複雑・ファジー小説

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【短編集】移ろう花は、徒然に。【完結済】
日時: 2020/10/02 00:09
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: XOD8NPcM)

*
——花。

 あるところに、荒れ果てた土地がありました。広大であるにもかかわらず、作物を育てるのに不向きだったその土地は、人々の悩みの種でした。
 土地が肥えていれば、食料に困ることもなかったのに。人々の声は風に乗り、小さな種が荒野に落ちました。

 そんなある日、一輪の花が咲きました。それは華やかな色で、それを見た人々は明るい気持ちになりました。
 次の日、別の花が咲きました。それは深い悲しみの色で、それを見た人々は悲しみの記憶を思い出しました。
 また次の日、別の花が咲きました。それは燃えるような色で、それを見た人々はやり場のない怒りを胸に抱きました。
 咲いた花は、どれを見ても同じ色、形、香りをしたものはありません。

——そう、物語のように。

 そして艶やかに咲いた花は、一つ、また一つと散ってゆきます。花が散ったあと、また土地には何も無くなりました。広大な土地があるだけです。しかし、荒れ果てた土地ではありません。養分をたっぷり含んだ、素晴らしい土地へと変わっていたのです。
 集まった人々はこう言いました。

 次はここに、どんな花を咲かせようか。
 また季節が変われば、色々な花が咲くだろうか。


*——目次——*

第一部

>>1 【 Sound 】
>>3-5 【 Viola farfalla 】(紫の蝶)
>>6 【 操り人形マリオネット 】
>>9 【 Sand Glass —Crash— 】(砂時計)
>>10 【 Sand Glass —Cheese— 】
>>11 【 Sand Glass —Close— 】
>>14 【 紫陽花の陰 】
>>15 【 怖がりな彼女 】

幕間
>>17 【少女の憂いと魔女の庭】

第二部

>>18 【 生命いのちの花 】
>>19 【 想い出 】
>>20-21 【 Pre-Established Harmony 】(予定調和)
>>22 【 Transparent Apple 】(透明な林檎)
>>25 【 I 】
>>26 【 感情的なBlue 】
>>27 【スカーレット・レディ】
>>28 【 Eat Me , Drink Me 】
>>29-30 【 壊 】
>>31 【 生命の木 】

終幕
>>32 【 さよならと夢に綴る 】


*——更新履歴——*

更新開始 2014.01.06
小説大会2015冬 金賞
小説大会2017夏 銀賞
終幕  2019.03.07

参照67000

*
 ——花。それは、煌めく感情の物語。
 言の葉を色に乗せ、名もなき痛みを綴りましょう。


*
 こんにちは。黒崎加奈、あるいは黒雪と申します。名前でトリップが変わりますが『.KANA』『.SNOW』など文字列が揃っているのが特徴です。
 ここでは短編を投稿しています。それぞれが独立している第一部、短編同士を繋げて中編もどきを紡ぐ第二部、という構成になっております。
 実験的に書いているお話が多いので、作品の完成度にはバラつきがありますが、どうか見守ってくださいませ。目標は、物語が観えること、文章で魅せることです。

*
 長らくありがとうございました。

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【透明な林檎】 ( No.23 )
日時: 2016/06/25 23:32
名前: REN (ID: m1/rt.pA)

こんにちは。
RENと申します。
Twitterでお見かけし、読ませていただきました。

すごく、すごく表現力に長けていますね。
最初からするすると物語に惹き込まれていきました!

これからも更新頑張って下さい。
応援しております。

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【透明な林檎】 ( No.24 )
日時: 2016/07/08 13:00
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: jp9BnxY2)
参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode

>>23
REN様


おや、お客様とは珍しい。初めまして、コメント頂きありがとうございます。
そうですね、やはり物語をいかに「魅せる」かというところに重きを置いて書いているので、話に引き込まれると言っていただけるとすごく励みになります。

月1ぐらいのペースですが、ゆるゆると更新していこうと思います。これからもよろしくお願いします♪

【短編集】移ろう花は、徒然に。【 I 】 ( No.25 )
日時: 2016/08/22 17:02
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: GlabL33E)

 鏡映しのわたしは、いつだって夢の中。


【 I 】


 今日もまた、朝が来てしまった。頭に突き刺さる音を出す目覚ましを止め、顔を洗いに洗面所へと向かう。

「おはよう、わたし」

 鏡をのぞき込んで、鏡に映ったわたしに挨拶する。ぼさぼさの髪、片方だけ二重になった半開きの眼、むくんだ顔。嗚呼、いつも通り美しくない。鏡越しの世界は、この眼で見る世界と違って美しいのに。
 左右が反転した世界に住むわたしは、私であって、私でない。そんな鏡映しのわたし。別に、二重人格とかそんな大それた話ではない。でも、私たちはどこかのタイミングで、確実に入れ替わっている。
 学校で、友達と話しているわたしは、私。でも、パソコンで掲示板に書き込むときのわたしは、わたしだったり。
 わたしがうっかり友達に話しかけたりすると、怪訝な顔をされた。

「いきなり変なこと言い出して、どした?」

 嗚呼、あなたには理解できないのかと、少しがっかりする。私であって、私でなくとも、確かに私。わたしを含めて、私を肯定してくれないと。
 身体はここに、確かにあるのに、わたしには触れられない。鏡の中には映っているのに、覗きこんでる世界にはいない。鏡に指先を滑らせて、そっと存在を確かめあうことで、わたしを肯定する。
 独りぽっちで朝食を食べ、今日もパソコンを開いた。ブルーライトが目に刺さる。画面に表示された『ようこそ』の文字と、透明で描かれた林檎。指先で林檎をなぞると、ページが開いた。

21:37 Eve
 自分が誰かなんて、どうでもいいことじゃないか。あたしはあたしだと思っているし、自分が思う以外に自分がいたとしても、結局は全部自分なんだよ。ただ、見せている面が違うのさ。

21:56 Cherubim
 確かに自分かもしれないよね。でもさ、その見せる面が違ったら、それは一括りに自分とは言えないんじゃない? 自分が作り上げた、自分が操るアバター的な存在は、自分じゃないと思うよ。

22:09 Eve
 作り出してる時点で、所詮は自分でしかないんだよ。理想の自分を文字で演じているだけなんだからさ。画面に映っているのは、紛れもなく、現実世界のあたしじゃないのかい?

22:41 Cherubim
 だから、その現実世界の自分≒アバターだと、僕は言ってるんだ。同じヒトだとしても、現実じゃ言わないこととか、口調とか、アバターは現実の自分とはちょっとだけ違う。例えるなら、『私』と『わたし』の違いみたいなところかな。『私』は一人称で主語、『わたし』は『私』が一人いて、ああ。例え方がわからなくなっちゃった。本の主人公が『わたし』、その本の作家や、読み手、感情移入する側が『私』だと思う。『自分』って言ったり、英語で『 I 』と言っちゃえば全部おんなじなんだけどね、でも、違うよ。だいたい君のだと、多重人格とかは同一人物だけど別人じゃないか。互いに干渉してないし、身体を共有している他人と言っても過言じゃないと思う。

23:57 Eve
 身体が一つな以上、他人から見たらそれは一人のヒトなのさ。自分が違うと言っても、それはどれもそのヒトでしかない。多重人格であろうと、身体は一つ。頭がおかしいというレッテルを張られて、その乖離に苦しめられるだけさ。

 二人の顔も、本名も、住んでいるところも、何も知らない。性別も正しいかわからない。この世界のどこかに存在して、こうして文字のやり取りを交わしているというのだけが、唯一の確定事項。それなのに、友達と話すよりずっと気が楽。自分を偽る必要もないし、私が何者なのかも知らない。でも、二人はずっと前から知っているような、懐かしさを感じさせる人だった。会ったこともないのに。
 気ままに思ったことを打ち込んで、それについて会話したり、誰かの言葉に反応する。この場所で、私はわたしを見つけた。
 パソコンを買ったときには無かったけれど、アップデートした時にいつの間にかインストールされていたアプリを、興味本位で開いた時から私の中でわたしが生まれた。

20:51 Life
 嗚呼、わたしは誰?

 わたしは、私の中でどんどん大きくなっていた。どこか孤独を感じて、暗い部屋でわけもなく涙を流したり、急に元彼のことを思い出して、懐かしく思ったり。私の感情でない、もう一つの感情が流れ込んできて、私のことをのみこんでいた。感情の海に溺れるのは嫌いじゃない。でも、わたしに身を任せて、そのまま沈んでいくと、私は泡になって消えてしまいそう。
 だから、全部夢の中にしまっておく。激しい怒りも、泣くほどの嬉しさも、鏡映しのわたしは知っている。私は、その欠片を少し覗いているくらいがちょうどいい。わたしは、いつだって夢の中にいる。
 そんなまどろんだ乖離を、理解できる人は少ない。学校に行かず、部屋でパソコンを操るようになったのもそのせいだ。嗚呼、少し眠ろうかしら。わたしはまだ、眠っている時間らしい。

「やれやれ、まさかこんな形で彼女と出会うなんてねぇ。生命の花がやけに育つと思っていたら、生まれ変わりが現世にいたのか。しかも、目覚めかけてる」
「早く気がつけて良かったね。まさかと思って、彼女にチャットを持ち掛けたのが正解だったよ」

 ヘッドセット越しに、イブとケルビムは会話している。彼女に先に気が付いたのはケルビムだった。
 生命の花はイブの庭にしか存在しない。それなのに、まったく別の場所でその気配がした。聞けば、その気配が確認できた日は、イブが感情を花に吸わせた日だったようだ。

「どこかで、彼女も私たちのことを覚えているんだろうねぇ。普通だったら正体不明のアプリなんか開かないし、そこで会話しようなんて思わないだろうからさ。しかも名前もLifeだし」
「確かに、まだ完全に目覚めているわけじゃないし、仮に目覚めていても記憶があるかも怪しいもんね。むしろ、蛇の毒を吸った林檎の果汁で枯れたときに、生まれ変わりの準備がとっさにできていたのが驚き」
「役者が揃いつつあるのかね」

 朝日に照らされた生命の花を眺めながら、イブは会話を終わらせた。


*
Image coller 紫水晶(むらさきすいしょう)

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【感情的なBlue】 ( No.26 )
日時: 2017/02/04 21:44
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: rHtcSzQu)

——私が好きだったあなたは、もういない。


【感情的なBlue】


 顔を上げたら、海があった。寂れた田舎へと向かう列車の中、女は目を細める。彼女は誰もいない車内で、おおきく深呼吸した。
 深い青だった。岸に近い所には、大小様々な岩が点在する。後ろに通り過ぎた景色も、前にある景色も大して変わらない。窓ガラスの向こう側を、かもめが鳴きながら飛んでいった。
 終着駅の一つ手前で降りた。風に吹かれてロングスカートがはらむ。裾を軽く抑えながら、女はゆっくりと歩き始めた。
 駅の外は彼女の記憶とだいぶ違っていたようだ。見慣れない風景に足が止まっている。でもまたすぐ、歩き始めた。舗装されたはずの道はひび割れ、そこに生えた雑草も枯れている。建物の窓ガラスは割れ、外の塗装は朽ちていた。人影は見当たらず、見覚えのありそうな残骸を頼りに、目的の地へと向かう。
 雲があちこちに浮かぶ青い空だった。褪せた色彩の中で、青だけが鮮明に飛び込んでくる。まるで、空以外は呼吸を止めてしまったような場所だ。もう列車が通ることもない線路をこえ、荒れた民家の前を通り過ぎ、壊れた船が泊まる海岸へとたどり着いた。
 美しい青。それに片手を近づけると、彼女が通る道を作るように海が割れた。太陽の光を受けて、立体的な青はキラキラしていた。

「アダム」

 彼女の声が名前を紡いだ。それに答えるように、痩せた男が一人現れた。元の顔立ちは整っているが、それを隠すように生えたひげと、伸び放題の髪。

「イブ、久しぶりだな。ようやく会いに来てくれたか」
「イブじゃないわ。私はノア。あなたを——殺しに来た」

 どうやらノアは、アダムという人を殺すらしい。
 時々こうして、誰かのことを夢に見ることがある。だが、ここまではっきりした内容は初めてだった。映っていたのは知らない女だったが、なぜか自分の生まれ変わりだと感じていた。
 あの場所は私が住んでいる町の外れだった。もちろん今は人が住んでいるし、荒れた土地にはなっていない。その人は、今もそこにいるのだろうか。それとも、その場所が死んでしまった遠い未来に、現れる人なのだろうか。
 久しぶりに外へ出た。足首まであるワンピースにレースの上着を羽織って、青空の中歩いていく。サンダルがペタペタと軽快なリズムを作った。
 あの場所までは、家から歩くと一時間ほどかかる。身体を壊してから、医者には歩いて出かけるのはやめろと言われていたけれど、無視したい気分だった。
——だってこんなに綺麗な青い空なんですもの。
 あっという間の一時間。海辺の駅に私はいた。
 海辺といっても、駅から海を望むことはできない。海の近くにあっても、周りの建物に邪魔されているのだ。人もそんなに多くない。海岸に海水浴場があるわけでもないし、何か観光名所があるわけでもない。地元の人が町へ行くのに使う程度の、いわゆる田舎の駅だった。
 踏切を渡り、海の方向へ向かう。途中いくつか民家の前を通りすぎ、小さな漁港に着いた。船はあったが、周りには人の影も形もない。
 あの人は、いるのだろうか。彼女がやっていたみたいに、海に手を近づける。青があった場所に置いても、私の手は濡れなかった。そのまま奥へ奥へと、腕、肩、胴体、脚と這いずるように進む。私の身体も、濡れなかった。立ち上がると、私を海が取り囲む。
 でもそれは道ではない。三六〇度どこを見ても周りは深い青だった。もしかして、と期待する私の気持ちを表すように、輝いた青だった。

「……アダム」

 小さな声で名前を呟く。少し、ほんの少しだけ海面が震えたような気がした。でも、なにも変わらない。辺りを見回しても、人影はなかった。岸に戻って、もう一度見た。やっぱり誰もいない。
 どうやらその人が現れるのは、もっと先のことらしい。その可能性もあったのに、なんで私は自分にもできると思ってしまったのだろう。確かに彼女のように海には触れなかったけれども。
 がっかりして、来た道を引き返す。わざわざ一時間かけて来たのに、無駄になってしまった。青い空は、そんな私を嘲笑う。

「待てよ、お前リルか?」

 呼び止める声がした。振り返ったら、忘れたはずの人がそこにいた。

「ケルビム……どうしてここに……」
「たまたまさ、所用でここに来たらリルがいたんだよね。僕にしてみれば君がいるほうが驚きだよ」
「私はただ、人を探しに来ただけ。それもいるかわからない人を。その人はここにはいなかったみたい。だから今から帰るの」
「送って行こうか? 僕もちょうど用は終わったところだし」
「大丈夫。一人で帰れるわ」

 ケルビムとは、五年くらい前に半年ちょっと付き合っていた。別れてから一度も会っていない。喧嘩別れしたわけでもなく、お互いもういいねって言い合って別れた。

「そんなつれないこと言うなよ。久々に再開したんだし、途中まで送って行くぐらいさせて? どうせこのあと君の家の方に行くつもりだったし」
「……好きにすれば」

 帰り道、自然と別れたあとの話になった。
 よく分からなかったけど、彼は何かを監視する仕事に就いているらしい。今日もその仕事の関係でここに来て、これから報告に行くと言っている。付き合った人も、何人かいるんだって。

「リルは? 付き合った人ぐらいいるんでしょ?」
「……まぁ。てか、煙草吸うようになったんだね」
「絶対吸わないと思ってたんだけど、付き合いで吸うようになっちゃった。やめようと思えばやめられるんだけどさー」

 そう言って、彼はニヤッと笑った。私が見たことのない笑い方だった。まだ、彼のことを完全に忘れていなかった。好きだった笑顔も、ちょっと癖がついた髪の毛も、実は思い出せた。
 だから分かった。
 私の好きだった彼は、もういないって。
 喧嘩別れで嫌いになったわけでもないし、またどこかで会ったら、止まった時間が動き出すんじゃないかと思っていた。所詮は青い幻想だったのね。

「ありがと。もう私、一人で帰れるわ」
「せっかくだし家の前まで送るよ?」
「ううん、良いの。あなたも分かったでしょう? 私たちは——」
「わかったよ。だからそれ以上は言わないで。じゃあ、またね」

 彼も、何かを察したらしい。それ以上深く追及することはせず、別の道へと進んでいった。
 これで良いと思いつつ、身体のどこかに穴が開いた感じがしている。眩しいくらいの青空が、どこか憎らしい。なんで、いつもなら気にも留めない夢を確かめに行ったんだろう。行かなければ、私の幻想は崩れなくて済んだのに。
 小さくなった彼の後ろ姿に別れを告げるように、別の道へと歩き始めた。その道は、憂鬱な道だった。

「あんた、アダムのことを知ってるのかい」

 ルージュを引いた女性がそこにいた。死人のような肌、ローブの上からでもわかる痩せた体型。青空には不釣り合いな人。

「何のことかな? アダムならヤハウェが知ってるよ。僕の感知するところじゃないからさ」
「とぼけないでおくれ。生命の花を通せば、あたしはなんだって見られるんだ」

 霧の奥、小さな家の前にイブが待ち構えていた。その傍らには青く輝く一輪の花。これは誤魔化しても無駄らしい、そうケルビムは判断した。

「君の好きだった人は、海の底にいる。いずれ君たちの子孫に殺される運命を課されてね。それを変える術は今のところないから諦めたほうがいいよ。僕が知ってるのはそれだけ」
「あたしが会いに行っても無駄って事かい?」
「まあそうだね。そもそも海の底にたどり着けるのは、ごくわずかな人間だけだ。僕ですらその場所に行くことはできないからね。ちなみに、その青い花で君は何を見たの?」
「おや、それはあんたの方がよく知ってるんじゃないの。この花の持ち主の見たもの全てがみえるんだからさ」

 昨日の夜遅く、急にその花は咲いたのだという。海のようにも、空のようにも見える青い薔薇。
 青という色は見る人の感情によって、その意味合いを大きく変えた。晴れた空に、前へ進め。そういった前向きな意味合いで見えることもあるけれど、ブルーな気分と憂鬱な意味合いで見られることもある。どこかで誰かが言っていた。昔むかし、奴隷たちは晴れの日に働いて、雨の日は休みだったと。だから、晴れた青い空は憂鬱な気分になるらしい。過酷な労働をしなければならないから。
 この花の感情は、リルのものだった。だから、花を通して彼女の夢も見たし、その後の彼女の行動も、何もかもを見てしまった。

「青は相反する感情を抱えていて大変だね。そんなところが好きだったんだけどさ」

 あいまいに返された言葉に、イブは苦笑いした。

「でもね、明らかに生命の花が本来の力を取り戻しているのは分かったよ」

 以前は、強い感情を宿した人間から、その感情を吸い取って咲くのが精一杯だった。それがイブが遊んでいる間に独りでに咲き始め、彼女の生まれ変わりも確認しつつある。そしてこの青い薔薇に至っては、透き通った花びらにその感情を抱いた場面が映し出されていた。日に日に、強くなっていく花々の輝き。その明かりで、夜の森が歩けるほどに。

「今日は一段と綺麗な青空ね。花畑が綺麗に見えるから、すごく好き。世界のどこかでは憂鬱に思う人もいるんでしょうけど、私は明るい気分になるわ。せっかくだから、行ってみようかしら」

 家の二階から、少女は真っ青な空を見上げていた。


*
Image coller 青色

Re: 【短編集】移ろう花は、徒然に。【スカーレット・レディ】 ( No.27 )
日時: 2016/10/28 20:17
名前: 黒雪 ◆SNOW.jyxyk (ID: jwhubU7D)

「人間の感情の中で最も古く、最も強烈な感情は恐怖である」
——ラブクラフト6より


【スカーレット・レディ】


 チン、という軽い音を立ててグラスが交わった。カクテルのショットグラスに注がれた緋色の酒が揺らめく。それを一息に飲み干して、カウンターに置いた。

「このカクテル、すごく美味しいわ。もう一杯頂こうかしら」
「かしこまりました、レディ」

 若いバーテンダーが大げさにお辞儀をして、グラスを手に取る。愛想が良いだけのバーテンとは違って、客の見極めもできるようね。言葉使いはともかく、二十代前半に見えるのに有能な店員だわ。
 カクテルを作り始めた銀髪のバーテンダーを見て、ノインはそんなことを考えていた。
 そんなに大きくはない町の外れに、『pi-Ela』という名の店があった。主に、昼間は近所に住む奥様方のティータイム、夜は恋人や訳あり人のバータイムとなっている。昼間は清楚な明るい店なのだが、夜になると雰囲気は豹変。薄暗い店内の中、混沌という秩序が生まれる。店の手前では恋人たちが愛を語らい、中ほどでは一人で雰囲気に酔うもの、奥では裏口から入った人ならざる者が集っていた。
 店内に明確な線引きはなく、入り口の方から奥を覗いたときに「何か」が見えてしまうことも少なからずある。だが、大体の人間は酒の見せる幻覚だと、勝手に解決してしまうため、騒ぎにはならない。もし、そこで店の中ほどまで進めば、この店が奇妙なことで溢れているのに気が付くだろう。だが、その奇妙さがギリギリのところで成り立っているのは、この店のバーテンダーたちと少しの協力者の隠れた努力ゆえのことだった。
 異形の者が来店するという噂が、ないわけではない。好奇心から店に訪れる客もいるが、薄暗く、少しもやがかかったような奥に進むのが、何故か躊躇われるのだ。

「よくこんな狂った空間が成り立ってるわよ。酒のせいにするには冗談が過ぎるのに。ほら、あそこなんて天使と異形の集まりじゃない」

 店の中ほどで真実を述べたところで、何一つ騒ぎにならない。こちら側の噂では、強力な魔法がかけられているから遮断されているとか、いないとか。ま、あたしはどっちでもいいけど。

「ここの場所まで来られるのは、ただの人間でない者だけだからねー。それは君も良く分かっているはずなのに」
「まぁね」

 丸い片眼鏡の向こう側で、深緑色をした瞳が細められる。蔑まれたような視線に少し興奮したのは、お酒のせいかしら。あぁ、食べてしまいたい。喉仏に噛みついて、恐怖に染まった顔を眺めていたい。滲み出す鮮血を吸いつくして、その瞳が怯えを湛えた状態で光を消すのを見たい。喉が血を噴いて、ひゅーひゅー音が鳴るの。なんて素敵な音かしら。
 少し水っぽい血液が好き。噛みついた直後は口の中で唾液と混ざり合って、食感がないわ。ほんのちょっと時間が経って血が固まってくると、ドロッとしたのに変わっちゃうのよね。わずかな時間だけ楽しめる極上の味。
——彼はどんな味がするのだろう。
 シェーカーを振っている姿をちらりと見た。第一ボタンまできっちりと留められたシャツに隠れて、喉元はうまく見えない。

「お待たせいたしました。スカーレット・レディです」
「どうも。このカクテルって何が使われているの? 口の中に残る苦みがすごく好みだわ」
「メインはホワイトラムとカンパリですねー。特にカンパリが苦みを持った味なのと、このカクテルの赤色を出すのに使われています。貴女にピッタリかなって」

 銀髪のバーテンダーは、軽く微笑んだ。弧を描いた唇の隙間から一瞬、明らかに人にはない鋭い牙と、先が二つに割れた赤い舌が見えたような。
 ううん、きっと気のせいだわ。少し飲むペースが早くて酔っているのね。だって彼からは、人間の匂いがするもの。

「ねぇ、それにしても新人がこの場所を担当するなんて滅多にないことじゃない。他の店で働いてたの? それとも……ただのバーテンダーじゃないのかしら」
「それはね、ないしょ」

 カウンターに片手をついて身を乗り出し、低く返事を囁かれた。そして何事も無かったかのように、またグラスを拭き始める。その声だけが、ずっと耳のまわりに残っているようで、重たい。首から背筋へとはしるゾクリとした感覚に、何故か肌が粟立った。快楽とは違った、もっと、別のなにか。
 記憶のどこかに、似た感覚があるのだろう。それを振り払うように酒を煽った。カンパリの苦みとレモンの酸味、飾られたオレンジピールの香りを感じた時には、もう喉の奥へと液体は消えている。このお酒、血で割ったらすごく美味しそう。

「ねぇ、ちょうだい?」
「嫌だと言ったら」
「拒否権なんて、あるわけないじゃない」
「これ以上は身体に障るよ。明日もあるんだから」

 ふと交わった視線で、酔いが醒めた。一切笑っていない冷たい瞳。赤い唇は、確かに弧を描いているのに。

「何が欲しいか言ってないのに、断るなんて紳士のすることじゃないわよ」
「ふーん? 君はカクテルなんかじゃ物足りないんだ」

 口先だけの言葉を並べて彼は笑っている。チロリと覗く舌は、紛れもなく爬虫類のそれで。その表情は獲物を見つけた捕食者のもの。

「そんなことはないわよ。ただ……ちょっと何か食べたいなって思ったの」
「ふーん、じゃあ僕とゲームしようか。僕に勝てたら、僕の血を飲んでいいよ。君は吸血鬼のレディでしょ?」
「……良いわ」

 無意識のうちに息を止めていた。苦しくて吐き出した呼吸は細かく震える。太股から腰、二の腕から胸、そして上下から心臓へ。寒気と切なさと、息苦しさが駆け上がる。
 指先なんて、とっくの昔に冷えきった。

「ねぇ、君。僕と君とで、どちらかが必ず、どちらかを食べないといけないなら、どっちが食べられる側だと思う? この質問に、正しく答えられたら、君の勝ち」

 爛々と輝く深緑色の目。彼は笑っている。心の底から、とても楽しそうに。
 こわい。恐い。彼が、怖い。心臓から血液と共に、全身を駆け巡る感情。
 身体中の、あらゆる場所が叫んでいる。「私は怖いんだ」と。

「……食べられるのは、私。でしょう?」
「ふふふ、正解。ほら、僕のこと食べていいよ」

 仕事が終わってからね、と笑顔で付け加えられたが、それどころではない。彼の血を飲んでしまったら、私は確実に何かに飲み込まれてしまう。

「やっぱり遠慮しておくわ……他の人にする」

 震える声を絞り出した。たったこれだけを言うのに、心臓はバクバクしているし、冷や汗が止まらない。
 彼は身を乗り出して、私を覗き込む。そして白く鋭い牙を見せて、ニターッと笑うのだ。

「そう。ざーんねん」

 自分の棲家に帰る道も、いつもと違って見えた。誰かの気配がずっと後ろにあって、振り向いたらその誰かの深緑色の眼が光っていそうで、振り返れない。
 月明かりも何もない新月の夜は、自分の影が見えないから、狩りには打って付けの日だと教わってきた。狩られる側になるとは思いもよらなかったけどね。
 吐息が白い。でもいつの間にかそれは周りと同化していて、霧に包まれていた。

「待ってたよ、緋色のLADY」

 妖しく光る眼が二つ——振り向いたら、そこにあった。










 新月の夜、その花は突如として咲いた。真っ赤な彼岸花だった。そして、その夜が明けないうちに砕け散った。赤く透き通った花弁が、草の上に広がっている。
 その残骸を見て、イブは大きく溜息を吐いた。

「これからが仕上げだっていうのに、厄介なことだねぇ。まさかお前さんもいるとは思わなかったよ」

 花だったものに語りかけて、家の方へと踵を返しかけたとき——人影を見つけた。
 生命の花に囲まれるようにして、彼女は眠っていた。白いワンピースに細い手脚。綺麗な茶髪が朝日に照らされて輝いている。それは、いばら姫を思い起こさせるような姿だった。
 そっと近づき、イブは頭を垂れる。彼女に、何を思ったのだろうか。



*
Image coller 緋色(あけいろ)

*
スカーレット・レディ・カクテル:ショートドリンクに分類されるカクテルの一種。


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