複雑・ファジー小説
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- エリスの聖域 (5/15 更新)
- 日時: 2013/05/15 23:23
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: 9AGFDH0G)
- 参照: http://www.kakiko.info/bbs_talk/read.cgi?no=10911
世に光あれかし。
人に道あれかし。
そして、どうか——彼女(エリス)に、聖域の加護があらんことを。
○ご挨拶
初めまして、Lithicsと申します。
カキコでは主に短編を書かせて頂いていましたが、この度、長編に取り組みたいと思いスレッドを立てさせてもらいました。
絶対に手を出すまいと思っていた吸血鬼ものです。人によっては表現に不快感を覚える方がいらっしゃるかも知れないので、あしからず先に断らせて頂きます。
また我が儘ですが、読んで頂いた方からコメントをもらえると非常に励みになります。ただ、その際、内容の区切りの良い所であれば更に嬉しいです。もしくは参照にある雑談板の方にお越し頂ければ、これまた無上の幸いです。
——では。
どうか、暗い夜道にはお気を付けて。
○目次
第一章:黒い十字架
序幕 >>1-4 >>1 >>2 >>3 >>4
第一幕 >>9-11 >>9 >>10 >>11
・執筆、構成中()
・休筆、コメント待ち(○)
- Re: エリスの聖域 ( No.1 )
- 日時: 2013/04/15 23:02
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: 7hsLkTT7)
『エリスの聖域』
第一章:黒い十字架
——序幕——
どこか遠くで、夜蝉が鳴きはじめていた。
都会の四角ばった空には、鋭く真円を描く満月。その光は硝子の摩天楼に照り返って、夕から夜に移ろうとする街を仄かな銀色に染めている。人の気配は無く、風は死に絶えて。そのせいか生暖かい排ガスが淀んだ路地裏には、じとりと汗ばむような嫌な暑さが残っていた。
「ぅ、まずったかな……もうじきに『夜』になっちまう」
黒須春希(くろす はるき)が隣町での用事を済ませて、この『桐葉市』にある自宅への帰路に就いたのは、そんな既に夕日の残光も消えかかった時刻の事だった。
もっと早く帰れるはずだったのに、予定は狂いに狂ってしまっていた。
帰り際に厄介な知人に捕まったのも良くなかったし、駅に着いてみれば人身事故だとかで電車が止まっていたのも大きな原因だろう。陰鬱な世相を映しているというのか、そういった『事故』は最近とみに多い。現場こそ見た事はないが、今日のように駅で二時間ほど足留めを食うことも、そう珍しい事ではなかった。
だから結局は、それらを予想出来なかった自分が悪い、と言われれば返す言葉もない。もっと言えば、葉月も終わりに近付いた今日この頃、陽が沈むのが斯も早いとは思わなかったという甘さも、確かにあった。
「さ、早く帰らなきゃ。ははっ、夏希(なつき)に心配かけると後が怖いしね」
だが、この際何が悪かったのかはどうでも良い。いくら虚勢を張って笑ってみた所で、その声が不安で震えるのだから我ながら呆れるやら情けないやらで、しまいには違う意味で笑うしかなかった。
残念な事に、春希の臆病な性格は生まれつきである。
内向的という意味ではなく、おそらく防衛本能的なものが発達しすぎたのだろうと思う。勘が良すぎると言ってもいい。そのせいかどうかは知らないが、男のくせに怪談やホラー映画、あまつさえ暗い所にも滅法弱い。
肝試しとかもう何それ状態で、スプラッターの類に関しては本気で消えて無くなればいいとも思う。妹である夏希のイタズラで、居間のテレビを点けた途端にホラー映画のクライマックス・シーンが大音量で流れ始めた事があったが……いや、やめよう、思い出したくもない。
尤も、こんな時世だ。
そんなものを好む人間は文字通り絶滅しかかっていたけれど。聞けば、それらの全盛期はおよそ一世紀前だったとかなんとか。
「平気だ、怖くない。怖くないぞ。こんなの、夏希のアレに比べれば……!」
そう自分に言い聞かせるように呟きながら、春希は駆け足のスピードを上げた。
駅から此処まで駆けて来たせいで、大量の汗で濡れたシャツが肌に貼り付くようで気持ち悪い。息もとっくに上がってしまって、口の中は乾き切っている。だが、とにかく今は急いで、『夜』になる前に帰らなければならなかった。
月が明るさを増していくにつれて、じりじりとした焦燥が背中を焼くように春希を駆り立てていく。そして、もはや蒸し暑さすら忘れ、気付けば春希は全力で無人の街を走っていた。
あぁ、そんなに急ぐ理由?
それは勿論、こんな綺麗な『夜』に出歩く事、
——それ即ち、『死』であるからに決まっている。
- Re: エリスの聖域 ( No.2 )
- 日時: 2013/04/16 21:43
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: YP83uDEF)
——曰く、それは新たな時代の『常識』である。
一つ、決して『夜』に外出してはいけない。
一つ、家の中に灯りを絶やしてはいけない。
一つ、『夜』に訪れる者あらば、決して招き入れてはいけない。
この夏に19歳になったばかりの春希にとって、それは未だ幼い頃に忽然と現れた、絶対の『ルール』だった。
破れば待っているものは、自ずから知れた事。全てが自己責任。故に、今も誰一人として街中で行き合わないのも、当然といえば当然の事だった。
『世紀末』が来たのだと、昼間の街では盛んに終末論が叫ばれている。実際、あと数年で世紀は変わるのだが、ここでいう世紀末とは決してそういう意味ではなかった。護身の為には仕方ないとはいえ、一日の半分を奪われた絶望は、それ以前の時代を知っている大人たちから順に精神を追い詰めていた。
2096年、8月。
陰鬱とした時代が始まってから、およそ20年も経った夏だった。経済も文化も後退して、原始の如く闇に怯える世界。かつて旧世紀の人間が期待した輝かしい未来は、もはや訪れる望みが失われて久しい。
「まぁ……それは、それとして」
だがそれでも、春希にとっては自分の生きる時代には変わりない。
どんなに生き辛い世の中であっても、決まりさえ破らなければマトモな生活は出来るし、大学にも通えている。死んだ両親が残した遺産と家があるおかげで、妹と二人で生きるには当分困る事はないだろう。
だから、そう悪いものではない。というか、それ以前の人が『夜』を楽しんでいたという時代の事を、春希は知らないのである。絶望しようもないし、羨みようもない。春希たちの世代にとって、『夜』はただ危険で不吉なものでしかなかった。
あぁ、だからこそ。決して、その禁忌を犯してはいけなかったというのに——
「はっ、あぁ、そろそろ着……っ!?」
その時、音もなく密やかに。今日という日の『夜』は、春希の帰路に落ちてきた。
——何かが、この先に居る。
角を曲がれば直ぐに自宅の裏口という場所で、春希は息を呑んで足を留めた。それは例の直感じみた臆病さが、20メートル先の暗闇に在る異変を感じ取ったのだった。
粉々に壊された街灯の破片が散らばった道の真ん中に、その『何か』は春希に背を向けて蹲っていた。人の形をした影の向こう側には、もっと多くのヒトガタが倒れているように見えるが、幸か不幸か、月灯りの陰になってハッキリとは判別が出来ない。
くちゃくちゃという怖気の走るような音が聴こえて、辺りには酔いそうほどに濃い鉄錆の匂いが漂っている。
いったい、『あれ』は何だ。
停止寸前の思考の中、春希は辛うじてそれだけを自問した。
知れたことを。あれこそが禁忌を破った者に訪れる災厄そのものだと、春希はとうに判っている。『夜』はもはや人間の時間ではなく、彼等のものだ。故に、帰るのが間に合わなければこうなるという事も、春希は他でもない『両親の死』を以て学んだはずだった。
「あ、ぁ……」
しかし、実物を前にすると話は違う。
人の形をしているのが冗談か何かのような、獣じみた殺気に気圧される。声を出さぬよう必死で口を抑えても、引き攣った喉からは笛のような音が漏れて。踵を返して逃げ出そうにも、両の脚はガタガタと震えるばかりで一向に動こうとはしなかった。
恐怖。無論、それもある。だが、この時の春希を支配していたのは、純粋な驚きと……そして、自分でも把握出来ないくらい急激に膨れ上がる『嫌悪感』だったと思う。
「あれ、が……っ、吸血、鬼……!」
——そう。あれが、世界を壊したモノ。両親を殺したモノ。
今や日本人口の0.2%に達するとも言われる、ヒトから派生した血染めの『怪物(フリークス)』だった。
- Re: エリスの聖域 ( No.3 )
- 日時: 2013/04/19 13:11
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: KE0ZVzN7)
「だぁれ?」
慌てて口を閉じた所で、時すでに遅かった。
びくりと肩を震わして、影が咀嚼するような動きを止め、ゆっくりと機械じみた動きでこちらを振り向いた。あぁ、若い女だ。そう判ったのは女の声だった事もあるが、その長い髪を留めている銀の飾りと、胸元の開いた黒いドレスのような格好をしていたからである。
月の冴えた光に照らされて『それ』の貌が見える。否、見られていたのはこちらか。
喜悦に歪んだ真っ赤な唇。病的に白い肌。顎から滴る、赤黒い何か。そして、乱れた髪から覗く右の片目がぎょろりと蠢き、立ち尽くす春希の目を捉えた。
きっと一秒にも満たない時間、春希と女は互いに見つめ合い——そして。
「——あはっ」
血に塗れた口元で、どこか濁った眼で、しかし彼女はまるで少女のように笑った。
不覚にも一瞬、その魔的な笑みに魅せられて。春希は、その場から逃げ出す決定的なチャンスを永遠に失ってしまった。
女が立ち上がる、と思った刹那、その姿が煙のように掻き消えたと思えば。
彼女は20メートルの距離が無かったかのように、春希の目の前へと一息に『跳んで』きた。
「な……!」
「ごきげんよう、素敵な夜ね」
咄嗟に身を引かなければ、唇が触れていたくらいの近さに、艶めいた女の顔がある。左目はやはり髪に隠れたままで、右目だけで心まで見透かしそうな視線が刺さる。背丈は春希と同じくらいか。薔薇の香水も、血の匂いも、熱っぽい吐息さえ間近で鼻をつく。
もはや驚いている場合ではなかった。その距離は即ち、そのまま『死』の近さだ。
「なにより、気が利いてるわ。おなかは一杯だけど、まさかデザートが出てくるなんて」
——氷のように冷たい女の手が頬に触れる。
まるで死人の手だ、と春希は背筋を走る怖気に耐えた。振り払おうにも、こちらの腕は身体ごと縛られたかのように動かない。それだけでなく脚も頭も、視線すら動かせないのを知って、春希の絶望は一気に深まった。
思えば、逃げ出す逃げ出さない以前に。あの濁った眼で見入られた時から、とうに春希は身体の自由を奪われていたのだろう。そんなことにすら今の今まで気付かなかったとは、と春希は今さらにして自分の臆病さを呪った。
「くッ! なんで、こんな……」
「あはっ、頑張るわね。一瞬でも私の『眼』を見たら、どうやっても逃げようはないのに」
女は「せいぜい足掻きなさい」とでも言いたげな嗜虐の笑みを浮かべて、春希の顔を愛でるように撫でまわす。その表情のコロコロと変わる様子は、春希のイメージしていた『吸血鬼』とは大分違っていたが……それは却って、不気味さを助長するものでしかなかった。
そこには残虐な『意志』が宿っている。捕食する獣とも異なる、相手を苦しめて愉しもうとする意志が。
なんて醜い、と春希は嫌悪感を強めた。それは顔の端正さがどうという問題ではなく、心の在り様がそう見せている醜悪さだった。
「口は動くでしょう、叫んでも良いのよ。誰か来てくれれば、それはそれで美味しく頂くわ」
「…………」
そうか。2年前、両親を殺した奴も、こうして死ぬまで甚振ったのか。『吸血鬼』とはつまり、こうまで人間の醜悪な姿なのか。
棺の中で眠る彼等の死に顔は、とうてい妹に見せられるものではなかった。春希ですら吐き気を堪えられなかった形相は、今でも両親のものとは信じられない。
あんな風に、自分も。そう想像するだけで——
「は、冗談……じゃ、ない」
「うん? 何か言ったかしら。もっと大きな声を出さないと、誰も来ないわよ? もっとも、人間(あなたたち)は『夜』に外で何があろうと無関心でしょうけど」
「誰が! あんたらの悪趣味に付き合うつもりはない!」
「ふぅん? あははっ、本当に可愛い子。せめて声の震えくらい収めてから言いなさいな。ほら、こんなに喉が震えて……なんて美味しそう」
耳障りな声を聞く度、萎縮していた手足に熱が通うのを感じる。
嫌悪が恐怖を跨いで超えていく。ありていに言うなら、勇気を出すべきは今だろう。臆病なのも良い加減にすべきだと、春希は奥歯を砕かんばかりに噛み締めて。女の『眼』を見ないよう、固く目を閉ざした。
女の視線が喉に粘着した、その一瞬。逃したチャンスは、もう一度だけ巡ってきた。
- Re: エリスの聖域 ( No.4 )
- 日時: 2013/04/20 18:51
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: n/BgqmGu)
「——黙れよ。俺は、あんな風には死なない」
「えっ?」
総身に力を込め、見えない拘束に抵抗する。
眼を閉じていたのが功を奏したのか、それは案外にあっさりと破れて。女の虚を突き、春希は迷わずに目の前、つまり女に向かって肩から突進した。
「くぅ……!?」
突き飛ばした女の身体は、拍子抜けするほどに軽かった。よろめいた隙を縫って、そのまま前の路地へと走り抜ける。どこまで逃げれば良いかなど、そもそも考えていない。女に『食われて』いた人々の骸を跳び越え、角を曲がる。4人。みんな男で、中には裸に剥かれているものも見えた。深い意味を考える暇など無いが、何か酷く嫌な想像が頭をよぎった。
さて、どうする。
勿論、いくら近くとも、夏希のいる家には帰れない。万が一にも保護してくれる見込みはないが、交番にでも駆け込むか。もっと細い路地に入って、どうにか撒くか。
いや、分かっている。助けてくれる人も、機関も、安全な場所もありはしない。つまりは、この時代において。『夜』とは、人間にとって最悪に生き辛い環境なのである。
故に、そもそも。あの化け物を相手に逃げられるなんて、始めから考えていなかった。
「あはっ——そう。あなたは、今すぐ死にたかったのね」
来た、と思った時には、女の声は背中に貼り付くような近さで。
「く、しつこいよ、お前……!」
なんていう化け物か。半ば自暴自棄になったまま、春希は思い切り振り返りながら右の拳を放った。
顔にでも当たれば良し、外れても、今一度ひるませる事が出来れば良かった。その間に、また少しでも逃げる事が出来ると。そう思って繰り出した渾身の一撃だったが……それは結局、春希が『吸血鬼』というものを良く理解していない故の行動だった。
「が、ぁ……ぁ!」
——その刹那、繰り出された拳は二つ。
片方は虚しく空を切り、片方は春希の腹を容易く突き破って、背から内蔵を掴み出した。
「残念ね。あなたも、死ぬ前には『楽しませて』あげようと思っていたのに。でも、まぁいいかな。追いかけっこなんて久し振りで、なかなか楽しかったわ」
耳障りな甘い声が、耳元で囁く。
女に抱きとめられるような形になったまま、全身から力が抜けていくのが分かった。一瞬の出来事だった故か、あまり痛みもない。足元に信じられない量の血が水溜りのように広がっていくのを見て、ようやく春希は自分の間違いを悟った。
『吸血鬼』とは、決して逃れられない災厄。ならば一番の間違いは、やはり『夜の禁忌』を破った事だった。言葉を返せば、その時から自分はすでに死地に居たという事なのだろう。
「言い遺すことはある? あぁ、もう『お楽しみ』は無しよ。半死体を抱く趣味は無いの」
「は……」
朦朧とする意識の中でも、その物言いには酷く腹が立った。
この女は『人間』を何処までも見下している。血を啜る鬼になった自分を、ヒトより上の存在になったのだと誇示してすらいる。
ならば。せめて、その不遜に伸びた鼻をへし折ってやろうと、春希は精一杯の笑みを浮かべて。
「悪い、けど……お断り、だ」
「ん? なに、聴こえないわ」
「お断りだ、と言った。あんたみたいな『ブス』、頼まれても願い下げだって、ね」
言い終わるのと、激昂した女が春希の喉元に喰らいついたのは同時だった。
本音がよほど堪えたのか、それとも自覚でもしていたのか。まるで獣のように無様に獲物を漁る様子は、さっきまでより余程『吸血鬼』らしくて、何だか笑える。血を吸い上げられるのは悍ましいの一言だけれど、もう全身の感覚も薄れてしまっていた。それに、この身体にほとんど血は残っていないだろうと思えば、益々ざまぁみろといった感じである。
臆病者が勇気を振り絞った結果としては、これはそれなりに上等ではないか。これ以上、彼女には春希の人間としての尊厳を犯す事は出来ない。勝ち負けで言えば、きっと負けてはいまいと春希は思った。
目を閉じる。
もう何も考えられない模糊とした思考の中で——
「あぁ——ごめんな、夏希」
本当に言い残したかった言葉は、喉に溢れる血のせいで、どうも上手く声にならずに。
物心付いてから初めて見る、硝子越しでない『夜』の向こうへと消えていった。
(序幕・了)