に張り付いている母さんがいた。「ねえ、思い切り殴って良い?」「あらやだぁ、ウチの息子がグレちゃった」。
リビングの中に、野菜を切る包丁の音と、母親の奇声が響く。にんじんを切り始めた辺りから、もうなんか、どうでも良くなってきた。メダマは隣で、じっと僕の手元を見ていた。メダマが家事を手伝うことはない。母さんが、居候なのでやらなくても良いよ、と言っているのだ。
僕の大切なメダマが包丁で指を切ったりでもしたら大変なので、僕もそれには反対しない。
「そういえばさ」「んうぅー?」母さんは相変わらず酔った様子で返事をした。「明日、ウチの学校に転入生が来るんだって」「ほへぇ」「で、今日の帰りにたまたまその子に会ったんだ」『その子』と呼ぶには、いささか雰囲気が大人びていた気もするけれど。「確か、名前は網代湊って言ってた」そのとき、返事はすぐには返ってこなかった。「母さん?」気になって振り返ると、母さんはだらけきった体勢のまま、目を細めて神妙な顔つきをしていた。それから、「ふぅん」と言った。「知っているの?」「うん、結構有名だよ、その子。この間はテレビにも出てたし」「へえ、そうなんだ」。
なるほど。だから顔を見たときに、見覚えがあった気がしたのかもしれない。でもそうなると、どうしてそんな有名人がこの田舎へ来たのか。少し、それが気にかかった。明日学校で会ったら聞いてみよう。
思えば、自分から誰かに話しかける予定を作ったのは初めてだった。
鍋の中では、カレーが煮えていて、おいしそうな匂いを放っていた。

