複雑・ファジー小説

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才能売り〜Is it realy RIGHT choise?
日時: 2018/08/25 11:30
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

 あなたは今、満ち足りていない。あなたは今、心のどこかに「欠け」を持っている。
 そんな中で、もしも、もしも、その「欠け」をあなたの才能と引き換えに補うことができるのならば。
——あなたは「欠け」を補う代償として、一体何を差し出しますか?

 「才能屋」と呼ばれる店と、そこを訪れる人々の、「才能」をめぐる物語。

  ◆

Contents
 Case1 夢喪失ワーカホリック >>1-2
 Case2 「美しい」の裏に待つものは >>3-6(※若干のR要素あり)
 Case3 七夕綺譚——やさしきいのちのものがたり >>7-13
 Case4 あと一歩の勇気 >>14-16
 Case5 Perfect Virtue >>17-

 才能売り オーバーチュア >>

  ◆

*タイトルの字数制限によりあえてスペルミスします。
 本当は「Is it really RIGHT choise?」ですからね!

 更新は不定期です。ストック尽きたら一気に遅くなる……。
 というかCase5以降話が浮かばないので、Case5の更新終わったらペースが下がります。その前にまた一話書ければ別ですが。

*****

あてんしょん!

 私は中身のないコメントなんて要りませんよ?
 コメントは大歓迎です。ただし「小説面白かった」だけはやめてください。面白かったのならばどこがどう面白かったのかしっかり教えてください。でなければ迷惑です。全然嬉しくありません。
 あと、「Case」の途中のコメントはお控え願います。話の途中でコメントがあるって、読みにくくありませんか?

Re: 才能売り ( No.5 )
日時: 2018/08/03 07:42
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

  ◇

「武藤先輩! あたしと付き合って下さい!」
「いいよ。……安藤、変わったな」
「でしょー? でしょでしょ?」
 武藤先輩への告白は、あっさり通ってしまった。あまりにもあっさりすぎて、あたしは拍子抜けしてしまった。
 あれから。パパとママにも「一体どうしたんだ」と心配され、学校に来たらクラス中から仰天されたあたし。そりゃあそうだろう、ブスブスと蔑んでいた女子がいきなり、白雪姫顔負けの絶世の美少女になっちゃったんだから、驚いて当然だろう。
 それからの高校生活は驚くほどあっさり進んだ。あたしは武藤先輩とラブラブだし、誰もがうらやむ超絶美少女。気がつけばきらっちもまゆこもほのかもあたしに近づかなくなっちゃったけど、というかあたしは女子たちから嫌われ者になっちゃったけど、それでも恋愛模様だけは最高だった。
 料理ができなくなったのは、あたしが家でカレーを作るのを任されたときにしっかりとわかった。作り方はわかるのに味は最悪。なんだこれ、ニンゲンノタベモノジャナイデス。家族も「本当にどうしたんだ」とあたしを心配してくれたけれどこれだけは、才能屋のことだけは言わないってあたしは決めてる。言ったらみんなを悲しませるだけじゃん。ママが産んだ顔が気に入らなかったからって才能屋で絶世の美貌を手に入れて代わりに料理ができなくなったなんて言えるわけがない。だからあの日のことはあたしときらっちだけの秘密になった。きらっちも特に自分からそのことを明かそうとはしなかった。
 こうして時は流れて、
 いつしかあたしたちは大人になっていた。
 あたしと武藤先輩の恋愛はずっとずっと健在で、同じ大学、同じ学部に行って同じように日々を過ごした。武藤先輩は……いいや、この際はかずくんって呼んじゃえ! 武藤かずくんはあたしが料理できないことにがっかりしているのを励ましてくれた。あたしはそれがとっても嬉しかった。違和感は、消えない。それでも、才能屋に行って良かったなぁって心から思った。
 そしてさらに時は流れて。
「美波、結婚してくれ」
 かずくんがある日、そんなことを言ったんだ。
「俺はお前が好きだよ、美波。だから、この思いをより確かにするために結婚してくれ、美波」
 それを聞いた時、嬉しくて嬉しくて、あたしはものを言うことができなかった。それを勘違いしたのかかずくんはあわてた口調でまくし立てた。
「いや、結婚はまだ早いとかそういうこと言わないでくれよ。俺はお前が好きな言うだ。俺はお前を絶対に幸せにするから頼むからお願いだから俺と——」
「いーよ」
 あたしはそんなかずくんに、明るく笑ってそう答えた。
「結婚しよ、かずくん。そして子供作ってさぁ、二人で家庭を作ろーよ」
 でも、何でなのかな。どうしようもなく泣けてきたんだ。
「美波……? どうしたんだ、どこか痛いのか?」
「違うよ、違うもん。これは嬉し涙なんだよぅ」 
 心配げなかずくんに、あたしはそう笑って答えた。でも本当は、心が痛かった。痛くて痛くてたまらなかった。
 そうだよ、あたしはずるい女だ。才能屋っていう目に見える奇跡に頼って、自分を磨く努力も大してしないで「あたしはブスだ、みじめだ」って自己憐憫に浸って、その挙句にはかずくんに恋するたくさんの女の子たちを蹴落としてあたしがかずくんの心を射止めた。
 努力もしないで、奇跡に頼って。
 それがわかっているから、いざこういった瞬間になってみると、嬉しいけれど同じくらいの罪悪感が湧きあがってきて心が痛い。
 あたしは、思ってしまった。
 これは偽りの愛だ。誰かを蹴落として、本当の自分じゃない自分でしている偽りの愛だ。
 あたしはかずくんとの恋人時代、確かに幸せだったけれど、心の底には罪悪感がしこりとなって残っていて、心から幸せだったとは言えなかった。
 そして今、あたしはかずくんと結婚する。心のしこりはますます大きくなるのだろうか。
 あたしはそれが怖かったけれど、せっかくここまで行きついたんだし結婚してしまえという声が、あたしの中でささやいた。それと罪悪感があたしの中で喧嘩して、あたしは思ってしまった。
——もう、どーでもいいや。
 なるようになってしまえ。
 今が幸せな瞬間ならば、その幸せを精一杯楽しんでしまおう。
 だからあたしは、泣き笑いのような表情を浮かべてかずくんに言った。
「書類、取りに役所まで行こう」
 その言葉を聞いて、かずくんはすっごく嬉しそうな顔をした。
 そうだよ、これは偽りの愛だよ、本当の愛じゃないかもしれない。
 でもね、それでもね、これはあたしの選んだ道、正しい選択だって思ってる道だから。
 目いっぱい楽しむよ。それの何が悪いの?
 あたしはそう、自分を正当化した。

Re: 才能売り ( No.6 )
日時: 2018/08/05 10:10
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

  ◇

 でもね、幸せな結婚生活は長くは続かなかったんだ。
 あたしの美貌はいつになっても衰えない。だからかずくんはあたしの浮気を疑い始めた。あたしが着飾って出かけるたびに、敵意に満ちた視線をあたしに向けるようになった。
 結婚したら、現れた本性。それでもあたしはまだ幸せだった。
 あんなことが起こるまでは。
「こんな不味い飯なんて食えるか」
 ぶちまけられたあたしのカレー。
 かずくんが疲れただろうからって、せっかく気合入れて作ったのに。
 料理のできないあたしはいつも、かずくんにおいしいものを提供するためにスーパーのお惣菜を買っていた。そのせいで家計はいつだって火の車。食費の占める割合がハンパないのだ。そのせいでかずくんは趣味の魚釣りを止めて、ひたすら働かなくてはならなくなった。あたしは専業主婦をやっていた。掃除も裁縫も立派にこなせる奥さんだよ。それでも料理だけはどう足掻いてもできなかった。それは致命的な欠点だった。
 ぶちまけられたカレー。あたしは呆然と床に座り込んだままかずくんを見た。
「前言撤回だ、顔だけで中身のない女。俺は顔の綺麗な女の子が好きだが、料理ができなければ話にならない」
 いつかは「料理ができなくても、それでもお前が好きだ」って、言ってくれたのに。
 あたしは間違ったのかな。あの時「料理」を対価にしなければ良かったのかな。
 でもね、あの時のあたしにはそれしか誇れるものがなかったんだよ! 仕方ないじゃん! あたしは心の中で叫んで、かずくんを睨みつけた。
「何だその目は」
 かずくんの声は絶対零度の響きを帯びていた。
「何だと聞いている! 答えろこのクソ女!」
 かずくんは座り込むあたしを蹴とばした。あたしは蹴とばされた姿勢のまま動かなかった。——動けなかった。
 わかったのはこの瞬間、何かが決定的に終わったのだという妙な確信。
 あたしの不味い手料理かスーパーの惣菜、もしくはレストランの食事ばかり食べさせられていたかずくんの食生活は決して良いものだとは言えない。たまりにたまったうっぷんが爆発しただけだ、それだけなんだよ、今日は。
 あたしは何も喋らない。服にカレーをくっつけて座り込んで、ただ無言でかずくんを見上げるだけ。そんなあたしをを見てかずくんはさらに手をあげようとしたけれど、寸前で思いとどまって、やめた。
 かずくんは、絶対零度の声で言うのだ。
「お前とは離婚するよ、美波」
 子供もいるのに。
「子供は俺が引き取る。お前の飯を食っていたら理香は死んでしまうからな」
 それは訣別の、言葉。
 あたしたちの子の理香は子供部屋で眠っているから、この騒ぎは聞こえない。
 かずくんは、あたしの好きなかずくんは、あこがれの武藤先輩は、言うのだ。
「さようなら」

  ◇

 かずくん——いや、武藤さんと離婚したあたしは、堕ちた。武藤さんと離婚したあたしは新しく職業を探すことにした。でもね、これまで専業主婦をやっていたあたし、会社員なんてやったことのないあたしに今更職業なんて得られるわけがないよね? 貧困にあえいだあたし、それでもあたしの美貌は健在だったから——あたしは水商売で身体を売ることになった。
 恋も家庭も失って、結局は与えられた美貌しか残らなかったあたし。そんなあたしができることは限られているんだ。
 だから今日もあたしは、好きでもない男とその身を交わらせて喘ぎながらも、生きていくための糧を得る。水商売を続けていくうちに、どうしたら男が喜ぶのかわかるようになった。それでも料理は相変わらずだ。惨めだった、あたしは最高に惨めだった。
 あの日あの時あたしのした選択は、間違いだったの?
 かずくんとの毎日を、幸せだった数年間を、思い返す。
 才能屋さん、教えてよ、才能屋さん。
 あたしは身の丈に合わないものを、望んではいけなかったの?
 あたしは甘い声をあげて喘いだ。あたしの目の前には男の顔、知らない男の、野獣のように醜い顔。そんな男に犯されて、あたしは惨めに啼くんだ。
——これが美貌を望んだあたしの、末路。
 そして甘い時間は終わる。得られたお金はかなりのものだ。純潔はかずくんとの生活で捨て去ったけれど、この世界で生きるにはプライドだって捨てなければならない。あたしは衣服を元通り着ると、最高に妖艶な仕草で男に礼をした。
 これが、あたしの、末路。
 あたしは人生を間違えたんだね。あたしは自分の選択によって狂わされたんだね。
 ねぇ、見てよ才能屋さん、これがあたしの末路だよ!
 可笑しいでしょう? きっと「悪魔」は戸賀谷の町で、あたしを笑っていることだろう。
 悪魔は本当に、悪魔だったんだね……。

〈Case2 「美しい」の裏に待つものは 完〉

Re: 才能売り ( No.7 )
日時: 2018/08/07 10:17
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈Case3 七夕綺譚——やさしきいのちのものがたり〉——高梨裕理

 私には叶えたい願いがある。でもそれは私では叶えられない。私には今現在、力がないし、大人たちだって叶えられない。それだけ難しい願いがある。
 でも、でもだよ、もしも。もしもこの命を対価に、願いを叶えられたのならば。
——私はこの命なんて要らないって、そう、思ったんだ。

  ◇

 才能屋。その話を最初に聞いた時、私は夢かと思った。
 そこでは才能が取引の材料にされるという。しかし才能以外も取引の材料として選べるという。
——等価交換。
 ならばそこには、私の願いを叶える鍵がある。私が申し出る交換は命と命、ほら、等価でしょう?
 私の住んでいる町は戸賀谷。これまでその話を聞くまで、私はそんな店が自分の町にあるなんて知らなかった。地元ではあまり有名ではないのに、外部の人間からすると才能屋は「実在する都市伝説」として結構有名らしい。私にその話を教えてくれた大学医学部のクラスメートも、外部からの転校生だった。新しい環境に慣れぬ彼女に、私が積極的に話しかけたから彼女と私はすぐに仲良くなった。だから私は「委員長」って呼ばれるんだな。真面目だし、優しいし、困っている人を放っておけないし。
「裕ちゃん、知ってる?」
 最初はその一言からだった。転校生——南野愛華は、何げない調子で私にそう訊ねてきたのだ。私は「何?」と愛華に返す。すると彼女はこんな話を持ってきた。
「才能屋さんの、話。この町、戸賀谷にあるんだよ。えっ、もしかして知らないの? 自分の町のことなのに、ちょっと意外だなぁ」
 愛華は明るい子だった。転校して来た当初は緊張していたみたいだが、今こうして見ると彼女の明るさ、溌剌はつらつさに、私の心まで温かくなる。愛華は明るい太陽のような女の子だった。
 そんな愛華は、みんなに愛される温かい華は、言うのだ。
「じゃ、説明してあげるね。ちなみに愛華は利用したことないよ。愛華、そこまでの願いなんてないし、代わりに差し出すものも持ってないんだからぁ」
 そして愛華は明るい声で、弾むように話してくれたのだ。戸賀谷の駅から歩いて十分ほど、木製の落ち着いた店のことを。そこの店主は自称「悪魔」で、訪れた人の願いを叶え、代わりに訪れた人の持つものの中から、願ったものと同じ程度のものを対価としてその人の中から奪っていく。才能屋、と銘打ってはいるが、実際才能以外のものを交換した客もいたらしい。その仕組みはどうであれ、等価交換なのだ、等価交換。……わたしは現実主義者である。そんな眉唾ものの話、信じたくはないけれど。あまりに現実味のあるその話を、いつしか私は本気で信じ始めていた。
 その話を聞いた時から、才能屋、等価交換の二つの言葉が私の頭の中から離れなくなった。私には叶えたい願いがあった。だから医学部に進んだけれど、自分で叶えてやりたいというプライドもあった。まだあの子には時間があったし、だから私は才能屋を想い焦がれつつも、医学部での勉強にひたすら励んだ。
 高梨裕斗。私の救いたい子の名前。彼は私、裕理の弟だ。生まれつき病弱でろくに学校に行ったこともないけれど、「将来は物語作家になりたい」という夢を持つ子。私は彼を救いたいから医学部に行った。いつかその病気が治るように、私の手で治せるように。私は彼のために自分の人生をささげたと言っても過言ではないから裕斗はそのことを悩んでいるようだったけれど、これが私の選んだ道なんだ、気にしなくていいのに、優しいあの子は気にしてしまう。私はそんな裕斗が愛おしくてたまらなかった。だから勉強を頑張れるんだ。
 愛華にも事情は話した。あの子が元気なときに、あの子の病室に連れていったこともあった。あの子は年がら年中ノートにお話を書いていて、私はそれを読むのが楽しみだった。身内贔屓と言われても構わない、あの子は文才があるよ、絶対。
 愛華はその辺りの事情をよく知っている。だから私にその話をした後、軽く釘を刺すように言った。
「裕ちゃん、裕斗くんのことがあるからって、早まって才能屋に駆け込むことはやめてね? 才能屋さんに頼っても、必ずいい結果につながるとは限らないんだから」
 そんな愛華にもちろん、と私は答えた。
「才能屋とやらに頼るよりもまず、私は私の手で裕斗の病気を治したい。才能屋に頼るのは最終手段だってば。安心していいよ?」
「愛華はあくまでもゴシップの一つとして話しただけだから」
「わかったってば」
 心配げな愛華にそう答えて、私はちらりと時計に目をやった。あ、まずい、授業が始まっちゃう。
「これから五限の授業が始まるから私は行くね。愛華は六限だっけ? じゃあ放課後また会おうよ。じゃあね」
 そして私は教科書やら何やらを持って教室へ急ぐ。根を詰めすぎないでねと、愛華の声が追いかけた。

Re: 才能売り ( No.8 )
日時: 2018/08/09 11:06
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


  ◇

 知ってるよ、現実は甘くなんかないんだって。現実というのはいつもほろ苦く、酸っぱく、辛味があって、しょっぱい。現実というのはそういうものだ。白馬の王子様なんていないしネバーランドなんて存在しない。そんなものを信じていられたのは、私が現実というものを知らなかった、幼く無垢で無邪気だった遠い日々だけ。
 放課後、愛華と話しながらの帰り道。私の携帯に着信が来た。そこに記されていたのはあの子の病院の番号。私は嫌な予感がした。私の全身から冷や汗が流れおちた。
「愛華、ちょっと待って」
 私は愛華にそう言うと、物陰に行ってスマホのボタンを押した。手が震えた。私は何かが怖かった。
「戸賀谷総合病院です。高梨裕理さんで間違いないですか?」
「はい、高梨裕理です!」
「そうですか。裕斗くんのことで非常に残念なお知らせがあります」
「えっ……?」
 嫌な予感。それは現実味を伴って、今私の目の前に迫り、
「裕斗くんの余命が、明らかになりました」
 私の肩をつかみ、
「容態が悪化しまして、彼の命は持ってこの夏の終わりまでだということがわかりました」
——私の顔を覗き込んだ。
 容態の悪化。余命。この夏の終わりまで。
 どうして、どうしてあの子が。元気に夢を語っていたあの子が!
 まだ時間はあると、私が医学を成功させるまでの時間はあるとどこかで期待し、実際そうなると思っていたのに。
 時間なんて、あの子にはなかったんだ。
「裕斗!」
 私は真っ青な顔で駆けだした。「裕ちゃん、どうしたの!?」と愛華が追いかけてきたが、私には愛華のことなんて気にする余裕がなかった。病院まで、大学から歩いて三十分。私はその距離を一気に走りぬけようとして、途中で石に蹴躓けつまづいて転んだ。膝から血が流れるが気にせずすぐに起き上がって走る。裕斗、裕斗、裕斗! 私の頭はあの子のことでいっぱいになり、それ以外は何も考えられなくなった。そんな私の腕を愛華がつかむ。私はそれを振りほどこうと躍起になった。
「愛華、離して! 離しなさいよ! 離せ!」
 髪を振りみだし鬼のような形相で叫ぶ私に愛華は言う。
「落ち着いてよ裕ちゃん! ほら、膝、怪我してるし!」
「落ち着けるか、あの子の容態が急変したんだ! この夏の終わりまでしか……持たない、って……」
 私はくずおれた。
 どうして、どうしてあの子が。あんなに楽しそうに夢を語っていたあの子が!
 感じたのは悲しみと、運命というものに対する為すすべのない怒り。
 涙が、溢れた。私は大声をあげて大地に拳を打ちつけた。何度も、何度も。手の皮が破れて血が飛び散ったが、それでも私は大地を打つのをやめなかった。道行く人の奇異の視線なんて気にしない。溢れ返る感情、様々な思い。そうでもしないと、自分が壊れてしまうように思えたから。
 やがて私の思いが鎮まり、私は大きく荒く息をついた。膝も手も血まみれだった。それに気がつき、ようやく激しい痛みを感じだした私に、愛華がそっとハンカチを差し出した。赤い花柄のハンカチ。まるで愛華の明るく優しい心みたいな。
 傷は四か所、もちろんそれだけで私の傷を何とかできるとは思わないけれど、気持ちは嬉しかったから私はそれを受け取った。愛華は言う。
「近くに公園があったからそこで応急処置をしよう? 病院に行くのならそこでしっかりとした処置を受ければいいけれど、最低限傷口は綺麗にしないと化膿しちゃう」
 愛華は優しかった。裕斗の話を聞いて取り乱した私を、恐れずにしっかりと支えてくれて。
 どうしてだろう、私の目からまた涙があふれた。私はそれを血まみれの手で、愛華からもらったハンカチで乱暴にぬぐった。

Re: 才能売り ( No.9 )
日時: 2018/08/12 09:59
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

  ◇

「落ち着いた?」
「……うん」
 愛華の優しい声に、私はこくりと頷いた。私の傷は愛華が丁寧に洗い流してくれて血止めまでしてくれて、初めての応急処置にしては相当綺麗なものだと私は思った。
 私は思わず呟いた。
「愛華は、優しいんだね」
 当然でしょ? と愛華は笑う。
「優しいのは裕ちゃんでしょ。何も知らない愛華に真っ先に声を掛けてくれた。だから愛華と裕ちゃんは友達! で、困っている友達を助けるのは当たり前のことじゃなぁい?」
「……私は、いい友人を持った」
「何を今更。水臭いよ裕ちゃん」
 愛華は、笑う。その目に友へのいたわりを込めて。私はそれが嬉しかった。
「病院までは遠いし、裕ちゃん、ひざ怪我してるでしょ? だからタクシー呼ぼっか。運賃は愛華持ち、ただし貸しにしとくからいつか必ず返すこと!」
 明るくそんなことを言って、愛華はスマホからタクシー会社に連絡して、タクシーを呼び出した。私はぼうっとしたまま、その様を眺めていた。
 しばらくして、タクシーが来た。愛華は運転手さんに「戸賀谷総合病院まで」と行き先を告げると、「行こ行こ」と私の腕を引っ張って一緒にタクシーに乗ってくれた。運転手さんは血まみれの服を着た私の方をちらりと見たが、何も言わずにそのまま車を発進させた。車内には心地よい音楽がゆうらりと流れていた。
 それからどれくらい経っただろう、私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。愛華の声に私は起きて、夢うつつのままタクシーを降りた。目の前には「戸賀谷総合病院」の文字。そこに至って私は、ようやく現実に戻った。
「裕斗……」
 呟いて、幽鬼のように踏み出した足取り。お金の清算を終えた愛華が追い付いてきて私の手を取り、病院の受付まで二人して歩いた。
「高梨裕理です……」
 受付で名乗ると、私はカードを渡されて病室までたどり着いた。病室には高梨裕斗、と達筆な字が書かれている。きっと裕斗自身が書いたのだろう。あの子は字が上手いから。
 今、そこのドアのプレートに「面会謝絶」の文字はない。少し容態が安定したようだ。私はそれに安心し、「裕斗、私。入るよ」とドアを軽くノックして中に入った。
 白い病室。中には真っ白な病院着を着た、真っ白で病的な肌の裕斗がいた。華奢な、今にも折れそうな細い体格に繊細な線。彼は何度も苦しそうに咳をすると、私たちの方に顔を向けてかすれた声で言葉を放った。
「姉さん……そして、愛華さん……? いらっしゃい……」
 裕斗のベッドの近くにはノートが広げられており、その傍にはシャーペンが投げ出されていた。
 その姿を見ているといたたまれなくなって、私は思わず裕斗を抱き締めた。抱き締めたその細い身体には薬の臭いが染みついていて、それがとても病的だった。
「……姉さん、苦しい」
 裕斗の声に、私ははっとなる。私は慌てて手を離し、リノリウムの床に膝をついて裕斗の顔を覗き込んだ。裕斗も私も何も言わない。しばらく無言の時間が続いた。
 やがて裕斗は口にする。
「姉さん、僕の命はもう、長くはないんだ」
 それは、
「だから、お願いが、ある」
 裕斗の、
「姉さん、僕が死んでも、泣かないで、幸せに生きて」
 ささやかな願い。
「僕は生まれつき長くは生きられない身体だったのさ。でもね、それに健康な姉さんまで付き合う必要はないんだよ。医者になりたいんでしょ? なら、なりなよ、なっちゃいな、よ……」
 言いながら、裕斗はまた咳をした。私はその背をさすってやった。抱き寄せた裕斗の身体が小刻みに震えている。本当は裕斗も死が怖いのだ。それでも、私に心配をかけないために、無理して、笑って。
 でも、裕斗は間違ってる。私が医者になりたかったのは、全て裕斗のためなんだから。裕斗が死んだら意味がない。裕斗が死んだらきっと、私は医者になる夢を諦めるだろう。あの子を救えなかった、そんな後悔を胸に抱いたまま。
 だから私は裕斗に言った。
「ごめん、裕斗。私はきっと、お前が死んだら夢を捨てるよ。だって『医者になりたい』って夢も、お前あってこその夢だもの。裕斗が死んだら、私はきっと」
「……ごめん、姉さん」
「どうして裕斗が謝るの? 裕斗は何も悪くないよ! 裕斗に謝られたら、私は立つ瀬がなくなる!」
「ごめん」
「…………」
 私は何も言えなかった。裕斗も裕斗なりに罪悪感を感じているのだろう。
 それでも、一つだけ、わかりきった事実。
 裕斗の命はもう、長くない。この子がいくら「物語作家になりたい」と夢を語っても、それは永遠に夢のまま、叶うはずのない願いに変貌してしまった。
——余命を、告げられたから。
 私はこの時ほど医者を憎いと感じたことはないだろう。医者が余命宣告しなければ、まだ希望が持てたのに。それと同時に、私は医者に感謝していた。何も知らずに不意に逝くより、「残りわずか」と知っていれば、覚悟ができる。私は医者を憎めばいいのか、それとも感謝すればいいのか? 私の心は複雑だった。
 それから、しばらく。
「姉さん、怪我してる」
 目ざとく裕斗が私の怪我に気づいた。
「僕のせい、なのかな。だとしたらごめんね。姉さんが夢を叶えられないっていうのなら、僕は違うことを願うよ。姉さん、僕が死んだら僕のことは忘れて自分の人生を生きてよ。僕のせいでこれまで自分に回せなかった時間を、まだ沢山ある姉さんの時間を、自分のために使ってよ。もう僕はいいよ。僕はもう、死ぬんだから……」
 その透徹した黒の瞳には、死への恐怖と一種の覚悟みたいなものがせめぎ合っている。その葛藤は裕斗だけのものだから私が何とかしてやることもできない。
 裕斗は、私に言うのだ。
「僕のことは、忘れて」
 そんなこと、できるものか。
 私はそう思ったけれど、これ以上裕斗を悲しませたくなかったからそれを口にすることはなかった。
 裕斗と、私。互いのことを互いに気遣っているがために、すれ違う思い。互いにとっての一番の幸せは、どちらも相手が幸せになること。でもこの状況が、そのどちらからも幸せを奪う。
 私は思わず天を仰いだ。神様なんて存在しないけれど、もしも存在するのならば、私は神様とやらに文句を言いたい。

——神様、神様。
 あなたはどうして、私たちにこんな不幸を背負わせたのですか——?

  ◇

 面会時間も終わり、私は無言で家へと戻る。手当ては受けなかった。あの子を差し置いて、受けるつもりもなかった。その背を無言で愛華が追いかける。お互い何も言わなかった。お互い何も言えなかった。ただ冷たい死の予感が私と私に関わる者全てを包み込み離さない。私が嗅いだ外の空気は、死の匂いがした。
 やがて、家の前に着く。愛華の家は私の家とは逆方向にある。わざわざ付き合ってくれたのかと私は気付き、愛華に謝った。
「ごめん、色々付き合わせちゃったみたいで。ハンカチは洗って返すから」
 気にしなくていーよと愛華は笑う。
「言ったでしょ? 困っている友達を助けるのは当たり前のことだって」
 その優しさが身にしみた。
「……ありがとう」
「いいって、いいって。それより裕ちゃん、これから大変だと思うけれど頑張ってね? 何かあったらいつでも愛華を呼ぶんだよ? 番号は入っているよね!」
「何から何まで、ごめん」
「そんなに謝られると、愛華、立つ瀬がなくなっちゃうってば」
 愛華は有無を言わせない口調で、それじゃまたと私に言って、私の謝罪を受け付けないで颯爽と去って行った。
 愛華も、裕斗とはそれなりに話していた。愛華も悲しいはずなのに、私の前では決して悲しみを見せようとはしない。その優しさが、身にしみた。身にしみて、心にみて、どこか痛く、悲しかった。
 そして私は家へと帰る。
 帰った先では父さんと母さんがいて、何も言わずに私を抱き締めてくれた。
 両親の胸で、両親の温かい胸で、私は少し泣いた。


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