複雑・ファジー小説
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- 夏のおわりの挽歌[完結済]
- 日時: 2013/01/27 13:35
- 名前: 名純有都 (ID: vPvQrDFb)
どうも、こんにちは。名純有都です。
ここでは私の過去の作品を載せて行きます。あくまでも過去なので、修正も何もなくただ書き連ねて行きます。
『——夏が逝く。あの女と同じように』
〜目次〜
壱 >>1 弐 >>2 参 >>3 肆 >>4 伍 >>5 陸>>6 漆>>7 捌>>8 玖>>9 拾>>10
- Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.3 )
- 日時: 2013/03/28 22:24
- 名前: 名純有都 (ID: td9e1UNQ)
第三章 ロストネーム
昔の名前は風間小夜子だった。母の名前と、立った一文字しか違わなかった。小夜子と小枝子。よく祖母に間違えられた覚えがある。
ただし、今の私にはこれといった家族もいないし、風間家と証明するものも全て捨てたから戸籍もとうに喪失したけれど。
風間家の人間は、父以外全員が家族を大事にしていたのだろうか、ほとんどが鬱になった。
「小夜ちゃん、かわいそうに。かわいそうに」
「辛くなったらおいで。いつでも迎えてあげる」
そう言うばかりで、すぐにみな死んだ。もう歳だったからかもしれないし、鬱のせいだったかもしれない。
ようは、私が頼るものはもうこの世に存在しないという事だけだった。あるとすればそれは、事実という名の自分。自分がいま涙を流し、怒り、戸惑っているというどうしようもない事実だけ。
戸籍を擁護するものがいなくなると、やがて私は自然と無いもののように扱われるようになった。学校は辞めた。居場所はなく、実質住んでいた家も追い出され。
しかし私は仕事を見つけた。
それは、田舎でひっそりと農家の手伝いをし、重労働が億劫な老人を手伝い、老人たちの世話をし。——下町で、身を売って稼ぐ。それで生計は立てた。
最初に「買われた」記憶は、もう無くなっていた。この世にまだ「身を売る」という概念が定着しているかは、いささか疑問だけれど。願いは芽生えなかった。「初めては、好きな人が良かった」だなんて贅沢は。
名前は無い。夏目漱石じゃないが、本当に私には名前が無かった。名乗るとしたら、昔の名前を怯えながら呟くだけ。「小夜子」と。
男に抱かれるのはすぐに慣れた。生きて行くためならなんでもしようとまでは思っていなかったけれど、生きてみようとは思っていたから。
なぜあんたみたいな娘が、男に抱かれようと思ったんだ、と聞かれたことがあったなぁ、と思いだす。きっと聞いてきた男だってわかっていたはずだ。
女が身を売るのは生きるためだ。それ以外に何がある。ただの阿婆擦れって可能性もあるが。
「……あー。重い」
心も体も考えも、この荷物もなにもかも重い。夏になると、どうも自分は変だ。
とめどなく汗が流れ落ちてくる。それをぬぐって、見えてきた川の方に歩く。
冷たい水気を含んだ空気が、心地いい。湿気とは違う清涼な空気だ。
「さよちゃーん」
河原には、見知った農家の小母さんがいた。きっと、私と同じことを考えて川で野菜を冷やしているんだろう。
「おばあちゃん、野菜冷やしてるの?」
「そうだよ、さよちゃんもかい?」
「里の方から持ってきたから、そろそろ冷やさないと痛んじゃいそうだから」
「そうだね、どうせならここに置いていって家でお茶でも飲んで行きなさい」
小母さんは有名なコメ農家の人だ。いつも、米を分けてもらって助かっている。
「わあ、ありがとうございます!」
木にロープで籠を括りつけ、流れて行ってしまわないようにする。一時間も置いておけば、冷えるだろう。
そう思って、私は彼らの家にお邪魔になることにした。
- Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.4 )
- 日時: 2013/03/28 22:25
- 名前: 名純有都 (ID: td9e1UNQ)
第四章 哀しみと刺し違えた幸せ
「はい、お冷」
「ありがとうございます」
縁側にはやはり風鈴がつけられていて、風に吹かれるたび、ちりんと涼やかに鳴る。ガラスでできたその向こうに見える湧きたつ入道雲、昼も大分過ぎた夏の空。
強烈なデジャヴ、センチメンタル、ホームシック……その他諸々の感情が駆け巡って、やがて爆ぜた。
斉藤さんの家は、私の家と比べ風通しが効いていてとても涼しい。私がチエおばあちゃんと呼んでいるここの家の小母さんは、私を孫のように可愛がってくれている。居心地も、あの焼けつくような外と比べとても良い。
「川の野菜、きっと冷たくて美味しいですよね」
「そうだねぇ、きっと胡瓜が美味しいよ」
「……そんなシーン、どっかのアニメで見たっけなぁ」
「ああ、ちょっと前に、テレビで放送してたかね。さよちゃんみたいな都会の子が、ここみたいな田舎に来るアニメだ」
からんと氷がまわった。軽い音。私ははじかれたように、チエおばあちゃんを見た。
「おばあちゃん、私が都会から来たって、なんで」
「嫌でもわかるよ、さよちゃんは雰囲気が洗練されてるもんでね」
朗らかに、チエおばあちゃんはかっかっか、と笑う。私は彼女を呆然と見ていた。
「なんでも、一人で抱え込むもんじゃない。さよちゃん、まるでどこかから逃げてきたみたいな、荒んだ目をしていたからね」
チエおばあちゃんは、決して私に相談しろとは言わない。私から言うのを、待っていてくれているのかなと思う。でも、私は。私の人生が崩れ落ちたことを他人に知られてはいけないということを、知っている。でも、それ以前に。
——このあたたかい人たちに嫌われたくない。知られて、憎まれて、そしてまた私が恨んでしまうから、だから負の連鎖が起こるのが怖くてたまらない。
「ごめんね、チエおばあちゃん」
「なぁんで謝るんだい。さ、広太郎に会ってやって」
ぽん、と私の背を叩いて、おばあちゃんは笑う。
広太郎とは、彼女の孫だった。私よりも、いくつか年下だった。
生きていれば。
彼は、いつかの年の夜、山に迷い込んでそのまま行方不明になったと聞いた。村の中での唯一の若者だったらしかった。
そこに私が来て、老人たちを手伝っているから、だから私は彼のかわりのような役目にもなっているのかもしれない。
おばあちゃんは、つらい過去を打ち明けてくれたのに私は何をやっているんだろう。自分ばかりが、辛いとばかり思って。己のナルシシズムに腹が立つ。
でもきっと、おばあちゃんにとってそんな感情もただの優越感には変わりないのかもしれない。憐みは、人にとって時に——いや、いつだって、酷なものだから。
優しく笑っている青年に、私は瞳を閉じて懺悔と贖罪の合掌をした。
- Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.5 )
- 日時: 2013/04/05 15:06
- 名前: 名純有都 (ID: GUpLP2U1)
第五章 失せた呼吸
おばあちゃんに一杯果物やお菓子、ついでに野菜を分けてもらって、私は帰宅した。荷物は少し重く感じたけれど、チエおばあちゃんの好意はとてもうれしかった。
「さぁて……」
どさっと上がり框(かまち)に荷物を置き、ほっと一息をついてから慌てて冷蔵庫に駆けよる。なぜ電気が供給されているかは、たぶん前のここの家主が空き家にしただけでここを売ってはいないからだろう。水は近くに清流があるし、電気さえあれば問題なかった。
すかすかの冷蔵庫に、貰ったものと買った野菜を詰め込んで、重い体を叱咤してまた外に出た。
少し風が出てきた。夏の夜の空気が、鼻腔を侵す。草木が真っ黒な影に見えて、ここに来て初めての夏はそれはもう怖かった。でも、たとえここで私が幽霊にでも呪われて死のうと、なんだろうと。もう私に失うものはない。あるのは、この命。
これから、また里に下りなくてはいけない。今日は、仕事を入れた。
汗まみれになった体は、むこうの銭湯で洗えばいい。どうせ、村のものだって気にしないだろう。男衆だって、いちいちくだんの欲を処理する女の顔など覚えてはいまい。
「行かないと」
男に抱かれるのには、もう慣れた。だから、大丈夫。
私は、心なしか己を励ますように心で呟いてろうそくを持ち、歩きだした。
不気味。そう片づけるには、生易しいような静まり返りようであった。あの畑が際限なく広がるあぜ道は、そのだだっ広さが余計に恐ろしく、昼間あんなにも輝いていた木々は、まるで大きな手のように蠢いている。
あ、少し嫌だな。私は暗澹たる気持ちで夜空を見上げた。月明かりに照らされた厚雲が、薄桃色をして広がっている。星の見えない夜は、暗い。
光を放つのは、6時間程度で解けて消えるこの火だけだ。たまに通りかかる家々の明かりはすでに消え失せている。
のっぺりとした、飲みこまれそうな闇。でも、怖いけれど、今ならなにも心配することがないから。さっきから、そう言い聞かせて。なにかいる、そう思うのが嫌だ。
「やっぱり、私も人間なのね」
人恋しくなるのは、女の性だろうか。
がさりと風が草木をゆらす。
……しかしそれは私が風だと思っていただけだった。明らかに今、何かが後ろで蠢く音がした。木が空に手をかざしている音でもなかった。
人の気配。
「——」
声が出せないうちに、後方を振り返る。また風が吹いた。首筋を生温かい風が撫ぜて、一気に体温が無くなって行く。血の気が失せて行く感覚を初めて味わった。
そこには、薄汚いなりをした、男性がいた。
頬は土で汚れ、ぼろを着て、まるで乞食のように。
男というよりかは、青年だろうか。私よりも幾許(いくばく)か年下の、その人の顔をどこかで見たことがあって、直感的に私は——。
その名前を言葉にする前に、私は土の上に倒された。頭を強く打ち、唸る。視界がかすむ。反射で目を閉じても、瞼でさえぎられた世界が回っている。
満足に開かない眼で事態を見極めようとすると、私の上にはその男がのしかかっていた。
荒い息、獣のようにぎらついた眼だった。その腕は、女の私を強く押さえつけて捕食しようとしている。
ああ私、犯されかけてるんだなぁと冷静に思う。
この若者は、今まで何を思い生きてきたのだろう。まるで、幸運にも存在を保ってきた私と対極にあるかのような青年。
その存在を「死」という名前で消され続けてきた、
「広太郎、くん」
初めて会うのに、なぜか私は彼の名前を呼んでいた。疑いは無い。彼は、斉藤広太郎だ。目の前で、血走ったその両目が驚きに見開かれる。
それこそ肯定だと受け取った。肩を抑えつける腕が一層強くなり、私は眉をしかめた。
苦しそうに広太郎君は言った。血を吐くような、辛そうな声だった。
「なんで、あんたここに来たんだよ」広太郎君は、さっきの荒い息が嘘のように呟いた。「こんな辺鄙な村に、来たんだよ」
「貴方こそ、生きていたのになんで今まで顔を出さなかったの。かれこれ、10年以上チエおばあちゃんは貴方のことを待ち続けていたというのに」
「五月蠅いッ、あんたになにがわかる! 俺は、ただ不幸な目に遭っただけなのに」
悲痛な叫び。不幸な目。彼にとってそれはなんだったのだろう。
「何があったの」
「見ず知らずのあんたになんか言えるかよ」
「でも、貴方は私のことを知っていた。私も貴方のことを知っていた」
まさか、忘れたとは言わせない。彼は、里の私が働く「その行為」をする所まで、私に会いに来た。それは故意だったはずだ。それは初めての指名だったのだから。
声だって、わかる。この声だった。
「広太という名前で来たから、まさかと思ったけれど。なんで、あんなこと聞いたの?」
〝なんで、あんたみたいな娘が〟。それはこっちの科白だ、と言い返してやる。
「——あんたは幸せそうに見えた。幸せそうなやつが、なんで身売りなんてしているのかと思った。たびたびばあちゃん家に出入りしてたし、新しくこの村に来た女は目立つ。……若いのは俺くらいだったし、同じく若い女もあんたくらいだ」
幸せ。
愕然とする前に、呆れたと思う。
ふっと意識が軽くなり、私は嗤(わら)った。自分に向けて、目の前の青年に向けて。
「私は、幸せなんかじゃないわ。昔手に入れたものも、これから手に入れるものも、なにもないもの。あるとしたら、この身一つ。時間と命」
冷たく微笑むと、明らかに私よりも幸せ「だった」青年は怯んだ。そのすきを見て、私は彼の腹を蹴りあげる。力が緩む。次いで私はその腕を薙いで取り払った。
彼はすぐ体制をたてなおしたが、私を抑えつけようとはしなかった。
私は立ちあがって、広太郎君を見おろす。
「……ここで逃げても、何の意味がないことも知ってる。貴方には一度抱かれたから、犯されたってさして変わらないのもわかってる。でも、貴方はここでこんなこと、すべきじゃない」
れっきとした罪だ。だから、この青年には、その十字架を背負ってほしくない。
「さよなら。また会うかもしれないわね」
また、嫌だなと思った。人の辛い感情に触れるのは好きじゃない。
揺らぐ。不幸でいいと思った感情が。
- Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.6 )
- 日時: 2013/03/28 22:31
- 名前: 名純有都 (ID: td9e1UNQ)
第六章 微睡んだ夢
仕事の時間には、辛うじて間に合った。
昔なら「娼館」とも呼べそうなこの施設の女将が、私の服が土に汚れているのを見て無言で察したようだった。しかし、行為の有無だけは聞いてきた。
「最後まで、したの」
「……いいえ。普通どおり、客は取ります」
「無理しなくてもいいのよ?」
「いいんです。今月は火の車なので少しでも稼ぎたい」
ジョークのつもりで言ったはいいものの、笑えない。口角が若干ひきつる。
追い詰められたものだな、私も。
人間的な感情から言う、もう疲れたとか面倒だとかのもっともな言葉は出てこない。言ったら最後本当に死にたくなる。思うのはまだいいけれど。
「そう……。今日は、指名が入ったみたいよ?たった先刻だけれど」
「——え」
「この前の、広太さん、だったかしら」
広太。——広太郎君。なぜ。さっき、置いてきたのに追いかけてきたのか。
薄ら寒くなる、しかし、なにか違うような気もした。彼は、ストーカーのようなことをするために私を追いかけてきたのではない。
「……わかりました。受けます」
「じゃあ、今日は松部屋よ」
「はい」
知る必要がある。彼がなぜ、私をまた求めるのか。
三重になったふすまの最後の一枚が開く。そこに立っていたのは、まぎれもない先ほどの青年。恰好は相変わらず薄汚い。
「広太郎君。なんで、また来たの」
間髪を入れず問えば、彼は行為に入ろうとはせずにどかりと腰かけた。
「ここは、昔の花魁たちがいたようなれっきとした商売じゃないんだよ?」
彼は、続く問いかけにこたえようとはしない。
「貴方は、ここに来ていいような人じゃないの。まずは、チエおばあちゃんにこのことを知らせて、」
「俺は」
そして突然、広太郎君は私の言葉を遮った。
「——一度、この村の人間に誘拐された」
誘拐? ……誘拐。脳に響いた言葉が、二回目くらいで浸透してくる。
この村の?では、彼は、この村で生活していたのか。
「……でも、」
「俺は、いいように使われた。女のかわりにさせられた。でも必死で逃げてきて、そしたら俺は死んだことになってた。それこそ死んだようにはなってたけど、でも生きていると信じていて欲しかった、待っていて欲しかった、俺は」
俺は。その言葉が体現している。彼の想いを。
——彼は絶望していた。
なんで、そんなことを私に言うのだろうか。私に、それがどれほど不幸なことかを鑑定でもさせたいのだろうか。
「私はね」気付いたら、私は話し出していた。「いろんな人が、死んだよ」
その程度のことか、とあからさまに気落ちした顔を、真っすぐに射る。
「母は車に轢かれて死んだ。父は、面倒だと言って自殺した。父方の祖母は鬱にかかって、それから立て続けにみんなガンとか精神病になって死んだよ」
「……」
広太郎君が何も言わないのをいいことに、私は全部吐き出すように言う。
「私の身分を証明するものは、無くなった。だから私は、もうこの世にいないことになってるの。私を助けてくれる人はいなくなった。私は、戸籍を失ってお金を失って家族を失って友達を失って夢を失って将来を失って過去を失って未来を失って、ここまで逃げてきたの。その過程で、なにかを恐れる心も失くした。だってもう、私に失うものなんて命くらいしかないもの。
だから、男に抱かれるのももうどうでもいいし誰に犯されようがどうでもいいし、貴方にこれから殺されるならそれでもいい。犬死にして野垂れ死んで、鳥に死体をつつかれようが、もう私に奪えるものなんてない。生きる意味は、とうに無かったから」
「……だから、何だって言うんだよ」
「貴方は私よりも不幸じゃなかったのよ。幸せじゃなかったでしょうけど、貴方にはまだ失うものが山ほどある」
「——五月蠅い」
私が追い詰めた青年は、どこか虚空を見ていた。あ、これ殺られるかもしれない。 まあいいか、それがかつての望みだったわけだし。
「貴方には、『信じて欲しかった人』がまだ存在している。まだ自分が信じている人が、いる」
「黙れッ!!」
だん、と壁に叩きつけられる。喉元を、喰い破る勢いで手が絞めつけて、爪が食い込む音がする。
ああ、やっぱり彼はチエおばあちゃんに一度顔をみせなくちゃなあ、と穏やかに思った。チエおばあちゃんの眼は、待っている眼だった。
「わかったように言うなよ。俺がどんだけ苦しかったか、知らないくせに」
「わかりたくも、ない……、け、ど、苦し、みの、果てに、ある、のは、ぜつ、ぼうじゃ、な…、…くて、『諦め』だ、よ」
絶望の淵に立たされたとして、彼はまだ諦めてはいない。逃げ出せる力がまだあったのだから。
「五月蠅い、うるさいうるさいうるさいッ!!!」
力が、抜けて行く。脳に血が行かなくなったのだろうか。視界が白む。まるで酒に酔ったみたいな、少しの浮遊感ともうすぐ意識が途絶える予感。
首絞められて死ぬって、なんかベタだな私。
やっと解放される。私は口元に微笑みが浮かぶのがわかって、さよなら、と心で呟いた。
なぜか広太郎君が視界の端で手を離すのが見えて、私は床に崩れ落ちた。
- Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.7 )
- 日時: 2013/03/28 22:34
- 名前: 名純有都 (ID: td9e1UNQ)
第七章 喉元の哀しみ
夏の風が頬に吹いたのを感じて、眼が覚めた。
生きている、というのは浅い夢の中でうすうす感づいていた。
私は布団に寝かされていて、ここが、自分の家ではなくて。そして、やっぱり、夏は嫌だと感じる自分がいる。
それから、私は当惑し幻滅した。あまりにも相応しくない、眩しすぎた光が照らしていた。
空がみずみずしく光っていた。生々しいその色と、雲のコントラストが目を焼く。
あの青年は、自分を殺すほど力を入れていなかったのはわかる。だから致死には至らなかった。
相変わらずいらいらするくらいに綺麗な青空と、かき氷みたいな入道雲。風鈴がその風景に混ざり込んで、朝顔が花を添える。
虚しい。この自分と反して綺麗な世界が、虚しい。
人間が虚しい。空虚だ。空っぽで、すかすかの胡瓜の様な。外側だけ大きくなって、中はなにもない。
「この家、チエおばあちゃんの……」
まだだるい体を起こし、周りを確認する。やっぱり、チエおばあちゃんの家だ。
「——さよちゃん!!」
びっくりしたような声で、おばあちゃんが駆けこんでくる。持っているお盆の上には、水が乗っていた。
「チエおばあちゃん、私はなんで、ここに」
「そんなことはいいんだよ、起きてても平気かい?」
私が問うと誤魔化すようにおばあちゃんは言って、私を寝かす。なんだか、その行動は誰かが私を運んできたことを自白しているようで。
「……男のひとが、私を運んできた?」
チエおばあちゃんの背中が跳ねた。肯定の証だった。
きっと、おばあちゃんには見た瞬間に彼が広太郎君だとわかったのだろう。だからこそ、余計に。辛かったのだろう。
「……そうなんだね。その人が、広太郎君によく似てたんだね」
「さよちゃん、さよちゃんは、わかったのかい」
おばあちゃんの声は、かすかに震えていた。
「——うん。おばあちゃん、あの人は、なんて言ってた?」
「……私にね、何回も謝ってたよ。ごめんなさい、って」
広太郎君。彼は、何を思って謝ったのだろう。
チエおばあちゃんは泣きそうに、困ったように下を向き、ふと懐から紙を取り出した。
「……これ、手紙」
「さよちゃんに、渡してくれと。読んであげて、さよちゃん」
チエおばあちゃんは、あとは何も言わずに去った。
私はその紙を広げ、眼で文字を追った。その走り書きの文字は、私宛てに書かれていた。
『あんたのいう不幸というものは、きっと俺には分かり得ないものなのだと思う。
あんたの不幸は、死ぬことでしかほどけない、癒されないというのを俺は思い知らされた。
俺は、死に瀕した瞬間に笑うことなどできない。あんたみたいに、穏やかに笑う事はできない。
俺が、まだ諦めていないなら、幸せになれる道はあるか?
でもあんたのことは誰にも元に戻せない気がする。
気の遠くなるような時間、あんたは待てるか?家のばあちゃんが心のどこかで待っていてくれたように。
俺はあんたの代わりに、絶望から這い上がって見せる。
でも、あんたが言ったことにひとつ間違いがあった。
失うものが無くなったなら、あんたは守るものをつくればいい。そうじゃないか?
これはばあちゃんの受け売りだけどな。』
生きていてつらくないか。
そう聞かれたことはない。つらいという観念と、死にたいという思想、逃げたいという願望は別物で、私の心に一言もつらいという思いはうかんだことさえなかった。
でも、私は思う。
目が見えなければよかった。
そうすれば、この綺麗な世界を見ることなく、人の時折見せる優しい感情に触れることもなく、目にすることもなく。汚い世界と思いこんだまま、憎悪をしっかり抱いたまま私は簡単に逝ったはずだ。全ての優しさは偽善だと悟ったまま。
でも私は昔から知っている。この世界の色を。色彩を。
それから、だれかに助けられた時の安堵も、死ぬと感じた時の一抹の寂しさも。
世界は綺麗過ぎた、私が嫌いになるには。
生きることは嫌いだ。でも、捨てきれないくらいの愛着は持っている。
「矛盾していない? ねぇ、広太郎君」
別に私は、誰から見たって不幸ではないのに貴方はなぜ私のことを不幸だと言いきれるのだろうね。