複雑・ファジー小説

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微睡みのエンドロール
日時: 2020/11/24 21:47
名前: ネイビー (ID: CAVbJ4NS)

※ドキドキのラブラブな話が書きたい(大嘘)。
※暇潰しの為の書き物。クオリティは低い。
※ネイビーは好きな色。
※よろしくね

Re: 微睡みのエンドロール ( No.12 )
日時: 2021/07/02 18:25
名前: ネイビー (ID: GbhM/jTP)

 僕の名前をつけたのは、母親らしい。彼女との記憶はほとんどない。写真に映る母は、すごく綺麗だと思ったけれど、思い出がないので、母だと認識することは難しい。そのアルバムはどこに行ってしまったんだろう。
 昔から、女の子みたいな名前が嫌だったと、そんな理由を口にしていた。本当は、態度の大きい父が、鼓膜に錆を作るような声で僕の名前を何度も呼ぶせいで、苦手意識を持ったからなんだけれど。
 僕が小さい時は、何人かシッターさんがやってきて、色々と世話を焼いてくれた気がする。小学校にあがるまでの、僅かな時間だったけれど、シッターさんが居る時は、父親も善い人でいられたから、あの時間が僕は好きだった。
 事件の後、翠に再会した時に、彼女は僕を見て「一縷」と呼んだ。僕が兄に似ていて、翠自身の記憶が混乱したのか、それとも共有者に対する捻れた感情でそう呼んだのかはわからない。でも、あの日から僕は「一縷」になり、少なくとも彼女の前だけではそうでいようと決めたのだ。彼女が、宮川黎は宮川一縷ではないと、はっきり認識していたことがわかっても。

「一縷がもういないって、わかってるだろう」

 だから、この状況は色々とまずい。
 僕のいる前で、「一縷」を否定するのは、まずい。
 田島に何かを言おうとしたけれど、その前に翠が動いていた。
 乾いた音がして、僕は、田島が翠に平手打ちをされたのだと知る。あ、と思ったけれど翠は冷静で、田島も逆上などはなく、「いってぇ!」と言い放ち、赤くなった左頬を撫でながら、口をパクパク開閉させる。

「なにも平手打ちすることないだろ!」
「平手打ちさせるようなことを言うからよ」

 ひらひらと手を振って、翠が平然とした態度で田島を睨みつける。肝が据わっているというか、反逆を恐れていないというか。

「私はすべてを受け入れたうえで、一縷と一緒にいるの。他人にそのことについてとやかく言われると、我慢ならない。ついこの前も同じようなことを言われて、気が立っているのよ。あんまり怒らせないで」

 喜怒哀楽が欠如しているとばかり思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。
 傍観者のように居座るのが嫌で、冷凍庫から保冷剤を持って、田島に渡した。

「翠さんに殴られるとは思わなかった。おまえから殴られるつもりでいたんだけどな」
「僕は暴力嫌いだからね」
「何言ってるの一縷。私だってすごく嫌いだわ」
「翠さんって数秒前に自分がしたこと忘れる病気なの?」
「また平手打ちされたい?」
「いいえ。まったく」

 早口で答えた田島に、翠が諭すように声をかける。


「安心してよ、千里。私はね、しっかり正気を保っているから」

 それについてはどこまでが本当なのか分からないので、スルーする。翠の気がおかしくないなんて、絶対にありえない。でないと、僕をわざわざ五年前の殺人犯の名前で呼ぶはずがないだろう。記憶障害か何かで僕と兄を間違えているのなら多少は納得もできるけれど、そうでないのだから。底意地に性格が悪いか、別の理由があるのか。どちらにせよ、僕には拒否権はなかったし、反論もなかった。

「宮川はそれでいいわけ?」

 どうにかしてくれ、という目で田嶋が僕を見る。

「何度も言ったろう。僕がそれでいいって言ってるんだ。一縷でいいって」
「……ちょっと俺にはわからないな」
「だろうね。でも、もうその呼び方にも慣れたよ。前は確かに違和感しかなかったけれど」

 田島は長くため息をついて、頭を垂れた。

「ある意味でお似合いなんかね」
「色んな意味でね」

 常人に二人の相手は疲れたのか、田島はそのあと「帰るわ」とだけ言って、見送りも断り、出て行った。
 二人きりになると、ここが現実から切り離された空間のように思えて、変な緊張感が走る。翠が、僕の袖を掴んだ。

「私にとって、一縷はすべてなんだよ」

 小さく呟く。
 その一縷は、一体どちらの一縷なんだろう。

「わかってるよ」
「一縷、ねえ、ずっと傍にいてね。何があっても、私から離れないで」
「そのつもりだから。変に心配しなくていい」

 長い髪に指を通すと、絡まることなく毛先まで通った。翠は僕に体重を預けると「ずっと一緒よ」と噛み締めるように言って、僕の腕が痺れるまで、二人はそのままでいた。






 見知らぬ誰かからの手紙に気づいたのは、田嶋の来訪から四日経った頃だった。年が明けてからのバイト初日、やけに忙しい店内を早歩きし、ひたすら焼き鳥を焼いたりポテトを揚げたりして汗を流していた。田島さんは正月に餅を食べ過ぎたらしく、腹に乗った肉をつまんではガックリと肩を落としていたけれど、厨房に立つと威勢のいい声で店員に指示を出していた。
 久々のバイトだったのでやけに疲れていたが、片付けと掃除で帰るのが遅くなった。
 正月のあいだ、一度もポストを開けていなかったので、新年の初売りやらセールやらのチラシが溜まっていることに気づき、投函口を開ける。
 チラシの上に、外からでは気づかなかったが、茶封筒を見つけて、一瞬時が止まった。差し出しも切手もない、封筒。
 平然を保たなければ、と思ったけれど、その場で開封した。
 内容に目を通す。最後まで読んだ時に気づいたけれど、かなり心拍数が上がっていた。気を鎮めて、それを鞄の中にしまい、チラシの束を腕に抱えて階段を上がる。
 部屋は電気が真っ暗で、リビングに翠の姿はなかった。寝室で寝ているのだろう。……本当に?
 そっと引き戸を開けると、確かに彼女はベッドにいて寝息を立てている。そっと中に入り、押し入れを開けて中の衣装ケースを開いた。下着や靴下がしまわれている引き出しを開けて、前回の茶封筒を取り出す。
 そのまま寝室から出てリビングのソファに深く腰掛け、僕は最初に届いた手紙をもう一度読んだ。

『五年前、なぜ彼があんな事件を起こしてしまったのか、おまえは知っているか?彼だけが亡くなり、おまえがのうのうと生きていることが許されていいのか?罪を受け止め償うどころか、あの女と一緒に過ごしているだなんてあっていいことだろうか。信じられない。人間じゃない。彼が亡くなったのなら、おまえも死ぬべきだ。彼にとって、おまえの存在はずっと鬱陶しくて不愉快で、胃の中を蛆虫が湧いているような感覚になっていたに違いない。おまえを許さない。いつか必ず殺してやる。彼を苦しめ、殺人犯にしたおまえを、絶対に殺してやる。』

 パソコンで打って印刷されたただの文字だが、明らかな脅迫文なので色々な念が込められていそうで、吐き気が込み上げた。
 次に、今回の便箋に再び目を通した。

『真実が知りたい。真実を知った上で、おまえを殺さなければ、何の意味もないから。おまえがあの女と幸せになれると思うな。あの女も、おまえを手に入れて調子に乗っているのか?彼が亡くなって、彼の死を本気で心の底から悼んでいるのは自分だけだ。おまえたちが死ねばよかった。おまえが死ねばよかった。おまえなんて生まれてこなければよかった。死ね、死ね、死ね、死ね、苦しんで死ね。』

「一縷?」

 はっと我にかえる。
 寝室の引き戸が開いていて、翠がこちらを見ているのがわかった。ただ、部屋の電気がついていないので、表情は分からない。

「どうしたの?」

 僕はなんとか、それだけを言葉にした。

「一縷の方が、どうしたのよ」

 翠はそこから動かずに言った。

「久々のバイトで疲れているだけだから。起こしちゃったかな。眠っていていいよ。また、眠れなくなる」
「……寝ていたわけではないのよ」

 迂闊だった。翠がベッドにいたから、てっきり寝ていたのかと思った。

「なにを、持っているの?」
「これは僕へのラブレターかな」
「……前にもあったよね。なにか、私に隠してる?」
「僕に立って隠し事はあるよ。翠にもあるだろう。浮気とかの心配は杞憂だから、安心して寝ておいで」

 便箋を鞄に突っ込んで、翠の傍に寄る。前からきつく抱きしめて、服の上から、彼女の背中の傷を撫でた。労るように。慈しむように。

「なんで震えてるの?」

 翠にそう訊かれていなければ、僕は自分自身が震えていることに気づかなかっただろう。

「なんで泣きそうなの?」

 これも、僕自身が気づかなかったことだ。
 泣きそうになっている?
 僕が?
 涙なんて、枯渇したとばかり思っていたのに。暗い部屋で、互いの表情は見えないはずなのに、泣きそうだと翠に心配されるほど、僕の声は弱々しいのだろうか。

「翠、ごめん」

 彼女が何かを言う前に、僕は唇を重ねた。
 湿った口内を舌で掻き回して、服の中に手を入れる。
 翠に触れていると、僕自身が彼女にしたことをきちんと覚えていられる。僕が、彼女にしたこと。傷つけたこと。

「全部、悪い夢だったら良かったね」

 今も彼女は傷ついている。

「一縷は何も悪くないのにね」

 じゃあ誰が悪いんだろう。
 兄か?糞親父か?翠か?それとも…………。考えたけれど答えは絶対に出なくて、翠との行為に没頭することで現実から目を背けた。そうでもしないと、本当にどうにかなりそうだったから。言い訳を並べないと、一縷としての自分が保てなくなりそうだった。それが決壊すると嫌でも疑問が湧いてしまうのだ。
 どうして僕は、一縷として彼女の傍に居なきゃいけないんだろうと。
 翠が、僕を兄だと認識しているわけでもない。兄の代わりにしているわけでもない。じゃあ、どうして。
 それを本人に問い詰められないのは、僕と彼女が共有している五年前の記憶にある。兄が起こした事件で、被害者となった僕と翠。死体となった兄と父。

「嫌な事を、考えているでしょう」

 静かに翠が口を開いた。
 冬だというのに、汗で湿った肌がぴたりとくっついていて、少し不快だった。

「考えなくていいのよ」

 追い討ちをかけるように、甘やかされる。
 僕は何も言わずに目を閉じた。早く眠ってしまいたかった。しばらく意識はあって、翠が何か一言二言呟いたことは分かったが、やがて睡魔が襲ってきて、僕はそのまま意識を手放した。

Re: 微睡みのエンドロール ( No.13 )
日時: 2021/08/18 19:04
名前: ネイビー (ID: b634T4qE)


 夢を見た。
 夢とは言っても、過去の回想に近い。
 家は普通より少し上の、裕福な家庭で、田舎には似合わない、西洋風の庭があった。青々とした芝生が生い茂っていて、大きな門から玄関までには、形の揃ったツヤツヤのタイルが敷かれている。ローズアーチなんかもあって、父親が雇った庭師が丁寧に剪定をしていた。父は、子どもは無碍に扱う天才だったけれど、植物に対しては熱心に愛情を注いでいたようだ。
 僕は幼稚園にも保育園にも行っていなくて、週に交代でうちにくるシッターと大半を過ごしていた。後で知ったことだけど、彼女達の中には、きちんとした資格を持つシッターもいれば、父親の秘書や関係があった人もいたらしい。母親を早くに亡くしている僕は、彼女達からの、愛情というよりは業務的な、父親に気に入られたいがための材料のような、大人の事情がぷんぷんする紛い物の笑顔を、心底気味悪いと感じていた。
 それでも、父親といるよりかは全然マシなので、なるだけ彼女達の手を煩わせないように努めていた。
 夢で僕は、ひとりの女の人と庭にいた。名前を霧香といって、僕は「おねーさん」と呼んでいた。霧香は長い髪を1つに結っていて、線の細い、大人しそうな人だった。いつも薄ピンクのエプロンをしていて、塗り絵やパズルを持ってきてくれたので、彼女は本当のシッターだったのかもしれない。
 霧香と僕はよく庭で縄跳びやだるまさんがころんだをしていて、その夢では、石蹴りに夢中で励んでいた。ツヤツヤのタイルの道を、石を蹴りながら、門から玄関へ行けるかというもので、幼い僕はコントロールが難しく、タイルを外れて芝生に落ちるか、力を入れなさすぎて少しも進まないかのどちらかだった。
 リードしていた霧香が、僕の方を振り向き、笑いながら何か言っている。近くにいるはずなのに、声は聴こえない。当たり前だ。大人になった僕は、彼女の声を覚えていないのだから。
 聴こえないので返事のしようもなく、ただ黙って石を睨みつける。
 霧香はそんな僕に近づいて、腰をかがめて目線を合わせた。

「なぁーんだ。怒っているのかなって思った」

 声は、叔母の声で再生された。
 顔は霧香なのに、叔母の声というのが違和感だらけだけど、夢は勝手に進んでいく。僕の意思とは関係無く。

「勝負に負けて悔しがるのは、いいことだよ」

 そう言って、また自分の石のところに戻る霧香から、ふんわりと石鹸の匂いがした。清潔で、蕩けそうな甘い匂い。
 なんだかすべてがどうでもいいような気がして、力加減をせずに、まっすぐ石を蹴った。石は、乾いた音を鳴らして家の壁にあたった。霧香が何かを言った気がするけれど、今度こそその声は聞こえなかった。


 そこで夢は終わり、僕は目を開ける。
 隣で、うつ伏せで寝ている翠に少し驚いたけれど、その背中の傷が目に入って、すうっと冷静になった。寒いだろうに、服を着て寝なかったのか。毛布もかけずに風邪をひいてしまうじゃないか。
 指先で傷跡に触れると、乾いた感触があった。ああ、そういえば、夢に出てきたあの人も、手はすごく乾いていたっけか。
 何かを思い出しそうになったけれど、きっとそれは、思い出してはいけない、掃き溜めのような物であると察したから、そこで思考を止める。翠に毛布をかけて、自分の今日の予定を頭の中で巡らせる。昼過ぎからのバイトだけで、特に他に用事はない。
 のそりと寝室から出て、冷たい廊下をペタペタと歩く。
 リビングの扉を開けると、煙草の匂いが鼻腔をついた。思わず顔をしかめてしまう。寒いけど匂いに耐えられず、網戸にして換気をする。皮膚が痛いと感じるほど、ひんやりとした風が入り込んできた。一気に鳥肌になる。
 寒すぎるのでお湯を沸かし、冷蔵庫を開けて何かつまめるものをと探してみるけれど、何もなかった。そういえば最近はろくに買い出しもしていなかったな。
 コンビニ……いや、スーパーの方が安い。自炊の手間はかかるけれど。
 スウェットの上から上着を羽織り、靴下を履いて、ニット帽を被った。これで寝癖は目立たないだろう。鍵と財布を持ち、外に出る。念のために郵便受けを確認したけれど、今日は何も入っていなかった。差出人は、わざわざ直接、ここに嫌がらせの手紙を投函しているみたいだけれど、どうして家がばれているのか。叔母の所でなく、僕と翠が同棲しているこのアパートがばれるのが不可解だ。跡をつけられていたらどうしましょう、と不安になる。今もどこかで見ているとしたら?
 周りを見渡してみるけれど、特に不審な人物はいない。近所の子どもが「雪積もってなーい」と親に言う声と、遠くからバイクの音が聞こえるぐらい。平穏な日常。いつもと変わらない風景。罵声も暴力もない世界に自分がいる。

「平和だねえ」

Re: 微睡みのエンドロール ( No.14 )
日時: 2021/10/11 16:10
名前: ネイビー (ID: 8pX7/Rdk)


 自転車に跨って少し漕いだところで、スマホを家に忘れていることに気づく。常に傍に置いている物だし、暇な時には必ずと言っていいほど触っているから、忘れたと分かると少し不安になる。
 取りに帰るのも面倒だし、誰からの連絡も来ないだろうから、漕ぐことは辞めない。
 翠はスマホを持っているけれど、仕事のやりとりはパソコンを通して行われるので、滅多に使っていない。僕から簡単な連絡を入れるぐらいだ。それを確認しているのかどうかも怪しい。ネット社会と呼ばれる現代から切り離されたところに生存している事実は、彼女をより浮世離れした存在だと確信づけられる。膨大に余している時間を、ほぼ寝ることと喫煙に割いているので、人と住んでいるというよりは、何かしらの生物を飼育している気にならないこともない。
 仕事をしているだけ社会に貢献はしているし、税金を納めているので国民の義務を果たしているとは思うけれど。


 簡単にできるものを考えながら漕ぐと、スーパーまであっという間だった。
 正月から明けて約1週間が経つが、節分の特設コーナーが出ている傍ら、七草粥にいれる、ぱっと見そこら辺に生えている雑草にしか見えない植物がセットになって売られていた。季節てんこ盛り。
 炒めて塩胡椒を振れば、なんでも旨くなるという田島さんの言葉を思い出し、とりあえず肉やら野菜やらをテキトーにカゴに入れていった。なんとなく辛い鍋が食べたくて、鍋の素も買う。思ってたより高くて迷ったけれど。
 レジで会計して、スーパーを出る。
 前カゴにレジ袋を入れ、少し重さでぐらつくのを支えながら跨った。
 今夜は誰がなんと言おうと鍋だ。鍋にする。
 僕がバイトから帰る頃には、翠も起きているだろう。昼だとか朝だとかの概念が無いに等しい生き物を飼育しているから、彼女にとってのは昼は、周りがどれだけ暗かろうと昼なのだ。
 そういえば、翠は辛い物が食べられたっけ。彼女が汗をかきながら、鼻水を垂らしながら辛いものに食らいつく姿が本気で思い浮かばない。家庭で作る鍋の辛さなんて、たかが知れているから大丈夫か。
 鍋のシメは雑炊かそれともうどんかラーメンか。叔母のところは絶対に雑炊だった。あの小柄な体格のどこに入っていたのか、僕より食べていた。僕は雑炊にあまりいい思い出がない。雑炊というか、べちゃっとした食感の米が苦手だ。叔母はそんなこと、知らなかったから。
 自転車を停めて、白菜のせいで重くなりすぎたスーパーの袋を抱えて、オートロックの鍵を開ける。
 翠はきっと、まだ寝ているんだろうな。
 玄関の鍵穴に鍵を差し込んで、

「…………」

鍵が、開いていることに気づく。
 僕が閉め忘れたか?………いや、閉めた。不信感が不審感になる。自分の心音が大きくなっていくことに気づく。
 なんとなく息を止めて鍵を抜き、ポケットに入れる。そして、これもなんとなくだけど、白菜のせいで重いスーパーの袋を玄関前に置いた。
 身軽になったところで、ドアノブに手を伸ばす。
 冷たい先端に手が触れそうになったところで、それは一気に下を向いた。

「おっかえり〜」

 向こう側から扉を開けられて、思わずたじろぐ。その不意打ちをつかれて、胸ぐらを掴まれ、中に引き込まれた。

「あっ、え、がぁっっ!?」

 よろけながらも、その人物の顔を見ようと、体を捩る。けれどその前に、強烈な痛みが左足に走った。間抜けな声を出しながら、痛みの原因を確かめようと視線を泳がせる。靴も踏んで余計に身動きの取りづらいなか、立ち上がろうとしても痛みが邪魔をするので上手くできない。少し這ってから左足を見ると、果物ナイフが刺さっていた。本来、そんな使われ方をしないというのに、なんで僕の足に刺さっているのかというと、僕に背を向けているこいつがそうしたからだ。
 ガチャンッと音がする。鍵とチェーンをかけた、僕の足を刺したであろう人物が、振り返る。
 その顔に全く見覚えはなかった。





「宮川先輩から連絡が来ないんだけど」

 文化祭準備に追われていた9月半ばに、いきなり皐月に呼び出された。
 派手なことが好きな奴らが多いうちの高校は、文化祭や体育祭にかける意気込みが半端なく、特に運動部の奴らが中心になってガンガン計画を進めている。俺はどちらかというと、怠い、面倒くさいというタイプだったので、忙しいです風を装って、いつ屋上に逃げようかとタイミングを見計らっていた。
 ちなみにうちのクラスは女装喫茶をやるらしい。
 がやがやと看板を作ったり発注をかけたりと、教室中が賑やかだったので、皐月が外に呼び出してくれて助かった。
 廊下も、作りかけのメニュー表やらコルクボードやらでごった返していたので、二人で外のピロティに向かう。
 吹く風が涼しくて、秋の深まりを感じる。一気に涼しくなって気がして、心がなんだか落ち着かない。
 自販機でジュースを買い、皐月は座り込み、俺は壁にもたれていた。もうちょいで下着が見えそうなんだけどな。

「あいつ、もともとレスポンス遅いべ」
「違うの。遅いし、素っ気なくなったの」
「あー……なんでだろうな」
「女とかできたのかな」
「いつものことじゃん」
「じゃなくて。特定の女」

 夏休み明けから、どっと皐月が老け込んだように感じる。化粧が映えると、大学生のおねーさんみたいに大人っぽくなるけれど、特に手入れもしていない髪は傷んで、唇も乾燥していて、なんだか華がなくなった。宮川に対する余裕のなさなのかもしれないけれど、それにしても打ちのめされすぎだろう。たかがセフレからの連絡が来なくなったぐらいで。女っていうのは本当に……。

「そんなに連絡とってたのか?」
「たまに。夏休み入ってからまったくこなくなって、新学期になって、なんで連絡くれないのか訊いても、曖昧だし」
「じゃあ、特定の女でもできたんじゃない?」
「できたのね。千里がそう言うってことは」

 こういう時に墓穴を掘るわけでもなく、かまをかけるわけでもなく、押して参る先方でこちらの反応を伺って裏付けするような話し方は、好きじゃない。

「だから深くハマるのはやめとけって。……いや、そもそも関わることがグレーだって言ったべ、俺」
「しょうがないじゃん」

 好きになっちゃったんだから、と。
 わざと長くため息をつき、俺は呆れ顔で皐月を見る。

「噂でも聞いたことあるでしょー。あいつはねぇ、ちょっとおかしいの。螺子が少し欠けちゃってんの。だから、やることも非情だし、ちょっとどうなんかってことにも自分から笑って行っちゃうようなやつなわけ。そんなやつに本気になることはねぇの。向こうだって本気じゃないって、最初からわかってんだろ。自分の身は自分で守れって」

 オヤジ達に体を売っている皐月に、保身を求めたところであんまり意味はないんだろうけれど、最後の言葉は力を込めて言った。
 聞いているのかいないのか、響いていないのか届いているのか。皐月はしばらく黙っていたが、気だるそうに立ち上がり、俺の方に向き直る。
 何か言いたそうに口を開閉させるが、けっきょく先の言葉は出てこなかったのだろう。落胆したように俯き、軽く頷いて校舎の方へ歩き出した。
 酷いことを言ったとは思うが、強く言わないと誤解を与えかねない。
 大嶋翠は皐月の友人だと、一縷は以前言っていた。
 事実を知ったら、皐月はどう思う。そもそも大嶋翠は皐月の気持ちを知っているのか。一縷は二人の仲をどうにかしたくて大嶋翠を選んだのではないのか?

「だぁ〜、もうめんどくせ…」

 妙な三角関係に巻き込まれるのはごめんだ。これ以上は介入せず、当事者達に任せよう。考える事をやめて、俺も自分のクラスへと足を進めた。

Re: 微睡みのエンドロール ( No.15 )
日時: 2021/10/18 22:27
名前: ネイビー (ID: 8pX7/Rdk)


 抵抗しようともがいていたら、フライパンを振り上げる拳が見えたので、頭を抱えて丸くなることしかできなかった。結果、フライパンは容赦なく手ごと僕の頭を直撃し、何回かそれは行われた。痛みに耐性はあるので、不快にしか思えないその悪意を、ただ受け入れた。5年経ってもやることは変わらないのか。
 相手は少し満足したように見えたが、息を荒くしながら僕の左足を蹴った。ナイフがまだ刺さっているので、これはフツーに痛い。ぐえっとも、がぁっとも聞こえる唸り声をあげているうちに、ものすごく手際良くロープで手を縛り上げられた。ここまでされると、もう抵抗しても疲れるだけなので、大人しくされるがままにしてみる。ピンチなのは承知なんだけれど、どうにも打開策が思い浮かばない。足が痛すぎて。

「おい。女の人がいただろう。その人は今、生きてんの?」

 殺される覚悟で話しかけてみる。
 ロープを鋏で切った相手は、「ああ」と、今思い出したように廊下の奥を見て、

「生きてるからぁ、だいじょうぶだよぉ」

と、意外にも会話の成立することを証明した。奇妙に間延びした喋り方。粘着質のある張り付いた笑顔。
 僕はマジマジとそいつを見た。
 年齢は二十代にも三十代にも見える女だった。
 ダボついたスウェットにフード付きの重たい鈍色のパーカー。耳にけっこうな数のピアスをつけているけれど、それ以上に、毛が一切ないスキンヘッド頭が目立つ。目がギラリと大きいので、顔が小さいのがよく分かる。

「立てる?立てる?立てたりするぅ?」
「左足見なよ。ぶっ刺さってるだろ」
「なら、ひきずるぅーぅっ!」

 僕の手を縛るロープを持ち、ずりっずりっと引きずっていく。突き当たりのドアを開けると、煙草の匂いがふわっと風に乗って香ってきた。
 上半身を退け反らせてリビングの方を見る。
 額から血を流した翠が、同じように手を縛られてソファに座っていた。その口にはガムテープが貼られている。

「んがぁー、おっもい!!!」

 女はそのまま僕を床に放置して、荒く息を吐いた。その後に目が虚ろになり、どこか一点を見つめて、小声で早口の独り言を言い出した。なんて言っているのかは聞き取れなかったが、女を取り巻く雰囲気は異質で、明らかに頭のネジが何本か取れているようだった。

「5年前の、関係者?」

 埒があかないので、試しに聞いてみる。殺されはしないだろう。少なくとも、今は。
 ぴたりと独り言をやめ、女のギョロ目だけがこちらを見る。

「あの手紙もアンタなんだろう。なんか知ってるふうだったけど、僕たちに関係ある誰かなんだとしたら教えてほしい」
「んーぅっんー、あっ、えっとねー、アタシもききたいこと、あるんだぁ」

 僕の前に屈み込んで、女が臭い息を吐き出す。

「みやかわいちる、ほんとにしんだの?」

 短い問いだった。
 宮川一縷。
 僕の、兄。

「死んだよ。自殺だ」

 僕と翠への監禁暴行事件と、殺害未遂。父親の雫への殺害容疑。僕は事件の始まりと途中は覚えているけれど、最後どんなふうにあの凄惨な地獄が終結したのかは、覚えていない。
 兄の自殺を証言したのは、翠だった。
 畜生の限りをし尽くした後、兄は自分の腹を刺して死んだ。腹の刺し傷は何十箇所もあったらしいが、それは、兄が死んだ後に翠がやったのだという。本当に死んでいるのかどうかを実感するために。

「それは、それはね、うそだよぉ」

 女の汗ばんだ手が僕の頬に触れた。気色の悪い感覚に鳥肌が立つ。

「からくりが、あるんだよねぇ?アタシはそれ、しっ、しししっ、しってるんだからぁ」
「カラクリ?……意味がわからん。本気でアンタは誰なんだよ。僕が知らないとしたら……翠の知り合いなわけ?あとここオートロックなのになんで入れたんだよ」

 今は殺されない自信があるので、スラスラと言葉が出てくる。命乞いはしない。乞うほどの命でもない。

「みどりはねぇ、ちゃんとわかってるから。アタシが来たときも、みどりは開けてくれたよぉ。たぶん、いろいろ、お話がしたかったんだと思うねぇ」

 くぐもった声が聞こえる。翠がガムテープ越しに声を出していた。

「きみだけが、なぁにもしらない。みんなしってるのに、かぁいそうねぇ。本当に、かぁいそうな、『レイちゃん』ねぇ」

 女がニタニタと笑う。その言っていることの意味が少しも理解できず、考えを巡らせようとしたとき、女の体が真横に倒れた。視界に翠も映る。
 思いきり女に体当たりした後、女が起き上がる前に身を起こし、僕と同様刺されたであろう、流血している足で女を何度も蹴り上げた。その行動で一気に頭が冴え、僕は身を深く丸くして、果物ナイフが刺さりっぱなしの左足を、なんとか後ろで縛られている手に触れるところまで持っていく。一気にそれを引き抜くには、力が要った。痛いより熱いのが勝る。ナイフを抜き、歯の向きを変えてロープに切れ目を入れた。
 緩んだロープが一気に解ける。

「痛いだろうが、このクソ女ッッ!!!!」

 女は翠に馬乗りになって、首を絞めていた。
 急げ、急げ、間に合わなくなる。
 床に広がる血で滑る。もう痛みなんて関係がなかった。
 正当防衛だろう、これは。

ーーーー正当防衛だもの。

 僕は、また。許される。

ーーーーだって、何も悪くないから。

 女の背中を刺しながら、だんだん、何かが抜け落ちていく感じがした。良心なのか、悼みなのか、その正体はわからなかったけれど、
 ものすごく、翠が、泣いていて、血がいっぱいで、生暖かくて、なのにすごく寒くて、苦しくて、神様は信じてないけど都合が悪い時だけ必死に祈って、あまりにも滑稽で、いつも雨が降っているんだ、ざぁざぁと地面に叩きつけられる雨の音が、ずっとノイズみたいに、
 あまり笑えないのが嫌で、笑う練習もしていたんだけれど、けっきょく僕は笑うことに不向きみたいだ、だって面白いと思えないから、朝起きてまた、始まるんだ怖い朝が、 おとーさん、おとーさん、
 やめてよやめてください、お尻が痛くて、大便で布団を汚すたびにもう死にたい気持ちになるんです、そんなところは汚い、僕は女の子ではありません、  やめてください、殴っても蹴ってもいいから、それだけは本当に嫌なんだ ああああああ嗚呼嗚呼ッッ!!!!!!
 夜になると悪魔がやってくる、苦い味と、感触が怖い、怖い、痛い、痛い、痛い、痛い、助けて、にいちゃん、にいちゃん、にいちゃん、にいちゃんは来てくれない、誰も来てくれない、誰も来てくれない、こんなに痛いのに、こんなに怖いのに、こんなに    
 呼んでるのに、

Re: 微睡みのエンドロール ( No.16 )
日時: 2021/11/14 20:16
名前: ネイビー (ID: jp9BnxY2)


4

 柄の悪いスキンヘッドの女が、床に血溜まりを作って倒れている。男物の厚いパーカーは血を吸って変色し、指先は微かに動いているけれど、やがてそれも止まった。
 これはなんの悪夢だろう。
 私の手の縄を裂き、口のテープと押し込まれたティッシュを取ってくれる目の前の男は……不機嫌そうだった。
 それは紛れもなく、私の『一縷』だったけれど、『一縷』ではなく、ましてや『黎』でもなかった。
 起きたな、と確信した。
 彼の中にずっと居座るものが。

「聞きたいことがたくさんある」

 奴はそう言うと、もう死体となっているであろう『木原皐月』の体を、足先でつつく。容姿はだいぶ変わってしまったけど、インターホンで顔を見たときにはっきりと彼女だと分かった。
 一縷が……黎が気づくだいぶ前から、私はポストに投函されていた手紙のことを知っていた。黎より先に処分していたけれど、患っていた睡眠障害がここ暫く悪化して、手紙を彼より先に見つけられなかった。何通かは黎が見つけてしまったことは、知っていた。彼は嘘をつくことがあまりにも下手だから。
 いずれ直接会うことにはなるだろうとは思っていたけれど……こうも凶行に及ばれるとは思っても見なかった。

「とりあえず、これ、バラバラにしないとダメだよね」

 奴はそう言ったあとで、部屋の中を見渡し、怪訝そうに首を傾げる。恐らくここがどこだか分かっていないのだろう。その証拠に私のことを見て、尚更、目を丸くする。

「ワタシとアンタ、どこかで会ったよね」
「会ったどころか、共犯者よレイ」

 だからきみを、この名前では呼びたくなかった。
 同じ響きの、同じ人間の、だけど違う別の存在を呼び起こしてしまいそうだったから。
 それならまだ、汚名憚る実兄の名を染み込ませた方がマシだから。




 高校生の時、宮川一縷に煙草がバレた。夏休みに入る直前、コンビニの側の喫煙所でばったり会ってしまったのだ。私は彼を知らなかったけど、何故かむこうは、私の顔も名前も知っていた。
 そこから何故か、彼は私に執着しだして夏休みの時はどこで知ったのか、私の自宅に来てただ話をするという、妙な関係が続いた。
 友人の木原皐月が好いているのが、この「宮川先輩」と同一人物だと少しして気づいた。私は何に対しても気付くのが遅すぎる。
 精神疾患で生活保護をもらいつつ、見てくれはよくて男には困らない母は、ほとんど家に戻らなかった。この実情がよろしくないことだと気付くのも、中学終わりの頃だった。私が軽いネグレクトを受けている、という事実は、一縷にも伝わったらしい。
「見てみる?」と急に服を脱いだ彼は、そこにある無数のケロイドを私に見せてくれた。綺麗な顔をしている人だったので、白い肌に浮かび上がる歪な痕が異質で、だけどすごく目惚れたのを覚えている。
 誰に?という質問を呑み込んで、私の視線はその傷跡に夢中だった。それに気づいてか、一縷は妙に枯れた、低い声で問うた。
「……触ってみる?」
 躊躇いながらも、触れてみた。男の体に触るのは、それが初めてだった。かさついた、見た目と反して冷たい感触に怯え、手を引っ込めそうになる。その手をとられ、抱きしめられたときには、もう私の中には一縷しかなかった。
 どうしていいのかわからず、ただ、抱きしめられることの心地よさにひどく安心する自分に驚いた。飢えている。この心地よさに、すごく飢えているのだと。
 一縷の父親は、その名前を検索すれば出てくるようなちょっとした有名人で、法という正義のもとで働いている人間だった。ただ、一縷曰く「何度も殺されかけた」し「暴力と悪意と快楽で支配している」ような、欠陥だらけの父親らしかった。
 一縷には、「黎」という名前の弟が居るのだが、これが驚くほど亡くなった母親に似ていて、声変わりをしていないのと、床屋に連れて行ってもらえないので髪が伸びきっていないのとで、女の子に見えるらしかった。
「自分の子どものケツにぶっこむような男だ。死んでもいいだろ」
 私の部屋で煙草を吸いながら、ある時、一縷がぼやいた。
 なんの希望も持っていない目で、窓の外を見ている。リンリンと虫の音が聴こえる。
「黎は、俺のことが誰だかわかっていないような話し方だった」
 久々に家に戻り、弟と会うと、そこに居たのはまったくの別人だったという。
「初めは混乱してるのか、ふざけているのかと思った。でもあいつ、庭で野良猫を殺しててさ。家政婦の霧香ってやつに聞いたら、女言葉で喋る時だけ、そういうことをしているって。後片付けは家政婦がしてるって」
 そしてその「レイ」が現れる時はきまって、父親が家に戻ってきた翌日らしい。病院に連れて行くことを提案したが、一縷は苦笑して「やっぱ、変だよな」としか言わなかった。
 今思えば、一縷だってその時は高校2年生の子どもだったのだ。力もない、悪いことでしか周囲に力を見せつけられない、弱虫の。
「翠、抱かせて。ぜんぶ、忘れさせて」
 不完全で不明瞭な一縷の惑う空気すべてが、甘い毒だった。私は彼の匂いを嗅ぎ、彼の汗を舐め、彼の指を喰んだ。もう私たちは離れられないと、お互いが確信していた。
 高校を卒業したあと、私はフリーターになってバイトをしながら、知り合いに頼まれた時にだけ、ヘアモデルをさせてもらっていた。一年先に卒業した一縷は、夜の商売をしながら一人暮らしをしていて、私たちの関係は不思議にも穏やかに続いていた。
 そして、あの日。
「黎と一緒に住みたい」
 この一縷の決断によって、私たちの運命が変わってしまったあの日。
 私は一縷を失った。一縷の守りたかった、たった一人の弟によって。


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