複雑・ファジー小説

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日時: 2017/11/09 22:30
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: mWBabtxN)
参照: https://kakuyomu.jp/works/1177354054882859776

タテナオシマス

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.12 )
日時: 2017/04/07 14:02
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: 0L8qbQbH)

十一:緒戦-2

 汽笛の音が高く空を震わせる。
 思わずその方へと目をやれば、申し訳程度に柵で囲われたレールの上を、のろのろと汽車が出る所だった。咳き込むように幾度か煙突から黒い煤を吐き、汽車は速度を増してゆく。がちん、とレールの切り替わる音。それまでまっすぐに走っていた汽車が左に緩やかなカーブを描き、遠ざかっていく。
 運転席と石炭車を含めて八両編成。客車にはやはり人ならざる頭の物たちがまばらに座っていた。それらが一体何処から来て、何処へ行くのか。思いを馳せたところで、想像の余地さえない。
 ガタゴトと轟くような音を立て、見知らぬ地平線の向こうへ消えてゆく黒い後ろ姿を見送り、アザレアは意識を自身の正面に集中した。時刻は午後九時過ぎ。この街唯一の汽車、その最終便が出て行ってしまった以上、最早街への人や物の流出入はない。あるとすれば、それは害成す物——“粗悪品”だけだ。
 ポケットの中に入れたナイフの柄を、アザレアは強く握りしめた。

「そう言えばスペック、昨日はどうした」
「ケイさんと二人で片付けましたよ。俺の出番はほとんどありませんでしたが」

 前衛(まえ)でフリッカーとスペクトラが昨晩のことを口上に上げていた。
 探照灯不在で迎えた攻防戦、それをものの十分で終わらせたのは、外ならぬキーンである。相も変わらずの徒手空拳で現れた彼は、気合の一つも入れることなく戦場を蹂躙して回ったのだ。無言で、当然のことのように“粗悪品”を撲殺していく様は、恐ろしさを一周回って清々しくさえあった。
 ともすれば大佐よりも戦闘に長けているかもしれない。心中に湧き出るその一言を、スペクトラは丁寧に隠す。その様を見ていたアザレアとフリッカーは、舞台照明の言いたいことをそれとなく感じながらも、言わずにただそっぽを向いた。
 直後。荒野に立つ四者の意識が、一斉に同じ方へ向いた。各々が持てる武器を構え、臨戦態勢を取る。
 即ち。スペクトラは片手に黒いナイフを構え、フリッカーは両の拳を握って腰を落とし、キーンは自然体でそこに立った。その様を目にしながら、アザレアは付き人からの囁きを思い返し、忠実に模倣していく。

「来るぜ、スペック」

 ——柄(グリップ)は慣れるまできっちりと保持しろ。
 ——足全体でしっかりと地を掴め。

「今更確認することではありませんよ、大佐」

 ——相手から目を離すな。真正面から見据えろ。
 ——呼吸は早めるな。止めてもいけない。普段通りにしろ。

「……気負いすぎるな。フォローの手は当てにしていい」
「大丈夫、です」

 呟くようなキーンの吐息が、彼女へ与えられた最後のアドバイス。アザレアはゆっくりと意味を飲み込み、首肯する。
 目を閉じて、開いた。極度の緊張に心臓が早鐘を打ち、脳が興奮剤を全身に垂れ流しても。呼吸だけは平生のままだ。普段と変わらぬ箇所が一つあるだけで、自然と全身の過剰な興奮は治まっていく。後に残るのは適当な緊張感と、少女のものとは思えぬ鋭利な気配ばかり。
 アザレアの体勢が整うのと、フリッカーが頭のブラインドを大きく開け放ったのは、同時。
 数限りない咆哮と足音が近づくのと、前線に居た二人がその方へ駆け出していくのもまた、同時だった。

「雑魚だけやるよアザレア、まずはそいつを倒してみな!」

 がらがらと嗄れた声が、爆音のような音に紛れる。破城槌のような一撃が、土塊を積み重ねたような煉瓦頭を砕いたところだった。その言葉通り、フリッカーが敢えて作った隙の間を、よろよろと覚束ない足取りの“粗悪品”がすり抜けてアザレアへ向かう。安物の青磁は大きく損壊し、声も出ない。押せば倒れそうな有様だった。
 物殺しはそれでも油断しない。一旦間合いを取り、キーンから貰ったアドバイスを頭の中でなぞる。

 ——初手で手足を潰せ。暴れるならば右の腹を突いて黙らせろ。
 ——胸は無理に狙うな。骨に当たれば刃が折れる。
 ——身体の傷は致命傷にならない。俺達は人間とは違う。傷はどんなものでも治る。

 冷静に、右の手首を狙った。果たして彼らに利き手があるかどうかは分からないが、何にせよ片手が使えないだけでも重要なアドバンテージではあるだろう。非力な彼女は両手で力一杯に突き刺し、引き抜いた。“粗悪品”でも人の身の構造は変わらないらしい、ナイフを抜いたそばから紅い血が溢れ出す。
 声なき声で苦痛を訴える様は、見ないふり。彼女は続けざまに左の太腿を突き刺し、右の向こう脛をブーツの踵で蹴りつける。ぐらりと傾ぎ、隙を晒した青磁器へ、振るうはとどめの一閃。

 ——首だ。頭と首の間を狙え。

 アザレアは忠実だった。血塗れた刃を、破損した壺とひどく血色の悪い首との間に差し入れる。ずく、と、手や足を刺した時とは全く異なる重さが柄から伝わってきた。微かに眉が歪む。
 それでも、手は止めない。

 ——見えなくても“それ”はある。刃を入れて、力の限り押し込め。
 ——“引き剥がす”んだ。

 ずくり。ずず。生々しい手応え。命を奪うとはこう言うことかと、アザレアは心中で痛感する。叫ぶ出しそうになるのを堪えながら、彼女は柄頭を掌で押さえ、思い切り首と頭の間に刺し入れた。
 ぱきん。薄い板の割れるような音が耳に届くと同時、“粗悪品”の身体が力を失う。姿勢を変えたアザレアの脇をすり抜け、青磁が静かに地へ伏した。それきり物は動かない。
 還ったのだ。アザレアの想像よりも遥かに呆気ない。物殺しの双眸は小さな動揺を湛えて還った物と戦場とを行き来したが、そこに傍を固めていたキーンから声が掛かる。

「アザレア!」
「!」

 咄嗟に重心を後ろへ傾け、足のバネを使って体当たり。衝撃と共に、彼女の背後から角材を振り上げていた“粗悪品”の動きが止まる。その隙を抜け目なく突き、逆手に持ち直したナイフを自身の右の脇から貫き通した。あばらをすり抜けた刃はそのまま肝臓へ突き刺さる。
 ザザ。呻き声のような砂嵐。角材を取り落とした“粗悪品”の懐の中で、アザレアは人の身からナイフを引き抜きざまに身を反転させ、ほぼ密着した状態で刃を喉元に突き立てる。断末魔のようなノイズが一つ二つ、壊れかけたラジオの頭と人の身が切り離され、物が還っていく。
 どしゃりと砂利の上に膝を折る死骸。その上を、めきめきと何かの軋るような音を立てて、別の“粗悪品”が数体まとめて吹っ飛んでいく。アザレアが飛んできた方へと目をやれば、燕尾服に似たスーツの裾を優雅に翻し、惚れ惚れするような鮮やかさで“粗悪品”を蹴り倒すキーンの姿があった。
 フリッカーの強さが膂力に任せ飽かせた荒々しい暴力とすれば、彼は研ぎ澄まされた技術に制御された静かな殺戮。全く正反対の力でありながら、そこに優劣はない。二人とも、ある種の限界を垣間見た物なのだ。
 そこに、己の立つ場所はない。アザレアには分かっていた。それでも彼女は次なる“粗悪品”に向けて凶刃を振るう。
 今は、自らの生存のために。

「七十……六。少ないですね」
「物だって限りがあるかんな。いくら何でも、毎晩何百も湧くほど物は転がってねぇよ」

 戦いはそれほど長く続かない。
 アザレアが十体目の“粗悪品”を物に還したときには、荒野は元の静けさを取り戻していた。地面には肉塊になった人の身とぐしゃぐしゃに殴り壊された物が点々と転がり、死屍累々の惨状を作り上げている。その有様を見回したアザレアは、ただ唇の端を強く噛み、震える手でナイフを鞘に納めた。
 その肩の後ろに、キーンが立つ。その手がそっと掴んだ肩は小刻みに震えていた。怖気立つような恐怖でなく、煮え立つような憤怒でもなく、ただ海の如くに深い悲哀に震えていた。
 ぐっと手に力を込め、沈み込む意識を引き戻す。微かに首を巡らせ、鳶色の目だけを向けてきたアザレアに、彼は再び頭を近づけた。

「思うことはあるだろうが、まだ気を緩めるな」
「まだ“粗悪品”か何かがいるんですか?」
「いいや」

 更に声を低め、長く。アザレアの表情が意外そうな色を帯びる。
 ゆっくりと、転がる死骸へ両の手を掲げ。目を閉じて、彼女は想起した。

「……嗚呼」
「本当にそう使うんだな」

 酸鼻な景色をベールのように覆う白い芥子(ポピー)。手に集う霞から生まれ、零れ落ちる花束は、生温い風に吹かれて空を舞う。夜闇を白く切り取る花びらを、物どもはただじっと、黙って見ていた。
 風の音だけが、命亡き物を送る。

 ——仕事は丁寧に。弔いは丁重に。
 ——冷淡であれ。冷酷にはなるな。
 ——お前は命ある物を殺すのだから。

 アザレアの脳裏には、呻くような声がこびりついていた。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.13 )
日時: 2017/04/10 11:17
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: XNP8xyMx)

十二:墓守

 部屋中に漂う甘い香り。窓際に寄せたパイプ椅子の上、足と腕を組んで寝息を立てていたキーンの眠りを覚ますには十分すぎるものだ。ふと頭を上げ、やはり慣れないのか刃を覆う鞘を軽く撫でつけた彼は、首を巡らせて甘い香りの主を探す。
 ファーマシーが初日に二人へ貸し出している病室の一つが、当面の滞在場所だった。元々特殊な患者を受け入れるための個室だったのだろう、部屋はそれなりに広く、ベッドが一つだけ置かれている。白で統一された壁は劣化が進み、綺麗に掃除されていても黄ばみは落とし切れていない。
 南向きに大きく採られた窓には薄いレースのカーテン。桟の所には、クチナシの花が三輪、葉と共に瓶挿しされている。半開きにされた窓、そこから吹き込む風に乗って漂う芳香はまさしく活けられた花のものだろう。けれども、それを咲かせたであろう主は、今や彼の前には居ない。

「……朝が遅いのは共通、だな」

 付き人であるにも関わらず、付かねばならぬ人より遅く起きるとは。失態である。
 時刻は午前六時半。原則緩慢な生活リズムを刻み、それを“起こされた”際に引き継いでしまった物としては、大変に早起きの部類である。しかし、そうと頭で理解(わか)ってはいても、目が覚めてアザレアがいない時の無力感と喪失感は耐えがたいものがあった。
 小さくかぶりを振り、ゆっくりと椅子から立ち上がる。開けっ放しの窓を閉め、指先で瓶の花を手持無沙汰に弄んだ後、彼はそっと病室から離れた。
 出入り口から顔を出す。患者はいない。“粗悪品”との攻防に勝ったのだから当たり前とも言えるだろう。しかしながら、アザレアの姿も無かった。数度廊下を見回し、現れる気配もないことを確かめた後、引き戸を閉めて足先を医局へと向ける。朝は誰か——少なくともファーマシーがそこに居るはずなのだ。
 リノリウムの床を革靴の底で蹴り、階段を下りる。一階の踊り場を曲がったところで、思わず足を止めた。
 線香の臭いが、医局から階段まで伝っている。

「…………」

 息を潜め、ただでさえ薄い気配を殺し、沈黙。
 話し声が、一つ。二つ。
 否三つ。

「花屋の亡き今、私どもの墓地は枯れ果てています。アザレア様に“案内人特権”の練習と言う点でも、私どもの色褪せた墓地に再び彩りを取り戻すと言う点でも、利害は一致していると思いますが」
「だが墓地は街の外だろう。君はまだ来て間もない、足ごしらえも済んでいない女の子を荒野で歩かせるつもりかね?」
「あの、まず墓地の事を説明してほしいんですけど……」
「墓地は墓地ですアザレア様。生けるものが死したものの安息を祈る地。死者の記憶を留め置く手段の一つ。貴女の世界にも同じ機能を果たす場はあるでしょう? 変わりません」
「人も物も等しく受け入れていること以外はね」
「な、なるほど」

 一人は、聞き馴染みのない三十代ほどの男性の声。もう一人のゆったりとした低いバリトンはファーマシーのもの。残るか細い少女の声は、聞き間違いようもない、自身が付いておくべきアザレアその人である。
 数秒足を止めて立ち聞きしていたキーンは、すぐさま大股で階段を降りきったかと思うと、挨拶も何もなく医局へ足を踏み入れた。ぎょっとしたように振り向き、何か言いたげに水薬をごぼごぼと泡立たせる医師の傍に、彼は数歩で歩み寄る。
 一声掛けてくれ、と溜息混じりの声は無視。意識は聞き馴染みのない声色の主へ真っ直ぐに向けられた。

「敵意はありません。ただ貴方の主にお頼みしたいことがあるだけですよ、ケイ様」

 安物のパイプ椅子の上で優雅に足を組み、悠然と包丁のことを見上げているのは、中肉中背の男性である。どうやら墓守と言う言葉に間違いはないらしい、黒く長い法衣の上から更にすっぽりとフードを被り、頭を覆っている。それでも、その下の頭が造花の花束と火の点いた線香であることは窺い知れた。
 線香の煙は緩やかなペースで——恐らくは彼の呼吸だろう——ローブの下から吐き出され、透明な虚(うつろ)に白い渦を巻いている。アザレアはその渦の消える先を眺めともなしに眺め、キーンも僅かにその方へと気を取られたものの、すぐに煙を吐き出す本人へ意識を向け直した。
 男は小さく会釈。顔を上げると同時に、話し出す。

「私はフリード、ゾンネ墓地の墓守を勤めております。此度は貴方の主であるアザレア様に、私どもの元へご足労願えぬかと思っております」
「ゾンネ墓地……人の街の方が近いだろう。汽車でも使う気か」
「いいえ、私はフリッカー様からの御誘いを受けて此方へ参じた次第です。帰りもあの方が送り届けて下さるとのことですが」

 さも当然と言った風な墓守——フリードの返答に、キーンは思わずアザレアへ意識を向けた。主もまた付き人を見ていた。
 あの探照灯が。毎夜“粗悪品”を相手に暴れまわるかの男が、一体誰を悼んで墓地に足を運ぶと言うのか。アーミラリから厖大な量の記憶を与えられたキーンであっても、流石に彼の個人的な事情にまで情報は及んでいない。そして彼は、天球儀の探究心もそっくり引き継いでいる。
 付き人としての使命感で押さえ付けて尚、隠し果せぬ未知への関心。主たるアザレアも、そんな彼の様子に気付けぬほど鈍感ではないし、気付いて無視できるほど無関心でもなかった。好奇心旺盛で行動力がある点において、両者の行動はよく似ていた。
 二人が出せる答えは決まっている。応の一言のみ。
 フリードは噛みしめるように頷く。

「性別も体格も、性格も違われていると言うに。貴方方はどうやら似たもの同士であらせられる」
「!」

 どうやら図星だったらしい、ハッと同時に息を呑み、咄嗟に明後日の方向を向いた二人を、墓守は微笑ましいものを見る目で眺めていた。
 そんな目で見るな、との抗議は弱弱しく。くつくつと喉の奥で笑いをかみ殺しながら、黒衣の男は音もなく立ち上がる。静々とその爪先を向け歩む先は、この医院の外だ。
 アザレアとキーンはもう一度だけ、ほんの一瞬目配せしあうと、後は目を合わせることなく中背の男へ追随した。


「フリッカーさんって車持ってたんですか?」
「いんや、“案内人特権”で作った。俺の元の所有者が使ってた武装と車両なら——まあ、出し放題だな。よっぽどデカいもんじゃなけりゃ」
「あ、やっぱりそう言う……」

 助手席にはアザレア、フリードとキーンは狭い後部座席に押し込んで、古い軍用車両が荒野を疾駆する。大きな起伏も草木もない荒涼とした荒野では、武骨な旧式の車両の中も然程揺れはしない。アザレアはフリッカーから返された答えに眼を細めたきり、運転席でハンドルを握る物の方は見なかった。
 窓の向こうで流れる景色を見つめながら、更に問う。

「どうして私を墓地へ連れて行こうと思ったんですか。“案内人特権”の練習だとか、花屋さんがいないからだとか、それだけの理由で誘ったわけじゃないんでしょ?」
「花を供えられる奴がいないってのは本当の話だし、多少なりと練習を積んどいた方が良いのも本当なんだがな……まあ、長いこと生きてると、葬送(おく)りたい奴の一人くらいは出てくるもんだ。初日に助(す)けてやった分、個人的な見返りを求めてもいいだろ?」

 葬送? 誰を?
 とは、聞かなかった。聞いたところで理解も共感も出来ない。故にアザレアは何も言わず、フリッカーの言葉尻に是の意を示す。感謝する、と僅かにトーンを落とした声は聞き流した。
 漂う静寂。それを助長するように漂う線香の匂いに、どことなく脳裏をくすぐられたような気分になりながら、アザレアは物思う。

 ——なりふり構わず襲う“粗悪品”を素手で圧倒する戦闘力。物殺しを隣に乗せたばかりか、脅威とも見做さない胆力。武器や車を思いのままに作り出す“案内人特権”。いくらキーンが教え導いてくれたところで、己がこんな男の頸にナイフを突き立てることなど、十中八九不可能だ。触らせてもらえるかどうかさえ怪しい。
 ——それでも殺さねばならないと直感したのは、アーミラリの言うような“時の運”、素っ気なく言えば単なる偶然によるものなのか。或いは何らかの理由があってのことなのか。
 ——後者。その確信だけはなぜか、今もう既に持っている。彼を物に還さなくてはならない理由があるから、己の第六感がそれを成せと示したのだ。
 ——ならばその理由は。そこが分からない。そもそも物から感情を読み取ることからして少々難儀しているのに、声にも出さぬ心境を見取れる道理がない。日数を重ねれば徐々に読み取る術も身に付いていくだろうが、果たして自分が納得出来るほどの理由を見出すことが、これから出来るようになるのか。
 ——それも分からない。先行きは限りなく不透明のままだ。

 意識に無秩序な線を引かれたような、不愉快で怖気の立つような心地。しわが寄りそうになる眉間へ手の甲を当てながら、アザレアは視線を掌に落とし、意識を軽く集中する。白い靄が手の内に集まり、あっという間にカモミールの花が咲いた。
 自身の名を決める際に散々苦労した経験があったからだろう、掌に収まるだけの量を生み出すのならば、最早仰々しく目を閉じる必要さえないのだ。ほお、と後部座席からフリードの感心したような声が上がるも、彼女の表情は渋いまま。
 隣にはより複雑で精緻な構造物を生み出せる猛者がいるのだ。花をたった一輪生み出せたところで自慢にもならない。却って打ちひしがれるだけだった。
 小さく首を横に振り、花に顔を寄せる。リンゴに似た、甘く爽やかな芳香。自然に生えているものより強く、より快を呼び起こす香りは、無意識の内にそれを求めていた精神の反映である。

「大丈夫、死ななきゃいい……」

 決意を表した幽(かそ)けき声は、乱暴に停止した車の揺れに掻き消された。
 いきなり何事か。非難の視線を三人から浴びつつも、フリッカーは平然として答える。

「着いたぜ、ゾンネ墓地——の、受付だ」

 意識の先は、水垢一つなく磨き上げられたフロントガラスの向こう。
 すり鉢状に凹んだ窪地と、その傍に佇む小さな牧師館だった。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.14 )
日時: 2017/04/16 01:18
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: 0L8qbQbH)

十三:十字架

 黒く焼き締められた煉瓦の壁、黒い木で組まれた窓枠と扉、煉瓦の間を埋める白い漆喰。黒く艶やかな瓦で葺かれた三角屋根を戴き、白く塗装された十字架が屋根の上で燦然たる存在感を放っている。扉には『ゾンネ墓地 受入所』と金文字で小さく書かれた黒い札が打ち付けられていた。
 黒と白の館。明々と太陽が照る中で、重々しいモノトーンの建物は厳かさを以て物殺し達の前に佇む。雰囲気に気圧され、思わずその場に立ち尽くしたアザレアは、しかし長くその場に足を留め置くことは許されなかった。フリードから声が掛かったのだ。

「皆様どうぞ此方へ。守長(もりおさ)が御待ちです」
「守長?」
「ゾンネ墓地は私の他に三名の墓守が維持しております。その内の最長老、墓守達の長故に守長です。アザレア様のことをフリッカー様より聞かれ、此処に御連れせよと命じたのも守長であらせられます」

 砂利の多い地面を足音一つ立てずに歩みながら、彼はアザレアに告げた。溜息でもついたものか、白い線香の煙が平生よりも多くフードの下から吐き出され、虚空に緩やかな渦を描く。菊と白百合の造花は線香の煙で煤け、白茶けていた。
 造花の傷みは、それが色褪せるほどの長きに亘って放置されていたということの証左だ。生花のごとく土に還ることも出来ず、悼むべき死者の前を離れることも出来ず、次に墓前を訪れる誰かをひたすらに待つ——その渇望こそは、他ならぬ彼の原動力(じが)である。
 辺鄙な墓地に一杯の花を供えてくれる。そんな力を持ったアザレアを、一体どれほど待ち望んだか。歓喜に打ち震えた彼は、しかし、それを彼女へ伝えることはなかった。ただその前を歩み、然るべき職務を果たすだけだ。
 即ち、館の扉を開け、そこに一行を通すこと。物殺し達を先導し、守長と引き合わせること。その二つ。後の会話は聞かず、墓守は朝の巡回をこなすべく、手桶とシャベルを手に墓地へと降りていった。
 何も言わず離れていったフリードに気を取られたのは、ほんの須臾。物殺しは意識を若い墓守から引きはがし、眼前の守長と相対する。

「初めまして。アザレアです」
「クロイツだ。御初に御目にかかる」

 クロイツ。良く通る声で彼はそう名乗った。
 彼を見てまず目につくのは、首から上に置き換わった黒い十字架だろう。年季の入った黒檀の十字架には精緻な掘り込みが成され、細い溝には螺鈿細工も垣間見える。丁寧に磨き上げられた艶は、命を得る前にどれ程大事にされてきたかを想起させるようだ。
 纏う黒い法衣も、決して華美ではないが上等なもの。恐らくは墓守としての仕事着なのだろう、頭を覆い隠す黒いフードは手袋と共に外され、頑丈そうな杖と共に畳んで傍に置かれている。膝の上で組まれた手は、仕草の優美さに反して傷と胼胝が目立っていた。
 上から下まで、十字架の先端から革靴の先まで、失礼と怒られても仕方ないほど細々と眺め回すアザレア。その眼が自身に定まり、第一声を発するまで、クロイツは這い回る視線を受け入れた。決して居心地のいいものではないが、彼が物殺しと会うのは数度目のことであったし、じろじろと見られることにも慣れているのだ。
 少女が声を上げたのは一分後。物殺しとしては早いほうだった。

「フリードさんが、お墓に花を供えて欲しいと」
「そうだね。本当なら花屋が定期的に仕入れてくれるんだが、彼女は殺されてしまった」

 殺された。無造作に放たれた一言で、物殺しの心中に不穏な波が立った。
 この街の経済を回すのは物である。ファーマシーが医師として常駐し、シズとピンズが揃って仕立て屋を営むように、物が持つ才能に応じた店が立ち並んでいるのだ。ならば、花屋とて物が営んでいると予想するのは自然な流れであろう。
 しかし、アザレアは“殺された”花屋が生ける物でないことを直感していた。未だ出会ったことのない、この世界の人間なのだと。ほぼ確信に近い予想が脳裏に渦巻き、ざわざわと心底の不安を煽る。
 青い顔をして黙り込んだ少女。その心境を知ってか知らずか、クロイツは重々しく続けた。

「花屋を殺した物は、正直言って我々では勝ち目がない。フリッカーなら勝てようが、あれは強者との戦闘を巧妙に避ける。……気を付けたまえよ」
「心配するんですか? 貴方を殺すかもしれない人を」
「物殺しは異世界から迷い込んできた客人だよ。君が何を成す者であれ、尽くせる限りの礼を尽くすのが迎え入れる側の礼儀(ルール)と言うものだろう?」
「殺人鬼をおもてなしする礼儀はありませんよ」
「君達にとってはそう言う認識なのだろうが、我々にとっては存続上不可欠なものだから。我々は出来る限り君達の仕事が完遂されることを願うし、その為の助力は惜しまない。頼ってくれて構わないよ」

 墓守を頼る時など来るのだろうか。
 心中に浮かんだ疑問は唇の端を噛んで押し殺した。物殺しとしての仕事を全うする以上、死とは切っても切れぬ縁なのだ。死者を受け容れる墓地を無視できるはずがない。
 再び言葉を失くした物殺しへ、守長は何も言わず。ただ傍らに置いていたフードと手袋を手元に引き寄せ、杖に体重を掛けて、ゆっくりとソファから立ち上がった。思わずその頭を追ったアザレアの視線は、一瞬虚空を彷徨う。佇まいから予想していたより、随分と背が低い。
 目測の甘さを抜きにしても大きい誤差。微かながら首を捻る少女の内心を、クロイツはどうやら読み取ったようだ。本当はもっと背があったが、と前置きし、彼はズボンの裾を引っ張り上げた。
 覗く銀の色。義足である。思わずぎょっとした少女に意識を向け、持ち上げた裾を戻したクロイツは、杖に自重を掛け直しながら苦しげに呻いた。

「花屋が殺された時、私もそこに居たんだ。その時に切り落とされた。むしろ……動けない私へ当て付けるように、花屋を犯し殺した」
「そんな、ことが」
「出来るんだ。外法の限りを尽くすことを意義として見出してしまった物なのだから、躊躇もなければ反省すらしない。——気を付けろ言ったのはそこだよ、アザレア。あれには良心がない。自分の意義を満たす為に他者の定義(ニッチ)を暴虐することで、彼の罪悪感は想起されない」

 その結果が私のこの有様だ。血を吐くように呟き、クロイツは傷だらけの手で足を叩いた。二回、のろのろと法衣の裾を揺らしたその手が、上等な布地を握りしめる。その震えが意味する所は、深い恐怖と失意、そして悲愴。彼がどんな光景を目にしたか、言葉にせずとも察するに余りある。
 重苦しい沈黙が場に積もりかけて、二つの声が打ち払った。

「心配するな」

 酒とたばこで焼けた声と、吐息のような静けさを帯びた声。フリッカーとキーンである。
 虚を突かれた二人へ、告げるのは一つ。

「心配すんなよ、クロウ。アザレアの筋の良さは付き人のお墨付きだぜ」

 フリッカー。他でもない、アザレアとクロイツを引き合わせた張本人。
 綴られる言葉の糸は切れず。か細く続く。

「あの中学生とは違う。やり切るだけの実力も度胸も、この子にはある」
「…………」

 クロイツは首肯するのみ。
 理解は、閑寂の中にただ静々と横たわる。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.15 )
日時: 2017/04/24 02:07
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: 0L8qbQbH)

十四:墓地

 石切り場の如き様相を呈する窪地、その壁面に点々と穿たれた洞が、故人を弔うための墓地である。洞の中はキーンが背を伸ばして立っても尚余るほどには広く、左右には故人の遺物を収めるための棚をずらりと並べながら、闇に霞むほど奥まで続いていた。
 灯りはなく、燭台も用意されていない。照らすのはクロイツが掲げるランプの蝋燭のみ。冷たく湿った空気が漂う中、アザレアとキーンは守長の後ろに付いて歩いていた。
 合わぬ義足で無理に歩いている故だろう、クロイツの足取りは右へ左へふらついている。突いた杖は前腕支持型のものだが、支え切れていない。それでも二人は大人しく背に追従していたが、小石を踏み付け転ぶことを三回繰り返したことで、ついに見かねたようだ。
 苦労して起き上がろうとする腕を掴んで助け起こし、転倒した拍子に放り出された杖とランプを拾い上げて、ゆっくりと立ち上がり。すまない、と申し訳なさそうに肩を縮めるクロイツに、アザレアは静かに首を振った。

「近いうちに、私も頼ると思いますから」
「嗚呼……そう言うことなら、遠慮はするまいよ。あっちへ」

 ランプを掲げ、古い義足を軋ませながら、三人は更に奥へ。
 どうやら場所が足りなくなる度に拡張しているらしい、左右の壁に埋め込まれた——と言うより、岩壁を削り出して作られた——石の棚は、奥へ行くにつれて新しくなっている。打ち付けられたプレートの日付も、洞の闇が深まるほどに最新のものとなっているようだ。
 故人の記憶を詰めたそれらを横目に、クロイツ達が至ったのは、洞の最奥。今後更に拡張する予定があるのか、つるはしやシャベルが立て掛けられたそこには、他と明らかに材の違う大きな台が鎮座している。青みがかった白い石材——大理石で作られたその上には、真新しい造花の花束が一つだけ放置されていた。
 献花台。アザレアとキーンの脳裏にその三文字が掠めた。思わずクロイツへ視線を送れば、彼も重々しく点頭する。そして、己を支えていた手をそっと引き剥がすと、崩折れるようにその場へ膝をついた。

「此処に収められているのは、一つを除けば既に一族の絶えてしまった家のものだ。此処に花を供えるのは我々しかいない」
「除いた分は? 誰かいるんですか」
「いや、物殺しの墓だよ。君の前に来た子だが、仕事を完遂できないまま“粗悪品”に殺されてしまった」

 まさかその花束は。そう聞きかけて、アザレアは呑み込んだ。
 けれども守長は言いたいことを読み取ったらしい。そうだ、と肯定を一つ、献花台に置かれた白百合の造花に手を置きながら、懐かしむように言葉を綴る。

「運にも才能にも、度胸にも恵まれない子でね。フリッカーが何とかして力を付けさせようとしたらしいが……“粗悪品”に気を取られて目を離したほんの一瞬で、首を切り落とされていたと。今でこそあれは平気そうに振舞っているが、当時はずっと自分のせいだと責めていた」
「フリッカーさんがそんなこと——全然知らなかったです」
「あれは決意を内に秘めるからね、思っていても言わないだろう。でも、君は既に何度も助けられているはずだ」

 そうだろう。念を押すクロイツに、アザレアは思い出すまでもなく頷いていた。最初に此処へ来た日のこと。置物になるしかなかった己を庇ったあの背と、“粗悪品”から逃れて飛び込んだ腕の力強さを、間近で体感した彼女が忘れようはずもない。
 跪くクロイツの傍に腰を下ろす。傍に供えられた白百合の花束、それを見つめながらも、彼女の頭に浮かぶのは別の花。そのイメージに従って、何処からか寄り集まった白い靄が花の概形をなぞり、花びらや葉の質感を浮かばせ、色絵具を落としたように色彩を広げた。
 十秒と掛からぬ内に咲く赤い山茶花(さざんか)。献花の体裁であるからだろうか、余計な枝葉は先端の一輪と数枚の葉を残して払われ、五本束ねられた状態でささやかなラッピングが成されている。花束の状態で出せるのか、と驚くクロイツを尻目に、アザレアは独り、掠れた声で呟いた。
 やり遂げてみせるから、絶対に。真っ赤な山茶花の花を見つめながらのそれが、一体誰に向けられたものか。明らかなれど口には出さず。墓守は肩を叩こうと手を伸ばして、それも気付かれない内に引っ込めた。他者の感情では、物殺しをどうすることも出来ないのだと、彼は知っている。
 だからこそ、彼は敢えて冷淡に告げる。他にもあると。

「同じような状況の献花台があと三百はある。陽が暮れるまでには献花を終わらせたいんだが、頼めるかな」
「大丈夫です」

 首肯しながら一言。余計なお喋りは必要ない。
 アザレアは歩んできた道を振り返り、無数とさえ思えるほどに並んだ棚を一瞥すると、すぐに大理石の献花台へと向き直った。途端、ひょう、と洞の奥から冷たい風が吹き抜け、白い舞台の上で渦を巻く。集う靄の量は先程の比ではなく、取る形もまた様々だ。
 クロイツが見守る中で、献花台に咲くのは白百合や菊の花を主としたとりどりの花。簡素ながらもラッピングされ、シンプルなリボンの掛けられた花束を前に、物殺しの顔色は一つ変わらない。戦闘と関係のない“案内人特権”とは言え、かくも鮮やかに操れるとは。強い精神の持ち主であることは疑いようもない。
 これはフリッカーが目を掛けるはずだ、と心の中で感心しながら、クロイツは少女の手を借りて立ち上がった。合わぬ義足が切り落とされた断面と擦れあい、酷く痛む。痛みを無視することには慣れているが、それでも気を抜けばすぐに膝をついてしまう程度には辛いものだ。
 前腕支持型(ロフストランド)杖に体重を掛け、鈍痛を発する足を引きずり、ようよう一歩。中々進めない足を上げたところで、アザレアが腕を掴んだ。ぐいと軽く引っ張られ、言う事を聞かない足はすぐに陥落。尻餅をつくような恰好で守長は座り込む。
 非難めいて向けられた意識に少女は平然とした顔。鳶色の視線を、今の今まで無言で佇んでいたキーンへと注いだ。

「分かりますか? ケイさん」
「分からなくもないが。だが、新しく拡張された分については知らんな」
「でも、洞穴が増えてるわけじゃないんですよね?」
「それも分からん。どうも記憶の主は墓地に寄らないらしい」
「それじゃ、一つ一つ見て回るとか?」
「意味がないだろう」
「ですよねー」

 二人だけで全てこなそうとしているのだ。
 直接言わずともそれは分かった。分かったが故に、彼は誰にも悟られぬよう首を横に降る。
 正直な話、いくらアザレアの“案内人特権”が優れていたとしても、足の悪い物を連れ回していては、いっそ日が暮れても終わらない。その上、今の彼はお世辞にも調子が良いとは言いがたく、此処で待っていて欲しいと言うのは、本来ならばありがたい提案である。
 しかし、彼はどれほど筋の通った申し出をされたとしても、それを断る心づもりでいた。護符としての十字架——何かを守る為に作り出され、願いを掛けられ、叶った時の歓びを知る彼が、人の身の不調ごときで墓地を“守る”任から離れられるはずがない。提案を呑めば、それは自分で自分を否定したことになる。
 信念の為に人の身を砕く覚悟はあっても、己を殺す蛮勇はない。だからこそ頭の中で言葉を選び抜き、論調を固め、どんな切り口で切り出されても良いように身構えて、

「抱えていくとか!」

 はたと手を打つ少女の提案に、クロイツは用意していたありったけの手札を全て失った。
 もし許されるならばアザレアを壁に押し付けて質しただろう。しかし、立つこともままならない彼は座り込んだまま、ひたすら脱力して肩を落とすばかり。いっそそんな申し出断ってくれ、とやけくそで喚く気力すら、湧いてくる端から何処かに流れ出してしまう。
 深い、深い嘆息一つ。何とはなしに頭を抱えるクロイツの傍に、キーンが座り込んだ。

「大の男に抱えられて墓地を回るのは流石に嫌だろう。俺も嫌だ。車椅子は使えるか?」
「あんな突拍子もないことを言う前に提案してくれ、君まで乗り気だったらどうしようかと思ったよ……車椅子なら受入れ所奥の書斎に置いてある。書斎の鍵は掛かっていないはずだ」
「分かった」

 応対はあくまでも淡白。
 一言だけをぶっきらぼうに投げ返し、膝に手を添え立ち上がる。特に何か言うこともなく、さりとて完全に無視することも忍びなく、付き人の立ち上がりスーツの裾を払う所作を眺めていたクロイツは、小さく零された申し訳なさそうな声に一瞬気付けなかった。

「すまないな、俺の主が」

 構わないさ。そう笑うことは、何故だか出来なかった。


「助かったよ、二人とも。墓守達だけではとても終わらない仕事だ」
「いえ。私で役に立てたなら良かったです」

 窪地の底までを切れ目なく繋ぐのは、なだらかな一本の坂道。人のすれ違う余裕はあれど、三人が横に並ぶと窮屈な程度の狭い道を、古い車椅子に乗ったクロイツとそれを押すキーン、そしてアザレアが並んで歩く。時刻は昼過ぎ、晴れ渡っていた空には灰色がかった雲が流れている。
 三者が歩むのは、最後に花を供えた場所から受入れ所である牧師館へと戻る道のり。ゆっくり歩いても三十分ほどの道のりであるが、一行の足取りはやや急いていた。天気が崩れるかもしれない、とクロイツが危惧したためである。
 その急ぎ足に混ざる、ギィギィと軋るような音は車椅子からのもの。整備されているとは言え古い品で、その上彼に合わせて調整が成されているわけでもない。不具合は如何ともしがたいものがある。

「人の街で調整したらどうだ。壊れてからでは遅いぞ」
「考えてはいるんだが、仕事が山積みでね。何しろ、夜な夜な出る“粗悪品”の遺骸を引き受けて荼毘に付せるのが此処しかない」

 ——処理場は街からの廃棄物で手一杯。街には墓地が無く、人の街は遠すぎる。ならば此処しかない。
 十字架に刻まれた精緻なケルト結びの模様、彼の意識で言えば顎に当たる部分に手を当てて、呟くようなクロイツの声は苦々しく。そうだったのか、とキーンも声のトーンを落とした。他方アザレアは、そんな二人の会話を聞きながら、一人考える。
 聞いてみたいと思うことは、それこそ山のようにあった。この世界のこと。物に殺された人間のこと。毎夜現れる“粗悪品”と、それを殲滅しうる物たち。その他諸々。此処数日で大分空気に慣れたとは言え、改めて疑問を数えれば枚挙に暇がない。
 そして今、ゾンネ墓地は慢性的な人手不足。クロイツを含めた四人の墓守が詰めてすら思うように仕事が回らないと言うのだ。
 脳内の決議は満場一致。彼女は言葉を選んだ。

「クロイツさん」
「うん?」
「何か手伝えることってありますか。出来る限りはやります」

 守長は驚きも呆れも、喜びもしなかった。
 ただ少しだけ思案して、頷く。

「書類仕事が溜まっている。今まで受け入れた人や遺族の名簿を整理するだけなんだが、如何せん墓掃除と巡回だけで一日が尽きてしまうものでね。給金は出そう」
「良いですよ、そんな」
「ふむ。物殺しは名前を見るだけで対象を直感することもあるそうじゃないか? 私は何も、既に還された物や亡くなった人の名簿だけを君に任せようとは思っていないよ」

 これは物殺しの仕事の一環でもある。きっぱりと言い切り、クロイツはアザレアに睨むような意識を向けた。物殺しは気圧されたようにやや身を引きつつも、黙り込むことはなく。それでは、と軽く目を伏せて是の意を示した。守長はそこに、今は亡き物殺しとの差異を見る。
 物殺しは大変な責務である。物達は肉の身体を持ち、人の如く思考し、人の言葉を話すのだ。高度な意思疎通を図れる物から、手段は何であれ命を切り離すことが、どれほど精神の負担になるか。物殺しと幾度も顔を突き合わせた、何より死者の番人たる彼が知らぬはずもない。
 故にこそ、その負担に見合うだけの見返りは要求して然るべきものであるし、それに付随する仕事に発生する報酬も受けて当然の権利だと彼は考える。そして、それを「ボランティアで良い」と放棄するのは、代価に見合った仕事をする気がないと言っている——即ち、無責任も同然であるとも。
 物殺しの仕事の一つだと言った時、ならばと言って承諾した彼女は弁えているのだろう、と。クロイツは判断を下した。

「では、短期で雇用契約を結ぶ。構わないね?」
「勿論。ちなみに時給は幾らですか?」
「嗚呼、君達の世界の通貨で換算すれば大体千円と言ったところだ。夜は千二百円。休憩は自由。詳細は契約書に載せておくから、届いたらそれをよく読んでほしい」

 分かりました、とアザレアは首肯。
 それとほぼ同時に、一行は坂道を上り切った。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.16 )
日時: 2017/05/01 00:23
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: p6e1/yUG)

十五:外法

 「明後日までには手元へ届くように手配しておく。届き次第此方に来てほしい」
「分かりました。あ、此処までの行き方を教えて頂けますか? 今日はフリッカーさんが送ってくれましたけど、次からは一人で来たいので」
「街から出ている汽車の七番線に乗って、月の原駅で降りるといい。そこから徒歩五分で此処に着く。何だったら、駅に着いた時点で駅舎の鐘を五回鳴らしてくれ。誰か迎えを寄越そう」
「はい。あの、よろしくお願いします」
「いや……私も助かるよ」

 手伝いの話を詰め、無理はなさらずに、と置き土産代わりにクロイツへ投げかけた後、アザレアとキーンは受入れ所を辞した。
 黒い扉を開けたすぐ傍、ポーチに横付けするような恰好で停め直された軍用車両の傍では、出てきた二人に気付いたのだろう、フリッカーが煙草を携帯灰皿に押し込んでいる。長いこと待っていたらしい、灰皿にはまだ新しい煙草が三本押し潰されていた。
 粗野で無精そうな雰囲気とは裏腹に、マナーはしっかり弁えているようだ。雰囲気と行動とのギャップに首を捻りつつも、アザレアは沈黙を貫いた。煙草をポイ捨てするかと思った、となどと馬鹿正直に感想を述べては流石に失礼である。彼が気にしない性格であったとしても、彼女自身が許せない。
 と、打算する少女の心境を彼は読んだか否か。黙って車の助手席に回り込むと、ポーチを降りてきた彼女を招くように、重たい車のドアを開けた。ありがとう、と頭を下げつつアザレアが礼を言えば、彼は小さく首を振る。何時もやってることだから、と声がそこに続いた。

「いつも?」
「おう。俺の元の持ち主がそうしろって訓練されてたもんでね、俺にも動きが染みついちまってんだ」
「そんな動きをしなきゃいけないってどんな状況なんですかね……」
「あんたにゃ及びもつかないような戦場だァな。とりあえず乗んなって」

 押し込むようにアザレアの背を押すフリッカー。ちょっとちょっと、と慌てながらも、少女が座席に身を滑り込ませたことを確認し、彼は勢いよくドアを閉める。鉄板を叩くような激しい音と、車両全体の微かな揺れが、ドアはきちんと閉まったのだと告げた。
 もっと優しく、とぶつくさ垂れ流される文句は聞かぬふり。そのまま自身も運転席へ乗り込もうとして、フリッカーは足を止める。助手席に乗り込んだアザレア、その視線が窓と己の肩を通り過ぎて、受入れ所のポーチへと向けられていた。
 振り返った先には、ポーチに立ち尽くしたまま扉を振り返るキーンの姿。何を見ているのか、塑像の如くに硬直したその身は、二人分の視線を受けて解れたらしい。ブレのない所作で彼等の方に向き直る。

「フリッカー。先に彼女を街まで送り届けてくれ」
「アザレアだけか?」
「嗚呼。俺は此処に残る」

 漂う沈黙。言葉を選んでいるのか、探照灯のブラインドが軋る。
 二つ返事で承諾することも彼には出来る。この屈強なる付き人が、敢えて大切な主人の元から離れる理由を、戦闘経験豊富な彼ならば察せられたからだ。しかし今、フリッカーはその理由を言葉にして吐かせようとしていた。アザレアの前で言わせることに、探照灯は意味を見ていたのだ。
 故に問う。何故かと。
 果たして、包丁は答えた。

「花屋はクロイツの前で、物に殺されたと言っていたな」
「嗚呼」
「その物が此処へ来る」

 はっと息を呑むアザレアをフリッカーは見ていた。しかし、それに本人が気づくより早く、彼は首を傾げて疑問を呈する。
 同時に、周囲へ向けて索敵を開始。二つの気配——アザレアとキーン以外に、彼の索敵範囲で目立った動きをしている物はない。強いて言えば建物の中に一つあるが、それはクロイツだと分かり切っている。いちいち特筆すべきものではなかった。
 早々に周囲への警戒網を緩め、更に質問を投げ付ける。

「何で分かる? 俺にゃ感じられんが」
「ただの勘だ。だが、外れるとは思わない。……猛烈に嫌な予感がする」

 元々低い声をより低め、キーンは俯いた。ぞくりと音を立てんばかりに粟立った肌を、フリッカーがアザレアから隠せたのは僥倖だっただろう。
 この包丁が。ともすれば己の積んできた百余年の経験をさえ凌駕する戦闘技能を持った彼が。此処にきて主人を放り出すほどの嫌な予感を覚えたと言うのだ。それが勘違いであるとはどう足掻いても思えないし、自分で何とか出来るとも思えなかった。
 ならば、自分はどうすべきか。思わず喉の奥で唸り、腕を組みながら、フリッカーが自身に対して与えた猶予は一秒。しかしその中で、あらゆる状況予想(シミュレーション)が頭の中で渦巻き、膨れ上がり、そして急速に一点へ収束していく。
 言葉は短いものにまとまった。

「気ィ付けろ、ケイ。ヤバい相手かもしれん」
「分かっている。アザレアを頼んだ」

 任せろ。そう言う代わりに一つ大きく頷き、フリッカーは車に乗り込もうと足先を巡らせかけて、ぴたりと止めた。下半身は行く先の方へ向いたまま、上半身を捻ってキーンを見る。彼はそこにいた。しかし不気味なもので、目の前に姿を晒しておきながら、存在をほとんど感じられない。
 自身の気配を操る術は、長い経験を積んできた彼ならばすべからく持っている。しかし、キーンほど隠密にあれるかと言えばノーとしか言いようがない。微に入り細に入り隙のない男である。
 何か、と無い気配の方から一声。まじまじと包丁の立ち姿を眺めやっていた探照灯は、そこでようやく自分が何をしたかったのか思い出したようだ。がしゃこ、と雑念を振り切るようにブラインドを一度開閉し、ふっと自嘲気味に肩を竦めた。

「何だったら銃の一つでもくれてやろうかと思ってたんだが、要るか?」
「生憎と飛び道具は苦手だ。これで俺がお前と同じだけの年数を生きていたなら話は別だろうが」

 そう長く生きる予定もない。淡白に告げられ、フリッカーは思わず二の句を失った。
 大事にされてきた末に命を得た物は、その多くが死を厭う。己の精神を構成するものが所有者の情や愛であると——アーミラリの如く理論的に記述は出来ずとも——彼等は知っているからだ。そしてその情愛を自らの死によって消されてしまう事実に堪えられない、と言うのが、生ける物達の共通した主張だった。
 そう、彼等は遺したいのだ。己が生きることで、己を慈しみ情を注いだ所有者の生きた証を。けれどもどうやって「遺した」と言い切れるか誰も分からぬ故に、この世界には生ける物が増え続ける。
 しかしながら、キーンに他の物と同じような承認欲求はどうやら無いらしい。あくまでもアザレアと言う一人の物殺しを降りかかる災難から護り、そして何時の日にか自分で危難を払う刃となれるよう教導することに、己の存在意義を全て帰属したのだろう。
 魂を捧げたと言い換えてもいい。

「羨ましいよ、あんたが」

 笑った。呆れるほど朗らかに。
 返答は聞かず、フリッカーは今度こそ車に乗り込む。咳き込むような音を立てて荒野を走り去っていくジープを、キーンは地平線の向こうに消えるまで、ただじっと見つめていた。
 ——二人を送り出してから、およそ十分ほどか。肌寒さを感じる風が全身をひょうと駆け抜け、そこに混じる独特な匂いと湿った空気が、雨の遠からぬ来訪を告げた。仰いだ空に早く流れゆく雲、その色は沈鬱で澱んだ灰の色。芳しくない先行きを示唆するようで、心象は重苦しい。
 さりとてそれが包丁の頭に現れるわけもなく。キーンは左手で刃を覆う革の鞘を少し撫で付け、固定用のベルトに付けられたスナップをゆっくりと外していく。危険だからなるべく付けていろと言われていたが、ことこの状況に限っては、剥き身の凶刃で相手を威嚇することも已む無しと判断したのだ。
 刃だけを覆う鞘、それを外せば、現れるのは来た当初と変わりないぎらつき。丁寧に砥ぎを繰り返した刃は鋭く、しかし一部が刃毀れして欠けている。隙のない輝きの中にあるたった一つの瑕疵こそは、彼が人をさえ容赦なく殺傷し得る力を得た意志(ルーツ)の具現であった。
 そして彼はポーチを降りる。来たる危難を見極め、必要とあらば己の暴力によってそれを掃うために。

「……来た」

 気配を殺して待つのは苦でなかった。長く待つことも苦でなかった。それ故に、一人の物が家人の隙を縫ってポーチを上がった時も、彼の気は些かも逸れていない。ほとんど吐息のような声で呟き、その物が気付かぬほどの須臾、彼はそちらに意識をやった。姿を検める。
 黒く長い外套、焦げ茶色のスーツ、淡いタッタソールのシャツにアスコットタイ。足元は年季の入ったブーツで固め、目深に中折れ帽を被っている。コンセプトの定まらない何処かちぐはぐな恰好であるが、キーンはそこを問題とはしなかった。年恰好と衣類の特徴を素早く記憶に焼き付け、彼が次に意識を向けたのは、その頭である。
 ——艶めく紫檀の箱。その表には白い円盤と、その上に並ぶ十二個の金文字。カチカチと振り子の揺れる音が響き、複雑な透かしの入った針が文字盤の上を動く。裏には金色に輝くぜんまいと、錐で引っ掻いたような金釘文字が一瞬見えた。

「柱時計……」

 出した結論を、悟られぬ程度の小声で独り言ちた。アザレアならば置時計と言ったかもしれないが、何にせよ時計であることには違いない。
 極限まで気配を殺し、柱時計の動向を見守る。彼は備え付けられたドアノッカーに一瞥もくれずにドアノブを掴むと、音もなく扉を必要最低限だけ開き、流れるようにその隙間へ押し入った。硬い底の靴を履いているにも関わらず、入る瞬間も、入った後さえも足音一つしない。明らかに手慣れている。
 キーンは気配を殺して待ち伏せることこそ得意だが、一旦行動体勢に入るとその隠密さは極端に失われる。今此処で柱時計の背を追って中に入れば、図体の大きい包丁などあっと言う間に見つかってしまうだろう。そうなった時、かの物が一体何を仕出かすか、さしもの彼にも予想出来なかった。
 故に、今此処で姿を見せることをキーンは良しとせず。ただ家主の危機にいつでも対応できるよう身構えて、彼は屋内の物音に耳をそばだてる。

「お前——!?」

 クロイツの驚きを隠せぬ声が、銃声に掻き消えた。


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