複雑・ファジー小説
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- 【短編集】忘却の海原 『鋼鉄の海鷲』掲載
- 日時: 2015/12/24 18:38
- 名前: 一二海里 (ID: YohzdPX5)
こちらで投稿させていただくのは初めてとなります、一二海里です。
巷では「ノーティカル・マイル」などとも名乗っております。ノーチとか海里とかノーさんとか気軽に呼んでね。
第二次世界大戦を題材したものを中心に、思い付いたものをつらつらと置いていきたいと思います。
基本的に歴史的事実を元にしたフィクションなので、「ウチの爺ちゃん」の話はご遠慮ください。因みにウチの爺ちゃんは終戦直後に生まれました。曾祖父は地元の大隊だったので戦地行ってないです。
一応戦記物の側面も持っているので、興味ある方は是非。ない方も是非。
あ、勿論戦争以外のものもあります。
普通に現代を舞台に何か書くこともあります。分けろ? 面倒くさい……冗談ですよ。分けませんけど。
取り敢えず「思い付いたものをつらつらと置いていきたい」と思っているので、お時間があるのならば、お付き合いくださいませ。
では、よろしくお願いします。
——戦争なんて怖い、知りたくない、というそこのあなた。
「戦争」を真っ向から否定ばかりして、「何故」を学ばないでいると、逆に「戦争」があなたの背後から忍び寄ることになりますよ。
『カイツブリ』>>1-3
『犬と狼の間』>>4-6
『鋼鉄の海鷲』>>7-18
- Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.1 )
- 日時: 2015/11/16 09:54
- 名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: Uc2gDK.7)
『カイツブリ』
昭和二十年、三月二十五日が二十六日になろうとしていた時である。呉軍港に停泊していた駆逐艦「浜風」の艦上では妙な騒ぎが起こっていた。最初にそのことに気付いたのは見回りの若い一等水兵であった。彼は見回りの途中、甲板上を走る二匹の鼠の姿を見つけたのだ。
鼠は食料を荒らすため、艦内で捕らえれば特別に休暇がもらえる。その鼠が二匹も居るのである。
これは好機だとばかりに、一等水兵は鼠を追いかけだした。鼠は艦首へと走っていく。
——馬鹿め、そっちは行き止まりだ。
艦の構造は乗っている人間が一番理解している。その先には錨くらいしかないぞと、ついに追い詰めたぞと、そう思って艦首の先端を覗き込んだ時。
一等水兵は思わず息を呑み、暫し固まった。
然程長い時間ではなかっただろう。
しかし、丁度見回りをしていた先任下士官の江夏兵曹長がその一等水兵を見つけ、何かを覗き込んでいるのを不審に思って声を掛けるに至る程度の時間ではあった。
「何をしている。見回りだろう」
声を掛けられた一等水兵は相変わらず唖然とした様子で、覗き込む先を指差した。
「兵曹長」
益々不審に思った江夏は、その一等水兵の隣に身を乗り出し、彼の指差す方を見る。それは艦を係留するために陸地へと伸びる係留索であった。
揺れている。
江夏は最初、波か風に揺られているだけだと思った。
しかし、目を凝らしてみると暗闇に薄らと見える係留索の上で、何かが蠢いている。懐中電灯で照らしてみると、係留索の上を数匹の鼠が陸地に向かって渡っていたのだ。
——これはただ事ではない。
江夏は直感した。決して気温が低いわけではないのに、背中に寒気が走った。
「……よく報告してくれたぞ。後でラムネでもやろう。だから、このことは他の者には話すなよ」
一等水兵は無言でこくりと頷いた。普段なら「返事くらいせんか」とでも怒鳴りつけて鉄拳制裁しているところだが、この時ばかりはそんなことも言っていられなかった。
先任将校の元へ駆け出す。
先任将校は後部甲板の魚雷発射管の脇で、灯火管制で暗い呉の海を眺めながら煙草を吸っていた。
「少尉」
「ん、ああ」
声を掛けると、たった今の今まで江夏に気が付かなかったかのように返事をした。果たしてこの男に先程の事を伝えて意味があるのだろうか、と思われる程に目線は上の空だ。
「鼠が、艦からロープを伝って陸上へ出て行きました」
小声で報告すると、先任将校は目を見開いた。そして、目頭を押さえながら壁に手をついて少し考え込んでから、再び江夏に向き直る。
「……誰にも言うな。良いか、他言無用だ」
「はっ」
きっと不吉の気配を感じたのだろう。
江夏も同じだった。この艦は明日、出撃のために出航するのだから、そんな不吉なことは出来れば誰にも洩らさず、余計な混乱を招かずにおきたかった。
- Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.2 )
- 日時: 2015/11/16 09:58
- 名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: Uc2gDK.7)
「浜風」の所属する第一七駆逐隊、それが属する第二水雷戦隊は帝国海軍が誇る世界最強の水雷戦隊であり、「浜風」自身も数々の場数を踏んできた、歴戦の駆逐艦である。
江夏も開戦前からこの駆逐艦に乗り組んでおり、南雲機動部隊と共に真珠湾攻撃作戦に参加し、更にラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦と戦い抜いた。痛恨の敗北を喫したミッドウェー海戦では航空母艦「蒼龍」の救援も行い、江夏はこの時に助けた「蒼龍」の乗組員の一人とは親友になった。コロンバンガラ島沖海戦では旗艦の巡洋艦「神通」を失いつつも米軍を圧倒し、第一次ベララベラ海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、シブヤン海海戦、更にはそれぞれの間に数々の輸送作戦を駆け回った。
しかし、彼はいつも静かな落胆を抱いていた。
彼の落胆を他の仲間達は知らないだろう。
彼は一駆逐艦に乗り組む一兵曹長に過ぎないが、故郷には家庭を持つ、一家の大黒柱である。妻は政府の思惑通りに育った良妻賢母であり、息子は国民学校高等科を卒業し、もう海軍に入っても良い歳だった。
息子は絵を描くのが得意で、特に野鳥を描くのが好きだった。故郷である富山でも度々山鳥を描いていたし、時には神通川の河口の方まで足を延ばして海鳥のスケッチに出かけているとは妻の談であった。
「浜風」が呉に帰港した際、一度休暇を取って故郷に帰ったが、その時には開戦の前に買ってやったスケッチブックを引っ張り出してきて、嬉しそうに描いた絵の説明をしてくれた。一番最近描いたと言っていたのは港の方まで行って描いたというアジサシだったか。次はカイツブリを描きたいと言っていたのを思い出す。
江夏は息子を海軍に入れたくはなかった。
「浜風」は数多くの味方艦の最期を目撃した艦でもあり、この艦と付き合いの長い江夏も同じ事である。
ミッドウェー海戦では「赤城」「加賀」「蒼龍」の三空母、コロンバンガラ島沖海戦では駆逐艦「夕暮」「清波」、更には昨年の六月には所属する第一七駆逐隊初の喪失艦を出し(駆逐艦「谷風」)、シブヤン海海戦では戦艦「武蔵」、十一月には護衛中だった戦艦「金剛」と駆逐艦「浦風」、数日後に空母「信濃」の最期を目撃した。その都度救出活動を行っていたし、その他沈没を直接目撃していなくても潜水艦に撃沈された輸送船「照川丸」や、マリアナ沖海戦でタンカーと衝突して爆沈した駆逐艦「白露」、空襲で撃沈された空母「飛鷹」などの乗組員も救助した。
戦った回数より救助活動に従事した回数の方が多いのではないかと思われる程に多くの味方の最期を見届けたのである。
息子の最期を看取るようなことはしたくない。
そう思っていた矢先、戦争は思わぬ形で息子を死の海へと追いやった。
昭和一八年、戦局の悪化に伴い、徴兵年齢の引き下げと徴兵猶予されていた学生の動員、つまり学徒動員が始まる。そして、それと同時に増加する船舶被害を補うために、質を落として量産性のみを追求した「戦時標準船」なる輸送船も次々と生産された。
しかし、船だけでは動けないため、学徒が使われた。国民学校高等科を卒業した者を海員学校や海員養成所に送って訓練を行い、これらの徴用商船の乗組員としたのだ。江夏の息子も国民学校高等科の生徒だったため、卒業直後の昭和一九年に海員学校で訓練を受け、早速動員されることになっていた。
この時の海員養成期間は僅かに二か月。イロハのイの字も分からない状態で、敵潜水艦蠢く南方航海へと駆り出されていたのだ。
そんなことは露知らず、家に帰ってみると暗い顔をした妻と、対照的に明るい顔をした息子が出迎えてくれ、何も知らずに息子と散歩に行き、しかし最後に息子が独り言のように教えてくれた。
海員になっていたこと、実は初めての出航の前の休暇だったこと。
乗るのが戦時標準船という劣悪な輸送船であり、戦場の海への出航を前に死の恐怖に怯えていること。
月明かりに照らされ、自嘲気味に笑う息子の横顔は、妙に大人びて見えた。
その数日後に「浜風」に与えられた任務が「ヒ87船団」の護衛であった。その護衛対象の輸送船団の中に、息子の乗った輸送船があった。
門司から出航、台湾の高雄経由でシンガポールへ向かう船団だったが、途中で駆逐艦「雪風」が機関故障で呉へ帰港、第十七駆逐隊の司令艦となった「浜風」は、タンカー「海邦丸」と衝突し、司令艦を駆逐艦「磯風」に交代。そして、翌日以降の米艦載機による度重なる襲撃で、船団は壊滅した。
江夏の乗る「浜風」は馬公へ入港して修理にあたっており、その間に江夏の息子の乗る輸送船も撃沈され、二週間程経ってから、妻からの手紙で戦死したことが分かった。一五歳になったばかりだった。三か月が過ぎた今でも江夏の落胆は続いている。
江夏は疲れていた。
戦争に疲れていた。
「浜風」もきっとそうなのだろう。
祖国の無策の代償は、こうして支払われていくのだと痛感していた。
嗚呼、人の命のなんと軽いことか。
- Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.3 )
- 日時: 2015/11/16 10:02
- 名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: Uc2gDK.7)
四月六日。
今夜、この新編第二水雷戦隊で初めて総合訓練を行う。かつて第二水雷戦隊の旗艦だった巡洋艦「神通」はコロンバンガラ沖海戦で敵に探照灯を照射して敵の攻撃を一身に受けて戦隊を守り、そして同時に戦隊司令部と共に沈んでいった。駆逐艦「雪風」への砲弾の直撃(不発弾で、大した被害にはならなかったらしい)以外には戦隊に被害はなく、海戦自体は大勝利だったが、司令部を失った戦隊は大混乱に陥ったことに違いはない。聞くところによると「神通」は戦隊司令部だけでなく艦内の指揮系統も一挙に失ったがために、艦体が真っ二つになっても退艦命令が出ず、乗組員全員が戦死したらしい。
今、その座には巡洋艦「矢矧」が居る。
——今度は、あんなことしないでくれよ。
新編成以来、江夏はずっと心の奥底で願っていた。
世界最強の対艦水雷戦闘部隊だった第二水雷戦隊は今や残存艦の寄せ集めだ。良く言えば歴戦の武勲艦の集まりだろうが、燃料不足で訓練もろくにしていない今では、死に損ないが戦隊と名乗って集まっているようにしか思えなかった。
七日、午前六時。
「大和」を中心とする日本艦隊は大隅半島を通過、外洋に出た。かつて太平洋の覇権を欲しいままにした連合艦隊が、今となっては戦艦一隻を中心に輪形陣を組む巡洋艦一隻と駆逐艦八隻の寄せ集めにまで成り下がったのだ。
開戦当初の自分が今の自分を見たら、一体なんと言うだろう。
ミッドウェーを目の当たりにして以来、どうにも臆病風に吹かれていた自分が、急に恥ずかしくなった。周りの水兵達は巡礼者のように無表情だ。
当然だろう。
天一号作戦。
そう呼ばれたこの作戦は、壮大な自殺行為だ。江夏自身が、無表情でいずにはいられなかった。一億特攻の先駆けとなれ、などと言われてもそれは結局諦めなのだ。この戦争は既に負け戦なのだ。もっと早くに、もっとまともに戦争が出来た頃に終わらせるべきだった。
「『朝霜』が」近くの水兵が呟いた。「機関の調子が悪いとは誰かが言っていたな」
見ると、駆逐艦「朝霜」が速度を落とし始めている。
一一時頃、「朝霜」は見えなくなった。その頃から頻りに「対空戦闘用意」のラッパが鳴り、上空にいくらか飛行機を視認するようになった。全て敵機だったが、噂では味方の特攻機も上空を通ったらしい。「浜風」の乗組員達は静かに、しかし恐怖に怯えながら、配置から離れずにいた。
何度か「大和」が空に向けて砲を撃ち、一二時になって暫く、輸送隊とすれ違い、そして一二時三二分。
米軍の本格的な空襲が始まった。艦隊は回避行動に入り、各艦は対空砲を撃ち上げた。江夏は前部の対空機銃の見張り員を務めていた。目標の位置を通報し、撃たせる作業の繰り返し。
やがて、艦体を強い衝撃が襲った。
「被弾! 後部被弾!」
甲板から吹き飛ばされた水兵達が海面から姿を消していくのが見える。
嗚呼、人の命のなんと軽いことか。
「浜風」は見る見るうちに速度を落としていく。
「航行不能! 速力更に下がります!」
江夏は双眼鏡から目を離した。
最早抵抗は無意味に思われた。数多くの海戦を潜り抜け、数多くの味方の最期を見届けた彼女が、彼が、今度は周囲で戦う数多くの味方に最期を見届けられるのだと、そう思った。
更に強い衝撃が艦を襲い、「浜風」は真っ二つになってしまった。
魚雷を受けたのだろう。
江夏は上空を飛んでいく米軍の艦上爆撃機を見送りながら、ふと分断された向こう側の艦首に目をやった。
「鼠はこうなることを知ってやがったんだな」
喧騒に包まれた、見る見るうちに沈んでいく「浜風」の艦上で江夏は静かに呟いた。
再び米軍の艦上爆撃機が飛んでくる。
以前、最近になって見掛ける米軍の艦爆はなんというのか、と士官に聞いて「ヘルダイバーというらしい」と答えが返ってきたのを思い出した。「ヘルダイバー」の意味を聞いたが、その士官も詳しくは知らず、鳥の名前だということしか分からなかった。しかし、今の今になって上を飛ぶ「ヘルダイバー」の意味が分かった気がした。
「……見ろ、カイツブリだ。お前が描きたかった、カイツブリだ」
「カイツブリ」が飛び去っていくのを見つめながら、歴戦の兵曹長が、歴戦の駆逐艦と共に沈んでゆく。