複雑・ファジー小説
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- ムーンタワー
- 日時: 2018/10/02 21:51
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
嗚呼、私のムーンタワー。どうか、私たちの罪を照らさないで。
- Re: ムーンタワー ( No.7 )
- 日時: 2018/09/25 21:10
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: 3HmQHlXg)
今日も、新しいメールはない。恒例になってしまったため息をついて、僕は階段を下り、顔を洗った。
さっぱりとした顔でリビングに行くと母はおらず、黄色いお皿に注がれたシチューと、500円玉だけがテーブルに置かれていた。
シチューは冷めきっていて、母は朝早くから病院に出かけたことを察した。昨日病室に行った感じだと、姉の命は風前の灯のようなものだろう。母は僕と違ってまともな人だから、娘の最期を看取りたいと強く願っているのに違いない。僕?僕は……誰かが死ぬのを見るのが嫌い。それだけだ。
死はうつくしい。そしてそれ以上に、おそろしい。生きている限り必ず訪れるそれは、いつだって誰かを苦しめる。僕は頭蓋骨を見ても平気だった人間だけれど、死んだ人が愛していた誰かだったとき、耐えられない。
駄菓子屋のお婆ちゃんのお葬式に行ったとき、僕は泣いた。この間まで元気に笑っていて、僕に美味しい梅干しのおにぎりを渡してくれていたお婆ちゃん。口元に人差し指を当てて、僕に駄菓子を手渡してくれたお婆ちゃん。死の気配なんて、どこにもなかったお婆ちゃん。神さまはいじわるで、最低だ。自分には全く関係の無い、虫やら動物やらの死体を撮影している、僕も。
遺影の前で静かに泣いていた僕を、母は気味悪そうに見ていた。僕の中では、お婆ちゃんの死と虫の死とでは大きな違いがある、なんてことはわからないみたいだった。母と僕の関係は、とっくの昔に修復不可能なところまで来ていたことに、改めて気づかされる。
僕は、あの日撮ったムーンタワーと頭蓋骨、そして青いベンチを写した写真をプリントしていない。あれが、一橋 魚美だったからだ。僕は彼女のことは好きではなかったけれど、やっぱり知っている人の死体を保存するのはいい気分じゃなくて、結局あの写真ごと削除した。
シチューにラップをかけ直してレンジに突っ込むと、トースターに食パンを放り込んだ。こんな夏の暑いときにどうなんだと思うけれど、パンにシチューをつけて食べようと思ったのだ。
テーブルの上に一緒に置かれていた500円玉は昼食代だ。僕があの日ファミレスで夕食を済ませてから、こういうことが多くなった。
姉がまだ生きている今、母は僕を育てる最低限の義務は果たしてくれているけれど、姉が死んだらどうなるのだろうか。間違いなく、母の心は死んでしまうだろう。そして僕に対しての、最後の良心も。
「こんなの無理ゲーじゃん」
チン、と音がして、シチューが温まったことを知らせる。パンが焼き上がるのを待っている間、僕はケータイを見ていた。時代に取り残されたガラケーで、ヒトミとのメールのやり取りを遡ってゆく。
「そういえば、これも6年前からだ」
ヒトミからの最後のメールの日付を見て、僕は呟いた。
小学生の頃、写真の保存の仕方なんかは知らなかったけれど、姉のパソコンを借りてよく自殺サイトを見ていた。基本は眺めているだけだったけれど、時々僕も書き込んでみたりして、色々な理由から自殺をしようとする人たちと話した。僕の方は死ぬ気なんてさらさらなかったので、自殺のお誘いをかけられたら、適当に躱していた。
ヒトミはその掲示板で仲良くなった女の子で、チャットを通してメールアドレスも交換した。それからはずっとメールのやり取りだった。
ヒトミは父親から暴力を受けていた。
そのため、死にたい、死にたい、と何度も繰り返すヒトミが、とある男性と出会うことで生きる活力を取り戻してゆく姿を、僕は陰ながら応援していたのだ。そして、『父親のとこから逃げて、彼のところへ行きます』というメールを最後に、彼女からの連絡は途絶えた。
そのまま幸せになって僕のことなんて忘れてしまったのかな、なんて思っていたけれど、どうもそうではないような気がしてきた。
人魚が消えたのは6年前。姉が病気になったのも6年前。花依さんがここに来なくなったのも6年前。ヒトミからのメールが来なくなったのも6年前。
「6年前に一体何があったっていうんだ?」
チン、という音がして、僕は肩をびくりと震わせる。急いでトースターの中を覗くと、いつもより高い温度で焼いてしまったようで、パンは黒焦げになってしまっていた。
- Re: ムーンタワー ( No.8 )
- 日時: 2018/09/21 17:01
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: BHIQ5udb)
予想通り、公園の一角はテレビでよく見るような青いブルーシートで封鎖されていた。見張り番の警察官が見当たらないので、僕は堂々とシャッターを切る。レアショットだ。
数日ぶりにベンチに座り、水筒のお茶を飲もうとしたとき、ブルーシートの前に佇む人影に気づいた。
それは男だった。30代くらいで、何故か白衣を着ている。その横顔には見覚えがあり、首を傾げた。ここ数年くらい、あんなオジサンと触れ合った機会がないんだけれどな、僕。
僕が彼に気づいたのと同時に、彼もこちらを認識したらしい。僕に目線を寄越すと、ほんの少し目を見開いて……げっ。こちらへ歩いてくる。精悍な顔立ちには、やはり見覚えがあった。
「……えっと、どうも」
とりあえず、無難に挨拶をしておく。もしかしたら、ご近所さんだったのかもしれない。姉みたいにいい子な人間ではないけれど、挨拶ぐらいはしておかなければ、僕の評判はさらに地に落ちてしまう。
「どうも。君は……この間、母の葬儀に来てくれた子だね」
「……ああ」
その言葉で、僕は彼が誰なのか思い出した。駄菓子屋のお婆ちゃんのお葬式のときに、喪主を務めていた人だ。
「この度は、ご愁傷様でした」
「いやいや……」
困ったように首を振る彼に、そういえば僕も、この言葉を言われまくる日が来るのだろうな、と思った。ご愁傷様、だなんて。聞き飽きて聞き飽きて、タコになってしまいそうだ。
「あなたは、どうしてここへ?」
「いや、ここで白骨遺体が発見されたと聞いてね。君はこの辺の子かな。誰の遺体だったか知っているかい?」
柔和な笑みがどこか花依さんに似ているな、と思いつつ、僕は知らない、と答えた。嘘だ。遺体は僕が発見したし、それが誰だったのかも知っている。
「そっか……ありがとう」
一瞬眉を顰めた彼だったけれども、またすぐに笑顔に戻った。まるで、笑うことを強制されているかのようだった。
「僕、もう行きますね。家で母が待っているので」
なんだか僕は今日、嘘しか言っていないような気がするなぁ、と思いつつも、ベンチから立ち上がった。
「ところであなたのお名前は何ですか?」
こんな時間からこんな場所にいるということは、もしかしたら彼は犯人なのかもしれない。後で警察なんかに事情聴取されたときなんかに困るので、僕は彼の名前を聞いておくことにした。
「俺? 俺の名前は、金村 賢木」
そうですかではさよなら、と踵を返し、僕は歩き出す。
金村 賢木、かねむら さかき、かね さか、金、魚。
「嗚呼、なるほど。金魚か」
後ろから息を呑むような音が聞こえたけれど、僕は振り返らず、公園を出る。彼は追いかけては来なかった。
人魚、雨蛙、金魚。かっこ空蝉、かっことじる。
彼もまた、6年前に関わっているのだろうか。僕はそれを知りたいとも思うし、知りたくないとも思う。
何故ならば、真実は酷くうつくしく、ときに酷くおそろしいものであるからだ。
- Re: ムーンタワー ( No.9 )
- 日時: 2020/04/09 12:26
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
- 参照: 人魚は泡となり、月は新月となった。さて。
お坊さんが、お経を読み上げている。日本語であって、日本語のようでないそれは音程が平坦な歌のようで、お坊さんって絶対歌が上手いよな、なんてことを思った。
姉は死んだ。最後まで眠ったままだった。僕は母から連絡を受けて病院へ向かったけれど、結局最期を看取ることはできなくて、母は悲嘆と非難の目で見ていたけれど、これでよかったのだ、と思う。
これまでの短い人生の中で2回目のお葬式は、お婆ちゃんのときとはまた違った。参列者に若い人が多いのがその一因だろう。あとは、家族が死んだ、というのが大きかった。
長い長いお経が終わり、父が何事かを言うのを聞くと、お通夜のときと同じように、焼香が始まった。どうしても作法は覚えられなくて、僕は父や母の動きを見て静かに指を持ち上げた。いつまで経っても、姉の顔は見れないままだった。
花依さんは通夜に引き続いて来てくれていて、号泣していた。ぽろぽろと昨日から止まっていないのではないか、というほどの涙を流しながら、ずっと彼女の遺影を見つめていた。
何故かこの間公園で会った金魚も来ていて、少し驚いた。あとから花依さんに聞いた話だと、高1のときの担任だったらしい。不審者扱いして悪かったな。そして今は中学の教師をやっている。なぜか彼の姿に見覚えがあったのは、僕の担任だったからだ。覚えていなかった僕が馬鹿みたいだ。
焼香が終わってしばらくして、お別れの時間がやってきた。本来なら、遺族である僕は火葬場まで行かなければならないけれど、どうしても姉が燃やされるのを見るのは嫌だ、と思ったので、頼み込んで家に帰してもらうことになっている。僕が震える声でそのことを言葉にしたとき、母は真っ赤に腫れた目と完全に表情を失った顔で、そう、勝手にすれば、と呟いた。
棺の中に、花を入れてゆく。姉が好きだった花、ということで、向日葵を用意してもらった。僕はそれを手に取り、棺の中に落とす。
そのとき初めて、僕は姉の死に顔を見た。薄く化粧の施された顔。頬はこけていて、肌は真っ白だ。けれども、生きている、というより無理やり生かされていたときよりもずっと生きているような表情をしていた。
「本当は眠ってるんでしょ。姉ちゃんは、いたずら好きだからなぁ」
視界が段々とぼやけてゆく。頬に何か温かいものが伝うのを感じた。思わず胸の辺りに触れると、カメラがないことに気づく。流石に不謹慎だろう、と、持ち込まなかったのだ。
姉は、死んだら僕に写真を撮ってほしい、と言った。今僕の手に、カメラはない。でも、シャッターを切ることはできる。
ぱちり、ぱちり。まばたきをする。
きっと今、僕の記憶の中の写真をプリントしたら、ぶれぶれで何もわからないに違いない。それでも、僕はいいと思った。これは、僕だけのものだ。僕と、姉ちゃん、2人の約束。
目を閉じて、今しがた撮った写真をプリントする。写真の中の姉ちゃんの死体は、この世で1番うつくしくて、この世で1番かなしかった。
霊柩車に姉が乗せられて行くのをぼぉっ、と見ていると、相変わらず表情のない母が近づいてきて、
「あなたが大好きな死体じゃない。なのに、そうやって泣いたりして……本当に気持ち悪い子だわあなたは」
光のない瞳で、僕を見つめる。
「あんたが代わりに死ねばよかったのに」
母は僕に背を向けて、もう二度と振り返ることをしなかった。
霊柩車が発車してゆく。今どきの霊柩車は、ぱっと見霊柩車だとはわからないようになっている。でも、その見た目からはどこか哀愁が漂っている。いくら外見を変えたって、中にあるものがこの世の悲しみの塊なのだから、誤魔化せないに決まっている。
姉が骨になったとき、僕は母に完全に見捨てられることになるのだろう。もう、母は振り返らない。僕をいないものとして扱う。
遠いどこかの県の、可哀想な観覧車。彼女は外国へ行った。
「寮制の高校に進学しよ……」
そのためには、ひとまず学校へ行かなくちゃ。
- Re: ムーンタワー ( No.10 )
- 日時: 2018/09/24 02:37
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: n9Gv7s5I)
父と母は、まだ帰ってきていない。今晩、僕は1人で過ごすことになりそうな予感がしていた。
僕は、カメラを持って庭に出ていた。今日は、花火大会。ムーンタワーと花火が同時に見える日だ。
ひゅるるるるるるるるる、と白い尾を引いて、どーーーーん、花が空に咲く。遠くの方から、小さく歓声が聞こえてくる。浴衣を来て、愛する人と花火を見ているのだろう。彼らと花火とムーンタワーは知っているのだろうか。今日、家族が死んで、泣き叫んでいる誰かのことを。
僕の気持ちなんて素知らぬふりをして、花火は続く。綺麗だ、と思った。悲しいほどに。
ムーンタワーは相変わらず光ってはいなくて、花火の光によって、一瞬だけライトアップしているような感じだった。
ムーンタワーは、取り壊されることが決まったらしい。花依さんに教えてもらった。今日以降、ムーンタワーが何らかの形で光る日はもう来ないに違いない。
『ムーンタワーはね、私が生まれた日に完成したんだよ』
僕にカメラをくれた日、姉はそんなことを言っていた。夜空に浮かぶムーンタワーを撮りながら。フォルダの中を探すと、そのときに彼女が撮った写真が残っていた。彼女もまた、ムーンタワーが好きだったのだろう。僕も好きだった。だから、このカメラに『ムーンタワー』、と名づけたのだ。
「ムーンタワー。僕らの街の、小さなタワー。どうかお元気で。さようなら」
いよいよフィナーレだ。先程までとは比にならないほど、大量の花火が一気に打ち上がる。ムーンタワーがかつての光を取り戻したみたいだ。だけれども、ムーンタワーは、もう僕らを照らしてはくれない。
ぱちり、ぱちり。闇色の空に亡霊のように浮かぶ、ムーンタワーと花火。僕のムーンタワーは、静かにまばたきをした。
空蝉……内海 世海(終)
- Re: ムーンタワー ( No.11 )
- 日時: 2018/09/29 17:36
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: 96/n9kdm)
- 参照: 金魚
今年の夏は、葬式が多い。母が亡くなったり、教え子が亡くなったり。ミーンミーンと鳴く蝉も、これから仲間の葬式か、と思うくらいにうるさかった。
教え子である内海 月子が火葬場へと運ばれてゆくのを見送って、俺は葬儀場の外で煙草を吸っていた。比較的穏和な顔をしている俺は、煙草を吸っている姿が似合わない、と言われる。そもそも、少しでも大人っぽく見られたいがために吸い始めた煙草だったが、最近は禁煙していた。今ぐらいは、神さまも許してくださるだろう。
内海が入院した当初は1週間に1回ほど病院を訪れていたが、それがやがて1ヶ月に1回になり、半年に1回になり、1年に1回になり、気がつけば6年もの月日が経っていた。もう、最後に彼女のお見舞いに行ったのがいつだったか、思い出せない。
先日、公園で会った少年が遺族の席にいて驚いた。もちろん少年も驚いた顔をしていた。そして内海、という苗字と彼女との関係性から、少年が俺のクラスの不登校児であることを思い出して、愕然とした。しかも、少年ではなく、少女だったのだ。
白い煙の向こうに、ムーンタワーが見える。今から22年ほど前に完成したムーンタワーは、ついに取り壊しが決まったらしい。残念なことだ。こんな小さな街にこんな立派なタワーなどもったいなかったということだろう。
そういえば、今日は花火大会だ。ベランダからムーンタワーと花火、悲しみを肴にして、お酒でも飲もう、と思った。
「先生、お久しぶりです」
俺を呼ぶ声に振り返ると、雨郷が立っていた。喪服姿の彼女の目は真っ赤に腫れている。制服以外の服装は初めて見た。今どきの女子大生らしく、化粧をしている。マスカラを塗り直したようで、赤い目以外は綺麗だった。
それにしても、彼女はこんな顔だっただろうか。
「久しぶり。卒業式以来だね」
携帯灰皿に吸殻を捨てる。彼女は何故かその動作をじっと見ていたが、すぐににこりと微笑んだ。
「突然メールを送っちゃってすみません。でも、どうしても先生に会いたくって」
照れ臭そうに笑う彼女は高校時代の彼女そのもので、安心する。なんだ。さっきのは見間違いか。
「いや。俺もちょうど、色々と話したいことがあったから」
月子のお葬式の後に会えませんか、とメールが来たのは、一昨日のことだった。雨郷が卒業したときに流れで連絡先を交換したことをすっかりと忘れていて、危うくゴミ箱に捨ててしまうところだった。
雨郷も悲しいのだろう。何しろ、中学生からずっと、内海と親友だったのだから。
「積もる話もありますし、私の元バイト先のファミレスでも行きましょうか」
「元? 今のところは駄目なの?」
「はい。今のファミレス、たらこスパゲッティがないので」
明太子スパゲッティはあるんですけどね、と続ける。
別に、お昼ご飯を食べる訳では無いのだが。