複雑・ファジー小説

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面影は儚く かがちの夢路へ
日時: 2018/10/29 16:11
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)



あらすじ

「神の棲まう町」と知られる誘並市。そこには『カオナシさま』という都市伝説がまことしやかに噂されていた。
「夢の中にのっぺらぼうの女の子が出てくる」「その女の子の顔を見ると願いが叶う——」
誘並市に引っ越してきた主人公、月島博人はその『カオナシさま』の夢を見てしまい——




こんにちは。初めまして。藤田浪漫改め写楽というものです。7月30日付で改名しました。
小説を書くのはマジで数年ぶりとかになるのでだらっとふらっとのんびりとリハビリがてら執筆していこうと思います。
地味で冗長な山も谷もない小説ですが、どうぞよろしくお願いします。
頑張って4章ぐらいで一区切りするよう尽力します。
ではでは、よろしくお願いします




目次
前編「不在のアバンコール」

 
一章 「Like a dream on a spring night」>>1-11 >>17-25

一話 「隔絶」 >>1
二話 「安穏/Unkown」>>2 >>3
三話 「白縫筑紫/知らぬ慈し」>>6 >>7
四話 「灯籠/蟷螂」>>8 >>9
五話 「文目/菖蒲/勝負」>>10 >>11 >>17 >>18-20
夢話 「春の夜の夢のように」>>21
七話 「加筆/過失」>>22 >>23
八話 「Mess-age :11」>>24
終話 「廃絶」>>25

二章 「Does yellow innocence dream of no face?」
一話 「劇場/激情」>>28
二話 「segno」>>29
三話 「災厄/再訳」>>30


番外「あの日のぼくらへ」

犬飼圭 「MAD ROCK DOG/微睡む毒」>>12-14




お客様
バンビ さま
人工現物感 さま
浅葱游 さま←すこ


Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.7 )
日時: 2018/04/19 22:20
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

「うおおうめえうめえすげえ美味いよ月島くん!! 何が入ってるのこれ! いくらでも食べられるよこれ! 何で僕はこんな美味い物を知らなかったんだ! 人類としての恥だね! 馬鹿だ! 何て馬鹿なんだこの僕は!あ!月島くん!!君の方にあるこのベーコンの奴も食べていいかな!?」
「落ち着け」

天照学園の近くのショッピングモール、その名をショッピングシティツクヨミ。地方最大の規模を誇る巨大商業施設で、地元の人間は勿論、この誘並市に来た観光客もここによく来るらしい。4つの建物で構成されていて、それぞれイーストビル、ウェストビル、サウスビル、ノースビルと名付けられている。
 施設の中には部活帰りらしき、天照学園の制服を着た人たちで賑わっていた。僕の隣にいるのは空前絶後にして天下無双の絶世の美少年の筑紫である。こそこそと耳打ちをする周りの目、特に女子の目線が多少気になる。

 確かに学校からツクヨミに来るまではまっすぐ来ることができたが、恥ずかしながら入り組みに入り組んだダンジョンの様な施設の中で盛大に迷ってしまった。いい年こいた男子が二人揃って仲良く迷子である。30分ほどうろちょろと彷徨った結果、ようやくノースビルの連絡通路のそばにマクドナルドの看板を見つけた。
 小奇麗な店内に僕と筑紫が丸いテーブルを挟んで座っているが、そのテーブルにはうず高く積まれたハンバーガーの山。今にも崩れそうなそれを、凄い勢いで筑紫はがつがつと捕食している。その光景はさながらブルドーザーが整地していく様を彷彿とさせた。あるいは草食動物の死骸を貪るライオンのようだった。

「今日は僕が初めてハンバーガーを食べた日だからこの日をハンバーガーの人して日本の総人口一億総動員でお祝いしよう!!未来永劫にこの日は記念日だ!!」
「……」

 僕はコーラをストローで吸い込んだ。弾ける炭酸が僕のノドを刺激して、胃の奥に流れていく。その臓器の中でゴボゴボと空気が生まれる。
 人が変わったような筑紫。変貌というか二重人格か。というか登場していきなりキャラ崩壊すんな。
 怖えよ。
 さっきの自らの価値がどうだとかいう高説はどこに行った。

「ねえ、筑紫」
「何だい?僕のハンバーガーは一つたりともあげないよ」
「いや、そうじゃなくて…、周り見てみてよ」

「む?」
僕の言葉に店内を見回す筑紫。まあ何というか、それなりに混雑したこのマクドナルドで、大量のハンバーガーを大騒ぎしながら爆食いすると当然の如くかなり目立つ。それが筑紫のような人並み外れた美少年なら尚更である。やはり近くのテーブルに座っている人たちからの痛々しい視線をひしひしと感じる。
ようやく我に返った筑紫が「こほん」と咳払いをする。

「見苦しいところを見せてしまったね。さて、さっきのシュミレーティッドリアリティの話の続きなんだけど。」
「そんな話はしてなかったけどね」

 今になって知的ぶろうとしても最早手遅れである。危うく謎の記念日が一つ増えるところだった。

「この僕としたことが取り乱してしまったね。恐るべし、マクドナルド。侮れないね」
「恐ろしいのは筑紫だと思うけど」

 取り乱すどころか狐憑きみたいになっていたけど。
厨房の方を見ると制服姿のレンが時折こっちの方をちらちらと見ながら働いている。ポテトが上がった時の電子音が聞こえ、いそいそと作業に勤しんでいた。

「どうだい月島くん、この誘並は?」

 すっかり落ち着きを取り戻した筑紫が僕に聞いた。彼の口の端にソースが付着しているのを見なかったことにして、僕は答える。

「やっぱ人が多いね。びっくりしたよ」
「君は登潟中学の出身だっけ、あそこは割と田舎だよね」
「随分とはっきり言うね……」

まあ否定はしない。どころか全身全霊で肯定する。

「僕がびっくりしたのは何よりも天照学園で月島くん、君に出会ったことかな」
「僕に?」
「そう、まさか全中時代に背中合わせで共闘した君とこんな所で会うとはね」
「……」

 この人は僕を買いかぶり過ぎな気がする。第一筑紫はベスト8に入ったけど僕は一回戦で惨敗した。地方大会の決勝でもボコボコにされたし。背中合わせなんて形容するのも馬鹿馬鹿しい、完全なピラミッドの様な関係である。

「君との出会いは僕にとって揺るぎない価値観をぶっ壊されるような、酷く衝撃的なものだったよ」
「そこまで言うか……?」
「当たり前じゃないか。地区大会の決勝で八百長を持ち掛けたのは僕の10数年の人生の中で君が当然の如く初めてだからね」
「……」

ノーコメント。

「ところで月島くん、聞きたいことがあるんだけどいいかい」

 筑紫はポテトを頬張りながら言った。机の上のハンバーガーの山は先ほどよりもいつの間にか随分と低くなっている。

「うん、何だ?」
「言いたくなかったら言わなくていいよ。答えたくなかったら答えなくていい。これは僕の純粋な興味と知識欲だ」
「うん」
「君が1か月入学が遅れた理由を教えて欲しい」
「えっと——……。」

 隠すようなことでも無いけど、しかしここで吹聴することでも無い。
 いくら中学時代の友達の筑紫が相手と言えど。
 僕には無意味に秘匿したいことの1つ2つある。
「言いたいか言いたくないかで言えば言いたくないかな」
「じゃあこうしよう」筑紫が指を5本立てた。「僕が5つだけ質問する。君はそれにイエスかノーかで答えてもらえるかな。それ以外は何も言わなくていい。まあ軽いゲームみたいなものかな」
「ウミガメのスープだね、OKそうしよう」

 僕は筑紫の歯形が付いたベーコンレタスバーガーをかじりながら頷く。うん、おいしい。

「1つ目、その出来事は、君の地元で起こった、イエスかノーか」
「イエス」
「2つ目、その出来事は持続的なものでは無い、単発的なものだ、イエスかノーか」
「イエスとも言えるしノーとも言える。どちらかと言うとイエス」
「なるほどね……、3つ目、それは今日君がわざわざ新幹線を選んでこっちに来た理由に関係している」
「うわあ……」もう確信を突きに来ている。「イエスだよ」
「4つ目、これで王手だよ。その出来事で多くの人間が……、凄い数の人が、命を落とした、イエスかノーか」
「イエス」
「もう十分だね」筑紫はにこりと口角を上げる。「何というか、随分と数奇的な運命を辿ってるじゃないか。——いや、奇数的な運命とも言うかな、君にとっては善か悪か、良か不良か、何にしろ二つになんて『割り切れない』んだろうし」
「上手いこと言わなくていいから……」

僕は火の消えたマッチ棒のような気持ちになる。そりゃあこんな的確に的を射るような質問ばかりされると、心の中をのぞき見されてるようで気が滅入る。
「で、あと一回質問をする権利があるけど、それを行使する?」
「うーん、そうだね……」シニカルに笑って考えるような仕草の筑紫。「じゃああと一つだけ聞こうか」
「OK、何を聞く?」

筑紫は言う。

「さっきも言った通りこれはただの僕の興味と知識欲だ。何なら答えてくれなくても、沈黙を解答としよう。5つ目——」

知識欲。
感心。
貪欲で聡明な人間ほど、恐ろしい生物はいない。

「——5つ目、君はその出来事において、被害者でもあり、加害者でもある。」
「答えは、」

僕は答える。

「答えは『どちらともいえない』」

なるほどね、と筑紫は頬杖を突く。

「結構ニュースになったっけね。まさか僕の予想通り君が絡んでたとは。」
「僕の予想通りって……。」

 まあ僕の平和な地元で起こった唯一と言っていい程の前代未聞の大事故であり大事件である。筑紫くらいなら僕が入学が遅れたと聞いた時点で気づいてもおかしくは無い。誘並でもニュースで大体的に報道された出来事である。
 これを知ってるのは筑紫を除けば、レンやポチの言うところの『月じい』と、僕の親戚の月じいとその娘、憩ぐらいか。

「……そういえば」僕は話を変える。「そういえばこれを見てほしいんだけど」
「んん?」

ふと思い出して僕はポケットからお守りを取り出した。誘並駅で色白の三つ編みの女の子から受け取ったあの朱色のお守りである。
 それを僕から受け取った筑紫は「むー……」と眉をひそめながら唸って穴が開くんじゃないかと言うほど見つめてから言った。
「月島くん。これってどこで手に入れたんだい?」
「誘並駅。知らない女の子から僕が落としたとか言って渡されたんだけど、絶対に僕の物じゃないんだよね」
「むー……」

めちゃくちゃ悩むような筑紫。めちゃくちゃ悩みながら口にハンバーガーを運ぶ。

「この裏に書かれた勾玉のマーク、見えるよね?」

筑紫はお守りを指で示す。言った通り勾玉が三つ向かい合わせに寄り添った紋章。

「うん、これがどうしたのかい?」
「このマークは『面影神宮』っていう神社の紋章なんだけどね」
「ああ、あの……」

面影神宮なら僕も少しの知識がある。この誘並市の中心部にある、かなりの規模を誇る神社。『神の棲まう町』と呼ばれるこの誘並市においても、トップクラスの知名度がある、と観光ガイドに書かれてあった。

「この紋章、巴勾玉と言われてるんだけど——がこのお守りに書いてあるってことがちょっと、いや猛烈におかしいんだ。」
「は?どういうこと?」
「まずは面影神宮について説明しようかな、うおっ!チキンフィレオも美味え!!」
「集中しろ」
「面影神宮。正式の名を八心面影八幡宮。日本中の八百万の神という神が集う誘並市の中でも指折りの規模を誇るどでかい神宮だよ。主宰神は常世の神、八意思兼命とも、誘並の地に古来から済む『よくわからない』土着神、『面影さま』とも言われてるね」
「へえ」

流石専門分野。勉強になる。

「ご利益は八意思兼命を由来とする知恵や学問や至誠、あと天候安定。それと土着神の『面影さま』を由来とする記憶や追憶などと言われている」
「後者だけ何だか曖昧だね」
「そう、『面影さま』は未だに不明なところの方が多いんだよ。八意思兼命と一身同体の姿と書かれてる書物もあれば、その従属と記されてるものもある。で、このお守りの話に戻るけど」
「うん」
「面影神宮にはお守りは売ってないんだ」
「はあ?」

まさかの発言。僕の口からストローが離れた。

「面影神宮の神は面影神宮の外には出ない——なんて話を聞いたことがある。なんてたって土着神が祭神だからね。言うなら八意思兼命もとい面影さまがこの神宮に縛りつけられてるような感じかな。だから神の加護を身に着けて持ちあるく祭具——お守りはこの神宮では作られていない。」
「だったらこれは何なんだい?」
「恐らく偽物だね。今すぐに処分した方がいい。」ジュースを飲みながら筑紫はそう言い切る。「土着神は基本的に祟り神だ。まあ必ずしもじゃないけどね。でも神様の意向にそぐわない物を持っていることは極めて危険だ。何なら僕の知り合いにお願いして処分してもいいよ?」
「じゃあお願いしようか」
「OK」

筑紫は言ってお守りを懐の中に入れた。

「一応このお守りについて調べてみるよ。面影神宮の名を騙ってお守りを販売する輩がいるかも知れないし。ある意味これは一種のテロみたいなものだ」
「テロとまで言うか……」
「地着神をあまり舐めない方がいいよ。元を正せば大自然そのものに畏敬を表し生まれた信仰だ。有名なクナドの神、ミシャグジさまとか聞いたことないかい?」
「あー諏訪大社の神様だっけ」

ミシャグジさま。
諏訪信仰に関わる、境界と豊穣を司る神様。神官に憑依して宣託を下す蛇神。祟り神として有名で、敬称を略したゲーム会社が盛大に祟られたという話があったり。

「ところで月島くん」

ハンバーガーを掴んで筑紫。さっきまであった大量のハンバーガーは全ていつの間にか無くなっていた。代わりに丸められた包み紙がテーブルの上を埋め尽くしている。

「君は剣道の推薦でこの学校に入学したんだろ。でももうその剣道部は無くなっている。だったら君はこれからどうするのかい?」
「うーん、まだ分からないかな…。こうなったらいろんな部活を見学して、気に入った所に入ろうとは思ってるけど……」
「もし良かったら僕たちの所に来ないかい?同好会という形で剣道部の再建を目指して何人かで活動してるんだ」
「あー……」

確かレンが言ってたっけ、そんなこと。
何も置いてなかった、誰もいなかったがらんどうの武道場。インターハイ元優勝校の凋落。
まるでこの僕のように地に堕ちていて。

「まあ考えてみるよ」

僕は曖昧に返事をした。今返事をしても仕方ない。

「そうだね、まだ誘並に来たばっかりなんだからゆっくり考えるといい。この学校は誰も把握してない程多くの部活があるからね。」クスリとほほ笑む筑紫。「じゃあもう出ようか。お腹一杯になったしさ」
そりゃああれだけの量のハンバーガーを一つ残らず食い尽くしたらお腹いっぱいにもなるだろ、と言いたかったけど口には出さなかった。トレイからはみ出さんばかりの包み紙を乱雑にまとめてから筑紫は席を立った。
「ウチの同好会には面白い人がいるからいずれ君にも紹介するよ。僕の姉の姫菜も一応在籍してるし、今のところこの僕と灯ちゃんとかあやめちゃんの4人が居るから是非月島くんにも入部してほしい」
「姫菜は知ってるけど、灯ちゃん、ていう人とあやめちゃん、っていう人は僕は知らないな。どういう人?」
「まあそこは追い追い紹介するよ。」
にこりと芸術品のような笑みを浮かべて、「行こう」と筑紫は言った。
 

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.8 )
日時: 2018/04/16 07:36
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

マクドナルドから出た僕と筑紫はその足で映画を見に行った。このショッピングシティツクヨミの一番上のフロアに映画館があるとか。どうしても筑紫が見たいものがあったので一緒にいったのだけど。ピエロが人々を惨殺していくホラー系の洋画で、昔に発表された作品のリメイクらしい。あまり映画を見ない僕でさえ知って居るような有名なタイトルだった。

「死ぬ!ホントに死ぬ!勘弁して!僕が悪かった!!うおおお!?腕がぁ!!」

冒頭から隣で美少年が引くぐらい怖がっていた。座席に縮こまるような体勢。めちゃくちゃ顔色が悪い。そんなに怖いなら見なきゃ良かったのに、と指の隙間から画面をチラチラと見ている筑紫を見て思った。大画面にピエロの顔が出てくるたびに、隣から「ひっ!」と小さい悲鳴が聞こえてくる。座席が振動しているのに気が付いて怪訝に思い、横を見ると筑紫がガタガタ震えていた。
一時間程経ち、エンドロールが流れ僕たちは席を立った。床には筑紫がひっくり返したポップコーンが散乱していた。照明に照らされたそのポップコーンはとてもとても哀愁が漂っていた。
紫色の唇をわなわなと震わせて、散らばったポップコーンを避けながら筑紫は口を開いた。
「……た、大したことなかったね……。つ、月島くんはどう思ったかい?」
「……」

 何を言ってんのかこの男は。

 それから歩きながら筑紫はいろいろな話を僕に聞かせてくれた。箱の中のカブトムシの話。重病に罹患したバイオリニストの話。そんな思考実験の他にも何気ない日常の話もしてくれて。

 場面転換。

 筑紫と別れて場所は学生寮、飛想館——……じゃなくて。

「ねえポチ」
「どうしたッスか?」
「このバスどこに向かってるんだっけ?」
「平阪ッスよー!」
「……」

 そう言われても分かるか。
 言わずもがな、歩道橋の下から出発したバスに僕たちは揺られていた。僕たちというのは僕とポチとバイトから上がったレンの三人。バスの一番奥、後部座席に座っているのでバスの揺れが激しい。
 外はもうすっかり日は暮れていた。腕時計は8時30分を指している。窓の外ではぽつぽつと等間隔に並んだ街灯が流れている。夜道をとぼとぼ歩く年老いた老婆の姿。まるで鮮度を失ったエビみたいだと僕は思った。寮の前でスタンバイしていたレンとポチに行き先も知らされぬままこのバスに飛び乗ったけれど、僕の歓迎会でレンのおすすめの店に行くってことは聞いた。今は穏やかな住宅街の中を進んでいる。
 そして田舎育ちの僕が驚いたのは夜になっても空が少し明るいことだ。目を凝らして見ても星は見えなった。ガタンとバスが大きく揺れて膝の上に置いていた僕の携帯が飛び跳ねた。慌ててそれをキャッチする。

「何ていう店に行くんだっけ」
「鉄板不動心っつーとこ」

 僕の横、窓際に座って景色を見ているレンが答えた。疲労に満ちたような表情。

「俺ちゃんってさ誘並生まれ誘並育ちの根っからの誘並っ子だったりするだけどよ、小っちゃい時から通ってる店だ」
「へえー」
「誘並ってラーメンが有名だけどさ、お好み焼きも結構美味えんだ。お前がここに来た記念に連れてってやるよ」
「じゃあレンくんのおごりッスね!」
「うるせえぞポチ。あー疲れたー、マジ疲れたー、尋常じゃなく疲れたー」
「どうかしたの?」

 あんまりにもテンションが低いのでちょっと心配になってきたので僕は尋ねた。すると、がばっとレンが隣の僕の頭に腕を回し、脇に抱えてきりきりと締め付けてきた。ヘッドロックの体勢である。こめかみが圧迫されてかなり痛い。

「お・ま・え・らがバカみたいな量のハンバーガーを注文するからだろうが!!ギャル曽根か何かか!帰れま10でもしてんのか!!」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!だいたいあれはほとんど筑紫が頼んだものだ!!僕は関係無え!」
「うるせえ!!連帯責任だ!」

 なるほど、マックでこっちをちらちら見ていたのは抗議の視線だったのか。まあそりゃあれだけ大量のハンバーガーを頼むと忙しくなるだろう。レシートの長さが尋常じゃなかった。

「あ、筑紫?筑紫っていうと白縫の筑紫か?」

 レンは驚いたような声を上げてふっと腕の力を弱めた。これ好機と僕はヘッドロックからかいくぐる。

「そう、去年の剣道の全国大会でベスト8に入った白縫筑紫。知ってるの?」
「知ってるけど喋ったことはないが。昨日告った女が『ごめんなさい、私白縫筑紫くんが好きなの』っつってたから。あー!思い出すだけでイライラする!」
「そりゃ可哀そうに」
「今度見かけたらナイフで一突きしてやる。」
「可哀そうに!」

筑紫が。

「そういやポチ、お前今日何してたんだ?お前が誘並駅方面に用事があるって珍しいじゃんかよ」
これはレン。
「ただ知り合いに会ってきただけッス」僕の左に座ったポチは頭を掻く。「誘並に中学生時代の知り合いが来てたから会いに行ったんスよ」
「女!女か!?」
「そうだったら良かったんスけど……。」
「ポチって出身どこだっけ」僕は聞いた。
「僕は馬片ッスよ。わかるッスか?」
「あー、登潟と誘並の間だっけ」

 と、そこで車内の耳障りな停車ベルが鳴った。どうやら窓際のレンがボタンを押したようだ。もうすぐ着くらしい。
 やがてバスがスピードを落として道路の端に停車した。慣性の法則に従って緩い重力が体にかかる。運転手のやけに聴き取りづらいアナウンスが流れた。僕は立ち上がり、財布から500円玉を取り出して運賃箱に入れた。

「うわあこりゃまたすげえな……。」

 バスから降りた僕は早速嘆息した。
 目の前に広がっているのはネオンが眩く光る繁華街の景色だった。鮮明に目に映る橙色や青色の光。誘並中心部が高層ビルが建ち並ぶ昼の町だとしたら、この平阪地区は飲み屋や飲食店などが軒を連ねる夜の街と言える。僕の地元にはこんなところなかったので新鮮に思った。仕事終わりらしきスーツを来た人たちがふらふらと頼りない足取りで僕の横を通り過ぎる。町中にアルコールの匂いが立ち込めているようなそんな雰囲気だった。

「何ボケっとしてんだーつっきー。置いてくぞー!」

 僕がこの風景に圧倒されている間にすたすた歩いていくレンとポチ。二人は人の多さに慣れているので楽なんだろうけど、今日田舎から越してきたばっかりの僕にとってはそう簡単にはいかない。幾度となく人とぶつかりそうになりながら二人に追いつく。
 しばらくたわいもない話をしながら歩いて、細い路地に入って突き当り。

「あ、ここだここ」

 ネオンの光に溢れるこの町の中で異彩を放つ、趣のある木造の少しさびれた建物。街路に置かれた木の看板には達筆な筆文字で『鉄板不動心』と書いてある。店の中から壁を通して騒がしい声が聞こえてくる。焦げたソースの匂いが鼻孔にふんわりと入ってくる。

「あ、予約なしの三名でー!」と早速店のドアをがらがら開けて指を三本立てているレン。一日目にして気付いたけど彼はかなりのせっかちな性格らしい。「ほら入るぞ」と手招きしている。
 その声に応じて僕とポチも店内に入った。まるで時代の流れに逆らっているようなレトロな雰囲気。耳の欠けた招き猫とブラウン管テレビが小さな卓に置かれている。

「あ、いらっしゃいませーっ!」
カウンターの中で皿を洗っていた店員らしき若い女の子が小走りでこっちに向かってくる。
「二名様だね?じゃあこっちなんだよ!」

 店員が前掛けで手を拭いてから奥の座敷を示す。年齢は僕と同じぐらいだろう。アルバイトの学生さんだろうか、まだ幼さの残る顔つき。少し既視感を覚えたけど気のせいだろう。

「よーっす!アッカリーン、久しぶり!」

 途端にテンションを取り戻したレンが片手を上げた。店員らしき女の子も右手で手刀を作って敬礼する。

「練示っちおひさおひさー…っていうか先週あたりも来てたじゃん!そこのポチくんとー!」

 女の子はびしっとポチを指さす。指さされたポチは少し照れくさそうな様子。そしてその横で所在なさげにしている僕に女の子はやっと気が付いたらしく「ん?」と目を細めて首を傾げる。

「あ、こいつは今日誘並に越して来た月島——」
「わあああああああああああああああああ!!!!」

 レンが僕を紹介しようとしたが、叫び声を上げながら僕に女の子は飛びかかってきた。猫のように俊敏な動きだった。もしかしたら肉食動物だったかも知れない。ともかく物凄い勢いで彼女は僕の肩をがしりと強く掴んでがくんがくんと前後に揺さぶる。
「知ってる知ってる登潟の月島くんじゃん!!うわあああ!なんか見たことあるなって思ったら!!」
「ちょ待っ……、」
「灯ちゃんだよー!!覚えてるー!!?灯ちゃんだよーう!!!」

問答無用だった。暴れ馬に乗っているかの如く視界が揺れる。首が痛い。

「れ、レン!どうにかして!」
「お、おう!」

 とりあえずレンとポチの二人がかりで無理くり引っぺがしてもらった。ようやく落ち着いた女の子に導かれて店の一番奥の座敷に着いた。畳が敷いてあってその真ん中に鉄板の付いたテーブルがある。奥の上手側に僕が座り僕の向かいにポチ、その横にレンが腰を下ろす。

「よっこらショコラティエー!」

 何故か僕らに続いて、そんなことを言いながら僕の横に女の子が席に着いた。
 肩に届くほどの長さの明るい茶髪。くるんとした瞳の童顔。こんな元気はつらつなテンションの高い娘、どこかで会ったら忘れない自信はあるけど、僕はこの子のことを知らない。

「やーホントは昼ぐらいにね!駅の広場で月島くんみたいな人とすれ違ったんだよね!」そう言って笑いながら手の平を合わせる。「でも誘並に月島くんがいるわけないって思って無視したんだよねっ!あ、ちゃんヒロって呼んでもいいかな!?」
「待て待て待て」
「んんー?」

不思議な顔をする女の子。いや不思議そうな顔をすべきなのはどちらかいうと僕だと思うんだけど。あと座るな仕事しろ。

「僕、君の事知らないんだけど、どっかで会ったことあるっけ?」
「うええ!?マジマジ!?ちゃんヒロってばあたしのことボーキャクの彼方!?」

女の子は大仰に驚いたような顔をする。両手で鉄板の付いた木製のテーブルをバンバンと叩く。

「酷いよ!あんまりだよ!!ディオニュシオス一世だよ!!」
「僕は走れメロスに出てくる邪知暴虐の王様か。…いやマジで覚えてないんだけど。登潟の人だったりする?」
「違うよ!!あんな縄文時代みたいな所に行ったこと無いよ!」
「縄文時代っていうな」いくら女の子でもぶっ飛ばすぞ。「名前教えてくれたら思い出すかも知んないけど」
「ミオニだよう!!」一層テーブルを叩く力が増した。今にも壊れそうな音を出して軋んでいる。「魅鬼灯だよ!アッカリーンだよ!!剣道やってたじゃん!!」
「剣道?」

 少し脳内の海馬の中を遡ってみる。えっと、魅鬼と言ったら……。
 中学時代。
 ひらひら揺れる白い袴。
 決勝戦。

「あー……」
「思い出してくれた!!?」
「うん」
 僕は頷いた。

 中学時代の地方大会。僕と筑紫が決勝で戦って僕が負けたあの試合だけど、その一方で女子部門の決勝も行われていた。一方が筑紫の年子の姉、蓬莱中学の白縫姫菜。そしてもう片方がこの当時絵殿中学の魅鬼灯。延長に延長が重なる接戦と激闘の末、辛くも白縫姫菜が勝利したんだけど。

「そりゃ分かんないよ。だってあの頃って君太ってたじゃん」
「それを言うなああ!!」

 思いっきり灯から顔面を殴られた。それも普通の女の子の力では無い、剣道で全国級の腕前を持つ彼女のパワーである。ものすごい激痛が左目の辺りを貫く。向かいのレンとポチが驚いたような声を上げるのが聞こえた。

「酷いよ!あんまりだよ!!ナイアーラトテップだよ!!」
「僕はクトゥルフ神話に出てくる邪神かよ……。ごめん、今のは失言だった」
「それはさすがにデリカシーゼロなんだよ!!頑張って…頑張ってダイエットしたのに!!もうちゃんヒロなんて知らないよ!!タンスに足の小指ぶつけて死んじゃえ!!」

 すげえ壮絶な死に方だ。

 あまりに激昂して立ち上がった灯だったが、流石に周りの客からの視線に気づいたのか、壁に掛けられていたメニューをぞんざいに取って、乱暴にテーブルに広げた。

「じゃあこれメニューね!決まったら呼んでね!ちゃんヒロは天かすでいい?」
「いいわけないだろ」
「じゃあごゆっくりー!!」

小走りで厨房の方に戻っていく灯。鉄板不動心と書いたエプロンがふらふらと揺れていた。
「つっきーお前さぁ……」レンが頬杖を突いて言った。「モテねえだろ。」
「うるさいな……。レンってここの常連なんだろ。おススメは何?」
「やっぱ海鮮玉かなー。豚玉とかもうめえ。あとアッカリーンエターナルアルティメットスペシャル。」
「何て!?」
「ほらここ書いてあるだろ」

レンがメニューの端を指さした。見ると確かに筆文字で『アッカリーンエターナルアルティメットスペシャル』とある。他が麺玉とか焼きそばとか牛タンとかだから嫌でも目に入る。

「これ何が入ってんの?」
「アッカリーンがその時の気分でいろいろ持ってくんだよ。特に決まってねえな」
「今僕が頼んだら絶対天かすが来るぞ……」
「ちなみにこの前来た時はガリガリ君が入ってたよねー」

いかにもおかしそうにポチが言ったけど絶対美味しくないだろう。僕が海鮮玉に決めたので二人も同じものにした。

「そういえばレン。ポチでもいいけどさ、面影神宮ってどこにあるの?」

 僕が尋ねると、レンが不思議そうな顔をしながら答える。

「面影神宮?誘並駅からちょっと歩いたとこにあるけど。観光にでも行くのか?」
「うん、ちょっと行って見たくてさ」
「あー、じゃ今度三人で行くか!いいよなポチ?」
「いいッスね!賛成ッス!」

とポチが親指を立てたところで灯が近くをふらりと通る。レンがおーい!と呼びかけて灯は振り向いた。

「アッカリーン!!海鮮玉三つと生ビール三つ!」
「はーい!海鮮玉二つ、生二つ、紅ショウガと泥水ねー!」
「……」
店員にあるまじきことを言う灯に、少し僕は肩を落としつつ、メニューの端のドリンクの欄を意味もなく見つめた。

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.9 )
日時: 2018/04/16 07:46
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

 結果としては、紅ショウガと泥水は出てこず、海鮮玉はとうに僕たちの胃の中に入った。誘並市は海に面した街で、海産物は豊富。エビや貝をはじめとして、名前も知らないような魚の切り身が入っていた。ソースが焦げた香ばしい匂い。お好み焼きの他に焼きそばや焼き鳥も頼み、その全てを平らげ、テーブルは空いたお皿で埋まっている。

「食らえワンコロぉ!スーパー犬殺しパニッシュメント!!」
「うわああ尻尾が生えるッスーっ!!」
「……。」

 普通に未成年飲酒。二人は湯水のようにアルコールを摂取し、熟れたリンゴのように真っ赤に染まった顔。レンがタバコを吸っているため辺りは少し煙たい。僕は度数の少ないお酒を数杯飲んだだけで今はオレンジジュースをちびちび飲んでいる。いや大丈夫なんだろうかこの店。近い将来警察にしょっ引かれたりしないだろうか。木目の目立つ年季の入ったテーブル。今までどれだけの人がここで時間を過ごして来たのだろう。くぐもったラジオの音声と僕の向かいで騒いでいるポチとレンの声が重なる。

「やっほー、ちゃんヒロー!」

 そうこうしているうちに再び僕の横に灯が座った。手には赤っぽい物が入ったコップを持っている。

「さっきは殴っちゃってごめんねー!謝りに来たよー!」
「いや、別にいいんだけど。…っていうかそれ何?」
「カシスオレンジ!」
「僕にくれるの?」
「んなわけ無いじゃん!あたしが飲むんだよ!」
「……」

めちゃくちゃ不真面目な灯だった。見ると彼女も少し顔が赤い。

「ふい—、さてさて、元気いっぱいなあたしはちゃんヒロに質問なのです」
カシスオレンジを一息に飲み干した灯。
「何で今になってこの誘並に来たの?転校?」
「いや、ちょっといろいろあってね。入学が一か月遅れたんだ」
「あれ?高校どこなの?天照?」
「そう、天照学園だよ」
「あ、じゃああたしとおんなじだね!」いかにも光栄とばかりに両手を合わせる。「っていうかいろいろあったって何があったの?」
「何でレンにもポチにも教えてない事を君に言わないといけないかを教えて欲しい。」
「酷いよ!あんまりだよ!!サカキさまだよ!!」
「僕は初代ポケモンにおけるロケット団のボスかよ」

持ちネタかそれは。さっきから文学上の悪王だったり空想上の邪神だったりゲーム上の悪役だったりで節操が無い。

「いーじゃんいーじゃん!隠すようなことでもないでしょー!」
「かと言って言いふらすようなことでも無いんだよ」
「絶対。ずえーっっったい誰にも言わないから教えてよー!」
「……」

まあ言ってもいいか。ポチとレンは酩酊状態だし。僕もアルコールが回って気分がいい。

「飛行機事故」
「うえ?」
僕は言う。
「飛行機事故で家族が僕ともう一人残して皆死んじゃったんだ」もう一人も既に死んでいるようなものだけど。「離陸に失敗して大爆発したんだっけ。乗客も乗員も根こそぎ全員死亡したぐらいのデカい事故だからニュースにもなったんだけど見たこと無いかな?」
「え、待ってそれって——」
「僕には望と祈っていう二人の妹がいたんだけど、望が当日に熱出しちゃって急遽僕と望はキャンセルして、二人だけ生き残ったんだ。あいつに感謝しないとだね。」
「じゃあその望ちゃんは今は——」
「地元に残ってるよ。連絡してないけど」
「そうなんだ……」

 一気にテンションが低落したような灯。ふとレン達の方を見ると二人ともテーブルに突っ伏していた。ポチに関してはいびきをかいている。もう酔い潰れたようだ。鉄板の電源を落としているにしても余熱で暑くはないのだろうか。

「ごめんねー!無理やり聞いちゃってー!言いたくなかったよねー」
「うん。言いたくなかった」

 別に言いふらすことでは無かったけど。
 言ったら言ったで雰囲気が台無しになるし。
 こんな話、笑顔で聞ける奴なんていない。
 ほら。そんな顔をするな。
 同情でさえ不愉快だ。

「じゃ、じゃああたしに何か聞きたいこととかある!?あ、セクハラはあきまへんで!」
「灯はここでバイトしてんの?」
「あーそこ聞くんだね…。——や、ここあたしのおとーさんがやってるお店で。その手伝いやってるの」
「ふーん……」
「興味が無さげ!!」
灯はばんとテーブルを叩いた。どうやら感情が高ぶると手近にあるものを叩く癖があるそうだ。アルコールが入っているので尚更である。
「っていうかさ!ていうかさ!今うちの高校剣道部無くなってるじゃん?あれだったらあたし達の同好会に入らない?」
「あー……」

 そういえば筑紫も灯の名前を出していたっけ。あの時は完全に魅鬼灯という存在を失念していたけど。もしかしたら筑紫の言う『あやめちゃん』という人ももしかしたら著名な剣道選手なのかも知れない。
「ねえ灯。『あやめ』っていう人ってどんな人なんだい?」
「あたしの質問に答えないんだね!」
テーブルがまた派手な音を立てる。軋む。この年季かなり古そうだしもうすぐ壊れるんじゃないんだろうか。

「同好会に入るかはまだ決めてないよ。ほら、次は灯のターンだ」
「何か雑じゃない?えっと、あやめん……、あやめちゃんね、何ていうか『怖い人』だよ!」
「怖い人?」
「そう、えっとねー、何か定規で書いた直線みたいな人だね!」
そりゃまた変な比喩だ。
「その人って剣道の経験者だったりするかい?ほら、灯みたいに中学の地方大会とか全国大会で会ってたりする?」
「うーん、会ってないと思うよ!」灯はかぶりを振る。「あの人未経験者だし。中学は誘並の蓬莱中学で、文学部だったと思うよ」
「ふーん……」

 蓬莱中学だったら筑紫や姫菜と同じ中学か。筑紫が『あやめちゃん』と僕が知り合いみたいな言い方するから紛らわしいことになっている。この調子だとその『定規で書いた直線みたいな人』とニアミスするかも知れない。

「っていうかよくあやめんの事知ってたね!誰に教えてもらったの?」

灯はポチの方にあったビールジョッキを自分の方に寄せながら首を傾げる。そちらのポチとその横のレンと言えば引き続きいびきをかいている。

「筑紫に聞いたんだ。君とか姫菜とかが剣道部の再建を目指して頑張ってるって」
「いや特に何もしてないんだけどねー!」
言って灯はぐびぐびビールを飲む。いい飲みっぷりだ。「姫っちょも同好会はともかく学校にも滅多に来てないみたい」
「そうなのか?」
「うん。ほら、あの子アイドルやってるじゃん」
「あー……」

この誘並発祥の8人ダンスアンドボーカルグループ、有体に言うとご当地アイドル。その名を『Azathoth』。そのグループに筑紫の年子の姉である姫菜は中学の時から所属している。僕はあまり詳しくないのだけど、今をときめく超大人気のグループらしい。その名声は誘並に留まらず全国の津々浦々まで轟いているようだ。

「姫っちょみたいな可愛い女の子がねー!本気出してあたしたちに手伝ってくれたらいいんだけどねー!例えばさ、学校のお偉いさんにすっぽんぽんで土下座とかしてくれたら一発じゃん!?」
「馬鹿なことを言うな」
「あたしだとほら、そうはいかないじゃん!?」
「まあそりゃそうだね」
「否定してよ!!!」

 灯は空のビールジョッキを思いっきり振り上げて僕の頭を勢いよく殴った。側頭部に鋭い衝撃が走る。完全にデジャビュである。今回は道具を使った上、酔いが入り力のストッパーが外れている故にめちゃくちゃ痛い。理不尽。
 ジョッキは割れてないし僕の側頭部から血が出てないことから、猫の額ほどは手加減したみたいだけど。

「酷いよ!あんまりだよ!!メフィストフェレスだよ!!」
「僕はゲーテのファウストに出てくる高名な悪魔じゃねえ……」
「女心を察してよ!このデリカシーマイナス273℃男!ちゃんヒロなんて深淵の見学中にあちら側に飲まれちゃえばいいんだよ!」
「それはニーチェじゃなかったっけ……」

 ごっちゃにするな。僕もうろ覚えだけども。意外と灯、博学である。
「いや、ていうか灯は厨房とか手伝わなくていいの?」
「うるさいっ!ちゃんヒロが働けっ!」
「理不尽だなぁ……。」

 ふと周りを見ると、この店内にいるのは僕たちだけだった。やけに周囲が静かだと思ったら他のテーブルにいた客はもう帰ったみたいだ。そりゃ灯もサボるわけだ。腕時計を見ると時針が10の数字を示している。

「うわっ、もうこんな時間かよ……。」
 僕は立ち上がって、皿の山の中に埋もれるようにして寝ているレンの肩をテーブル越しに揺する。金髪の先にマヨネーズが付着している。

「ほら、レン、ポチも。もう10時だ。起きろ帰るぞ。」
「むにゃぁ………、もう飲めねえよ……。」
「ベタすぎる寝言を言うな。」

 明日学校だろうが。寮の門限は12時だから少し余裕があるけど、早めに着いた方がいいだろう。
「灯、勘定お願い。あとタクシーで帰るから大通りまでポチを運んでくれる?僕がレンを運ぶから。」
「あ、おっけー!」
 財布と携帯をポケットの中にあることを確認してから僕は立ち上がった。
 まずは僕が通路側にいるレンに肩を貸して、灯も僕に倣ってポチを軽々と持ち上げる。しっかりとした足取りで出入口の傍らまで行って、和風な店の内装にそぐわないハイテクそうなレジを灯は片手で操作する。
「お会計が12300円になりまーす!」
「…いやに高くないか?」

 僕は財布を取り出しながら辟易。確かに二人は暴飲暴食の限りを尽くしていたけど、そんなに食べた覚えが無い。
「うーん?都会だからこんなものだよー?」
「もしかして君が飲んだカシオレもこの中に含まれたりしない?」
「ぎくっ」
「ぎくって言ったな今!」

 まあ灯が飲んだ分は12000円の中だったら微々たる数字だろう。また殴られるのはご免なので僕は大人しく財布を開いた。レンを脇に抱えながらがらりとスライド式のドアを開けて、外に出た。外気は春の温度。アルコールで火照った体には心地良かった。僕の後ろにポチを背負った灯が付いてくる。

「ごめんね、重くないか?」
「ううん、めっちゃ軽いよ!」
灯はかぶりを振る。流石は元全国大会出場者。女の子にしてはかなり鍛えている方だろう。
大通りまで出て、タクシーが来るのを少し待つ。やがて僕らの前にタクシーがゆるりと止まり、後部座席に二人を荷物のように投げ込む。
「じゃあねー、ちゃんヒロ!また来てねー!」と灯は言いながらタクシーに乗り込もうとする僕に手を振る。
「うーん、二度と来ないかな。」僕は助手席に座る。
「ひ、酷い!あんまりだよ!」
「僕は天邪鬼でね、来いって言われたら行きたくなくなるし、来るなと言われたら行きたくなるんだ」

言って。僕は片手を上げた。白髪交じりの妙齢のタクシー運転手に永鳴の飛想館まで行くように告げる。「かしこまりました」と運転手は低く返事をした。やがて緩く体に重力を感じながら僕は少し感傷にふける。

遠いところまで来た。
登潟から一つ県を越えて誘並。
新しい環境。
変な夢。
存在しないはずの面影神宮のお守り。
後ろで寝ている両隣部屋の住人。
中学時代の剣道の知り合いの筑紫、灯、そして姫菜。
僕が入学が遅れた理由を知っているのは親戚の『月じい』とその孫、僕からしたら従妹に当たるところの憩、それと筑紫とさっき口を滑らせた灯、あとはせいぜい学校の教師ぐらいだろう。
車内はぼそぼそとラジオの音声が流れるだけで、運転手は何も喋らなかった。
窓の外を眺める。
空は夜なのに微かに明るくて。
星も月も見えなかった。

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.10 )
日時: 2018/04/06 21:01
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

 月は沈み太陽は顔を出して翌日。僕がこの街に来て二日目の朝。半開きのカーテンの隙間から見える空は昨日と引き続き清々しい晴天だった。目覚まし時計にかけたアラームより三十分ほど早く起きてしまった。頭が少しだけ痛い。喉が渇いている。ひとまず洗面所まで歩いて行って蛇口を捻り、コップを水を満たして喉を潤す。食道に冷たい物が通っていく感覚。都会の水道水はカルキの匂いがしてあまり美味しくないが、ミネラルウォーターなんか買っていられる身分じゃない。正面の鏡に映る僕の顔を見る。鏡というのは不思議な物だ。在りのままを映す。精巧に映してしまう。他人の目から見た僕はこんなに無感動そうに見えるのか。不思議と言うより不気味だな、と僕は思った。

 藍色のブレザーに袖を通し、ボタンをはめながら、剣道の防具を閉じ込めてるクローゼットに目を向けた時、コンコンと二回ノックの音がした。

「つっきー!起きてっかー?」

 けだるげなレンの声がドアの向こうから聞こえてきた。予定の時間より十分ほど早い。昨日も思ったが彼は随分とせっかちな性格をしているらしい。

「うん、今開けるね」

 僕はそう答えて視線の照準をクローゼットから黒いドアの方に移す。この学校の剣道部が廃部になった以上、あの中の防具は無用の長物だ。いくつもの試合を潜り抜けた僕の相棒と呼んでもいいものだったが、これはこれでしょうがないだろう。机の上に置いてあったカバンを掴んでからドアの方に向かった。ドアのカギを開錠して開くと、心なしか顔色の悪いレンの姿。

「うっす、つっきー。ちゃんと寝られたか?」

 しかめっ面でレンが片手を上げた。今日初めて見る制服姿だった。彼の金髪が昨日よりも少し心なしか萎れてるように見えた。

「うん、おかげさまで。……ていうかなんか具合悪そうだけど大丈夫?」
「あー、昨日飲み過ぎたんだわ。二日酔い。もう準備はできてっか?」

 そういえば昨日平阪の鉄板屋でぐびぐびお酒飲んでたっけ、と僕はあの灯の働く店を思い出した。鉄板屋不動心とかいう店名。従業員はこの上なく騒がしかったけど、とてもいい雰囲気の店だった。

「大丈夫だよ。ていうかポチはいないの?」
「あー、あいつは陸上部の朝練だってよ。ほら、早く行こうぜ」

 うん、と言って僕は頷いた。ドアのそばにあるボタンを押して電気を消す。部屋の中は薄く暗がりで満たされた。部屋には剣道の防具だけが置いてけぼりで取り残された。



 私立天照(テンショウ)学園。いわずもがな、僕がこの春から通う高校で、生徒たちはここを『テンガク』と呼んでいるらしい。らしいと非断定的な言い方をしたのは、この呼び名で呼んでいるのがレンだけだったからだ。僕が寝泊まりをする飛想館から30分ほど歩いた所にある。今や無くなってしまった剣道部を始めとして、レンが入っている吹奏楽部や野球部、ダンス部などが全国区の実力を誇り、その他ジャンルを問わず部活動が活発な学校として有名。

 初登校はつつがなく進んだ。淡々と進んだとも言ってもいい。
 初めて入った1−Aの教室。白髪の目立つ妙齢の担任教師に連れられ、僕は教壇へ上った。コツコツと音を立てて教師が黒板にチョークで『月島広斗』と角ばった文字で書いた。漢字が間違っている。正しくは博人だ。僕はあまり気にしないで横目で見送った。そこから見るクラスメイトの顔は入学したばかりだからだろうか、どこかよそよそしく、どこかお互いを牽制し合うような陰気な雰囲気があった。まあそれも仕方無いのかも知れない。1人を除いて。

「ちゃーんーヒーロー!!!」

 一時間目終了、シャーペンを筆箱に入れるよりも早く、教科書のページを閉じるのよりも早く、僕に飛び掛かって来た輩がいた。飛び掛かって来たというか、腕を水平に伸ばして対象の首を狙う、いわゆるプロレス技のラリアット。僕はそれを頭を下げてかわすことで彼女に抗議の念を表明する。

「灯…、朝っぱらから元気だね……」
「うん!みんなのアイドル灯ちゃんは昼夜問わず春夏秋冬!エブリタイムエブリウェア24時間365日お電話一本でいつでも元気だよっ!」
「……」

 低血圧で明瞭としない脳内に灯の声がけたたましく響いた。
 灯は昨日のエプロン姿と打って変わって、まあ当然の如くブレザー姿。チェックのスカートから病的に細い脚が見えていて、少し心配になった。そういやダイエット頑張ったとか言ってたっけ。

「ちゃんヒロって同じクラスだったんだね!びっくらこきました!全然気が付かなったよ!」
「あー……、うん。そうだね」

 僕は適当に受け流した。

「ポチくんと練示っちは二つ向こうのクラスだよっ!つくしんぼとあやめんは特進クラス!」
「つくしんぼって誰?」
「筑紫くんに決まってんじゃん!」
「……」

 お前すげえな!あいつをつくしんぼって呼んでんのか!
 筑紫のファンに八つ裂きにされかねないぞ!

「姫っちょは芸能クラスだよ!」

 ともかく。入学初日から灯のような可愛くないとは口が裂けても言いがたい女子(まあ姫菜には遠く及ばないが)に詰め寄られている僕の姿は否が応でもにでも目立つだろう。事実、周りの名前も知らないクラスメイトからの視線を背中にひしひしと感じる。加えてこの女は中学時代から人と話す時の距離が恐ろしく近いので、あと50キロぐらい離れてから喋って欲しい。

「何か今、ちゃんヒロがめっちゃ失礼なこと考えてた気がするであります……。」
「気のせいだよ」

 勘の良い灯だった。女の勘と言うやつか。侮れない。

「あ、そうそう!」

 灯は閃いたようにポンと手を打つ。

「あやめんからちゃんヒロに伝言があったんだっけ!」
「僕に伝言?」
「うん!」

 顔も知らないような人からの伝言。何だろうか。やはりもしかしたらあやめという人と僕は昔知り合ったことがあるのだろうか。

「『今日の昼休み、図書室の奥の書庫でお待ちしてます』だそうだよ!凄いね!ちゃんヒロってばモテモテだねっ!」
「モテモテって……。っていうか僕あやめっていう人知らないよ」
「えーっ?でもあやめんはちゃんヒロの事知ってたよ?『飛行機事故で入学が遅れた登潟中学出身の血液型A型の月島博人くんに伝えて下さい』って言ってたもん!」
「は?」

 血液型はまずは置いておこう。飛行機事故?
 何でその事を?
 あの事故の被害者とその遺族の名前は伏せられていたはず。

「灯、図書室ってどこにある?」
「B棟の三階の一番奥だよっ!」
「OK」

 行ってみるしかなさそうだ。昼休み、B棟の三階、図書室。脳内に忘れないようにインプットする。何を知っているのか。どこまで知っているのか。何故知っているのか。お前は誰なのか。

「んげ!もう授業始まるじゃん!」

 壁に掛けられた時計を見て灯は驚愕した。両腕を頭上に上げるオーバーリアクション。周りのクラスメイトは既にいってしまったみたいだ。もうこの教室には誰もいなかった。

「ちゃんと図書室に行ってよね!あたしがあやめんに怒られるから!あと次の授業は地学だから移動教室だよっ!」

 言って、灯は自分の机にどたばたと小走りで行って、教科書を胸の前に抱える。そして僕の前まで来て。
「ほら、早く行くよっ!」
「………。」

 僕はカバンから教科書を取り出して、席を立って灯に続いた。
 

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.11 )
日時: 2018/04/16 07:49
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

「あやめっていう人知ってる?」

 昼休み。12時30分。四時限目の数学の授業を終えた僕はC組の教室へと向かった。ポチとレンの所属しているクラスだ。通学する時にレンから「飯食う時はウチのクラスに来いよ!」と言われていたからだ。別に僕としては自分の教室で一人で食べていても良かったんだけど、誘いを受けてしまったからには仕方が無い。一人にさせてくれとは言えないだろうし。ということで寮の前にあるコンビニで買ったパンを片手にC組の教室を開けた。

 A組の教室とはそんなに変わらない雰囲気。ほとんど知らない顔だったけど、見知りがないのは自分のクラスだって同様だ。レンとポチは窓際で一つの机を挟み、向かい合わせて弁当を食べていた。ドアを開けた僕に気付いたレンが「よっ!」と片手を上げた。それに倣って目だけで会釈。ポチも僕に気付いたようで、キラキラと輝いた目で僕を見た。
 知らない人たちからの怪訝そうな目が僕に集まる。視線は暴力と同じだ。あまり見ないで欲しいけど自分たちの教室に見慣れない奴が入ってきたらそれは見るだろう。僕はあまり気に留めないようにしてレンたちが座ってる席まで早足で向かう。規則的に並べられた机の群れの合間を縫って、窓際。

「よおつっきー!……あー、椅子ねえなあ」
「僕は立って食べるから大丈夫だよ」

 僕は答えた。強化ガラスで作られた窓に背を任せる。春の間の抜けた日差しの温もりをブレザー越しで感じる。手に持った菓子パンの袋を破る。コッペパンにジャムを挟んだ安価なものだ。口に運ぶ。

「あー、そうか。で、どうよウチの学校は?」
「そうだね。まだそんなに変わったことはないよ」
「ああそうか」

 とレンはケラケラ笑う。レンの対面で座るポチは唐揚げを頬張っている。それを見て僕ももっとマシなもの食べた方が良かったなとか思った。いくら金の手持ちがないと言っても菓子パン一つじゃ腹が持たないだろう。

「ん?ヒロくん卵焼き欲しいッスか?」

唐揚げを飲み込んだポチは僕の視線を感じたようだ。

「や、いらないよ」
と僕はかぶりを振って断った。そういえば、と僕は思い出す。今日の朝の事。灯が言った事。あやめという人の事。
「ねえポチ、レン。尋ねたいことあるんだけど、いい?」
「え、何ッスか?」
「おう、どうした?」
「あやめって人の事知ってる?」

 おおう、とレンは唸るみたいな声を上げた。対するポチは白飯をガツガツと口へかき込む。

「ふぉくは知んないっひゅね」
「ポチいあれじゃねえか?図書室の亡霊」
「あーあの子ッスね」

ごくりとポチは口の中に入れたご飯を飲み込む。図書室の亡霊、か。確かに灯は『図書室でお待ちしてます』みたいな事言ってた事を思い出す。

「どういう人なの?」
「んー、なんつーかなぁ」

 そこで。がらりと教室のドアが開く音がした。途端に今まで騒がしかった教室がどっと一際沸いた。困惑で満たされた色の歓声に似た声。主に女子の声。
なんだろう、と僕はそのドアの方を見た。僕につられたみたいにポチとレンもそちらを見る。
「あ、ここにいたんだね」とその人は僕たちの方に向かってゆるりと優雅に歩いてくる。周りの羨望の目線もその人が移動するのに合わせて追いかける。

「んげ!白縫筑紫!」
「ん?キミは僕の事を知ってるのかい?」

 その人——白縫筑紫は小首を傾げながら言った。学園内で彼の姿を見るのは初めてだったが、それにしても浮世離れした彼の容姿と醸し出す雰囲気はこの教室の中ではとても異質に見えた。飛びぬけた美貌。まるで鶏の群れの中に紛れ込んでしまった白鳥のようだ。周りの視線を否応なしに集中させる。

「まあいいや。灯ちゃんに聞いたら月島くんはC組の教室にいるって言ってたからここに来たんだけど。……なんだか騒がしいね」
「……僕に何か用?」

 僕はお前のその顔のせいだろ、という言葉を喉元で隠した。今の図式はいきなり他のクラスの教室に入ってきてパンを立ち食いしている謎の野郎と、それに話しかける同じく突然襲来した反則レベルの顔面を持つイケメンという謎の様相だ。

「月島くんに渡したいものがあったんだけど、建て込み中だったら場を改めるよ」
「いや、大丈夫。今渡してもらってもいいよ」

 筑紫の事を知らないらしく首を少し傾げるポチと、筑紫を恨みがましい目で見るレン。そういえば昨日レンが告白した女が筑紫の事を好きだと言って振られたとか言ってたな。

「じゃあ良かった」

言って筑紫はブレザーのポケットから四つ折りにされた紙を取り出した。「はいこれあやめちゃんから」と言って僕に差し出す。

「ん?」

 開く。A4で何か文字が印刷された白い紙。よく見れば、というかよく見なくとも分かる。

「入部届だよねこれ」
「うん。そうみたいだね」
 筑紫も納得がいってないような顔で頷いた。ご丁寧にその紙には僕の名前がかなり達筆な字で書かれていた。『私は〇〇に入部します』の空欄に勝手に『剣道同好会』と書いてある。流石に僕の印鑑は押されてなかったけど。

「——正直あやめちゃんのやり方はあまり好ましくはないんだけどね。……彼女はどうしても月島くんを僕たちの部に入れたいみたいだ」
「……」

 そこまであやめ、という人が僕に固執する理由も分からなかった。灯が言うにはその人は中学時代は剣道をしてなかったようで、いくら僕が全国大会に出場した元選手だとしても僕をそこまで剣道同好会に入れようとする理由が分からない。
そして、どうして僕が両親を飛行機事故で失ったことを知ってるのか。

「確かにこれ、渡したからね。じゃあ僕は行くよ」

 にこりと筑紫は笑みを浮かべて言う。この世のものとは思えないほどの蠱惑的な微笑だ。

「——そういえばあやめちゃんが言ってたよ。『気が変わった。今日は図書室には来なくていいから印鑑を捺印してから担任に提出してくれ』ってさ」
「……まだ僕は同好会に入るって決めた訳じゃないんだけど」
「あはは」

 明らかにごまかすために笑った筑紫。笑ってんじゃねえ。
 じゃ失礼するよ、と筑紫はくるりと踵を返して教室の出口へ向かって歩いて行った。彼が動くのに従って教室中の目線が追いかける。やがて扉を開けて、軽く会釈をして筑紫は去っていった。

「……いきなり何だったんだ?あのイケメン野郎」

 筑紫が出て行ったのを見計らったようにレンが口を開く。未だに不愉快そうに敵意を込めた目でドアの方を見ている。そんなに嫌いなのか。

「ちょっとよく分かんなかったね……、で、話を戻したいんだけど。図書室の亡霊って何?」
「文字通り図書室にいつもいる生徒って事ッス」

 ポチはすっかり空になった弁当の容器をビニール袋の中に入れながら言う。

「いつもいるんスけど、なんかめちゃめちゃ話しかけにくい雰囲気の子ッス。分厚くて難しそうな本読んで、誰が何て話しかけても無視するから図書室の亡霊って言われてるッスよ」
「どんな顔の人なの?」
「スラっとした美人さんでポニーテールで、眼鏡かけてる」
 眼鏡?ポニーテール?
「めちゃくちゃ目つきは鋭いんスよね」
 目つきが悪い?
——ともみ、と言う女の子を知っていますか——

「その人僕見た事ある気がする」
 僕は昨日、天照学園の入り口で話しかけられた女の子を思い出した。キリキリと張り詰めたピアノ線の様な女の子。眼鏡越しの抉るように鋭い眼光。あの子が落とした紫の花が描かれた栞は僕の私服のポケットに入ったままだった。ふうん、とレンはよく分からないような相槌を打った。彼もあやめの事について上手く知らないようだ。ポチも同様。

「ちょっと行ってくるよ」

 言って、僕は残った菓子パンを全て口の中に入れた。イチゴジャムのしつこい甘み。飲み物を一切飲まないで食べていたため、口腔がぱさぱさと乾いていた。パンが入っていた袋をぐちゃぐちゃに丸めてズボンのポケットの中に入れる。

「どこに行くんスか?」

 そんなの決まってるだろ。

「図書室に、あやめっていう女の子に会いに行ってくる」



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