複雑・ファジー小説

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【短編集】忘却の海原 『鋼鉄の海鷲』掲載
日時: 2015/12/24 18:38
名前: 一二海里 (ID: YohzdPX5)

 こちらで投稿させていただくのは初めてとなります、一二海里です。
 巷では「ノーティカル・マイル」などとも名乗っております。ノーチとか海里とかノーさんとか気軽に呼んでね。

 第二次世界大戦を題材したものを中心に、思い付いたものをつらつらと置いていきたいと思います。
 基本的に歴史的事実を元にしたフィクションなので、「ウチの爺ちゃん」の話はご遠慮ください。因みにウチの爺ちゃんは終戦直後に生まれました。曾祖父は地元の大隊だったので戦地行ってないです。
 一応戦記物の側面も持っているので、興味ある方は是非。ない方も是非。
 あ、勿論戦争以外のものもあります。
 普通に現代を舞台に何か書くこともあります。分けろ? 面倒くさい……冗談ですよ。分けませんけど。
 取り敢えず「思い付いたものをつらつらと置いていきたい」と思っているので、お時間があるのならば、お付き合いくださいませ。
 では、よろしくお願いします。


 ——戦争なんて怖い、知りたくない、というそこのあなた。
 「戦争」を真っ向から否定ばかりして、「何故」を学ばないでいると、逆に「戦争」があなたの背後から忍び寄ることになりますよ。



『カイツブリ』>>1-3

『犬と狼の間』>>4-6

『鋼鉄の海鷲』>>7-18

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.4 )
日時: 2015/11/25 09:50
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: EZ3wiCAd)


『犬と狼の間』


 フランス語の古い表現で、「犬と狼の間」という表現がある。
 人に飼われている犬が寝床に戻り始め、野生の狼は逆に活動を始める時間帯、つまり黄昏時を指す言葉だ。辺りが暗くなり始め、犬と狼の区別がつかなくなる頃、という意味でもある。転じて、慣れ親しんでいて安心できるものと、よく分からなくて危険なものの境目、という意味もある。

 高校時代、私のクラスの現代国語を担当していた教師は毎週作文の課題を出してきた。題材は自由で、何を書いても一応の評価が得られたが、その評価の裁量はその教師に委ねられている。
 それでも点数がつき、成績上位者数名の作文は一週間教室に掲示された。それを恥ずかしがって、態々稚拙な文書を書く者やそもそも提出しない者も絶えなかったが、私はそういったところでも点数を稼ぎたい矮小な人間なので、毎週真面目に書いて、毎週掲示されていた。
 当然、評価する先生自身が私に理解のある人物だったこともあるのだが。
 二年生の夏休み明け、それまで私達の現代国語を教えていた先生が体調を崩し、代わりの教師が教鞭をとることになった。
 しかしこれがまた曲者で、非常に生真面目な性格の若い女の教師だった。ただの生真面目な性格ならまだ良かったが、彼女は冷戦の真っ只中にあって政治的左派で、授業中戦前の文学をやるとまずこの当時の日本を扱き下ろし、ナショナリズムは悪の主義だとまでいった。
 作文の評価にもそれは反映され、私の作文は二学期の頭から早々に教室の壁から姿を消すことになる。点数の低さに、私は静かに腹を立てた。文章の構成は良いが、内容に大きな問題があると評されていたことにも腹が立った。私自身がナショナリストであり、私の作文もナショナリズムに基づくためだし、その女教師の、教員という立場を利用して露骨に政治的信条を振りかざす態度が気に食わなかった。
 ——こいつは面白くない。

 その頃、消えた私の代わりに教室の壁に登場した者が居た。
 丁度、教室で私の前の席に座っていた女子生徒である。肩までを隠す黒髪に切れ長の目、色白の肌、すらりと伸びた脚、そしてスタイルの良い長身。まさしく容姿端麗だが、その妖艶な容姿に対して小心者で、自分の発言で誰かが傷付きはしないかという杞憂から生まれる物静かな性格は、端麗な容姿と併せて、周囲に人を寄せ付けず、友人がなかった。
 私は彼女の数少ない友人であった。
 彼女はこのテレビっ子世代にして映画好きで、特に洋画が好きだったことから、私とは何かと趣味が合致したのだ。家も近所だったため、私は度々彼女と映画を見に行ったり、借りてきたビデオを一緒に鑑賞したりしていた。
 彼女の一家は彼女が高校に上がったのに合わせるようにして引っ越してきたらしく、彼女の母親は最初のうちは私が家を訪ねる度、怪訝な顔をした上で茶を出す名目で私と彼女が二人でいる部屋を訪ねてきていたが、その内私と彼女が本当にただの友人として付き合っているのだと認識したらしく、やがて私が訪ねてきている間でも家を留守にすることすら厭わなくなった。
 彼女は部活動に所属しておらず、一方で私は写真部に所属していたため、帰りは別々だったが、通学路もほぼ同じなので、毎朝同じ時間に並んで歩きながら映画のことや、新聞で見た話題を語り合った。
私はクラスでこのことを時々からかわれた。元々私もあまり人を寄せ付ける性質ではなく、誰とでも仲良くするタイプの人間ではない。どちらかというと物静かな方で、しかし人並みの社交性は持ち合わせているつもりだった。それは私がろくな愛国心もなくその気もないのに特攻隊を気取っている輩や、マスメディアのいうことを鵜呑みにして簡単に流される連中を見下していたためで、いうなれば付き合う人間を選んでいるだけのことだった。その私が容姿端麗で物静かな彼女と仲良くしているだけでなく、お互いの家にまで上がり込んでいるのだ。多感な年頃である高校生がこれを冷やかさない筈はなかった。
 彼女がどうかは知らないが、少なくとも私は下心から彼女と仲良くしていたつもりはなかった。容姿だけで言うのなら隣のクラスに彼女と並ぶ端麗な容姿の持ち主は居たし、物静かな性格は私が近付く理由にならない。何より最初に話しかけてきたのは彼女である。ただ趣味の一致と自宅の近さだけが私と彼女の接点であった。

 『トップガン』が日本で公開されたのは丁度その頃だった。彼女は早速映画のチケットを入手し、観に行こうと誘ってきた。その週の日曜日は写真部に来るように言われていたが、「なるべく来るように」という曖昧なものだったため、部活の方は蹴った。そんな曖昧で退屈な部活動より、『トップガン』を観たかった。
 二時間程のその映画を観終えた後、映画館を出て彼女とカフェに立ち寄った。
「面白かった」
 注文を決めてから、奥の方の席で向かい合って座る。ぽつりと彼女が呟いた。
「ねえ、雄猫に乗っかる気はない? 私は飛行力学を研究するから」
 微笑んで言う。彼女は洋画好きが高じてか、時折西洋的なジョークを口にする。私もジョークにはジョークで返す。彼女流であり、私流であった。
 「雄猫」というのは『トップガン』に登場したF14戦闘機のことだ。
「僕がトム・クルーズで、君がメグ・ライアンか。残念だけど、僕じゃ無理かな」
 私は自分の目尻を指差しながら返す。目が悪いと飛行機のパイロットにはなれないらしいと聞いたことがあったし、『大空のサムライ』を読む限りは飛行機乗りには高い身体能力とやはり視力が要求されることは明白だった。何よりあの機に乗るには米海軍に入隊しなければならない。
「なら、私もやめた」
 彼女はまた微笑んだ。聞くところによると、私は彼女が自然な表情を向ける数少ない人間らしい。彼女の母親に指摘され、学校で少し注意深く観察してみると、確かに彼女は私以外の者に対しては大体読書に疲れたような憂い顔だ。先程のようなユーモアも、私以外には見せない。
 それから他愛のない会話が続き、注文したコーヒーが来て、それを飲み乾してからも一時間程その場に居座った。店を出て、また彼女が私だけの表情を私に向ける。
「ねえ、作文の書き方を教えて」
 度々お互いの家に行く間柄ではあったが、お互いの作文を見せ合ったりしたことはなかった。別に作文が嫌いだったというわけではないし、先述の通り、彼女はかつての私と同じように教室の壁の常連だ。別に教室の壁自体に拘りはなかったし、教室の壁から私の作文が消えただけで私の自尊心が傷付けられるようなこともなかった。しかし案外と彼女は私が気にしていると思っていたのかもしれない。単純に彼女も話題に挙げる程のことでもないと思っていたのかもしれないが。
 兎に角、作文の話題が出たのはこの時が初めてだった。
「何故に?」
 私はほぼ反射的に、そう聞き返していた。恐らく怪訝な表情もセットだ。
「私、いつも貴方の作文を参考にして書いていたの。掲示されなくなって、残念に思ってる」
 彼女は少し伏し目がちに言う。夕日によって、彼女の白い頬に少し赤みが差した。
「私は貴方の作文、好きだよ」

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.5 )
日時: 2015/11/25 09:54
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: EZ3wiCAd)

 私は彼女を少し利用してやろうと画策した。我ながら褒められた精神ではないだろうとは思う。だが、そうでもしなければ私の腹の虫は治まりそうになかった。今思い出しても評定につけられた「内容に問題あり」の文字には腹が立つのだ。つまり、あの女教師にひと泡吹かせてやろうという魂胆からの行動だった。なんと矮小な人間だろう、私は。
 まず、私が最初に彼女に勧めたのは、テーマ選びの上で教育や組織を題材に扱うことだった。私自身がいつも政治と愛国を題材にしていたのもあってのことだし、彼女自身もその題材に対して意欲的だった。
 三学期が始まり、最初の一週間は実験的に国家という組織を批判する内容で書かせることにした。話し合いながら書き、私の持っていきたい方向に持っていく。彼女は、言葉遊びは好きだが得意ではないことを知っていたので、誘導は簡単だった。
 実験は成功した。彼女の作文は教室の壁に掲示され、題材が題材だったので生徒の注目もある程度集めることが出来た。これで第一段階は達成となる。
 次に日本の教育組織について批判する内容に持っていった。その前の年に、中学校の生徒がいじめを苦に自殺し、教育委員会と学校がそれを隠蔽した事件が起こっており、過去に例がなかったために大事件となったが、それに準えた。
 これは大成功だった。教室の壁に掲示されたのは勿論、生徒の注目も集めた。同調して学校組織を批判する内容のものを書くクラスメイトが翌週には現れるくらいに。
 一方で、私はこの時あることに気付いた。
 これだけの作文を書いた彼女に、誰も声をかけようとはしないのだ。相変わらず自席に憂い顔で座っている彼女は、誰からも話しかけられることもなく、当然自分から誰かに話しかけるようなこともなかった。私はこれを好都合ととった。私が彼女を「教導」していることなど、誰も知らない。
 翌週は教師と生徒の関係を題材にさせた。師弟関係を築くことで教育はスムーズに進むが、築けなければ上手くいかない、という趣旨の内容だ。女教師は気付かなかったようだが、実はこの作文には二つの意味が内在している。一つは言葉通りの意味で、女教師はこちらで解釈したのだろう。もう一つは、これを裏返して、信頼の出来ない教師に対して生徒は従う必要はない、という意味があったのだ。四十人近くの作文を一日で採点するのは大変なことだろう。その作文を一つ一つ考察することなど不可能な筈だ。私の勘は当たった。
 件の女教師の無能性の一つは、自身が生徒と信頼関係を築くことに成功していると勘違いしていることだった。私達のクラスが授業中に静かなのは教師に対する信頼からのものではなく、消極性からくる沈黙である。女教師はこれを見事に履き違えていた。
 私は教室の壁に貼り出された彼女の作文を友人との話題にした。考察したように見せかけた。信頼のおけない教師に対して、従う必要はあるのかと説いた。普段、私にすればただの友人の一人に過ぎないが、彼を選んだのは、彼が話好きな性格であることを考慮してのことだ。案の定、彼は彼女の作文の話題を教室中に広め、更には別のクラスにまで波及した。
 元々授業態度が良いとは決していえない学校である。流行りの不良生徒も居たし、教員の中には生徒に対して威圧的な態度をとる者も居て、それに反感を抱える生徒も少なくなかった。彼女の作文の同調者が今度はこの話にも同調するのはごく自然の事だったのだろう。クラスは、徐々に崩壊しつつあった。
 一方、不思議なことに、未だに彼女自身に話しかけようなどとする者は現れない。教室で彼女に日常的に話しかけるのは私だけだ。それだけが不思議だった。
 また、この頃、やけに私の思い通りに動く彼女を、私は犬のようだと思った。狐を追う猟犬だ。彼女の作文はクラスに同調者を生み出し、その同調者達という猟犬仲間を率いて女教師という狐を追う。当の狐はこの段では未だ自身が追われていることに気付いてなどいないのだが。

 翌週も似たような題材で書かせた。今度はもっとストレートな表現で。評価はいつもより低かったが、彼女よりマシな作文は定数を上回らなかったようで、結局教室の壁に過激な作文が並んだ。序でに、私の作文も教室の壁に復帰した。題材は相変わらずナショナリズムに基づくものだったので、私はこれで女教師への「お返事」を終えたつもりでいた。
 しかし、この日女教師は授業の終わり際に私達に一つ説教を垂れた。「内容は自由だと言いましたが、限度があります」と。これがいけなかった。クラスの中でも元気なグループが次の授業からサボタージュを始め、こっ酷く叱られたがそのグループの行動はクラス全体に波及した。私は無責任にも傍観を決め込むことにしたのだが。
 その週のある日の放課後、部活動を終えて帰宅しようとした時、ノートが一冊鞄に入っていないことに気付いた。終礼時に鞄にものを詰めた時の記憶が曖昧で、教室に忘れてしまったのだろうかと考えた私は、態々三階の教室まで取りに行くことにした。ただのノートであれば良かったのだが、生憎と翌日提出の課題に使うものだったからだ。下賤な私はこんなところでも点数が欲しかった。
 教室の戸を開けると、そこには見慣れた少女が一人で座っていた。彼女は戸を開く前から私に気付いていたのか、私が彼女の方を見るなりこちらに微笑んだ。外はもう日が落ち、窓の向こうには疎らな街の明かりと薄闇だけがある。彼女の白い肌はこの薄闇の中でも浮いて見え、その光景は年齢に不釣り合いな妖艶さを醸していた。一方で私の方はというと、ただ単純に面喰っていた。
「まだ居たのかい」
 取り敢えず言葉を紡ぐ。紡ぎながら、自分の机の方に歩み寄り、引き出しの中を覗き込む。彼女はその様子をじっと眺めていたらしく、少し間を置いてから口を開いた。
「待っていたの」
 私は反射的に「誰を」と聞き返した。目的のノートを発見し、引き出しの中から引っ張り出す。
「誰が居るの?」彼女はクスクスと笑った。笑い方まで品のあって美しいことだ。
 思わずノートを引き出す手が止まった。彼女に見惚れての事ではない。飽きる程見覚えのある彼女の表情だったが、今のは分からない。彼女の言葉の意味どころか、今の彼女自体が分からない。私は少し考えたが、返すことが出来たのは彼女の言葉に対する返答だけだった。
「部活が終わるまで待つことないじゃないか」
 目線を下ろし、ノートを引き出して鞄に放り込む。彼女は黙っていた。私は鞄を肩に掛けると彼女の方に視線を戻した。彼女はまたクスッと笑って、立ち上がる。
「また壁に掲示されて、嬉しい」
 私の作文のことだった。彼女は私の作文のファンだった。立ち竦む私の横を、彼女は歩いていく。彼女が教室の戸の前まで移動する間、私はその場に立ち尽くしていた。
「帰ろっか」
 彼女が振り向きながら微笑み、私達はそのまま帰路に就いた。
翌日以降も私が何か忘れると、彼女は決まって教室で待っていて、帰路を共にすることが増えた。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.6 )
日時: 2015/11/25 18:11
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: gF4d7gY7)

 クラスは完全に崩壊していた。授業中にも関わらず私語が飛び交い、生徒は平気で立ち歩く。そこに教員は居ないも同然だった。僅か一ヶ月足らずで私の指導の元、彼女はクラスメイト達の扇動に成功したのだ。件の女教師の授業も例外ではない。彼女がいくらヒステリックに注意しようとも、無意味だった。
 一方で、作文で人を扇動することに成功した彼女はというと、授業中も静かで、しかし教科書やノートを机の上に置いておくばかりで開こうともしない。彼女なりの、周囲に比べれば遥かにささやかなサボタージュだった。私も似たような状態で崩壊した授業を見ていたが、私の場合は教科書やノートを机の上に出しておくことで「自分は問題生徒ではない」とアピールするための、いうなれば保身だった。
 彼女は、この状況が私の意図によるものだったことに気付いているのだろうか。彼女は最後まで物言わぬ扇動者であり続けた。無言で君臨していた。猟犬達を従えて狐を追っていたリーダーは、仲間の猟犬達が狐を獲らえる様を静かに見守っていた。
 私は彼女を犬のように撫でてやりたくなった。「よくやったぞ」や「お疲れさん」などと言いながら、まるで狩人が猟犬にそうするように。
 翌週はもう自由に書かせた。題材も彼女自身が選び、私は殆ど手を加えなかった。結果はいつも通りで、彼女の作文と私の作文が一緒に教室の壁に貼り出された。作文の提出率自体が半分を切っており、どんなことを書こうとも大体掲示されるような状態だった。彼女の作文は、提出の直前に私も流し読んだが、驚くべきことに、内容は私が手を加えた時より過激に思えた。特にあの女教師を暗に指して、教員は自身の政治的な信条を教育に持ち出すべきではない、などと痛烈に批判したのだ。
 金曜日の放課後、職員会議で全ての部活が中止になり、私はいつも通り彼女と帰路を共にした。職員会議の議題は分かり切っている。三学期の半ばになって、何故急にこんな事態に陥ったのか、そしてそれをどう解決していくべきなのか、といった辺りだろう。まさか一生徒の作文が原因だとは思うまいが、裏を返せばたったそれしきのことで簡単に崩壊する程、この学校の生徒と教師の関係は脆かったのだ。
「ねえ、明日は空いてる?」
 少し考え、明日は予定がないことを伝える。彼女は急に年相応の無邪気な笑顔を見せた。
「じゃあ……」
 黄昏時。向こうから歩いてくる動物の姿を見て、それが犬であるか狼であるか、判断に迷う。

 フランス語の古い表現で、「犬と狼の間」という表現がある。
 人に飼われている犬が寝床に戻り始め、野生の狼は逆に活動を始める時間帯、つまり黄昏時を指す言葉だ。辺りが暗くなり始め、犬と狼の区別がつかなくなる頃、という意味でもある。転じて、慣れ親しんでいて安心できるものと、よく分からなくて危険なものの境目、という意味もある。
 彼女は、本当に私が飼い慣らした猟犬だったのか。彼女は猟犬のリーダーなどではなく、実は群狼のリーダーだったのではないか。後者の場合、彼女が群狼を率いて狙った獲物はなんだったのだろうか。その場合、彼女にとって私はなんだったのだろうか。
 そこまで考えた時、私の思考は急に現実に戻される。
 今、彼女はなんと言った?
「すまない、もう一度言ってくれないか」
 私は無意識に立ち止まっていたらしく、少し前を歩いていた彼女は振り向いて言った。
「今夜、うちに泊まらない? お父さんもお母さんも留守なの」
 夕日に照らされた彼女の、犬だか狼だかもう分からない彼女の、美しい顔に少し照れくさそうな笑顔を浮かべた彼女の、その瞳に私は背筋に冷たいものを感じた。
 この狼の獲物は——

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.7 )
日時: 2015/12/24 18:50
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

『鋼鉄の海鷲』

 この時代、飛行機乗りは三種類に分けられる。
 愛国の形の示し方を飛ぶことに見出した者、仕方なしに入隊して適性があったために飛行機に乗り始めた者、そして飛ぶこと自体が純粋に好きな者。
 この三つである。

               *

 空は晴れ渡り、水平線にカモメが集まっているのが見えた。その下では小さな白い船が魚を獲っているのだろう。
 灰色の鋼鉄の巨艦は、その海を静かに進んでいた。向かい風。艦上の広い甲板には白銀の飛行機が並び、既にそのプロペラを回して待機している。彼はその中でも前の方にある機体に乗っていた。
 丘野一飛兵、17歳。大日本帝国海軍航空隊に入隊して1年、この航空母艦「赤城」に初めて乗ったのはつい昨日のことであった。
 甲板員が車止めを外して走っていく。前方の機が動き出し、加速し、発艦していく。丘野も左手のスロットルを上げ、エンジンの回転数を上げる。機体が動き出した。帽子を振る甲板員達を一瞥し、艦橋を通り過ぎ、加速していく。前は海しか見えなくなり、機体は一瞬がくんと落ちる。しかし慌てることはない。すぐにふわりとした感覚と共に機体の高度は上がり始めた。操縦桿を引き、更に機体高度を上げる。
 鋼鉄の鳥が飛び立った。

 高度2,000メートル。3,000メートル。4,000メートル。丘野の操る機体は高度を上げていく。
 三菱零式艦上戦闘機二一型の実用高度は3,000メートルから5,000メートル程度とされる。戦闘機としての性能を最も引き出せるのがそのくらいの高度だということだ。
 高度計から目を離すと、空を見渡す。風防越しに見る空は何処までも澄み渡り、少し離れた空に飛行機が見えた。同じ機体、同じ国籍標識。白銀の眩しい機体に赤い日の丸が目立つ。
 戦闘機にとって下半分は全て死角である。少し高度を下げてその機に近づくと、案の定気付かれなかった。速度を下げて、高度を上げて背後につく。撃墜。
 バンクを振ってから相手機の真上に行くと、操縦席から先輩搭乗員が苦々しげに笑ったのが見えた。「撃墜」されたその先輩搭乗員は母艦へと飛び去っていく。
 丘野は次の「敵機」を探した。
 すぐに発見する。同じ機体、同じ国籍標識。赤い日の丸。
 お互いほぼ同時に発見したらしく、戦闘機動に入ったのは同じタイミングだった。
 操縦桿を引き倒し、機体を垂直に、すぐに逆さに、またすぐに水平に戻る。身体がシートに締め付けられ、胃が裏返った。この極限の苦痛に打ち勝った者が空戦を制するのだ。お互いに相手の背後を取るために、時に操縦桿を倒し、時にスロットルを上げ、ひたすら苦痛に耐える。
 相手の機体が前上方に見えるようになった。右腕に全身全霊の力を込め、重い操縦桿を引き倒す。相手機が徐々に正面に捉えられ、その姿はエンジンの下へと消え入る。勝ちを確信し力を抜くと、相手機も丁度力を抜いて水平飛行に戻っていた。撃墜。
 丘野はこの演習で2機を「撃墜」した。

               *

 空はどこまでも青く澄み渡り、目の良い丘野は南へと飛んでゆく攻撃機隊の姿を風防越しにもくっきりと見ることが出来た。海上で波濤を切り分け、航跡を曳きながら、艦載機を続々と飛ばしている「赤城」は、普段乗っている時には巨大な鋼の城のようにも思えるが、空から見るととても小さなものに見える。
 ふと、斜め前を飛んでいた小隊長機が真横に来るまで速度を落としてきた。操縦席を見ると、小隊長は「高度を上げる」とハンドサイン。丘野は頷いた。
 小隊長機が高度を上げる。丘野もスロットルを上げて、操縦桿を引く。もう1機の僚機もついてくる。
 昭和16年12月8日、良く晴れた朝のことであった。
 大日本帝国陸軍がマレー半島に進撃を開始、その数時間後に大日本帝国海軍空母機動部隊が米国ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を行った。マレー半島の英軍は日本軍を前に敗走と撤退を繰り返し、真珠湾に停泊していた米海軍太平洋艦隊は戦艦5隻を失う大損害を被り、事実上太平洋の覇権は日本の手に渡った。
 欧州で上がっていた戦火が、アジア太平洋地域にも拡大した瞬間である。
 しかし、艦隊の真上で防空任務についていた丘野にとっていまいち実感の湧かない事実でもあった。米軍はこの奇襲攻撃に殆ど対応出来ず、一方的な攻撃を受け、日本の機動部隊に襲来する敵機はなかったためだ。

               *

「『アリゾナ』が沈んでるぞ!」
「チクショー、なんてことしやがる!」
 航空母艦「エンタープライズ」の艦上で、パールハーバーの惨状を見て周囲の兵士達が喚く中、コリン・フーゲルフェルド少尉は静かに膝から崩れ落ちた。
 栄光あるアメリカ海軍太平洋艦隊は、戦艦5隻戦闘不能の大損害を受け、1941年12月7日は最悪の日曜日となった。
 そしてなにより、3人の兄弟全員がアメリカ海軍士官のフーゲルフェルド家の長男で、中尉だったショーンは開戦早々に戦死してしまったのだ。ショーンは戦艦「オクラホマ」の乗組員だ。その「オクラホマ」は多数の航空魚雷を受けて転覆し、無様に海面から艦底を晒す彼女の姿は、コリンに兄の死を確信させた。「オクラホマ」の乗組員の戦死者は400名以上に上り、その内の20名は士官だった。
 コリンの乗る「エンタープライズ」は12月2日にウェーク島へ海兵隊の戦闘航空団を輸送する任務を遂行しており、パールハーバーが攻撃されている真っ最中に帰還することになってしまい、一時的に入港を中止して日本海軍の艦艇を捜索したが発見出来なかった為、攻撃が止んでから入港した。
 そしてこの惨状を目の当たりにしたのである。
 コリンは日本海軍に対する復讐を静かに誓った。しかしその時、弟のジャックのことは不思議と思い出されず、そのまま頭から抜け落ちていた。


 12月10日、日本海軍航空隊の陸上飛行隊がマレー沖で英国海軍東洋艦隊を攻撃し、英首相チャーチルのお気に入りで、彼が「不沈艦だ」と豪語していた新式戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈する。停泊中だった米国の戦艦群を航空攻撃で壊滅させたことに続いて、作戦行動中の新式戦艦をまたも航空攻撃で撃沈したことは対艦巨砲主義が当たり前だった世界の常識を覆した。
 かくして、大日本帝国海軍航空隊はその華々しい戦果を以て、その名を世界に知らしめたのであった。


 コリンはハワイのオアフ島沖で航行する「エンタープライズ」の艦上で出撃の時を今か今かと待っていた。
 日本の潜水艦を撃沈したという攻撃機隊のパイロットの話を聞いていたが、コリンの戦闘機隊には一向に出撃の命令が出ない。
 元々海軍でも航空隊を選んだのは何故だったか。チャールズ・リンドバーグのような偉大なパイロットに憧れたからだったか、単純に飛行機を格好いいと思ったからだったか……コリンは考えていた。思い出せない。
 少なくとも、今は兄の仇をとることだけの為に戦闘機に乗っていることは確かだった。早く日本軍と戦いたい、早く日本兵を殺したい。
 時々弟から送られてくる手紙にろくに目も通さず、日本軍と戦うことばかりを考えて、その気持ちは日に日に強くなっていた。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.8 )
日時: 2015/12/23 04:31
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 12月17日。
「島田飛曹長がどこに居られるか、分かりませんか」
 廊下でばったり出会った乗組員に声をかける。目的の飛曹長は恐らく飛行甲板に居ると言われ、礼を言って甲板へと向かう。航空隊はガラが悪く、乗組員に対して高圧的な者が多いが、丘野は年齢と階級もあってあまりそういったことはなく、寧ろ可愛がられている方で、こうして艦内で人にものを聞く時も至極親切に答えてもらえるのであった。
 航空母艦「赤城」の艦内は迷路同然であった。丘野にとっては初めて乗り組んだ空母が「赤城」だったため、航空母艦というのはそういうものだと思っていたが、考えてみれば元々「赤城」は巡洋戦艦を改装した空母であり、更に大規模な近代化改装が行われていたのだ。丘野が幼い頃から雑誌でよく見た「赤城」とは艦影から随分と違うため、最初に見た時は同じ名前を継いだ全く違う艦ではないかと思った程だった。
 そして何より問題だったのは居住性だ。日本海軍の艦というのは兎角居住性に欠ける。戦闘能力を高めるために重武装、条約に合わせて小型化、そして犠牲になったのが居住性だったからだ。これは戦後の海上自衛隊護衛艦にも長らく受け継がれた悪しき伝統の一つである。英国のジョージ6世戴冠記念観艦式に日本海軍の巡洋艦が参加した際には英国の記者から「飢えた狼」と評された。これは「戦闘力ばかり重視して気品のない、まるで野獣のような艦だ」という意味の皮肉を多分に含んでいるものだ。世界中の植民地を回る長期航海を前提とした英国海軍の艦は士気の維持の為に居住性を重視する一方で、日本は基本的に敵を近海に引き込んで地の利と補給を生かして撃滅するという戦術の為、あまり居住性を意識しないという思考の違いによるものだったのだが、船を女性に例える欧米でそのような評価を頂戴したというのは、こうまで戦闘一辺倒な艦は相当に異質だったに違いない。
 巡洋艦でこの調子だったのだが、「赤城」は更に酷かった。
 航空母艦「加賀」の大改装の為に大金をはたいた海軍は続いて「赤城」の改装に取り掛かったのだが、予算不足はどうにもならず、「加賀」に比べて丁寧ではない仕上がりとなってしまった。丘野が個人的に気にしたのは木製飛行甲板の板の隙間を埋める防水補填剤が板と板の間からはみ出て黒く硬くなって残っていることで、いつか航空運用に影響が出るのではないかと内心危惧していた。
「小隊長、島田小隊長」
 飛行甲板上で煙草を吸いながら同僚と談笑する、目的の飛曹長を見つけ、声をかける。
「ん、丘野か。どうした」
「柴崎が……」
 右舷後方の居住区は、右舷でまとめて下方向に向けられた煙突の排気が流れ込むために窓が開けられず、ただでさえ悪い艦内の空気を更に悪化させ、そしてやたらと暑い。この為、丘野は普段ハンモックを廊下に吊って寝ているのだが、彼の僚機であり同期の柴崎一飛兵は生真面目で融通が利かない性格からか、頑なに自らの部屋で眠り続け、挙句の果てに肺結核に罹ってしまっていたのだ。元々「赤城」は「人殺し長屋」と呼ばれる程に居住性が悪く、艦内では赤痢と結核を発症する兵が多かった。丘野が「赤城」に乗り組むことになったのは、前の搭乗員が赤痢に罹って死んだ為だと柴崎が教えてくれたのだが、その柴崎もとうとう仲間入りを果たしたのである。飛曹長は唸った。
「仕方ない、今日から暫く二人だ」
 零戦の飛行小隊は三機で組むのだが、柴崎が病気で抜けてしまった以上は二人で飛ばざるを得ない。飛曹長は、はたと海の方を見た。丘野も釣られて海を見る。
 「赤城」から400メートル程の間隔を開けて、駆逐艦が走っている。2,500トンの排水量を持つ陽炎型駆逐艦は、駆逐艦としては大柄だが排水量40,000トンを優に超える空母に比べれば小さなものだ。
「駆逐艦の連中は飯が不味いらしいぞ」
 飛曹長と談笑していた彼の同僚が笑う。飛曹長も頷いた。駆逐艦の食事事情が悪いのはよく聞く話で、その話はどれも悲惨だ。空母や戦艦もそれに比べればマシだが、主計科の腕に左右されるため、艦によっては決して良くもなかった。その点で「赤城」は居住性の割に食事は上等で、特に飛行搭乗員向けに出される甘味類は極上のものであった。飛曹長と彼の同僚は最近空母「加賀」から異動しており、最初「赤城」の食事の質に驚いたという。
空母を始めとする大型艦は総じて治安が悪く、特に空母「加賀」は有名だった。開戦前に大改装を受けるまで煙突を艦尾まで伸ばす誘導煙突を採用していたが、周辺の室温を40度にまで引き上げ、搭乗員は蒸し焼き、航空機は燻り焼きで「海鷲の焼き鳥製造機」などという「赤城」の「人殺し長屋」に負けず劣らずのあんまりなあだ名を頂戴している。食糧類のかっぱらいや航空隊士官による艦乗員への私的制裁が横行していたといい、その陰湿な気風は自殺者や逃亡者を多く出しており、艦内風紀は帝国海軍随一の荒れようだった。その原因の一つに劣悪な居住環境と並んで劣悪な食事がある。住み心地も悪く、食事の質も悪いのでは風紀が悪化するのも当然の事である。その後、日華事変時のある甲板士官の努力と開戦前の大改装による環境改善で「加賀」の風紀は大分改善されたが、一方で「赤城」は「人殺し長屋」のままだった。それでも治安が極端に悪くないのは一重に食事の上等さにあったのだ。
「丘野、お前は『赤城』が初めてだったな」
 海に煙草を投げながら、飛曹長が続ける。
「『隼鷹』は艦橋と煙突が一緒になっていてなぁ。欧米の空母はあれが当たり前なんだとさ。これからは軍艦の居住性も良くなるぞ、きっと」
 元々が客船の「隼鷹」の居住性が良いのはある意味当然の事だと思ったが、丘野は黙っていた。
 「赤城」は機動部隊を引き連れ、日本本土へ悠々と航行していた。

               *

 1942年2月1日。
開戦以来、敗北に敗北を重ねていたアメリカ軍の、最初の積極的攻撃が行われることとなった。
 主力の戦艦部隊が行動不能となった為にニミッツ大将が計画した、空母を中心とした任務部隊による一撃離脱のゲリラ戦である。
 目標に選ばれたのは開戦直後に日本軍の空襲や駆逐艦による砲撃を受け、上陸占領されたウェーク島と、日本が戦前から委任統治していたマーシャル諸島、そして開戦直後に日本が無血占領したギルバート諸島であった。占領して安心しきっている日本軍を奇襲攻撃するのである。
 しかし、コリンに出撃の機会はなかった。
 出撃の命令が出たのは攻撃機と爆撃機だけで、コリンの戦闘機隊にはやはり出番が無かったのだ。実際、「エンタープライズ」が担当したマーシャル・ギルバート諸島に駐留していた日本軍は潜水艦と練習巡洋艦、後は軍属の商船や輸送船ばかりで、航空戦力は乏しかった。空が晴れた満月で、しかも無風という、飛行には絶好の天候だったこともコリンの機嫌を損ねた。こんなに良い天気で、自分もこんなにやる気に満ち溢れているのに、戦闘機乗りであるばっかりに戦いに行けない。
実際の戦果は微々たるもので、日本軍には大きな損害はなかったが、大きな戦果を挙げたと誤認したアメリカ軍は初勝利に沸いた。一方で、日本軍と戦いたいのに戦えないコリンの不満は募っていく。

               *

 昭和17年2月19日。
 豪ポートダーウィンへの空襲は丘野にとって、非常に退屈な仕事となった。豪州北西のティモール海に布陣した日本機動部隊は実に200近くの艦載機を発進させ、港湾都市ポートダーウィンに激しい空襲を行ったのだ。この港湾都市には連合軍の部隊が多く駐留しているとされていた。
 しかし、蓋を開けてみれば豪州の守りはあまりにも緩かった。豪州側はまさか日本の機動部隊がやってきて空襲されるとは夢にも思っておらず、全くの無警戒だったのだ。空襲の警報システムすら構築されていなかったらしく、迎撃も殆どなかった。迎撃が始まってもその練度は非常に低く、日本側の被害は微々たるものだった。
 「海上で迎撃に上がってきた敵機と遭遇するだろうから、気をつけろ」と発進前に飛曹長が言ったのを思い出す。丘野達零戦隊は艦上爆撃機の護衛の為に飛んでいたのだが、その護衛の為の燃料が無駄なのではないかと思われる程に悠々と、爆撃機隊はダーウィン市街とポートダーウィン港とそこに停泊する船舶に空襲を敢行した。午前中の空襲で重点的に狙ったのは港湾施設で、丘野の眼には朝であるにも関わらず煌々と明るく感じた石油貯蔵タンクの爆発が焼き付いている。上から見れば、ただの景色に過ぎない。
 艦載機が引き揚げた後、午後には陸上攻撃機が空軍基地を狙って空襲し、やはり殆ど迎撃はなかったと聞いた丘野は、開戦から3カ月にして早くも終戦の気配を薄々感じ始めていた。


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